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未来の学習教材 読み書きの障害/ ディスレクシアがある人々のために
要求事項及び潜在的なニーズに関する調査報告

カセットテープによる教材

1990年代の初め、TPBに対し多くの方面から、大学生用と同じように、小中学生や高校生及び成人用の教材も録音するよう要望が上がった。しかしそうする代わりに、スウェーデン政府と議会は、これらのレベルの改良教材は、民間で製作されるべきであると決定した。政府は、「・・・読み書きの障害がある生徒が録音された教材を利用できるようにすべきであると考えた。教科書を読みながらその録音を聞くことは、多くの生徒が読むことによって学習する際に役に立つであろう。しかし、カセットテープに録音された図書の利用は、読み書きの障害がある生徒だけに価値があるのではなく、視覚障害者や特定の移民などの、まだ識字力が高いレベルに到達していない他のグループにとっても重要である。それ故、対象となるグループは極めて大きく、他の教材と同様、カセットテープに録音された図書のニーズも、開かれた市場において満たされるべきである。」

同時に、スウェーデン学校教育庁が、カセットテープに録音された教材の企画、製作と評価に焦点を当てた3年間の試験プロジェクトを実施するよう依頼された。ウプサラ大学の教育学部が評価を担当した。プロジェクトの運営者は、スウェーデン教育著述家協会(SFF)及びスウェーデン教育出版社協会(FSL)と、資金の提供について合意に達した。

出版社からの代表は全員、カセットテープの教材に対して懐疑的で、このような技術は時代遅れだと考えていた。そこでCD-ROMについても議論がなされたが、結局はカセットテープが使われることになった。録音会社やTPB及びFMLSの代表からなるレファレンスグループが、技術的及び教育学的な基準の設定を依頼され、出版社はカセットテープを製作する支援を受けることになった。2,3の出版社が実際に支援を要請したが、他は、生産量が十分多く見込めれば自社で費用を負担するとした。最終的には、10個のタイトルのカセットテープが100本製作され、24の学校に配布された。

エルシィ-マイ・ギィステーロ、キア・キムハグ、アンナ-カーリン・マグヌッソン、ステファン・セランデル、
エヴァ・スヴァールデモ・オーベルによる報告書が1995年に出版され、教育局が結果を配布するために要約を出版した。

「アンケート調査」では、300の不作為に選ばれた学校と24の試験校の教師及び特別なニーズがある生徒の教師が、ディスレクシアと録音図書及びカセットテープの図書に関する質問に答えた。また、8つの試験校の教師と生徒へのインタビューも行われた。

アンケート調査

質問の一つは、読み書きの障害がある生徒にはどの教材が使われているか?であった。

  • 4人に3人の教師が、常に或いは非常に頻繁に教科書をつかっていた。
  • 5人に1人の教師が、常に或いは非常に頻繁に録音図書或いは本とテープの両方を使っていた。
  • 常に或いは非常に頻繁にコンピューターを指導に使っている教師は、半分以下だけであった。
  • 4人に3人の教師が、常に或いは非常に頻繁に学習資料集を使っていた。

これらの結果から、印刷された教科書とその他の学習資料集が、依然として広く使われているメディアであり、1994年当時でも、コンピューターの方が録音教材よりもより一般的に使われていたことが分かる。

別の質問は、録音図書、また本とテープの両方を使った経験にはどのようなものがあるか?であった。

  • 全教師の75%が、読み書きの障害/ディスレクシアがある生徒の指導に、何らかの段階で録音図書を利用したことがあった。
  • 55%が、自分自身、生徒のために教科書を録音したことがあった。
  • 調査に参加した教師の94%が、個々の生徒の特別な問題に合わせてより改善されれば、今後も録音教材を指導に利用することを計画していた。

インタビュー

インタビューの参加者は、中等教育のレベル(10歳から12歳対象)からクラス担任教師6人と特別なニーズのある生徒の教師4人、そして高等教育のレベル(13歳から15歳対象)からクラス担任教師3人と特別なニーズのある生徒の教師4人であった。このうち10人は、指導でカセットテープの教材をある程度利用していたが、残りの7人は生徒にカセットテープの図書を紹介していただけであった。中等教育を受けている11人の生徒と、高等教育を受けている6人の生徒もインタビューに参加したが、その全員が、深刻な読み書きの障害を抱えていた。

全ての教師は、生徒が学校の多くの場面で重大な問題を抱えていると述べた。最も大きな問題は、教科書やその他の資料教材の文章を理解することで、「多数の教師が、生徒が自分自身で個々の興味に基づき知識を探求する、生徒の自主活動を促す指導法が、読み書きの障害がある生徒にとっては、適切な援助がなければ難しすぎることがよくある、と指摘した。」

教室全体での指導の場面では、情報が急激にたくさん入ってくることで問題が起こることが多い生徒にとって、読む速度が速すぎてしまったという経験がよくあった。このような生徒は他の生徒よりも語彙が貧弱で、概念の理解が弱く、そのため単語や概念の説明が必要なのである。グループ活動の時には、ある教師は、読み書きの障害がある生徒は、自分自身のやり方で情報収集しなければならない際に、教科書とそれについているカセットテープだけに材料が限られてしまうと指摘した。その教師は、そこでカセットテープにもっと教材や、更に進んだ読み物を録音してほしいと述べた。特別なニーズがある生徒の教師からは、生徒は文章の内容をより深く理解するために、抑揚にも耳を傾けているという事実がコメントとしてあげられた。

カセットテープの図書を利用していない7人の教師は、このような図書の使い方に関する教育学的な考え方や提案を求めた。また、指導が行える部屋がないことも指摘した。更に、カセットテープの図書は、教師の授業の構造に適さなかったと述べた。家庭では、カセットテープが教科書に対応していないとか、いつも両親がカセットテープを再生したり、聞きたいページに早送りしたり巻き戻したりする手伝いをしなければならないという問題があった。

「ほとんどの生徒はカセットテープを聞くだけで、教科書を辿らない。生徒達は、数回、少なくとも3回はテープを聞くと言っているが、それは信じられないほど意欲的だと私は思う。テストに備えるには、結局文章の大部分を暗記しなければならず、それを2,3回聞くには何時間もかかるだろう。」(インタビューに参加した特別なニーズのある生徒の教師によるコメント)

教師達は、単語の解読や単語や概念の理解にしばしば問題がある生徒は、録音教材でも問題が生じることがあると指摘した。全ての教師は、教材の文章が生徒に難しすぎることがよくあると述べたが、それは当然、生徒が文章から重要な事実を取り出すのに苦労するということを意味していた。多くの教師はまた文章中でどのように難しい言葉が説明されているかに関し、非常に不十分である点を指摘した。これは大変重大な問題で、数人の教師がカセットテープによる図書を指導に利用しない理由としてこれをあげた。「ある教師は、文章の量が多くて難しくなってしまうというよりは、むしろ逆に、事実に関する内容が簡単にまとめられすぎているために文章がより理解しにくくなってしまっているのだ、と言っていた。つまり、事実をそれぞれの内容のつながりに関する説明をせずに、次から次へとあげているために、生徒は文章にまとまりがないように思ってしまうのである。」

しかし、全ての生徒が教材の言語に困難を感じているわけではない。教材の文章を理解し、読解をより難しくするような単語の解読にまつわる問題があるにもかかわらず、高い言語学的な能力を示す生徒もいた。が、まず根本的な問題は、単語の解読の問題と考えられた。「ディスレクシアの人々にとって長くて使いにくい言葉を読み、その上以前読んだことを思い出すのは、骨が折れることである。ディスレクシアの人々は、文章を読みながら何度も前に戻らなければならず、このことがいくつもの単語を全体として意味のある形にまとめるのを難しくしているのである。読解は、単に正字法的に、或いは音韻論的に解読すると言うことではなく、文脈の解読もまた意味論的情報の理解に関連しているからだ。」

全ての教師が、文献のテープへの録音については肯定的な態度を示した。ただし、一貫して肯定的であったり、否定的であったりするわけではなかった。教師達は、録音された文献の助けを借りて知識を取り入れることは素晴らしいアイディアだと考えた。また、このようなカセットテープによる図書を使った学習では、視覚以外の感覚も使うので、読みの障害がある生徒を支援することができると指摘した。一般的な意見では、カセットテープに録音されたフィクションの作品は生徒の識字力を高め、読書を楽しむのを助けるのに非常に役立つとされた。中には、録音された教材が識字力によい意味で影響を与えられると考えている者もいた。単語の理解と概念の形成が、聞くことを通して刺激されるという者もいた。更に、以前に比べて生徒が文章をずっとよく理解できるようになったことが分かった。生徒の中には、聞くことによってしか内容を理解できない者もいる。しかし、多くの生徒にとって、録音は読むスピードがあまりに早すぎた。読みの障害がある生徒のために十分に改良されていなかったからである。また、テープ上で聞きたいところを見つけるのは難しかった。

2,3人の教師が、集中力に問題がある生徒が録音教材から利益を得ることができたとコメントした。文章を見ながら同時に聞くことで、理解しやすくなり、このような生徒のやる気が増したのである。ヘッドフォンを利用すれば、集中力をそぐ周りの雑音がシャットアウトできる。そこで多くの教師が、解読に問題のある生徒にとって、カセットテープの図書は素晴らしい補助教材だと考えた。ただし、中には、この方法は一般的な学習障害や言語学上の問題、また記憶力の障害など別の問題を抱える生徒にはそれほど効果的ではないと考える者もいた。

録音にもっと色を付けることも要求として出た。あるクラス担任教師は、「うちの生徒は録音が単調すぎると抗議した。ポーズもなく、速く読み過ぎると。朗読には何の特徴もない、と数人の生徒が言っていた。おそらくこのような生徒のためには特別な本が必要なのであろう。絵や写真がもっとたくさんあって、事実に関する記述は少なく、説明を多くした本が。そうすれば聞いている人ももっと多くのことを得られるだろう。」

様々に異なるスピードで録音をしようという提案もあったし、難易度が違う教材が利用できるようにしようという案も出た。しかし、別の教師は、教材を簡単にすることの利点について疑問を唱えた。「生徒に、できるだけ多くの事実に基づく情報を見つけようと言う気持ちがあるとき、特別に改良された教科書には標準的な教科書ほど多くの内容がないことを知ったら、失望するであろう。教師は、バランスの問題だといっている。もし短い文章の図書を使うなら、内容が乏しすぎるか、詰め込まれ過ぎている高い危険性があるし、もし説明が多く、物語のような文章なら、生徒が読むには量が多すぎると言う危険性があるのだ。数人の教師はまたカセットテープの図書を指導で使うための、そして生徒がそれを学校や家庭でもっと自主的に利用できるよう保証するための重要な前提条件として、カセットテープ上で聞きたい場所を見つけることがもっと簡単にできるようにしなければならないと主張している。」

生徒とのインタビューからは、大部分がカセットテープの教材を肯定的に考えていることが分かった。ほとんどの生徒は学校と家庭の両方でカセットテープを利用し続けたいと希望しており、数人の生徒は、カセットテープは学習の助けとなり、それにより更に知識収集の役に立ったと語った。

報告書の結論は以下の通りである。「読み書きの障害/ディスレクシアがある生徒は、この調査に参加した研究者と教師の両方によって、それぞれが異なる問題を抱えている混成集団として説明されている。全ての生徒に共通するのは、彼らが深刻な読み書きの問題を抱えていることであるが、しかし多くは他にも、記憶障害や学習障害、算数障害、更にはMBD/DAMPの様な別の障害を持っている。そのため、カセットテープの教材を利用したりそれから利益を得たりすることについて、各生徒にとって必要な条件や、適切なタイミングは様々に異なっている。教師へのインタビューから、教育用カセットテープは、解読そのものに問題を抱えているだけの生徒に、最も適していることが明らかになった。」

この他、特にますます一般的になってきた生徒の自主活動を促す指導において、将来、文章の処理に関してコンピューターを使ってできるようになるであろうことについて、数人の教師が採り上げた。「テキストと図表、そして音声がコンパクトディスクに保存されるCD-ROMの技術により、読みの障害がある生徒は情報や知識を取り入れることができるようになる。」報告書の著者は、次の点を注意深く指摘した。「新しい技術が発達するにつれ、学校での教育活動も発展していく。しかし読み書きの障害/ディスレクシアがある生徒が、新しいコンピューター技術から利益を得られるようにするには、この分野の開発活動におけるイニシアチブが必要であることを強調しておかなければならない。」

「耳で読む」ことは1990年代にはますます一般的になった。しかし、知識を取り入れるのにこの方法を必要とする生徒のうち、それを利用できる者は全体の数から見れば大変少ない。また、カセットテーププレーヤーにも、限界があり、特に巻き戻しや早送りを繰り返す必要がある教材については、カセットプレーヤーでの利用は難しい。

コンピューターを利用した指導

録音教材の調査研究を行った一人であるエヴァ・スヴァールデモ・オーベルは、更に将来のコンピューターの利用に関する調査も進めた。これも、スウェーデン学校教育庁が資金を提供した。この調査は、1997年から1998年にかけて実施され、1999年に「読み書きの障害/ディスレクシアがある生徒のためのコンピューターを利用した指導」という題名の報告書が提出された。

スヴァールデモ・オーベルは、社会文化学的な視点に立ち、人は知識を社会的な場面の中で作り上げていくと言っている。「知識は、単に個人の頭の中に見いだされるものではなく、むしろ人と人との交流を通して発展していくものである。」この考え方を基本として、スヴァールデモ・オーベルは、読み書きの障害/ディスレクシアがある生徒のための指導が、義務教育及び高等教育の様々な状況において、どのように行われているかを調査した。

ある一定期間、指導を観察した後、スヴァールデモ・オーベルは、生徒がコンピューターを使って学習する授業と、コンピューターを使わない授業の両方を、教室での指導と個別指導の場合について撮影した。教師と生徒はその後、撮影されたフィルムの一部を、個別インタビューの際に見る機会を得た。その際、コメントをしたり、フィルムを一時停止したり早送りや巻き戻しをしたりすることができた。また、ときどきスヴァールデモ・オーベルが、コンピューターの利用方法に関する様々な点について、特に質問をした。

一般的なコンピューターの利用

ニイトゥールンスコーランは、中規模の地方都市にある小・中学校で、社会経済的には裕福な地域にある。この学校には600人を少し越える生徒が通っており、生徒用に約90台のコンピューターがある。調査には2つのクラスが参加した。生徒数27人のクラス6Cでは、4人の生徒が、読み書きの障害のために、特別なニーズのある生徒のための教師によるサポートを受けていた。調査報告書では、ヨーナスとエレーンの学習活動について記している。

アニカは、6Cの担任で、従来の教師主導の指導法はほとんど使っていなかった。その代わりに、様々なテーマやプロジェクトについて、生徒の自主活動を促す指導を中心に行っており、個別或いはグループでの活動が中心であった。歴史の授業では、ワープロやインターネット、マルチメディア製品を使った活動が必要で、その様子がフィルムに収められていた。フィルムでは、アニカが一週間の歴史の時間割について簡単に説明し、その後、クラスは解散した。また、カメラは教室内で生徒が頻繁に使っているコンピューターもとらえていた。ヨーナスは授業の残りの時間中、数回場所を変え、ノートとペンと教科書を持ってうろうろした。コンピューターがある小グループルームも覗いたが、長くはとどまらなかった。教室とグループルームにあるコンピューターは両方とも、コンピューターをほぼ自由に使いこなせる生徒達に占領されていた。このような生徒達は休み時間中も、ネットサーフィンをしたり、ゲームをしたり、ウェブサイトを見たり、ワープロをしたりするためにコンピューターの前に座っていた。

エレーンは廊下沿いに並んだ教室の一つに行き、自分のグループと作業をした。グループの課題は、マルチメディアのページを完成することであった。クラースという少年が、コンピューターの前に座り、エレーンとトマスという別の少年が、テキストに書き込みをしていたクラースの両脇に座った。しかしその後別のクラスメートがやって来て、エレーンとトマスに学校の勉強以外のことについて話し始めた。インタビューの中でアニカは、生徒の大部分は調査研究の方法を知っているが、読み書きの障害がある生徒は、自分自身で作業をするのに大きな問題を抱えていると言う考えを述べた。ヨーナスは説明の間、他の生徒と同じようにしたいと思っているのに、考え方の図に単語を書き込みながら同時にディスカッションに参加するのは難しいと考えていた。アニカによれば、ヨーナスとエレーンの二人とも、クラスメートと同じ量の文章を理解するのが難しいと感じており、そのためにたった2,3冊の本しか使えず、それも教科書を使うことが多いと言うことだった。二人はほとんどインターネットを使っておらず、また、スウェーデン語や英語の文章の読み書きや、いろいろな事柄を見つける方法について、きちんと体系化されたガイダンスを多く必要としていた。

「ヨーナスは、課題に取り組まなければならないと分かるとストレスを感じてしまうことがあり、それでとても大変になってしまう。」(アニカ)

アニカは、ヨーナスとエレーンがコンピューターで読み書きをすることに対し、クラスメートがどう反応するか不安を感じているために、読み書きが得意な他の生徒ほどコンピューターを使わないのだと感じていた。全ての生徒がディスレクシアに関する情報を得ていた事実にも関わらず、である。

エレーンとヨーナスはいつも家のコンピューターで課題を完成させてから提出していた。アニカによれば、ヨーナスは明らかに、グループの中で書くことに対し、不安を示していた。ヨーナスは、他のクラスメートによって気をそらされ、彼らがやっていることに興味が移ってしまうことがよくあった。またヨーナスは座って読み書きをすることができず、その代わりに他の生徒の所へ行っておしゃべりをしていた。アニカはエレーンとヨーナス二人とも、学習を補う道具としてコンピューターをもっと使うべきだと考えたが、これにはコンピューターの数を増やし、各生徒に一台ずつゆきわたるようにしなければならなかった。二人が学校でコンピューターを使いたがらないことが、二人が自分たちの抱えている困難を補えるようになる上で、一番の障害であると、アニカは考えている。特にヨーナスは、自分自身のコンピューターを必要としていた。なぜなら、それによって書くことがかなり容易になるからである。

エレーンとヨーナスの方は、クラスに参加して、授業に加わっていると感じることは大変重要だと考えていた。二人は、どれだけの時間が必要で、どの部屋に行ったらいいかを自分自身で決められると感じていた。

「学校ではとても大変。ストレスがたまるの。一回の授業の中でやらなければならないことがたくさんあるし、私は座って書くことに、とても時間がかかるから。

家でやるほど早くいろいろなことを見つけられないからなの。家では、もっと上手にキーボードのキーを見つけられるわ。学校ではそれよりずっと時間がかかるし・・・・とっても難しいの。本当に長いことかかるの。」(エレーン)

ヨーナスは、もっと昔ながらの教え方でやってほしいと望んでいた。「前は、先生が授業を始めて、授業の半分位は僕たちはただ座って先生の言うことを聞いているだけだった。先生が絵や写真やいろいろなものを見せてくれた。そうやって覚えたんだ。そんな授業なら、僕はたくさんのことを覚えられるよ。」(ヨーナス)

エレーンもヨーナスも一人で作業する方が好きだった。ヨーナスは、特にクラスメートと比較して、とりたてて何も得意なことはないと感じていた。エレーンとヨーナスが文章を作成する機会も限られていた。というのは、二人とも原稿を手書きしなければならなかったからである。二人はまた、読んだり書いたり、聞いたり、テストや発表の準備をしたりすることによって学んだとも語った。しかし、ヨーナスはテストを仕上げるにはもっと時間が必要だったと述べた。更にもっとよく説明ができるように口頭での試験を望み、文字を書くことを練習したいと話した。しかし、ヨーナスとエレーンの両方とも、コンピューターで書く方がよいということだった。

新しいソフト

アニカとヨーナスは、社会科の授業で、科学の教科書とインターネットのメディア・アーカイブ、そして「社会に生きる」という題名のCD-ROMの図書を利用し、麻薬とたばこについてクラスで話し合いをしたあとにも、インタビューを受けた。

学校のコンピューターは、読み書きに障害がある生徒には、書き言葉の処理に全く問題がない生徒と同じほど広くは利用されていない。

フィルムは、最初にアニカが資料について説明し、メディア・アーカイブのインターネット・アドレスを黒板に書いている様子を映していた。それからアニカは、生徒に走り回ってはいけないと話し、更にCD-ROMのテキストは、生徒達が読み慣れているテキストよりも難しいと続けた。CD-ROM
の方がもっと情報量が多いのだが、それはコンピューターで読み上げることができるとのことだった。ヨーナスは手を挙げ、自分のグループが最初に使っても良いか尋ね、アニカは許可した。

ヨーナスとエレーンは6人の生徒からなる同じグループに入っていた。ヨーナスと別の一人の少年がコンピューターの真ん前のいすに座った。アニカは、アイコンで表示されているプログラムの機能に注目させた。生徒達は、録音されたテキストのスタートや停止、巻き戻しや早送り、更に読み上げスピードの変更を試しにやってみてから、前後のページを閲覧したり、下線が引かれた単語の説明を見るためにクリックしたりした。アニカは何ページを見たらいいかを教え、その場を離れた。グループは、静かにページが読み上げられるのを聞いた。テキストを2度目に聞いていたとき、ヨーナスとクラスメートのジミーが内容について話し合った。話し合いのあと、ヨーナスは再びテキストを聞き始めた。ジミーは、クラスメートに止めるように言われるまで、ボリュームを上げたり下げたりしてスピーカーで遊んでいた。女子達は後ろに立っていた。エレーンはときどきコンピューターの画面の方を見たが、テキストを読むには遠すぎた。別のグループが入ってきて、ヨーナスは彼らに何をしたらいいかをやって見せた。エレーンは大きな紙をとりに行き、グループの作品の見出しを書き始めた。ヨーナスは別のコンピューターで、麻薬に関する情報をインターネットで検索し始めた。

アニカは、自分は故意に全ての生徒に対してCD-ROMの図書を紹介したのだと語った。そうすれば、それぞれの生徒がこれを自分にとって役に立つ形式かどうかを決めることができるからだ。これはクラスメートがCD-ROMの図書を、「普通と異なる」もので、読み書きの障害がある生徒だけを対象としていると決めつけるのを防ぐためであった。

「読むのが得意な生徒達は、・・・・・CD-ROMの図書から多くのことを得られるとは感じていないかもしれません。どちらかといえば、CD-ROMは時間がかかります。コンピューターがある部屋へ行って、プログラムを立ち上げて、テキストを詳しく調べなければなりませんから。障害がない生徒なら、テキストをざっと読んで、全く違った方法で情報を見つけることができるでしょう。」(アニカ)

ユーザーがプリンターでテキストを印刷できるようにしたり、小さなノートにメモをして、そのメモをワープロのプログラムに移動したりする機能は、使えなかった。その上、ページの番号が、本のページに対応していなかった。にもかかわらず、アニカは、CD-ROMの図書は、今では全ての生徒が認める、学習補助教材であると考えていた。ヨーナスとエレーンは、グループが一緒に活動をしているとき、テキストを同時に読むことなく、ただ聞いているだけだったが、もし、一人で座って自分にあう読み上げスピードが見つかるまでいろいろな速さを試すことができたなら、もっと違った行動をとったであろうとアニカは考えた。

例えそうだとしても、アニカはCD-ROMの図書によって、ヨーナスは学校で読むことができるようになり、十分な時間をかけて読んだり課題をまとめたりするために家に本を持ち帰る必要がなくなったと感じていた。

アニカはヨーナスが自信をつけてきているという印象を持っていた。「ただの一言、二言の言葉さえも、ヨーナスにとっては簡単には思いつけないのです。友人は4頁も5頁も書いてしまっているのに、自分はやっとの思いで1,2行進んだだけだということを知られてしまうのはひどくつらいことだし、とてもがっかりすることでしょう。以前はヨーナスは決して何もしようとしませんでした。学校で書く代わりに家で書けるように、直ぐに何か他にやることを見つけてそっちをやっていました。でも今では少しは書こうとしています。」(アニカ)

アニカはまた、CD-ROMのテキストは、高校生を対象として書かれていたにもかかわらず、あまり難しくなかったとコメントした。しかし、いくつか生徒が知らない難しい単語があり、図書の中では説明がなかったとのことだった。テキストを読み上げることの利点の一つに、生徒がテキストの内容を理解しやすくなるということがある。生徒はテキストを読むとき、文字を一つにまとめて単語を作ることや、単語をまとめて文を作ることに多くのエネルギーを使う。この大変な苦労により、文章の内容を理解する余力がなくなってしまうのである。アニカは、生徒が学ぶ方法に注意を向けることが重要だとも考えた。ヨーナスはアニカが話してやったり、読んでやったりすることで学んだ。一方エレーンは、絵や写真、フィルムを見ることで学んだ。たくさんの詳しい絵や写真が載っている教材がエレーンには役に立つとアニカは考えた。そして以前は生徒達はカセットテープに録音された教材を使っていたが、CD-ROMの方が、見たいページを見つけたり、テキストのどの部分を読み上げるかを選んだりするのがずっと簡単なので、明らかに有益であると締めくくった。生徒が見たいページに行くためにしなければならいのは、頁番号を書いてリターンキーを押すことだけであった。しかし、アイコンを使って表示されているいくつかの機能は余計で、あまり生徒には役に立たないとアニカは考えていた。

ヨーナス自身は、麻薬に関する情報検索をしていたとき、グループワークは楽しいと感じていた。ヨーナスは、自分のグループが最初になれるようイニシアチブを取った理由の一つは、以前一度、特別なニーズがある生徒のための教師、ブリットと一緒にCD-ROMの図書を使ったことがあったからだと述べた。ヨーナスはCD-ROMのほうが従来の図書やインターネットよりも取り組みやすいと思っていた。なぜなら、情報がずっと早く見つけられるからである。「インターネットでは何か見つけるのに長いことかかってしまうことがある。・・・・・検索が得意な人もいるけど、そういう人は、ほしい情報を見つけるために使わなければならない特別な言葉を知っているんだ。でも僕は情報を見つけるのがとても苦手だから、代わりにCD-ROMを使った。凄くよかったよ、それに早かった。」(ヨーナス)

ヨーナスは読み上げるスピードを変える機能やテキストの前後に移動する機能が大変役に立つと歓迎しており、また、新しい単語や難しい単語が説明してもらえるので、語彙力が向上したと感じていた。「読むのが速すぎるから、ゆっくり読み上げるように変えられるのはいいね。・・・・読み上げるのを聞きながら、自分でもテキストを読めるし。」(ヨーナス)

練習プログラムを用いた特別なニーズがある生徒の指導

ニィトゥーンスコーラン校の7aクラスには24人の生徒がおり、そのうち3人に障害があった。スヴァールデモ・オーベルは特別なニーズがある生徒のスウェーデン語の授業のフィルムを観察した。その授業では、アントンとダービットッそしてマットゥが練習問題に取り組んでいた。フィルムには、生徒達が教室にやってきてデスクトップのコンピューターの前に座る様子が撮影されていた。教師のブリットは、一人一人の所へ行って、いろいろな練習プログラムをやってみるように言った。マットゥはテキストを読んで読解の練習をしようとしていた。ブリットは彼に適した読みやすさのテキストを見つける手伝いをした。アントンは重子音の綴り方に取り組んでいたが、2,3回間違えたので、ブリットが前に学んだ綴り方の規則を思い出させた。ダービットッはそれよりも簡単な練習プログラムに取り組んでいた。それは、実際はもっと年少の、7歳から12歳の生徒を対象にしたプログラムであった。マットゥは頭の後ろで手を組みながらテキストを読んでいた。ときどき大きなあくびをし、また、いすを前後に傾けながらぼんやりと座っていることもあった。その後、ブリットは練習をやめて、授業の残り時間をスピーチの課題に当てるよう提案した。授業は、生徒達がブリットにもう休み時間であると告げたときに終わった。

ブリットによれば、クラス担任の教師はこの生徒達に宿題を出しすぎることがよくあるとのことだった。また、中学レベルの教師は他の教師に比べて、生徒に補助教具としてコンピューターを使わせるのをためらうということも採り上げ、教師達は様々なツールがどのように利用できるかについていつもしっかりと把握していなければならないと語った。教師が生徒と協力して補助教具を使った活動することはほとんどないとブリットは感じていた。

3人の生徒は皆、練習プログラムは便利だと考えており、このプログラムが読み書きの力を向上させるのに役立つと思っていた。アントンは、練習プログラムはおもしろくて使いやすくなければならないが、あまり子どもっぽいのはよくない、と語った。そして、プログラムが退屈で刺激的でないことがよくあると述べた。「しばらくすると覚えてしまうんだ。最初の10個の単語を正確に覚えれば、・・・・・あとはただやり続けるだけだし。」(アントン)

マットゥは練習プログラムがつまらないと考えていた。また、この方法では、自分が指導に与える影響は限られていると述べた。「やれといわれたことを何でもただコンピューターを使ってやるだけ。決めるのは僕ではなく、先生の方だ。」(マットゥ)

3人は皆、識字力を向上するための手段としてよりも、書く能力と綴り方の技術を向上させる補助的な手段としてコンピューターを信頼していた。スヴァールデモ・オーベルによれば、これはおそらくコンピューターに音声合成装置が何も備えられていないからである。マットゥとアントンは練習プログラムよりもワープロで綴り方と上手な書き方を学んだと感じていた。そして、ワープロを使って、書くことや文章を切ったり貼ったりすること、また、綴りの間違いを訂正することを学んだと述べた。

「僕は文章を書くとき、ときどき間違えるけれど、コンピューターが間違っているところに下線を引いてくれるので、それが間違っていることが分かるんだ。でも、コンピューターで読む方が、画面が明るすぎてちょっとまぶしいので、難しい。目が疲れるよ。」(マットゥ)

ダービットッは練習プログラムに取り組むのが好きだった。そしてコンピューターの方がやる気が出るし集中力も増えると感じていた。アントンは他のメディアもまた同じように重要であることと、中学の教師は柔軟性のある学習活動ができるようにさせてくれないということを主張した。「僕はただ座って何か興味深いことを聞いていれば、とてもたくさんのことを覚えられる。テレビを見たり、聞いたり、絵や写真を見たりすることでね。社会科の先生が話をするときも同じさ。とてもたくさんの興味深いことを話してくれるから、聞き漏らしたくないんだ。」(アントン)

音声認識プログラムを用いた特別なニーズがある生徒のための指導

7aクラスのアントン、マットゥそしてダービットッと、6cクラスのヨーナスはDragonDictateという音声認識プログラムを使って活動する機会を与えられた。フィルムでは、ブリットがこのソフトについて、生徒が文章を作成しやすくし、綴り方の力を向上させると説明した。このソフトでは、全ての文章の作成が、文章をワープロのプログラムに音声で語ることによって行われる仕組みになっている。ブリットは、プログラムが進歩したので、使い方を学ぶのに長い時間がかかると言った。初めに、およそ500語の単語を読み上げて、個々の人の声を認識するプログラムの性能を高める。これによってプログラムは音声認識を訓練するわけで、ブリットはそれぞれの生徒の隣に座り、ささやき声で話した。生徒はたいてい一つの言葉を1回から5回言わなくてはならなかった。マットゥは普段よりもずっと集中しており、どんなときも画面から目をそらさなかった。一方ダービットッは、プログラムがもう一度読むよう要求したときに何度かいらついた。

アントンは文章をマイクロソフトのワードに読み込む練習をした。彼は本から引用し、「パーティーは ― 少しも ― ばかげた ― ものでは ― ない・・・・・」と読み上げた。DragonDictateはスウェーデン語の「ばかげた(larvigt)」に当たる言葉を、「だめな・ひどい」を意味するjavligtと解釈してしまい、選択肢の中に、正しい言葉は一つも表示されなかった。そこでアントンは、この言葉のスペルを入力し始め、4文字入れたところでlarvigtが第一選択肢として現れた。

ブリットはヨーナスがコンピューターに向かって自由なテーマで話しをしていたとき、その場にいなかった。ヨーナスは彼が見た映画について話しており、DragonDictateは、ときどき間違いを訂正することはあったが、その話をきちんと解釈していた。「映画は ― 殺されてしまった ― アメリカの ― 若者の ― 話だった。」この中で、「殺されてしまった」という言葉はスウェーデン語で複数形の語尾がつく(mordade)のだが、単数形として(mordad)として解釈されてしまった。しかし、選択肢のリストの2番目に正しい単語があったので、Jonasは授業時間中ずっと中断することなく話し続けた。

ダービットッも自由なテーマで話をした。彼は自分自身のことについて話すことにし、マットゥも同じテーマにした。しかし、マットゥは何を言うか考えるのが難しく、文章の内容を構成するのに大変苦労した。20分集中してがんばったが、とても疲れてしまい、やめなければならなくなってしまった。

ブリットは、既に何度も失敗の経験をし、そのために自分の能力に自信が持てなくなってしまった生徒達にとっては、このプログラムは難しすぎるだろうと考えた。そこで撮影されたシーンを再生したとき、教師の役割に関してディスカッションがもたれた。ブリットは、読み書きの障害がある生徒は、音声プロフィールを確立するときと、コンピューターが聞き取った単語の選択肢リストを読むときに、教師のサポートを必要とすると感じていた。

多くの場合、生徒は自分が単語を間違って書いていることに気づけない。ブリットは、音声合成装置の助けを借りれば、これが補えると信じている。この装置を使えば、生徒は自分が書いた文章を聞くことができ、綴り方の間違いが分かるのである。全ての生徒が、綴り方と、自分自身を表現することの両方について深刻な問題を抱えているが、DragonDictateは文章作成を簡単にし、生徒が自己表現するのを助けてくれると、ブリットは指摘した。そしてヨーナスとアントンについて、何か意味があると思うことについて話すのは簡単だが、綴り方が苦手なので書き言葉を使うのに慣れていない、いわば口頭型といえると説明した。DragonDictateは、そんな二人に書くという可能性を提供したわけである。一方、マットゥとダービットッにも主に綴り方の問題があったが、同時に、口頭と筆記の両方について言語能力が大変低いので、このプログラムは他の二人の様には役立たなかったのである。

ブリットは4人の生徒全員が、プログラムに取り組んでいるとき、やる気と集中力とを持ち続けられたという事実に、大変感動していた。そして、ヨーナスがおそらく、マットゥやダービットッよりも先に、作文やテストや書く課題にDragonDictateを使い始めるだろうと考えていた。ブリットは、プログラムには補助的な面と訓練の面の両方があるという事実を強調した。綴り方の問題を補う一方で、綴り方や文法や想像力の技術の訓練も行うわけである。更にブリットは、生徒は、普段使っている言葉や概念よりも、もっと難しいものに挑戦していたと続けた。その様子を見て、ブリットは、プログラムが生徒の同時処理能力を鍛えていると考えた。生徒は言葉を聞き取って、コンピューターが正しい言葉を書いたかどうかをチェックし、選択肢リストから言葉を選び、コマンドを入力し、正しい単語を綴って入力し始めなければならないからである。「これは訓練プログラムですが、補助的なツールでもあります。ただし、生徒はそうは理解していません。練習プログラムの前に座ってやる、あまり大変ではない読み書きと綴り方のよい練習方法だと思います。(中略)この形式だと、生徒は、正しい言葉の形が選べたか、また、正しい語尾が選べたか確かめるために、いつも考え続けていなければなりませんし、他では全然気にかけないような言語学的な構成についてたくさん話しあうきっかけになります。書くプロセスこそ、本当の訓練をする場なのです。」(ブリット)

アントン、マットゥそしてダービットッは、最初の学習段階を、退屈で難しく、いらいらさせると感じた。一方ヨーナスは、特に大きな問題もなく、読み上げのリストに取り組めたと感じていた。しかし、4人全員が、第二段階については大変肯定的に受け止めていた。

ヨーナスは読むときに当てずっぽうをいう傾向があった。「時間をかけて単語を見るのが難しいんだ。それでときどき間違って言ってしまう。例えば、いびきをかくこと、いびき、いびきをかいたという3つの言葉があったら、ちょっと急いでいると最初の単語を読むだけになってしまうんだ」(ヨーナス)。彼はまたプログラムが特別授業でしか使えないので、学校の他の課題に利用できないと不満を漏らした。そして、もっとアクセシブルにしてほしいと望んだ。「そうすれば休み時間や放課後を使って練習ができるのに。それに僕はDragonだけを練習しているんじゃなくて、スペルの練習もしているんだよ」(ヨーナス)。彼の希望は他の生徒にも共通していた。しかし、そのうちの誰も、プログラムを他の生徒と一緒にグループで使いたいとは考えていなかった。そうすると交代で書かなくてはならないからである。

4人の生徒は皆、このプログラムを使い続けたいということに同じ理由を挙げた。それは、このプログラムが自分達のつたない読み書きの力を補ってくれるというものであった。そして、プログラムを使うことで4人は、人に理解される文章を書けるようになるには、言葉をもっと注意してはっきりと発音しなければならないということや、内容をきちんと構成し、文章を訂正したり、編集したりしなければならないということに気づいた。

スヴァールデモ・オーベルは更に2つの学校で同様な調査を実施した。アバックスコーラン校では、2人の高校生がDragonDictateに取り組む機会を与えられた。撮影された場面では、ステファンとジィミィが一緒に座っていた。明らかに二人は、自分たちの能力不足よりも、ソフトが犯す間違いへと注意を向けることができていた。間違えているのは自分たちではなく、コンピューターの方で、その間違いを正して、教えなければならなかったからである。二人の教師、グッニッラは、このプログラムが言語学的な能力はあるが、書くことと綴り方に関して深刻な障害がある生徒に、新しい世界を開いたと述べた。彼女の同僚のアグネスは、特別なニーズがある生徒のための教師にとって、生徒に適切な量の訓練を決め、学校の活動の一部として機能的な補助手段をいつ導入すべきかを判断することは、まわりとのバランスをよく考えなければならない問題であると語った。

最後に、スチューベスコーラン校の7年生の教科を担当する教師であるペーテルとソフィアが、もし学校経営者が、教育にコンピューターを利用する仕組みについてもっと厳密な指示を出せば、コンピューターを補助として使う指導が、今よりもっと迅速に実施され、教師にももっと一般的に利用されるようになるであろうと述べた。また、二人の教師は、コンピューターを担当する人がコンピューターの利用についての革新的な考え方に対して、明らかにかつ非常に抵抗を示したために、学校でのコンピューター利用に対する関心と一般的なアクセシビリティーが失われてしまったと感じていた。

エヴァ・スヴァールデモ・オーベルの調査は、特別に改良されたソフトを搭載したコンピューターが、これらの障害がある生徒によって意図的に使われたとき、明らかによい影響がもたらされるということを示していた。その後、ラース・ネースルンドは、「教育の自由の実現 義務教育におけるコンピューターを使った自主学習のケーススタディ」という報告書の中で、全ての生徒がポータブルコンピューターを持っている学校で、どんなことが起こったかを発表した。「うまくやっていける生徒は、“レーサー”のように進んでいく。少なくとも時折、このようなことが起こる。

生徒は、課題に必要とされる全ての能力と特性とを使い、自分たちより恵まれていないクラスメートを「待つ」ことはしない。」とネースルンドは語り、こう続ける。「読みの障害がある生徒は、当然の事ながら、もし(1)書かれた情報を以前よりも頻繁に与えられたり、(2)その情報が以前よりも難しかったり、(3)特別なニーズがある生徒のための、障害を補い、支援することができる指導を受けることなく情報を与えられたりしたら、ますます傷つくことになるであろう。」

この意見は、本筋から離れたコメントに過ぎなかったが、ウッラ・リース教授によってまとめられた「学校におけるITの理想と実践に関する研究のまとめ」という報告書にも、同じことが書かれている。リース教授は、学校におけるコンピューター利用に関する数多くの事前評価を行った。同教授は、1999年に、特別な支援を必要としている生徒達が、学業面で遅れてしまう危険があると懸念する教師達に、初めて出会ったと語った。しかし、まさにこの支援を必要とする生徒達こそ、前述のネースルンドの報告書で、コンピューターを活用し大きな成功を収めたと記された者達なのである。リース教授は、「否定的なレポートが2,3あれば、基本的な教育学的問題が存在することを示すのに十分である。またおそらく政策上の問題もあるのであろう。」と述べた。

代わりの教材の利用

それでは、代わりの教材の利用に関して、現在の状況はどうなっているのであろうか?2000年には、SIH(スウェーデン国立障害児教育研究所)が74,704,000スウェーデンクローネを教材制作費として当て、その販売により17,698,000スウェーデンクローネの収入を得た。高等教育を受けている学生にサービスを提供するため、TPB図書館は、26,588,000スウェーデンクローネの、自由に使うことができる補助金を受け、48,000スウェーデンクローネの収入を得た。高等教育での録音教材の需要は1990年代に爆発的に増加し、今日ではディスレクシアの人々が、利用者の中で飛び抜けて大きなグループを構成している。これは、高等教育以外の教育システムにおいても需要があることを表している。

スウェーデン学校教育庁によれば、義務教育では親も教師も、代わりの教材を使うことで、本当の意味で問題を解決するのは大変難しいと考えている。しかし教育局は、3年間の録音図書プロジェクトがいったん終わっても、この分野における努力をやめることはなかった。2000年には録音教材のために723,000スウェーデンクローネの奨励金を支払い、その翌年には、1,500,000スウェーデンクローネを支払った。

出版社は専門会社に特別な教材の制作を外部委託することがよくあり、その代わり、教育局からときどき補助金を受け取っている。朗読・録音会社のInlasningstjanst社が図書の録音をするケースが非常に多いが、同社ではいまだにカセットテープに録音をしている。ただし、要望がある場合は、DAISYフォーマットでの制作も行っている。しかし、2002年からは、全ての新しい教材をDAISYフォーマットでも制作し始めた。(古い教材についてはやっていない。)出版社は自社のカタログではこのような図書の宣伝をしておらず、Inlasningstjanst社のカタログについて脚注で触れているだけである。

録音図書は従来の印刷された図書に比べて3倍から5倍値段が高い。この価格の高さは、出版部数が1部から10部と、大変少ないという事実によって説明できるであろう。しかし、学校教育庁から補助金を得て40部ほど制作された図書もある。その一つが、「宗教その他」というA&W社によって出版された図書である。出版社で印刷された図書の価格は、206スウェーデンクローネで、Inlasningstjanst社が制作したカセットテープの図書は160スウェーデンクローネの値が付いている。しかし、高価な印刷図書よりも安い録音図書の方が需要が高いということはない。これは買い手、すなわち教師や学校が、クラスの他の生徒達がどちらの図書を読んでいるかによって買う図書を決定しているという事実によるのは、確かである。教師や学校は、生徒が指導についてこられるようなら、一番安い録音図書を買う自由はないのだ。

代わりの教材を必要とする生徒は、印刷された図書と録音図書の両方がいるので、その費用はしばしば学校の予算を超えてしまうと考えられる。そこで出版社は、これでは全く需要がないと解釈してしまい、そのような製品の開発に対する「市場」の関心が低いままなのである。

補助教材の利用状況は、全国で違っている。とはいっても、ワープロやインターネットのような標準的な装備以外のものを利用できる生徒はほとんどいない。特別なニーズのある生徒のための教師も、決して全員が音声合成装置を利用できるわけではない。数々の倒産や企業合併を経て、DragonDictateは現在市場では手に入らない。しかし、ここで、録音図書の新たな標準規格が出現した。

様々な代表的な録音図書教材の価格一覧表

  題名 対象年齢 出版社 印刷図書 カセットテープ DAISY
  保健体育 高校生 B. Urb SEK174 SEK850 SEK900
  歴史 10-12歳 A&W SEK104 SEK480 SEK530
  算数 10-12歳 A&W SEK136 SEK480 SEK530
  スウェーデン語 10-12歳 B. Utb SEK100 SEK280 SEK330