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全体会

分科会コーディネータから分科会の総括

 

関宏之 今回はぜいたくな分科会、シンポジウムをもっていただいたと思います。何回もいろいろなところでお話があったと思いますが、総合リハビリテーションの「総合」とは、いろいろな専門分野の「総合」ではなくて、人間総体を扱うという意味での「総合」であり、リハビリテーションも、人間性の回復、あるいは権利の回復であるという意味合いで、今までの基軸とは違う新しいもので、分科会を構成させていただきました。

まず第1分科会では尾上さんに、権利条約そのものについて語っていただくようにお願いをしました。見事にそれに対応してくださいました。

第2分科会の「生きにくさと向き合う」という、文学的な表現のタイトルにも、藤井さんは見事に料理をしてくださいました。

第3分科会は「共通言語としてのICF」で、共通言語というのはどういう意味なのか、もう一度皆さんと確認したいと思います。

第4分科会の「組織連携とコーディネート」では、コーディネートの意味は、ただ単にそこに組織があったり、人がいたりということではなくて、ある意図をもってまとめ上げていくことであり、橋本さんから具体的に実践されていること、シンポジストの方々の発言を含めたまとめをしていただきました。

第5分科会の「社会資源の創造」は、何もないところからつくっていく、地域をどのように高めていくのかがテーマで、やはり総合リハビリテーションであらわされました。

5つの分科会には、あちらにも、こちらにも行きたいという話をいろいろな方々からお聞きしました。これからどんな話だったかをお聞ききになれますので、早速、尾上さんから第1分科会のお話をうかがいたいと思います。

分科会の概要

<第1分科会>

尾上 では、第1分科会の報告をさせていただきます。

第1分科会では4名の方から報告をいただきました。1人目は、さくら会の秋山邦子さんと阿部八重さんです。さくら会は知的障害者の本人活動で、月1回ぐらい集まって、打ち合わせをしたりして進めています。

知的障害の方のアンケート調査もされていて、「仕事や暮らしのアンケート」を進められました。合計400名の方から回答をいただき、さらに、さくら会のメンバー自身が山口県などに赴いて、聞き取り調査をされました。非常にていねいな調査をされて、「私たちの暮らしを変えよう」というパンフレットに結果をまとめました。これを読んでおもしろいアンケートの結果になっていると思いました。

資料に「さくら会の方程式」があります。上に「会社」、下に「自宅」があって、右に「友人」、左に「支援者」となっています。やはり友だちと一緒にいて、仲間を通じて生きていくのが「自立」で、でも、友だちも何もなくて支援者とだけでしか生活できないと「孤立」にあるということでした。

そのアンケート調査の中で、「仕事での悩みや人間関係では、『仕事が遅い』と言われる」「職場での説明がよくわからなくなるので同じことを聞くと『また同じことを聞く』と言われるからだんだん聞けなくなる」という意見が出ました。難しいところはわかりやすいマニュアルにしてもらって何度も聞き返さなくてもいいようになったけれども、そういう職場関係の「合理的配慮」の中身も、このアンケートの結果から出ていると感じました。

2つ目の報告は毎日新聞の野沢和弘さんからで、千葉県における差別禁止条例についてです。その制定運動についてお話しいただきました。

ご自身が障害児の親御さんという立場であることを重ね合わせながらいろいろとお話をいただきました。議会で三度否決されながら、成立していくプロセスは非常にドラマチックです。33回におよぶタウンミーティングが開催されて、その中から条例がつくられていったのです。多くの人たちがそういった形で声を出していくことで県職員を変えていったというお話でした。

県教育委員会は、ともすれば今まで障害のある子どもに、この学校に行きなさいと決めてしまう場合が多いのですが、市町村の教育委員会が否定的だった時に、県の教育委員会が、一番支援してくれたそうです。

さらに、野沢さんは新聞記者としての取材で、自殺をした中学生で親御さんが軽い知的障害をもっていたケースに出合いました。その子は「お父さん、お母さん、生んでくれてありがとう」という手紙を残して亡くなったそうですが、今の社会の生きづらさは障害のある人だけに限らず、広がりつつあります。その生きづらさを変えていくリーダーは、今一番生きづらさがわかりやすく出ている障害者であって、それを支援する人たちの役割ではないのかというお話をいただきました。

弁護士の東俊弘さんには、コンパクトにまとめていただきました。日本の場合、社会権的な社会福祉、社会保障という視点しかなかったのが、障害者権利条約で、人権、権利として考えた時に、見え方が違ってくることを、いろいろなことと重ね合わせてお話をいただきました。

たとえば障害の分類における医療モデルと社会モデル、あるいは、第2条の合理的配慮の問題、第12条法的能力における今の成年後見制度の問題を挙げられました。さらに第19条で自立した生活が触れられていますが、自立支援法は自立支援といいながら施設処遇まで踏み込んでいること自体、矛盾ではないのかという根源的な提起もいただきました。

第24条のインクルーシブ教育がありますが、日本のように教育を入り口から分けて、分離を原則にしている国は、先進国の中では珍しいと東さんは言われました。第27条の労働及び雇用における「合理的配慮」のお話もいただきました。東さんは条約の特別委員会にずっと出席され、日本の状況などを踏まえながらお話をいただきました。

たくさんのことが盛り込まれた条約であるため、日本で完全履行する時には既存の法律を変える、さらに新しく差別禁止法をつくる、という大きな2つの課題があります。そのためには多くの時間を要するため、権利条約は早期批准ではなく、むしろ拙速な早期批准にしないというぐらい時間をかける必要があるということでした。日本の現状は条約の本筋にまだ何も届いていないことを言い続けていかなければならないとお話しいただきました。 

千葉県で始まった条例づくりが全国で広がって、日本の社会を底上げをしていくなかで障害者権利条約の批准が見えてくるのではないのかということでした。

最後に、会場からコメントと質問をいただきました。日本の現状から見ると権利条約の中身はすごいと思われるかもしれないが、政府の国際的な合意でできたわけだから、すでに進んでいる方向があるところで合意をしたということ。それに比べて日本はいかに課題が多いかを認識し、国際的な権利の水準に合わせていくことが大切だというご指摘いただきました。

もう一つ、親が「保護者会」という形で、障害当事者が20歳を過ぎても保護者が代理していくことについてどう思うかという質問がさくら会の方々に出ました。阿部さん、秋山さんは親には感謝していますと話された後、「でも国に意見を言う時には私たちを抜きにはしないでください」とおっしゃいました。

親と子どもである障害当事者の関係をどう変えていくかということは、障害者権利条約や差別禁止条例とは違う話のように思われるかもしれません。でもそこが根源的な問題であると思いました。この話を受けて、野沢さんからお話があり、差別禁止条例をつくることで千葉のお父さん、お母さんたちはがんばったそうです。それはこれまでは自分の子どもに障害があるので、社会に気を遣って生きていかなければいけなかったのに、社会を自分たちの側に引き寄せていくことに、皆さんが気づき始めたからです。

つまり差別禁止条例をつくるプロセスで、親御さん自身がエンパワメントされていく、あるいは誇りを取り戻していったのではないかと野沢さんは言われました。

権利条約制定や法改正をしていくなかで、一人ひとりが自分たちの権利に目覚めていく、エンパワメントされていくという、そのプロセス自身が、障害者権利条約の批准の前提条件であると思った分科会でした。

 

 雰囲気、思いがよく伝わってきました。では第2分科会の藤井さん、よろしくお願いいたします。

 

<第2分科会>

藤井 この分科会は茫漠としたテーマでしたが、皆さんのレポートはすばらしい内容でした。湯浅誠さんは自立生活サポートセンター「もやいの会」の事務局長で、実践的な活動や社会運動もされています。

もうお一人は弁護士の辻川圭乃さんです。辻川さんは障害のある方のお母様でもあります。こんなこともあって、ご両名とも非常に実践的な話であったことが共通点でした。

まず、湯浅さんのキーワードは「溜め」でした。余裕という意味の「溜め」がなくなる時、格差あるいは貧困は一挙に増幅していくのです。今、個人の「溜め」が急速に減少して、貧困と格差が相互に相手を刺激し合いながら、悪循環の様相にあるという話でした。

「溜め」という話で面白かったのは、「窮乏」と「貧困」とは別だということでした。ここにきて、かなり所得がある人でも孤独死という事態が生まれています。お金があっても豊かさを実感できない、つまり経済的には窮乏な状態ではないが人間としては追いつめられているのです。このことを「貧困」というのです。この問題は大きな社会問題です。湯浅さんの話では、個人の「溜め」の減少よりもっと怖いのは、社会の「溜め」がなくなっているということです。これは効率を重んじる社会構造、成果だけを追い求めようとする成果主義とリンクしているのではないかということでした。個人の「溜め」のなさと社会の「溜め」のなさが相乗的に関連し合い、深刻な貧困社会に突っ込んでいると言うのです。

とくに、シングルマザー、多重債務者、ひとり暮らし老人、生活保護受給者、在日外国人、そしてもちろん障害のある人々も格差と貧困の渦に巻き込まれています。湯浅さんはこんなことを言っていました。「119番はみんな知っている。110番も知っている。ところが困窮に遭遇したときに行政に連絡をとることはあまりやっていない。もっと行政に頼ってもいいのでは」と。さらに湯浅さんは、生活保護受給について非常に頭脳的に行動し、権利としての生活保護の受給を勝ち取る、正論としての受給権を主張してきたと言っていました。同時に、行政の人と知り合うことで人間的な関係ができ、それも行政の壁を突き破るのには有効であるとも言っていました。

「溜め」を失った社会は間違いなく弱い者にしわ寄せをもたらします。言い換えれば、「溜め」を回復することは社会をよくしていくことにつながります。この「溜め」を回復するには、いろいろな「繋がり」が大切になります。繋がるということは、他者と関係し合うことであり、これによって自らの立ち位置を再認識し、さらには自らの弱さの客観視にもつながるとのことでした。自らを知ることが運動の方向とエネルギーをつくっていくうえでかけがえのないものであることも強調していました。

辻川圭乃さんは、特に知的障害をもつ人の弁護活動をとおして、いかに生きにくさが増してきているかを話されました。大阪消費者センターには1年間、2万4,000〜3万2,000件もの相談が寄せられるそうです。全体に増えているとのことでしたが、なかでも知的障害者からの相談が増えていて、この10年間で全国で7倍になっています。

知的障害者からの相談が増えたことについて、辻川さんの分析では2つの要素があげられていました。一つは、障害基礎年金が狙われるのです。もう一点は、ごまかしやすいということです。これに対して弁護士の立場から予防について触れ、ロールプレイ、警察の啓発、成年後見制度の活用の大切さなどが紹介されました。

大変興味深かったのは累犯のケースについての話でした。一般の方は刑務所に入ることは戒めになり、受刑者の51%が刑務所に入るのは1回目の人ですが、知的障害者では、5回以上刑務所に入った人が33%います。つまり、戒めにならず、犯罪を繰り返しているという話でした。もちろんこうした事態はあってはならず、改めて支援体制の本格的な強化の必要性が求められました。

お二人の話のあとに、短い時間でしたが会場から質問と意見を受けました。27年間作業所に関係してきたという参加者から、「今、地域での支援力が低下している。その背景に商店街がすたれるなど地域全体の地盤沈下があり事態は深刻、社会問題全体の視点から支援力の回復を図っていかなければ」という発言がありました。

最後に、湯浅さんと辻川さんの双方から、「あきらめない」という言葉が出されました。そして、今だからこそ社会的な活動が大切であり、さまざまな市民運動と手を携えることの重要さが述べられました。

私自身も、リハビリテーションにおける「総合」の意味を含めて、関係分野が、関係者が連携することの大切さを痛感しました。貧困の連鎖が問題になっていますが、連鎖を食い止めるためには、連携がより有効になると思います。連携によって新たな力が湧いてくるのです。

もう一つ、運動の大切さを実感しました。社会運動がないところには本当の全人間的復権はあり得ないように思います。運動というのは、一見して相手に働きかけるように見えますが、実はそればかりではないのです。他者に働きかけるのが運動ですが、他者に働きかけるということは、否が応でも自らをふり返るという行為を伴うのです。自らを律し、リハビリテーションと社会運動の関係をもっともっと深めていいように思います。

 

 ありがとうございました。大変わかりやすくお話をいただきました。では第3分科会の大川先生、よろしくお願いします。

 

<第3分科会>

大川 藤井さんからリハビリテーションとは、社会的なものまで含めてのものだ、とおっしゃっていただいて、本当にそうであると実感しています。

私は医療のリハビリテーションから始めて、介護や福祉に関わってきました。しかし、それだけでは不十分であると思うようになりました。ICFについて中学校で子どもたちと話をしたり、老人クラブや一般の市民の人々の中でも話をしたりしています。

ICF(国際生活機能分類、WHO、2001)の前身のICIDH(国際障害分類、WHO、1980)は障害のある方に関係する分類でした。それがICFになって、すべての人に関係する分類に変わっていきました。ICFを広い範囲で、いろいろなところで活用していただき、それによって障害や障害のある方についての見方を変えていっていただきたいと思います。これは、広い意味でのリハビリテーションにも影響が大きいと思います。

第3分科会では、3名で話をしました。まず私が、ICFに関して話を深めました。例えばICFでは、問題の程度を示す評価点を0〜4の5段階と定めましたが、国ごとに文化的な背景、さまざまな環境や状況の差も大きいので、各国ごとに検討することになっています。ICFは日本では厚労省の管轄になり、厚生労働省社会保障審議会統計分科会生活機能分類専門委員会で、「活動」と「参加」の各々について、わが国の評価点の暫定案が定まりました。それについてのご紹介をしました。

特に「活動」では、今まで自立とは、家の中での自立、施設での自立、また、いろいろな外出先の自立も、同じ「自立」とされていましたが、「ある特定の環境だけでは自立」という「評価点1:限定的自立」と、そうではなく「さまざまな環境で自立」という「評価点0:普遍的自立」とに明確に分けられました。

それから、全介助では、「評価点3:全介助を受けながら行っている」と「評価点:4:行っていない」はまったく別にもかかわらず、それがほとんど一緒にされていました。それも明確に区別をすることになりました。

ただし、「評価点2:部分的な制約」は、介助が必要な場合には、直接に手をかした介助もあれば、声かけだけもあり、いろいろなレベルがあります。先ほど申し上げたように、「すべての人についての分類」という観点から考えると、介助が必要となる人たちの割合は少ないので、一かたまりで「部分的制限」としています。但し、私どもは、その中で、a(直接介助)、b(見守り)、c(声かけ、促し)という下位段階に分けることも試みています。

このように評価点をつくって、データを集積していくことで、どのような生活機能の状態の人がどれだけいるのかという統計がとれるようになります。

この評価点は、あくまでも中立的にそういう状態であるという事実を示しているだけのもので、点数で優劣を問うているものではないことを、常に念頭に置いていただきたいと思います。

次に、「本当のニーズを引き出すためにはどうしたらいいのか」として、御本人がICFをどう活用するのかを、具体的な例も含めて提示しました。生活機能のうち、心身機能、活動、参加という3つのレベルが相互に関係し合ってよくなることもあるし、悪くなることもあることも含めての説明を申し上げました。

次にお話いただいたのは教育の分野の吉川一義先生です。以前は教育の分野でも特に機能障害を中心に訓練が行われてきましたが、意識の変化があり、専門家も周囲も社会も変わってきました。そういった変化のもと「特別支援教育のあり方」が出て、個別支援計画をつくることに、エネルギーが注がれるようになりました。

ただし、そういった方向性は出ましたが、個別に計画書を書けばいいということにとどまっています。個別に書いてもステレオタイプの計画書では意味がありません。一人ひとりの本当の目標は何なのかを明確にすることが今後の課題であるということです。

目標は「人間としてどう生きるのか」であり、そのために「参加」や「活動」も考えて計画書を作成するのです。そこにICFを活用する意義があり、教育分野でなぜICFが必要なのかと説明があり、大変わかりやすいお話でした。

一方、現在ICFを教育分野で使っていても、個別的な項目をピックアップするだけに使うなど、まだ使い方としては課題があることも指摘されました。

3番目の井上剛伸先生は工学が御専門です。工学の専門家がいろいろな機械を開発すると、まず技術的なものがあって、次にそれを何か活用できないかという視点になることが現状としてあります。しかし、ISOも含めて、逆に人間のどういった生活機能、つまり機能障害、活動、参加に影響を与えるのかという観点から機器の効果を見ていく動きが始まっているとのお話でした。

人間は極めて複雑なもので、色々な側面からみる必要があり、あるものを提供しても、それが一人の人にとってプラスになる面もあればマイナスになる面もあり、福祉機器を開発する方々も、それをエンドユーザーに提供する我々自身も、ぜひその観点で考える必要があると思いました。

具体的には、股関節で離断した場合の股義足を例にとってお話をいただきました。実際その効果を調べると、移動には効果があっても、ICFの項目で見てみると、「股義足があることがマイナスになった」という項目のほうが多いという結果もあるとのことでした。

要するに、同じ環境因子が阻害因子になる人もあれば、促進因子にもなる人もいる、同じ人でも状況によってどちらにもなりうることを考えなければいけないのです。そういった意味でも全体像を見るという点でICFの項目は大切だと思います。

まとめとして、ICFとは「“生きることの全体像”についての“共通言語”」つまり共通のものの考え方であるということです。

スライドは私が好きな作家の漫画ですが、(八つの頭と尾がある)「やまた(八岐)のおろち(大蛇)」がいる森にある人が武装して入って行き、「猛龍に注意」と書いてあるのですが、「龍なんか怖くない」と言っています。そこに弱そうな一匹の龍が出てきました。「なんだ、こんなやつ」と勝ったつもりになっています。ですが、実はそのうしろに強い七つの龍がまだいるのです。その存在にすら気づいていないというお話しです。

実はこの人が見ているのはごく小さな部分だった、というより戦いやすい部分だけだったのかもしれません。本当に戦うべき相手は別にいたということです。

当事者であれ、専門家であれ、リハビリテーション、つまり人間らしく生きる権利の回復のために戦っています。「戦う」というのは強い表現ですが、工夫してより良い人生を勝ち取るという前向きな意味で使っているつもりです。その場合に生活機能モデルとして把握することは、効果的な武器になるのです。

フロアからのご意見をいただいたことでもありましたが、ICFは「医学モデル」か「社会モデル」かの議論がされるけれども、どちらでもなくて、まったく新しいモデル、「統合モデル」なのです。いろいろな歴史的な経過、藤井さんもおっしゃった社会的な状況の変化も踏まえた、まったく新しいモデルなのです。現状の最先端をいくモデルです。それもすべての人が使えるモデルなので、淡々と「人の生きている全体の姿」をとらえるために活用していただければと思います。ICFの基本は直感的に全体をとらえるのではなく、あくまでも現実を着実に分析して、それを統合していくという、地に足のついたものだというのが大事な点です。

権利条約の話で出た「権利」「人権」は、ICFでは「参加」の中にあります。教育が何をするのか、福祉機器も環境因子というように、様々なことを考え、整理していく際に、ICFの考え方を活用していただければと思います。

さて、いろいろな専門家がいて、自分は何でもわかっていると思いがちです。一方では、当事者の自分が一番わかると思うこともあります。しかし、専門家も当事者自身も必ずしも簡単に全体像が把握でき、目標やプログラムを明確にしうるものではありません。やはり自分たちの限界は知るべきでしょう。全体像を把握する努力をする際には、まずICFモデルとしてみることが大事です。そしてICIDHからICFになったことにあらわれている、障害や障害のある人のあり方や、「健康」の見方について考え方、変化、例えばプラスを重視すること、環境を重視すること、総合的に人が生きることをみることなどの変化をふまえ、一人ひとりの基本的な姿勢に生かしていくことが必要でしょう。同時に、ICFの項目として見ることが効果的です。ただ、項目として見る場合も、自分が気になったある項目だけをピックアップしてICFを使うのは間違いです。

このような観点で分科会ではお話をすすめました。まとめますと、1.は、マイナスだけを見ることから脱却して、プラスを引き出すようにする、引き出すために、知恵をしぼる、工夫するということです。

私は医者ですが、医学教育では重箱の隅をつつくような、マイナスをいかに見つけるのかという教育が徹底して行われてきました。プラスを見つける、そして、本人も専門家も気づいていないプラスの部分を積極的に引き出すということは、マイナスを見つけるよりも、もっともっと難しいことです。しかし、チャレンジのしがいがあることだと痛感しています。そして、そこに専門家としての喜びや楽しみを感じています。

2.は、これまで、心身機能、それもマイナス面の機能障害を中心にして障害を考えがちな傾向があったことは否めません。けれども今はそこから活動や参加、つまり生活や人生を中心に考えていく方向に向かっているのです。

3.は、受身になりがちなところから脱却してチャレンジする姿勢は、当事者だけではなく、専門家自身にも必要です。こういう基本姿勢の転換で、専門家の、真の当事者中心の専門家のアプローチ、また当事者中心の社会へと転換できればと思います。そのためにICFを問題・課題整理のためのツールとして活用していただければ幸いです。

 

 どうもありがとうございました。では、第4分科会、お願いいたします。

 

<第4分科会>

橋本 第4分科会は「組織連携とコーディネート」という漠然としたテーマでした。最初、4人のシンポジストにお話をいただいた後、話を展開していきました。

最初は村上須賀子先生のお話です。村上先生は医療ソーシャルワーカーとして患者さん本人の意思決定を尊重して、それをチームで支える体制をつくり、患者さん、家族、地域の理解を得ていく取り組みをされてきました。患者さんの個人史に耳を傾け、聴いた者としての責務として、いろいろな取り組みをしていらっしゃいます。今まである既存の社会資源だけでは充分ではなく、それを広げていくためには、それぞれの枠をはみ出した活動や行動が必要になるというお話をいただきました。

庄原市社会福祉協議会の上田正之さんからは、本人が地域で暮らせない理由は、本人の都合ではなくて家族や地域の都合である場合が多く、もし何かあったらどうするのかという話になると、なかなか地域で暮らせなくなるということです。

しかし、地域で暮らしたいという本人の意識があればそれを尊重していけばいいのであり、そのための行動を実際に起こして地域づくりをしていくことが必要だというお話と、そういった地域の機能は、自分らしい生活を実現していくという点で、リハビリテーションの大きな要素ではないかという話もいただきました。

廿日市市の藤井昭二さんは地域協働をされています。藤井さんは、行政に対していろいろ怒られるのではないかと考え、最初は地域に出ていくのが怖かったそうです。ところが、行政が主導した地域の場づくりを忍耐強く続けていくことによって、地域が自発的に、主体的に動くようになってきました。地域住民がいろいろなテーマを自分で考えるようになり、福祉、防災、環境などのテーマが出てきたそうです。これをお聞きして、保健や福祉の分野からだけのアプローチでは見えないもの、たどり着けないものが、地域づくりからのアプローチと連携することによって、可能性が出てくるものだと感じました。

印象的だったのは中間支援組織の大切さです。たとえば行政と地域が直接話をすればいいのではという声もあるそうですが、地域の住民の間でもなかなか交わるのは難しいものです。ですから行政と住民も交わりにくい部分があります。そこで中間支援組織という触媒役があることによって、うまくお互いがつながるという経験をお話しいただきました。

また、精神科医の田川精二先生からは、精神科医7人が中心になって就労支援のネットワークをつくってこられた経験のお話をいただきました。これをつくる前に、精神科の診療所のグループ20診療所で約1、000人の方のアンケートを実施されました。すると何らかの福祉サービスを受けている方は1割前後でしかなかったことがわかりました。自分たちが直接取り組まなければ目の前の方に対応できないと知り、診療所の先生のグループの取り組みが始まりました。

そのNPOでは、基礎訓練はできるだけ短くして、実習、就労前の実習に力を入れ、就職後のフォローアップに特に力を尽くしています。現場の生活での実践を大事にしていくことにつながっています。取り組みの動機には、医者としては、患者さんにいい人生を送っていただきたいという思いがあるとのお話でした。

この後、個人の信頼感が組織の連携の基礎になるという展開になりました。そして組織の連携が、また地域の連携に戻ってくることになります。さらに、個人の熱い思いを形として定着させていくために、組織としての取り組みにつないでいくことが一つ大きな要素になります。個人が勝手にやっている、○○さんが頑張っているというだけで終わらせないようにしておかなければ、その人がいなくなった活動は途端に終わってしまいます。そうではなくて、その人がいなくなっても、底支えが機能して、安定的・継続的なものにする必要があると話し合われました。

また、社会資源を拡大していくためには枠をはみ出した取り組みが必要です。自分の箱庭の中だけ完璧にきれいにするのではなくて、互いに枠を越えた重なり合った社会資源の提供が大事ではないかという話が出ました。

会場から、「連携については、今までは機能論の話ばかりが出ていたが、今日の話は違うような気がする。それは何か。」という質問が出ました。これに対して、実際に自分が体験するなかで、お互いに熱を感じることによって物事が動いていくことを実感することが、連携を動かしていくものではないかという話になりました。目指すものをお互いに共有して、連携が生まれてくるのではないかということでした。

最後に大分県では、医師会や歯科医師会が構成員になっている地域リハビリテーション研究会があるそうです。せっかくこの大会が広島であったので、これをきっかけとして、広島にも、安定的、組織的な取組みが生まれてほしいという話も出ました。

 

 どうもありがとうございました。では森さん、お願いします。

 

<第5分科会>

 4名の方にお話をいただきました。まず、滋賀県で作業所の支援をされている城貴志さんから、いろいろな事例をお話しいただきました。ホームヘルパー事業、インターンシップの事業をされて、行政にはお金を期待するのではなくて、一緒に事業を行うパートナーであると位置づけています。

葦を使った名刺づくり、外来魚を使った肥料づくりのお話もしていただきました。さらには、コクヨやJRAなどの大企業と提携して新製品をつくっています。アイデアとネットワークの両方が非常にうまくかみ合って大きな事業に発展していると感じました。JRAとの提携の話では、馬のゼッケンを使ったバッグをつくり、5,000円、1万円で売っています。ほしい人からすれば宝物になるので、そういった価値をうまく利用して、企業と連携されています。ネット販売にも力を入れていて、楽天でも売っています。そして作業所が共同で分割してお金を払うことで、安く共同販売を行っています。

宮本立史さんは島根県での山陰合同銀行の取り組み、「ごうぎんチャレンジドまつえ」のお話をされました。頭取の知人に障害者の方がいて、親が死んだらこの子はどうなるのかという話を頭取が聞かれたのがきっかけになって、決断して、事業所を始められたそうです。

進めていくうえで社内で話し合いがありました。そしてこれは慈善事業ではなく、地域社会全体をモデル地区としなければならないと掲げて取り組まれてきました。

空き店舗を改装されて事業は行われています。こういったケースはよく特例子会社になるのですが、ここでは銀行の一部署として運営されているという特徴があります。

給料は保険料込みで8万円、手取りで7万円、年金と合わせると約14万円です。これだけあれば生活は可能です。

それから間伐材を利用した通帳ケース、名刺、雑誌などをつくり、名刺は全社員が、この製品を使っています。

製品にはそれぞれにすべて絵が入っています。ですから入社するためにはどの程度、絵の素養があるか基準になるそうです。入社してからも週2回、絵の先生に来ていただいて、絵の技術のレベルアップをはかっています。非常にレベルが高く、障害者がつくったものということとは関係なく、ほしいと思うものがたくさんありました。そこまでもっていくためには非常に努力されていることがわかりました。格好だけで社会貢献を行っている企業は結構あるわけですが、根本から取り組みをされている企業はあまり聞いたことがありません。非常にがんばっておられる企業だと感じました。

ひとは福祉会の理事長の寺尾文尚さんのお話の第一声が「田舎にはないものばっかりだ。ないものねだりをするな」でした。一般の人は、すぐに人と比べがちですが、障害をもつ人は人と比べることはしないということでした。自分の文化をもっているから、自分を大切にするとお話しされました。これは非常にインパクトのある話でした。

「安心して暮らせるひとは福祉会」を目標に掲げ日々努力されています。仕事については中小企業や家庭内企業と作業所の営業力の連携をされています。実際には中小企業でつくる味噌を作業所が販売するという形の連携が行われています。

ひとは作業所のすぐ近くにある、農協の蔵が建設資材の倉庫になると聞き、それは困るので、自分たちで買い取って、お店を始めました。その中で、縄文アイスという大ヒット商品が出て、かなりの売り上げをあげています。

ただ、商売としてもうけるのは当たり前ですが、それは生活という基盤があってこその話で、やはり生活のほうが大事であると何度もおっしゃっていました。これが一番印象的でした。

寺尾さんは「過疎」という言葉は嫌いだそうです。人口が少ないと、おせっかいという非常にいい人間関係ができる。だから、過疎は悪いことばかりではないということでした。

松浦さんのお話は製品販売で芋の販売をしたら全然売れなかったけれど、焼き芋にしたらよく売れたそうです。ブルーベリーが特産で、今ジャムを販売していますが、調べてみるとアントシアニンの含有率が日本で一番のジャムだったそうです。そういったセールスポイントもしっかりもって販売されているのは、よく考えられています。

「品物」ではなく「商品」を売るということは、商売の世界では当たり前のことです。それをきちんとわかって販売をするのが、作業所としては非常に大切なことだと思いました。

パネラーの皆さんのお話を聞く中で「社会資源の創造」という言葉をもう一度考えてみると、世の中にあることはほとんどすべてが社会資源です。ただ、それが実際に見えていないし、気がついていないだけなのではないでしょうか。それを見つけ出すためには企業や住民がコーディネーターとなって協力し合い、「見つけていく」というよりも開拓していくことが非常に大切なのではないかと思います。

ただ、寺尾さんが言われているように、障害者の人間らしい生活を基本に据えて考えなければ本末転倒になり、本当の意味での「福祉」を忘れてしまうと意味のないものになってしまいます。それは気をつけなければいけません。

私は、仕事柄どうしても商売、物を売るということが中心になってしまうので、商売イコールもうけという考え方に流されてしまいがちなのですが、その傾向に警鐘を鳴らしていただきました。

私自身、商売の前に「人とは」「福祉とは」を前提に考える一つのきっかけになりました。ありがとうございました。

 

<各分科会のキーワード>

 どうもありがとうございました。とても内容の濃いシンポジウムをまとめていただきました。最後に各分科会のキーワードをお願いします。

 

尾上 先ほども申しましたとおり、障害者権利条約の批准、あるいは差別禁止条例をつくることは、生きづらさが蔓延している今の日本を変えていく最先端になります。「生きづらさを変えていくリーダーが私たち障害当事者や支援者」というのが、この分科会のまとめです。

 

藤井 「リハビリテーション関係者や支援者は卓越した想像者であってほしいと思います。イマジネーションを働かせてほしいですね。障害のある人びとのニーズをイメージすること、個々の生活実態に思いを馳せること、支援者はこうした視点を磨いてほしいと思います。つまり、キーワードは、「想像力」ということになります。

 

大川 藤井さんのお話と非常に関連が深くなるのですが、「熱い情熱をもって、けれどもそれを淡々と冷たい冷静な頭で行うために」ICFを活用していただければと思います。

 

橋本 「つながることによって底支えができる」です。個人が熱くなっている時にはうまくいきますが、そうでない時もこれだけは最低限は守られるという意味で、組織連携は底支えにつながると感じました。

 

 先ほど、最後に言いましたが、やはり「商売とは」と我々は考えますが、その前に、「人間というものをきちんと考えて援助していく」ことが大切だと思います。

 

 ありがとうございました。

5人の皆さんにおっしゃっていただいたのは、人に対する見方、立ち位置に尽きるのではないかと思います。今までのリハビリテーションの視点よりも、もう少し「人間」という視点に近い立場からのアプローチだったと思います。語られた言葉は、すなわち「人間」ということだったと思います。

この大会は抽象的なテーマをお出ししましたが、それに見事に対応していただいて、ご提示いただき、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。