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国際セミナー
「防災のユニバーサルデザインとDAISYの役割」

【防災のユニバーサルデザインとDAISYの役割】

河村宏(DAISYコンソーシアム理事・前会長)

スライド1 (スライド1の内容)

皆さん、おはようございます。昨日は竜巻があって、今日は西の方は大変な豪雨で、時間雨量100mmと聞きますと、本当にこれが東京で起こったらどうなるのだろうと考えると、大変恐ろしい状況が、いつどこにでも起こりえるのだということをひしひしと感じる昨今です。これからお時間を20分ほどいただきまして、今日のテーマの基調ということで、「防災のユニバーサルデザインとDAISYの役割」についてお話をさせていただきたいと思います。

東日本大震災が大変な被害を残してからもう既に1年少したっているわけですが、いまだに多くの方がなかなか避難生活に終止符を打てないでいます。あるいは特に福島の方々は、かなり長期の、これからいつ戻れるか、なかなかメドが立たない、そういう中で1年少しの時期を迎えております。ここで、常になんですが、改めて教訓は何だったのか。日々新しく教訓が出てくるのでなかなか難しいのですが、この東日本大震災の教訓というものをもう一回整理してみたいと思います。

第一は、命を守るということについての教訓は何だったのかということだと思います。もちろん避難生活、その後の復興も大変な課題が山積しています。ただ、私たちは最初の出発点としてまず命をどうやって守るのか。これがないとその後もないので、まずそこのところについて整理したいと思います。いい事例として釜石の小中学生の話を挙げたいと思います。私自身も非常に感動しましたし、マスコミでも多く話題になっているかと思いますが、まずはこれから振り返ってみたいと思います。

スライド2 (スライド2の内容)

釜石の子どもたちは小中学生ですけれども、防災教育の中で、津波というものが、一つ例を挙げれば、50cmの高さの津波でも人を簡単に倒してしまうということを具体的にビデオで見せられて、その見た経験をまだ忘れないうちに避難訓練を実施して、正確な知識、津波は高いところに逃げなければいけない、海から遠いところに逃げても意味がないので、とにかく高いところに逃げなくてはならないということをしっかりと教わって、自分の体でも覚えていたということがまず挙げられると思います。そして、多くの子どもたちは時刻的に家に一人でいる、あるいは子ども同士でいる、そういう時間帯だったにもかかわらず、最初の報道は多分3mということだったらしいのですが、「津波が来る」という報道後、大人から指示されるということではなく、逃げたのです。3mと聞いたときに、大人たちは、自分たちはどんな低いところでもあの辺りは4m以上の防波堤がありますし、10mの防波堤にしっかり守られているから3mなら大丈夫だというふうに思っていたときに、子どもたちは50cmの津波でも人を倒す力がある、3mというのは怖いのだということをしっかりと認識して、自分のおじいちゃんやおばあちゃんにも、きちんと話をして、とにかく一緒に逃げようと言って、自分だけではなく家族にも一生懸命働きかけて、みんなの命を守ったという成功事例が伝えられております。

私は、この釜石では特別支援学校の子どもたちはどうだったのかなと思って、関係者に聞いてみたのですが、特別支援学校は高いところにあるので特に問題はないという答えが返ってきました。子どもたちがもし家にいたとすれば、被災する地域にいたかもしれないので、その子どもたちはどうなったのか、どういうふうに無事に助かったのか、あるいは何人かの子が残念ながら犠牲になったのか、その辺りのことも、今後、学んでいかなければいけないと考えています。

全体として、釜石は子どもたちが中心になってしっかり学んだことを生かして自らの身を守り、周辺の大人たちの命も守った。これは非常に重要な教訓だと思います。

それと対比されるのが大川小学校というところで起こった悲劇です。大川小学校は北上川の河口付近にある小学校です。津波の到達まで30分ほどあったにもかかわらず、かなり長い間校庭で避難しないで待機していた。実は大川小学校自体が避難所だったのです。避難所にまだこれから来る人たちがいるというので、先生たちもためらいがあったと聞いています。自分たちが避難所にいる、そこにこれからまだ避難してくる人がいるときに、そこから先へ避難していいのだろうかというためらいも一方であったようです。それから、やはり正確な知識の不足もあったと思います。確か副校長先生だったと思いますが、堤防の方で川のほうに見にいって、もうそこには津波が迫っていた。それを生徒たちに教えようとしたときには2方向から、川の方が早く遡りますので、川から遡った津波と、海岸から押し寄せた津波の両方に生徒たちは挟まれて、多くが犠牲になったという悲劇です。本当に数少ない生存者が語ってくれたことをつなぎ合わせると、確かに時間はあったのに、何でもっと適切な判断をして逃げられなかったのかと思われるわけです。これは、情報を待って津波にのみこまれてしまった残念な事例です。

ここで私たちが考えなければいけないのは大きな地震というのは電源を断ってしまう。つまり、放送は届かなくなる可能性がある。テレビに依存してテレビの情報を待っているとテレビそのものが機能しなくなるという状況を考えておかなければいけない。あるいは電源を必要とするものがバッテリーで動かない限りは、すべてそこで止まってしまう。そういう極限的な状況の中で、では自分はどうするのかを考えておかなければいけないということが、とても重要な教訓です。そうなりますと誰かの指示を待つことはできないので、自分で、あるいは隣近所の人と自ら判断をして適切な行動をとるということが生き延びるための必須条件になってくるということです。

津波に関して言えば、津波の危険地域というのは最近、次々と新しく浸水予測が更新されて、北海道の十勝地方では30m以上という予測になりました。先ほど紹介があった浦河町、従来は道の予測では4mと言われていたところが、今度は10~20mの間ということになりました。つまり、避難所の多くが、津波が来たときには浸水地域に入ってしまうという状況。ではこれからどうするか。しかも、それだけ大きな被害があるときには電源も情報も断たれる。つまり自分自身がどうするかというシナリオを持っていないと動けないということが明らかになってきています。これが今、私たちが大震災から学ばなければいけない教訓なのです。

正確な知識を持って適切に動けた子どもたちがいたというのは希望ですが、もう一方で、一人ひとりがその時にどうするかを持っていないと、本当に命を守れないということが明らかになってきました。

スライド3 (スライド3の内容)

同じく大震災の教訓で、津波自体は2.8m、大したことないというのは、あれだけの高い津波を見たからいえるのですが、実は2.8mの津波というのは多くの自動車を流して、港の倉庫をみんな壊してしまって倉庫の中にあったものを流してしまった。被害総額が人口1万3,000の町で3億円出しています。すさまじい経済被害なのですが、その被害を受けた北海道浦河町で、「浦河べてるの家」の皆さんは、この3月11日には、日頃の訓練どおりに整然と避難をして、混乱はなかったと聞いています。町役場からもそのような証言を得ています。どうしてそういうことができたのかと言いますと、年に延べ4回、夏と冬、昼と夜の合計4回、グループホームごとにかなり重度の精神障害の方を含めて津波避難の訓練をしています。それを何年も重ねているという実績があります。その訓練のとおりに避難をしたというのが実際のことです。ご当人たちに言わせると、訓練で知っているからあまり慌てることもなく避難指示という町の呼びかけがあったとき訓練どおりのことをやったということです。ただ、精神障害という性質から、その後、調子を崩す人も少なくありませんでした。ただ、いざというときに自らを助ける自助の活動がきちんと行動できたということも、私たちにとっては、今後、これに沿って進めていけばいいという希望の一つです。

また、「浦河べてるの家」の皆さんの近所の、普段から避難などを一緒にやっている自治体の方々も、役場の方と一緒に同じ避難所に行って、これからは避難所でどうするかをもう少しみんなで計画を立てないといけないと相談し、将来の課題についてお互いに認識を深めたというふうにも聞いています。

これからもまた7月の最終週に夏の避難訓練が「べてるの家」であります。そのときに私も参加させていただいて、町あるいは自治会の皆さんと、今後の避難所での生活のあり方についての計画を一緒に考えたいと考えています。

そこでもう一つ重要なこととして出てきますのは自助、共助のバックアップをする避難施設の整備。それは国と自治体の責任です。そういう公助が自助・共助と結びついてきちんと行われなければいけないというのが教訓であろうと思います。

簡単に年4回避難訓練をやっているとご紹介しましたが、普通の町内で考えて夜に避難訓練をするのは、結構大変な活動だと思います。まして北海道の冬の夜に津波避難訓練をするわけです。下は凍っていて雪もありますし、坂道を登らなければいけない。「べてるの家」のメンバーには車いすの方もいます。その車いすの方も一緒に避難訓練に参加しますから、みんなそろってつるつる滑る雪と氷の坂道を安全なところまで登るという冬の夜にやる訓練を、実際にやっているわけです。やはりそれは、やらないと心配だという具体的な心配と、この訓練をすれば安心が手に入るのだという見通しの中で初めて実現できるということだと思います。

そのときに役に立ったのがDAISYを使った避難マニュアル。大体7分くらいしか集中できないというお話を聞いていたので、私どもが避難マニュアルを設定するときに、20分も30分も読んでくださいというのではダメだとわかっていました。それで全体を7分に縮めて、7~8分の間に大事なことを全部理解してもらって、終わったら、さあ今説明したとおりの避難ルートで避難をやってみましょうと訓練しました。それをストップウォッチで計りました。目標としては、これまで浦河町に地震の後、最短で来た津波が4分でした。

それから当時の予測は10mを超える津波ということでした。ですから4分以内に10m以上に到達するということを目標にして、それができれば一応安心だとしようという合意をもって、それを目標に訓練をしたわけです。

具体的な目標を持つと、あと何秒縮めればクリアできるということになるので、重ねていく楽しみができるということもあります。それからちょっとダレているとクリアできないので、これでは危ない、次は頑張ろうねという話にもなってきます。それを何回もくり返して、体で覚えられるところまでしようということでやってきたわけです。

そのときに使ったマニュアルとほぼ同じマニュアルを今日の配付資料に入れてあります。CD-ROMに入っているものがそうです。これは、Windowsパソコンで使える閲覧ソフトが2種類入っています。そのどちらでも最初に案内メッセージが出ますので、それに沿って使ってみてください。

スライド4 (スライド4の内容)

それから、DAISYの特徴として完全にいろいろなものはオープンなものを使っているので、例えば写真を入れ替えたい、文章を一部入れ替えたい、声を入れ替えたい、全部できるのです。ですから、この津波避難マニュアルでしたら、シナリオの骨格がこれでいいということであれば、少し手直しして自分の町用、自分の家用に作り直すということもそんなに難しくありません。そのための編集手順も一緒に印刷して入れてあります。DAISYで実際に作られたものをご覧いただいて、さらに編集手順に沿って、いくつかの編集ツールがありますし、ソースコードを開いて読める方でしたら写真を入れ替えるなんてわけないと思います。同じ名前のファイルをそこに置いてしまえばいいわけですから。そうやって少し手直しして自分の環境に合うものを作る醍醐味を味わっていただけるといいかと思います。

特に、自分が信頼できる人の声で説明があると、よく聞けるという方々はたくさんいます。そういう方たちのためには、その信頼されている方に、代わって読んでくださいと言って声を入れ替えることもできます。そういう様々なマルチメディアの力というものをぜひ試してみていただきたいと思います。

スライド5 (スライド5の内容)

このようなマルチメディアをDAISYの開発グループは、北海道の浦河町で2005年に、今画面に出ております防災の地域の集まり、町長さんなどにも出てもらって、それから地元のアイヌの方も参加していただいて開きました。各地、オランダの防災についてとか、今日来ているモンティエンさんにもタイのことを話していただき、インドからも話していただくというような防災のゆうべというものを開きました。そして、できるだけ防災活動が身につくように、それからしっかりとした技術的な支援をさらに発展させるにはどうしたらいいのかという国際的な開発者グループもそこに参加してもらって、現場のニーズはどこにあるのか、それに合うDAISYのさらなる開発はどうあるべきかということを一緒に検討しました。

今日のスピーカーのお一人になっているマーカスさんは、この写真のスキンヘッドの方がいますが、横顔で頭だけですが、これがマーカスさんです。なんとマーカスさんは2005年にはもうこの防災の研究会に参加して、その後もずっと研究開発を続けて今日に至っているということです。その他にも合計5名が今もEPUBの開発に携わっているメンバーが、この参加者の中にいます。つまり、非常に息長く、こういう防災ニーズから学んだ開発をDAISYの開発スタッフは続けてきているということをご紹介したいと思います。DAISY版マニュアルというのは、実際に皆さんご自分でプレーヤーで体験していただくのが一番だろうと思います。

こういった浦河での取り組みと国際的な防災の活動を結びつけるというのが国際DAISYコンソーシアムの大きな役割でありました。つまり何でこういうことをするかと言いますと、情報のアクセス、知識のアクセスが人の命を左右するというのは、実はインドネシアの津波のときもそうでした。特にプーケットの海岸では外国人が数百人亡くなっているのです。外国人の多くは引き波で海底が見えたときに、津波の恐ろしさを知らないで、みんなそこに入っていってしまったのです。津波の恐ろしさを知っている人たちはそれがすぐ寄せ波になってのまれるということを知っていますから、その知識の差が生死を分けたということもはっきりと記録に残されております。

そのプーケットの地で2回にわたって、モンティエン・ブンタンさんはタイ側の組織者として、DAISYコンソーシアムは国際側の組織者として、国際的な障害者の命を守ることに焦点を絞った国際セミナーを開き、そこでIT、特にICTがどうあるべきなのか。ICTが知識のアクセスをどのように保障すべきなのかについて多く議論を重ねてまいりました。

スライド6 (スライド6の内容)

スライド7

「浦河べてるの家」のメンバーの皆さんも積極的に自分たちの経験を発表してくださいました。大変国際的に感銘を呼んだ発表となっています。いわば災害弱者、最も危ない、社会的に孤立して何か大きな地震があったりしたときに混乱しやすい、そういう最も災害時の弱者と思われるはずの人たちが自分たちでしっかり勉強し、知識と体で身を守る方法を身につけていたという発表をしたのには、会場から非常に多くの称賛というか共感、それができるのだということが、改めてわかったという感想をいただきました。

DAISY版マニュアルの特徴のよいところは、一言で言って理解しやすいということです。そこには文章があり図があり、音声があります。これらが協調するので、一言で言って理解しやすい。ただ、さらによくすることも必要なので、動画や手話をうまくシンクロできるように、いくつかの機能について実験をやっています。例えばろう者の方にどうすると、一番わかりやすいか。またろう者の方も耳が聞こえる方も、そして視覚障害の方も、もしかして一つで済むマニュアルができるのであれば、みんなが一緒に避難訓練するときにとても便利じゃないか。何とかそれができないものかというようなことで、今いろんな実験を試みている一コマです。

スライド8 (スライド8の内容)

調布デイジーという団体がYouTubeに上げて、今、皆さんご覧になれるYouTubeコンテンツの一コマが右側に映っています。これは普通の字幕と少し違って、字幕があって、そこに今音声が出ているところがハイライト表示される。そしてハイライトが音声と同時に動いていく。そして手話も文章単位で同期をするというふうな実験的な試みをしたものです。

こういったものが手づくりではなくてツールできちんとできるようになる。それが次のDAISY、DAISY4と私たちはそう呼んでいますけれども、あるいはEPUB3というものの目標の一つになっています。

それから図版とか地図にどうやってアクセスするか、そのための挑戦を今、ダイヤグラムプロジェクトという国際プロジェクトで取り組んでいます。それから、世界中の言語をサポートしようともしています。日本語の縦書き、ルビ、これはEPUB3でサポートすることができました。アラビア語は1行の中に左右両側から書きますが、これもサポートできました。さらにもっと多くの言語の中には様々な書き方、あるいは、そもそも文字を持たない言語もあるわけですね。そういった言語の人たちもきちんと参加できるようなマニュアルの技術を確立していこうという挑戦を進めております。

その中で、おととい、フィリピンの自閉症協会のことがフィリピンの新聞に載りました。全体の中の一部ですが、自閉症協会が自閉症の人たちにわかりやすく情報提供しようと障害者権利条約のDAISY版を作ったということです。

スライド9 (スライド9の内容)

スライド10 (スライド10の内容)

それからソーシャルストーリーと言っていますが、その中には避難訓練といったものも含まれます。そういったものにこれからDAISYを使って取り組むという話が出てまいります。

まとめますと、最初に申し上げましたように、一人ひとりの防災力を強化するためにDAISYとEPUBができることというのは、一つは、今でもできるのは被災者支援情報のDAISY版を提供すること。これは日本障害者リハビリテーション協会のウェブサイト*1を通じて日本DAISYコンソーシアムが既に提供を始めております。それから今日見本をお配りしたようにDAISY版防災マニュアルの普及と活用を図るということがあると思います。また、今後に向けてDAISY4とEPUB3については、この後マーカスさんからEPUBだとどういいかという話がありますので、そのDAISY4、EPUB3でのマニュアルの制作と再生のためのツール開発、これが当面の緊急の課題です。

そして、第3次アジア太平洋障害者の十年が来年から始まります。その中の一つの重点課題が障害者の防災になっています。障害者権利条約、これは批准が116ヶ国で、調印は153ヶ国です(2012年7月7日時点)。この権利条約を日本が批准して実施していく。そして2015年には「兵庫行動枠組」という、阪神・淡路大震災をもとにした国際的な防災戦略の改訂という作業があります。それに向けてさまざまな活動を集中していって障害者を含む一人ひとりの住民の災害時の安全を確保するためのマニュアルを作り、またそれを実施していくということが課題だと思います。

これから三人のそれぞれの専門の方から講演をいただいて、私がいくつか触れたことについて、またそれ以上の詳細についてお話をいただくのを楽しみにして、私の基調を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

*1 http://www.dinf.ne.jp/doc/daisy/jdc/

河村宏氏の写真