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母親が語る『発達障害のある大学生、ユニコと歩む日々』 その11

発達障害のある子の習い事 ピアノ編

発達障害のある子に習い事なんて!

それよりもまず、日々の生活ができるようにしないと!

そう思う人もいるかもしれない。

ユニコは、診断が下る前に、ピアノ教室に行き始めた。

診断が下っていたら、やらせなかったかもしれない。

でも、当時は何も知らず、

習いに行けば、当然できるようになるものと思って、

普通のピアノ教室に入った。

そして大変なことになった。

そもそも手袋を幾重にもつけているような不器用さだから、

指が思うように動かない!

つきっきりで、指を1本ずつ、鍵盤に置いてやり、

何度も何度も同じフレーズを繰り返す。

その頃住んでいたマンションの規則で、ピアノの音出しは午後4時から6時までの1日2時間と決まっていたから、

毎日2時間

ひたすらピアノに向かう日々。

ピアノって、親が練習見るものなの?

(少なくとも自分は親に教わったことなどない。)

でも、できないのだからしかたない。

ユニコは、毎日のつらい練習にもけなげに耐えた。

親は疲れてヘトヘト。ストレスはたまりまくり。

毎日4時が来るのが怖くなった。(「嫌になる」という状態は、とうに通り越していた。)

1年半たって、診断が下ったあと、

ピアノの先生にその旨伝えたところ、

次の日、電話が鳴った。

「私には教えられないので、専門の方に指導していただいた方が…」

つまり、やんわりと断られたわけ。

ちょっとだけ泣いたけど、悔しいから、ネットで検索しまくった。

障害のある人を教えられるピアノの先生を。

そして訪れたK先生との出会い。

特別支援学校での教員経験があり、障害のある人にもレッスンをしている先生だ。

それから7年間、明るく元気なK先生とのレッスンが続いた。

それまで使っていたバイエルはやめて、

K先生が勧めてくれたのが、バスティンの教本。

これがユニコにぴったり!

かわいらしい絵がたくさん描かれていて、曲のイメージが膨らむ。

そのうちにユニコは、教本の曲に自分でおもしろい歌詞をつけて、弾き語りをすることを覚え、

これまでのユニコ自身の努力と、K先生の的確なご指導が実を結び、

ずっと横で見ていなくても、1人で練習ができるようになった。

小さな弟も、ユニコが練習を始めると一緒に歌いだす。

毎日4時から6時は、ユニコのコンサートタイムに変わった。(もう「4時」は怖くない!)

結局、普通の子がやるような、ブルグミュラーだのソナチネだのは一切やらずじまい。

練習量に比例して上達した、とは決して言えないけれど、

ユニコが好きな曲、ユニコがちょっと頑張れば弾ける曲を楽しむ、というK先生の方針のもとで、

無理なく、音楽が生活の一部になっていった。

ユニコの人生で、今も音楽が大きな部分を占めているのは、K先生のおかげだ。

小学校高学年の頃には、沖縄音楽にはまっていた。

中学、高校時代は、昭和の歌謡曲やフォークソングが大好きになり、楽譜を取り寄せて楽しんでいた。

K先生のピアノ教室には、障害のないお子さんや大人の生徒さんもいた。

行事もいろいろとあり、発表会だけでなく、合宿、バーベキュー、クリスマス会など、さまざまな活動に参加させてもらった。

合宿にはいつも父が付き添った。弟が一緒に参加したこともある。

今は教師に戻られた先生。ピアノ教室はお休み。

でも、最近では音楽療法という言葉も聞かれるようになり、

障害のある人が音楽を楽しむ機会は、これからどんどん増えていくものと期待している。

ピアノに限らず、楽器の習い事は、音楽の成績に直結する。

実技が苦手な子どもにとって、学校での美術や音楽、体育、習字、技術・家庭などの授業はつらいものだ。

でも、ユニコは音楽だけは自信をもって臨めたという。

楽譜が読めない同級生に教えてあげて、感謝されたりして。

親も、音楽だけは教えなくてもよかったので、負担が減った。

今思えば、指を1本ずつ鍵盤に置いてやり、根気強く練習したことは、

ユニコにとって、指を動かすよい訓練になっていたようだ。

(それに、少なくともピアノを弾いている間だけは、指かじりができなかった。)

上達を第一の目標にはせず、楽しみながら、続けて取り組むリハビリの一手段として、

ピアノをはじめ、楽器はうまく利用できると思う。

練習して、新しい曲が弾けるようになれば、

自分が努力した成果が、はっきりと目に見える(耳に聴こえる)形でわかるので、本人にも励みになるだろう。

周りの人を楽しませることもできる。

将来の趣味をはぐくむことも、リラックスできる好きな曲も見つけることもできる。

ただし、聴覚過敏のユニコは、吹奏楽や軽音楽のライブ、カラオケは大の苦手。

ピアノだから、続けられたのかもしれない。(管楽器や弦楽器などでは、無理だったと思う。)

障害のある子も、それぞれに合った形で、音楽が楽しめればいいなと思う。

<ユニコからも一言>

普通の人は、長年ピアノを弾いていると、ソナタとか、ソナチネとかが弾けるようになるらしい。でも、私は一度もそのような曲を弾いたことがない。弾いていた年月を言うと、大体の人が、どんなクラシック曲を弾けるのか聞いてくるけれど、今ではiPadのピアノを演奏するアプリで、しかも初心者向けの楽譜でしか弾けない。それでも音楽の楽しさというのは味わっている。

母が苦労して教えてくれたピアノのおかげで、音楽という、障害のある子どもにとって、ともすれば苦痛にもなる科目の1つも、ほとんど問題なくこなすことができた。リコーダー、ギターなど違う楽器をやることになっても、そのベースになっているのは譜読みであるため、ピアノを習っていれば、それぞれの楽器の使い方だけ覚えればいいので楽だった。もしピアノを習っていなければ、譜読みも楽器の使い方も一度に覚えなければならなくて、大変だっただろう。(仮に先生が少し楽譜を簡単なものにしてくれたとしても。)ピアノを習っていて身に付けた知識を音楽の時間に発揮したいと思わなければ、ただでさえ聴覚過敏だったので、音楽の授業にはまったく行かなくなっていただろう。

一番ピアノを習っていてよかったと思ったのは高校生の時だ。私の通っていた高校では芸術科目の選択として、音楽・美術・書道の中から一つ選ばなければならなかった。中学生の時に美術の成績が五段階評価で2だったことから、まず美術は却下。そして書道も、小学生の時に、通常左利きの子は苦労して右手で書くところを、不器用だったことから左手で書かせてもらっていたのだが、それが中学校では通用しなかったことから、高校でも無理だろうと判断して却下。必然的に音楽を選択することになったわけだ。幸い、親しい友人も音楽を選択しており、元々ピアノを習っていたことも幸いして、音楽の授業では好成績を取ることができた。

障害のある人を受け入れてくれる音楽教室は、本当に探すのが大変だと思う。でも、音楽はやっておくと本当に楽になる。実技教科が1つでも安心して受けられるのは楽だし、本人の自信にも繋がる。私もピアノを習っていたことで音楽の自信がつき、小学校生活最後の演奏の機会にも、数人しかできないシンセサイザーに立候補した。(そうでないと少々辛いリコーダーになってしまうからということもあったが。)「障害のある人に音楽の習い事なんて無理」なんて言わないで、本人に合う楽器を体験させてあげてほしい。