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スウェーデンにおける印刷字を読むことに障害のある人々への図書館サービス-ディスレクシアとDAISYを中心に-

トルネダーレン(Tornedalen)の音楽を追って

文:マリア・キムベリィ(Maria Kimberg)

1974年、二人の若者はノルボッテン(Norrbotten)のフィンランド人集落の民謡を記録する為、カセットプレイヤーを持ち、みすぼらしい車で旅立った。30年以上も経った後DAISYによってそれが実を結んだ。失われていた文化遺産は、メエンキエリ(meänkieli)(トルネダーレンフィンランド語(tornedalsfinska))による、最初のデジタル録音図書となった。

「お眠り、お眠り、草原の小鳥 まどろみなさい、まどろみなさい、セキレイよ」

ルレオー(Luleå)の小さなオフィスにあるPCの傍では録音図書の吹き込みが進んでいた。ハッセ・アラタロ(Hasse Alatalos)の声はメロディックで、彼は柔らかいトルネダーレン方言で読み上げる。「夢のように、もう一度夢を見たい。歌は思い出の中に、そしてすり切れたノートの中にそっとしまっておかれる・・・」。

ハッセは23ページまで進んだが、彼の目の前にあるのは骨の折れる仕事である。彼自身の著作は『草原の小鳥(Nurmen lintu)』というタイトルだが、メエンキエリによる152の節や歌が収められている。

語りの詩文や歌詞が録音図書となったばかりでなく、音楽や歌もその中に収録された。楽譜はあるコンピュータープログラムを用いてピアノで弾かれ、ハッセが始めの詩句をメエンキエリとスウェーデン語で歌った。それはメランコリックで美しかった。

幼少時代の思い出

ハッセ・アラタロはルレオーのラジオおよびテレビのレポーターだ。彼は56歳でトルネダーレンのテーレンデ(Tärendö)にルーツを持つ。

「私の一番強く記憶に残っている思い出は、祖父が2列ボタンのアコーディオンを取り出して私の家の台所で弾いてくれたことだった。つまりこの本に載っている音楽は、私の経歴の一部と言っても過言ではありません。ここにあるのは、何か私の心に触れるもので、これらの節や歌の中に私はいつも新しい世界を発見しています。」

民謡を書き残しておくこの仕事が始まったのは、30年余り前ということになる。ハッセと後の民謡グループ『北の歌(Norrlåtar)』のメンバーになる音楽仲間の一人は、研究会ABF(studieförbunden ABF )より、県内で2ヶ月間民謡を演奏してほしいという依頼を受けることになった。

「私達は古いフォルクスワーゲンで旅をし、ライトビールとファールソーセージで生き延びました。自分達の楽器を携え、ケアホームの集会所で演奏しました。多くの人々に会い、他にはどこを訪ねたらよいか紹介してもらいました。」

「その後はだいたい同じようなことが繰り返されます。最初に『あなたは誰の息子さんですか?』と聞き、続いてコーヒータイムになるのです。そして録音について話すことができたのです。」

この音楽は認められていなかった

ハッセは実際のところ、各集落をめぐることよりも、トルネダーレンの歌のレパートリーを手に入れることに興味を示すようになっていった。ハッセが演奏し、歌っていた『北の歌』が結成されたのもその頃だった。

「私は、トルネダーレンには民謡はないと、よく聞かされていました。」なぜこの北の方では人々が自分達の音楽をそんなに否定するのか、明確な理由はない。しかし音楽を演奏することは罪だとする、ラエスタディアニズムの強い姿勢がその一因となっていることは確かである。自分たちの音楽を否定するもう一つの理由として、人々がトルネダールフインランド語で歌うことがあげられる。

「この言語はこの20年前まではスウェーデンの言語として認められていなかったのです。この言語はそれまで完全に無視されていた文化遺産なのです。」

「若さは、花の茎を手折る死を妨げることはできない」

長い年月を要した録音

1974年の、始めの2ヶ月の記録は、当然ながら満足のいく長さにはならなかった。ハッセは一年を通して機会を見つけては自分で録音を進めていった。彼は消えていく運命にあった音楽をできるだけ多く録音し、全てを「かくあるべき」一冊の本にまとめた。

「この年月の間に私のトルネダールフィンランド語はかなり上達しました。子どもの頃に人々がフィンランド語を話すように奨励されることはありません。それは上品ではないこととされているのです。そこで最も私が覚えることができたのは学校の校庭でたくましい男子達の中でうまくやっていくために必要な「休み時間用のフィンランド語」でした。とはいえ覚えたのは歌を通してでしたが。」

文化遺産と郷土文献

この秋には『草原の小鳥』が録音図書として出版される。吹き込みの提案をしたのはノルボッテンの県立図書館だった。ハッセがルレオーで吹き込み、スウェーデン国立録音点字図書館(TPB)が作成し、この録音したものをDAISYフォーマットに変えた。このタイプの録音図書は、たいてい県立図書館が自ら作成する。しかし図書の文化的価値や単なる郷土文学ではないかどうかによりTPBが作成する。

「それは大変重要だと思います。スウェーデンの文化遺産で、かつ郷土文献であることですね。」 ハッセは言った。

彼は自分のPCを閉じ、私達はルレオーから数10キロメートル離れたガンメルスタッド(Gammelstads)の教会町で写真を撮る為に、車に乗った。ハッセは以前には、美術的環境をアコーディオンで異国情緒で染めることに対してためらいがあると言っていた。しかし今彼は落ち着いてアコーディオンを取り出し、ログハウスや古いダンスホールやノルボッテンの白樺の間で私達の為に演奏してくれた。

その日は少し靄がかかり、小雨が降っていた。カメラマンが働いていた。私はまだ早い6月の夕方そこに座り、音楽を聴きながらこの録音図書ができあがったことに喜びを感じていた。

『みんなの図書館』, スウェーデン国立録音点字図書館(TPB)発行, 2007年第3号, p.7~p.9より翻訳