音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

DAISY活用事例交換セミナー

研究者の立場から
加藤醇子
クリニック加藤院長

いま紹介にあずかりました加藤です。また田中先生の用語の中に出ていない言葉をちょっと書いています。「ディスレクシア」という言葉もだいたい一般化していますので、確かに、ディスレクシアという、あるいはアレクシアというと大人の脳血管障害ですとか交通事故の後の読みの問題が中心になりますので、発達性というのをつけて、ディスレクシアの研究会というものを作りまして、今度7月20日にやる予定です。  

田中先生からわかりやすい事例を出していただきましたので、私の方はどんどんスキップしていきたいと思います。私が主に扱っている、対象としている疾患というのは言いにくいですが、お子さんは軽度の発達の問題。障害といっても障害児ということではなくて、そういう問題を持っているお子さん達ということであります。行動面の問題、LDの問題、それからコミュニケーションの問題。文部科学省の方の定義でも最近は、最近は話す、聞くっていうこと以外には、主に学習のつまづきに関するものをLDと言うふうに言ってきております。特異的LDというのが、Specific Learning Disabilityという中に ディスレクシアですとか書字だけの問題、あるいは算数の問題、あるいはディスレクシアには算数問題が合併することもあります。教育現場におけるLDの状況としては、先週もお話したんですけれども、アメリカと日本とかなり状況が違っていると。アメリカの場合はディスレクシアが非常に多いということでLDが捉えやすい。知的な遅れがないということも、知的な遅れの部分も大変厳しくアメリカの方では捉えられているように思われますし、特殊学級の7割はLDが利用しています。これは来年たぶん、特別支援学級っていうのが、法律が変わって1%ぐらいの今利用している重い、遅れのお子さん達、重要なお子さん達以外にADHDそれから高機能自閉とか、LDそういうものを含めた人達6%併せて、まあ7%に対応するような特別支援学級あるいは特別支援学校とかいろいろそういうふうな形態が変わっていくというふうになっております。

日本ではもともとADHDというのを、ADHDとLDを混同して捉えてきている経過があるということと、軽い遅れのお子さん達や、自閉もLDあるいはLD周辺という言葉で、そういう人達をメインに捉えてきている。そしてコミュニケーションの問題に重点がおかれてきて、集団での少子グループ指導ですとかソーシャルスキルとかそういうことに重点がおかれてきていて、ディスレクシアなど学習に問題がでるLDというのはあまり、いまだに学校に行きますと、気になる子っていうとADHD、あるいはコミュニケーションの問題の子があがってくる、あるいは言葉の遅れの子があがってくるぐらいでLDは本当に一斉授業の中では問題にされていないというふうに思っております。

ディスレクシアというのは、今田中先生からお話がありました通りに、知的能力は普通以上で、言葉として読んでもらうと理解はできるけど、読みから読みという情報処理、高次の情報処理がうまくいかない。読みが苦手だと書くという方も困難になってきて、むしろ読みっていうのはある程度日本語の場合は、小学校3~4年で少し簡単なことが読めてきますし、そうなると書字のつまずきの方がめだっていくと。そしてまた中学に入って、読みの非常に難しい英語にぶつかると、つまずいていってしまうというふうな経過をたどっております。そしてこのディスレクシアは大人もディスレクシアと大変似ている部分としては、失名詞症状って言われている、思い出す、想起の困難さ、特に友達の名前とか、先生の名前とかそういうものを思い出しにくいというものがかなりな率で合併しております。そして1字ずつ読むっていうことの他に、もう少し先に行きますと、飛ばし読みとか、音を混同してしまう、あるいは逆に読んでしまう、類似の音に置き換えて読んでしまうというようなことが起きてきます。クリニックをクリーニングとかですね。日本語の場合は、なんとなくわかりますけれども、英語の場合だと、全く「犬」が「神様」になったり、全く意味が違ってしまうというところが多分英語の方もまた大変に大きな問題をもっているんだろうと思います。そして今、田中先生もおっしゃられたように、英語圏では、Phonological、音と字の結びつき、音の問題。それから一つのつながった、いろんな文字を思い出す、例えば「さ」って書いてあると「さ」って字を見ると「さ」って音を思い出して、それと結びつけてそれをスピードアップして、ずっとやっていくっていう、集中ももちろん必要ですし、思い出すっていうメモリーの問題なんかも加わってきて、その辺が、困難であるという、この音韻の問題とRANと私達言っていますが、その二重障害仮説というのが、最近言われておりますし、特に英語は音が非常に大事ですから、そういうことがあるだろうと。そして日本語でも、やっぱり基本的には同じというふうに私は思っております。ひらがなとかカタカナは1対1対応なので、読みやすいし、漢字は例えば「空」なんていうと、次に「気」がくれば「くうき」と読んだりですね、「元気」っていうのがくると「からげんき」と読んだりいろんな読み方があるので、英語と似たように読みが難しいというふうに思います。書字に関しては特に視覚的なものが漢字は難しいということもあって、さらに字を書くということが難しい。そしてこれもお話ししていると多分もう時間がないと思いますので、音韻意識の発達というのも3つの段階に分かれていて、例えば日本語の場合は音節読みが多いので、特殊音節とかそれ以外は音節読みが多いので、一番上の音節の意識の発達っていうのは、わりと本を読む前ぐらいからもう発達してきます。そこが発達さえしていれば、日本語は読めてしまう。ところがこの音韻とか音素っていうもうちょっと細かい段階の音の意識というものができてこないと英語は読めない。ですから日本語はなんとか読める人でも、英語が読めないということがすごく起こってくるわけです。そして今言った、ランという音韻意識が良い例にもディスレクシアがあるということで、分析していきますと、こういうRANといういろんな想起が難しい。結局、名前、読みの速度と正確さがすごく大きくなってくると響いてくる。そして日本の場合は、語彙にしても、読みがうまくいかないと、やはりきちんと正確に読んでないと、語彙が発達しない。それから無意味な言葉を読ませると、無意味な言葉のほうが読みにくいわけですね。このディスレクシアの人達はそういう人が多いというふうに言われています。そうすると語彙がどんどん減ってきてしまう。そういう部分の語彙の部分、それから書字の部分、読みの部分も統計的に標準化された検査というのは、音韻意識に関するものも含めてですね、何もないんです。ですから私達が判断しているのは、本当に2年以上遅れているとか、低学年だと1年以上遅れているというようなところから想像している、推定しているに過ぎないわけです。その辺をぜひ田中先生にやっていただきたいと思いますし、先程私達のグループがやったのは、非常に今あれをやったのはちょっと恥ずかしいと思うくらいですね。きちんとした語彙、言葉の選択もしてありませんし、使われてちょっと恥ずかしい感じがしました。語彙に関しても年齢別の標準化も必要だし、子ども特有の語彙の発達状況がまだわかっていないんですね。

いろんな言葉に関する検査っていうのは、日本では標準化されたものは、IPPAだとか「会話語彙検査」っていうのがあるんですけれども、「会話語彙検査」なんていうのは甘すぎて、全然こういう人達には使えない。IPPAもあんまり結果から出てくるところは、言葉の遅れだとか、聴覚的な問題がある人達には、割ときれいに出てくることもありますが、こういうディスレクシアに関しては全く意味をなさないというふうに思っております。やはり、そういうものを作っていくのに、その言葉がどのくらい親密度が高いかっていうことも非常に大きな問題ですし、日本の場合、また学習指導要領の影響をすごく受けるということで、作っていくのが難しい。その学習指導要領も何もそういうことを考えずに作られているものですから大変難しいところで。私はもう年をとってきましたけど、田中先生にそういうことをやっていただくのは、今後大変だなというふうに思っています。そして医学的に、私の所に来る人達っていうのは皆さん、ADHDとかですねそういうことで来られて、先程の田中先生のように、読み書きの問題で来る人っていうのはほとんどいないんですね。ADHDだとか、あるいは高機能自閉だとか、アスペルガー症候群そういうものに合併しているものがたくさんあるので、多分ちょっと研究されるとたくさんそういう人達が出てくる。その場合に、医学的な定義っていうのは、アメリカの精神学会の診断基準が日本ではよく使われていますし、もう一つはCD10というのが使われているんですけれども。特にこのアメリカの精神医学会の判断基準というのは読みのことしか言及していないということで。書字の問題については言われていない。その点ではCD10の方がはっきりとそういうことを言われている。そして、今私が所属しておりますIDA、インターナショナル・ディスレクシア・アソシエーションの方では、やはり音韻の処理問題ですとか、他の言語機能、読みだけでなく書字の方にも問題があるということに言及された定義、Working Definitionができてきております。私達が何例かを見てみますと私の場合はやはりADHDがあって、そのほかに音節の意識の遅れがある人たちが多かったものですから、やはり読み書きの問題は大変大きかった。その場合によくLDの場合は心理検査はされるんですけれども、その傾向、どちらのどういう偏りがあるかとか、ないかのかという場合にはあまり関係なく、出現してきているというふうに思います。中学生になりますと、これもちょっとお恥ずかしい、ちゃんとした研究ではないのですが、この人たちは普通の中学生で小学校5年ぐらいのレベルの、ある一節の文章を読んでいただき、そのスピードだけみたんです。内容理解だとかそういうことは一切みておりませんが。こちらが中学生で私が関連してましたLDのフリースクールの中学生で、読み書き障害のお子さん達ですが。こういうふうに縦書きだと本当に読みが遅いです。このくらいだと、普通の中学にいくと、10点、20点しか点数がとれない。中には、先程言いました音節の読みはできている、だけど英語は読めないと言う人も1人いました。その人は、英語が、もう今は大学生になっているんですが、「CAT」って書いてあるのを見て、「シー、エイ、ティ」と読めるんですけど、じゃあ「なんのことですか?」とって言うとわからないんですね。「キャット」と書いてあるって言うと、「あっ、なんだ猫のことだ。」というふうにわかる。耳から聞くとわかるけど、目から見て読めない。非常に重いディスレクシアなんですけれども、その人はお母さんから特訓を受けたこともあるんですけれども、漢字が苦手以外は読み書きができるんですね、日本語は。そういう人達なんです。アスペルベルガー症候群っていうコミュニケーションの問題を持っている、言葉の能力の高いお子さんですけれども、やはりその中にも17例ぐらい、ですから10%~15%近くはディスレクシアがいるなというふうに思います。そういう人達にはやはり学校でコミュニケーションの部分として居場所だとか、不安に対する対応だとかそういうことが必要になってきますし、またADHDの医学的な治療ですとか、そういったような行動面に対する対処も必要ですし、さらに学習面の対応が非常にまた必要になってくる。それをどういうふうにやっていくのか。例えば特別支援学級に今度なったとしても、本当にそういうところをいろんな部分に支援ができるのかっていうふうに思っています。

本題のDAISYソフトに入りますが、やはり学習面での負担の軽減をするという意味で、DAISYソフトは大変に力があるんじゃないかなあというふうに思います。ただ私達がDAISYの教材を作ろうと思いますと、講習を私達も夏3日間受けたんですけれども、それだけではなかなか作れるようにならない。もう2,3回の講習、あるいはフォロー・アップの研修をしていただかないとやっぱりできないなあというふうに思っています。それからディスレクシアのお子さん達にちょっと使ってみたので、音がうるさい。かえって自分が読めないところだけ教えてほしいと言うのがありました。それも今後考えていかなければいけない点だと思います。ソフトで、DAISYソフトで教材を作っていくのは大変いいと思いますが、後は、このディスレクシアの人達はある程度読めてきても辞書を引くっていうのは大変な問題なんですね。今私のところに何人かいる人も皆お母さんが自分でやってもらいたいものですから、辞書を渡したりするんですけれど、辞書を引くっていうのは大変。ですからやはりDAISYは大量にこういうことができるっていうことで、辞書を作っていくことも簡単なものでいいと思いますが、子ども用辞書を作っていくというのも一つの、教材だけでなく必要かなというふうに思っています。それから、また法律ですとか、生活に必要なもの。例えば知的障害の方ですと20歳になると障害者年金というのがもらえますが、それの診断書を私のところに来たりして作ってもらわなければいけない。そういう時の何をどうしたらいいかというのをお母さんがついていけばできるかもしれませんが、やはりそれを一人でやることですとか、この前もこのDAISYの方でもう一つありました災害の時にマニュアルですとか、あるいは法律を知っていくとか、生活に必要な法律、それからその他必要なものを読んでいくような、実際に必要なことをこれで作っていかないといけないなというふうに思っております。ディスレクシアの人達自身がまたホームページで何かを探そうとしたときに、そのディスレクシアに関する情報を読めるように。今NPO、エッジっていうところが活動していますが。そこのホームページなんかもこういうもので、DAISYで作っていくといいのではないかと思っております。