支えよう、東北の仲間たちを! みんなの絆と力で! みやぎ支援センターニュース (ゆい)No.53 日本障害フォーラム(JDF)東日本大震災被災障害者総合対策本部 【2011年11月5日】 本部センター、仙台市青葉区五橋2-12-2、電話:080-4373-6077、FAX:022-266-0292、 東部センター、涌谷町本町99-7、電話:0229-43-6639、FAX:0229-43-6685、 メール:jdf.miyagi@gmail.com、 ホームページhttp://www.dinf.ne.jp/doc/JDF/index.html 障害のある方との対話数1575人、延べ支援員数787人、11/4現在。 「こんなトイレが被災時の標準仕様になる日本の社会でありたい。」と畠山施設長。 11月5日にのぞみ作業所の引越しのおてつだいをしてきました。 あたらしい施設はベイサイドアリーナのすぐそばでした。 新しい作業所には仮設のトイレが設置されていましたが、 どこにでもあるトイレとは随分違うバリアフリーのトイレでした。 こだわりたいそれは、納品にも時間と経費がかさむものでした。 しかし、畠山施設長は「これが被災時の標準仕様にならないといけないのだ」 「日本はそうなっていかないといけない」と話されていました。 安くて、早く手に入るものが主流にならないで、誰にも優しいものこそが、 これから求められるものだと施設長は提言されていたのが印象的でした。 のぞみ福祉作業所の引越しをお手伝いしてきました! 新しいのぞみ福祉作業所の第一歩として、引越しのお手伝いをさせていただきました。 職員さんたちと一緒に良い汗を流しながら、冷蔵庫や机等を運搬しました! 職員さんの表情からは、のぞみ福祉作業所に対する熱い思いを感じとる事が できたような気がします。 私たちJDFが今まで支援のお手伝いさせていただく中で、 利用者さんにとって、のぞみ福祉作業所は無くてはならない存在なんだと 強く思いました。 今回、のぞみ福祉作業所支援のお手伝いをさせていただいた事は、 私たちにとってとても良い経験となりました。(茨城県・石橋、静岡県・井出) ワークショップひまわりにて宮崎県のNPO法人「フロンティア」と意見交流会。 ワークショップH作業所での作業サポート訪問4日目。 作業所の計らいにより宮崎県よりフロンティア会9名をお迎えしての交流会に JDF支援員2名も参加させて頂きました。 フロンティア会平尾理事長よりいろいろな若者たちを支援する団体として 活動を重ねている。 被災地入りは今回で3回目。 自分たちの出来ることには限りがある。 前進されているこの地を見るのが楽しみで(がんばる力を肌で感じる為) 時間を置いて訪れている。 今回は東北への応援メッセージや絵が一面に描かれたバスで来県。 障害者生活支援センター長の青野氏から震災当日、 津波が寄せられて来る緊迫した様子が生生と撮影されたビデオを通し、 障害者への支援活動の報告の後、センターを利用されている方が 震災後から自分自身がどの様に過ごされてきたかの生の声を聞くことが出来ました。 センター長よりこの様に他県の方々にお話を聞いて頂くことで 利用者の方はストレスを解消されている。 もっともっと多くの人に聞いて頂くことが大事!と言葉を聞く、交わす、 そしてJDFはそれを伝えつなげて行きたい。(栃木県・松島、茨城県・片岡) ある仮設住宅で、浴室の手摺の相談を受けて、 地元の福祉事務所の方とご家族と現地で打合せをしました。 仮設住宅のすべてではないですが、もう結露が始まったり、雨漏りのある住宅も有り、 この冬を不安に感じておられました。 早く仮設に入れたメリットと早く施工された分、 突貫工事によるデメリットが浮き彫りになってきおり、 後からできた仮設住宅を恨めしく思えるほど格差が感じられるとのお話でした。 被災された皆さんに少しでも暖かい冬を何とか過していただきたいと思います。 それは願いのようなものです。(長野県、金澤洋一) 平成23年3月11日、僕はテレビの前で津波の状況を見ていた。 町が飲み込まれて行く様子がリアルタイムに映し出され、 その凄まじさが画面を通して伝わり、 今思えば唖然としながらテレビ見つめていたように思う。 その後は自分に何かできる事はないかと考え、JDFの活動に参加をする決意をした。 実際に現地へ赴き、自分自身の眼で町の災害状況を確認したが、 どう言葉にして良いのか分からないと思ったのが、僕の率直の気持ちであった。 JDFの支援の中で各事業所の職員さんと津波の状況の話になり、 「津波の高さが5〜6mと放送が流れた」と説明を受けた。 「その高さなら津波もこの場所まで来ないであろうと言う心の隙間が生まれ、 気づいた時には津波が目の前まで迫っていた」と話された。 「想定外の事も起きてしまうことも、想定しなければならなかった」 と口を揃えて、真剣な面持ちで僕に語りかけてくれた。 この学びは僕にとっての大きな財産となった。 この財産をいかに生かし、防災・減災を含めて周囲の人たちに伝えてる事が 僕の今後の課題であるのではないかと感じている。 また今回の被災地支援を行わさせて頂いた事業所・JDFに心より感謝をしている。 (静岡県、井出光則) 涌谷のセンターから車で1時間ちょっとかけて、石巻を通り、 女川の仮設を訪問させていただきました。 何度も映像で見た横倒しになったままのビルを見て、何も目印のなくなった道を走り、 仮設に到着しました。 元気に暮らしていたのに、2か月避難所で生活するうちに動けなくなってしまったという方にお会いしました。 突然に生活の場が奪われてしまうという事が、人生にとってどんなに大きいことなのか、始めて認識しました。 当たり前の毎日がどれほど貴重で脆いものなのか。 その方はその後ベッドでの生活になり、大分動けるようになり現在は杖歩行です。 バリアフリーを考えた仮設の手摺は、その方には合わず、入浴ができなかったり、 玄関で転倒してしまったり。 それでも笑顔を浮かべ、「仮設だから、我慢できるから大丈夫」と言うのです。 もちろん、おそらくすべての被災者が、多くのことを我慢していらっしゃるのだと 思うのですが。 そこに人の強さを感じると共に、「大震災はすべての人に平等に襲いかかったが、 被害には格差があった」という言葉を思い出し、 障害を持つ方が我慢をして当たり前でない社会へ、 スピード感を持って近づいてゆきたいと思うのです。(埼玉県、佐藤美紀)