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ハンス・ハンマランド氏 講演 - LDに対する正しい認識の啓発 ・LD支援のためのIT関連ソフトの紹介

ハンス・ハンマランド氏講演

ハンス・ハンマランド氏の写真

本日は、私をお招きくださいまして大変光栄に思っています。私共がスウェーデンの方で、こういった学習障害の問題に関わっている内容につきまして、DAISYも含めましてお話できることを嬉しく思っています。

私はこれから何枚もいろいろな画像と絵をお見せしますけれども、これは私にとって大変大切な道具でございます。と言いますのは、私自身がディスレクシアを持っていますので、何を自分が言うべきかと言うことを確実に覚えているためには、こういった映像と言うものが欠かせないものとなってきます。
私はストックホルムにありますスウェーデンのハンディキャップ・インスティテュートという遠いところから参りましたけれど、これがストックホルムのつい最近の朝の様子です。
そして、先程お見せしました最初のほうは、スウェーデンのストックホルムで最も知られている建物のひとつのストックホルムの市庁舎でございました。そして、この2~3週間、まあ一カ月位にですけれども、ノーベル賞の受賞式がございまして、そこでこのシティホールというのは大変大きな役割を果たします。二人のノーベル賞受賞者をお迎えするからです。

私が所属しておりますスウェーデンのハンディキャップ研究所と言うのは、スウェーデン政府、それからスウェーデンのコミューン議会連合、そしてスウェーデン地方自治体連合というこの三つの母体からなっております。
私はここの研究所で30年以上仕事をしておりますけれども、主に技術的に読むこと書くことに障害をもっている方々のために仕事をしてきました。同時に、私は先程お話が出ましたスウェーデンの学習障害者協会ディスレクシア協会というところの、非常にアクティブなメンバーでもございまして、こういった方のために仕事をたくさんしてまいりました。
私どもが「読み書きに障害がある。」ということをよく口にしますが、スウェーデンでは、それをどのように説明しているか、それを少しみていきたいと思います。

この読み書きの障害と言うときにはふたつに分けて考えるべきだと思います。ひとつは、読み書きの能力を十分に学習するチャンスを与えられなかった、それは社会的環境によるものかもしれませんけれども、何らかの形でそういったチャンスを与えられなくてそういった能力が劣っているという場合、そしてもうひとつは遺伝的に生まれながら持っている読み書きに対する能力の低いという状況、それがディスレクシアと呼ばれる状況、そのふたつがあると区別して考えるべきだと思います。

ハンス・ハンマランド氏の写真

先程も申し上げましたように、ディスレクシアというのは遺伝的なものもありまして、私は4人兄弟なんですけれども、4人全員ともにディスレクシアの障害者です。そして私は一人5歳の男の孫がおりますけれども、もしかしたら彼も同じような状況ではないかと察しております。

私自身はディスレクシアと共に60年間の人生を生きて参りました。そして、私の子ども時代のことを振り返ってみますと、私の母親が自分にいろいろたくさんの本を読み聞かせてくれました。これは大変重要な経験だったと思います。ですから、そういう意味では、私の母親が私にとってはデイジーそのものだったというふうにいえるかもしれません。
ですから、学校に行きましても宿題というのは、読むだけはできませんので、私の母親が読みあげて自分の宿題を手伝ってくれたと言うことです。私は自分自身である程度文字を読んで勉強できると感じ始めたのは、小学校4年の頃でした。
今日では普通の方々が、読む文章を読み終わるのを、私は2倍くらいの時間をかけていると思います。ここで重要なことは、私に学習能力が無いということではなくて、読むことに関しての障害があるということだと思います。そこで重要なことは、ひとつの文章を読むのに充分に時間をとるということ、とにかく自分が自分を読み込むために時間をとるということだと思います。

もうひとつの問題は、書くときにですね、時々スペリングを間違えて書いてしまうことす。例えばどういう間違いかと言いますと、「b」を「d」というように書いたり、いわゆる鏡文字で書いてしまうことです。それから数字もそうなんですけれど、電話をかけるときによく数字の順番を間違えてかけてしまうことがあります。
学校時代では、やはり数学の授業なんかは間違えて書いてしまったことによって間違えた答えを書いてしまうということがよくありました。けれども私の先生は言ってくださったのですけれども、勿論そういった数字を自分は間違ってしまったりとか、書いてしまったことはありますが、「数学そのものの概念をいちばん把握していたのは君なんだよ。」と言ってくれました。けれどもそうは言われても、やはり数字はよく間違えて読んでいました。

私のこのいろいろな経験を掻い摘んで言いますと、学校時代はディスレクシアとして大変いろいろな苦労はありましたけれど、学校を卒業して社会生活に入ってからは、そういった障害というのはあまり感じたことはございません。
学校を終わってから5年間、映画会社で音響効果の仕事をしていました。シノメンツという有名な会社があるのをご存じだと思いますけれど、そこでレントゲンの組み立てを行なっていたこともあります。どんな仕事をしても、とてもうまくいっていたんですけれども、オフィスに入っていろいろレポートとか書かなければいけない仕事に着いたときに、また問題が起こりました。けれども大変幸運なことに、もう既に私のいただいたポジションには、非常に有能な秘書の方がついてくださっていたものですから、大変助かりました。そして彼女が、今度は私のデイジーシステムに関わってくれました。 けれども残念なことに1985年になりましたらば、秘書が取り去られて、そのかわりに自分の前にコンピューターがおかれました。また問題になりました。と言いますのは、コンピューターそのものは自分では文章を書いてくれないからです。

そこで私はこの仕事と関わり始めたわけですけれども、ディスレクシアの方のために正しくスペリングができるようなそういったプログラムの開発に取りかかりました。その結果、私のコンピューターは私のためにちゃんと正しい綴りで文章を書いてくれます。
これは私の私的な人生をたどった訳ですけれども、これからまた先程のエッセンメクシア、スウェーデンのディスレクシア協会の話に戻りたいと思います。

私と同じように成人に達してから、読み書きがなかなかうまく行かないということに悩みを持ち始めた方がたくさんおりまして、そういった方のためにスウェーデンの成人者のための高等教育機関がございまして、高等教育学校でそういった読み書きの問題を抱えているのは、自分だけではないと言うことを発見した方が何人かおりまして、そういった方が集まってこのディスレクシア協会の母体となるような小さな会というものを作りました。そして、この小さな協会はインフォメーションセンターを立上げるために、国からの助成金を要請いたしました。そのお金によってスティーブクヌーティッド、スウェーデン語で言いますけど「ライスィングノット」と言いまして、書くことをなんとかしようという「結び目」と言う意味なんですけれども、そういったセンターを作りまして、そこには子どもがディスレクシアで読み書きがうまくいかないという、そういった両親が来て相談をしたりとか、或いは学校の教師がそうした子どもにどういうふうに教えたらいいか相談に来たり、或いは成人のご自身がそこに来て、読み書きに関してどういうふうにしたらいいか悩みの相談などを始めました。

けれども、この最初の助成金というのは3年だけ続いて、もう底をついてしまいました。こういった活動を続ける前提といたしましては、全国に小さな支部があるということ、それが大変重要なことになりました。そこで、1990年にこうしたいろいろな支部が出来たものを集めて、やっと国からのまた大きな助成金を受けることが出来まして、そこで今のような活動の基礎が出来ていったわけです。

そして、スウェーデンの中で初めてハンデキャップのオーガニゼーションとして承認を受けたわけですけども、そこで私どもは始めて、「では自分たちは国になにをしてもらいたいのか」という行動計画というものをあげました。
それは障害をもった子どもが、学校を終わって成人に達して、それから職業生活に入っていく、そういう流れの中で何が自分たちはしてもらいたいのか、どういうことが必要なのかということを、初めて文章化いたしました。

例えばですね、テレビにサブタイトルを入れるとか、そういった細かいことも入れた、非常に長い努力の末にできあがった文章の形になった行動計画でした。
そして、1996~7年にかけましてディスレクシアに関する大きなキャンペーンが起こりました。それは数人のとても活動的な方がイニシアチブを取って始められたんですけども、その方たちが、お金を集めて社会に、ディスレクシアに関する情報を流すという、そういう活動でした。

その中で大変重要だったものは、社会の中で知られている、たとえば俳優であるとか、作家であるとか、そういった方々が自ら「自分はディスレクシアである。」というふうに、社会に向かって告白をしたことでした。その中でも更に重要なことは、現在のスウェーデンの国王ですけれども、彼も自分はディスレクシアであると、そういうことをはっきりと宣言したことでございます。
 そこで非常に興味深かったことはですね、そういったさまざまな方々の告白を受けて、自分で企業を起こした方々が「自分も実はディスレクシアだったんだ。」とやはり告白するようになりました。と言いますのは、そういう方々は自分で自分の生活・人生を自分のテンポに合わせて、自分で自分の人生をコントロール出来るという意味で起業家になったり、或いは会社の社長として自分で動かすという、そういう地位についた方だったからです。

私のお会いした一人の中では、非常に大きなスウェーデンの大企業の社長さんがいたのですけれども、彼はいまだに読み書きに大きな障害をおってるんですけれども、彼は自分に非常に優秀な秘書をつけるということを、いつも心がけておりまして、そういうことによりまして成功した起業家となったわけです。

現在、私どもの協会には80の支部がございまして、会員は5000人おります。けれどもよく考えてみますと、この5000人という数は非常に少ないと思います。私どもの目標は5万人の会員を招集するということです。
 実は現在スウェーデンで、私どもの協会の大きな全国会議が開かれております。この協会の中で私は10年間副会長として非常にアクティブに仕事をして参りました。けれども、全ての支部の会長が集まっているところで、私は一人日本に来てこうやって講演をしているというのも、なかなか活動を象徴していて私は嬉しく思っています。

では、もう少し技術的な分野に入ってお話していたいと思います。私どものような障害がある場合は、こういった技術的なものというのは大きな意味を持ってきます。
現在では国際的なガイドラインという技術的なものに関して、特にウェブサイト等を作る際についてのガイドラインというものが作られているのですけれども、ではどういったふうに作ったらいいのかという、そういうレコメンデーションというのは明らかにされていません。

それでスウェーデンのほうでは、独自にウェブサイトというものを作ってみました。そして、その私どもが作り上げたウェブサイトというのはスウェーデン語では「スプローカロス」と言いますけれども、英語では「アクセシング・プリンティドワード」要するに、文章化されて印刷されたことばに、なるべく自分たちが入手可能、利用可能になるようにという、そういうプログラムでございます。
これは科学的にも、国際的なガイドラインによって評価されているものです。

そして、このスプローカロスというプロジェクトなんですけれども、これは科学的なこういった問題に対していろいろ書かれている資料を集めるという、簡単に言えばそういうことなんですけれども、それは知的な意味で障害があって読み書きが出来ないと言うのではなくて、知的なレベルは全く問題はないけれども読み書きに困難をきたしているという、そういう方のために立上げたものでございます。
私どもは自分たちで論文を書くというのではなくて、各界の専門家の研究者の方々がこういった問題に関して書かれたものを、私どもが独自に集めて、それを私どもの判断で編集したものを、ウェブサイトの中に載せるというそういう活動であります。
それは私達がターゲットグループとしていますのは、例えば書くことを仕事としている人、ジャーナリスト、作家それから教師の方々、それから図書館等で仕事をしていらっしゃる方々とかそういった方々なんですけども、時々そういった方々を対象とした会議であるとかセミナーとか、そういったものを開催しております。

以前は「読みやすい本」ということをスウェーデンのほうで言われていまして、それは知的に書物を理解できない人のために、より簡単に、簡易に書いたものだったんですけれども、私達の場合そういう問題では知的に理解できるわけですから、それを無理矢理に簡単に易しく書くという、そういう必要はないわけです。私達が必要とするのは、やはりはっきりと抽象的なものでも理解しやすく書かれている、そういった文章なのです。
そこで私どもでは、内容も豊かな図書を手に入れるにはどうしたらいいかということを、外部からいろいろと探してみました。そういったものをどう書いたらいいかというところで見つけたのは、IT技術をふんだんに使っている電子図書、ディジーというものでございました。伝統的にはスウェーデンでは、そういった読み書きの困難な方は、録音図書というものを自分たちのためにも使って参りました。私どもは充分に理解力があるわけですから、そしてまた文章を読んだりする視力も、見る力もあるわけですから、そういったもののためには、どういうふうにして通常の図書を、私ども用に作ればいいか大きな課題でした。

これから私は、ひとつのデモンストレーションをしようと思うんですけれども、これは私達の協会のメンバーの方々にITとは何かということをお教えするために、どういうふうにしてコミュニケーションをとったらいいかということをお教えするための私達独自のプログラムです。
左側のほうに書いてあるのは、普通の図書と同じように各章がどういうふうな組み立てになっているかがわかります。そして、テキストの内容のほうは各章ごとに、何が書いてあるのかということが、各章ごとに見ていくことが出来ます。
まず、プログラムを立上げますと、ハイライトが今黄色になっていますけれども、押したテキストにそれと同時に読み上げられたテキストを聞けるようになっています。そうすると、書いてあるものを読めると同時にそれに加えまして、同じテキスト内容を音で聞くだけでなくて、それを語りかける全く同じ文章なんですけれど、実際の人間が出てきてそれを読み上げてくれるという、そういうところも私どもは付け加えました。

申し訳ありません。これはスウェーデン語なんですが、お分かりにならないかも知れませんが、どのようにこのシステムが働いているか、それだけを皆さんにお見せしたいと思います。
今、黄色くマークがしてある所がありますが、それが今、音が最初に聞こえましたよね。それと読み上げるのが聞こえましたが、それと全く同じことを出てきた男性が語りかけたわけです。(スウェーデン語の説明)

これをテストケースとして作成したときに、やはり私どもの会員の方々に使っていただきました。勿論、皆さんとても喜んでくださいましたけども、技術的にもっと改良したほうがいいと言う意見が出まして、かなり白熱した議論になりました。
例えば、今、黄色いマーキングのところが終わると、ポンポンと跳ねて先にいきましたけれど、そうではなくて本当に流れるように色がどんどんどんどん変わっていくようになったほうが、自分達は分かり易いというふうに言ったり、或いは読んでいる人の姿も同時に動いたほうがよいのではないかという、いろいろ積極的意見が出ました。それからあとは、文字の大きさもいろいろ出ました。。それと読んでいく速さもいろいろ変えられるようにしたほうがいいということ、それから普通の方々は読んでいると、ちょっとメモを書いていきますね。自分達もこのテキストにメモを書いていきたいということ、それから一カ所から次の所にそのまま読んでいくのではなくて、途中飛ばして、抜かして自分達の読みたいところへいきたい、そういった要望もでました。

ですから、ひとつの電子図書というのは単なる録音図書ではなくて、音が基本になっておりますけれど、それにテキストがついている、そして画像も図もついてイラストレーションもついている。あるときにはアニメーションまでもついている。言ってみれば、一冊の本がひとつのCDにコンパクトにまとめられているという、そういう総合的なものというふうに捕えています。

私達は、伝統的な本というものも残しておきたいのです。ですから、これはこの一冊の本がこのCDの中に全て収められているわけです。
現在スウエーデンはそうなんですけれど、日本でもそうなっていくんだと思いますれども、今、伝統的な本の図書の形で存在しているものはすべて、やはり電子図書という形で必要な人のために、すぐに入手出来るように、そういう形にすべきであると、そういうふうに思っています。

今まで私がそういったこと、技術的なこと、それからスプローカロス、専門家の方々の知識を集めて、その資料をお配りするという、そういったプロジェクトと、そういったものを全て集めて、私達が作った冊子に「未来の教材」という、そういうものがあります。実際は教材の話だけではなく、全てのそういった読み書きの障害を持っている方の将来そのものがかかっている私達が作りあげた要求といいますか、要求資料書という、そういうふうに考えていただいていいと思います。
私が今聞いているところによりますと、この資料書が一部分が日本語になおされているそうです。ですので、皆さんに是非読んでいだいいて、どこが日本では似ているか、どこが私どもの作ったものが日本に合わないか考えていただければと思います。

とにかくデイジーというものを通じて、技術的には大変共通面を持って、技術的なところでもほとんど同じことをしているわけですから、それが日本でどういうふうに違うかと言うことを議論することは、大変興味深いと思います。
この私どもの資料書というものは、間もなく英語にもなりまして、国際的な資料書としても使われることになると思います。それはデイジーコンソーシアムという国際的な組織がありますけれども、そちらのほうでも採択されるのではないかというふうに聞いています。ということになりますと、日本でもやはり私どもの作ったこういった資料書、ある意味では要求するというそういった要求資料書を採択して、日本でもそういうことを勧めていただければ、国際的な協力関係というものを益々推進できるというふうに考えています。

この小冊子を作るにあたっては、ハンディキャップインスティテュートとスウェーデンのディスレクシア協会とこの二つが柱になって作っております。その出発と私どもの次の出発点となる活動でございますけど、私どもはスウェーデン政府に対しまして、更に活動のための助成金を要求いたしました。その結果、350万クローネ、だいたい日本円にして4千万円くらいの助成金を受けまして、デイジーリーダーというものを開発するための特別なプロジェクトを開始して、私が日本に来る直前に第一回目のミーティングを持ちました。

勿論、すでにデイジーというモダンな現代的なものになっておりまして、あとでもデモンストレーションがあると思いますけれども、スウェーデンの方では更にそれを進めて、外にある自分達の使っているものではなく、外にあるいろいろなフォーマットのものをスウェーデンのデイジーリーダーの中に取り込みまして、それをこういった私ども独自のデイジーの形体になおして、変換しましてそれをそのまま読めるようにする、そういうものを開発しようとしているわけです。

その中で私どもが強く要求しているのは、アニメーションであるとか、ビデオのもの、そういった画像もデイジーリーダーの中に取り込むこということが可能になるようにするということであります。 勿論、今までのデイジーも素晴らしいものでございましたけれども、それにまた私どものスウェーデンのこういったものをかぶせることができれば、素晴らしいと思います。そうでなければ私どもがまた独自に開発しなければならなくなるわけですから、こういった読み書きの困難を抱えている人口というのは、世界中に本当に何百万いるのか、非常に数が多いわけですから、そういう意味ではこういった図書に対して、自分達が利用可能になることを権利として求めることは、当然のことだと思っています。

それは、私どものためだけにそういうものを開発するということを言っているのではなくて、こういったものを開発することによって、私どものような障害を、困難を負った者でだけでなくて他のグループのカテゴリーのかたにも当てはまるような、そういった統一されたものになるのではないかと思っています。ですから、これは「デザイン フォー オール」誰のためにも役に立つデザインだと言っていいと思います。

最後にお見せするのはですね、これはスウェーデン福祉研究所が発行しているパンフレットなんですけれども、よく考えてみましたらこれは日本語で出ているものですから、写真だけは出ますけれども文字を皆さんにお見せすることが出来なくて残念です。このパンフレットはありますので、後ほど皆さんお取りくださいませ。これもある意味では、こういった読み書きの困難というそういった分野だけでなくて、他の分野でも日本とスウェーデンが協力していけるということではないでしょうか。私どもの国も日本も、医療が発達しておりまして皆さん長生きしているようになっています。そうしますと老人の数も大変増えてまいりますので、そういった意味では老人の方々のためにも、こういったシステムが役に立つのではないかというふうに思っています。ですから私どもの読み書き困難を抱えた者のみではなくて、それを抱えて老人になっていくという、そういう社会の中でも協同関係が保ってるのではないかと、私は思っています。

最初にもスウェーデンでよく知られている建物をお見せしましたが、最後にももうひとつお見せしようと思います。これはアイスホテルというものでございますが、ホテルというものが備えている機能は全て持っております。勿論、バーもありますし、レストランもありますし、ベッドもあって、お風呂もあってということなんですけれど、これは全て氷から出来ているものですから、夏になると溶けてしまって、冬になったらまた建て直すという、そういったホテルです。

丁度、私は今これで一時間お話をさせていだきした。誰も止めなければ私は一日中でも話していられるんですけれども、もし皆さんとお話をしたいと思いますので、ここをディスカッションの場として開放したいと思います。