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講演①
「弱さを接着剤に共生のまちづくりを進める
―日本の地域福祉の事例」

戸枝 陽基
(社会福祉法人むそう理事長)

戸枝陽基氏の写真

司会 それでは、今から午後の部を開始したいと思います。午後は、まず日本の地域福祉の事例をご紹介させていただきます。講演者は戸枝陽基(ひろもと)さんです。戸枝さんのご紹介は、プログラム21ページにございますので、ゆっくりご覧ください。

 戸枝さんは大学で社会福祉を学ばれた後、施設職員として愛知県半田市の施設に7年間勤められました。その間に、ずっと日本の福祉全体に対する問題意識を持たれまして、その結果、「NPOふわり」を立ち上げられました。

 その発展として、社会福祉法人の「むそう」を立ち上げられまして、現在はそこの理事長を務められていらっしゃいます。

 戸枝さんからは、日本の事例ということで、「弱さを接着剤に共生のまちづくりを進める」というタイトルでご講演いただきます。それでは戸枝さん、よろしくお願いいたします。

戸枝 皆さん、こんにちは。今、紹介いただきました戸枝です。

 今日は、CBRの勉強会ということで、日本の代表のように話すのがうちでいいのか、とちょっとビビりながら、呼んでいただきましたので、日本での実践をお話ししたいと思います。

 ちょっと失敗したなと思ったんですけど、マヤさんに分かっていただくには日本地図が必要だったなと。日本の中に愛知県というのがありまして。愛知県の、2つ半島があるのですが、黒く塗ってあるところが僕のフィールドにしている知多半島です。5個の市と、5個の町があって、10自治体あるエリアです(図1)。

図1スライド
(図1)

(図1スライドの内容)

地域福祉サポートちた

 この「地域福祉サポートちた」と書いてあるのがNPO法人なんですが、知多半島59万人のエリアなんですが、その中で福祉系のNPO法人が、もう50事業所を遙かに超えるぐらいありまして。僕の主に活動している半田市などは、ホームヘルプのシェアの3割は市民団体が持っているというエリアになっています。

 そういう意味では、かなり消費生活運動的にというか、福祉サービスを良くするときに、欲しいサービスは自分たちで作ろうという形で運動してきたところです。

 知多は、すごく市民活動同士が仲良しで、最近、全国いろいろなところに呼んでいただくんですけれども、なんか市民団体同士がライバル意識を持って、シェア争いしているみたいなつまらないエリアが見受けられますが、僕たちは本気でというか、一生懸命福祉をやっているので、よく代表同士で集まると、ほかの事業所が伸びていて、うちの利用者さんがハッピーで暮らせるのであれば早く楽になりたいので、つぶれたいって皆、よく愚痴を言い合ったりするのですが。

 福祉というのは、一生懸命やっていたら大変なはずです。それをシェア争いしているというのは、相当おいしい思いをしてるんだなって、ちょっと思いながらですね。

 そういう意味では、みんな一生懸命やっているので、他の団体が伸びることを阻害したりとか、自分の所をさらに伸ばしたい、みたいなモチベーションで働いている代表はいないんですよね。そういう意味で、すごく仲良しで協働してやっていると。

 その協働する中間支援団体ですね。市民活動全体のつながりをもっている団体が、この「地域福祉サポートちた」で。ここでこんな考え方でいこうということがまずベースでいろんな市民団体の中にあって、まずは、その「サポートちた」が大事にしている理念を紹介したいと思います。

 まず、僕たちが一つ大事にしている理念ということでは、「三方良し」ってずっと言っているんですが。これは近江商人ですね。昔、日本の滋賀県の商人が、「売り手よし、買い手よし、世間よし」ですね、これが「三方良し」なんですけれども、その考え方をすごく大事にしてきたんですね。

 「売り手良し」というのは、働く側が、場合によっては従業員が、高いモチベーションを持って、ハッピーで働いてないと、いい商売はできない。

 「買い手良し」というのは、買ってくれる人の生活がすごく安定していてゆとりがないと、結局は購買力もないわけですから。要するに売るだけじゃなく、そのお客さんの暮らしがいい状態であるかということを突き詰めなければダメだと。

 「世間良し」というのは、その従業員や顧客が暮らしている地域が豊かでないと、結局は商売が続かないということで「三方良し」ですね。「売り手良し、買い手良し、世間良し」と。

図2スライド
(図2)

(図2スライドの内容)

 僕たちはこのような概念図(図2)に「三方良し」を整理していて。知多という地域が豊かであると。そうすると多様な人材を供給してもらえたり、当然、多様な資源ですね。いろいろな社会資源が手に入ったり。職員と利用者さんは、多様なサービスを利用者さんが受ける。その代わりに僕たちは障害のある方と一緒に多様な働き方ができる。

 これが高いレベルで循環していると豊かな地域になるだろうと。こういう概念を一つ大事にしています。

特徴はイカダ型

 もう1つは、イカダ型と僕らは言っているんですけれど。知多半島は、イカダ型クラスターなんて、最近評価され始めているんですが。

 豪華客船というのは、場合によっては病院とか、巨大な障害者の入所施設とか、高齢者だって、特別養護老人ホームの100床なんてのは、僕らは豪華客船型だと言っているんですが。どうしても対象者を集めると、ルールを作らざるを得なくなって、一人一人の暮らしはかなり縛られたものになったりとか。あとは、やはり運営効率を突き詰めていくと、関わる従業員のほうも、自分の役割が歯車のように、例えば、対象者に対してどう自分の関わりが生かされているかみたいなことが見えなくなってくるというふうに思っていて。

図3スライド
(図3)

(図3スライドの内容)

 イカダ型というのは、見ているように小さい(図3)、本当に丸太をつないだだけのような、そういう事業所が地域にいっぱいいっぱいある。これはつながってないと、台風がきたりすると流されたりしますので。だからネットワークする。こういう地域こそが豊かなのではないのかということが、自分たちの概念としてあって。イカダをいっぱい作ろうということをやってきたんですね。

図4スライド
(図4)

(図4スライドの内容)

図5スライド
(図5)

(図5スライドの内容)

図6スライド
(図6)

(図6スライドの内容)

図7スライド
(図7)

(図7スライドの内容)

 それを整理した4コマ漫画がいっぱい続いていくんですが。

 「みすぼらしい船だな、どけどけ」(図4)。これが医療法人だったりするんですが。

 それで僕たちは、この「あ~」となっている側なんですけれどもね。

 これが、例えば、「もう動かないよ、どうしよう。エネルギーが無くなった」(図5)って、例えば、この国の超少子高齢化社会が進んでいく中で、納税者が減る、介護保険料を納める人もいなくなってくる。だけど受益者というか、支えられなければいけない人は、ものすごい勢いで増えるわけですよね。

 だから税金頼りで続いていくんだろうかというのを、そもそも僕ら市民として疑っているということで。こうやって動かなくなることがあるのではないかと思ってるんですね。

 その時に、僕たちが、この小さい、もしかしたら、こっちの人たちがバカにしていたような展開をしているところが、さらにネットワークでつながっていって(図6)、スイスイと大型の豪華客船をおいて前に行く(図7)というようなことが起こり得るのではないか、というのが1つ、これからの日本社会を展望したときの僕たちなりの推察なんです。

 こうやって泳いでいくと、溺れている人がいる(図8)。これが社会的に何らかのニーズを持った人が、溺れている人に例えられているわけですが。

図8スライド
(図8)

(図8スライドの内容)

図9スライド
(図9)

(図9スライドの内容)

図10スライド
(図10)

(図10スライドの内容)

図11スライド
(図11)

(図11スライドの内容)

 「おぼれるよ、早く早く」って言った時に、2人いると、1つの事業所とかサービスでは助けられないので、今はこれ、急いで縄を解いているんですね(図9)。こうやって2つに分かれて(図10)とか、フレキシブルに、小さい事業所だと、細かいニーズとか、個別ニーズに応えられるだろうと。

 さらに場合によっては、助けた人も、あなたも乗っかって、溺れなくなったとして、何かできませんかね、というですね。まさにエンパワメントして、場合によっては支え手側になるとか、この船の構成員になる。こういうつながりを持っていく(図11)。

 一番多いのは、そうですよね。例えば乳幼児を持って社会的に孤立している主婦ですね。保育園に行く前の段階の母親の支援もかなり住民サービスで細かくやっているんですが。その対象の方がこどもさんが大きくなった時に、やっぱり「サポートちた」のヘルパーなどになってくれるというのが、かなりあって。そういう意味で、一時支援を受ける対象だった人が、当然助ける側に回るという、そういうこともあると。

 豪華客船は素敵だけれど、それしかないと何かあった時にみんなで溺れるということですね。

 来ていただくとわかるんですが、けっこう楽しくやっているのですが。想定はかなり根暗で、この国のあり様は続いていかないんではないかと。その時にどうするかということでやっているんですね。

 これは宣伝になりますが、「地域福祉サポートちた」では、ホームページで「地域福祉サポートちた」と調べていただくと、ホームページが出てくるのですが、知多半島福祉バスツアーというのをやっていて、このイカダ型の事業所を、ぐるぐる1日で5つぐらい見て回るというツアーをやっているんですね。

 これは行政の方たちが、ごっそり30人ぐらい来ていただいたり、最近は議会の人が見学に来ていただいたり。当然市民活動をやっているほかの地域の方の参加なんかも多いですが。このようなイカダ型の展開を、実際に見ていただきたいとなった時に、バスツアーですね。これは当然ほかの地域にも影響を与えたいということで、やっているわけです。

図12スライド
(図12)

(図12スライドの内容)

 年を取ったイカダはやめると(図12)。だから、代表が年を取ったと。日本の福祉の大きな問題として、僕は世襲の問題があるというふうに思っていて。一般企業でカリスマ社長がドーンとつくった営利法人が、2代目まで続いて生き残るというのは3割ぐらいらしいです。これはデータがあって。7割はつぶれるわけです。3割のまともな2代目、さらに言うと、その3割のまともな3代目。今、社会福祉法人では、4代目とか出始めていますから、世襲でですね。

 3割の3割の3割の確率を突き詰めていった時に、その4代目法人がまともである確率というのは何%ですかということで。それは沈んだ方がよいと僕自身は思ってるわけですね。

図13スライド
(図13)

(図13スライドの内容)

図14スライド
(図14)

(図14スライドの内容)

 そう思った時に、問題なのは、この乗っている船が無くなった時に、それに乗って生きている人が沈んでしまうといけないわけですから。他のイカダに移ってくれよ(図13)と言われて、移ったときにもっと新しい考え方で、もっと新しいサービスのイカダがあれば、別にいいでしょうと(図14)。ここもやっぱり僕たちとしてはかなり大事にしていて。

 結構、そうすると、始めるときにあまり責任を感じなくていいんです。何かやりたいことがあるとか、助けたいニーズがある時に事業者が始めて、終わるときも「すみません。うちやめるんです」と言った時に、「じゃ、誰々さんの利用者さんは、うちが引き受けましょうか」みたいなマネジメントをすると。こういう考え方です。

サークル型とスパイラル型

図15スライド
(図15)

(図15スライドの内容)

 さらに、サークル型とスパイラル型(図15)と書いてあるのですが、やはり事業所がですね、まあ、市民活動がって置き直してもいいんですが。だいたい参加したいって、素晴らしいなというミッションがあって、誰かが近寄ってきたときに、人が増えないと悩んでいる団体は、みんなでガッチリ手をつないでサークルになっていまして、その手に隙間がないんです。

 具体的に言えば、参加した時に、その組織にしかわからない会話を延々していて、参加していてもつまらない、みたいなね。どんどんせっかく来た人が辞めていっちゃう。これは、本人達は無自覚なんだけど、これは僕はサークル型と整理していて。スパイラル型の運動でありたいと、いつも言っていてですね。僕だったら、どんなに障害が重たい人でも、死ぬまで地域で暮らせるシステムをつくりたいと。障害があるだけで社会的に排除されるのは、おかしくないか。君、そう思うだろう」と言った時に、一番初めに手伝ってくれたスタッフが、がっちり僕の手を握ってくれて、そのスタッフの片手はフリーハンドで、あんた、2人だけでは、なんともならないから、手伝ってくれる、とまた、誰かに手を差し伸べる。その時に、ある大学生の男の子が1人手伝ってくれたんですね。こうやって僕たちのムーブメントが、ずっと渦をまくように大きくなっていく。そういうイメージを持っていて。

 なんか市民活動というと、サークル型で小規模で接着力が高いみたいなことがいいという、うっかりすると「むそう」はあれだけでっかくなった時に、なんか市民活動じゃないんじゃないかって、最近批判もされたりして。ただ、やっぱり何を解決したいのかというミッションが大きければ、組織だって大きくなっていくわけですよね。

 その上では、やはりスパイラル型の運動でありたい。ミッションを軸に、フリーハンドで誰かが次の方に手をさしのべる運動でありたい。そういうことをすごく大事にしているということ。

 このサークル&スパイラル型というのは、サークル型もミッションによっては、かなり地域密着の、よりローカルなエリアでの活動に関しては、もしかしたらサークル型のほうが動きやすかったり、ポテンシャルというか、テンションが高いので良かったりする可能性があるわけですが。サークル型の組織とかスパイラル型の組織がネットワークすることで、さらにスパイラルになっているというのですね。

 今、僕の中では、スパイラル型組織として地域実践をやる。どんなに障害が重い方でも、死ぬまで、日本でも地域福祉でやれるんですということを実証するための組織が社会福祉法人むそうで、この仲間の組織をどんどん作って、スパイラルを日本中にネットワークしているのが「NPO法人ふわり」という団体なんです。

 僕は、この2つの団体の代表をやっていて。だからここで仕組みを作る。場合によっては実証していく。

 さらに言えば、ここで、「NPO法人ふわり」で仲間の事業所に同じような展開を一緒に勉強しながら広げていく。こんな使い分けをしています。

ダイバーシティ

図16スライド
(図16)

(図16スライドの内容)

 もう1つ理念的な確認をしておきたいのですが。

 僕たちが更に言うと、理念的に何を目指しているのかという整理なんですが。これ(図16)、2007田村って書いてあるんです。ダイバーシティですね。多文化共生の世界で、ダイバーシティー研究所の田村太郎という人がいてですね。田村太郎さんは多文化共生の世界では、日本ではパイオニア的な、最近はカリスマ的なと言われるリーダーなんですが、彼が使っているPowerPointです。変化する、変化しないという縦軸は、人間関係があるということです。

 受け入れる、受け入れないという横軸は、コミュニティがということなんです。

 人間関係が決して変化しない。更に言うとコミュニティ的にも受け入れない、来ないでくれと。これは排斥ですね。人間関係は変化するのだけれども、受け入れないというのは同化だと。例えば日本でいけば、アイヌ民族に対しての倭人ですね。日本人、大和民族の対策は同化だったですよね。あなたたちの文化を捨てて和人になりなさい、と。同化ですよね。

 コミュニティに住んでもいいよと受け入れるのだけれども、関係性は持たない、と。これは棲み分けです。僕は今、障害者の地域化ということでいけば、棲み分けが進んでいるだけだと思っていて。

 目指しているのは、この共生です。地域の中に受け入れられ、なおかつ障害のある方が影響を地域の方から受け、当然与える存在であることですね。やりとりがある。存在としての役割があるということですね。そこまでしかけていないと、結局は町で暮らしていると言わないだろうということになっていて。

 やはり、障害福祉ということでは、排斥と棲み分けの、ここを行ったり来たりしている実感がすごくあって。これはたぶん外国人支援ですね。田村太郎さんのフィールドもそうだし。最近は貧困問題に取り組んでいる湯浅誠さんなんかと話をしても、湯浅さんもやっぱり、排斥と棲み分けの行ったり来たりに貧困問題もあると。共生にはならないと。

 ここのダイバーシティですよね。多文化共生するということでは、違いを前提にお互いの文化とか価値観を受け入れ合う方法を、日本人が身に付ける。それができないと、共生にならないということが、自分たちの運動の一番大事な肝になっていると思っています。

 ここでうちの活動の様子の映像があるので、見てもらいながら、では、どんなことをやっているのかということをご紹介したいと思っています。

「むそう」の活動

(映像開始)(編者注:映像からの画像は割愛)

 これは、うちのラーメン屋の様子なんです。まずは働く場所のいろいろなサービス提供をしています。1つの軸は衛生が保てる人かどうかということですね。保てる人は飲食店ですね。パン屋さんをやっていたり、蕎麦屋さんをやっていたり、大判焼き屋さんをやっていたり、いろんな展開をしていて、衛生的に無理だという方達の場合には農業ですね。ニワトリを飼っていたり、キノコを作っていたり、いろんなことをやっています。

 この3人の親御さんが共同設立者です。僕と一緒に今のムーブメントを始めた5人の親なんですが、その中の3人です。

 彼女たちは障害者だというだけで、犯罪も犯していないのに、カギをかけられて管理するような暮らしに自分のこどもが行くのはイヤだと。そうでない仕組みを一緒に作ってほしいと言ってきて、具体的にどうしたらいいのかねということをやってきたのが、うちの事業所の展開なんです。

 これは保育園の跡地が長い間使っていなかったのを、地元の半田市にお願いして喫茶店に改修したんです。この彼は四肢マヒがあって、知的障害も最重度なんですが、物をなんとかを持って動かすことができるんです。四肢マヒで、片手は地面についてないと倒れてしまうのですが、彼の、物を動かせるってことが仕事にならないだろうかということを職員でディスカッションし、歩けないので、彼に向かって人が来なきゃダメだろうと。カゴを出すということを仕事にしようということで、駄菓子屋さんを作ったんですよね。

 子どもたちが買いに来るんですが、そうすると彼がふんふんと言いながら、かごを出す。そんな形でできないことなんて考えてもしょうがないですから。そんなこと、リハビリテーションとかしたって変わらないんですから、できることを生産にするにはどうするかという、社会資源開発をすることで、彼がある意味、生産者になれるとか、地域の中で役割を持てると。そういうことを仕掛けていっているんですね。こうやって、かごをふふんって出すと、それで子どもたちがもらうんですね。

 彼は暮らしとしては、うちの街もかなり空き家なんていうのが出てきていて、この国はどんどん人口が減っていくわけですから、そこに身障用の風呂・トイレをつけさせていただいて、共同生活をしています。

 暮らしの場は3つぐらい、今そういう、4人ぐらいが共同生活する建物を持っているところです。これがその生活の様子です。

 今、前後に揺れている彼なんかは母子家庭だったんですが、お母さんが突然亡くなってしまったんですよね。大きな施設に行ったら、洋服をかみまくって、髪を引っ張って、グチャグチャな状態になって。僕たちが引き取って一緒に暮らして。やっぱり自分の部屋があれば落ち着いてくるわけですよね。彼は音が過敏なので、不安定になっていっちゃうんですよ。

 そういう障害特性の人が50人とかですね、彼がいた施設は100人の施設でしたが、4人部屋で共同生活するというのは、拷問にほぼ近いというふうに思っていて。

 日本では何でかしらないけど、重度障害者は病院か施設と。障害の軽い人は地域生活がいいみたいな、ね。

 僕は障害特性から考えたら、まったく逆だと思っていて。障害の重たい方こそ個別支援で地域生活だろうと。コミュニケーション力があり、自力で施設から外出できる人はアパート代わりに施設にいてもいいと。その代わり、最低個室にはしてよねと。そんなふうに思ってるんですね。

 またラーメン屋さんのほうに戻るんですが。今、900円でサラダバイキングがあって、あとはラーメンが食べられるというお店になっています。なぜサラダバイキングにしたかというと、ラーメンを作るのには、やっぱり普通のお店よりちょっと時間がかかるんですね。知的障害の方たちがやるので。待たせていると、イラッとされるんですよ。「やっぱり障害施設だからね」なんて言われて。とりあえずサラダで口封じと。こういうことをやるんですね。今はみんな熟練して、普通の時間でラーメン出せるようになっていますが。

 彼は上手に包丁を使っていますが、教えたんじゃなくて、何かを粉々に粉砕したいという障害特性があったんですね。そうだとして、たまねぎのみじん切りしてもらって、チャーハンなんか作ったらいいんじゃないかとか、ハンバーガー屋さんはいいんじゃないのとか、いろいろあったんですが。麺なんかも、今は2分で上がるということをタイマー設定できるんですよ。バチンって上がったらびっくりして振りゃあいいんですから。スープ1杯入れる、トッピングする、最後はダウン症の人が笑って出すというですね。

 やっぱり愛知ですのでトヨタの影響を強く受けていまして。工程を分解して、障害特性に合わせてできることを、ラインにすることを徹底してやるんですね。みんなができないところを職員が補う。そうするとかなり、本人たちだけで仕事ができるようになりますね。

地域での協働

 地域協働ということでは、いろんなイベントとかを地域の方たちと一緒にやることを積極的に仕掛けていて。今、半田市内のお祭りですね。夏祭はほとんどうちが模擬店をやっていまして。安全なテキ屋として、すごく人気になっていまして。そのたびに障害のある方たちがお店を出すものですから、障害のある人が町の中にワサワサいるということがあたりまえの風景になってきているんですよね。そういうふうにならないと、地域協働とか、理解というのは進まないと。とにかく出会うことが大事だということで、やってきています。

 こうやってうちのイベントになると、地元のボランティア団体とか、いろんな人が来て、やると。こういうことをマネジメントするのが職員の仕事だということをしきりに言っていて。福祉の人って、人手が足りないからできないと言い訳をすぐされますが、人手を増やすのが施設職員の仕事でしょということが、いつも職員に口酸っぱく言ってることなんです。

 彼女は、お母さんが突然、低血糖発作で倒れて入院されたんですね。行政が案の定、障害者施設に入れたら、彼女は音発作といって、ドアがバーンと閉まったりとかした音で発作になって。てんかん発作の一種なんですが。体調不良で死にかかったんですね。行政が大きな施設にいると死んじゃいますので。そりゃあ、死んじゃうでしょうねって。で、「むそう」さんで引き受けてほしいと。たんの吸引とか、彼女も糖尿で、インシュリンの注射とか、あとは導尿ですね。管を入れておしっこを取るということをしなければいけない方で。でも、お母さんは結局そのまま帰って来ずに亡くなっちゃったのですが。その後、もう既に7年ですか。一緒に暮らしています。

 彼女のところには訪問看護が入っています。あとは親御さんがいなくなって、後見人がいないので、成年後見人がついて、僕たちがサービス提供をするという暮らしを続けているんですね。

(映像終了)

こんなふうに創りたい地域生活支援システム

 このような展開が僕たちの活動だというご理解をいただいてですね。

 そんなことが、皆さんのお手元の資料に戻っていただくと、「こんなふうに創りたい地域支援システム」と、PowerPointでは書いてあるんですが(図17)。

図17スライド
(図17)

(図17スライドの内容)

 基本的な支援と書いてありますが、基本的な支援というのは、暮らす上で、3つの基本的支援といつも言っているのですが。

 住む場所。7日間寝る場所。さらに言えば、5日間働く場所ですね。さらに余暇社会参加支援ということでは、土日に自分らしく、いろいろな体験をする機会。

 これをグループホームを軸に。まあ、グループホームも慣れてくるとひとり暮らしをしたいとか、彼氏と住みたいとか、いろんな話に当然なっていくわけで、そんな展開も含めて。

 あと働く場所、というのは日中活動ですね。余暇社会参加支援はホームヘルパーと一緒に。この3つの軸に所得保障、さっき言った権利保障、成年後見ですね。医療との連携、家族援助、家族と一緒にいる間は、家族を支えないと本人の状態はいい状態になりませんので。相談。これらをマネジメントする相談機能。

地域の意識をかえる

 地域の意識変革というのは、今日の1つのテーマだと思うのですが。たとえばグループホーム1つ作るのに、反対運動が起こったりすることが昔はあったんです。今でも地域によってというか、もっと正確には、反対運動をするのは多分1人なんですよね。声の大きい1人。その人が不安感を増幅したときに反対運動になるというふうに理解していて。反対運動が起こると地域の家を個別に回るわけです。

 あなたはどう思っています、と言うと、皆、障害者に来るななんていう人は下品だと、全員が言うんですよ。次に集まったとき、ぜひ勇気を出しておっしゃってくださいよと。また集まると、その1人だけが大声で「反対」「反対」って言ってですね。

 「えーと、何とかさん、この間なんて言ってましたっけ?」って振ると、みんな触れないで、みたいな感じで下を向いてるんですね。そういうことが下品なんだよとか、起こらないようにするという意識変革ですよね。日常的つきあいと。さらに言えば人材養成ということで。今までの福祉が、コンクリートの箱に鍵をかけることで障害者の命を守ってきたとすると、人が寄り添うことで、一緒に生きていく支援をしたいとすると、大量の人材養成ができなきゃダメなんです。

 先程紹介した「地域福祉サポートちた」で、ヘルパー講座をずっと繰り返していて。

 例えば30団体あるので、30団体が2人、年に6回、2か月に1回ヘルパー講座を持っているのですが、30団体が2人ヘルパー受講者を出せば、60人集まるので、成り立っていくわけです。「サポートちた」の事業的にも、ヘルパー講座の収入が一番大きなウエイトを占めていて。その意味で、仲良しだというのは、人材養成なんかを一緒にやったほうが絶対いいわけですよね。

 他にあるとすると、行政の政策提携かな。こんなことを一緒にやるのは、「サポートちた」でやっています。これを一枚紙にすると、こんなふうです(図18)。

図18スライド
(図18)

(図18スライドの内容)

 これらの輪が、3年前になりますかね。一緒に僕とこの仕組みをつくってきたナンバー2の女性の職員がいるのですが、辞めてもらって、社会福祉協議会に出したんですね。障害者の支援センターの今、半田市の所長をしているんですが。

 何をしたかったかというと、うちが巨大化していくというよりは、同じようなシステムで、でも理念とか、職員構成が違う団体があって、選べる地域にしたかったんですね。

 なので、ノウハウを持っている人間を外に出す。みんな他の事業所の人は、僕に聞かなかったようなことまで、むそうがこんなに飛躍的に伸びたのは、戸枝さんが本当は悪いことをしているんじゃないかとか、どんな資金繰りだとかですね、むそうという組織を離れたことで、安心して、聞きたかったむそうの運営ノウハウをこの職員に遠慮なく聞くわけですよ。

 この同じような展開をしている輪っかが半田市内12万人の町なんですが、5つぐらいある、とすると、今度は、うちもうかうかしていると選ばれないということもありますから、質を上げていかないといけない。自立支援法では市場原理に委ねたとすると、選べないとすると、サービスがいっぱいないと、事業者のほうが利用者を選ぶんですね。サービスをある程度仕掛けることができたので、かなりこの輪っかが重層的に、ほかの団体も含めてあるということも、理解いただきたいですね。

支援は子どもの時から

 暮らす、働く、社会参加。特にここでふれておきたいのは、こどもさんたちの支援なんですが。例えば、早い人だと3歳ぐらいで自閉症だと保健師さんが見つける。電話がかかってきて、私、自閉症だと言われてって、死んでしまいたいとお母さんが言って。「いや、死ななくてもいいですよ」って、「ちょっとラーメン、一緒に食べませんか」ってうちのラーメン屋につれて行って。「あなたのこどもさんってね、あそこでラーメン作ってる彼なんだけど、なんかね、同じ歳ぐらいのときはそっくりでしたよ」なんて言うと。「えっ?」ってですね。「うちのこども、自閉症なのに、ラーメン作れるようになりますか?」って言うので、「絶対になります、なる方法を知っています」というと、たぶん僕に後光が差すんでしょうね。なんか、お母さん、ジッとですね。「本当ですか?」と。それをどうすればよいのかということを、まずはうちのホームヘルパーを入れることで、おうちの中で一緒に組み立てて行きましょうと。ずっと寄り添っていくわけですよね。

 だから今、知多半島ではシビアな方が幾人かはいますが、昔ほどパニック持ちの人というのは、ほとんどいらっしゃらないんじゃないかなと思っていて。子どもの頃から早期に専門家が家庭の中にまで入るサービスがすごく重要だと思います。要するに通所施設に来たら、なんとか指導するみたいな、中途半端な支援では、圧倒的に家にいる時間のほうが長いですから、本人の暮らしは変わらないんですね。そのような組立をして。

 中学校ぐらいになると、働くところに体験にいきます。今、中卒で、高等部なんか行かない人も増えていて。僕たちは夏休みも1カ月休んだりしませんから。2時半で終わったりしませんから。高等部は義務ではないのだから行かないという人たち、かなり増えている。すると、中学部ぐらいから、ヘルパーさんと一緒に働くところに体験に来る。あとは高等部ぐらいになると、ケアホームに夕飯をまず食べにきて、慣れてきたらお風呂に一緒に入ったりとか。

 こうやってスモールステップで地域移行していく、自立に向けたトレーニングをすると。こんなことを仕掛け始めているところです。

 むそうとして意識してきたことは、このような多様なところとつながる。非効率をつきつめようと、ずっと言ってきたんですが。

様々な形の協働

図19スライド
(図19)

(図19スライドの内容)

図20スライド
(図20)

(図20スライドの内容)

 自分のところで、なんでもやるのではなくて、なるべくいろんな社会資源とネットワークしていく(図19)。例えば、環境的な配慮がその方の生活安定の上で重要な方は、なるべく新築でグループホームなんかも建てたほうがいいと思いますが。使いでっていうことではですね。あえてせずに、空き家を改修して、空き家対策の核になっていくとか。クオリティはちゃんとしてやりたいので、食品会社と組んでラーメンのスープ開発をやるとか。こんな形で地元の企業の会社名の焼き印を作りまして、それが全部印刷されているクッキーを、必ず手みやげに持っていくとか。こういう協働を丁寧にしかけてきました。

 それの考え方の根っこが、市場、非市場が儲かる、儲からないですね。個別の小さな問題と共通で重大な問題というのが、暮らしに密着した問題と社会問題というふうに軸を置いていただいた時(図20)に、僕たちはこの赤ですね、社会事業。ボランティアとか市民活動は生活に密着してお金をあまり気にしない活動として整理すると、行政は社会問題で企業がやっても成り立たないことをやってきた。

 企業というのはたくさんの人が興味があって、市場性、要するに儲かることをやってきたわけです。企業も今どんどん不況になってくる中で、CSRですね、企業の社会的責任を後退させてきている場合がある。行政はやりきれない、直接サービスでやってきたことが、やりきれなくなってきている。

 さらには、例えば外国人の問題とかですね。今、例えばブラジル人の子どもの、日本にいる人の2割は教育を受けてないんですよ。

 これを車いす障害者がブラジル人の子どもに教育をする日本語学校とかね。まあイメージですけれど。

 この3領域を丁寧に僕たちが支えていくことが、社会的に価値がある。もっと言えば、この国を支える重要な事業ではないかと位置付けています。

 うちのまち「むそう」では、先ほどの概念図(図18参照)に、児童センターと書いてありますが、当然子どもに直接支援するサービスなんですが、行政が今まで保育士さんを置いてやってきたんですね。この金が、もうないと。とにかく、この子育て支援が大事といわれている時に、やめるわけにもいかない。何かいいアイデアがないかと。

 そうしたら障害者が運営する児童センターということでいいですかと。障害者がいて、子どもがあぶないとかいう人がいたら、市長さん、行政の皆さん、そんなことはない、と言って下さいよというお話をして。3時になると、子どもがワーッと、学校が終わると児童センターに来るんですが。障害のある人が、「はい、はい」ってお菓子を配るんですね。障害者がいやだとか言ってるやつは、お菓子がもらえないという厳しいシステムになっていて。

 そういうことが、授産施設っていうのかな。障害者の日中活動で児童センターを運営するわけです。児童センターの行政が運営費を削らないといけなくて欠けていく経費の分の職員は、多少委託費はもらっていますが、障害者と一緒にいる職員が児童センターの業務もやる。当然障害のあるメンバーも子どもたちとたわむれる。こういうことは、例えば行政サービス後退部分ではビジネスモデルになり得るということなんですね。

図21スライド
(図21)

(図21スライドの内容)

 うちの職員常々言っているんですが、サービスというか、社会サービスをする時には(図21)、支援スキルですよね。障害がある方のケアが、まずできなければいけない。これは手仕事で、個別支援計画、障害理解力と書いてありますが、障害の知識ですね。特にアセスメント、見立て。やはり先程のマヤさんの話でも、その方の可能性をきちんと、ディザビリティーですね、問題点、障害はあるんですから、そうだとして何ができるのかという見立て。これはかなり障害のきちんとした知識がいるんですよね。その上で、社会資源開発力ですね。

 この3つがきちんと高いクオリティで合わさったサービス。これができるプロになってほしいというふうに、うちの職員には求めていて。

 そうだとして、まずはおむつ替えからやらなあかんと。これは、なんか僕が社会起業家というふうに喧伝されるにつれて、これをダイレクトにやりたいという、大学生が来るんですね。どうやって戸枝さんみたいな起業家になれたんですかって。まずはウンコをつかめと。素手でつかめと。そういう障害のある方の暮らしから、きちんと毎日寄り添っていない人間が、社会資源開発のアイデアなんか出ませんと言って突き放して。10年はここを丁寧に勉強してくださいと。それができたら、起業や経営についての議論をしましょうと、そういうふうに強く言っています。

広がるネットワーク

 最後に、日本中に、先程、「NPO法人ふわり」でネットワークを作っていますと言いましたが、ネットワークしている事業所が出始めているんですね。3つ紹介させていただきたいのですが。

図22スライド
(図22)

(図22スライドの内容)

 これ(図22)は富山県高岡市の「NPO法人Jam」さんというところの展開ですね。

 これは何をやっているかというとですね、この写っている彼が自閉症なんです。Jamさんの職員さんと話していたら、毎日散歩してると。なんで散歩してるんですかといったら、健康作りだと。働くのに、なんとかつながりませんかねと言うと、えっ、って。「散歩が仕事になりますかね、戸枝さん」って言うんですね。

 よくよく考えてみてくださいと。すごいなと思ったのは、買い物難民の高齢者の家に寄って、御用聞きをして、スーパーに寄って買い物をして、それをお年寄りに戻すと。これに高岡市から年間9万円と言ってましたから、委託料を取っていたんですね。

 そうすると、彼はただ、ウロウロしているというと怒られるけど。散歩していたのが、月7000~8000円をもらえる生産者になったんです。これ、すごいシンプルだけど、日本中にこの後、相当ニーズがある。おじいちゃん、おばあちゃんが、「ありがとう」って言って、「ちょっとお茶でも飲んでいかないかい」と関係性が集まるんですよね。

 シンプルだけど、本当に素晴らしい展開だと思っています。

図23スライド
(図23)

(図23スライドの内容)

 これ(図23)は「社会福祉法人むそう」で修行した小田くんという若者が独立しまして、自分のふるさと、蒲郡という町なんですが、「NPO法人楽笑(らくしょう)」という、こういう方ですが、楽に笑うと書きますね。楽笑という事業所を作ったんですね。

 彼は、三谷(みや)っていう漁港の出身で、お父さんは水産加工の会社をやっていました。お年寄りが昔は干物を作っていたらしいんです。魚をさばいて。これをやる人が、いつのまにかいなくなってしまって。旅館とかはいまだにいっぱいあるんです。皆さん、昔ながらの干物がほしいなという潜在的なニーズがあったんですね。このお年寄りがしなくなった手作り干物を障害のある方がやる。自閉症の方とか精神障害の方なんかがやっているんですが。やっぱり飛ぶように売れるんですよね。皆さん食べて、「ああ、本当の干物はこういう味だ」と。教えてくれたのは、昔作っていた人が先生してくれたということらしいんですが。これはもう、本当に成功していて。

 この町も、これは古い建物だったのですが、日本財団さんのおかげできれいに整備しました。今、まだたくさん、うちも使ってくれやという家があるという展開になってきています。

図24スライド
(図24)

(図24スライドの内容)

 もう1つは夕張市(図24)です。皆さん、ご承知の通り、財政破綻した、炭坑のあった町です。人口1万2,000人と書いてありましたが、夕張の方とこの間話していたら、正味8,000人ぐらいになってるんじゃないかと。もともとは2万人いたのが、やはり破綻すると、なんていうのかな、移れる人から移る、若い人からいなくなりますね。だから年寄りばかり残っています。

 今日は東京も雪がだいぶ降っていて、僕も帰れるのかと心配になっていますが。こんなものではなく、雪がひどくて、雪かきボランティアを高齢者の自分でできない人の家に募ったら「私やります。若いので」って来た人が70歳だったというですね。もう本当に笑えない現実がある町です。高齢化率全国1位です。

写真1
(写真1)

(写真1スライドの内容)

図25スライド
(図25)

(図25スライドの内容)

 夕張は公民館(写真1)が指定管理を募集して、もう行政が自分たちで管理できなくなったわけです。破綻して。ここに「ゆうゆう24」というNPOが入りました。ここ(図25)に知的障害、精神障害、身体障害と書いてありますが、はじめは、このフレームで、知的とか身体の方で、高齢者が独居で孤立しているものですから、宅配弁当をする障害者の活動を始めたんですね。

 高齢者の家に入ってきたら、ここが見つかったわけです。同居してる精神障害の引きこもりですよね。彼らの家に毎日行って、ここでお弁当を受ける側ではなくて、作る側にならないか、と。今、なんか、その中の1人は、せっせとビラを作って、もっとお弁当を取ってもらいたいって、いろんなところに配って回っているらしいですが。

 そのような炊き出しをしていると。これは夕張的には必要な事業だったんだけれども、夕張市としては、やるお金がなかったんですね。だから本当に障害団体が来てくれてありがたいと。

 余談かもしれませんが、ここで女の子が2人ですかね。かなり遠く、北海道外から夕張のために働きたいという若者が来まして。そしたら、夕張の40代の未婚男性がみんな沸き立っているんです。あれを嫁にゲットする最後のチャンスが来たんじゃないかってですね。やっぱり雇用としても、かなり大きいということも、申し添えておくべきかと思っています。

ソーシャルワークの極意

図26スライド
(図26)

(図26スライドの内容)

 まとめ(図26)なんですが。こういった展開を職員としている時に、こんなことに気をつけていて。まずは自分を全部出さないと、相手は受け入れてくれませんから、さらけだす。

 その上で信頼してもらえる自分の人格を持てるかどうか。

 ギブアンドギブでいく、相手のメリットをということでは、先に福祉団体なんですと。何をしてくれますかという入り口から行ったところで、もう終わっていると思います。地域益とか、出会う人のメリットを徹底的に考えて、貢献して貢献して、「悪いね」ってなったときに初めて与えられる。そういうことをすごくこだわっています。

 下の4点は人づくりですね。やってみて、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ、と。

 まず率先して動いた上で、委ねていくということですよね。お願いします、ありがとうと言いながら、高いレベルでやってくれる方を見極めてリーダーにして、やってきたことを業務分類し、組織化、ガバナンスを作って地域活動として委ねていく。こういうことが丁寧にできる人がうちの活動からいっぱい出てきたらいいなと。

 今、20代って、ゆとり教育で、物を知らないとか、いろいろ言われますが。なんかね、僕は今42歳なんですが、僕達、受験戦争にさらされた世代と違って、すごく優しいなと思うんですよね。とにかく優しいですよ。人のことをすごく気にするんですよね。

 彼らの中から、これが高いレベルでやれる人がどんどん出るなという、自分的には期待感があって。この人たちが日本の未来を、少子高齢化とか言われていますが、それでも明るい未来を開いていくだろうという希望を自分自身は持っていますし、そのために、今後も力を尽くしていきたいと思っています。ご静聴ありがとうございました。(拍手)

司会 戸枝さん、ありがとうございました。45分という限られた時間の中で、大変多岐に渡る、むそうの活動、それから知多半島でのネットワークについてお話しいただきました。

 例えば障害のある人が地域で関係性を作っていけるように支援することですとか、コミュニティの人を動かすには、まずギブアンドギブ、自分が動くことだというようなお話は、CBRのエッセンスと大変つながるのではないかと思いました。

 それで、質問については後半のほうで、まとめてお伺いしますので、ここでいったん戸枝さんには終えていただきます。皆さん、今一度、盛大な拍手をお願いいたします。(拍手)