支えよう、東北の仲間たちを! みんなの絆と力で! みやぎ支援センターニュース (ゆい)No.51 日本障害フォーラム(JDF)東日本大震災被災障害者総合対策本部 【2011年10月22日】 本部センター、仙台市青葉区五橋2-12-2、 電話:080-4373-6077、FAX:022-266-0292、 東部センター、涌谷町本町99-7、 電話:0229-43-6639、FAX:0229-43-6685、メール:jdf.miyagi@gmail.com、 ホームページhttp://www.dinf.ne.jp/doc/JDF/index.html 障害のある方との対話数1573人、延べ支援員数778人、10/21現在。 宮城県サポートセンター支援事務所を訪問しました。 宮城県は、被災した市町に設置されるサポートセンターを応援するために 宮城県サポートセンター支援事務所(以下支援事務所)を9月5日に開設しました。 2011年10月19日(水)宮城県庁の近くにある宮城県社会福祉会館3階の支援事務所を 事務局長と事務局員2人で訪問しました。各市町のサポートセンターの状況については、支援事務所では現在把握中とのことでした。 支援事務所の役割の1つは、各市町で雇用されるライフサポートアドバイザー (LSA、生活支援員)の皆さんへの研修の実施です。 仮設住宅で暮らす中で生活上の様々な課題を抱える人たちへの支援を行うため、 幅広い知識や情報が必要になります。その研修の企画や運営を進められています。 支援事務所は、宮城県社会福祉士会に委託されていますが、 宮城県ケアマネジャー協会や仙台弁護士会など様々な団体が協力・支援団体になっており、各市町のサポートセンターへの支援も行います。 所長の鈴木さんは、被災地で障害のある人への支援を継続してきた JDFみやぎ支援センターの活動を見てくださっていて、 JDFにもぜひ協力してもらいたいと連絡をいただきました。 各サポートセンターで障害のある人に関する相談があった際に、 助言などをいただきたいと依頼されました。 宮城県保健福祉部障害福祉課の角屋憲正課長補佐、小野寺光輝企画推進班主任主査が来所。JDFみやぎセンターとの情報交換のためにお2人で訪問して下さいました。 株木センター長、事務局長で対応しました。 仮設住宅に移られて、事業所へ通所する際の移動支援が必要となり、 移動支援を行っていることなど、JDFの現在の支援状況などお話ししました。 移動支援で出会った裕貴君の笑顔 宮城県登米市の総合運動公園の仮設住宅から外部実習先のラボラーレ (石巻市桃生町・社会福祉法人ふれあいの里)までの移動支援の初日、 よろしくお願いしますのあいさつに満面の笑みで応えた星裕貴君、 無垢で屈託のない笑顔は迎えに行ったこちらが思わず救われる思いがした。 3月11日午後、南三陸町を津波が襲ったとき裕貴君は気仙沼の支援学校を 下校するためにバスに乗ったところだった。 通れる道はなく学校に留まらざるを得ず、その夜遅く父親が岩手県側から歩いて 山越えして翌日漸くたどり着き無事を確認した。 自宅は4年前、車いす生活の裕貴君のためにお風呂回りも玄関も使いやすく 新築したばかりだったが柱が残るだけで住むことのできない状態となってしまった。 避難所生活を何ヶ所か経て今の仮設住宅に移ったのが8月、 しかし車いすで生活するには住宅を改造しなければならず、 ここでの生活が始まったのが9月半ば、学校も5月に登米市の迫支援学校高等部に移り、 3年生としてこれからの進路を考える時期になり、10月17日から2週間、 外部実習に励んでいる。 行き帰りの20分、行き交う車に興味津々で1台1台に目を凝らしてトラック、ダンプ、 パトカーと教えてくれる。 中でも必ず見逃がさないのがユンボ(建設機械の油圧ショベル)だ。 「将来、やりたい仕事は」と尋ねると「ユンボの運転、ユンボで土を掘る仕事」 と笑顔で答えてくれた。 そんな裕貴君に「裕貴君が津波で失くしてしまった大切なものは何かな」と聞いた。 即座に「ユンボ、それから友だち」と真顔で答えた。 大切にしていたユンボのミニチュア、それから同級生の友だち。 津波は裕貴君の心に深い爪痕を残していた。 10月21日にはラボラーレの運動会「ラボラーレ オリンピック」に 元気いっぱいで参加した。 実習もあと1週間。かけがえのない将来への歩みを始めた裕貴君。 笑顔の裕貴君と真顔の裕貴君。つぎに会うときはどんな顔で迎えてくれるだろう。   (東京都 中原達夫) 支援のあしあと。 愛知県から被災地に入って、現実に起こったことにただ驚愕していましたが、 その中でも少しずつ復興への道を歩みだしています。 まだまだ瓦礫が残る南三陸町の志津川地区では、 全国各地から瓦礫撤去のボランティアさんが集まっています。 南三陸町の仮町役場のあるベイサイドアリーナには長期に活動するボランティアさんが 宿泊するためのテントがたくさんあります。 このような方がいることが、日本にとって本当にありがたいことです。 また、被災地ではプレハブの仮店舗で営業を始めています。 南三陸町ベイサイドアリーナの近くの魚屋で買ったサンマの佃煮が絶品! また女川町のコンテナ村では日用品だけではなく、食堂や居酒屋もあります。 被災地でグルメを堪能することも地域経済の活性化による被災地復興のためと 自分に言い聞かせて、またまた三陸のおいしいものを食べています。         (愛知県 藤井洋一) 1日の活動を終え、近くの温泉に入っていたときのことです。 地元にお住まいの男性が「建物は壊滅状態だが、地震保険では半壊扱い」 「今は雇用してもらえる仕事がとにかく欲しい」と実情を話してくれましたが、 私たちの活動を知ると「障害者やお年寄りみたいな社会的弱者は大変だよな」と 共感もしてくれました。 継続支援してきた障害児Aさんの見守り支援。 最初は家を飛び出したり、パニックになったりとご本人も不安一杯でした。 でも毎週変わる支援員に「滋賀のお姉さん」と少しずつ関われるようになり、 今では落ち着いて過ごせるようになりました。 確実に成長しているAさんに大きな感動をもらいました。 震災から7ヶ月、海沿いの凄惨な光景は何度見ても言葉が出ません。 でも広い被災地で沢山の人が必死に生きている。 そういった人たちの言葉や思いが切り捨てられることなく、復興への道がすすむように、自分のできることを考え続けていきたい、 これまでのJDFの取り組みを大切にしたいと感じた1週間でした。         (埼玉県 大野博司)