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IFLAダーバン大会参加者・SAPESI意見交換会 報告要旨2

南アフリカの教育について

蓮沼●

今から、教育のところをお話いたします。(配布資料-「2.南アフリカの教育事情」参照

南アフリカの教育制度ですけれども、小学校7年間、これは義務教育です。グレード1からグレード7、1年から7年までが義務教育です。8年生、9年生が中学校です。10、11、12が高校生です。

ここにちょっと書いておきましたけれども、アパルトヘイト時代、94年までですね、これは、黒人は初等教育、義務教育がなかったんです。人間扱いされていませんでしたから、ほとんどの人達が学校に行けませんでした。8割から9割が学校に行っていなかった。その理由というのが、田舎のほうは、ホームランドといって押し込められましたね、農場にとられて。そういうところに学校はない。それから一部は農場でレイバーとして働かされた。そういうところもあまり学校はない。それから大都会は、いわゆるパス法というのがありましたね、国内のパスポートみたいな。白人のところへ行く時は、パスポートがないと行かさしてもらえない。子ども達も行ける場所は限られているから、とてもとても学校なんか行ける感じじゃなかったですね。

そんな中で、非常にユニークなのですが、辛うじて黒人の教育をやったのが、キリスト教の教会です。田舎のほうの。牧師さんが子ども達を集めて、黒板にチョークで字を教えて、子ども達が真剣に「エー」、「アップル、エー」ってやって。英語が中心だったと思いますけれども、やっていた。それで、マンデラさんが教会で勉強させてもらって、チャーチスクール、日本の寺子屋ですよ、チャーチスクールというのは。勉強をさせてもらって。それで大学へ、教会がサポートして行った。彼は非常にユニークな例ですよね。大学に入って弁護士の資格をとって、アパルトヘイト反対活動を始めて捕まって、自分で自分を弁護して死刑は免れたというようなエピソードもある。『ロング・ウォーク・トゥ・フリーダム』、あの本を読むとそういうことが書いてありますね。

ですから、今大人は、食うに困って犯罪に走らざるを得ないんですよ、勉強をぜんぜんやっていなかった連中が大人になっているから。だから、私達はそれではまずいと、なんとか勉強の基礎の読み書き、この本でもね、なんとか図書館に送り届けることはできないかな、というので始めたわけなんですけれども。

91年にマンデラさんが釈放されて、93年からANCが本格的に活動して、93年に総選挙があってマンデラさんの政権が始まりました。それで、彼はもう自分達のウィークポイントをよく知っていますし、やらなきゃいけないことをよく知っていますから、まず教育を、黒人全員に、国民全員に、子ども達全員に教育を施そうということを決めたようです。

それで、かつては白人しか行けなくて、黒人は1割、2割しか行けなかったのがですね、全部の子ども達を学校に入れろというのでたいへんな勢いで学校を作りました。現在では、入学率はだいたい9割を超えています。州によってちょっとばらつきはあるのですが、お金持ちのハウテング州になると92~93%行っていますね。お金のない州ですと88%くらい、州によってばらつきはありますが、ほとんど90%を超えています。

さらにいいことは、2年くらい前から学校給食を始めました。お昼をただで食わしてくれるのですが、それまでいたストリート・チルドレンが、学校の給食があるのでそっちへ行くようになった。ですから今、あんまりストリート・チルドレンはなくなりましたね。私が来たときにはけっこういたんですよ、それが今だいぶなくなったですね。

南アはご存知のように、エイズでお父さん、お母さんがどんどん亡くなって、黒人の社会は母系社会で、おばあちゃんがだいたい一家の長みたいになっているんですね。子ども夫婦がヨハネスブルグでお金を稼いで国元へ送るというふうになっていたんですね。それで、ちょっと余裕ができると子ども達を呼んで、都会で生活を始めるんですけど、そのときにちょっと何かあってエイズになって、旦那が死んで、奥さんが死んで、そうするとだいたい子どもはおばあちゃんのところへ帰って、おばあちゃんが育ててくれるんですね。ところが、おばあちゃんがやっぱり年取っているから、先に死んじゃいますよね。そうするとしょうがないから、子ども達だけで生き延びなきゃいけないわけですよ。だから、スラム街に行くと12~13歳くらいのお兄ちゃん、お姉ちゃんが弟達を食べさしているのがいますよね。

そういうところなんか、地域の学校というのは、つまり昼の給食は非常に大事なんですよ。それから、一部の優しい校長先生がいるところは、見るに見かねて夕方に重湯を作って食べさせていますよね。それから、かなりよく、月曜日になると、ふらふらになって来る子がけっこういるんですよ。それから夏休みに、終わると何人かが学校に来ない。夏休みが始まる前にできるだけ食べ物を脇へどけといて「これを持って帰りなさい」ってやるんだけど、何人かはやっぱり帰ってこない。死んじゃうんです。飢え死にしてね。というような話がある。

それは、やっぱり教育がないからなんですね。私は会社をやっていましたからよくわかるのですが、雇えと言ったって、読み書きができないと雇えないんですよね。それは無理です。だからやっぱり、読み書きそろばんが大事なのかなあ、ということになってくるんですね。

それで、幸いにして9割を超えるような子ども達が学校に行くようになったし、無料給食もやるようになって、ようやくかなりこの頃義務教育が普及してきた。

今文部省が言い始めているのは、量的な拡大はだいたい終わったけれども、そろそろ質的な拡充をしようではないか。その質の最大、3つくらいのポイントがあるのですが、識字能力の向上です。これは、子ども達は、ほとんど黒人の子どもは自分達の母語を持っていますね。ズールー語とかなんとか。それで、読み書きを覚え始めるんです。ちょうどアルファベットみたいなものですけれども。

ここに本があります。面白い本なのですが、11のランゲージがあって、それぞれの言葉で書いてある。ここにありますね、これは英語で言うと、「to enjoy the very best the world has to give」とあるわけです。それをやると他の言葉になる。全部、11のランゲージで出ています。これは今お回ししますから、ちょっとご覧になってください。

これは現地の子どもの絵本です。わずかながら、少し現地の本があるんです。これが、救われるところですね、まだね。

1年は、現地語で勉強をし始めます。2年。3年になると今度は英語の勉強が始まります。4年からは、教科はとにかく英語でやるんです。黒人の先生が、理科を母国語でない子どもたちに英語で教えるわけですよ。これはもう無茶苦茶な話ですね。そういう前例がないわけじゃないですよ、たとえばインド、ヒンドゥー、ウルドゥー、パンジャービー、いろんな言葉がありますね。でも、教育のインストラクションの言葉としては英語になっていて、それなりに成功していますよね。だからここもそれを狙っているのですけれど、さて、これはたいへんだなと。

まず、一番大事なのはやっぱり言葉ができないとだめなので、識字能力、読み書きの改善をしようと。ハンディキャップがある。さっき言ったように11の言語があり、子どもは言語は英語だよ、と。図書室のある学校は5%以下です。今日、あそこの先生の、州によって30%あるなんて、嘘です。あるんですけども、行くと、ライブラリと書いてあるけど物置。つまり、ライブラリを作ったつもりなんだけど、いつまでも物置になっていて使わないし、使えない、というのが現状ですね。元、白人が行っていた学校、モデルシース、エクスワイスクールというのですが、ここはアパルトヘイトの時から立派な図書館があったので、それは今でもきっちりあります。黒人はやっぱり原則、だいたいとしてはないと言っても差し支えないと思います。

二つ目は、数学と理科の教育の改良、これをしたい。面白いのは、黒人の言葉というのは、日本の大和言葉に似ているようで、やおよろず、みそひともじ。それで、長い数字を表すんです。それで、数字だけはどんどん英語で言っています。だから、夕方、アフリカ人の言葉のニュースを見ると、数字になると「two thousands six」、ぱっと変わるんですよね。ことほどさように、英語が、数学だとかに問題があるようです。これを一所懸命なんとかしようと。

それからもう一つは、先ほど言いましたように、先生の大半というのがチャーチスクールで読み書きがちょっとできるから代用教員になって、そのまま教員になった人が多いんですよね。だから子どものときに都市なんか見ていないんですよ。だから、代用教員上がりの先生達が多いですから、先生としての能力が高くない。この先生の能力をどうやって向上させたらいいだろうというのが、文部省のチャレンジの一つです。

これが主なところなのですが、やはり先ほど言いましたように図書館、旧白人校中心ですから、黒人、新しい学校はどんどん今できていますので、ないところでもプレハブの校舎を作っているのですけれども、図書室はない。本を読まない限り子ども達は識字能力は上がりませんから、図書館車でぐるぐる回ろうということです。これが私達のアクティビティの中心です。