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スウェーデンにおける印刷字を読むことに障害のある人々への図書館サービス-ディスレクシアとDAISYを中心に-

学びにおける挑戦

スウェーデンディスレクシア協会(FMLS)発行
新聞『読み書き』付録
新聞『聴いて!』p.4

良い読者になる唯一の方法とは、本をひたすら読むことである。その土台となるのは幼い頃に物語や童話を聞くことである。そのための学習は学校に行ってからも継続する。読書愛好家になるには広範囲に渡り、時間もかかる訓練も必要であり、学校にいる時間では足りない。それが起こるのは特に(読書への)渇望期である。私達が自ら望んで空想の世界へと身を躍らせる日が来る。それが生涯続き、より発展する。このように私達が読書を続ける前提ができるのである。

では、もし読書を学ぶのに特別な困難があった場合、何が起こるのだろう?

読み書き困難/ディスレクシアの人々が結成しているディスレクシア協会FMLSの中の多くの人々が、彼らの読書への興味は学校時代の早期に失われたと証言している。なぜならば彼らの読書能力は期待していたよりもはるかに低かったからである。読書の速度が多くの場合遅く、何か読めるようなものを見つけるチャンスさえ失ってしまう。

中には発達障害が妨げとなって、高度な内容の本を理解することができない人々もいる。しかし読み書き困難/ディスレクシアの人にとっては、それは根本的な理由ではない。読み書き困難の生徒は大抵、知的な前提条件は同年代の生徒と変わらないのである。しかし彼らの貧しい読書体験のせいで、読む文章が難しくなっていくにつれ、そこから知識を得ることが困難になっていくのである。これは書き言葉の文法が、話し言葉の文法とは異なるからである。これらの生徒達の語彙は比較的少ない。なぜならば文字を目の当たりにすることが、読書に慣れた生徒に比べて少ないからである。

それに対する反応として、彼らは補ってくれるような様々な作戦を見つけ出す。読めるようなふりをし、内容を推測し、休み時間にクラスメートに質問し、家庭で読書の手助けを得る。しかし何よりの問題は、彼らにとっての読書が、失敗を意味するようになる為に、余暇を読書への渇望に捧げる為の熱意が失せてしまうことである。彼らの努力は大きいのに、成果はあまりにも少なく、それを他の方面に向けたほうが賢いような気がしてしまうものなのだ。より良い刺激と自信を与えてくれる何かへと。

始めのうちは様々な作戦に助けられてうまくいく。しかし時間が長くなればなるほど、読めるとおもった文章が長く、複雑に感じられるのだ。要求するものと能力の差はどんどん大きくなり、それと共に様々な作戦は、より大きな障壁となっていくのである。

この学びにおける挑戦は、それゆえに全ての教師に関係している。またこれらの生徒がその内容を習得できるように行う、彼らに適した授業と密接に関わってくるものなのだ。

新聞『聴いて!』, 新聞『読み書き』付録, スウェーデンディスレクシア協会(FMLS)発行, p.4より