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「マリタイムス」2010年3月31日発行

No.137 2011年3月31日発行

もうあちらこちらで早く桜のつぼみも見える頃になって来ましたね。こんな事を言っていいのでしょうか。
間もなく新年度も始まります。この四月で私も勤続20年目に入ります。

「春の嵐のようで荒れた真昼の地震が東北地方を襲う」

 平成23年3月11日(金)午後2時45分で、あの日は私一人で普通に過ごしていました。変わりなくその日はヘルパーさんが来てくれる日でもあったので、家は幸いそれだけで助かりました。たまたまこの日母は保護者同士の活動で、後見支援的制度の話の会に白根の先の旭区公会堂に行っていました。その日のヘルパーさんは2時すぎまで居てくれて帰りました。昼間の時間帯にあの揺れが来て、見ていたテレビがプッチと切れて止まってしまいました。もうすでに停電になっていたので母の部屋から、懐中電灯を持って来て物が落ちていないか身の回りを見て動きました。冷静でおちついていたのでよかった、だんだん揺れの長さを感じて、ベランダの戸を開けてそこにつかまるかのように、一瞬足がすくんでしまってすぐには動けませんでした。揺れを私一人で耐えました。
 母はあわてて旭区からタクシーで戻って来てくれて、一時間で家まで帰って来てくれたのでまだ外も明るかったのでそれも奇跡的だと思います。一回目の揺れがおさまった時に母がタクシーから電話をかけてくれて、ちゃんと落ち着いた感じで話して、一応は安心しました。
それからはずっと母にくっついていました。その後がまさに不安と怖さが増して来て、夜も母にトイレについてってもらって、ずっとくっついていました。家はマンションの八階なので、けっこう揺れたけど物はたまたま一つも落ちなかっただけで助かりました。空も変な色になって不安がちょっとありました。

「緊急でショートスティを止める事にした」

 本当は三月に予定にしていたショートスティがありましたが、今回の地震でちょっと私も気持ちも不安もちょっと残っていたので、それに泊まっている時に停電や余震が来たらどうするかと思って、結局母も私を行かすのにも心配があって、自分から止める事にしました。それも母は好きな歌舞伎も行きたがっていましたが、かわいそうな私を見て、残念ながら断念したそうです。

「さすがに避難用具を作ってしまった」

 ものすごい揺れを感じた今回の地震で、我家はさすがにいつでも逃げられるようにと、避難用具も作ってそろえて置きました。マンションのヘルメットもあって、リュックもあってそこに大事な物を入れて、私は避難をしているような感じで靴も寝ている側に新聞をしいて置いてあります。まだ地震が続いているので、自分のベットは少し奥まっているので心配で、私はソファで寝ていました。母はその下で布団をしいて、二人で寝ていました。災害用にと私が薬も作ってこれなら「だいじょうぶ」と、酸素のボンベもそろえて置くようにしました。ろうそくもあったし壊中電灯も置いてあったので、全部をまとめて置いてあります。この状態がこれからいつまで続くのかわかりません。

「ファイナル金八先生見ましたか、定年退職で卒業を」

 人気学園ドラマで1979年から放送されていた「3年B組金八先生」がこの春32年間の仕事が終わる集大成で、3月27日(日)にファイナルで番組がありました。卒業生151人も出るなど皆さんは見ましたでしょうか。私はほとんど全シリーズ見ましたよ、見ているだけでも何か自然に泣けるようで、やっぱりいいドラマだなと思いました。荒川の土手を走る生徒達と先生の、あのシーンは忘れられないです。私も金八先生のファンです。