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質疑応答

中西:皆様方もいろいろお聞きになりたいことがあると思いますので、質問を受けたいと思います。どなたかいらっしゃいますか。
最初の質問が出るまでの間に、まず私からお聞きしたいと思います。クリシュナさんはデモを行ったそうですが、どのようなデモでしたか。

ネパールのデモ

クリシュナ:私たちがILセンターを開所してから、このような活動には積極的に参加してきました。2006年には市民運動にも参加しましたし、政府に対して憲法の草案作りの時に障害者が参加できるように訴えかけています。政府は私たちの声を聞きませんでしたので、私たちは2006年の秋に障害者のデモを起こしました。その時は多くの友人が怪我を負い、そして逮捕されました。その時、私たちは政府と二回交渉をしました。しかし、何も変わりませんでした。

中西:ありがとうございます。クリシュナさんが無事でよかったです。それではご質問、ありますか。

会場:二人ともILセンターをアジアへ広めていただいて、感謝しています。二人に質問です。政府との話し合いは大変だと思いますが、クリシュナさんはどのように政府から年金制度を勝ち得ることが出来たか、そのプロセスを教えて下さい。また、シャフィクさんには、世界銀行のプロジェクトによってどのように政府が影響を受け、今後の障害者福祉が変わっていくのか、教えて下さい。

ネパールの障害者政策の現状

クリシュナ:どのような活動においても、友人・仲間というのはとても重要です。私たちは自立生活運動を行うために多くの友人を作り、そして議論してきました。それを通じて、市民社会や政府との交渉、そしてアドボカシーの活動を行ってきました。
 ネパールには障害者保護法(Disability Protection Act)がありますが、強制力を持つものではなく、チャリティ・ベースです。ネパールには重度障害者の権利を保障するような法律はありません。重度の障害を持っている人たちは、今でもほとんど家の中に留まり外に出てきません。
 そこで、ILセンターの活動として、その人たちをどのようにして外に出すか、どのようにセンターの事務所に来てもらうかをまず考えました。また、デモをして、政府に対して様々な人たちがいるのだということを示しました。このように政府と交渉した結果、カトマンズILセンターは政府によって認められ、そして政府が私たちをサポートしてくれることになりました。
 けれども、挑戦すべき課題はまだあります。政府は、障害者に年金を提供することを決めましたが、まだ実行されていません。私たちは確実に実行されるよう、今後働きかけていくつもりです。

世界銀行のプロジェクト(日本社会開発基金プロジェクト)について

シャフィク:世界銀行のプロジェクトがはじまったのは、実質的には今年の一月からですが、被災地に4つのILセンターを設立するという第一段階のターゲットは達成しました。そこで、次のターゲットとしては、被災地の障害者に人権や差別などについて理解してもらうこと、また地域の人々に障害者のことについて知ってもらうことです。それが大切だと思っています。このようなことが、建物や施設を作ったりすることよりもよほど効果的だと思うからです。
 政府がどのように影響を受けているかということですが、彼らは私たちの活動を認識し、結果も知っていると思いますが、具体的にはまだ動きはありません。3年くらい前にできた法律にも障害者施策について盛り込まれましたが、まだ実行には及んでいません。  しかし、私たちは諦めずに活動を続けていくつもりです。政府は、私たちの運動を止められないと思います。どちらにせよ、私たちの活動は不法ではありませんし、それどころか政府にとっても逆に良いことだと思っています。
 私たちは今後3年間で、パキスタン全土の1万人の障害者の人たちに家から出てきて欲しいと考えています。まず、障害者自身が立ち上がるべきだと思うからです。例えば、私たちの街にアクセスの良いバスがなかった場合、それは社会や制度より、まず自分達自身を振り返らなくていけないと思います。これまで私たちは、何かを獲得するために頑張ったり、自分たちの気持ちを共有したりすることをしてきませんでした。ただ、与えられるのを待っていたのです。支援をしてくれる人たちがいても、障害者の方から何が必要なのかをあまり言いませんでした。私は、パキスタンにおいても障害者が自分の権利を知り、何が必要なのかを訴えていくことが重要なのだと思っています。
 私たちは、アクセスの良いバスを要求する前に、車いすで外に出ることからはじめなければなりません。その次に、アクセスを求めるために、仲間とともにデモを行ったりする必要があると考えています。現在、自立生活運動のコンセプトは、パキスタンにおいても全国的に広がってきています。さらに広めていくには、障害者たちにピアカウンセリングや介助サービスなどを具体的に見せていくことが私たちは大切だと思います。このように運動を続けていくことで、10年後には介助に関してもより良いサービスが獲得できるようになるでしょう。
 社会を変えたいと思うのであれば、もっと現実的に考えていかなければなりません。今私たちは、前例のない中で活動をしていますので、少しずつ変えていく、活動を継続する、そうしていくしかないと思います。

中西:ありがとうございました。午後にも二人はパネルでもご出席になりますが、お二人の活動についての詳しい質問はたぶん今が最適かと思います。

会場:パキスタンで、私も地震の現場を見てきました。女性、男性を含む70名くらいの人が、イスラマバードの病院に収容されていました。そして、彼らの多くが、僕も見たことのないくらい大きな褥そうを身体に作っていました。僕が見ただけでも十数名いました。その人たちは今どうしていますか。

地震で脊髄損傷を負った人たちのその後

シャフィク:そうですね、今ではILセンターを作ったので、状況は少しずつ変わってきていると思います。今後は、そうした人たちをなるべく病院から地域のほうに移し、脊椎損傷をしている人たちにもケアをし、そして車いすや介助者を使うことなどを伝えていきたいと思っております。病院の現状では、1室に150人入院しており、一人が体調を崩すと、周囲に一気に広まるという劣悪な状況になっているので、私たちとしてはそのような病院の状況を改善したいと考えています。そして、退院後も、私たちのILセンターを通じて通常の生活に戻れるように支援したいと思っています。

中西:ありがとうございます。伺えば伺うほど様々な問題が見えてくると思うのですが、今おわかりになったように、シャフィクさんもクリシュナさんも日本語は忘れていないようです。お休み時間に個人的にお話とか質問とかいただくことができますので、午前中のパネルはこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。