支えよう、東北の仲間たちを! みんなの絆と力で! みやぎ支援センターニュース (ゆい)bR7 日本障害フォーラム(JDF)東日本大震災被災障害者総合対策本部 【2011年8月17日】 本部センター 仙台市青葉区五橋2-12-2  電話:080-4373-6077、FAX:022-266-0292、 東部センター 涌谷町本町99-7、電話:0229-43-6639、FAX:0229-43-6685、 メール:jdf.miyagi@gmail.com 北部センター 登米市東和町・若葉園内、電話:090-8349-9403、 メール:jdf.miyagi.hokubu@gmail.com ホームページhttp://www.dinf.ne.jp/doc/JDF/index.html 8月11日に合同慰霊祭が行われ、みやぎ支援センターから森井(北海道)と柴田(愛知県)が参列をしてきました。 決して拭い去ることのできないあの日の忌まわしい記憶が蘇り、 遺影を抱えたご遺族の皆様や関係者、住民の皆様の心中を察するといたたまれない思いでいっぱいでした。 式典開始後、自衛隊吹奏楽団による「千の風になって」の演奏がありました。 亡くなられた方は千の風になったのかなぁと思いながら耳を傾けていると涙がこぼれてきました。 仙南地方の山元町は「東北の湘南」「宮城の湘南」と言われており、 それはもう住み良いところで・・・とお聞きしました。 それがあの大地震と大津波で一変してしまい、どこにこの悔しさをぶつけていいのか。 参列していていろいろな方の式辞を聞いて痛いほど感じました。あの時刻に黙祷を捧げてご冥福をお祈りすると共に、二度とこのような惨劇が起こらぬように、 しっかりとした町作りをしていかねばと思いを強くしたしだいです。 最後は祭壇へ顕花をして、次の支援地に向かいました。 支援のあしあと 震災後に津波警報があり、夫婦で鹿妻小学校へ避難したが、気候が冬だった為、 夫が防寒具(上着・毛布等)を取りに戻る。 玄関を出ようとした瞬間に向かいのガソリンスタンドまで水が来ていたので、 学校への避難は困難と判断し2階へ逃げた。その瞬間大量の水が入り2階膝まで水が入る。(一瞬の判断で命を落としていた。) 翌朝水が引いてから学校までの500mを1時間かけ(膝上まで水があり、 マンホール跡・道路陥没に気をつけながら)妻と再会。 12日は妻の透析の通院が必要だった為、周りからは止められたが、 夫婦で石巻クリニックに向かいました。 牧山東・西トンネルを通って石巻大橋を渡ったが、 町は冠水していたので堤防を歩いている時に(避難所を出て約3時間) 自衛隊に会うと「この先は行けない」と聞かされる。 透析のことを話すと日赤病院なら自衛隊車輌で送ってくれるという事で (避難所は寒くてこのままいても可能性は乏しい)奥さんのみお願いし、 ご主人は涌谷の親戚宅へ。妻は1週間ほど日赤病院で滞在寝泊り&透析治療をした。 その後、石巻クリニックに転院して寝泊りし(透析はできない)、 仙台までバスで送迎してもらい同医療法人の木町病院で透析を受ける生活を送りました 仙台の病院の公衆電話で旦那さんと連絡をとり、4月3日より石巻好文館高校の避難所へ夫婦で移りました。 週3回の透析は続き、夏場は行きはよいが帰りはコンディションが辛いので タクシーを使います。 石巻市からタクシー券の支給はありますが全てではなく、 困っていたところ我々がニーズに対応して帰りのみ避難所までの送りを 担うことになりました。 「私は車椅子でないし、介護が必要なわけでもない為、たぶん無理だと思っていた。 こんな支援をして欲しい人はいっぱいいると思います。 私達の事を記事にして、私達のように困っている人が少しでも知ってもらえるなら 是非みなさんに伝えてください」と嬉しいお言葉をいただきました。 相澤さんご夫妻と関わりが持て私たちも感謝です。 ★みやぎ東部支援センター★ 〒987−0162 宮城県遠田郡涌谷町本町99-7 電話:0229-43−6639 FAX:0229-43−6685 障害のある方との対話数1,438人、延べ支援員数609人、8/15現在。 ◆被災地派遣支援員を再募集!◆ 活動内容 支 援 員・・・訪問によるニーズの掘り起こし、ニーズへの対応 など。 事務局員・・・電話相談、ニーズの調整・対応、会計、庶務、広報 など。 ○ 活動場所 みやぎ支援センター(遠田郡涌谷町)・みやぎ北部支援センター(登米市) ご連絡 お待ちしています。080-4373-6077