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マリタイムス2010年3月22日発行

No.127 2010年3月22日発行

 旅立ちの三月に入りましたね。まだまだ三寒四温なので、皆さんも十分に体調管理して乗り切りましょう。 桜の小さいつぼみも発見して、季節の足音が聞こえて来そうな感じがします。 新しいパソコンでの最新版のマリタイムスとなります。だいぶ朝も暖かくて目覚めが楽になって来ます。 このところ南の風も強く吹く日も続いているようで、もうそこまで来ていますね。

「熱いバンクーバー日本選手も奮闘!」

 今回のオリンピックでは白熱するような競技に、日本選手も最後まで上位入賞を狙っても、やはり世界の強さにやられてしまったなと思います。最後のフイギュアスケートの女子で、浅田真央ちゃんが光り輝くように見えて、ライバルの韓国のキムヨナに金メダルを取られてしまい何回も悔しいと言っていました。私もドキドキして最初は見ていられなくて、でもりっぱな銀メダルだったなと思いました。さすがに私もラジオだと結果はわからないし、後でテレビをかけたらちょうど表彰式をやっていたので、私は記念にとっとこうと思って写真を取りました。二人がそろって200点以上の高得点を出した事に私も、かなりびっくりしました。お互いにたたえ合うシーンもあり、注目していた二人の戦いは終わりました。負けず嫌いの真央ちゃんの悔し涙が印象に残りました。日本のメダルの最初は、スピードスケートの、長島、加藤両選手の「銀」と「銅」から始まったので、このシーンが私の見たいベスト3で、モーグルの上村選手の涙のコメントもよかったです。日本中が沸いたオリンピックも終わり、次の朝になるといつもの静けさにちょっと淋しさもありました。そして今は障害者のパラリンピックも始まりました。オリンピックでは五個しか取れなかったメダルが、連日のように大奮闘してどんどんメダルラッシュが続いています。開催国のカナダに勝つなどそれ以上にメダルも多くなりそうな気がします。

「母、着付けの試験で一席を取得する」

 自分の趣味の着物にはまってから習い始めた着付けで、2月の15日に着付けの試験がありました。いつも行く前に家で、着物に合わせる帯を出してどうやってできるか、自分でチェックしてそれから、気合を入れて行っています。着付けで習っている仲間とお互いに帯の締め方をチェックし合って、それから着付けの先生に見てもらってから、一人ずつ得点を評価してご褒美があると言うことになっています。そこで母の出した帯が.一番得点が多くて、その結果がなんと.母の帯が一席を取ったと言うので、ちょっとさすがに私もこれにはびっくりしました。家に帰ってきてからも友人などに、携帯で知らせたりメールで送ったりと、その日はめずらしく母は何かコーフンしていました。これはちょっと我家の大きな出来事ではないかと思います。

着付け試験中のお母さん写真

お母さんの顔の絵

「拉致被害者の蓮池さんのドキュンメンタリーを見た」

2月26日の(金)テレビでハイビジョンで100年インタビュ-と言う番組で、その日のゲストが拉致被害者の蓮池薫さんで、どんなふうに日本に戻って来れたまでの話をしてくださいました。 蓮池さんは32年前、自分の故郷の新潟県柏崎の海岸にいて、そこから大きな袋に入れられたまま、小さい工作船によって連れて行かれた話もしてくれました。覚えていないけど船から上がったらもうそこは北朝鮮の国に着いたと話もしていました。拉致は日本で言うと誘拐と言いますが、食料もなく不便な生活をしていたと、しみじみと語ってくれました。蓮池さんは日本に帰ってきてから、大学の講師の仕事に付いて北朝鮮で過ごしていた思いを、一冊の本にまとめた中身の説明をしてくださいました。今では拉致問題も少し冷めている中、何も進展がなくて家族の方たちは、集会や抗議集会など立ち上げては一日でも早い救出を求めていますが、まだまだ戦いは続いていきそうな感じがします。

「世界も地震が続いてる」

 この前のチリの大地震で巨大に揺れも大きかったので、日本に津波の第一波の通報が入って来ました。 朝から騒がしいなと思っていたらずっと一日中ニュースでやっていました。漁業にも被害を受け近くの家にも浸水するなど、生々しい様子が津波の恐ろしさを改めて感じました。テレビで見ると、災害の救援支援がゆきたわっていない国なので水も出ないし、食量も足りなくなっている状態になっています。小さい子供たちまで栄養不足によってやせ細くなっていて見ていても、かわいそうでなりません。伝染病や疲れのピークも見せているようです。一日でも早い復興へ進んで欲しいと思います。

「川崎「わにの家」に親子で招かれる」

 3月18日の木曜日に、川崎の武蔵小杉の「わにの家」と言って、子供達を預ける場所になっている所で、私たち親子の関係をそこの会で話して欲しいと頼まれて、親子そろって参加して来ました。 37年分の話をするには長いし、ところどころで母が説明しながら話をしたり、私がいろんな活動をしている報告や、「みんなのねがい」に原稿も載っているとか、ノーマライゼーションの日本障害者リハビリテーションの雑誌に、写真や原稿が載っていますよと、その話もして来ました。学校時代の話もしたりでけっこういい感じで盛り上がり、話が弾んで、そこのお母さんたちもいろいろ質問とか出してもらって、話をした私もいい手ごたえをつかめたなと思っています。母の車で行きましたが自分でも遠いのかなと思っていましたが、三十分ぐらいで行けるところでした。

「三月二十日「地下鉄サリン事件から」十五年」

 皆さんももちろん知っていると思いますが、平成七年に起きたオウム真理教による一連の騒ぎがありましたね。そのサリン事件からもう早、三月二十日で十五年の年月が流れました。6300人の負傷者を出して、そのうちの十三人の方が亡くなるという無差別なテロが、丁度季節のいい時に起きた出来事でした。今思えば私もその頃は23歳ぐらいの春を迎えていた時でした。まさに平成に入ってから最初の90年代の始まりがこのオウムによるニュースばかり、十年以上続きましたね。皆さんもこの事も覚えていますでしょうか。被害者の遺族の高橋シズエさんが自分の家族を奪われてしまった事に悔しくて、数多くの被害者の人の思いを署名運動で広げて、オウムを退ける作戦に出て最後に裁判でかける。よく十五年もかけて裁判にかけて和解を求める願いを出し、でもまだまだ遺族たちの戦いは終っていないだろうなと思います。いつになったらおちつくのかと私も見ている方もムラムラして来るような、腹立々しくもなって来ます。無差別テロで何人ものの人をサリンで苦しめられた事は、この事は絶対に許されないよな感じがします。まさに後になるとオウムは恐ろしい教団だなと思いました。三月が来る度に、「アー」と一瞬頭の中があの出来事が忘れられない感じがします。