音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

ディスレクシアに対する支援-当事者の立場から

藤堂高直
建築家

 

DYSLEXIA SUPPORT REPORT
ディスレクシアのサポートと工夫

 おはようございます。当事者の藤堂高直と申します。 思うことはいろいろありますが、100人いれば、100人それぞれ個性があって、100人の人が1つのやり方というのはどこか無理があると思います。 それぞれにとって得意なこともあり、不得意なこともあり。その中で自分にとって一番やりやすいしっくりくるやり方が見つけられればいいと思います。 僕がディスレクシアと分かる前に自分でしてきた工夫と、ディスレクシアと英国で判断された後に受けた様々な自分にとって有効だったサポートについて話していきます。 その中でもしかしたら、実際の生活の中で実現できることもあるかもしれない。ヒントとなり、前向きに受け止められるようになればよいかと思い、話を始めます。よろしくお願いいたします。

PART01 MY DIFFERENCES:
元々の困難さ

 まず初めに、もともとの困難さから話します。
読みと書きと短期記憶と運動能力に分けて、もともとの困難について話します。

読み、書き、短期記憶、運動能力

 「読み」については、音読すると意味を失います。 小学校の時、朗読がありました。文章を読みながら理解していこうということですが、僕の場合、読むことはできるのですが、読みながら話していくと、意味にならない。本当に僕にとって意味をなすものは、あとで話しますが、黙読してゆっくり自分のペースで読めば、ある程度理解はできるし、特にイメージとして連想できる文章とか、やはり読みやすいものを、しっくりする読み方で読むのがよいです。朗読は一般的にはいいと言われますが、僕にとっては、有効なものではなかったです。

 「書き」については、漢字が特に苦手で。 何度書いても覚えられない。なんで覚えられないんだろう。そういう葛藤がたくさんありました。 同時に右左反転したり。たとえば「い・こ」、「さ」「ら」「ち」「う」など、がごっちゃになったりしました。 最初はどうしたらいいかわからなかった。気づかないでいることも多かったくらいで。 短期記憶も、物忘れが激しかったです。 運動能力では、球技全般、英語でディスプラクチャーでしょうが、ボールが目の前にあるつもりでも、後ろにあったりというような、不器用さがありました。

 左右の区別も、今でも「右」と言われても困難があります。工夫をすることで多少早く反応することができるようになったのですが。

 例えば画面のような文章があったとき、一気に文字が入ってくる感じで刺激が強いです。

4行の並んだ文章

見えているのは同じなのですが、感じ方として、僕にとってはこんな感じに。

ぐちゃぐちゃに見える文字

だいたい他の人が見ているものと、目に問題のない方と同じような見え方をしているのですが、感じ方という点で違いがあるのではないかと考えております。

 診断前から、僕は小学校4・5年ぐらいから、「天才たちは学校が嫌いだった」という本を読んでいました。その中で、失読症とあり、その上にルビでディスレクシアと書いてあった。もしかしたら僕もそうかもしれないと思っていました。

 実際の診断は16歳でしたが、その前からもしかしたら、僕には困難があるが、先人が、トーマスエジソンやダヴィンチなどそうそうたるメンバーで、彼らが最後までくじけずできたというのが、自分の自信の基礎になっていたようです。

PART02 MY SOLUTIONS-01:
ディスレクシア診断前の工夫

 診断される前の工夫について。
「読み」はなるべく黙読することで、自分にとって理解できるよう努めていった。

 「書き」は、漢字も絵としてイメージできるものがあるので、それがつながることによって別の意味を持ったりとか、イメージとなるべくつなげて覚えようと意識していました。またなるべく音に変換して音で覚えようと、無意識にやっていたことを覚えています。

 「短期記憶」については、常に鞄やポシェットなど、体に携帯するようにすることで、体の感覚で、ここにすべてのものを入れておけば大丈夫というふうに覚えていました。逆にそのせいでカバンが重くなってしまい、体育着、水着、教科書全部を入れていました。ですから、ランドセルが無理で、リュックサックを背負っていました。

 運動能力の、右左の認知については後で工夫を覚えましたが、球技は今でも不得意で、僕にとって得意な陸上に専念していました。

PART03 MY SOLUTIONS-02:
ディスレクシア診断後の工夫

 僕が15歳の頃、環境が許してくれたということもあり、イギリスへ自分で行きたいと思い、行くことになりました。そのときには、ディスレクシアだということを知りませんでした。中学は出たのですが、日本の高校、大学に行って、というような先のイメージが思い浮かびませんでした。僕にとって乗り越えられない壁があって、何かわからない、というモヤモヤがあり凄く辛かったのです。周りの人も、モヤモヤが何かは当時分かりません。

 最初の方は辛い時期はあったのですが、イギリスに着いて、16歳ぐらいになったとき、半年たってから、簡単な読み書きのテストをして、母の方にまずディスレクシアということがあると連絡されました。 母は日本で調べてみると、どこからも情報が出ない。これは何かおかしいのではないかということで、イギリス、アメリカのサイトを調べることによって、ディスレクシアを最終的に見つけました。
母が僕に伝えるために、イギリスに来て、ディスレクシアということがあると教えてくれました。

 ショックがなかったといえばウソになると思います。でも、僕にとって、安心した、落ち着いた、あ、そうだったんだ、僕のモヤモヤはこれだったんだとわかって、ある意味では、ポジティブに受け止めることができました。それも「天才達は学校が嫌いだった」という本をあらかじめ読んでいたというめぐりあいが、あったおかげかもしれません。 診断後、「スタディスキル」という授業と「タッチタイピング」を学びました。 スタディスキルとは、たとえば、ディスマスキュラといって、僕のように、数学が苦手な子のように、一般的なやりかたでは困難な子どもたちのために、いろんな勉強法があって、その中から、その個人にとって有効なものを試すというものでした。

 その中から僕にとって有効だったものを紹介します。

 例えばこの文章は、僕には刺激が強いです。

4行の並んだ文章

 これは青いフィルターです。

青いフィルターをかけた文章

 あるところで、いろいろ実験をしてみました。黄色い方が僕にとってしっくりきて、読むスピードが3倍になりました。自分でも驚きました。
感覚的にしか違いは言えませんが、これがない状態だと、痛い感じがするが、これがふっと入ることで、すっと入ってきます。

 実際にネットなどで読むときに、その状態では読みにくいので、読みたいエリアを選択してハイライトする。

文章ごとに読みたいエリアを選択してハイライト

単語ごとに読みたいエリアを選択してハイライト

 これは役だって、特に長文読解の時などは、本の中でも、ある一部、僕にとって必要な部分が分かればいいので、それを目次から見つけます。 速読に近いやり方なのですが、最初に目次を探して、その後、キーワードを探します。だいたいここらへんだという目星を付けます。 3ページが限界ですが、逆にそこまでは読めるので、その中で、自分にとって有効な部分を探し、そこを重点的に何度も黙読して理解します。 そこで自分にとって、苦手ではあっても、人並みに必要な情報を手に入れる術を見つけるようになりました。 また、タッチタイピング。手で書くと、誤字・脱字・誤植があり、間違いを消していくだけでもグチャグチャになります。ワードを良く使います。タッチタイピングの授業をやりました。

 パンツです。

トランクスでキーボードを覆ってのタイピング

 言葉で説明すると、トランクスでキーボードを覆うと、足の部分から手を入れると手が見えなくなります。それで、手の感覚で覚えます。 手の感覚だけでなく、隣に絵や色を使った文字が書いてあります。ただの文字ではなく、何かと関連性を持って、自分にすっと入るように、色んな感覚で覚えられるように工夫しました。

 最初は時間がかかりましたが、今ではタイピングもできるようになったので、メールなど普通に返信できますのでご心配なく。

 書きと運動能力、左右認知について。 これは死活問題で、向こうで車が普通に走ってくるので、自転車に乗っていると、左を走っていると下手をすると死んでしまいます。

左手でLを作る

 レフトの「L」の字が左なんだよと覚えることで、体で「左なんだ」と分かりました。生まれて初めて、右と左が5秒以内に判断できるようになりました。 書くときも、「b」と「d」もよく間違えます。 「bed」という文字に、線を書くとフトンになるので、bは足、dは頭と絵としてイメージを覚えることで、僕の中でこんな感じと、結構しっくり入ってきました。

ベッドという単語

ベッドという単語を絵でイメージ

 今でも間違いはありますが、でも、ある程度、自分の意識の中に、すり込まれた部分があり、間違いが少なくなってきています。 短期記憶、思考の整理ということで、マインドマッピングを実践しました。 即席で、建築について作ってみました。

マインドマッピングの実践イメージ

 マインドマッピングで必要なのは、自分の覚えたい内容について、シンボルというか、キーワード的なものを真ん中に置きます。 例えば建築ならば「家」、絵でも字でも、自分で分かりやすいもの、他人に見せなくても良くて、自分の頭がどういうふうに考えているのかを描いていきます。 建築といってもそれだけで成り立つものではなく、敷地や構造、素材。 構造の中でも、ラーメン構造やテント構造など、色んな種類の構造があります。

 小・中学校で大変だったのが、いろいろなことが何の関係を持っているかが分からなかったことでした。でも、こういうふうに関係性を持って考えると、大きな構造のなかで、自分のやっていることがこう繋がっていると分かる、と同時に関係づけて考えられるようになりました。それが結果的に僕の記憶になっていきました。

 今でも「名前が覚えられない」など、失礼にあたることがありますが、ただ、工夫をすることによって、より自分にとって社会と接しやすくなれたという部分があります。

 自分自身の能力は、すごい「でこへこ」のある人間です。特に向こうでは分業がすすんでいるので、自分の能力は何か問われます。逆に言うと、自分自身は不完全な人間で、その中で、自分はこれができる、特に自分はこういうことを見つけることができた。だからこそ他の部分で秀でている人と組んで作業をするというのがあります。

 建築をする場合でも、図面は苦手なので友人に引いてもらったりもします。また、論文では、基本的構想はやっても、どこを読んだらよいかは先生に聞いたり、書いた文章は何度もチェックしてもらいます。

 他力本願というか、自分自身は不完全なので、他の人との関係の中でいいものが作れていく。自分で何でもできるということから解放され、ずいぶんと楽というか、自分にとって生きやすい生き方を見つけていけると思います。

 あと1つだけ、成果の前に話したいことがあります。 自分が秀でているもの、何かとんがっているもの、「でこへこ」がそれぞれの人にあると思います。その中でとんがっている部分をなるべく伸ばすこと、自分にとってやりやすいことで、それが伸びると、自然と自信につながっていきます。

 すると自分にとって苦手な低いところが底上げされていくと思います。下手に全部をそろえようとせず、やっぱりとんがっているときは、もっととんがらせてしまえというのがある。そうすることにより、生きている実感、社会の中の自分の存在を少しでも身近に感じられる早道ではないかと思います。

 あともう1つ、今日はDAISYさんのことなので、音楽で覚えたというのがあります。 フレーズでビートルズなども聴いて、聞いたフレーズを実際日常に使うことで会話を覚えたりしました。

PART04 MY TEMPORARY RESULTS:
成果

 それらのサポートや、自分の中にあるものは何かを見定める作業をしていくつか作品を作りましたので、最後に発表します。

 これはブラジルのエタノール工場を設計したときのものです。 太陽と光と風と雨の流れをコントロールすることで、冷房を使わず自然冷却できるシステムを作りました。 中だけではなく、エタノール工場ができることによって森林伐採の歯止めとしながらも、アマゾンの資源を使って持続可能な社会スタイルを提案していくというデザインをしました。

ブラジルのエタノール工場のイメージ

 テレビをご覧になった人は見たかもしれませんが、「二重らせんの家」です。 Aさん、Bさんが住んでいて、もしかしたら家族かもしれない、もしかしたら他人だけど共有するものがあるかもしれない。そういう新しい生活スタイルのために、独立した空間を持ちつつ、共有スペースがもてるというものです。

二重らせんの家のイメージ

 これは最近の自主コンペです。教会で、十字架に上が切られているんですけれども。そこから雨が降ってくる、「雨の教会」って。 使いやすさはどうかわかりません。結局ダメでした。

雨の教会のイメージ

 ある時メビウスの輪に興味を持っていて。 水族館なので、円を4つに分割します。熱帯と深海と、というふうに、1つの空間で一緒に設置できて、一回転ねじれることによって、さまざまな角度から、魚にとっても様々な場所で住むことができるという新しい形を提案しました。

メビウス構造の水族館のイメージ

 宗教空間にも興味を持っています。 この要素は、外から中に入っていくときにダイナミックに変化していく。プリズムを使って風景で光の屈折をコントロールすることができて、中から見た風景です。

プリズムを使って風景で光の屈折をコントロールする建築のイメージ

 これは一番最近の作品です。 日本で都市が縮んでいるようで。その縮んでいく都市に対して新しい提案ができないか。 エタノールのアイディアを日本でもできないかと。廃材をエタノールにする新しい技術があります。縮小して入らなくなった廃屋をエタノールに還元していって、解体したその跡地をとうもろこし畑などにできないか、新しい産業を興せるのではないかという提案です。

 以上です。ありがとうございました。

 

司会●
5分ほどお時間が残っています。ご質問を受けていいですか?

藤堂●
はい、どうぞ。

司会●
では、手をあげてください。・・・・はい。お願いします。

会場●
神奈川県でことばの担当をしている者です。 うちの息子もちょっと、いわゆる鉄道に興味があり、そちらで今、食べてはいます。 小学校時代に、あるいは中学まででもいいのですが、先ほど『天才はみんな学校がきらいだった』という本に助けられたと話しておられましたが、日本の小学校や中学校でのお友だちや先生との関係で支えられたことがあれば、参考に教えていただけますか?

藤堂●
とても長くなりうる可能性があるので簡単に。 僕がいた小学校は、周辺はおもしろいところで、すごいお金持ちもいれば、自営業の人、ヤクザも警察官もいるというすごいところでした。また、ハーフや外国の人も多くて。その関係もあって、今、考えてみると自閉症、多動、ディスレクシアといった幕の内弁当みたいな学校で。だからすごく居心地がよかったんですね。ある意味、僕にとってそれは理想だと思うんですよね。 ヨーロッパで気楽だと思うのは、日本でいう血液型みたいな感じで、ディスレクシアというのも、個性の一種と扱われているところがあって。 障害という文字が重いんですよ。 話は戻りますが、それは先生によりけりです。 やっぱり中学校に行ってから普通の子どもの中にいきなり入ったわけで、その頃が自分にとってつらい時期でした。なかなか理解してもらえない、個性は許されない場というのはつらかったです。 逆に小学校の頃は、いろいろなタイプの人がいる状態で、僕にとって自然でやりやすかった。 環境がすごく強いと思うんです。もちろん配慮してもらえることも必要だと思いますが、それとは別に、あくまでも、たくさんいる人の中の1人、普通のことなんだと感じていける。それが一番大切じゃないかと思います。よろしいですか?

司会●
ありがとうございました。これで時間です。

藤堂●
わかりました。ありがとうございました。