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未来の学習教材 読み書きの障害/ ディスレクシアがある人々のために
要求事項及び潜在的なニーズに関する調査報告

第1部 要求事項

発達障害、視覚・聴覚障害、或いは失語症などの特殊な言語障害が主な原因ではない、読み書きの障害がある生徒のための教材や指導法に関して

全般

一般の読者にとって好ましい文章とレイアウトは、平均的な知能を持ち、視覚障害はないが、読み書きの障害/ディスレクシアがある人々のための適切な文章とレイアウトを考える上での出発点となる。読むことになれていない人々は、耳で聞いた言葉の意味を理解することはできても、文字で書かれた言語の構造、例えば接頭辞や接尾辞、複合語、主節と従節などを扱うのを難しく感じる湖とがよくある。ある読者が、どの程度難しい内容の文章を理解できるかは、習慣によって決まる部分が大きいので、すべての角度からあらゆる点について、非常に正確に要求事項を定義することは難しい。一つ一つの問題点は、対象となる読者グループに応じて考慮されなければならない。しかし、基本的な要素の一つとして、このような人々にとっては、知的レベルが主要な問題なのではなく、あくまでも書かれた言葉のレベルが問題なのであるということをここに記しておきたい。基本的な原則は、以下にあげるとおりである。

読むことに熟練している読者にとってはわかりにくいと言うことは全くないような、優れた文章やレイアウトでも、本書で採り上げている人々にとっては、太刀打ちできない問題を引き起こす場合がある。

すべてのテキストベースの情報はCD-ROM、インターネット、或いはコンピューターベースのテキストファイルなど、何らかのデジタル形式でも利用できるようにするべきである。

文字で書かれた本の代わりとなるものについては、国際的な標準規格にのっとったものとする。現在はDAISYが望ましいフォーマットである。それぞれの読者は、自分がテキストにアクセスするために使うメディアを決定し、従来の方式による印刷されたテキストを読むことと、それをステレオで聴くこと、或いはコンピューターで処理することを適宜選択して行うことができる。(MP3が現在のフォーマットであるが、第3世代の携帯電話が将来新たな可能性をもたらすであろう。)

文章の作成が必要な教材を使う際には、個々の学生は、書字障害を補い、好ましい結果が得られるように、コンピューターに基づいた機器を利用するべきである。

印刷された教材 ― 文章

読むことに障害がない人々にとって、従来の図書は多くの利益をもたらすことができる。

このため、文章で書かれた図書は従来通り利用できるようにしなければならない。しかし、本だけが文字で書かれた言葉を基本としているわけではない。映画、演劇、インターネット、講義、その他の形式のプレゼンテーションも、一般になんらかの文字で書かれたものをもとにしており、ここでも書き言葉が様々な事柄の表現方法に影響を与えているということができる。それ故、文章の構成と書かれた内容の明瞭さとが、録音図書やマルチメディア製品のように、他のメディアで作品が制作されるときにもやはり重要になってくる。

読者は特異的な機能障害を抱えているのかもしれないし、取り扱う文章を読んだり分析したりすることに慣れていないのかもしれない。或いはその両方であることもよく見られる。しかし、この場合理由はそう重要ではない。7年生の生徒(13歳くらい)で、同年齢の他の生徒と知的レベルは同じであっても、読む力は例えば3年生(9歳ぐらい)の生徒と同程度しかない場合もあるであろう。専門的な教材は、このような読者にも理解できるものでなければならないのだ。そのために著者は下記の事柄を考慮しなくてはならない。

  • 読者が抱える主要な問題が、抽象的な概念の理解にあるのではなく、おそらくはこれまでにあまりそのような概念に遭遇したことがなく、そのため文脈上で手がかりとなる言葉や同義語を必要としている可能性があるということ。
  • 一般的に言って、このような人々はあまり使われない言葉が苦手であること。これはあまり読むことをしていないからである。そこであまり使われない言葉については、文脈の中の手がかりとなる言葉や説明(例えば「・・・推薦、つまり委員会への提案が、提出されなければならない・・・」)によって明確にされなければならないこと。
  • 同義語が役に立つということ。これは読者がある言葉から他の言葉の意味を推し量ることができるからである。(例えば、「雰囲気がもりあがり、スミスは賛美歌を歌い始めた。神をたたえる歌は、どんどん大きくなり、教会の庭でも聞こえた・・・」)
  • 人、場所、製品の名前が問題を引き起こす場合があるということ。物語中の多数の登場人物や、リストの中の用語が事態を複雑にしてしまうのだ。特に同じ文字で始まる場合や、単語が視覚的に似ている場合、このようなことが起こりやすい。(モハメッド、メッカ、ムスリム、メディナの四つの言葉は、理解の面ではなく、見た目と記憶の面で区別するのが難しいといえる。こうした状況は、名前については口述の慣習を用いて添え名を付けることによって改善することができる。例えば、予言者モハメッド、メッカの都、ムスリムの教えなど。)
  • 見た目が似ていて意味が「漠然としている」短い単語(as to、too、of、off、for、by、buy、an、any、and)は、しばしば問題を引き起こすということ。「He and she saw her from a long way off・・・(彼と彼女が遠く離れたところから彼女を見た・・・)」というような文は、すらすらと簡単に読むことはできない。そのため、いくつもの短い言葉を続けて使うことは避けるようにする。
  • 見た目が似ていたり、音が混乱されやすい長めの単語も問題となる場合があること(例:referee、referred、reflected、reasoned)。このため前後の文脈が重要になる。「ジョンは新聞を引用した(refereed)・・・」という簡潔な文の方が、「説明するために、ジョンは新聞の記事を引用した・・・」というもっと長い構成の文よりも難しく感じられるのである。
  • 読みの障害がある読者は、読む速度が遅いために、しばしば問題が生じる場合があること。このような生徒は、同年齢の他の生徒に比べて5倍も6倍も読む時間がかかることが珍しくない。更に、読みの障害がある人々は読む速度に関して2つのグループに分けられるようである。
  • 先ず一つは、おそらく大部分を占めるのだが、例え文章が長くなっても文脈の中で意味をはっきりさせることを好むグループである。そしてもう一つは、一行を越える長さの説明文は読まないことに慣れてしまったグループである。後者は説明を読む代わりに、絵や図、囲み欄から情報を拾い集めるのである。二つのグループのやり方どちらでも読むことができるように、文章と構成、レイアウトの相互作用を分かりやすくすることが望まれる。
  • 略語もまた、主に読む訓練が十分でないことから、問題や不正確さの原因となる場合があるので、説明を加えなければならないということ。(例えば、「TB、すなわち結核は、その国で流行していた・・・」とか単に「ICIが発行した・・・」とするのではなく、「ICI社が発行した・・・」とするなど。)書き言葉における一般的な略語、例えば、e.g.、i.e.、etc.、et al.、P.S.なども、問題となる場合がある。そこで、略語を略さずに書くことを慎重に検討した方がいい。また、同一文や同じパラグラフの中でいくつも略語を使うことは避けるべきである。
  • 小文字で書かれた言葉は大文字だけで書かれた言葉よりも理解しやすいということ。なぜなら、大文字はhのような上向きのはねやpのような下向きのはねが全くないからである。図形的な不規則性があることで読みに障害がある読者は文字を区別しやすくなるのである。
  • 文字の連続もしばしば問題を引き起こすということ。数字の長い組み合わせは、短期記憶への負担をもたらすので、2つずつや3つずつ、或いは4つずつのグループに分けるとよい。これ以上数字を多く連続させると、問題が起こる。
  • 句読点(例:ピリオド、カンマ、コロン、セミコロン、ハイフン、クエスチョンマーク(?)、エクスクラメーションマーク(!))は、問題になることが多いということ。この問題は異なるマークを区別する認知の問題ということができ、たとえ読者がそれぞれの違いを分かっていても生じる問題である。また、これは書き言葉を扱った経験が少なすぎることによるとも考えられ、ピリオドやカンマが区切りを表していることを読者が理解していないためといえる。しかし一方で、ピリオドやカンマをよくわかっている読者なら、他のマークでは問題があっても、慎重に考えられた上でつけられたピリオドやカンマについては、役に立つと考えるであろう。そこで、基本的な原則がいくつか守られなければならない。
    1. 主節だけで構成された文はそれ自身では読みやすくすることはできない。(因果関係を表す言葉について述べた3を参照のこと。)
    2. 句読点で比較的頻繁に区切られた場合、読みやすくなる。
    3. 言葉のリズムや因果関係を表す接続詞、文脈上の手がかりとなる言葉などは、文の長短よりも、内容の理解に大きく貢献すると思われる。
    4. 主節にさしはさまれた従節は、論理の展開を明らかにする助けとなり、有効であるが、同じ文の中に複数の従節を挿入すると記憶機能に負担をかけすぎるので、2つ以上の従節がある文は複数の文に分けられるかどうかを検討した方がいい。
    5. 読むことになれていない読者は、同じ文やパラグラフの中でいろいろな句読点やマークを使いすぎると混乱する可能性があるので、これを避けるべきである。
  • 文章に情報が少なければ少ないほど退屈なので、よけい読む気がなくなるものであるということ。その一方で、あまりに情報が簡潔にまとめられすぎているものもまた読みにくいこと。
    従って、情報を薄めることも、短く簡潔にまとめられた文章を書くことも、読みの障害がある人々には役に立たない。それよりも、文章のわかりやすさや読みやすさは、その形式と内容、つまり文章の長さと情報の密度の相互関係によって決まるのである。このことは以下の原則にまとめることができる。
    1. 内容が難しく、或いは抽象的であればあるほど、言語学的な表現形式への要求が大きくなってしまい、わかりづらい。文章は少し長い程度が、読みの障害がある人にとっても理解しやすい。
    2. 多数の読むことになれていない読者は推論することが苦手である。つまり、行間を読むと言うことが難しい。これは、言葉の言外の意味の理解に主な問題があるというのではない。むしろ文章への「頼りすぎ」と、読むことへの受動的な態度が、読解の問題を引き起こしているといえる。行間を読むということは、学べばできるようになることではあるが、事実に基づく文章の内容を読者に本当に理解してもらうためには、著者は自分が読解に関して読者に何を求めるのかを考えなければならない。
    3. 因果関係を説明する接続詞(例えば、「・・・そのため、彼は次のステップに進んだ。」「それだから、彼女はやらされた・・・・」)は、文章を長くし、従節の数を増やしてしまうが、読みの障害がある人々の文章の理解を深めることができる。
    4. 主に主節で構成されている文章には自然なリズムがある。にもかかわらず、言語のリズムは主題と著者の技量によるところが大きい。文章の内容と調和する自然な言語学的リズムによって読みやすくすることができるのでこれを心がける。
    5. 読むことは、読者が文章に興味を持っていればたやすくなる。経験によれば、読者の関心を高める方法の一つは、文章に個人的に語るような表現を入れることだ。(例えば、「おそらく知っているであろうが、・・・・」「第2章で述べたように・・・・・」など。)
    6. 始まりが簡単で次第に難しくなっていく文章の方が、その逆の場合よりも読みやすい。
  • 曖昧さは言語本来の性質であるということ。(例えば、“・・・the fat Mr. Jones weighed・・・”の・・・の部分に、「何キロ」と具体的な数字がはいるのを期待していたのが、その代わりに「flour(小麦粉)」という風に書いてあったとする。すると私達はこう考えるよう仕向けられる。よし分かった、小麦粉と来るのだから、“weighed”という言葉は「fat Mr. Jones(太ったジョーンズ氏)」とは関係ない。この作業が、私達を読者として活動させるのである。)にもかかわらず、曖昧さによって、完全に読者が間違った方向へと導かれてしまうのなら、それはきっぱりと避けなければならない。
  • 比喩は文章の内容の理解を深めることができるということ。(例:「彼はそこで、霜の降りる夜、葉が黄色く変わっていく時のカバの木の気持ちを思って座っていた。そしてカバの木が、秋の嵐が完全にドレスを脱がせに来るのを待っている時の様な気持ちでいた。」)このように、事実を記した内容を詳しく比喩で説明することは、読者が読んだ内容を覚えているかどうかを決定的に左右する。なぜならそれは、連想できることの数が増えるからである。また比喩は、読者の言葉の発達も促す。
  • 読者が現在持っている知識を、著者が事前に情報として得て、これを利用することは、読む速さや理解を助ける上で非常に役に立つということ。読者が読むことになれていなければいないほど、この種の支援はより必要である。
  • しかし、読むことには障害も予期せぬことも必要であるということ。予測できないたとえでも、うまく利用すれば、読むプロセスを簡単にするのに役立てることもできる。(例:「・・・彼が眠りについたとき、月の光が違った角度から彼を照らしたので、ちょうど27ピースの銀の台所道具みたいに見えた。サラダボールとスープ鍋もそろった一式のセットだ。」)

印刷された教材 ― レイアウト

レイアウトの目的は、読者が文章をたどりやすいよう導くことにある。読者が文章を読む仕事を引き受けるかどうか、その態度を決定する際には、第一印象が重要である。レイアウトは特に読みの障害がある人々にとって重要である。これは内容が簡潔にまとめられた難しい文章である、と感じさせるような、マイナスの印象を与えてしまったら、読者が文章に取り組む妨げとなる可能性がある。読んでみれば、楽しめるし、簡単に書かれていて、しかも少しはおもしろいかもしれないのに。

  • 下手でいい加減なレイアウトは、読むことになれている読者よりも、読みの障害がある不慣れな読者の間で、非常に不評である。
  • 見出し語が多数で、余白を十分に取ったレイアウト、そして十分に考慮された易しい文章、表題、図を用いた形式は、読むプロセスを助ける。
  • 読者が見て分かりやすいレイアウトも、読むことに不慣れな読者にとって、より重要である(例:決まった色の囲みにいつも同じ種類の情報をのせる。新聞のテレビ欄はいつも同じページであるなど)。
  • 絵や写真には2つの目的がある。すなわち、文章だけのページよりも印象を和らげられることと、より人目を引きつけられるということである。また絵や写真は読者の理解を助け、また読者が文章の内容を記憶するのに役に立つ。分かりやすく簡単な絵は役に立つが、一方で、様々な印象をもたらす複雑な絵もまた、読者が「読み解く」のを刺激し、内容を記憶にとどめる助けとなる場合も多い。読むことに障害がある人々が、視覚認知に強い例は珍しくないからである。
  • 文章を、自然な区切り方で、また常にピリオドのあと改行する、フレーズを考慮した印刷方法は、読むことに大変不慣れな読者の役に立つことができる。しかし一般的にこれは、もっと読む経験を積んでいる人々にとってはあまりよい助けにはならない。なぜなら、このような方法は、文章全体の流れにそぐわない場合があるからである。
  • 印刷された文章は左右の端を完全に揃えることを標準の書式とし、余白も均等にする。これによってページがより画一的になり、そのため読みやすくなる。しかし読み書きの障害がある人々はしばしば似たように見える言葉や図式的な表現を区別するのが難しいと感じることがあり、多くのディスレクシアの人々は右マージンを揃えない形式を好む人も多い。読むプロセスにはまた、単語の視覚的な見え方も関わっている。読者は単語の視覚的な印象をとらえるので、一文字一文字を読む必要はないのである。右マージンを揃えると、時には単語が引き延ばされたり、縮められたりする(一番よく見られるのは新聞のコラムである)が、読むことに障害がある人は、そのような単語を認識するのがより難しいと感じるかもしれない。
  • 読者が左から右へと読むとき、正しい行に移るのに苦労するということもよくあることだ。同じ行を読み始めてしまったり、一行上、または下の行を読んでしまったりすることがある。これは行間を少し広げることで解決できる。
  • 印刷された文章のフォントや活字書体に関しては多数の意見がある。他よりも読みやすいフォントや活字体があると信じている人々もいるが、実際の所その理論を決定的に証明する研究結果は全くなく、主観の問題であるのは間違いない。もしある人がある活字書体が他の書体よりもよいと考えるのなら、その人はそれが読みやすいと感じているからであろう。人は自分が慣れているフォントをたいてい好むものである。長い文章で使われている最も一般的なフォントは、Timesか或いはそれに似たもの、「セリフ」がついたフォントである。(セリフは、上や下に向いたはねの端についている小さなひげのような出っ張りである。)
  • 活字の大きさについてもフォントと大変よく似たケースが見られる。ある人が少し大きめの活字字サイズが読みやすいと考えるのなら、ある程度の範囲内では、おそらくその通りなのである。活字サイズは常に一行の長さに対してバランスがとれていなければならない。読みの障害がある人々の多くは、標準的な8から10ポイントよりも、新聞の文字の大きさである12ポイントを好む。人によってはA4サイズのページに14ポイントで印刷することを好むが、そうなると一行が長くなる。何にしても大きなサイズというのは、文章を扱いにくくしてしまう。
  • 分節化は、読むことに慣れていない人々にとってはしばしば問題となる(例:ma-ypole、ever-ywhere、som-etimes)。分割された単語を正確に読むには、多大な知的能力が要求される。その一方、語形学的な意味にそった分節化は大変役に立つ(may-pole、every-where、some-times)。

デジタル形式の教材 ― テキストとコンテンツ

全ての教科とあらゆるレベルの学校の教材は、印刷物とデジタル形式の両方で利用できるようにしなければならない。これはもし教育が、読み書きの障害/ディスレクシアがある生徒や、集中力に関する様々な障害がある生徒、またDAMPやADHDの生徒、そしてその他の視覚障害や身体障害のある人など、誰にとってもアクセシブルであるべきだと考えるのなら、基本的な必要条件である。

デジタル形式の教材 - 技術

デジタル形式の教材とスクリーン

  • 印刷された形で利用される教材は、デジタル形式のテキストも備えるようにするべきである。デジタル形式の図書のテキスト、構成、そしてページ付けは、印刷された教材のそれと一致するようにし、ユーザーがクラスメートと一緒にデジタル版を使えるようにしなければならない。
  • デジタル形式の教材は、それを読むためのCD-ROMや、問題となる障害に適したスクリーンリーダー等の機器を備えたコンピューターなどのメディアを、ユーザー自身が選ぶことができるよう考慮して制作されなければならない。
  • デジタル形式の教材は、アクセシブルなウェブ製品に適用される標準規格にのっとって作られなければならない。これは、例えば読者が絵や写真、図などの言葉による説明を選べる、“alt.-texts(ALTテキスト)”がなければならないということを意味している。

リーダーに関する原則は以下の通りである。

  • テキストはスクリーンで読めるようにしなければならない。読まれている行や単語、或いはパラグラフは、ハイライトされ、読まれている間カーソルがテキストをたどるようにしなければならない。
  • 読むスピードはノーマルよりも速くしたり遅くしたり調節できるようにしなければならない。スピードは読み上げる声の高さを変えることなく調節できるようにする。
  • スクリーンリーダーはマウスとキーボードのどちらでも操作できるようにしなければならない。
  • ユーザーが、章から章へ(位置を問わず)、ページからページへ、そして文から文へと移動できるようにし、またその際、テキストと音声を同期させて、前後へ移動できるようにしなければならない。
  • 目次を含め、テキスト全体の中から一つの単語が検索できるようにしなければならない。検索は、現在読んでいる場所の前後どちらの部分についてもできるようにする。いったん単語が見つかったら、その次に同じ単語が出てくる所も探せるようにしなければならない。
  • 図書の中のある特定のページにアクセスする簡単な方法がなければならない。
  • 脚注や欄外の注へ簡単に移動できるようにしなければならない。
  • いくつでもブックマークをつけられるようにしなければならない。ブックマークは、スクリーン上に記号で示すことも、音声ファイルの中につけることもできるようにする。
  • ブックマークを編集できるようにしなければならない。一度つけられたブックマークを削除することができるようにしなければならない。
  • テキストに書き込むか、声のメモとして録音するか、どちらかの形でブックマークをつけられるようにしなければならない。
  • テキストや音声のメモを他のコンピューター(例えば教師のコンピューター)に送信することができなければならない。同様に、他のコンピューターからメモを受けとることもできるようにしなければならない。これによって生徒は課題に取り組み、その回答を最も適切な形で教師に提出することができる。
  • 背景やテキストの色、太字やイタリック体の指定、活字書体や活字のサイズ、余白などを個々の必要に応じて設定できるようにしなければならない。
  • テキスト中の様々な単語が何を意味するのかに対する回答を得やすくするため、用語集を備えるか、或るいはこれをスクリーンリーダーに組み込んで一緒に利用できるようにしなければならない。
  • ディスレクシアの人々がよくする間違いのタイプを考慮して開発されたスペルチェッカーを備えるか、或いはこれをスクリーンリーダーに簡単に組み込めるようにしなければならない。
  • たとえ間違ったスペルで入力されても、ユーザーが検索機能を使って正しい単語を見つけられるような辞書を備えるか、或いはこれを簡単に組み込めるようにしなければならない。
  • スクリーンリーダーに音声合成装置を組み込めるようにする。或いは、既にユーザーのコンピューターに入っている、既存のSAM及びSAPI互換音声合成装置を利用する。
  • スクリーンリーダーはプラットフォームを選ばないものにしなければならない。つまり、どんなオペレーティングシステムでも使えるようにするべきである。
  • スクリーンリーダーは、教材と互換性がなければならない。これは、教材がインターネットからファイルとしてダウンロードされた場合でも、或いはCD-ROMで提供された場合でも、同様である。
  • スクリーンリーダーは映像も扱えるようにしなければならない。

ステレオのようなコンピューターを利用しない再生機器については、一般のCDを読むことができるようにするだけでなく、本一冊に値する容量を持つCD-ROMも読むことができるようにしなければならない。また、DAISYフォーマットの図書も再生できるようにする必要がある。そして章から章へ、前後に移動できるようにし、ブックマークをつけて同じ場所で停止したり、再生したりできるようにしなければならない。更に個人専用のページへと移動できることが望ましい。

書字及び知識収集を助ける教材/福祉機器

教材を利用する際、時として、文字で書かれた回答や、長めの分析レポートなどを生徒の方から提出しなければならない場合がある。そこで書くための道具も教材と見なされる。

  • 辞書やシソーラス(類語辞書)を内蔵したワープロのプログラムの利用は、読み書きの障害がある生徒が、様々なテーマについて文章を作成できるようにするための、基本的な必要条件である。
  • 特別な用語集や補足的な辞書及びスペルチェッカーを、生徒の必要に応じて利用できるようにしなければならない
  • 音声合成装置(生徒が書いた物を機械の音声が読み上げるシステム)を、ワープロのソフトウェアに接続できるようにしなければならない。このサポート機能は、生徒側にニーズがあり、かつこれによって利益を得られる場合に、確実に利用できるようにしなければならない。
  • 読み書きの障害がある生徒の文章作成と知識の収集に大きく貢献するその他の福祉機器は、指導計画が立てられるときに優先的に採用されなければならない(翻訳ペン、キャッシュメモリー、計算機、ホワイトボードなど)。

指導法

特別なニーズがある生徒を決して差別することなく、効果的に指導を行えるようにするには、特に生徒の自主活動を促す指導法がとられる場合、いくつかの特別な方法が要求される。教育機関は、生徒を早い段階から適切な環境に置くことを第一に考え、行動計画を立てなければならない。

  • 児童福祉センターは、生徒の家族の中に読み書きの障害を持つ可能性がある人がいないかどうか、どんな情報でも提供するよう、要求しなければならない。なぜなら、もし家族にそのような人がいるのなら、生徒についても早い段階でその兆候を重くとらえなければならない理由となるからである。
  • 全ての幼稚園、保育園において、音韻体系に対する意識を高めるプログラムを導入すべきである。これは、言語の様々な局面を訓練するスケジュールにそった言葉遊びを通して行うことができる。ボーンホルムスモデルによれば、この種の遊びながらの訓練によって、読み書きの障害を持つようになる子ども達の数をかなり押さえることができるとのことである。
  • スウェーデンの学校教育法は、特別なニーズがある生徒のための指導プログラムを作成することは、教育機関の義務だと定めている。そして、このようなプログラムは学校のスタッフ、生徒、そして生徒の両親と協議しながら作成されるべきだと規定している。この義務は、地域で実現されなければならず、またその方法の正当性を保証するために、常に評価の対象とされなければならない。
  • 指導プログラムの目的は、生徒が課題に取り組めるよう、そして指導についてこられるように適切な環境を提供することである。そのためプログラムには、生徒の言語の発達と、生徒の特別なニーズに対する教育環境全体の改善を盛り込まなければならない。
  • 生徒の言語の発達を促すには以下のことが必要である。
    1. 読み書きの障害に関するどんな兆候も、早い段階で深刻に受け止めること。
    2. 教師に、生徒の読む力の発達を評価する能力があること。この時、一般的な読みの能力に加えて、単語の解読や読解力のような特殊な能力についても評価できること。
    3. より高いレベルの文章に関する生徒の発達状況を観察すること。つまり、生徒の推論や文章を解釈する力をつかみ、読み書きの障害がある生徒が、このような事柄への洞察力を持てるようにする。
    4. 生徒の読む速さ及びその他の技術について指導が必要かどうか観察し、必要なら指導すること。
    5. 深刻な問題を抱える生徒を早い段階で確認し、必要なサポートを受けさせることができるように、学校側が、より広い分野の専門家とコンタクトがとれる、よく発達したネットワークを持っていること。
  • 教育環境全体が民主的であると考えられるように、そしてそのために特別なニーズのある生徒に配慮するには、以下のことが必要である。
    1. 教師達が、このような生徒達が特別なニーズを持つという事実を基本的に理解し、そして視力が悪い生徒がめがねをかけるように、このような生徒達のニーズも当然満たされなければならないと理解すること。
    2. 教師が指導計画を立てるときに、特別に改良された教材と福祉機器を要求でき、そして生徒がそれを確実に利用できるようにすること。
    3. 教育機関が、予算の中で補助的な教材と福祉機器のための費用を優先すること。
    4. 改良された教材と福祉機器に対する個々の生徒のニーズを、発達についての話し合いの中で採り上げ、生徒の指導プログラム全体の中でそれが満たされるようにすること。
    5. 全ての教育現場で、教師による指導の際、改良された教材と福祉機器を当然のごとく生徒が使えるようにすること。
  • 生徒に適切な環境を提供する教育では、コスト面を考えるべきではない。それは生徒の能力を発達させ、自信をつけさせて、興味の幅を広げ、更に大きなやる気と持久力とをつけさせる、投資なのである。生徒達を支援する教材と福祉機器は、問題を解決する方法を提供するだけでなく、同時に生徒の技術を高める役割も果たしているのである。なぜなら成功それ自身ほど新たな成功を生み出すものはないからだ。極めて簡単に言えば、生徒には、学校生活をうまく送るために必要な、民主主義に基づいた教育の機会が与えられているのだ。

結論

特別なニーズのある生徒が他の生徒と平等に学べるようにするには、指導法、教材、そして福祉機器を包括した全体的なアプローチが必要である。この全体的なアプローチは、政府や関係省庁、教材制作者や教育機関、個々の教師や生徒を含む教育システム全体に影響を与える。そのため、教育出版社は計画を立てる際に、特別なニーズのある生徒が完成された製品から利益を得られるように、言語学的及び技術的な局面も考慮しなければならない。

今日、技術的には、印刷された教材にDAISYフォーマットによるCD-ROM版をつけて制作し、個々の生徒がコンテンツへのアクセスの仕方をそれぞれ決定することができるようになっている。これが経済的にも実現できるようにするには、出版社がCD-ROM制作費を教材全体の制作費に分散することができるよう、教育機関側から要求を出す必要がある。そこで学校教育法の中で、指導プログラムの作成を義務づけたように、この点を採り上げるのが適切であろう。つまり、個々の生徒の障害とニーズに合わせた教材を生徒に提供する義務に関する条項を入れるのである。

そのためには、「この分野」の専門知識や技術を強化する必要もある。これにはかなりの年数に渡り、更なる政府からの資金が必要となるであろう。教師と生徒には、適切な学習形式をともに見つける機会が与えられなければならない。それによって、ますます読み書きに頼りつつある現代の教育界において、読み書きの障害がある生徒が取り残されるのを防ぐことができるのだ。そのような資金の活用に当たっては、教育機関と生徒が、学習環境全体を考慮した指導プログラムに同意していることと、その両者が結果を評価する責任を負うこと、そして教育機関が改良された教材と福祉機器を採用することを約束し、指導の経験から得た情報を提供することを請け負うことが、原則である。最後に、研究者は、このような投資の監督と評価に関わらなくてはならない。