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母親が語る『発達障害のある大学生、ユニコと歩む日々』 その25

発達障害のある子の親 親もまた、学び続ける

ユニコのおかげで、これまでたくさんのことを学べた。

ユニコがいなかったら、

発達障害のことも学習障害のことも、

そういう障害のある人を支援している人たちのことも、

知らないままだっただろう。

仕事でも、ユニコの困り感を連想させる内容の文献に接する機会があるが、

ユニコについて、どんなふうに受け入れたらいいのか、何を助けてやればいいのか、

さまざまなヒントをもらい、

ほかの同じような障害のある人たちの様子を知って、勇気づけられることが多い。

特に、欧米には支援団体がいくつもあり、支援が充実していることを知ったときには、

とても驚き、うらやましさを感じるとともに、

どうしたら日本でも状況を改善できるのか、考えるきっかけを得た。

そのうちに、もっとユニコのことを知りたい、本当に役立つ支援をしたいという思いが強まり、

2008年から2009年にかけて、星槎大学の特別支援教育専門コース(初級・中級)を受講した。

週末や長期休暇に開かれるスクーリングでは、

親、教師、医療従事者、ボランティアなど、さまざまな立場で学んでいる人たちと話をする機会を得て、視野が広がった。

気になる生徒を受け持つ先生からは、

「親にどんなふうに伝えたらいいだろうか」と質問された。

先生方も悩んでいるのだ。

こんなふうに、立場が違う者同士が、腹を割って話し合える場があるといい。

親の会の集まりや講演会にもよく出かけた。

今はこういった集まりや会には参加していないが、

特に子どもが小さい頃は、

親同士のつながりは大きな支えになる。

どこに住んでいても、

親同士がつながる機会を持てる場があるのが理想だ。

住んでいる場所によって差ができてしまうことが、できる限り少なくなってほしいと願う。

ユニコは今、大学生なので、次の目標は就労だ。

実は、高校卒業後の進路として、

発達障害にターゲットを絞った職業訓練学校も検討していた。

でも、まずは司書になるための勉強がしたい、というユニコの強い希望で、

大学進学を決めたのである。

4年間通い続けられるかは、まだわからない。

1日、1日を大切に過ごしていくだけだ。

そして、いつか必ず来る就労の日に向けて、親もまた、勉強しなければならない。

社会のしくみ

多様な就労形態

弱者に対する配慮や支援など。

ユニコと生きることは、

この世の中の、これまで見えていなかった部分に目を向けて学んでいく姿勢を、

常に持ち続けるということでもある。

終わりの見えない道に、ときにはくじけそうになるが、

これからも、ゆっくりと、少しずつではあるが歩んでいきたい。

ユニコとともに。

<ユニコからも一言>

障害のある人ってマイナスなイメージがあると思う。私だって、頑張っているのに、それが報われずに冷たい言葉を浴びせられて、つらい思いをしたことがある。それでも今まで学校生活を送れたのは、それまで周囲の人から受けてきた優しい言動があったからかもしれない。障害のある子やその家族は、障害さえなかったら普通の生活が送れたのに、と口にすることだろう。私だって何度そう思ったかわからない。でも、障害があったからこそ出会えた素晴らしい先生もいることだし、それによって本当に私のことを考えてくれる人を見極めることができた。

今、私は大学に通っているのだけれど、小学生の頃からしたら、そんなこと想像もできなかった。周りの人に支えられて、自分はできる範囲でお返しをして、ここまで学校生活そして日常生活を送っている。就職活動については、お化粧のこととか、障害者枠での採用をしてもらうのかとか、いろいろなことを考えなければならない。その後の40年間を決める大切なことだ。でも、無理をしないで、できる範囲でやっていきたい。そして普通の人にとっては当たり前のことがそうはいかない障害のある人が、決して迷惑な存在じゃないことを、多くの人に伝えていきたいと思う。