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ネスビットへの賛辞

ネスビット(Nesbit):1997年5月から2010年8月まで

ジョージ・カーシャ

出典:
DAISY Consortium(http://www.daisy.org/)
Tribute to Nesbitより翻訳
http://www.daisy.org/stories/tribute-nesbit

これは、とっておきの話である。いや、実際のところ、誰よりもネスビットのことを理解し、愛した男、ジョージ・カーシャが語る賛辞だと言えよう。ジョージはDAISYコンソーシアム事務局長で、ネスビットは、世界各地で開かれる会議に参加するために旅をするジョージの傍らに寄り添っていた。ネスビットを知る者は、この犬をたたえずにはいられない。ネスビットは本当に、とても特別な存在だったのだ。


盲導犬卒業式でのネスビットとジョージ、1999年

ネスビットと私は1999年2月、カリフォルニア州サンラファエルにあるガイド・ドッグズ・フォー・ザ・ブラインド(Guide Dogs for the Blind)の591期生として訓練を終えた。生後21カ月のネスビットは、私にとって初めての盲導犬で、私達は長年にわたり、ともに世界各地を安全に旅行した。

ネスビットは、訪れるすべての場所で人々をなごませ、その心をつかんだが、私の妻(そしてネスビットの大切な人でもある)ゲイルには特になついていた。1999年2月、まだ訓練中にゲイルが私を訪ねて来た。ゲイルが到着したとき、ネスビットと私はGDBドームの階段にいたのだが、ネスビットは興奮のあまり騒ぎだした。その様子を目撃した訓練士のモーリーンは、最後には私に、犬(と妻)を落ち着かせるよう頼んできた。共に過ごした素晴らしい年月の間ずっと、そんな調子だった。私はネスビットのボスで、ネスビットを心から愛していたゲイルは、彼の人生における太陽だったのである。

機内でジョージがパソコンで仕事をする間、シートの下に座るネスビット

私は仕事の関係で国内外を旅することが非常に多く、ネスビットがガイドしてくれた。しかし、旅行のたびにネスビットを連れていくことはできなかった。盲導犬とはいえ、犬を連れていくのが大変難しい国もあったからである。また出張では、耐えがたいほど長時間飛行機に乗らなければならないことがあるので、ときにはネスビットに長時間の苦痛を味わわせないため、私ひとりで旅することもあった。盲導犬との旅には追加費用は一切かからないが、飛行機の中ではネスビットは私の座席と脚の下で身を丸くしていなければならなかった。ネスビットは大型犬だったのに。そのうえ、機内には当然トイレはあるが、それは人間の乗客用であり、盲導犬用ではないのだ!

初の「百万マイル旅した」盲導犬

2008年CSUN会議で「百万マイル」賞がネスビットに授与された

ネスビットはデルタ航空初の、「百万マイル旅した」盲導犬となった。2008年CSUN会議の晩に開催されたスペシャルイベントで、デルタ航空の職員が、ネスビット専用のマイレージカードと「百万マイル」達成を証明する楯を贈呈した。

実際のところ、私達はともに「百万マイル」を達成したが、ネスビットはこの記録を達成した最初の犬だった。それはネスビットにとって最後のCSUN会議(この後間もなく引退した)だったが、ネスビットはそれまでも長年にわたりCSUN会議に参加していたのである。CSUNでは、ネスビットはどこへ行っても知り合いに会った。そして会場の間取り図もレイアウトも覚えていた。ネスビットにとって、それは家に帰るようなものだったのだ。

ネスビットを抱きしめるジョージ。2008年CSUN会議にて。

立派に果たした仕事

 凱旋門の前に立つジョージとネスビット。パリ、フランス

ネスビットの仕事は、私をガイドし、私達の安全を保つことであったが、その仕事ぶりは素晴らしかった。ネスビットがローマの街を案内してくれたときのことを覚えている。車の動きがとても速く、混沌とした海のような往来を猛スピードですれ違っていた。だがネスビットは悠然として落ち着いていた。無秩序なローマでも、また他の過密都市でも、決してたじろぐことはなかった。ほとんどすべての訪問先で、ネスビットはあたたかく迎えられた。ネスビットが私の盲導犬としての仕事を始めてまだ間もないころに、アムステルダムで開かれた技術会議のことを思い出す。一日の終わりに大勢で食事をする場所を思い切って探しに出た私達は、大人数でも入れる中華レストランに決めた。だがネスビットと私が入っていくと、扉の所にいた人がどうしてもネスビットを入れてくれない。犬はお断りだったのだ。長い間説明し、話し合わなければならなかったが、最後には皆と一緒に入って夕食を取ることが許された。ネスビットは当然食事をしなかった。いつものように、テーブルの下に横たわっていた。完璧な紳士と呼べる犬がいるとしたら、それはネスビットのことだろう。

 アムステルダムの運河

私達はどこへ行っても、ほとんどすべての場所で知り合いに会った。どのホテルでも、どの国でも、ロビーにいるときに(さらに言うなら、ほかのどの場所にいても)ネスビットの知り合いが入ってくると、ネスビットは尻尾をとても激しく振り、尻全体を左右に揺らしたものだ。

私は、素晴らしい訓練を行ってくれた、カリフォルニア州サンラファエルのガイド・ドッグズ・フォー・ザ・ブラインドに、心から感謝している。ネスビットのような盲導犬を利用できるようにはからってくれる、すべての職員、ボランティア、そして資金提供者の皆様に、深く感謝している。

犬はいくつかの点で人間と似ている。主導権を握りたがる犬もいれば、後について行く方が好きな犬もいる。ネスビットは群れを率いて行くことを好み、いつも先頭になりたがった。皆のうしろから歩き始めると、目的地に着くまでには、うまくほかの人達の間に割り込んで進み、私を先頭に連れて行ったものだ。歩いているときに、こちらに向かって来る人の集団(大勢でも少人数でも)に遭遇しても、迂回することはせず、躊躇することもなく、その中を突っ切って私を連れて行った。驚いたことに、相手はいつも場所を空けて私達を通してくれた。

ネスビット、ジョージ、ゲイル。よく晴れた暖かい日、ビーチで。

ネスビットは素晴らしい人生を送った。私達はともに世界をめぐったが、ネスビットはモンタナ州の、特にクリアウォーター川のほとりにある別荘で過ごす日々も好きだった。泳ぐのが大好きで、一番寒い時期でも水に入ったものだ。ペットの黄色いラブラドルレトリーバー犬、リリーは、ネスビットの生涯の友だった。さわやかな朝、2匹を森に散歩に連れて行ったことが忘れられない。2匹が丸太の上を跳ねまわり、木々の間を突進していく。それから朝食を取りに戻るのだ。

ネスビットは、私がマイキーを引き取りにガイド・ドッグズ・フォー・ザ・ブラインドに戻った2008年3月まで、ずっと私をガイドしてくれた。引退後はゲイルと私、そしてリリーと、大好きな自宅や別荘で過ごした。ネスビットは自宅で、ゲイルと私が優しく見守る中、この上なく安らかに亡くなった。ネスビットほど素晴らしい犬は、これから先決して現れないだろう。世界中の数多くの都市で私を安全に導いてくれたハーネスのハンドルを通して、ネスビットとの間に築いた絆を理解しているのは、私だけなのだ。

ネスビットの温かく美しい目は、世界数百箇所でジョージを安全に導いたが、その愛すべき目はまた、ネスビットと出会った人々の心をも虜にした。