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母親が語る『発達障害のある大学生、ユニコと歩む日々』 その20

発達障害のある子の学校生活 学校生活って大変 人知れず苦労するユニコ

ユニコ本人に聞いてみたところ、

運動や作業以外にも、

学校生活の中では、いろいろと大変なことが多かったようだ。

自分が座る席も、

毎日同じ席に座っているにもかかわらず、わからなくなる。

「一番端の一番前」ならまだ覚えやすいが、

「右から2列目の前から3番目」になると紙に書かないと覚えられない。

いつも席を間違えて嫌がられ、

席がわからずにうろうろしていると、早く座れとやじられる。

体育の集団行動や運動会の競技などで、決まった並び方をするときにも、

どこに入ったらよいのかわからずに困り果てた。

人の顔が覚えられない、見分けがつかないことも原因なのだろう。

親切な子が、「こっちだよ」と誘導してくれると、本当にホッとしたと言う。

それから、グループを作るときにも苦労した。

「好きな人とペアになりなさい。」

そう言われても、そもそもペアになってくれる仲良しなどいない。

たとえいたとしても、それが2人、3人といる場合には、

その中で誰を選んでペアになればいいのか、わからない。

みんなが楽しむ、「フルーツバスケット」や「猛獣狩りへ行こうよ」などのゲームも、

ユニコにとっては地獄の苦しみでしかなかった。

たくさんの苦手

時間がかかる、難しい課題

不安とパニック

毎日、本当に大変だった。

さりげなく助けてくれる人がいれば、楽になることが多いので、

周囲に気づいてもらえるよう、働きかけるのが親の仕事だった。

(何度も学校に電話したり、連絡帳に書いたりした。)

ユニコ自身も、繰り返し経験し、練習することで、

少しずつ、いろいろなことができるようになっていった。

また、成長するにつれて、親の手を借りずに自分自身で、

できることとできないことを周囲へ伝えられるようになっていった。

本人が少しだけ頑張ればできることを目標にし、

「できた!」と思える、プラス体験で終えられるように、うまく演出する。

無理そうなことは、あえて目標にしない。(あきらめも肝心!)

普段の生活、能力、態度などを見ていれば、

どこに目標を定めたらいいのか、

どんな風にシナリオを書いたらいいのかが、

おのずと見えてくる。

苦しい練習のあとには、

必ず、「できた!」が待っているのだと、ユニコ自身が信じられるように、

ちょっとだけ手を加えたシナリオを用意するのが、

親の大事な(そしてとても難しい)仕事だった。

心がけていたのは、

難しいことを練習させるときに、

最後に「必ずできること」をやって終えられるようにするということ。

それだけで、また明日もがんばろうという気持ちがわいてくるのだ。

学校生活でつまずいても、

決して転んだままにせず、

そこから学べることを話し合ったり、

次に同じことが起きたら、どうしたらいいか考えたりして、

何とかしてプラスの体験に変えること。

それは、子どもだけでなく、親にとっても

トラウマや悲しい思い出を1つでも減らすために、

心を強く持って、

逃げずに向き合わなければならないことだった。

<ユニコからも一言>

勉強面や運動面については、これまでも書いてきたように、先生はもちろん、親切な子が助けてくれた。

座席については支援があまりない。だが座席がわからないと授業も受けられない。私は今大学に通っているが、座席が決まっている授業は2つしかない。それでも、それぞれ異なる座席だから苦労している。片方はわかりやすいが、もう片方は、半年以上経つにも関わらず(入学した時から同じ座席なので)、意識しないとどうしても正しい座席に座ることができない。高校よりも人数が少ないにもかかわらず、である。

大学は授業2つ分だけなのでまだ楽だ。中学・高校生の時には、覚えなければならない席がたくさんあって(教室・理科室・音楽室・家庭科室…)、本当に大変だった。このようなことを言うと、先生の中には、いつもある特定の生徒と近い座席にしようとする人も出てくるだろう。それさえすれば、教室によって席が違っても大丈夫だと思ってしまうのかもしれない。これは、少なくとも私にとっては、やめてほしいことだ。なぜなら、私は人の顔を判別するのが苦手なので、誰かを元に座席を判断することなんて、ほとんどできないからだ。

同じ人でも服装や髪型が変われば誰だかわからない。高校生の時までは、皆同じ制服だったから、判別するのが本当に大変だった。髪型ぐらいしか判別する材料がないのに、それが変わると正面から見てもなかなか誰だかわからなかった。イメージとしては、毎日夏休み明けに会うようなものだ。大学に入ったら入ったで、皆毎日違う服で学校に来るから、それで誰なのかわからなくなる時もある。

だからなのか、昔から私には仲よしが少なかった。高校生の時も、最初の1年は本当に苦しかった。そのあとで親しくなった子とは、今でも仲よくしている。それに大学にも私を理解してくれる人がいる。大学は高校と違って、座席が決まっている授業は少ない。学生によっては、どの授業でもまったく自由なこともある。それは、一部の人には大変みたいだけれど、一番前に座るなど自分でルールを作ったらいいと思う。今仲よくしている人たちは皆、私と同じで前の方に座っている。その理由は人それぞれだけど、やっぱり仲よしが近くにいるのはありがたいし、心の支えになっている。

「フルーツバスケット」や「猛獣狩りに行こうよ」を辛いと感じるのには、いくつか理由がある。それは仲よしが少ないこともあるし、万が一自分が鬼になった時に、何を言おうか考えただけでパニックになってしまうからだ。よく「フルーツバスケット」では、終わりに近づくと何を言ったらいいか考え込んでいる人を見る。私は毎回そのような感じなのだ。また、「猛獣狩りに行こうよ」では、やっている人の中に親しい人がいないのに、例えば「イヌ」と言われたら、誰かを探して声をかけないといけない。新しいクラスになりたての時はもちろん、ある程度経ってからでも、それはとても大変だ。小学生の時は、周囲が積極的に声をかけてくれたので、本当に嬉しかった。

大学生になったら、こういう困ったことはほとんど無くなる。仲よしだって、無理して探さなくても、きっと学校を卒業するまでに、1人くらいは現れるだろう。だから今が辛くても、悲観しないで。障がいを持っていることも含めて、自分のことを理解してくれる人は、必ずいるから。無理して普通になろうとしないでいいから。