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障害をもつひとと災害対策シンポジウム

災害時における知的障害者への情報提供のあり方

全国社会就労センター協議会  藤澤 敏孝

藤澤氏
みなさん、おはようございます。本来ですと、河村さんより基調報告ということで、事前に皆さんに報告していただくのですが、話がありましたように、河村さんは、何かトラブルあったようで、来るのが遅れています。きしだい、基調報告をしていただくことになると思います。 みなさん、やはり基調報告をきいて、私たちの話をきくほうが賢明な理解ができると思いますが、よろしくお願いします。 私は、知的障害者関係で、皆さんにお話させていただきますが、どうしても、知的障害といいますと、なかなか、生活、今までは社会生活というのは活発になってきましたが、実体というのは、皆さんに広く理解していただたくところまでいっていません。 これから、障害者が町で積極的に生活するなかで、どのようなことが、災害にかかわってくるかが一つのテーマですので、そのへんのところをみなさんに広く理解していただきたいと思います。、最新の技術でその人たちの、可能な限り、災害から身を守る知的障害者というのは、管理されることに慣れてしまっているために、施設での管理、あるいはすべて日常が組み込まれてしまっているということで、大変なところがあります。 そういうものをどのような解決するのかが、大きなテーマではないかと思います。そして、災害時における知的障害者に対する情報の、情報とは一体なにかと考えたときに、ひとつには、その人をどう支援するか。もう一つは、その人が今どのようになっているか、状況をつかむ情報が必要となってきます。今その人がどうなっているかという情報というのは、 阪神淡路大震災など、その他の震災の多くの報告書をみますと、どちらかというとその人を支援するための情報ということで、報告書などが出されています。 しかし、その人をどのように確認したらいいのか。この人は今どうなっているかという情報についての報告や事例というのは、いろんな報告書をみると、皆無だということは、私自身がわかって、大きな課題だと感じたわけです。そこで、知的障害者の生活の現状を説明したいと思います。 一つには、国の知的障害者に対する施設福祉が、今までは主流でした。それで、入所型の施設で生活することが国の大きな流れにありましたが、最近、昭和57年以降のノーマライゼーション、町で生活するというように流れていますし、また、知的障害者の福祉に携わる関係者も、そのような形で流れています。 一口に知的障害者というのは48年。実数となると倍ぐらいになるといわれています。そうしてグループホームという生活形態がありますが、街で、小規模の一般住宅を借りて町で私生活する。そういう共同生活をするような形態が、全国で2600カ所ぐらいできています。 平成12年度の国の実績でいきますと、380カ所、厚生省で認可しています。このグループホームは、年々数が増えています。今、全国で厚生施設と授産施設がありますが、そこで生活する人たちは、約9万人おります。その中から、厚生省は毎年1割ぐらいは移行させてくださいという望みを、入所施設の人に求めています。 しかし、実際は9000人、今年の実績は、約6分の1の実績を考えると、定員の1割を出すのは夢物語です。しかし、国自身が、入所型へ、拘束、管理する施設から地域に移行するという流れになっているのは事実です。では実際、2600カ所で単純に計算しても、約1万人の人が地域で生活していますが、この基本的には、あまり管理しないというのが運営の基本です。これで、グループホームで生活する人は、当然町で生活し、昼間は会社へ通いながら、夜は自由時間をたのしむ形態です。こういうものが、どんどん拡大していくとなると、いわゆる町で生活する人たちが、たくさんでてくるのは当然のことです。その他に、単独でアパートで暮らす人や、自宅で独り暮らしをする人の実数がつかめないのが実態です。 そういう人たちが増えてくるのは、人権の尊重の観点からすると、すばらしいですが、一方で、管理を、ある人のコントロール下から距離をおくことになりますから、その人が災害時における避難、あるいは支援のためのボランティアの応援がどうなっているかに対するものというのは、ほとんど分からないというのが実態ではないかと思います。 阪神淡路大震災で、これから、私の後にもいろいろな報告があると思いますので、具体的な話は省略しますが、どちらかというと、入所型の施設は、頑丈に建物ができているから、壊れることはありません。軽微な損傷はありますが、大きな被害を受けたのは小規模の作業所でした。入所型の施設では被害にあった人はいませんでした。在宅の作業所に通っている、通所授産施設に通っている人たちが、早朝であったために、自宅で、神戸市で、7名ぐらいなくなったとのことです。このように、町で暮らす障害者が、いつ何時頃、どのような状況で被害にあうか、災害にあうかで、災害の大きさにかかわってきます。今回は、早朝であったため、自宅にいたため、たまたま、家がつぶされて、その損害で亡くなったり、けがをしましたが、これが全く日中になりますと、会社に通っているかたがいます。ある程度、組織の管理下におかれますから、その人の安否というのは、ある程度保証されるわけです。 しかし、町でくらす彼らが通勤途中ではどうなるでしょうか。施設によっては、施設の車で送り迎えということもありますが、グループホームでの生活をする人は、では、会社から帰った後は、まっすぐホームに帰る人もいるし、遊んで帰る人もいるわけです。そういう人たちがいつ被害にあうか。それで状況が一変してしまうことが、知的障害者の実情ではないかと思います。 そこで、レジュメにもあるように、災害に遭遇したときということで、在宅時というのは、ある程度支援するために、その人を支援するための情報として、家庭がどういう状況であるかを、ネットワークで管理して、知っているということが、災害をくいとめることになります。 障害者だけか、お母さん、お父さんもいるけれども、会社に通っているのか、生活はどうなのか、障害が重いかどうか、人それぞれおかれている立場によって、その人をどのように支援するかが変わってくると思います。外出時における支援が、これから皆さんに、ITを利用した、情報機器を利用した支援をつくりだしていくことに、私たちは希望することになります。そして私たちが意見を述べる、大きな役割があると思います。 本人を支援という意味からすると、所在確認と本人の確認方法が情報として大切です。社会で、街のなかで災害にあったとき、それは、今どこで災害にあっているのか。どこに遊びにいっているのか。どういう状況なのか。そういうものが、はっきり意志を表明できる力をもっていればいいのですが、あるいは障害の区別によっては、強いこだわりがあって、コミュニケーションがうまくいかない。あるいはこだわりがあって、避難所につれていかれても、自分勝手の行動をおこしてしまう。あるいは、そういう意味では、阪神淡路大震災では良い経験だったと思いますが、避難所での不特定多数者との生活はどうなのか。そうなると、避難所では一定のルールというのができてきます。それに知的障害者をもっている人が守ることができるのか。あるいは、お風呂は、こういう風に利用しましょうなど、あるいはトイレは男女別になっている。あるいは、大勢いるために、食事の順番はできるのか。あるいは、掃除は、ということになると、そこに、こだわりのある人は、そこに乗れない。結果的には、避難所生活も思うようにいかない。それを早く知ることが、本人の所在を知ることによって、そういう不特定多数のところにいるところか解放される。 そういう意味では、事例は、阪神でも多少報告されていますが、早朝であったがゆえに、外出中の知的障害者がどういう状況にあって、それをどう解決したかという報告は聞きませんが、今後災害というのは定時にくるわけではありませんから、これから新しいシステムが必要です。 もうひとつ、災害でいえるのは、阪神大震災のように、体感できる災害というのが基本的には多いですが、最近は体感できないものもあります。一つは東海村の事故です。放送で、ラジオで10km圏内は外出禁止ですよといったときに、障害者がどう理解するか。外出した障害者がいた場合に、それを理解するか。どう行動するかということがあります。 そこで人が騒いでいるから自分がどういう行動をするのかということがでは本人がどういう行動をするのか。理解できない災害、これからというのは、体感できない災害というのが局地的に起きてくる可能性があります。どういうふうに、体感できない事故に対してただ、情報を流したかといって彼らがどのように理解したかが一番大事です。ただ障害者がそこにいるから誰が今日はどこに外出しているはずだと、ではニュースを見たらそれがあったと、そこから 所在の確認からはじまるわけです。情報を流す方法があります。たとえばPHS、それを使える障害者と使えない人がでてきます。そのように同じ情報機器であっても、同じ知的障害者であっても、同じ情報を伝達する機器であってよいのかというと、その障害にあった情報伝達の方法が必要となってきます。そして、その情報をどのように理解したかというのを双方向で確認できる、そして今度は市民の皆様に情報をどのように伝えたか、そして いちはやく現地へ行って伝えられるシステム作るということが、これから求められるのではないかと思います。 求められるのではないかと思います。市民の家庭で災害に遭ったときの支援システムと、家庭であったとか、施設であって、そこへボランティアがいって障害者のいるところで支援する。そういうボランティア活動は 阪神淡路大震災でも定義されたと思いますが、そういう家庭から離れた社会で災害に遭った時の市民の情報の伝え方と支援の仕方をわれわれはある程度考えてシステムのあるべき姿を考えていく必要があるのではないか。そのようなことを私は訴えたいのです。ぜひ最新のそのような技術を使って、情報の安否の確認とか、その人がどのような特性,障害を持っているか、どのような薬を飲んでいるとかプライバシーを保護しながら、、支援する人がいかにそれを確認して適正な救援体制が整うか、その間に適正な支援ができるかを考えていただきたい。 声を大にして、その新しい技術を使ってそういうものを作り出してほしいということを訴えたいところです。