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本の力―世の中を変える? IBBY(国際児童図書評議会)の取組み

ハイジ・コートナー・ボイエセン
IBBY(国際児童図書評議会) 障害児図書資料センター

項目 内容
会議名 2004年第29回IBBY(国際児童図書評議会)大会 ケープタウン、南アフリカ
発表年月 2004年9月

国際児童図書評議会(IBBY)障害児図書資料センターは、IBBYとノルウェーの特殊教育研究所の協力で1980年代初めに着手された2つの国際協力プロジェクトの延長として、1985年、Nina Askvig Reidarson(ニーナ・A・ライダーソン)により、彼女の母国ノルウェーに設立されました。これらのプロジェクトは、ノルウェー人作家で(オスロ大学)文学部教授、障害児の母親でもあるTordis Ørjasæter(トルディス・ウルヤセーテルないしはトーデス・ウィリアセーター)の指揮下で進められてきましたが、IBBYのLeena Maissen(リーナ・マイセン)元事務局長の熱心な支援なしには実現できなかったでしょう。この協力によって、UNESCO後援の障害児に関する2つの小冊子と読み物『本は友だち : 障害をもつ子どもと本の出会いのために』(1981年)および『言語障害児のための本』(1985年)が生まれました。

IBBY障害児図書資料センターの目標は、特に障害児向けの図書の調査、作成、仲介および利用を促進することです。当センターは、障害児、その家族、関連支持組織だけでなく、教師と学生、研究員、司書、出版者、作家、イラストレーター、政府、マスコミに対しても情報、相談、資料サービスを提供しています。当センターは、外部のユーザーと協力して図書と資料のチェックを行っており、これらの作業に関心がある人は誰でも受け入れています。

当センターでは、IBBYの国際的なネットワークを構成する個人や出版者の助けを借り、特別の支援を必要とする子どもたちに関する広範囲にわたる蔵書を維持および拡大しています。現在、蔵書数は約4000タイトルです。

最も重要な点は、当センターが「障害児向け優良図書」(1999年および2001年)のようなプロジェクトを通し、IBBY世界各国支部からの支援を受けていることです。これは、各国で出版された障害児向けの図書の中で最も優れていると認められた図書をリストアップするプロジェクトです。これまでと同様、次回の選考もボローニャ児童ブックフェア2005における巡回展示会で開始される予定です。(注 この原稿は2003年秋に書かれたもの)優良図書は、これまで、国内および国際的な会議、ブックフェアや展示会で展示されてきました。図書を評価および選考するときに重視されるのは、特殊教育のツールとしての潜在的な有用性だけではありません。子どもたち向けの娯楽の形態としての質も、その国の文化の一面としての質も重視されます。

2002年8月まで、IBBY障害児図書資料センターは、オスロ大学の特殊教育研究所内におかれていました。その後、Haug校・資料センター(Haug school and Resource Centre)に移管されました。Haug校は、自閉症、重複障害または学習障害を持つ110人の障害児をかかえる市立学校です。同時に、親および支援者、幼稚園、学校のために資料センターも運営しています。蔵書数は絵本、小説、ノンフィクションを合わせて10,000タイトルを超えています。

私は、健常児のための司書を20年以上務めた後、同校の図書館長を務めて11年になります。障害を持つ生徒との最初の出会いはある朝のことでした。せいぜい8~10歳にしか見えない小さい女の子が車椅子で図書館にやって来ました。とても弱々しそうで、眼でしかコミュニケーションをとることができませんでした。付き添いのヘルパーさんが、彼女にふさわしい図書を探して欲しいと言いました。さらに「メアリーは18歳です。彼女は強くて勇敢な女の子の話が好きです!」と付け加えました。この少女の好みは、自分では決して経験できないけれど、読むと気持ちがわくわくするような、すなわち愉快で冒険的な気持ちになる内容の話であることは明らかでした。例えば、彼女が長くつ下のピッピがお気に入りであることを知っていますが、ハーマイオニー・グレンジャーも好きだろうと推測されます。

昔からいつも、私の最大の念願であり、夢の1つは、本で得られる全ての素晴らしい冒険への鍵を子どもたちに運ぶことです。しかし、すべての子どもたちが、これらの驚きを経験する機会を得られるわけではありません。ある無名の詩人の言葉を引用すると、「世界で最も偉大なものは文字である。なぜなら、全ての知恵がその中に込められているからである。ただし、単語と単語を一緒にした意味のある文を理解することは別の話であるが。」ノルウェーではあらゆる手段を尽くしても、人口の20~30%が単純なテキストの読みと理解に苦労しています。10%は、文学作品の特別な作り直しが必要です。人口の2%は、書かれた情報を見たり処理したりすることができません。この最後の数字には、病気のため読むことができない障害者または慢性病患者が含まれています。彼らの物質的なニーズと権利は改善されましたが、文化的なニーズと権利は情けないほど軽視されています。

Tordis Ørjasæter(トルディス・ウルヤセーテルないしはトーデス・ウィリアセーター)は、(以下のように)非常に適切に表現しています。「読むことができない、または、話すことに大きな障害を抱えている場合でさえ、どの子も、どの若者も、本によって人生を楽しむ権利がある。絵本は、言語の発達を促し、社会参加を助けることができる。本は、孤独感を減らし、芸術的体験や文化的体験や喜びを与えてくれる。」

国連の機会均等に関する標準規則(1993年成文化)は、各国に対し、障害者を社会に含め、他の人と平等に文化活動に参加できることを保証するよう、強い倫理的および政治的な責任を求めています。もちろん他の人と同様、障害児も知的能力、年齢、経験、興味の点でお互いに異なっています。障害の性質と影響は様々であり、障害に対処する能力も異なります。一部の新しい考え方の政治家たちは、知的障害者も本を楽しみ、意外に思うかもしれませんが、実は本からたくさんの恩恵を得ているということを理解しています。しかし知的障害者が音楽を愛し、スポーツが好きなどの考えは一般に「受け入れられ」やすいものですが、本や読書を楽しんでいるということは、通常、知的障害者には完全に欠落していると一般に考えられているスキルが必要なため、そのことはなかなか理解されなかったり受け入れていただけません。

障害のせいで読書に困難があるため、障害児には特別に作り直した本が必要です。以前から、視覚障害児には、彼ら向けに特別に作られた本がありましたが、言語障害児または読書障害児向けに作られた図書はほとんどありませんでした。今日では、障害が異なれば必要とされる図書の種類も異なることや、これらの図書は一般の児童図書と同じ芸術的な質と多様性を持つものであるべきだということが分かってきています。

生まれつき視覚障害を持つ児童は、主として聴覚と触覚を使って、自らの言語と頭の中のイメージを作り上げています。聴覚と触覚は、彼らが言葉と概念の意味を理解するときに依存する感覚です。私たちは、視覚世界、すなわち言語が通常、視覚体験に関連する符号に基づいている世界で生きているので、多くの視覚障害児には、耳にしたり、使い方を学んだりした単語と概念の意味を十分に理解できません。しかし、ほとんどの視覚障害児にはある程度は視力があるので、大型活字や絵はどの程度見えるのか、他のメディア形式(点字または隆起印刷など音声や触覚に基づくもの、触覚画像(隆起画像)、テープ図書、音声(聴覚)イラスト付き図書に基づくもの)を必要とするか否かを的確に知ることは重要なことです。

さわる絵本は、視力障害児に絵本を楽しむ機会を与えてくれます。これらの本は触覚と、形を認識し解釈する技術に刺激を与えます。従って、後で点字を学ぶ準備になります。イラストが視覚障害児に理解できるものであれば、さわる絵本は言葉の発達を助けることができます。ただ、たとえ隆起印刷になってさわれるようになっていても、視覚体験のない子どもたちが従来の写実的な絵を理解するのは難しい場合があることがわかっています。さわる絵本の中には、小さい非具象的または幾何学的な形や文字が物語を作っているものがあります。(Virgina Allen Jensen,バージニア・A・イエンセン  Philip Newth フィリップ・ヌート)。従来の絵とはちがって、これらの形を理解するのに視覚体験は必要ではありません。視覚障害のある子どもとない子どもとが一緒に図書を読めるようにするため、点字テキストは標準の印刷の下に、触るイラストの邪魔にならない位置に置かなければなりません。布の絵本は、紙の絵本とは異なる経験を提供することができる、全ての子供が楽しむことができる別の種類のさわれる本です。このような本は、知的障害児または重複障害児がさわったり操作したりして、遊びながら本に対する関心を持てるような後押しになります。残念なことに、さわる絵本は、ほとんどが手づくりする必要があるので、非常に高価です。聴力障害のない子どもたちは、言葉遊びによって言語能力が発達します。自分で言葉を作り、童謡や調子の良い言葉を暗誦します。一方、聴覚障害児は、情報を得るために耳の代わりに眼を使います。聴力障害のない子どもとは違って、聴覚障害児の言語能力は自然には発達しません。誰かが話した言葉を模倣することや、書かれた記号と音とを関連づけることが難しいため、コミュニケーションが複雑になり、書き言葉や話し言語についての十分な知識を得ることが困難になります。従って、たいてい、聴覚障害児の読む力は十分ではありません。聴覚障害児は、コミュニケーションの主な手段として、また、学習言語として、聴力よりむしろ、主として手話を通した視覚的な言語シンボルを使用しています。

聴覚障害児が利用できる本には、まず、手話がついているものがあります。これらの本により、聴覚障害を持たない子どもたちも手話で遊びたくなり、その結果、聴覚障害を持つ子どもとのコミュニケーションができるようになるかもしれない、というおまけもあります。普通の児童書の手話付きビデオは手話と言語全般を刺激し、聴覚障害児には、彼らの第一言語を使った人気図書へのアクセスを与えてくれます。ビデオは手話のさまざまな要素を視覚化するのに適切な媒体ですが、特に幼い子供にとって、必ずしもいおはなしを伝える最高の道具というわけではなく、理想を言えば、標準テキストに手話のイラストを併記した本の代わりとして使うべきではありません。手話付きビデオは、ジェスチャーなどの視覚的な言語を使用する言語障害児や、もちろん、聴覚障害を持たない子どもたちにも楽しめるものです。

知的障害児は、多くの言葉や基本的な概念の使用、理解、そして特に読むことが難しいと考えられています。認知能力に欠陥があり、形状の区別が難しく、絵を読み取ったり文字を認識したりする技術に問題がある子どももいます。たいてい、これらの子どもたちの選択的注意には難しさがあります。すなわち、重要でない要素を除外することができず、細部に注意が向いてしまいがちで、絵やテキストが伝えようとする主要な概念を把握することが難しくなります。さらに、記憶の持続時間が短く、注意力が欠如しているため、物語の中の出来事の順序を理解することが困難です。知的発達が遅れると、抽象思考が制限され、その結果、読者が知らない現象を表しているテキストと絵を理解する能力も制限されてしまいます。けれどこのような子どもたちも、本を読んだり、読んでもらったりすることを通して言葉と概念を覚え、それによって言語を習得し、自己表現の方法を見つけるのです。これが人格形成の基本であることは、ほかの子どもたちとなんら変わりありません。

本の中に隠されているすばらしい冒険に参加するためには、ナビゲーターが必要な子どもたちもいます。読書への興味が目覚め、好みにかなった適切な本を見つけることがその援助の一部です。読むのが苦手な子どもには、録音図書は良い方法ですが、誰かに本を読んであげることを通して生まれる2人の間の親密さや触れ合いに代わるものでは決してありません。そばにいる相手の肉声は、遠くから一方的に聞こえる録音図書の声よりも、はるかに価値があります。子どもたちに読んで聞かせるときは、喜んで時を一緒に過ごす気持ちがなければなりません。これは、決して犠牲ではありません。本の中のエピソードからたくさんの考えや熟考が行われ、子ども自分の考えを言葉に表す方法を習得したとき、多くの会話が生まれます。本を通して、親は自分の子どものことをもっと知ることができるようになります。本は、価値や考え方について伝えるための中立的な状況を作ります。このことは、障害児の場合でもなんら変わりはありません。

言語障害児の中には、コミュニケーションのためにブリスシンボルなどの絵文字付きの本利用している子どもたちもいます。ブリスシンボルは、国際的な絵を使った非言語的シンボルです。知的障害児もブリスシンボルを使うことがあり、場合によっては、手話、簡単な単語または単純なイラストと一緒に使っています。『Der kleine Lalu』は、標準テキストにブリスシンボルを加えたスイスの絵本です。この絵本では、標準テキストおよびブリスシンボルと、大きく、色彩に富んだ、表現力豊かな絵とを組み合わせることによって様々な取り組みが行なわれ、ニーズや技術の異なる読者が楽しむことができるように作られています。
障害のある子どもが登場する本をするどい感受性や洞察力によって製作した作家や写真家も何人かいます。そのような本では、その子が障害児であるという事実を強調せずに、主役として物語を語り、イラストで表しています。『スーザンはね…』(ジーン・ウィリス作、トニー・ロス絵、原題:”Susan laughs”)のスーザンは、他の子どもと同じように遊び、行動するただの少女です。読者は最後のページまで読んで初めて、彼女が実は車椅子を使う子どもであることに気がつくのです。彼女は、他の子どもとはその点で違っているだけで、あとは同じなのです。『スマッジがいるから』(ナン・グレゴリ-作、ロン・ライトバーン絵、原題:”How Smudge Came”)の主なストーリーは、障害者の観点から語られています。この本でも、シンディーがダウン症であるという事実は、本文の中では一切言及されていません。

障害児のための特別に作られた本には、平易なテキストと平易な物語による小説、私たちが暮らす社会に関する情報のような鮮やかな写真を載せたノンフィクションまたは印刷物、新聞、図書、そのほかの資料などがあります。しかし、印刷テキストの配置はサイズ、線の太さなどの特定の規則に従わなければなりません。美的な質よりも読みやすさを優先しなければならない場合もあります。図書には豊富なイラストが必要ですが、通常、それにより製作費が高くなります。需要が比較的に限られていることを考えれば、たいていの出版社の観点からは、投資に値しません。

知的障害者用の図書サービスの経験から、知的障害者が本から大きな楽しみを引き出せることが実証されてきました。「一時的に、うまく機能している」(この表現は交通事故で車椅子になったある少女が言ったものですが)その他の人間と同じように、知的障害者が本を利用する理由はたくさんありますが、楽しみや喜び・元気を得るために利用しているのです。

多くの知的障害者は、青年期またはそれ以後になって読書を覚えます。青年向けの図書のイラストは、読み手の経験と背景(見慣れた対象および状況など)を反映しなければなりません。全体的な中心テーマは、読み手の好奇心、感情、興味に訴える年齢相応のものでなければなりません。ティーンエイジャーを扱う場合、たとえ知的年齢が3歳であったとして年齢的な敬意をもって対処し、よちよち歩きの幼児を対象とした本や、その行動を描いた本は避けるようにすることが重要です。

私の知っている知的障害のある男性は50歳くらいですが、彼の好きな読み物は、車やオートバイのカラフルな写真の載った技術雑誌や本です。読むことはできませんが、本は常に彼の人生の中心にあります。彼はまだ幼年時代の歌を大切に覚えています。韻と調子の良い言葉はリズム感を刺激し、自分の身体に対する意識を高めます。絵は認識と理解を刺激します。また彼は図書の好きな人には親近感を覚えています。

多くの子どもにとって、世の中は混沌とした場所です。読書でこの問題が完全に解決されるわけではありませんが、図書の中で、似たような問題を抱える他の子どもたちと出会うことができます。読者は自分の精神世界を作り上げ、「現実の世界」のさまざまな変化にはあまり曝されません。読書は孤独感を減らし、問題を乗り越えるための真の助けとなってくれます。小説は想像力の糧となります。私の大好きな作家、アストリッド・リンドグレーンはこう言っています。「想像力を育てる豊かな土壌として、本に完全にとって代われるものはない。映画、ラジオ、テレビ。これらは全て、表層的な体験である。本は、魂の秘密の部屋に、個人的なイメージを作成する。」スウェーデンの作家、Sven Wernstromは次のように言っています。「子どもには、生きた読み物を与えなさい。新聞を与えなさい。新聞は、毎日新しく、刺激的である。予測がつかないほど豊かで変化に富んだ人間性と、表現力豊かな言語で書かれた小説を与えなさい。小説は、言語と洞察力を得る唯一最高の方法である。子どもたちにどんどん図書を与えなさい!」私の図書館学校の恩師(IBBYのJo Tenfjord元副会長)は、次のように言っています。「子どもたちは読書漬けにすべきである!」

一部の図書館では、障害者またはトラウマを抱える人のために読書オンブズマンを雇っています。読書オンブズマンは、多くの場合、グループホームで雇われていますが、定期的に援助者に対し本を読むよう任されています。ある青年は、犬をなくした少年について書かれた本を何度も読んでほしいと希望しました。この青年は自閉症で、話し言葉がありませんでした。しばしば感情の激しい爆発を起こし、叫んで物を投げつけたりしました。最近、祖父を失ったのに、さよならも言うことも、葬式に行くことも許してもらえなかったことがわかりました。彼は、悲嘆に暮れる少年についての話を読むことを通して、祖父を亡くした気持ちと折り合いをつけることができるのでした。幼い子どものように繰り返しこの特別な物語を聞きたがり、何らかの気持ちの整理がつくまで聞き続けたいと思っているのでした。
「読書療法士」という言葉は新しいものです。しかし、それの背後にある考え方はそう新しいものではありません。実は、お話しを聞かせることによる子どもへの治療効果を最初に発見したのは、おそらくギリシアの哲学者プラトンでしょう。私の理解では、米国では、この種の治療は精神病院で広範囲に行われているようです。移民者や亡命者の子供は自分たちの話を書き、それからその話を大きいグループの前で音読し、議論しています。読書療法では、冒険物語の読書により潜在意識を活動させます。民話と神話は、不快な考えや感情の表現を助けるのに使うことができます。例えば、ヘンゼルとグレーテルは、常に、難しい環境に育った子どもたちを惹きつけています。しかし、希望と信頼を心に残すためには、物語はハッピーエンドであることが大切です。

英国の作家ジョン・ダフィは、文学が、様々な種類の鬱病を抱える人々の生活の質を改善していると確信しています。ある有名なノルウェーの俳優は、暴力と無秩序に囲まれた貧しい地域で育ちました。彼は、臆病で孤独な子どもでしたが、ある友人に公立図書館に連れて行かれたことで、全く新しい世界が開けました。「読書をしているときは、もう一人でない」と、彼は言っています。読書は、彼に精神的な落ち着きと安心感、内省の空間、精神的な成熟を与えてくれました。精神障害を持つ若者に読んで聞かせることについても、同じことが言えると思います。

私たちの学校では、生徒は自由に図書館を利用しています。図書館は楽しむための本や、宿題に役立つ本を探す場所です。また、他人のことを考えて行動すること以外、何も自分に要求されない場所でもあります。彼らは、本を開いたり、お語を聞いたりしている間、ただくつろぐことができるのです。読書とは必ずしも何かを達成しなければならないことを意味しているわけではない、ということを知っているのです。彼らはよく、実際に聞いたことではないことをおしゃべりします。おそらく、物語から、考えがひらめいたり、連想するのでしょう。読書の一番の効果は、コミュニケーションと言葉に表れるのでしょう。「邪魔」なものは、実は、教育と学習の過程で要求される反応と参加です。

司書として、母として、そして、同じ人間としての私の個人的な経験から、優良な児童書読書と文化体験は、健康な者をさらに強くし、障害児とそうでない人々、援助を受ける側とする側とが親しくなる機会を与えてくれます。

最後に、重複障害の生徒のグループのうちの2人、TroyとMonicaについてお話します。彼らは皆、言語障害があって、絵文字や不十分な手話を使っています。これらの問題のせいで、共同作業をするのも遊ぶのも面倒なことでした。ほとんどのコミュニケーションは、教師を通じて行わなければならなかったからです。お互いに話しをしたり、遊んだりするためには、お互いの話し方を理解しなければなりません。ところが、ふたりはある物語を暗記し、共通の経験を作り上げました。すると相手の言おうとしている台詞がわかるときは、必ずしもその言葉を実際に理解する必要はありません。ふたりは、さらに、お互いの心と心を通わせる方法を学び、遊びや会話の相手としてお互いを見るようになりました。

ふたりのお気に入りの図書は、スウェーデンの作家グニッラ・ベリィストロムのアルフォンス (Alphie Atkins, Alfons Åberg)のお話です。教師は、寝つきの悪いアルフォンスの話を何度も読んで聞かせました。この後、ふたりがこの物語を暗記するまで、数回パネルに表示しました。それから、ふたりは教師の指示により、人形を使ってアルフォンスとパパの役を演じました。最終的に、自分たちでそれらの役を演じ始めました。教師によると、ふたりは今では新しい概念と表現を全て身につけ、他の生徒や、他人とさえも、もっと上手く交流できるようになりました。

アストリッド・リンドグレーンは、かつて次のような「祈り」を書き残しています。

ああ、強い妖精たちよ!我が娘に洗礼の贈り物をください。
あなたが普通もたらす美や、健康や、富や
その他すべてのものだけではなく、
娘に読書への渇きを与えてください。
心からお願いです!
なぜなら、娘に掴んでもらいたいからです。
全ての喜びの中で最も美しいものを
得られるかもしれない不思議の国への鍵を。

あるノルウェーの作家の詩も、障害者を、他の人より少ない「手荷物」を持ってこの難しい世界に入ってきた「我々の小さい同胞」と描写しています。この詩に書かれているように、最後の船がまさに出港しようとしているときは、障害者の方がむしろ楽でしょう。持っていかなければならないものは、こころの中にいっぱい詰まった悲しみか喜びだけだからです。

それでは皆さん、彼らに本という魔法の世界への鍵を与えることにより、わくわくする不思議の国への道案内を一緒に続けていきましょう!

IBBYは、第2次大戦後1953年に、子どもの本を通じた国際理解・異文化理解を願い設立された国際児童図書評議会(International Board on Books for Young People)の略称です。IBBYは、子どもと子どもの本に関わるすべてのひとをつなぐ 世界的ネットワークとして、現在本部をスイスのバーゼルに置き、世界中から約70カ国が加盟し活動しています。

http://www.jbby.org/ibby/index.html


掲載者注:
この講演の英語原文は、IBBYのサイトに掲載されています。

Can Books Make a Difference?
Heidi Cortner Boiesen
IBBY Documentation Centre of Books for Disabled Young People
http://www.ibby.org/index.php?id=1014

この講演で取り上げられている『本は友だち : 障害をもつ子どもと本の出会いのために』(1981年)の原文
"The Role of Children's Books in Integrating Handicapped Children into Everyday Life"は、 著者に許諾を取り、全文をDINFに掲載しています。

Ørjasæter, Tordis. The Role of Children's Books in Integrating Handicapped Children into Everyday Life. Unesco, 1981, 46p. (Studies on Books and Reading No. 1)
http://www.dinf.ne.jp/doc/english/access/tordis/index.html

The Role of Children's Books in Integrating Handicapped Children into Everyday Life"を翻訳して出版された 『本は友だち : 障害をもつ子どもと本の出会いのために』(1989年)は、現在は絶版となっています。
著者、翻訳者、出版社に許諾を取り、全文をDINFに掲載しています。
ウーリアセーター,トーディス.本は友だち:障害をもつ子どもと本の出会いのために.藤田雅子,乾侑美子訳.東京,偕成社,1989.3,126p
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/access/book/tordis/index.html