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DAISY教科書利用者が願うこと

山中 香奈(兵庫県LD親の会「たつの子」副代表)

スライド1
(スライド1の内容)

皆さん、こんにちは。神戸から参りました山中です。毎年私、この教科書ネットワーク会議の後の講演に呼んでいただいているので、私の顔も何度か見て覚えていただいている方も多いと思います。今日は「DAISY教科書利用者が願うこと」というお題をいただきましたが、私の子どもが利用させていただいているので、子どもの話をさせていただきます。毎年ですが、ボランティアの皆さんが作っていただいた教科書で私たちの子どもは本当に読める教科書をいただいているということで、まずお礼を言いたいと思います。いつもありがとうございます。

ではお話をさせていただきます。私の子どもは2人いるんですけれども、長男と次男、2人とも発達障害を持っています。現在長男は中学校2年生。通常の学級に在籍しています。学習障害、特に読み書き・計算がとても困難です。重度のLDです。現在では、週に2時間、2回ほど、スクールサポーターの学生さんにサポートに入ってもらっています。

スライド2
(スライド2の内容)

次男は現在小学校5年生。通常の学級に在籍しております。ADHDで彼は特に読みのみに困難があります。計算等は大丈夫です。

スライド3
(スライド3の内容)

長男の発達に疑問をもったのは5歳の頃です。長男は当時保育所に通っていました。お絵描きの絵が真っ黒だったり、みんなでルールのある遊びをしようと思うのですけど、うちの子だけ外で「見守っている」というふうに先生に言われました。また、保育所に行くのに階段があるのですが、その上り下りがうまくできませんでした。チョキを出して「これ何?」とやったときに、例えば「2」でも「チョキ」でもよかったんですけれども、「わからない」と5歳のときに言いました。私はそれでこの子には、ひょっとしたら何かあるのではないかと気がつきました。

小学校1年生に入学して、ひらがなを習ったり簡単な漢字を習っている頃は、鏡文字、字を反対に書いたり回転していたりという字を書いて、自分の名前ですらきれいに書くことができませんでした。小学校3年生ぐらいになると、1年生の漢字は既に覚えているだろうと思いきや、全然読み書きができなかったんですね。3年の夏休みの頃には1年生の「一、二、三」の漢字から私が彼にもう一回やろうということで、漢字の練習をしたことを覚えています。

彼はとても見る力が弱いんです。視力はあります。通常に見えるんですけれども、どこを読んでいるのかわからなくなってしまう。例えば先生に読んでもらっていても親に読んでもらっていても、今自分がどの行を見ていたのかが全くわからなくなってしまうという特性があります。

スライド4
(スライド4の内容)

探し物なんかもとても苦手で、今、中学校2年生になって、当時よりは「どこ読んでいたっけ?」というのはだんだんなくなってきてはいるんですけれども、目の前にあるものに気がつかなかったりします。「あれ、消しゴムどこに置いたっけ?」とか、冷蔵庫を開けて牛乳を飲みたいのに、「牛乳どこどこ?」「目の前にあるじゃない」というのがよくあります。文字や漢字、図形などをひとまとまりにしてとらえるということが難しいので、分かち書きにしてある文節なども一個一個読みます。読むということだけなので、拾い読みになります。文章の意味が理解できないことになります。もちろん漢字も読めないので一回ずつ詰まってしまいます。

あと、見た文字を音声と結びつける力がとても弱いので、「この音は何だっけ?」ひらがなの「あ」を見て「あ」という音が出てこなかったら、その後わからなくなってしまいます。そこに時間がかかってしまって、読めたとしても、中身がよくわからないという感じになります。

私、この長男のことについては、結構いろんなところで話してきたんですけれども、次男のことについてはあまり話をしませんでした。長男は読み書き・計算、ほぼすべてに弱いのですが、次男は読むというところが主に苦手です。先ほども言いましたようにADHDがあります。ただ、学習は読むところは困難ですけれども、他は困らないので、自閉傾向もなかったので療育などは受けてこなかったんです。ただ、学校では集中力が続かないことが原因なのか、授業中の離席だったり、友達と、ケンカではないですがじゃれ合っていて、これまでも2回、歯を折ってきたり。ついこの前は、滑り台から自分はジャンプしたつもりなんですけれども、足を引っかけまして胴体着地をして内臓損傷で入院とか。そういうことがある、とてもにぎやかな男の子なんです。

私は、にぎやかだなという思いはありました。小学校1年生になったときに音読の宿題で、次男もやっぱり拾い読みをするんです。普通だったら「男の子だから」とか、「ちょっと人より苦手」なぐらいの子どもなので、学校の先生は「全然大丈夫ですよ」みたいな感じなのでしょうが、私は長男がいたので、この子にも読みの困難があるのかもしれないとにらみました。

やはり検査をするとそういうものが出てきました。

彼が長男と違うのは、先生や私が読んだ文章はすぐにすらすらと読んでしまう。初見のものはものすごい拾い読みをするのに、一度聞いてしまうと、後はすらすら言うんですね、その後の音読は。これはお兄ちゃんと違うなと1年生のときに思いました。今、小学校5年生です。長文読解のテストが始まってくるんですね。そうすると読むことにものすごく時間を費やしてしまって、結局最後まで問題が解けないで終わってしまう。読んでいて気がついたらもうあと10分しかないとか。ただ最初の方の問題はやるので前半はできていますが、後半は白紙状態のテストとなっています。

スライド5
(スライド5の内容)

DAISYとの出会いというのは、長男が4年生のときです。2007年の冬です。彼は文字のかたまりがわからなかったり、線が書けなかったりしました。字が書けないというのは線が書けないんですね。そういうこともあって、西宮のYMCAのサポート教室で療育を受けていました。そこの先生の紹介がありましてDAISYと出会うことができました。

DAISYに出会った頃は教科書ネットワークもまだなくて、西岡先生のご紹介でこちらのリハビリテーション協会だったり、ATDOさんだったり奈良デイジーさんなどとつながりまして、教科書を手にすることができました。

最初に、たまたまサンプルでいただいた「ごんぎつね」が、彼が小学校で今から習う場所だったんです。彼はとても興味を持って毎日のようにそれを習いました。自分で再生を繰り返したことで、「ごんぎつね」の授業が始まったときに、今までは国語が全然中身がわからなかったのに、授業についていけるまでになったのです。先生の質問や問いかけにも的を射た答えができるようになったということで、彼なりに授業にとても前向きになりましたし、実際に自尊心みたいなものもだんだん回復してきました。

現在、DAISYを丸4年使っています。当時は国語だけを提供していただいていたという状態なんですが、今は英語や社会、理科とか主要以外の教科にも広がりを見せて、本当にありがたく使わせていただいています。

彼はほぼ毎日というか、授業が進んでいきますので基本的には予習として使っています。ただ、中学生になるとテストがございますので、テストになると復習用に使います。

彼が使っているDAISYは教科書だけではありません。例えば夏休みなんかは読書感想文用の図書です。そういうのも自分で読むのはとても大変です。去年の夏休みには、日本ライトハウス情報文化センターさんが作ってくださったマルチメディアDAISY図書を利用させていただいて、田中先生のご指導のもと、彼は感想文を書きました。自分で読むとなると読書感想文もなかなか書けませんが、DAISYで読んでもらって理解をして自分の感想文にまで持っていくというのは、マルチメディアDAISYがあったおかげでそこまでいけたという感じを受けました。小学校の間は読書感想文という宿題はありませんでした。中学校1年生と2年生の2回、両方ともマルチメディアDAISYで読書感想文を書くことができました。

スライド6
(スライド6の内容)

次男は今小学校5年生ですけれども、2年ほど国語のDAISY教科書を利用しています。彼は最初にお話ししたとおり結構、記憶力がいいので、毎回、毎日使うというタイプではなくて、新しい単元に入ったり、長文の物語文を学校で習うときになると、「僕は苦手だから」ということで引っ張りだしてきて、音読の宿題をするというような感じです。

マルチメディアDAISYではないですが、サピエ図書館を利用しています。視覚障害者の方のために音声のDAISYがそろっていて、インターネットでダウンロードして、小説や物語を2人で楽しんでいるというような利用の方法をしています。

DAISYに出会って、DAISYを利用してよかったことは何かということで、子どもたちにインタビューしてきました。

スライド7
(スライド7の内容)

一番は、内容が理解できるということです。「自分で読むとわからないんだけど、DAISYに読んでもらったらどんなことを言っているのかよくわかる」と言いました。自分で学習が進められる。要するに、私がいなくても予習・復習ができるということを言っていました。あと、途中からでも大丈夫。自分の好きなところから読んでくれるのもいいんだと。DAISYだったら読めない漢字も読んでくれるので、たとえルビがなくても大丈夫なんだと。英語は特に発音がわからないですから、読んでくれてとてもうれしいと。あと、何より覚えやすいとも言っていました。彼はやはり目から入ってくるよりも耳から入ってくる方が覚えるのも得意なので、特にこれを言っていました。

私の息子たちはDAISY教科書、DAISY図書は彼たちの学習には必要であると私は思っています。やはり単に読むことだけでなくて、学習への意欲や向上心に直接、結びついていると思いました。

スライド8
(スライド8の内容)

読めない障害への理解と合理的配慮ということですが、「読み困難の子どもたちのためにDAISY教科書を国が保障してほしい」と書きましたが、ボランティアが製作しているから今、あるんです。ボランティアが製作できなくなったら私たちの息子はDAISY教科書が得られなくなる状態なのです。それはとてもおかしなことだと感じています。現在はボランティアがやっているからいいじゃないかというふうには、私はどうしても思えないんです。国がちゃんと保障していただけるのが形としては絶対的なのではないかと思っています。

読めないだけで学習の機会を失っている。読みの向上だけを求められたりするのです。「読めないから読めるようにしましょう」で、その先の学習に向いていかなかったりします。

あと、進学の問題ですね。読めないことで、先ほども言いましたようにテストが半分終わらなければ、どれだけ前半頑張っても半分の点数しか取れません。進学の機会というのは少なくなっている。たとえ高校、大学と進学していっても、DAISY教科書は必要であると思っています。今、ちょっとは高校生の教科書も作っておられるそうですけれども、基本、中学生まで、義務教育までといふうにして作られています。でも子どもたちは中学卒業したからといって、ディスレクシア、読み障害は治らないのです。ずっと一生引きずっていきます。せめて学校で教育する教材についてはやはりDAISY化が必須ではないかと。ただ形としては人が読んでいかなくても、自動音声で読み上げてくださってもいいと思うんです。簡単な形に変わっていってもいいと思うのですけれども、必要なものをそろえておくということは学習するには大切なことであると思います。

「入試または入試後の授業やテストで読めない子への配慮、PC持ち込みや読み上げの必要」と書きましたけれども、昨年のセンター入試から発達障害の子どものために配慮というものが行われるようになりました。高校で配慮してもらっていることに準ずるという形ですので、「読み障害」には代読とか、読んでもらう、機械で読み込むという配慮はありません。実際にどんな配慮があるかということですが、たとえば解答に時間がかかることに配慮して1.3倍長い試験時間に延長するとか、字が見えにくいから拡大文字の問題用紙を使うとか、あと、解答用紙も大きくなっていたりとか。あとは別室での受験であったりとか、会場の入り口まで付き添いが認められるであるとか、回答欄に数字、マークシートが難しいということでチェックを入れるだけに代えたりもできる。ただし、大学入試センターに認められたケースに限られるということで、とても読み障害の子がここの配慮にはまるかといったら、絶対に入らないと私は感じています。

ただ同じような海外の話になりますと、読み上げソフトを使ったりだとか、問題を読んでくれるだとか、書くことが難しい人のために書くことが認められるだとか、指をさして解答できたりだとか、あと、特別な休憩時間があったりだとか、付き添いの人の立ち会いがオーケーだったりということで、結構いろいろな配慮が認められています。これは本当に必要な配慮なんだと私は思います。

先ほど言いました配慮の話なんですけれども、これはこの前いただいたファイルですが、新聞に出ていました。読み書きの学習障害の中学校3年のお子さんが入試問題の代読を県にお願いしていた。でも結局ダメになったそうです。このお子さんはうちの子よりもはるかに読むことだけに障害のあるお子さんで、平均点が読んでもらっただけで70点上がるお子さんだそうです。このお子さんは、まさしく学習の機会をこれで損ねてしまうと私は思います。こういうことが起こってはいけないと思うんです。「公平性に欠ける」と言われているんですけれども、何が公平性なのかと私は思っています。先日の新聞にも書かれていましたが、文字の知識を手助けすることになるというふうに言われています。文字の知識を問う問題を全般にしているのがおかしいと思います。文字の知識を問うところは、そういう問題を作ればいいと思っています。すべてのテストが文字の知識を問う必要はないのではないかと思っています。

こういうことで優秀な人材を日本はどんどん見過ごしてきたというか、機会を奪ってきた。逆にいえば、学習の機会を奪ってきたんだなと感じています。もっともっと本当の公平性のある学習の機会というものを、読み障害の子どもたちにも与えていただきたいというふうに、親から、そして本人たちの思いも込めて今日この場で話させていただきました。

ご清聴ありがとうございました。