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パネルディスカッション

コーディネータ

国立障害者リハビリテーションセンター 特別研究員 河村 宏

パネリスト

作家・日本ペンクラブ会長 阿刀田 高

日本図書館協会理事 常世田 良

全国視覚障害者情報提供施設協会理事長 岩井 和彦

全国LD親の会 井上 芳郎


河村●それでは進行を務めさせていただきます。よろしくお願いします。皆さんのお手元にプログラムがありますが、実際にこれからご発言いただきます順序は、皆さんから舞台に向かって左から右の方へ、井上さん、岩井さん、常世田さん、阿刀田さんの順にご発言いただきます。

最初にパネリストの皆さんにご発言をしていただき、それから会場全体でご意見のある方を募りまして、パネリストの方も含めて議論をします。そして最後にパネリストの方に改めてご発言いただきます。1時間という非常に限られた時間ですので、ご協力をお願いします。

 


全国LD親の会 井上 芳郎

今日私は二つの立場でお話をいたします。一つは障害者放送協議会の著作権委員会としての立場。もう一つは全国LD親の会としての立場です。

障害者放送協議会については冒頭に紹介がございましたし、あるいは資料も配布してございますので、詳しくはそちらを見ていただきたいと思います。また資料集のはじめに、私が所属しています全国LD親の会について書いておきました。そして、これだけでも説明するだけで1時間はかかってしまうのですが、先ほど河村さんよりご案内のあった、特別支援教育や、発達障害者支援法の位置づけなどについても、整理してあります。

それから障害者放送協議会著作権委員会の取り組みと、著作権法改正を巡る動きということで、1999年6月から今年の11月までを、年表ふうにまとめておきました。

著作権法の改正について

はじめに著作権法第33条の2についてお話しします。この条項が改正されまして、その中に「視覚障害、発達障害その他の障害により」という文言が入りました。これは河村さんがおっしゃったように非常に画期的で、私どもが長年待ち続けたことでもあります。後半部分では、どういう条件で複製できるかが書いてあります。これも非常に画期的で、障害の細かな種別について列挙するのでなく、とにかく通常の教科書での学習が困難な児童・生徒のために使うならば、複製できるのだと書いてあります。

しかも複製は、必要な方法でやっていいのですから、例えば拡大することも、読み上げて録音することもいいですし、当然デジタルデータ、例えばマルチメディアDAISY図書の形式で提供してもいいわけです。この点は文科省や文化庁著作権課の方にも確認済みです。

このことは、実は特別支援教育でうたわれている、個々の児童・生徒のニーズに応じた教育、ということにも全く合致するものです。しかも、これは誰でもができる。出版社等への通知は必要なのですが、非営利目的であれば自由にできるのです。なお営利目的の場合は、文科大臣が定める補償金の支払いが必要になります。

配付資料の中には、私ども全国LD親の会で作成したパンフレットがあります。教科書をバリアフリー化する必要があるという、PRの目的で作りました。本当はこのようなパンフレットは文科省さんに作っていただきたいのです。参考にしてください。

聴覚障害者に関する活動

さて、今日は聴覚障害関係の方が壇上にいらっしゃいません。会場のみなさんの中には、図書館関係の方も多いので、ご存じかとも思いますが、図書館で扱われている資料の中には、映像の資料、DVDやビデオテープなどもあるわけです。そのような映像資料に、字幕や手話を付与することは、聴覚障害の方にとっては非常に大切なことであり、私ども障害者放送協議会著作権委員会では、この問題にも取り組んできております。

今後の課題と展望

最後に今後の課題と展望ですが、配付資料の最後のほうに、国連の障害者権利条約を挙げておきました。日本政府はすでに署名しましたので、批准しなければなりません。その第30条には「知的財産権を保護する法令が、文化的作品への障害のある人のアクセスを妨げる不合理な又は差別的な障壁とならないことを確保する」とあります。条約に署名した国は、批准に向けきちんと国内法を整備しなければならない。著作権法についても、当然そのような作業が進められていると思いたいところです。

ここでの障害者という言葉は、どういう範囲で使うべきか。通常の著作物に、原因はともあれ、アクセスしにくい方はすべて含まれるべきだと思います。私自身も年をとるにつれ、細かい文字の書物は読みにくくなりました。ですから我が事とも思い取り組んでおります。LD(学習障害)はなかなか捉えにくい障害ですが、実は視覚障害、聴覚障害、身体の障害等とは、部分的ではありますが共通するニーズがあるのです。このあたりは今後さらに詰めていって、取り組んでいきたいと思っております。以上です。

 


全国視覚障害者情報提供施設協会理事長 岩井 和彦

私自身は視覚障害として約50年、半世紀生きてきているわけですけれども、目が見えない私たちにとって情報というのは非常に大事だなと感じています。情報に飢えてきた50年だったような気もします。

活動を始めるきっかけ

初めて私が情報のことを意識しましたのは、1971年に大学に入ったときのことです。学生として勉強するにも、点字資料がない、教材がないという状況でした。そのような中で、イギリスのRNIB(英国王立盲人協会)には学生専門の図書館、スチューデントライブラリーがあるという話を聞いて、そんなところが日本にもあればいいな、という希望から、実は学生たちが中心になって関西スチューデントライブラリーというのを立ち上げました。その頃に、公共図書館において対面朗読サービスをしてくれるという話を聞いて、私は本当に藁をもつかむ気持ちで、東京の日比谷図書館にまいりました。そこで対面朗読をしていただいたわけですが、公共図書館に初めて行ったので、せっかくですからどんな設備になっているのか、館内を案内してもらったんです。本当にたくさんの本がこの図書館にはあるのだなと、感動しましたが、考えてみると、自分では一冊もその本を利用できないという現実も思い知らされたわけです。しかし今度は対面朗読でこの図書館が持ってらっしゃる本を読めるのだということで、本当にうれしかった。そういう記憶もございます。

しかし間もなく(1975年)この公共図書館での対面朗読サービス、いわゆる「愛のテープ」は、著作権法に違反するのだということで、マスコミに大きく出ましたよね。びっくりしました。公共図書館の本というのは読んでもらわないと本当に紙くず同然なのに、それが著作権法があるがために読んでもらえない。公共図書館のサービス、燎原の火のごとく広がってきた対面朗読サービスが、著作権法違反という読売新聞のあの記事以来、急速にしぼんでいきました。そのときに、著作権法とは何なのだと思いました。自分たちが同じように文化を享受する−−そんな大層なものじゃなくても、一冊の本を読むということを、著作権法は認めない。このことに、自分としては非常に疑問を持って、情報というものに、真剣に、自分のライフワークとして取り組んでいきたいと思い、点字図書館の活動に進路を定めました。

点字図書館の活動と著作権

そのような中で点字図書館は、非常に弱小の情報提供施設ですが、公共図書館にならいながら、情報提供の活動を半世紀、頑張ってきているわけです。1988年、デジタル化時代の中で、初めてコンピュータを使った点字が、ネットワークとして全国で共有できる技術と条件が整いました。全国の点字図書館やボランティア団体は、24時間、いつでもどこからでも視覚障害者に情報提供できるこのシステムを用いて、情報の構築を続けようとしたわけですが、ご存じのように99年から2000年にかけての著作権問題の中で、私どものこの点字データネットワークは、著作権法に抵触するのではないかと、随分言われました。しかし私たちは、24時間いつでも使える点字情報ネットワークは、もはや夢として手離せないと考え、著作権法の問題としてそれが大きく公になるのであれば、それはそれで受けていこうと、そのシステム構築の充実に努めてきたわけです。

私自身も文化庁に行って、この点字データシステムがどのように著者の権利を脅かす可能性があるのかという辺りの説明をいたしました。文化庁からは、点字で打ち出される資料であっても、デジタル化時代の技術の中で、点字データは普通字にも変わるのではないか、普通字に変わることで著者の権利を侵害する怖れがやはりあるのではないかとの質問がありました。点字データは、確かに墨字(普通字)に変わります。かな文字に変換はできます。しかしそのかな文字を、目の見える皆さんは情報として、図書として利用されるのでしょうか。実際、かな文字変換も、アルファベットやその他の記号が混ざりますと、とても読めるようなデータではないのですが、私たちは、その実物も打ち出してお見せしたりしながら、これは視覚障害者が本当に楽しみとして、命の根源にもつながるようなことのための情報システムだと主張し、大いに議論しました。そのような記憶も、今となっては懐かしく思います。

新たな情報環境と著作権

このようにして点字は認められました。しかし技術はどんどん進んで、今度は録音資料も同じようにネット配信ができるとなったときに、また著作権法に違反するのだとの話になりました。確かに著作権法の権利制限のおかげで、全国に今、48万タイトルに近い本を備えることになり、そして点字データも配信できるようになっているわけです。一つひとつ技術が進んでいる中で、視覚障害者の情報環境に新たな夢が生まれる、そのステップステップで、著作権法に抵触してきたのが事実です。

2006年に障害者の権利条約が採択されたすぐその後、著作権法の一部改正によって、ようやく録音資料のネット配信は認められるようになりました。しかしこれもあくまでも点字図書館等視覚障害者関係施設が目の見えない視覚障害者に提供するという大幅な制約を持った改正であります。しかし、われわれは視覚障害者の情報提供として、2007年7月1日からこの制度を大いに使わせていただきました。その前日、6月30日までは、3,000タイトル以上が、いつでも利用できる状態にあるのに、著者の許諾がいただけていないためにサーバの中で眠っておりました。7月1日からは目を覚まして、一斉に利用者に提供できるようになり、今では1万タイトル近くが24時間いつでも利用できるようになっています。街角に本屋さんができたみたいということで、点字情報データシステムとしての「ないーぶネット」にしても、録音通信システムとしての「びぶりおネット」にしても、本当に喜んでいただいております。

現在の取り組み

視覚障害者として、こういった情報の改善は、大きな変化であり、夢を現実的なものとして見られる状況が来ている気が、自分としても非常にしているわけです。しかし、レジメでもご紹介しているとおり、昨今私どもが取り組んでおります問題があります。

例えば教科書の問題がそうです。今、発達障害の皆さんへのマルチメディア教科書等の取り組み事例が紹介されておりますが、視覚障害の児童・生徒はどうかというと、盲学校に行っている生徒については、教科書は1教科1種類はもちろん保障されています。しかしいわゆる統合教育、地域で学ぶ子どもたちにとっての教科書づくりは、ずっと放置されてまいりました。教科書という基本的な、情報保障というよりは、ごく当たり前に無償で誰にでも提供される教科書が、この子どもたちには提供されてこなかったという事実、これは非常に大きいとわれわれも考えております。

われわれの調査では、全国で40名あまりが地域の学校で点字教科書を必要としているだろうという結果が出ているのですが、点字の教科書をもらっている子どもは、約二十数名に過ぎません。それも国の保障ではなくてボランティアの厚意で作っているケースが非常に多いのです。

例えば障害者権利条約の第24条で「教育」が取り上げられているわけですが、教育を通じて、教科書の提供を通じて、人間としての自立、尊厳が満たされるような教育環境を保障しなければならないことが、その一番最初の部分ではっきりとうたわれているわけです。

私自身、盲学校で学ぶ中で、点字の本、座右の本として自分が持つ本はほとんどありませんでしたが、毎年春になると、新しいきれいな点字の教科書が配られ、その本をしっかり読むことが、すごくうれしかった。教科書をもらうことがすごくうれしかった。私は、中学校のときに11か月間入院したのですが、読むものはないけれども点字教科書だけは持ち込んで、俺たちにもこんな本があるのだと病室の人に見せたものです。教科書というごく当たり前の情報が、障害者にとって大きな生きがいになっている。その生きがいになる情報提供が、著作権等制度で制限されるということは、非常に残念に思います。何とか解決の道を見つけていきたいと感じている、ということをお話しさせていただきました。ありがとうございました。

 


日本図書館協会理事 常世田 良

今日は図書館総合展ということですので、図書館に関連した部分を多少丁寧にお話ししなければいけないのかなと思っています。

図書館の役割

図書館というのは本を貸すところだと考えていらっしゃる方がいるのですけれども、それは手段であって、図書館の本来の目的は、やはり知識や情報、人類の知恵というようなものを人々が共有することだと思うのです。ヨーロッパの市民革命があったとき、彼らは土地と権利を取り戻したと、私たちは授業で習いますが、私は、それに加えて、恐らく「情報」を取り戻したんだと思うのです。つまり、いつ種をまいたら作物ができるかというような情報を、特権階級が占有していたからこそ大衆は支配されていたので、それを取り戻したからこそ、西洋の市民革命が成就したのだと思っています。知識、情報の共有化が非常に重要であるから、社会の基礎的な施設として図書館が発達したのだとする研究者も多いわけです。私はそこが図書館の本質だと思っています。

そうだとすると、そのような施設は身近になければいけないということになります。残念ながら先進国の中で、日本は図書館が大変に少ない。G7の最低がイタリアですけれども、さらに大きく水をあけられてしまっています。利用率でいっても、例えばOECD学習到達度調査で総合1位を3回続けたフィンランドは、国民1人当たり1年間に22冊の貸し出しがありますが、日本はやっと5冊です。非常に大きな差ができています。

それでも図書館は増えています。あまり知られていないことです。多くの町で市民が欲する公共施設の第1位が図書館ということもありまして、この財政難の中、箱もの行政見直しという中でも、各自治体は図書館を作らざるを得ない状況で、確実に増えています。10年間で30%も増えています。

障害者サービスの法的な裏付け

図書館を管理・運営しているのは地方自治体ですので、これはお役所になります。お役所は何に基づいて仕事をするかといえば、当然法律に基づいて仕事をするわけです。ところが図書館において障害をもった方に対するサービスを実施するときに、何ら法的な裏付けはありません。社会教育法や図書館法の中に、障害者サービスをやるべき抽象的な裏付けは当然あるわけですが、それをやるかやらないかは、自治体の判断なのです。

皆さんは、図書館はなぜそれをやらないのか、図書館は頑張れと言いますけれども、図書館というのは単に役所の中の一つの課に過ぎません。水道課や市民課、戸籍課と同じような組織の一部なので、市長などが方針を出さない限り、実はサービスができないという状況があります。これは非常に残念なことです。

ですから今日の資料にありますように、積極的な取り組みをしている図書館はありますけれども、二極分化しています。3,100ある図書館の中でおそらく障害者サービスの実績を上げているのは100から200くらいにとどまっている状態です。身近にあって誰でも使える施設でありながら、そこでハンディキャップを持った人たちに対するきちんとしたサービスが行われていないという、非常に大きな問題があります。

著作権に関する取り組み

サービスを行うための法律的な裏付けがないということと、もう一つ、今日のテーマである著作権法の部分においても、公共図書館に何ら特別の配慮がないのです。録音テープを作ろう、拡大写本を作ろうというときに、全部いちいち許諾をとらなければいけないという、大きな壁にぶつかるわけです。

公共図書館において、障害者の方に対するサービスとして、媒体変換をしよう−−つまりそれぞれの障害に合った形で資料を提供しようと思ったとたんに、すべてのところで著作権法の壁にぶつかってしまう状態にあります。

これを何とかしなければいけないということで、図書館界は十数年間、著作権者の方たちと話し合いを進めてきました。実は著作権者の方たちは、総論としては、公共図書館において障害者の方に対して媒体変換することには、オーケーをしていただいています。あとは法改正を待つばかりなのですが、これが遅々として進まない。もう仕方がないということで、今日も阿刀田さんにおいでいただいていますけれども、日本文藝家協会と日本図書館協会がいろいろ話し合いをしまして、登録していただいた文芸家の方たちの作品については、許諾をとらずに、公共図書館でも録音テープ等を作れるという協定を結ばせていただきました。

この協定は画期的で、視覚障害者以外のさまざまな障害を持った方たちも対象にしていただいていますので、大変助かっております。そういうことをやらないと、障害を持った方たちの知る権利を保障できないという、非常に大きな問題があるのではないかと思っています。

さいごに

著作権に関する国の審議会でも、実は障害者の方の立場、要求を代弁する委員はほとんどいません。私は図書館界から出ている委員なのですが、障害者の方に対する知る権利の保障という観点で、著作権を何とかしてほしいと発言しているのは、議事録をぜひ見ていただきたいのですが、ほとんど私一人という状況です。委員の選び方自体にも問題があるのではないかと思っています。

最後に一つお話ししたいのは、今日ここに参加された方たちは、それぞれ権利者でいらっしゃったり、エンドユーザーでいらっしゃったりします。図書館はそのちょうど真ん中にあります。両方の権利を保障しなければいけないという、非常に複雑な立場にあります。そのために派生してくる問題もたくさん抱えているという状況です。

 


作家・日本ペンクラブ会長 阿刀田 高

今日は著作権者の立場ということで出席させていただいております。私は日本ペンクラブ、日本文藝家協会、日本推理作家協会という、3つの文芸団体の、簡単に言えば執行部に近い役割を務めております。ここで得た知識をそれぞれの団体で反映することができるし、それが一番役に立つことなのだろうなと考えております。

著作権と社会とのかかわり

著作権というのは、個人の権利であって、個人の思想・信条に関わることを自分の考えにしたがって発表していくという側面と、営利的な、それによって収入を得るという二つの側面を持っています。今、文芸三団体のことを申しあげましたけれども、著作権は文芸だけではございません。もっと多くのさまざまな著作に携わっている方がおられるわけです。残念ながら、私はいかなる意味でも、そういう方々の関係者として発言することはできません。確かに文学がいろいろ読まれていることは確かだけれども、それはほんの一部であって、これとは別の形で著作権に関わっている著作者がいるということも、今後この問題を考えていくうえで大きなポイントだろうと思います。

著作権は、個人の思想・信条に関わるもの、そして財産に関わるものであることは確かで、皆さんが個としてそれを主張されます。それはそうなのですが、やはり私たちは全く個として世の中に生きていくことはできません。常に社会との関わりの中で生きているわけです。ですから著作権がいかに個の権利であって、個を大切にすることが極めて重要であっても、やはり社会全体の制約の中で、個の権利や自由というものがあるべきだと、私は考えます。これが基本的な考え方にはなってきていると思います。

ですから著作権の問題は、障害者も含めて利用者がどのように利用するときが一番便利なのかを積極的に発言していただいて、著作権者はそのこととの折り合いの中で自分の立場を守るていく。そういうことになるのだと思います。

協議とコンセンサスの積み重ね

思想・信条に関わること−−自分の考えていることを発表して、ああよかったという、ある種の、簡単に言えば名誉を得る側面と、それから営利事業であると考える側面とがあります。これは、それぞれの心の中で、いろんなパーセンテージで混ざり合っているわけです。営利ということを考えると、自分の作品が、ほとんど営利に結びつかない形で利用されるのはまことに腹立たしいという考え方はあります。思想・信条についてちゃんと扱っていただければ、どんな形でも人に多く売れればそれでいいのだという考えもあります。これは相当バラツキのあることだろうと思います。しかし、それも文芸団体などとのいろいろな協議の中で、コンセンサスが得られていくのだろうと思いますし、今、常世田さんがおっしゃったように、文藝家協会と図書館協会との間である程度の協定ができたというようなことが、一つひとつ積み重なって、問題解決に向かっていくのだろうと思っております。

さいごに

私は、著作権者としては、営利の面では実に甘めの意見を持っている方でして、自分の書いたことは、世の中の人に読まれていくのであれば結構なことではないか、それで収入が上がるか上がらないかはむしろ二義的であって、何とかこの世に活かしてもらえるのならいいかと思う方です。あまり譲った意見ばかり申しあげると、文藝家協会に帰って「お前、随分甘いこと言ってきたな」と叱られそうな気もしますが。私個人としてはそうですけれども、これは著作権者みんなの意見であるとは思いませんし、文学以外の著作権者も大勢いらっしゃるわけで、その辺のことを考えると、難しい問題かなと思っております。