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国際セミナー報告書「ヨーロッパとアジアのソーシャル・ファームの動向と取り組み-ソーシャル・インクルージョンを目指して-」

パネルディスカッション

パネルディスカッションの写真

山内:ありがとうございました。それでは、パネリストの先生方、壇のほうへ上がってください。皆さんおそろいになりましたところで、パネルディスカッションを始めたいと思います。

今朝、炭谷先生からいろいろお話がございました。特に、外国の勉強もしながらしかし同時にどういうふうに日本でこれからやっていけばよいかということを中心に考えたい。具体的に連絡協議会のようなものを作りたいというご提案がございました。そのあたりを中心に議論を進めていきたいと思っております。

まず、皮切りといいましょうか、お願いしたいと思っておりますので、口火を、わっぱの会の方にお願いできればと思っているのですが、よろしいでしょうか?

会場:去年も参加させていただいたのですが、今日炭谷さんのお話の中で、一番最後にわが国におけるソーシャル・ファームの協議会、もしくは協会を作りたいというお言葉を聞きまして大変嬉しく思いましたし、勇気づけられたという気がしております。是非そういう方向に動いていっていただきたい、私自身もそういう中に参加させていただきたいと思います。わっぱの会としては現在、約180名のメンバーがいまして、そのうち100人くらいの身体・知的・精神、さまざまな障害を持った人たちとともに働いているわけです。それでパンやお菓子、農業、リサイクル、こういった生産販売の仕事を行い、また介護サービスや一般就労支援といったさまざまな障害者に関わるサービス活動を行っております。

その中で自分たちがイギリスやドイツのソーシャル・ファームといったものと極めて共通した中身があるのだと思ってはおりますが、なかなか日本においてはそれが法的にはそれをバックアップするものがないということについては、ずっと歯がゆい思いをしております。

私たちは、そもそも日本に作業所運動というのが1970年くらいから起きてきたわけですが、障害を持っている人たちが働く場がないということで、障害者本人や家族や関係者の人たちが立ち上がって、自分たちで働く場を作るという作業所運動がずっと三十数年日本に引き続いてきました。それが、最初は全くの任意団体で取り組まれてきたものが、社会福祉法人格を取ったりという形で制度に組み込まれていく中で、約20万近い障害者が福祉的就労という形で授産施設や作業所で働いているというのが今の実態です。働く場を持ちたいと言って動き始めたのだけれど、結局毎日通う場所はあっても、そこで働いても、授産施設の平均が12,000円くらいの工賃しか保証できないということで、ほとんどソーシャル・ファームのような形で働いて社会の中で生きるということとはほど遠い状態が、日本においては最も一般的であります。

そういう中で、私どもとしては、そういう場ではない、障害があっても一緒に働いて社会の中で生きることができる、そういう事業所を作っていきたいということで、1984年に共同連というグループを作りました。今年静岡で大会をちょうど行いまして、記念講演で炭谷さんに来ていただきましてお話をいただきました。その取り組みをもう20年来ずっと続けてきたわけですが、元々が弱体な組織ばかりが集まって続けてきた運動ですし、中にはそれなりに成功している団体もいくつもあるのですけれど、やはり非常に経済的には力のない団体で、全国にそういう場所、作業所を脱皮してソーシャル・ファーム的な内容になったものにしていこうという呼びかけは一生懸命しているのですが、なかなか広がっていかない。自分たちの場を営むだけが精一杯で、広げようと思っても広がらないというのが実態です。

しかしながら、今言ったそういう20万近い福祉的就労の現場の人たちの中では、そういう働き方ではなくて、きちっとした自分たちの働きが認められ、それが社会の中で普通に行えるような、そういう働き方に変わるようにしていきたい。そう思っている人たちがたくさんいるのですが、私たちもそういう人たちにどういうふうにしてアドバイスをし、力を与えていくことができるかというのがなかなか見いだせない。そういうこと、特にそういうソーシャル・ファームの協議会、協会を作ろうという呼びかけをいただいたわけなので、本当に資金の問題だけではなくて、いろいろな意味の仕事の確保や、そして人材の育成、地域とのさまざまな連携、とりわけいろいろな企業や他の非営利団体との連携、そういったことにおいて、そういう協議会や協会ができるということが本当に意味のあることだと思いますので、是非そういう方向に進んでいただきたいと思います。

どうぞよろしくお願いしたいと思います。以上です。

山内:ありがとうございました。非常に心強いお言葉、ありがたかったのですが、どなたか、もしくはパネルのほうからコメントはございますか?

炭谷:どうもありがとうございました。わっぱの会というのは日本の中でも30年程度の大変長い歴史を持っている団体で、今お聞きになったようにたくさんの人数の障害者の仕事の場を提供されている。私自身、全国いろいろたくさんのソーシャル・ファーム的なことをやっていらっしゃる人たちとお会いしましたけれども、日本でも有数のソーシャル・ファームの先駆者ではないのかなと思っております。でも、その間の努力というのは大変だったのだろうと思います。特にそこで実際、障害者の支援をして援助されている方のご苦労というのは大変だったのではないかなと思います。

そこで、今おっしゃいましたように、私はやはり障害者の方々の就労状況を見ると、やはりたくさんの問題がある。一つはやはり、賃金、給料、得られる収入の問題ですね。なんとかソーシャル・ファーム的なものによって解決できないのかな、というのはございます。それから2番目に、やはり働くというのは福祉的な就労の場合ともすれば、語弊があって、わかりやすく表現するために非常に反発を感じられるかもしれませんが、毎日の生活を過ごすために働くという場合があるのではないか。本当に仕事としての喜びといいますか、自分としての自尊心といいますか、そういう尊厳を持って働く、そういう職種、仕事というのが本来仕事だろうと思うのですね。そして3番目には、それによって社会とのつながりを結びつけていきたい。それがソーシャル・ファームの大きな効果だと思います。

多分この3つのことで今各方面でいろいろと苦労されて、なんとか生き甲斐のある、働き甲斐のある仕事がないのかな、いい給料が稼げ、いい賃金が払えるようになれないのかな、もっと障害者の方が社会の中に出ていけないのかな、ということで日夜苦労されている。そういうものの解決の手段として、今日ソーシャル・ファームというものが一つ使える、その手法が有効になるのではないかと思っております。

幸い、今日、ドイツ、イギリス、韓国のお話をお聞きしますと、ソーシャル・ファームというのはずいぶん役に立つのではないかと思いました。

山内:ありがとうございました。炭谷先生からの今のようなご意見をいただきましたが、どなたかご意見はございませんか? はい、どうぞ。

会場:素敵なお話をありがとうございました。

今年、進学か就職かで迷って、進学をする際に公的機関が運営している職業訓練校に入ろうと思ったのですが、私の夢であるアパレル関係、特にテイラード職人になることなのですが、そういった道が全く開けていなくて、女性の服を作る訓練を受けたとしても、今のアパレル業界ではとてもじゃないけれどもやっていけない、と講師の方からしっかりと教えていただきました。

それで今日のお話をうかがって、聞いているほうとしては、二つの感情がありまして、多分このソーシャル・ファームというのはとても素晴らしい考えであり活動であるとは思うのですが、障害者が就労できる場を限定してしまっているようで、逆に悲しかったこともあります。イギリスの公的機関からの支援がなくて、自身の収入で生活していけるようになるようにするためには、とても大変なことがたくさんあるという話で、すごく納得しました。ありがとうございます。

山内:ソーシャル・ファームによって、障害者の働く場が限定されるのではないかという危惧をお持ちだというふうに理解してよろしいですか。これは、寺島先生にコメントをお願いしましょう。

寺島:言われることはよくわかります。ただ、ソーシャル・ファームは障害者の方の雇用の一部で、もっと全体を見れば、もちろん一般企業で働いておられる方もたくさんおられますし、別に限定しようと思っているわけではないのですが、なかなか雇用の場が見つからない人たちがたくさんいるというところをなんとかしたいということであります。一般企業で働いている方がおられないというわけではありませんので、さらに雇用を進めていきたいということをお話しております。

もともとはノーマライゼーションという理念がありまして、普通の企業に障害のある方もない方も一緒に働くということを大きな目的にしておりますので、その中でも現実を見ればなかなかそれは進んでいないので、どうやって進めていくか、という話だと受け取っていただければありがたい。

山内:ありがとうございました。

それから、ご意見があるはずだから、と承っている方にお願いしたいと思います。

会場:今の若い方のお話と連携します。たいへん考え方が、私の感じたことと全く違う方向から自分の考え方を構築していくのが、私はむしろさびしいなと思いました。

ハンディキャップ、ノーマライゼーション、こういう言葉が1980年代、私のちょうど子育てが始まったときに身近にあった環境なんです。以前ヨーロッパにおりまして、日本の環境ではなくてヨーロッパの環境を私は直接感じていたものですから。

それで、ソーシャル・ファームというこれに私が行き着くまで、今日まで25年かかりました。それは、障害者もそれから健常者も、介護を必要とするお年寄りも、それから認知症の方も、全てが地域を作る財産であるコミュニティ、地域の財産が人であり、またはその地場の産業であり、それからそこに息づく文化、そういう一つの形態の中に私たちは生かされているんです。そういう中で考えると、障害者の学校、特に私も学校に関して特P連の全国の理事をやりましたときに、全て学校に教育を任せよう、それから自治体に施設作りや、またはコアを任せよう。そうしますと、子育てしている母親も地域も、全てですね、障害者の方だけでなくて高齢者も、じゃあ我々は地域にどう参加するのか、我々はこの社会をどうするのか、日本の方向性をどう考えていくのか、そういう提案型の一つの事業の掘り起こし、これが私の大きな課題でしたので、このへんで炭谷先生のソーシャル・ファームとつながって、私は大変力強く今日まで活動しております。

ドイツもイングランドも、私両方ホームステイして研修させていただきましたが、日本人も全て、人の命の尊厳というもの、環境というもの、これに関しては同じ共有の意識です。では、その方法をどうするか。それは、国の事情、文化、歴史、あらゆる面で北半球、南半球の環境が違いますから、異なってきます。私、今日のこのソーシャル・ファームで一番嬉しかったことは、韓国の先生が、日本で今自治体が作っている、または厚生労働省が作っているシートに近いものなのですね。これは自治体や指導者や学校の、いわゆるデスクワークで作るものではなく、これが草の根で、私たちの提案を活かしてくれて、インキュベートしてくれる。これがソーシャル・ファームの一番大きな窓口であり、一つのステップかなと思っております。それはドイツ型でありイタリア型であり、英国型が混在している、複合的なものだと思っております。障害者も高齢者も子どもも女性も、地域のサポーターであり地域のコミュニティの一員であり、ノーマライゼーションの本当の社会を作るうえでは、全ての人が、また公務員であっても先生方であっても代議士であっても全てバッヂを外して参加できるコミュニティ、これがこのソーシャル・ファームの原点に私は考えていただけたらと思って、みんなに声かけをしています。障害者の人たちや、みんなが、安全な食品作りということで今現在しているのは、安全な食の環境ですね。土壌から有機栽培、それから健康づくり、それからおじいちゃん、おばあちゃんたちと子どもたちが一緒に生活でき、施設の利用ができる複合的な施設、そういうものを目指して、これから医療と福祉のコラボレーションである複合施設の運営に入ります。

それで、ここにたくさんの先生、毎回いいお話を持ってきてくださっても、じゃあ私に何ができるのかって、私が行動しないと、一人一人が行動しないと、これはソーシャル・ファームも大きな展開にならないのかな。私はネットワークで、新潟から、湯沢の町長の上村さんをお呼びして、一緒に聞きましょうということで来ております。今、ここにもうすぐ着きますけれども、韓国から帰ってくる先生ですとか、皆さん、最先端のいろいろなソーシャル・ファームに関わる、障害者という言葉ではなく、我々、日本人であり地球市民である我々がいかに楽しく老後まで、0歳から生涯のステージを自分たちで設計できて提案ができた後、政府や自治体や、それから企業がいかにインキュベートしてくれるか、これが我々のこれからの行動に関わってくるのかな、そのように思いました。

これからの地域サポーターは女性が主力です。女性の皆さん、どうぞ一緒に頑張っていきたいと思います。

山内:元気の出る話で、どうもありがとうございました。

では、今手を挙げられた方、どうぞ。

会場:自立生活センターの活動に関わっている者なのですが、ソーシャル・ファームの炭谷先生の提唱されていることに非常に興味を持って、何年か少し勉強させていただいています。

今日のお話の中で、ソーシャル・ファームのことで気になることがあります。

一つはソーシャル・ファームの位置づけということで、福祉と一般就労の中間的な位置づけとか、新自由主義の中での社会保障から働く場への転換の方向としてのソーシャル・ファームというような位置づけを少し話の中でも聞かせていただいたのですけれど、そうするとたとえば労働という考え方で言うと、障害を持った人たちの保護雇用を労働施策で充実させていくことで障害者を雇用していくことが可能になれば、障害者を雇うという面ではソーシャル・ファームというようなことまでは必要ないのではないか、という考え方にも行ってしまうのではないかと思っていて、私なりに考えていくと、ソーシャル・ファームの中で大切なことというのは働きづらい人や障害を持った人たちが働くことによってエンパワーメントされていくということと、ソーシャル・ファームが社会的な貢献の場であって、地域コミュニティに対してもエンパワーメントしていく情報を出していけるという力を持つということ。ソーシャル・ファームという組織自体の活動のほうを重点として位置づけていかないと、ソーシャル・ファームというものがなかなか明確になってこないのではないか、と感じました。以上です。

炭谷:どうもありがとうございました。大変いいご意見だと思います。

ソーシャル・ファームの目的として、私は非常にこれから重要になるものとして、三つ最後に話させていただいたのですが、一つはやはり人間の尊厳としての話。それからそこに参加して、責任ある参加をして積極的に運営に参画していくということ。最後に環境という三つを言ったのですが、その特に一番目、二番目については今ご指摘のエンパワーメント、むしろその当事者の力を増していく、そういうことに直結していると思います。

それから、今日ドイツの方からもお話がありましたけれども、後で少し補足をしていただければいいと思いますが、ソーシャル・ファームというものの、一つの三つのうちにやはり同じようにエンパワーメントを当事者に付与していく、それがドイツのソーシャル・ファームの非常に大きな三つのうちの一つ、後でちょっと補足をして欲しいのですが、エンパワーメントを目的にしているのですね。ですから、今ご指摘されたことと全く同じ方向ということで私どもは考えております。今日私はエンパワーメントという言葉は使いませんでしたが、それに大きく貢献していくと思います。

それから、今のご質問と、先ほどの女性が大変いいご質問をしていただいたと思いますが、これはよく誤解を招くのですが、私どもがソーシャル・ファームということを強調すると、いや、これからは全て障害者の働く場というのはソーシャル・ファームだけが一番いいのか、ととられる恐れがあります。私は常に言っているのですが、公に基づく、社会福祉法制に基づく授産施設等もそこに合う人がもちろんいらっしゃる。それから、一般企業で働くほうがいい人もたくさんいらっしゃるわけです。別にソーシャル・ファームが一番いいとは、そういうふうには思っていない。多様な働く場というのはそれぞれ非常に多様化していますから、第一の職場、第二、第三の職場を否定して進めているわけではないということを、ちょっと先ほどの、これからソーシャル・ファーム一本だとは全く考えていない。むしろ、第一の職場も、第二の職場もこれから、まだまだ不十分だと思うので充実していかなければならないと思っております。

ありがとうございます、それではドイツの、ペーターさん。

シュタードラー:ありがとうございます。おっしゃる通りだと思います。ドイツではいくつかの制度、対策があり、それによって障害のある人たちの一般の労働市場における統合化を図っております。ソーシャル・ファームはそのうちの一つの手段にすぎません。それをはっきりしたいと思います。

その他の制度としては、たとえば就職斡旋、職業斡旋があります。特に資格を持った人たちがそのお手伝いをしておりますが、このように支援付きの就労を手伝っております。

また、障害のある人たちはいわゆる授産施設での就労を望む人たちがいます。

私の意見、そしてまたドイツにおけるソーシャル・ファーム運動のとっている意見、立場ですが、障害のある人たちは選択肢を持つべきであるということです。2年後、たとえば気が変わった。別のところで働きたいというのであれば、別のその種の雇用機会があるべきだと考えます。もちろん、ドイツで一人一人の方々と会って、ソーシャル・ファームで働いている人たち一人一人にお話を伺う、ないしは希望している人たちの話を聞きますと、ほとんどの人たちは元々授産施設にいた人たちであります。ドイツの場合には就労の契約はない、給与もありません。ドイツにおいて授産施設で働いている人たちは、福祉手当、公的扶助を受けています。ですから彼らは本当の意味での統合化を図っています。きちんとした契約に基づいて働きたい、自分の車を買いたい、銀行から融資を受けたいという希望を持っています。ですから彼らは、ソーシャル・ファームでの就職を希望します。3年後、場合によってはソーシャル・ファームで働いた結果、いや、普通の一般の労働市場で就職したいと言うかもしれません。それも可能だと思います。もし、民間企業に就職したくなければ、ソーシャル・ファームにとどまることもあるでしょう。中には、3年、4年たってまた授産施設に戻る人たちもいるかもしれません。

いずれにしても、障害のある人たちは選択肢を与えられるべきであるというのが我々の立場です。

山内:ありがとうございました。

パービス:私からもコメントしたいと思います。

イギリスの状況というのは、ドイツとはちょっと違います。今ペーターさんがソーシャル・ファームについてお話になりましたが、これはきちんとしたビジネスということであり、特に保護されているというわけではありません。

しかし、ソーシャル・エンタープライズのことは決して忘れてはなりません。すなわち、彼らの目的というのは障害者のために雇用機会を生むことです。きちんとした労働協約を結ばなければならないということです。しかし、形態としてはきちんとした企業であり、市場の中で活動ができるものを言います。ですから、先ほどの質問に対する答えということでお話しました。

それからこちらの女性の方なのですが、政府は保護しなければならない、ソーシャル・ファームを育てなければならないということをおっしゃいましたが、それは政府の役割ではありません。政府というのはどうもリスクを避けようとして、なかなか創造的でもありません。かつて私も勤めていたのでわかります。すなわち、社会的な企業を育てるということ、それは下からの力でやっていかなければなりません。やはり、官僚の縛りのないところでやっていくべきではないかと思います。

それから、健全なコミュニティを作るということ。これは全ての人たちが求める理想の状況だと思いますが、ソーシャル・ファームが作られるのならばら、そしてそれが何か製品やサービスを提供するということであるならば、おそらくコミュニティの理解を得ることができると思います。

そのために一番重要なのは、そのサービスを利用すること、そしてその製品を買うことでしょう。つまり、利益を競い合うというようなものでは、そういうものは理解できないと思います。ですから、地元にいる人たちが、たとえばソーシャル・ファームについて話をする、そして理解を深めることがソーシャル・ファームに対する追い風になるのではないかと思います。

シュタードラー:ありがとうございます。いろいろ発言をいただきました。一つ付け加えたいことなのですが、ドイツにおいてはソーシャル・ファームというのは開かれた労働市場の中で活動しております。二つ、言いたいことがあります。

一つは、ソーシャル・ファームに勤めている人たちにおいては、自立して生活する、すなわち福祉手当を受けずに自立できる可能性があるということです。つまり、きちんとした給料で生活ができる可能性があるということです。しかし、民間企業に行くともっとサラリーは高いかもしれません。ですから、そこは選択を迫られる点になると思います。ソーシャル・ファームというのは開かれた労働市場で活動するわけですが、その中でもう少し給料が欲しいからここを去る、という決定もあるかと思います。

また、民間企業で勤めた経験から言えるのですが、どういう特別な経験が必要なのか、そしてそこではどれくらい障害に対する配慮があるのか、そういうことは十分判断しなければなりません。ソーシャル・ファームにおいては、スタッフの50%、あるいは25%の人たちが障害者であるということが定められていますので、従ってソーシャル・ファームというのは普通の労働市場の中で活動しているものですが、しかしその可能性、また支援機関があるということ、そういうことも考えながら、民間に行くのか、あるいはソーシャル・ファームにとどまるのかということを判断すべきだと思います。

山内:それから、もうひとかた、ご意見をおうかがいしたほうがいいよという話があがっております。

会場:立派なことを言えませんが、現在、リプラスというところでリサイクル事業に取り組んでおります。それで、今日の話の中で、エンパワーメントと、環境に着目した考え方、インクルージョンを含めています。僕のほうの進め方としては、どちらかというと環境に着目した考え方で今スタートしています。

当初、今でもそうなのですが、就労支援ということで、一般就労できればこれにこしたことはない。ところがなかなか高齢化して取り残された人をどうするかということで、自分のところで新しく脱施設化をしてソーシャル・ファーム的なことができないかと、今取り組んでおります。その中のポイントとして今考えているのは、いわゆる環境適合性、それから経済性、それから社会貢献ということで、これを三つの柱として今、組み立てております。

特に大事なところは、いわゆる経済性の問題が今一つの一番のポイントだろうと思っています。私自身が福祉に関しては本当にまだ素人です。こういう仕事に民間から入りまして、福祉関係を見たときに、いわゆる下請け的な仕事が多くて、いわゆる生産性の話とかそういうものが生かされていないということで、そこに着目して非常に高度な部分と、一つは川上作戦、川下作戦、いわゆる高度な部分と、作業性を必要とする仕事、この組み合わせをうまくやっていく必要があると思いまして、特に日本そのものが、今仕事そのものが二極化しています。高度化して知的な部分と、取り残された作業の部分。これが海外にいろいろ行ってしまうのを、国内で障害者を使ってできないかというこの組み合わせで、一つの新しいスタイルの事業が興せないか。それから、高度化という面では、授産施設でも開発とか技術を含めてのイノベーション的な取り組みですよね。差別化とか高度化、そういうことをすることで、仕事の選択肢がどんどん広がります。ということで、そういうものと、障害者の特性を生かした障害者にしかできないような得意の仕事を組み合わせてやろうということで、今リサイクルを推進しておりまして、これはあくまで事業収入でどれだけ食べられるかと考えています。

先ほど来、いろいろ特例子会社の話からいろいろと出ていますけれども、まだまだLLPの考え方、Liability Limited Partnerとか――組合ですね――このへんの考え方もどんどん取り入れたらどうかな、と思っています。いわゆるLLPなんていうと、全員参加です。障害者も参加して、それで運営するような企業体ですが、まだまだ問題がありまして、新しい考え方の中で非常に面白い運営の一つではないかとか、いろいろな面で今やっておりますけれど、要するに自分たちの収益で買う、作る、売る、この喜びを味わうことができればと、その一端をなんとか実現できればと思って、現実的に取り組んでいる状況です。

いろいろと炭谷先生にもご指導を得ながらやらせていただいていますが、一つは今言いましたように、収益は目的達成のための手段である。やはり持続可能性という面では収益というのは非常に必要だという考え方を、ズバリ入れています。半面いろいろ意見もあるかと思いますけれど、新しいスタイルのそういうものを立ち上げればと思っております。以上です。

山内:現場でのご意見、ありがとうございました。

そろそろ時間も近くなってきましたので、これからは、ソーシャル・ファームの協議会のようなものをこれから作っていこうとすると、そこにどういう事柄を盛り込んで欲しい、そういうことがいろいろあるだろうと思います。この際、せっかくお集まりの皆さんからそういうお話を聞いておきたいと思います。

そのへんを中心に問題提起をお願いしたいのですが。

会場:私の提案なのですが、国際化、国際化と言われている割には外国人の日本に入ってくる方々も少ないですし、日本人で出ていく方々も少ないので、是非日本の障害者関係の指導者たちは外国に行って、最低10年くらい住んで、しっかりとそのいいところを日本人に指導できるように力をつけてきていただきたいと思います。

それから、欧米の方々、外国の方々も日本の中へたくさん入ってきていただいて、そして日本人たちの力の足りないところをご指導いただきたいと思います。日本人だけで今後この問題の成果をあげていくということに、私は絶望的な思いでおります。

山内:非常に強烈な問題提起でありますが、こういう問題提起はやはり必要なのだと思います。

会場:私は全盲の視覚障害者でNPOを立ち上げて、今日のお話のファームとか、そういうものに近いことを私自身思い始めて数年になるのですが、視覚障害者をベースにして、自分が視覚障害ですから、そして視覚障害者のいろいろな問題を見たり聞いたり、あるいは読んだり、そういうことを通じて今考えていることがまさに今日皆さんからお話のあったファームの実現ではないかと思っています。

1997年から1998年にかけて半年間、所沢にある国立身体リハビリテーションセンターに私は半年間入所して訓練を受けた経験があるのですが、そこでいろいろな摩擦を感じました。

2000年に、イギリスの王立盲人協会、RNIBに行くことができて、家内と一緒にヒアリングをさせてもらったとこがあります。事前にいろいろな項目の質問事項を渡しておいたのですが、その中のいくつかを紹介しますと、まずイギリスで盲人の仕事、どんな仕事が多いですか、という質問。これにはびっくりしたのですが、「わからない」と言うのですね、RNIBの専門家なのですが。「なぜ?」と聞いたら、「あなたは、健常者の仕事は何が一番多いかわかっていますか?」、「サラリーマンが多いというのはわかるけれど、仕事として何が多いかというのはちょっと見当がつかない」と言ったら、「そうでしょう、視覚障害者もそうなのですよ」。本人がやりたいこと、本人が本当に望むこと、望むだけではなくて、潜在的に、あるいは学歴とか職歴とか、いろいろなことを話し合って、そして到達していったときに、これをやってみようかというPre-Vocational Trainingというのを非常に大切にしている。

ところが、日本ではみんな枠を決めて、たとえば視覚障害者でいえば「三療」という世界を厳重に取り囲んで、それにだんだん入っていかざるを得ないような指導をして、そこで学んだ、それは歴史と伝統ですから、日本の社会にそれが行き渡っているわけですので、視覚障害者の職域としてはマッサージとか鍼とか、こういう部分が卓越していることは、それはまた別に否定するわけではないのですが、イギリスで話を聞いたときのショックといいますか、なんでもやりたいことが見つかるまでお手伝いするというその精神がすごかった。

一つ、そのことに関連して話を聞いてびっくりしたことがあります。自営のタクシーの運転手なのですが、小さい土地、日本で言えば地方のタクシーの個人の運転手なのですね。その人が見えなくなって、その人は車を2台持っていて、1台は自分で運転して、1台は貸して収益をあげていました。ところが、資本がないので、それを10台にも20台にもしてタクシーの経営者になるわけにはいかない。自分は何がいいだろうということでRNIBのスタッフといろいろな、これはどうだ、これはどうだというものをいくつもいくつもトライアルしたけれども、なかなか見つかるものがなかった。結局1年近くトライアルして、最後にみつけたのは、びっくりしたのですが、ジャーナリストになるということなのですね。それも、地方紙の特派員というか、記事を書いてそれを通信社に送ってお金をもらうという仕事にありついたというか、その道にたどりついたというか。これを聞いて、本当にそれは大丈夫なのか。どういうふうにしてそういう道にたどりついたのか。結論から言うと、日本のジャーナリストの世界とイギリスや他の欧米のジャーナリストの世界が違うのではないか。だから簡単には比較できないという私の結論です。というのは、日本は4大紙とか5大紙とか、中央紙を中心にしたジャーナリストの世界がすごい。だから、本当の地域紙がそういうふうに通信社、ジャーナリストを抱えてその人たちが食べていけるようにはなっていない。たぶんイギリスの場合は地方紙をしっかり国民がサポートしているから、多分その地域の情報に非常に関心を持っている。だから地域の運転手をしていた人は情報源をたくさんもっているので、そこに仕事が結びついたというふうに理解しました。

これを私などがやろうとしていることとつないでいくと、まさに国がやろうとしている、あるいは自治体がやろうとしている方向と全く違うものがあります。これは、多分ソーシャル・ファームをやっていく場合にも同じようなことが言えるのではないか。要するに、やろうとする側は悪気があって言うのではなくて、視覚障害者だから日本の場合は三療の世界が一番いいのだ、そこへ素直に入ってもらって、素直にそこを3年間なら3年間学習して、国家試験を取って、それで自活するなり勤めるなりして三療で食べていく、この世界が一番いいのだよ、というふうにできあがってしまっている。それはそれでいいとしても、そうではない世界があるはずなんだよね。

(拍手)

というのは、そこに視覚障害者の新しい就業の場の創造、そこに私はこれから何年活動できるかわかりませんが、やれたらいいなと、今日新たに覚悟したいところです。

(拍手)

山内:ありがとうございました。ソーシャル・ファームがそういうことをきちっと押さえられるような組織でないと困る、という問題提起として受け取らせていただいてよろしいですか。

本当に時間がわずかになりましたので、まだおそらくそういう話はたくさんあると思うのですが、最後にいくつか、むしろ私としては是非聞いておきたいと思うことがあります。ペーターさんにまずお伺いしておきたいことは、日本で全国的な組織を作るときに、どういう機能を持つべきであるかということについて、その中の大事なことだけを二つ、三つコメントしていただけるとありがたいのですが。

シュタードラー:ドイツでの経験についてお話することはできると思います。それを日本において日本に合うように変えていっていただいたらよいと思います。

まず、会員がいなければいけませんね。会員の中でも、心理・社会的な組織を内包するものでなければなりません。そして、雇用の統合に関してはさまざまな選択肢があるべきだと思いますが、その中の一つがソーシャル・ファームであるということですね。ソーシャル・ファームのアイディアを促進していくものであるといいと思います。

第2点に、最初の段階、3年、4年、5年くらいはパイロット段階として、実験段階として活動するといいと思います。まずお金を調達しなければなりません。たとえば財団などがあればいいですね。あるいは日本の場合には国がモデル・プロジェクトを実施することも可能かもしれません。

三つ目には、今既にある国内のソーシャル・ファームがこの協会の、あるいは協議会のメンバーになる動機付けをする必要があると思います。その動機付けのためには、ソーシャル・ファームのビジネスをやりたいけれどもまだ始まっていないというような人たちも会員として加わってもらう。準会員という形になるのかもしれませんが、そういうこともできるでしょう。今行われていることを分析して、そして国やその他、いわゆる社会起業家と言われるような、ソーシャル・エンタープライズの企業家にいろいろなアイディアを出してもらうといいでしょう。

山内:いくつかの意見がございました。そういうものも含めて、協議会のようなものを作ったときにどういうことを気をつけてやりなさいというリコメンデーションがございましたらお願いしたいのですが。

パービス:そうですね。まず、支援活動が重要だと思います。イギリスにおいても、支援組織、ビジネス・プランニング、あるいは人材の開発等で支援をする組織があります。

先ほどの二つの質問と関係があるかもしれませんが、私は日本に住んで長い間活動してきました。とても驚いていることが一つあるのですが、私は日本人ではなく外国人ですが、全く違う活動をしている人たちと、たくさんの人と会うチャンスがありました。私の夫は投資銀行家なので、投資銀行家にもずいぶんお会いしておりますし、NPO、NGOの方々ともお会いしています。また学者の方々にも会うチャンスがありました。外交官の方々とも会うチャンスがあります。

日本ではあまり皆さん、一緒になって活動しないという感じがします。自分の社会の中で活動している。この協議会を成功させるためには、この世界の外の人に理解してもらうことが必要だと思います。

たとえば企業の中でも有名な人や重要な役割を果たしている人たちに理事会のメンバーになってもらう。そうすると、その人たちがこのソーシャル・ファーム協議会の考え方をいろいろな人に伝えてくれ、資金も集めてくれるのではないかと思います。

篤志家という人たちも日本にはたくさんいらっしゃると思います。お金を持っている人たちがたくさんいらっしゃるでしょう。そういう人たちがスポンサーになると言うかもしれません。このソーシャル・ファーム協議会、ソーシャル・ファームを開発していく組織に対してスポンサーになるという人がいるのではないかと思います。

ですから、そういう意味においてもたとえば、マスコミを対象にした運動をする、キャンペーンをするということも必要でしょう。日本において皆さん方がやろうとしていることについて、この世界の人たちだけではなく、外の世界の人たちにもっと理解して協力してもらうということができれば成功につながっていくと思います。

山内:チョン先生、日本でなぜ、韓国で作った法律に似たものがないのだと驚いておられましたが、今のフロアからのいろいろなご意見をお聞きになったうえで、何かアドバイスや感想があればと思います。

チョン:ありがとうございます。このセミナーに参加させていただいて、二つの驚いたことがあります。

一つ目は、このセミナーが日曜日に行われているということです。日曜日にセミナーをやるなどということは、韓国では考えられないことです。もう一つは、日曜日のセミナーであるにもかかわらず、ほとんどの人が最後まで残っていらっしゃるということです。たいへん感動しております。

いずれにしても、韓国と日本は友好国、お互いに友好国です。地理的にも近い国でありますし、韓国の新しい政権はおそらく日本との友好関係を促進していくという提案をするだろうと思います。新しく大統領になられる方は、中国や北朝鮮に対して親密であるよりも、日本やアメリカに対して親密な感情を持っている人であるからです。おそらく、そういう意味ではいろいろな会議を共同で行い、情報の交流をするということも可能ではないかと思います。

そしておそらく、いろいろな情報交換、あるいは経験の交換のために、これからもいろいろな会議をすることができるのではないかと思います。今日は皆様方からドイツやイギリスのことをずいぶん勉強させていただきましたし、日本のことも勉強させていただきました。昨年、ソーシャル・エンタープライズ法が韓国ではできましたが、私どもの経験からも日本の方が学んでいただいて、また前進していただけるのではないかと思います。日本と韓国で、いつかこの問題について共同の国際会議を開いたらいいのではないかと思います。ありがとうございました。

ミヤッカラヤ:本日はありがとうございました。他の国の方のように、ソーシャル・ファームとかソーシャル・エンタープライズのような話は皆さんにはできなかったのですが、ミャンマーの話が少しできて、ミャンマーの今の障害者の現状が皆様わかればいいなと思います。また皆様の中で東南アジアでソーシャル・ファームとかソーシャル・エンタープライズを今からされようという方がおられれば、ぜひミャンマーにということでお願いしたいと思います。本日はありがとうございました。

寺島:先ほど申し上げましたように私どもの国はソーシャル・ファームに相当するものが今、ないんだろうと思います。ですからそこの部分を補うことで、もう少し障害者、視覚障害の方も当然含めてですが、労働市場で働ける機会をさらに、といっても今まだ多くありませんが、少ないながらもさらに増やしていきたいと考えております。ぜひどなたか、高名な方がここにおられますので、お力をお貸しいただければと思っております。以上です。

山内:最後に炭谷先生、まとめのお言葉をよろしくお願いします。

炭谷:今日はこんなに遅くまで残っていただき、議論に参加していただきまして本当に厚くお礼申し上げます。このソーシャル・ファームの集まり、実はこれで3回目です。3回連続でこのテーマを取り上げました。そして3回とも参加していただいた方も多いのではないかと思います。だんだんソーシャル・ファームの形が見えてきたのではないかと思います。

ソーシャル・ファームで一番大事なのは、我々はソーシャル・ファームの法律を作ろうという運動をやっているわけでもなく、ソーシャル・ファームを誰かが作ってくれという運動をやっているわけではない。いわゆるソーシャル・ファームは自分たちでつくっていかなければいけない。だからソーシャル・ファームがこうあるんじゃなくて、こういうものをつくっていくという、自分たちの中でつくり上げていくものだろうと思います。

実際に今日、海外から来ていただいた韓国、ドイツ、イギリス、みなそれぞれ草の根からできてきたわけであって、誰かがつくってくれたものではない。そこが出発点になるのではないかなと思います。ですから、どういうものでどういう形にするかは、皆様方がお決めになる、我々が決めることであって、誰かが与えてくれるものではないものです。そこからスタートしなければいけないと思います。ですから、まだ形が見えてなくて、ある意味では当たり前の話だと思っています。

今日、いろいろ学ばせていただいたことをもとにして、さらにいろいろと形づくりに努力してまいりたいと思います。

山内:ありがとうございました。私の不手際で少し時間が延びてしまいましたが、これで終わらせていただきたいと思います。最後に、パネリストの先生方に拍手をして終わりたいと思います。