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障害をもつひとと災害対策シンポジウム

視覚障害者への災害時における情報提供のあり方

日本盲人社会福祉施設協議会  川越 利信

川越氏
阪神淡路大震災の折は、みなさまにはずいぶんお世話になりました。改めて御礼申し上げたいと思います。 あまりにも色々なことが思い出されてどこから話していいかわかりませんが、できるだけ今後役に立つ部分に限定してご報告させていただきます。 まず、災害初動時の災害が起こったときの判断、これは大きな事故なのか、小さな事故なのか、これはつい最近ですと某国の総理大臣がゴルフで失敗したように私の苦い経験をお話して参考にしていただければと思います。 1月、大阪の自分の家で寝ておりました。 10階なので、大変ゆれました。19秒の間に3度ぐらい覚悟しました。「今度こそ天上が落ちてくる」と思いました。 子供の部屋に飛んでいったのですが、あとで気がつきましたら、ガラスのかけらがいっぱいあったところを歩いていったのですが、怪我も何もせず、ひと安心しまして、 ころがっているテレビを起こしましたらうつりはじめました。NHKの神戸支局のアナウンサーが上着を着ながら、神戸はご存知のとおり山手が広がっているんですが、そこから来たのですが、大丈夫だと。すぐに出かける決意をしたんですが、NHKとしてはあまり必要以上に騒がないということだったんだと思いますが、第一声は山手から来たけれども、たいしたことはないということでした。電車も車も動かず、途中で偶然、個人タクシーに乗ることができまして、それで一応大阪市西区の朝日新聞社のすぐ近くの職場に行きました。その前に出かけるときに、私の当時の職場に訓練生がおりまして、電話を入れましたら、たまたまかえっておりまして、だいじょうぶだということでした。1月10日ぐらいに盲導犬の事業所が和歌山から大阪に引っ越してきたばかりでした。これが通じなくて不安だったのですが、職場に行きましたら、大変な状況になっていまして、そのビルのなかの放送システムが倒壊して使えなくなっていました。即座に東京のスタジオから情報を発信するように切り替える段取りをしました。その対策に追われました。その日、何をしたかというと、まず自分たちのビルのこわれたところなど、その対策。ガスもれなどを通行人が教えてくれました。天皇陛下の行事がございまして情報不足でずいぶん迷われたと思いますが、私と宮田というのが代理で そのセレモニーをしたわけですが、これが18日だったらしなかったと思いますが、当日午前中はほとんど情報が得られませんでした。ご存知のとおり、ニュースでも火災の火があがるのは時間がかかってだんだん広がっていくんですね。昼すぎにだんだん騒ぎ出すのですが、大阪市内にいて、それだけ壊れているにもかかわらず、そうたいした認識がないんです。 それで、私が本当に感じたのは、次の日、神戸の点字図書館に行こうとおもい、水などを買おうと思ったら何もないんです。すべて買い占めて車に積んで出かけました。ほとんど手に入らないのを何とか見つけて、西宮に新聞やテレビである程度の情報を得ている、 自分も10階にいて3度も覚悟するような経験をしているにもかかわらず、まだ本物ではありませんでした。 18日に西宮の状況を見て、これはただならぬことで支援活動は長期化するということも思ったわけです。それでずいぶん悩みまして、それから神戸には行けませんし、救援活動をしなければならないと思いました。これはもう相当長期化するだろうと、仕事をやめざるをえないと、ずいぶん悩んだのですが、見てしまったものはしようがない。もしここで仕事に戻ったら、自分の人生で後悔するだろうと。 それでえいやっと決断しまして、18日の夕方、全国の組織に文書を発信しました。 相当長期化するだろうと、仕事をやめざるをえないと、ずいぶん悩んだのですが、見てし まったものはしようがない。も しここで仕事に戻ったら、自分 の人生で後悔するだろうと。 それでえいやっと決断しまし て、18日の夕方、全国の組織 に文書を発信しました。各施設にそれが残っていると思いますが、人を出してほしいと専門家がいうことと、義捐金は日盲連がすでに動くという情報を得ていましたので、とにかく人を出してほしいということで全国紙組織にお願いしたんですが、私が属している日本盲人社会福祉施設協議会はそれを拒否してまいりました。日盲連は会長自ら神戸に入りました。全盲労連は、本間さんが会長ですが自分たちのメンバーを当日から支援活動を開始しました。一番早かったです。ところが、電話が通じないのです。神戸や大阪に向けての電話はつながらない。東京スタジオを拠点にしまして、こちらから東京へ逆に情報を考えまして、取りに行くと、東京を拠点に活動を始めるわけですがなかなか連絡もうまくいかず、携帯電話を私は二つもっていて役にたちました。ここで申し上げたいのは、初動時の情報の把握の仕方というのは、本当に難しい。全国組織が、僕は歴史的な汚点だといいましたが、わかるような気もします。私自身も、17日に経験して、18日の認識とは違う。まして東京にいたら、新聞やテレビだけですから、なかなか実感としてとらえられないのではないか。その距離とか。ここに、情報の限界がある。 それから、テレビや新聞、新聞よりもテレビはすごかったですね。ヘリコプターで。これが問題になったわけですが。 情報を集めて発信するのは、被災地ではなくて世界に向けて発信するわけです。よりすごい情報を、あの最中で、もっと見えるように、絵になるようにと平気でいいます。NHKだけです。キー局のテレビはほとんど断りました。 それでこれをどう初動時の認識を把握するか、決定てきではないかと思っています。 郵政省はいちはやく、10kWのラジオを認可しました。それでNHKの技術スタッフが、ボランティアでそれを運営することになったわけです。私どもが、では視覚障害者に対する情報は責任をもちましょうということで、NHKのスタッフは喜びましたが、兵庫県は、そういった最中にあっても、日常の役人の体質がなかなかかえられない。だめだということで。もめてる暇はないので、私どもなりに、いろいろな方法を駆使して、NHKに直接訴える、という形でやりましたが、せっかく郵政省が10kWを認めたにもかかわらず、まったく使えなかったということです。したがって、17、18、19、20日、最初の日曜日は雨がふりましたが、ここで、本当に効果的な情報というのはなかったんですが、そのことを、最終的には19名、視覚障害者の死者が出ました。 死亡19名、怪我が11名、無事と確認できた人は1725名でした。私どもが安否確認をした結果。未確認の人が、3月現在で。 それから、救援支援活動の体制ですが、私どもは例えば村上会長にお願いしてやろうかなと思いましたが、神戸、大阪のことを東京の人に言ってもおかしいです。そこで、イワハシ理事長にお願いしようとしましたが、非常に激しい、芦屋は激しい。西宮は非常に激しいところでした。理事長が無事であることは確認できましたが、その後の活動は無理だということでいろいろ悩みましたが、これは、責任をとるしかしようがないので、自分で名前をだそうということで、私自身が代表になって、阪神大震災視覚障害者被災者支援対策本部というものをつくりました。そして、短い名前でハビ、とつけて動いていたわけです。 日盲連にもご協力をお願いして、日盲社協であるとか、ダスキンの愛の輪でありますとか、地元兵庫県神戸市の盲人協会にもお名前を頂戴して、そういう体制をつくらさせていただきました。そして、先ほどいいましたように、日盲社協というのは、残念ながら救援活動を拒否してきた。日盲連は積極的でした。全盲ろう連は17日から活動していました。 ここで簡単に申し上げると、その後救援活動にいきたいという人がいます。上司はNOと言いました。それは二次災害を怖がっている面があります。また、ある仕事を片づけなければならないノルマの問題もある。いずれにしても、上司の責任、自分にかえってくるという問題があります。したがって、日常の中で支援ネットワークを構築しておいて、有事の際は互いに助け合いましょう。そのとき施設長であるなどは、その人の責任ではないということを、日常のなかで押さえておく必要があると通説に感じました。それから安否確認ですが、ローラー作戦でやりました。広島やいろいろなところから主婦の人たちがきました。一番はやかったです。学生ではないです。主婦が顔をあらわずに、化粧もせずに、寝袋で転がって、17日から主婦の人たちは入ってきていまして、近隣の県から。そして手伝うことはないかということで、そういう人にお願いしてローラー作戦をしました。なぜこの作戦かというと、これからそうであってはいけないと思いますが、避難所というのは指定されたところがありますが、あまりにもすさまじいので、空間という空間はすべて避難所になっている。だからどこに誰がいるかわからない。だから貼り紙をしてまわって、医療関係者に目を向けまして、視覚障害者をみたら、必ずここに電話をさせてくださいというビラを貼ったり渡したりして、そしてマイクを借りて、大きな体育館で、すしづめというのはああいうのでしょうけれども、視覚障害者がいたら声をかけてくれといったわけです。つまりその避難所というのは、重要な意味がありまして、指定されたところにいる人では、西宮でも中央体育館は一番待遇がよかったと思いますが、自衛隊の大型トラックがドンと入るわけです。食糧はあまっている。ところが指定されていないところ、そこらの小さな公民館などに行った人は、食糧の配布がなくて、1週間ぐらいでその差が大きかったわけです。 だから避難所をどうマークしておくかが大事だと思います。私どもが安否確認で効果的だったのは、センターが直前に、LANシステムを構築したばかりだったんですね。それをフル稼働させまして、日本ライトハウスがもっているリスト、それから図書館部門等がもつているものをかりまして、LANに入力して、神戸・兵庫県下のひとたちを入力していった。そのLANに基づいて、この人には1回確認できた、今どこの避難所にいるということをずうっとおっかけて行きました。 これは非常に有効だったと思います。今後は、東京ガスがマッピングシステムをもっています。これはすごくよく出来たシステムで、社会的信用がないと共同作業をさせていただけませんが、みんなで知恵を出し合って、そことデータを合致させて、ローラー作戦を展開したら効率的だろうと思います。 町が破壊されていますから、番地がわかっても、なかなか難しいケースが多い。たどりつくのに。それがマッピングシステムが使えると、何処にガス管、水道管、電話線があってという、地域の土の中にどういう情報網があるか描かれているわけです。集合住宅なのか、どこにガスのメーターがあるかがわかる仕組みになっていますので、それを使えるようになるといいと思います。 それとやはり、リストの公開というのがありまして、2月の初旬だとおもいますが、全日本ろうあ連盟と私どもと、ハビと障害者支援本部、全社協。この3団体に関しまして、神戸市が一部を公表するといわれました。そのときには、私どもはLANシステムで視覚障害者の状況を把握していましたから、それを市に提供していたので、そのリストは必要なかったのですが、このリストの公開は、議論の余地があると思いますが、当事者が尊厳をベースにしてセキュリティを確実なものにして、リストが流れるとか、それで障害されることにならないように、セキュリティを確立して、その有事の際に、支援してほしい、救援にきてほしいという当事者の申し出による、そういうリストを日常の中で構築して、かみ合うようなことも考える必要があるのではないか。そうすればスピードが違うとおもいます。 それから、救援活動は段階的に異なります。それだけ申し上げておきます。 先ほどのネットワークを前提にその町をしりつくした人を中心に、展開する必要があるだろうと。 それから指揮をとる人たち、リーダーですね、この人たちが正確な判断ができないといけません。神戸の場合は異常な興奮状態で、1週間ぐらい寝ずにすごしました。判断ミスも多かったです。それがいけないので、やはり複数の人によるチームを編成して、交代をして、体を休めながら正確かつ迅速な判断のできる体制が必要だろうと思います。そして後方支援ですね。物資調達などです。しかし、いうはやすし、現実に複数の人間の意見は違うので難しいと思いますが、これは訓練で解決できるだろうと。年に1、2回、その地域で訓練をして、同時にネットワークの訓練も必要だと思います。 それから自立支援ですが、仕事のことがあります。それから、財産を失う人がいます。家が壊れたというとわかりやすいですが、権利を失う人、そこで商売をしていた。ずいぶん相談を受けましたが、私たちは役に立ちませんでした。知識も知恵もなくて、それは困りましたねと、泣きながら訴えられるのを聞くしかない。 役立たずでした。したがって、弁護士や司法書士、日常の中でチームを組んでそなえる必要があると思います。 それで、これは長期化します。例えば、私どもがお世話したケースにも学校を転々とせざるを得なくなった家庭がありました。そして子どもはいじめがあります。そして、お父さんが震災で亡くなられて、お母さんがお子さんを抱えて。住宅がなかなか与えられない、入れないんですよ。 それで住宅の公団に入れず、学校も何度も転々として、学校に行かなくなり、そういう奥様もおりました。 他にもいろいろな相談を受けました。長期化しますから、やはり視覚障害者に対する専門家が日常的に勉強していただいて、有事の際には出かけて、腰を据えて支援対策をする人と連携プレーのもとに、支援をする必要があると思います。 例えば、神戸の避難所にいきますと、恐怖と寒さと疲れ、空腹。呆然としているんですね。 食糧でもマイクでがなるだけですからね。「きましたよ」と。 視覚障害者の場合は、例えようがないぐらい人で埋まっているわけですから、それを踏まないように、超えていくのが面倒くさいから、氷がとどいてもとりいかない。がまんをしている人が多いわけです。杖はどうしたの、と聞くと「ない」という。杖も要らないぐらい、物欲がない。それぐらいひどい状態です。ラジオをもっていってもとらない。しかし、何日かすると電話がかかってくる。元気が出てきた証拠ですよね。分かる人の場合は、施設に入ったらいうよということを、連携プレーで、財産や権利などについて、解決する必要があると思います。離婚などもあります。逆に60、70歳の人が結婚するめでたいケースもありましたが。専門家が長期的なやらなければならない。それから最後ですが阪神大震災に学ぶということで、一言。それは日常的に備えるということだと。日常的に備えて、ネットワークを構築して、地元の被災、にあった人に対して、初動時に必要な情報を、地元の人が日常の訓練のせいかを踏まえてどれだけできるか。これが大きいと思います。自治省の専門家は、言葉が適切かどうかは分かりませんが、勉強会で、地震はおこったら、爆弾テロにやられたのと同じ。そこで大事なのは、水と情報だと。私もそう実感しています。どうもありがとうございました。