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平成19年度 DAISYを中心としたディスレクシアキャンペーン事業
シンポジウム DAISYを中心としたディスレクシアへの教育的支援 報告書

講演3「地域でのディスレクシア支援」
事例1:東京都港区での事例

講演を行う藤堂栄子氏の写真

藤堂栄子(NGOエッジ)

こんにちは、藤堂と申します。よろしくお願いいたします。お天気が悪い中、これだけ多くのかたが来てくださって、すごく うれしいなと思っています。

私がディスレクシアという言葉に巡り合ったのは、9年前です。1999年に息子が渡英いたしました。イギリスに行ったときに 彼は16歳。そのときに、今から思うと、先ほどから神山さんとか品川さんからお話があったような、ディスレクシアの数々の 大変さを抱えていたのですけれど、私自身も後から思うと、やはりディスレクシアを持っているということで、大丈夫、私くらい にはなるからと言って育ててしまいました。それが功を奏したのかなと思いますけれど、今はイギリスの大学院で建築の勉強を しておりまして、あと半年くらいで建築家として資格を得て仕事を始めると思います。

その彼がディスレクシアとわかったのは16歳の時で、そのときのイギリスでの対応、それから説明のされ方で、ものすごく 考えるところがあったのです。それまで日本の学校では、お宅のお子さんは困るんですよとか、お母さん、もっとしっかり家庭で 勉強させてくださいとか、この子は本当になんでも投げやりなんですよね、中途半端なんですよ、とか、そういうことを何回も何 回も言われてきました。私も夫の家族もそういう意味ではあまりプレッシャーを私にかけることはありませんでしたけれども、 多くのお母さんたちは、まず、自分の子どもでありながら、どうしてこんなに書けないんだろうということに疑問を持ちながら、 もっと勉強すればいいんじゃないか、学校からのプレッシャーもあって、10回書いてだめなら100回書きなさいという指導をま だまだしているお母さんがいらっしゃいます。

また、書けないとか勉強が嫌いだという子どもに対して、お父さんが、自分に似ている場合は、俺はこのくらいだったから 大丈夫だというお父さんもいるのですが、そうではない場合、お前の育て方が悪いとか、お母さんが妊娠しているときに、あの ときお酒を飲んだのがいけないんだとか、本当にいわれのない批判を受けます。それから、お父さん側のお母さんたちからも、 お嫁さんがしっかりしないからだというような批判を受け、学校からもお母さんしっかりしてくださいと言われて、ものすごく 大変な思いをしている。私はそんな思いをあまりしないというか、言われてもはねつけて育ててきたので、子どもはそんなに 損なわれずに来たのかなと思います。

でも、彼も、後から聞くと、死んでしまいたいと思ったことはないようですが、やはり悔しい思いとか辛い思いをいっぱい してきたようです。

そんな彼が、イギリスでどんな対応をされたか、ちょっとお話しますと、まず、そうかなと思われた時に、学校から私に連絡が 入ったのは、お宅のお子さんのインテリジェンスとコミュニケーション能力に比べて読み書きの勉強がなかなか進まない。 ディスレクシアではないかと思います。そこまではいいんです。その先で、検査させてくれませんか。それも一応、日本でも言うかも しれない。その先が、検査をすると、どういういいことがあるかという話をしてくれるんですね。お子さんがどうしてこんなにうまく 進めないのかという理由もわかるし、彼が本来持っている能力が発揮されていない場合、どういうふうに発揮させたらいいか、そう いうこともわかります。だから、ぜひ検査させてください、という話だったんです。それで、お願いしました。検査があがってきま した。空間認知はたいへん良い。でも、記憶が悪いとか、いわゆる認知の偏りというか、個人内差が非常に大きいんですね。言語的な 部分でも認知が非常に悪い部分がある、ということがわかりました。

そうした後、よかったですね、おめでとうなんですね。ディスレクシアだとわかりましたよ、おめでとうございます、という感じなんです。

分かったからには、明日からあなたのお子さんに、こんな支援ができます、ということでメニューをいろいろ出してくれるんですね。 PCを使ったタッチタイピング、それから、試験の時の時間延長。それから、レポートを出すときに、解き方が分からない場合にはスタディ・ スキル、ラーニング・スキルをつけてあげましょう。それから、チューターをつけて、彼がなりたいという建築家に繋がった勉強ができるように、 いろいろな科目の中でもその部分に焦点を当てて勉強していきましょう。例えば、社会も、歴史だと都市の成り立ちだとか、物理だったら 橋の強度というようなことから入っていくのですね。すると、俄然やる気が起きて、本当に目を見張るくらいのやる気を出してくれて、 前に進んでいきました。

もう一つ、私が感銘を受けたのは、ディスレクシアという訳のわからない言葉です。私にとっては聞いたことのない言葉でした。 なんなんだろうと思って日本で調べると、医療用語で失読症と出てきます。それは、大人になって1回は読めた方が、脳に何らかの 支障があって、脳梗塞とかがあって読めなくなる状態のようですね。だからリハビリテーションが必要だということなのですけれど、 生まれてこのかた持っていない機能であった場合は、失っていくわけではないんですね、もともと持っていない。というので、 もっと調べていくと、学習障害の中に入っているということがわかりました。

いかがでしょう、学習障害という、皆さんの今まで持っている知識をちょっと置いて、漢字だけ思い浮かべて、「学習障害」と いうといったいどんな子を思い浮かべますか?多分、勉強ができない子、ですよね。もっと分からないと、お馬鹿な子。 勉強してもしょうがない、という感覚なのではないか。漢字が与えるイメージがあるんですね。先ほど神山さんが「learning disabilities」ではなくて「difference」だとおっしゃいましたけれど、単に、学習障害と言った ときには、「違い」なのだというイメージがぜんぜん伝わってこないのですね。

わが子を見ていると、それは「違い」でしかなくて、本当に学びたいと思ったら、文字というのは一つの媒体にしかすぎないのですよね。 読み書きができないのは不便ですけれども、だからといって知識の吸収ができないわけではないのです。そういうところを、日本の教育と いうのは忘れてきているのではないか。読み書きの、ハネのここが間違っているから、5点取れるところが3点ですとか、下手をすると0点 ですとか、社会科で豊臣秀吉がやったのだと分かっていても、平仮名で書いたら5点のところが3点だったり。いいじゃないですか、 分かっていれば、と思うのですね。そういうことがイギリスでは非常に進んでいたというのと、そこらへんの八百屋のおじさんとかでも、 家の子がディスレクシアでね、とかと言うと、「良かったね、どんな面白い子なんだい?」と聞いてくれるんですね。日本で、家の子が 学習障害なんですと言うと、あらまあ、という、なんとなくイメージがマイナスの、否定的なイメージ。そういうのを見てきて、それから 日本での受けた教育が彼にとっては非常に辛かったなというのを見て、何かしなければ、というのでNPOを始めました。

NPO法人EDGE(エッジ)というのを作りました。EDGEというのは、Extraordinary Dyslexic Gifted Eclecticというものの頭文字をとりました。

大体こういう子たちは、変な子、変わった子と言われることが多いのですね。ちょうど小泉元首相が変人と言われておりまして、 彼が首相になったときに、第1号のメールマガジンで変人としてものを言うというようなことが書いてありました。彼は、変わっては いるけれども、「僕はExtraordinaryだと思う」と言っていました。私も同じ意味で「Extraordinary」を使っています。「普通」というのを日本は非常に大事にします。「Normal」です ね、日本で普通というのは。「普通ではない」というのは、日本語では、英語にすると「abnormal」のほう にとってしまうのですね。 でも、もう一つの「普通」という言葉で「Ordinary」という言葉があります。これは英語で、「普通」なの ですけれども、「つまらないほどの普通」というような感じがあるのですね。その反対語は「Extraordinary」、 素晴らしいほうの変わっているなんですね。そういう意味を込めて、「Extraordinary Dyslexic」。

Gift」、これは才能という意味もあって、天才児じゃなければいけないの、ということなのですけれ どもそうではなくて、「賜物」だと思うのですね。人がこの世に生まれてきたということは、なにか意味があって生まれてきている のだと思うのですね。だから、彼らが凹んでいる部分もとんがっている部分も全部含めて、賜物だと思って、Gifted

Eclectic」というのは、最後のEの字が探せなかったので、取捨選択という意味なのですけれども、 つけました。合わせて、EDGE。先端とか崖っぷちとか諸刃の刃とか、いろいろな意味がありますけれども、尖がっている子どもたちで あるということで、彼らの尖がったいいところを伸ばしてあげてほしいという意味を込めて、EDGEというのを作っています。

何をしているかというと、日本でディスレクシアと言っても、今回これだけの方が集まっていただけるというのはすごくうれしい ことなのですね。本当に、私が始めた時はどなたもご存知ありませんでした。本当にお医者様、脳梗塞とかの専門家のお医者様くらい しか知らない言葉。脳科学者とかが知っている言葉。どうしてこのディスレクシアという発音しにくい言葉にしたかというと、日本語で 学習障害とかなんとか障害という、「障害」という音をつけたくなかったからなのです。

その啓発、いろいろな人が知っていることによって、普通のことになっていく。障害とか、不便はあるけれども障害ではないよね、 ということを伝えたかった。でも、サポートを必要とするということで、どんなサポートがあるの、ということを考えていく。それから、 いろいろな団体とか国とネットワークを組んで広げていきたい、この3つのことを柱にしています。

啓発は、「愛をはこぶ人キャンペーン」というのをやっております。サポートは、ディスレクシア塾という形で、ディスレクシアの 子どもたちの偏りに合わせての、塾と言っていますけれども、いろいろな形で彼らも学べるようにということで、やっております。 それからDX会と言っていますけれども、大人になった本人たちが話し合える場というのが今までなかったのですね。自分たちがそうだと いうこともわからない人たちなので、そこで話し合っていくうちに、ああ、自分だけではなかったのだ、君はこういう時どうした? とか、いろいろな情報をシェアすることでずいぶん自信を持っていく、また、その人たちが他の人たちに話して分かってもらう、という ことが広がってきています。最後に、ネットワークということで、JDDネットというのが日本でできています。自閉症協会とかADHDなどの 発達障害を抱えている人たちと一緒にネットワークを組んでいます。

今日いただいたお題では、地域でできる支援ということで、お話します。

まずは、一生を通じた支援が必要である、ということです。

これは、楽にはなるけれども、流暢さというものが最後まで課題に残るというお話が品川さんからありました。それだけではないのですね、 読みにはそれが残りますけれども、他の大変さというものがいっぱいあります。右と左が分からないとか、流暢さに問題があると、電車に 乗り間違えたりとか、時間を間違えたり、日にちを間違えたり、約束の時刻に行けない状態が、いろいろな理由で起きることがあります。 そういうようなことへの支援。

それから、施策への提言。国に対しては、法律ですとかを頼んでいますけれども、地域でしたら施策を提言しています。あとは啓発、 理解、配慮はハード・ソフト面でありますね。どういう配慮があり得るかと言ったら、例えば教室の中だったら、聞こえが悪ければ先生 のそばに、とか、注意がどこかに逸れてしまう子は先生のそばに、とかいうことができますし、ソフト面でしたら、勇気づけるとか、 いいところをほめてあげるとかいうことができますね。支援は、ハード面、機器類、品川さんからずいぶんお話があったと思います。 それからソフト面での支援というのが、先ほど言っていたいろいろなソフトウェアもありますし、気分的なものもあるし、代わりに 読んであげるというようなこともあります。

さっきからお話のあった、連携が大事であるということですね。家族の中で保護者が孤立している。地域の中で家族が孤立している ということがあります。これに対して、民生委員ですとか青少年委員ですとか、保健婦さんとか、そういう方たちにお話をしてまいり ました。それから関係機関としては、医療機関もあれば、保健機関、療育の機関、そういうところにもお話をしてきました。

まず、では啓発は何をしているかということで、愛をはこぶ人キャンペーンというのをしております。皆様、お持ちでしょうか、 小さいパンフレットでやっておりますけれども、そういう人たちがいるんだよ、というのを、こういうセミナーに来てくださる方と いうのはある程度問題意識を持って来てくださっていると思うのですけれども、そうではない街の方たちに知っていただく方法として、 ディスレクシアを持っている画家であるマッケンジー・ソープさんのご協力を得て、絵画展をして、そこで展示をしたり、先生と一緒 にワークショップ、子どもたちとのワークショップをしたり、講演会などを開催しています。啓発パンフレットも制作したりしています。 ソープさんの絵はがきを後ろのほうで売っていますけれども、こういうものを売って、そこでホームページを表して、見ていただいたり しています。あとは、いろいろな形での講演会、例えば学校で、LD疑似体験というのがLD学会で用意していますので、そういうもので、 そういう子たちってどういう気持ちでいるの、というのをちょっと、2時間くらいのプログラムですけれども、感じていただいています。

一番大事なのは保護者への支援だと思っています。飛行機に乗ってみると分かると思うのですけれども、酸素マスクが落ちてきたら、 まずご自分がしてください。それからお子様にかけてくださいという注意があるのですけれども、それと同じで、保護者の気持ちが いき詰まっていたら、いくら子どもに優しくしてくださいとか、子どものことを理解してくださいと言っても無理なのですね。 まずお母さんの辛い思いを分かってあげないといけないかな、と思うのですね。お母さんで、本当に子どもにやりたくなくても虐待して しまっているお母さんがいっぱいいらっしゃいます。それとか、自閉症気味のお子さんだと、お母さんが一生懸命可愛いと思っても、 来ないでとスキンシップを嫌うお子さんがいたりすると、子どもを可愛いと思えなくなってしまうお母さんもいっぱいいます。 そういうお母さんたちに対応するというのがまず第一。2時間くらい、私どものところで相談をしていますけれども、初めの1時間くらいは やっぱり突っ張っていらっしゃるんですね。だんだんだんだん気持ちを出してくださいます。最後には涙して、初めて自分の気持ちを 話せました、と言ってくださいます。だいたい、相談に行くと、お母さん、こうしたほうがいいですよ、ああしたほうがいいですよ、 とやらなくてはいけないことばかり言われる。そうではない、やはりまず、お母さんの気持ちを聞いてあげてください。

当事者への支援というのは、どういうことをしているのか、ということですね。先ほど、ディスレクシア塾というのをやっております、 と申し上げました。この「塾」という名前をつけたのは間違いだったな、と今は思っています。塾と聞いた途端に、子どもたちが来たく ないと言うのですね。公文ですとか、個別指導塾という名前がついているところで、普通の勉強を、普通の教え方をただただゆっくり ととか、何回も教えられると、本当に負担になっていってしまって、もう行きたくないという気持ちが強くなっているのです。 なので、来年からはちょっと、大人の人たちのディスレクシア会の中の、キッズ&ティーンズ会とかですね、クラブみたいにして、 まずは居場所。僕がここに住んでいていいんだな、生きていていいんだなという気持ちが必要だと神山さんはおっしゃっていましたけれ ども、本当に子どもたち、その気持ちを必要としています。私たちの塾は今15人のお子さんが来ていますけれども、一人として脱落者が いないのですね、5月から始めて。みんな、本当に生き生きとしています。初めはもう、キャーキャー、ピーピー、殴りあったり蹴飛ばし あったり、泣いたりひっくり返ったり、本当に大変だったのですけれども、それはADHDであるとか、自閉症のせいだと言われていたので すけれども、それよりも何よりも、彼ら一人一人をきちんと見てあげていると、だんだん生き生きとしてきて、今は本当に元気に取り組 むようになっているのですね、勉強に。勉強はともかくとして、友だちがいる、そして自分たちを普通に受け入れてくれるところがある、 というのが彼らにとってこんなにいいことなのかな、というのが、自分で始めて、副作用というか、思ってもいなかったお土産です。

英語に関しては、先ほど、中学校で日本では英語が入ってきますけれども、日本語で辛い思いをしていて、アルファベットが入ってくる と本当にチンプンカンプンになってしまうみたいですね。日本の英語教育、中学校からですと、本当にすごいスピードで進んでいきます。 ついていけない子が本当にいっぱいいる。ディスレクシアだろうがなんだろうが、もう少しゆっくりと丁寧に、記号と音と、それからその先 の意味がつながるような教育にちゃんとしなくては、ということで、フォニックスを中心にゲームなどを使ってやっています。

国語に関しては、もう読み書きが嫌いだと初めから言っている子どもたちなので、まずは1回、解放してあげます。読まなくていいんだよ、 書かなくていいんだよという国語の教室って、あるでしょうか。ありますよね。語彙力を増やしてあげるとか、発言する時の何を言いたいか というのをくみ上げてあげるとか、そういうところから始めていくと、驚くほど子どもたちの発想力はあります。でも、それを書きなさいと 言われたら、もうシャッターが閉じてしまって、先に進めなくなる子がいっぱいいます。その中で、できる子にはマインドマッピング、ただ ただ字面を書いていくのではなくて、まず何を書きたいのかというのをまとめていく作業をするとか、それから文字の成り立ちとか、その子 その子が好きなこととか、興味を持つことに合わせてやっていく。

例えば、ボクシングに興味がある子がいるのですね。その子は、ディスレクシアだけでなく、お母さんがフィリピン人、お父さんは日本人。 お父さんは亡くなってしまいました。タガログ語が母国語です。日本の学校に来て、その上ディスレクシアです。何を教えてあげたらいいで しょう。そうしたら、「My dream」という作文を書くことになった時に、彼は全然筆が進まない。その時に、君は何 になりたいの、どうしたいの?というのを1時間くらいかけて聞いていたら、自分の来た地域の人たちはものすごく貧乏である。だから、自分は ボクシングをして、チャンピオンになって、そのお金でその子たちにいいことをしたいんだ、と言ってくれたのですね。じゃあ、それを書こう よと言って、こちらが書いてあげたのを見て、そうしたら彼は、日本語はあまり慣れてもいないのだけれども、空間認知、視覚情報はうまく取 り入れられていたので、じっと見た後に、そのまま書き出した。でも、彼が言ったことをただ文字に書いてあげただけなのですね、私たちがや ったのは。それでも彼の書いた作文であることには変わりない。そうやって、それを今度は発表することができたらば、クラスの人たちに一目 置かれるようになった。それまでは、フィリピンから来た本当に馬鹿な子だというふうな認識しかなかったのが、それだけ認められるような場 があげられることになったわけです。

他に、国語ということで、言うということはいろいろありますけれども、そういう形で先ほどのマルチセンソリー(多感覚に訴える方法)を 使うとかですね、身体を使ってとか、自分の体験をもとにとかいうことで、語彙を増やしていくというようなことをしています。書くというこ とは、もう最後の最後にしています。

それと同時に、PCを使ってタッチタイピングを教えてあげたりしています。これは私自身がタッチタイピングをできるようになって、もの すごく楽になったのですね。私は、自分がそうだとわかったのは47歳くらいになってからなのですけれども、それまではものすごい筆不精で、 みんなにものすごく文句を言われていたのですね。でも、タッチタイピングができるようになったら、だいたい考えている速度で、音さえ 思い浮かべれば打てるようになる。そうすると面白いように、それも手紙だと、切手はどこにあったっけ、住所はどこだっけって探して、 それを書き写すときに間違えて、また封筒を買ってきてとかやっているうちに、書いた内容が古くなったりします。そういうことがメールだと なくなるというので、ものすごく連絡がスムーズになるようになりました。そんな形で、子どもたちにもスムーズにコミュニケーションが 取れるという気持ちを味わわせたいと思っています。

算数に関しては、ディスレクシアは関係ないと言うのですけれども、文章題が分からない子がいっぱいいます。文章題に出てくる、例えば 「あげました」と言ったらマイナスだよ、「誰々が来ました」と言ったらプラスだよ。プラスの記号に代わる日本語ってどれなのとか、 マイナスになる記号ってなんなのとか、そういうのを教えてあげたりとかしています。文章題の大変さというのは、ただその通りに読めば 式ができるというものではないのですね、日本の。すごいひっかけ問題がいっぱいあって、この子たちはすごく、あっと言う間に引っかかって しまう。そういうようなところもフォローをしたり、あとは計算が、電卓でもいいじゃないか。あとは算盤も使っています。

数の概念がないお子さんたちには、5つの玉を使って5という数を4と1、2と3とかに分けられるということがわかる、というのがすごく大事 なのですね。そこがわかっていくと、では10はどうなっているの、それから、繰り上がりはどうするのというところもわかるようになるとか、 あとは具体物を使って数えていくということを、普通のお子さんよりも期間を延長してあげるとか、あとブロックを使って、六角形のブロック があるのですね。それを半分にすると、台形になります。その台形の3分の1は三角形です、というようなことを、これで花を作ろうとかという ような遊びを通してやっていくうちに、分数の感覚がつかめるのですね。実際の計算式、文字や数字でやる計算式はできなくても、感覚として 6分の1がどういうことかというのが分かってくるということをやっています。

先ほどから言っていますけれども、一人一人、出方が違うのですね。同じWISCとかで、こういうへこみがありますねとか言っていても、同じ 年齢の子でも、その子が持っているニーズって違うんですね。そのニーズに応えてあげないと、子どもはついてこない。

例えば、10歳くらいの子で短期記憶が落ちていて、忘れ物がものすごく多い子がいたとします。先生方とかお母さんは、まず忘れ物をなくす のが一番だと思うと思うのですね。だけれども、その子のニーズはそうではないのですね。忘れ物をしても、友だちとの関係をもっとよくしたい と思っているのですね。彼が不便に思っているのは、後でどこどこ公園で何時に会おうねと言ったのを忘れちゃうことだったりするのですね。 そっちのほうをケアしてあげていくと、授業もこうしたら楽だよねということが分かってくると、素直に、じゃあこういうふうに忘れないように しようね、という工夫。記憶力を上げるということはすごく大変なのですけれども、いろいろなところで忘れ物をなくすことはできるのですね。 だんだん自信を取り戻してもらうということをしています。

モデルとして、地域ということなので、港区の特別支援教育の特別支援室というのをやっています。リソースルームということで、教科書ですとか、 いろいろなものを取り揃えております。それから、相談。保護者の相談に乗っている。それから検査を、対応方法を考えて、それに基づいて支 援員の派遣をしています。支援員の派遣の前に、支援員の育成をしています。今、180人、講座を終えた方がいらっしゃいます。

支援者の育成ということなのですけれども、発達障害とは何ぞやということを、まず勉強していただきます。それから、やはり学校の中での 支援になりますので、ディスレクシアについての知識も持っていただきます。それから、読み書き計算の基本。先ほど申し上げましたように、 読み書きというのは、人が話していることとか、過去のこととかを記録するための一つの道具にしかすぎないと私は思っています。それで不便ならば、 その道具に代わるものは何なのかということを考えてあげる必要がある。それの一つの方法として、DAISYはすごく有効であろうなと思っています。 それで、対処法を教えてあげる。

すごく大事なのは、観察力や明朗さ、柔軟性、協調性なのですね、こういう人たちに求められているのは。教員免許を持っているとか、博士号を 持っているとかいうとかいうことよりも、子どもの視線で、この子はどう考えているのだろう、何が一番不便なのだろうということを考えてあげて、 そうしたらこういう支援がいいかな、というふうに考えられる力を持っている人というのが大事だと思っています。もちろん、体力と気力もすごく 大事です。

他にもできることというのは、他の団体でもやっていますけれども、アセスメント、これは日本語でできていないので、絶対必要だと思っています。 教材開発。港区では、小学校1年生から6年生までの国語の教科書を今、DAISY化しています。ただ、まだ著作権の問題があるので、これは後で お話があると思いますけれども、大々的には皆さんに言えないのですね。だから、相談にいらっしゃる方には、こういうのがありますけど、やってみ ますか?という形でご説明しています。

それから、大人になってから、理解と支援。それから、ラーニング・スキルですね。読み書きを教えるというよりも、どうやって学んだらこの子は いろいろな知識を吸収できるのだろうか、自分の良さを発揮できるのだろうか、という視線に立って、いろいろなスキルを教えてあげる。

それから、補助機材の使用法。DAISYなどは、どういうふうに使うかということを教えてあげる。

これは、タッチタイプのレッスンをしているところです。指に色をつけて、もう指を見ないで、緑の指はこれだねと、見ないで動かす練習を してから、はい、押してみようみたいなことをやっていくと、「か」と言うとkとaのところに自動的に指が行く。アルファベットを知らなくて いいのですね、自動的に身体で覚えていくということができるわけです。

指に色のついたシールをつけてタッチタイピングの練習

それからこれは、養護学校とかでもらったものですけれども、こういうボードを持って、忘れっぽい子とか、先生の指示がちゃんと 伝わっていない子なんかには、こういうふうに1日のスケジュールを持たせてあげると、あ、次はプールだな、じゃあ水着に着替えればいいんだな、 とわかるわけです。

1日のスケジュールのカードを貼ったボード。カードは文字とふりがなとイラストがついている。

これはちょっと見づらいのですけれども、イギリスで、マインドマッピングを使って社会科の勉強をしているところです。マインドマッピング、 文字を使ってもいいのですけれども、この子はディスレクシックなので、マインドマッピングの先っちょのところに絵を書いています。 それに支援をしているのがこの左側の女性です。

マインドマップを描いているところ

これはスウェーデンで見たものです。地理の教科書にDAISYがついています。多分、後でまた話があると思いますけれども、スウェーデンでは DAISYというのが普通に使われている。教科書には大体ついているという形になってきているようです。

スウェーデンのDAISYつきの地理の教科書

これが先ほど品川さんも使っていらっしゃいましたけれども、これがイギリスの特許庁かどこかの職員の方。課長とかすごく上の方なのです けれども、初めから、こうイヤホンで、自分の言ったことを話せばもう文字になって出てくるソフトがあったりとか、彼女が手に持っているのは リーディングペンと言って、スキャナーがついていて、スキャナーで押すと音になって出てくるという小さいものなのですね。ですから、 大きなパソコンの前でなければ仕事ができないのではなくて、違うところでもこれを持っていれば、この文章が何と読むのかがわかるということで、 ディスレクシアにも私のように別に普通に読めているように見える人もいるのですね。けれども、時間がかかったりとか、変に読み取っていたり という人もいれば、彼女のように本当にいくら頑張っても文字という記号を音にかえて、意味にかえることが難しい人もいるわけなのです。 そういう人たちにはこういう機械というものがすごく大事になってくる。DAISYも、それの音と文字と意味をつなげるのに非常に役に立つのでは ないかと思っています。

リーディングペンを使っている様子

非常に簡単なのですけれども、私の時間が終わってしまいました。どうもありがとうございました。