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2001年GLADNET年次総会

引き続きITアジェンダ-民間部門、助成財団、消費者の視点

講演 奥平真砂子氏

奥平氏

 私は奥平真砂子と言います。実は、現在は、受け入れ先である日本障害者リハビリテーション協会で働いておりますが、この3月までは、紹介にありましたように、全国自立生活センター協議会というところで働いていました。ここでは、障害当事者から見た最近の日本の障害者運動と、障害者の雇用、ITを使った障害者の雇用の可能性について、ちょっとお話したいと思います。
実は私自身、今、申しましたように、リハ協で働いています。私の担当は、先ほど河村さんから紹介がありましたように、アジアの障害者の研修の仕事に関わっています。私は、実は大学を京都で過ごしまして、京都で一番最初の仕事に就きました。今日、そのときの上司だった人も来てくれています。一番後ろにいる車椅子に乗った女性なんですが、ですから京都はとても私にとって思い出深いところです。
前置きはこれくらいにしまして、まず、今年の1月6日に日本の厚生省と労働省が合併というか、省庁再編でひとつになり、厚生労働省というひとつの省になりました。このことは、すごく期待のもてることだと思います。とくに、障害者雇用に関して言えば、ほんとに期待するところが多いと思うんですが、なかなか今のところ現実として目に見えてくるところはないので、とても残念に思っています。ですからここで、やはり障害当事者と企業なり雇用者が一緒になって、何かを始めるときではないかと思います。
私は先ほど申しましたように、京都で始めての仕事に就いたんですが、日本には障害者の雇用率というものがありまして、その中でずっと雇われてきました。まず始めに簡単に日本の障害者の雇用制度について説明したいと思います。
まず1960年に障害者雇用促進法が制定されました。これは主に肢体不自由者の障害者の雇用を促進するための法律です。それで1997年に現在の障害者の雇用の促進等に関する法律という名称に改められました。
厚生労働省の調査によると、わが国の身体障害者の18歳以上の人口は293万人を超えているそうです。これは18歳以上で見ると、人口1,000人あたり約29人が身体に何らかの障害を持っていることになります。わが国では、憲法によって国民の勤労の権利が認められていますが、残念なことに障害者の場合には、働く人が能力を持っていても社会の理解や社会的条件の不整備などで雇用の機会が十分に確保されているとは言えない状況にあると思います。現在は、これまでの法律は、主に肢体不自由者を対象にしたものでしたが、現在では、障害の種類が多様化してまして、やはりそれによって障害者の雇用に対するシステム、サポートも変わっていかなければならない時期にきています。先ほどの障害者基本法に挙げられた身体障害や、知的障害、精神障害の3つの障害のうち、身体障害について障害者の雇用に関する法律が改正された1976年当時と現在を比較してみると、ほんとに障害の種類に著しい変化が見られます。例えばこれまで雇用されることが難しくてリハビリテーションの対象であった肢体不自由、上肢下肢などの肢体不自由の人は、まあ少しずつですが、企業に比較的雇用されるようになってきました。ですが、脳などの中枢神経などに障害のある人たちや知的障害の人たちが増えてきたことで、そのサポート体制も多様化しなければならなくなってきました。例えば知的障害でも単なる発達障害ではなくて自閉症や学習障害など、複雑な障害者像が見られるようになってきました。そういう中で日本の障害者の雇用の援助は、色々なシステムを考えるようになってきました。まず、いくつかに分けて説明したいと思います。
まずは、ひとつは、short-term employment、短時間雇用といいまして、民間の雇用率は平成10年度の7月から1.8%になりましたが、これにカウントされるためには通常、週33時間以上勤務することが必要ですが、重度障害者はダブルカウントされ、重度障害者については週20時間以上でも1人とカウントされるようになりました。
次に特例子会社という制度があります。これは一般の職場の中に障害者を雇用することが困難な企業では、障害者を雇用する目的として子会社の設立が認められるようになっています。平成9年の3月現在では、全国で81社の特例子会社があり、中には視覚障害や、私のような脳性まひなど雇用されにくい人たち、障害を持つ人たちを優先的に雇用している、採用している子会社もあります。
3番目に援助付雇用、採用後に、実際の職場でジョブコーチが指導を行う援助付雇用については、まだまだこれからの分野ですが、訓練室などでの蓄積が実際の職場で応用できない人たちの援助の方法として、試行されています。
それから、これはまあ作業所的なものですが、一般的にセルプ(SELP Social Employment Center)と言われているものです。授産施設、作業所は元来雇用に向けての訓練を行う場として設立されたものですが、実際は就労の場になっていることが多いです。このギャップに原因となる問題が多くて、作業所、訓練の場というよりも、就労の場として認めようという運動が現在活発になっています。
それから、これから言う二つの雇用形態、援助システムが重要だと思っているんですが、まず在宅勤務ですね。例えば通勤が困難な場合は、自宅で勤務することが認められるようになりました。でこれは雇用率に換算されるようになったんですが、この場合、職務の内容がソフトウエア開発やホームページを作ったりなどちょっと限定されていたりするのですが、一般のサテライトオフィス、在宅勤務、いわゆるSOHO、small office, home office の広がりなどと相俟って、障害者の在宅勤務は本当に広がってきています。
それから、これは私がずっと過去5年間関わってきた運動なんですが、障害者自身が雇用主となり障害者を雇うという、IL、independent living center の活動です。independent living center 略してILセンターと言いますが、これは障害当事者によって運営されており、かつ重度の障害者を雇う雇用の場として、随分広がってきています。例えば、最近はILセンター、ILセンターというのは二つの大きな車輪、ポリシーを持っており、一つはadovocate、権利擁護の活動としての側面と、もう一つは事業体としての側面です。事業体としての側面では、今日本では政府に認められつつあり、それがどんどん広がってきています。例えば、1996年でしたか、厚生省が市町村障害者生活支援事業という障害者プランの一つとしての事業を立ち上げたのですが、地域に生活する障害者のサービスをILセンターに委託をして、ILセンターがそのサービスを提供するようになりました。その最初の1996年は、東京の三つのセンターが受けたに過ぎなかったのですが、現在では二十いくつのセンターがその事業を受託してサービスを提供するようになっています。
それともう一つ、日本では昨年4月から介護保険というものができましたが、その介護保険のサービスもILセンターができるようにもなっています。例えば町田、全部では、ほんの少しですが、町田では、ヘルパーの派遣事業を受けて高齢者、障害者のみならず高齢者にも派遣をするようになってきています。このことは、ILセンターが事業体として認められてきて、21世紀、当事者が運営する、当事者によって運営されるILセンターが新しい雇用の場として、消費者の立場をもって運営される事業体として広がっていくことになると期待しています。またそうなるべきだと思います。
そこで、簡単に日本の障害者運動について語っていきたいと思います。みなさんもILセンターとか、IL運動についてはご存知の方がほとんどだとは思いますが、まず、簡単に説明したいと思います。
まず、ILセンター以前の日本では、やはり親や兄弟、家族が障害者の面倒、経済的物理的な面倒を見ることが当然でしたが、あのILセンターとかIL運動の出現により、障害者自身が権利と獲得し、障害者自身によって自分たちの生活を考えるという運動が活発になってきました。日本において大きなきっかけとなったのが、1981年の国際障害者年だったと思います。その頃、それを契機にアメリカから多くの、アメリカの障害当事者のリーダーたちがやってきて、日本の障害者たちに影響を与えました。その代表的な二人がジュディ・ヒューマンとエド・ロバーツと言いますが、その他にも多くの多くのアメリカからリーダーたちがやってきて、日本の障害者たちに大きな影響を与えました。
それと同時に、たまたま日本のある会社が、日本の障害者のリーダーをアメリカや他の社会福祉の進んでいる国に障害当事者を送って研修させるという事業も始まりまして、それに、その二つの、国際障害者年とその事業が相俟って、ILセンター、IL運動が大きく伸びました。実は、その日本の障害者のリーダー育成のために起きた事業の研修生、一番最初の研修生の一人が私だったこともあるんですが、私もですからアメリカでILセンターに関わり、大きな影響を受けた一人です。
日本では、そういった影響を受けて、1986年に初めてアメリカ型のILセンターが設立されました。これはやはりアメリカで学んだ人たちが中心になってできたものです。そこで、アメリカから持ち込んだ考え方やシステムを日本流にアレンジをして色んなサービス、障害者しかできないサービス、例えばindependent living skill program ですとか、ピアカウンセリングですとか、情報提供などをパッケージとして提供するILセンターを立ち上げました。で、そのILの理念を日本にもっと広げようという考えのもとに、1991年に、私の前の職場であるJIL、Japan council on independent living centers 全国自立生活センター協議会を立ち上げました。その当時は、たった10のセンターでしかなかったのですが、今、この春には97のセンターが日本全国に設立されています。そこは、ほとんどがもう重度障害者の雇用の場となっています。ですから、ILセンターが色々な政府から事業を受け、そして自分たちでサービスをし、障害者を雇うということが、広がってきています。これからもっともっと増やそう、2005年に向けて、2005年には、障害者も介護保険に取り入れられるということと、その前に2003年には、社会福祉の事業法が改正されて、利用者が選択できる、措置制度から利用者選択ということになりますので、そうなったらやはりILセンターも利用所として、どんどん提供していかなければならないということで、障害当事者たちは今、数をILセンターの数をどんどん増やそうと活発に活動しています。それが重度障害者の雇用にもすごくつながっていると思います。
それともう一つの側面ですが、やはりILセンターとか、障害者の雇用とか教育に関するときに、やはり移動ということがすごく問題になります。そうするときにやはりITを利用してトレーニングすることを考えています。インターネットを使って、ILセンターのトレーニングをすることが今考えられています。そのときにやはり、このGLADNETのテーマであるITというものがすごく重要になってくるのですが、この場で話し合われていることはほんの一部だし、まだまだこれからの分野だと思います。日本だけではなく、アジア太平洋のみならず、世界中の障害者は、このIT、ICTという世界から取り残されている人が、ほんとにほんとに多くいると思います。ですから、これからそういう人たちにどうICTを使えるか、また教育、どうトレーニングしていくかを考えていかなければいけないと思います。それで私は、ずっと全国自立生活センター協議会で働く以前は、民間の企業で働いていました。私は、ご覧になると分かるように脳性まひという障害を持っています。民間企業において働くために、パソコンは欠かせませんでした。私の仕事は事務ですので、事務処理をするためにほんとにほんとにパソコンがなければ、多分仕事にならなかったと思います。例えば私は字を書くのがすごく遅いですし、あとまあ字も汚いです。でもパソコンですと、きれいに書けますし、打てば速くできますし、まあ間違えてもすぐ修正も利きます。またEメールなどを使うと、ほんとに遠くの人たちとも一緒にコミュニケーションもできます。ですから、まあ車椅子に乗ってても、歩くのが遅くても、時間がかかっても、パソコン、ITを利用することで、すごく世界が広がりました。ですからこれからは、このIT、ICTという、その技術というか知識をどうやってそのまだ使い切れていない、認識してもいない障害者たちに伝えていくかを考えていけたらなと思います。そのためにこの会議と、企業と障害当事者が協力して何かをやっていけたらいいと思います。終わります。