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日英NPOフォーラム-共生のコミュニティにおける民間非営利組織の役割と経営-

自由討議

■萩原 ありがとうございました。それでは、これから自由討議に入っていきたいというふうに思いますが、時間の方で先ほど申し上げましたように、16時45分ですから16時からフロアとのディスカッションに入りたいと思いますので、その前に10分ぐらいお休みがありますから、あと10分くらいしか時間がないんですけれども、どなたでもご自由にご発言をいただければと思いますが。  では山岡さんお願いします。

■山岡 先ほど河課長がおっしやったこと、とても重要なことなんで、おわかりにならない方もあるかもしれないので、憲法89条ということをちよっと解説というか、申し上げますと、憲法89条には、「公の支配のないところに公金を出してはいけない」ということが決めてあるんですね。ですから、公金を出すなら公のコントロールの元におかないといけないということで、社会福祉法人とか学校法人という法人制度をつくって、これは公のコ ントロールの元にあるから助成金を出していいとか、補助金を出していいと、そういう枠組が戦後の一つの憲法に定められた方式だったということです。そういう中で、金を出したら口を出さないといけないと、コントロールしないといけないとは、憲法を変えないといけないんですけれども、公をどう理解するかということで、少しずつ公というのは情報公開をきちんとされていればいいのではないとか、少しずつ憲法学者も含めて議論をしているところです。正確に言うと、やはり憲法を変えることによって新しい枠組をつくるのがいいのではないかと思います。
 それから一番最初に河課長がおっしゃったことも非常に重要なことだと思うんですけれども、NPOはパブリックの担い手であるという認識が、私は非常に重要だと思います。去年の暮れぐらいから、私はNPOはnonprofit organization、あるいはnotprofit organizationというわけですけれども、new public organization ニューパブリックオガニゼェーションだという言い方をしておりまして、新しい公共の担い手ということで、そういうと皆さん「あっ、そうなんだ。自分たち、そうだよね」というふうにかなり共感をされましたんで、初めは冗談半分に言ってたんですけれども、NPOというのはnew public organization 、これは世界には通用しません。日本だけだと思いますけれども。そういう意識でいいのではないかなと。だから、パブリックの担い手として、行政もあるけれども市民民間の団体もあるということですね。それがどういう関係を持ちながら将来のパブリックの空間をっくっていくかということが、重要な課題ではないかなと思っております。

■萩原 ありがとうございました。  河さんからちょっとご意見がおありのようです。

■河 先ほどの補足を山岡さんにしていただきまして、その山岡さんの話にもうちょっと補足をさせていただきますと、実は憲法89条という条文は「福祉事業、教育事業については」ということを、今、山岡さんは引用されたんですが、福祉事業、教育事業の条文の前に、実は宗教というのが出てまいります。これは宗教に関する条文でありまして、例えばこういういところでのNPOの方々との議論でも宗教というのはまず出てこない。ところが、ヨーロッパでの議論の時には、必ず宗教あるいは宗教税というものが当然議論として入ってくるわけでありますけれども、きょうも今まで全然出なかったのだからあえて言いますけれども。まさに、宗教との関係でNPOをどう考えるかというのは、日本の中ではほとんど議論されていない。官との関係でというのと、先ほどの民との関係でというのがあるんですけれども、もう1つ大きなパブリックという要素を支えるものとしての宗教というものとの関係で、NPOをどう論じるかというのは、実は私は大きな問題だと思っておりますし、それらについて、ある面では日本のNPOの方々は議論から逃げているというふうに私は思っております。

■萩原 最後で大変重要な話が出てきてしまったんですけれども、残念ながら時間がなくなったんですけれども、一つ僕からイギリスの方にさっきちょっと雑談で話をしたんですが、先だってまで僕はアメリカにおりまして、アメリカ流のNPOというか、コミュニティ 一・ディベロップメントに関するちょっとした会議があって出ていたんですけれども。そこでソーシャルキャピタルという概念が新しく議論……古くからあったんですけれども、しばらくアメリカの社会で忘れられていたというのか、そういう概念が新しくもう一度リカバリーしてきまして、先ほどからソーシャルェンタープリナーとか、ソーシヤルインクルージョンパートナーシップとかという話がいろいろと出ているんですけれども、ソーシャルキャピタルという概念は、僕は結構日本の社会にうまくテグロしていくようなシステム、要するに、簡単に言ってしまうと、例えぱ自分がこの家を誰かに売りたいという時に、従来のように業者を通して値段をつり上げるということもないんですけれども、それなりの価格でマージンをとられて売るのではなくて、その地域のコミュニティーの中に本当にその住宅を必要としている人があれば、その人に多少安い値段でもその住宅を売るしそこでインバランスのバランスの中で、例えば売り手にとってはネガティブな、なんていうんでしょうか、商取引になるんですけれども、もしかしたら、そのネガティブなものがコミュニテイーの中では非常に貴重なキヤピタルとして残るだろうと。そういうふうなシステムを、コミュニティーががたがたと崩壊していくアメリカの中で、ことに郊外型のコミュニティーが今大変な勢いで崩壊しつつありますから、それを立て直すために、そういうことを考えていこうと。
 先ほど多摩市長の鈴木さんのお話の中で、ニュータウンの問題などもありまして、そこでの高齢化とかいろいろな問題もあることから、私も興味を持ってそのソーシャルキャピタルという話を聞いてきましたが、エサリントンさん、例えば英国ではそういうソーシャルキャピタルのような概念は既にあるのか、定着しているのか、もしくはやってみたけどうまくいかなかったのか、そこら辺を最後にお答えいただければありがたいですけど。

■エサリントン はい、分かりました。
 先ほどの宗教の点なんですけれども、その宗教というのは、やはり慈善の活動の中に入っているわけですね。そして、NPOの活動の中で一番問題の多い分野でもあるわけです。特に、これが宗教なのか、あるいはカルトなのかという議論もありますし、ただ、その宗教によっていろいろと宗教的なそういった活動が慈善活動に対してネガティブな影響を及ぼしているということもあります。そして西欧諸国では宗教的概念というのが、特に北欧においてはだんだん少なくなってきているということなわけですね。
 そのソーシャルキャピタルというお話ですけれども、これは大分幅広くこの概念というのはあるわけですけれども、NPOについては、またコミュニティーにおいては、相互補完的な概念ということでしょうか。つまり、ほかのいろいろなものをアレンジすることができるということですね。ガイドがあるんですけれども、例えば、エンゲージメントというのを関係づけていくということなんですけれども、ほかの例えばカード・トランプをやるクラブとか、ボウリングとか、そういったクラブ、ボウリングというのは大分衰退してきてはいるわけですけれども、友達などはそういったボウリングをやっていく、そのグループを作っていくと。そういうソーシャルキャピタルの指数をどういうふうに関係づけるか というと、そのほかのものとのアレンジと関係づけるわけです。例えば政治的な参加ですとか、そういったものですね。あるいはどういった商業的な、通商的な関係というのがあるのか、そこにどのような契約ができるのかということ。さらに犯罪についてもそうですけれども、そこで非常に明確に示しているわけですけれども、つまり既存のソーシャルキャピタル、非常に高いレベルのソーシャルキャピタルと、低いレベルの犯罪度ということですね。そして、より効果的な商業的な組織ということがそこにあるわけですけれども、そして、その福祉としての考え方。いろいろなアレンジがあると思います。実際の問題というのは、イギリスなそのソーシャルキャピタルがだんだん減ってきている、減少しつつあるというのは、そういったつながりが、少なくなってきているといえると思います。アメリカにおいてもやはりモラルパニックというのがありまして、政治的に参加をするというのがだんだんと少なくなってきている。日本でもそうかもしれませんけれども、ヨーロッパなんかもそういったことがいえるわけです。特にイギリスの場合、民主主義の政治に参加をするというのが過去20年間を振り返ってみますと、段々少なくなっているということ。そして地方の選挙についても、30%以下という投票率になってきたりしています。ですから、こういったようなこと、それらすべての政党はこれについて何かをしなければいけないということになってくるわけです。そういったことすべてが、ソーシャルキャピタルの減少というようなことにつながっているわけですね。いろいろなミラーさんからもプロジェクトのお話がありましたけれども、コミュニティーに対してのプロジェクト、例えば犯罪率とかドラッグの率を減らそうというようなこともありますし、それから、なぜソーシャルキャピタルが減少しているのか、衰退しているのかということの本当の理由というのははっきりわからないという人もいるわけです。
 その本の中でいろいろな理由をあげておりますけれども、何を言っているかというと、1点としては、例えぱ家族構成が変わっているということ。特に女性の役割。女性というのは、いわゆるコミュニティーの図式においては中心的な役割を果たしていたわけですけれども、それが変わってきたというのが1点目ですね。家族構成が変わったということが載っています。それから、女性がいわゆるコミュニティーよりも仕事の場に出てきたというようなこと、これが変化としてあげられております。それから、もう1つの点というのは、基本的に人々の移動が多くなったということですね。ですから、地理的なものに縛られない、そこでの関係性というのは希薄になってくるというようなことを言っております。  それから世代間の問題というのもあると言っております。世代と世代とのつながりの衰退ということですね。戦争の影響もあると思いますし、戦争中アメリカの場合を見てみましても、コミュニティーというのは、より一貫性があったわけですね。そして、外部の脅威に対してもっとよりまとまっていたということがありました。
 それから、テレビというのも批判していますね。つまり、テレビを見る人が多くなってきたということがソーシャルキャピタルがなくなってきた一つの原因であるというふうに言っています。より個別化した興味というのが、テレビのおかげで育成されてきたわけです。そして、非常にこういったようなものが原因となっているというのは確かに本当のことだと思います。つまり、こういった傾向というのを、では変えたいのか。ではそのためには戦争があったらいいのか、外部の脅威があったらいいのか、そういうことではないわけなんですね。あるいは女性が仕事をしなければいいのか、コミュニティーにもっとかかわればいいのか、その逆をすればいいということでもないわけです。あるいはテレビを見る人が劇的に減るということも考えられないわけですね。  ですから、こういった減少の元にあるものをまず、識別をするということ。そしてその次に、そのトレンドを変えていくにはどうしたらいいのかということなんです。私が考えるには、NPOというようなものを通じて、かつてあったかかわりの中に人々が帰ってくるというふうに思っています。なぜなら、やはり人の魂あるいは人間のスピリットを越えたものに反するものに対しては、やはり人間はどこかで反発する部分というのはきっとあるからだと思うんです。人間の本質、あるいは人間の心の中でうたっていること、これにっいては、どこかで本当だったら戻らなければいけないと思うそういう力というのがあると思います。とはいえ、こういった構造、あるいは社会の構造を変えるということにはまだまだいろいろな仕事というか、いろいろな作業が必要になってくると思います。最終的に、もしも人間たちが「もう一度協力をしよう」「改めて結束していこう」という気持ちが本当にないんだとしたならば、どんなファンドがあれ、どんな資金、どんな仕組みがあれ、何もうまくはいかないというふうに思います。
 ソーシャルアントレプレナーというミラーさんが先ほど言った言葉もありますけれども、ではこれには何が必要かというと、やはりリーダーシップにほかならないと思います。もしも法的な形、あるいは実質的な、あるいはファンド系の資金の仕組みがなけれぱ、そこに仕組みをつくっていくという人たちが現れるというのが常でしようし、またそのときにきちんとリーダーシップをとれる人たちが必要だと思います。それがなければ、ソーシャルキャピタルなどというのはふえるものではありません。やはりアクティブな積極的なコミュニティーの参加なしにだめだと思うんですね。人間というのは、人は常に、大体政府に対しては割と疑問を持っている。そういう疑問をもっている中で、では本当は自分たちは何をしたいのか、やはり求めていけるのではないかと思います。

■ミラー コミュニティーアクションネットワークの目的は、ソーシャルアントレプレナーを見いだし、そして、醸成していこうと。そして最終的にソーシャルキャピタル、そしてソーシャルプロフィットを実現するということです。今、エサリントンさんが言ったように、NPOを結局阻害したような形で存在させてしまうという、そしてネットワークをきちんとつくらないということになると、実際にはソーシャルキャピタルもソーシャルアントレプレナーも日の目を見ないことになると思います。私たちの組織の創設者も、やはり人間は皆それぞれに正しい適切な価値を持っている、そして必ずしも古いルールにこだわることなく、やはり自分たちの考えで物事を進めていくものだということを言っています。
  98年の1月に、クランヒルビーコンという先ほどお見せした子供のためのセンターができているんですけれども、この子供センターでも、14歳の少年がいまして、そしてドラッグ(麻薬)のディーラーであった義理の父にいろいろと虐待をされたり、また、麻薬を実際に打たれたりして、そしてその結果命を落とすという事件がありました。そのお葬式には私も伺いました。そのときに、実際にドラッグの問題がいかに非常にひどいものなのか、私もしみじみと思うところが多かったですし、また、それに対して、その地域に住んでいる、もちろん貧しい、女性が、やはりこの問題に非常に敏感に反応いたしまして、それこそ、そのときにまだ10人くらいしかいなかった私たち組織内の10人だった女性が、どんどん発言とか参加をふやし、そして今では300人くらいの女性たちも決起している。立ち上がり、そして発言をしているというふうに言っています。今も麻薬の問題はまだありますけれども、しかしながら、今、母親のグループ、母親組織が今やできて、麻薬の問題に対して声を上げています。イギリスでは、既にこれは大きな組織になっています。
 今、私が申し上げたのは、あくまでもソーシャルキャピタルにいつかつながるような人々のアクションです。人々が声を上げ、そして何か行動を起こしている。今言ったような14歳の少年が死んでしまった、そういう悲しい事件をもう1回起こさないと実際に私たちが変われないということではないのです。しかしながら、ソーシャルキャピタルあるいはソーシャルプロフィットを求めるのであれば、また、ソーシャルアントレプレナーをこれから育てていくんだいうことであれば、我々はやはり自身を持って、そして自分たちのその組織内、あるいは人と人との間にネットワークをつくるべきだと考えます。

■萩原 最初の質問から少し時間が延びてしまいましたが、ここで10分弱、4時10分まで休憩をいただいて、それからフロアとのデイスカッションに入りたいというふうに思います。  エサリントンさんの話の中で、cosignコシーグという言葉が出ましたけど、例えば米国などではある種の連帯感を持ったとか、ある種の同じようなというようなcosignコシーグという言葉は、よくコミュニティーを語るときに使うんですけれども、このあたりについては鈴木多摩市長などからはかなりいろいろなご意見が出そうなのでと思いますが。後でフロアディスカッションの中でまたご意見を伺いたいと思います。  では4時10分まで休憩にしたいと思います。

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