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ハンス・ハンマランド氏 講演 - LDに対する正しい認識の啓発 ・LD支援のためのIT関連ソフトの紹介

質疑応答

質疑応答時の写真

司会者:ハンス・ハンマランドさん。どうもありがとうございした。

今お話ありましたように、予定としては二時間ほどとってお話を伺いするということですが、皆さんのほうから、いろいろご関心があってご質問等もあろうかと、以前にご了解いただいてまして、これから先は皆さんの方からご質問いただいて、それについていろいろお答えいただくという形としたいと思いますので、どんなことでもよろしいですから、今お話いただいたところはですね、ご自分の障害、ディスレクシアの体験からお話いただきまして、スウェーデンではどういった取り組みがこれまで行なわれているかと、そういったディスレクシアの人たちのサポートをするためのデイジーソフトというのが開発されたと、こういったデイジーソフトというのはディスレクシアの人たちだけでなくて、一番最後にお話がありましたように、高齢者の方達にとっても、そういった生活の援助になるのではないかと、サポートとなるんじゃないかという、そういったお話がありました。どのようなことでも結構ですが、ご質問があればお願いします。

今日はお話いただいたのは、ハンス・ハンマランドさんですが、奥様もご一緒にお越しになっておりますので、奥様からも必要であれば聞けるということになっているようです。いかがでしょうか。どんなところからでもいいですが。

質問者:知的障害というのは、よく学校なんかに行っても何人かおりますので知っていたのですが、知的には能力があるんだけれども読み書きが出来ないという学習障害というものに、全然知識が無かったのですが、スウェーデンもそうですが日本ではだいたいどのくらいの人口がいるのか。

司会者:今のご質問なんですが、スウェーデンの協会のメンバーとして五百人くらいいらっしゃるということですけれど、人数がいくらという話ではありませんし、日本のことではなくてスウェーデンのことについてご質問をお願いしたい。

質問者:ただ具体的に何人ということでないんですけども、どのくらいの数が、僕の中で知的障害と捉えていましたので、そういう読み書きだけが出来ないというのを全然知らなかったので、どのくらいの人がいるのかと思いましてー。

司会者:スウェーデンのことに関してお話することが出来ますとおっしゃっていらっしゃるので、そのお話をお聞きします。

講師:スウェーデンのお話になりますと、今学校に在籍している生徒のうちのだいたい5%から8%はいわゆる学習障害といいますか、書かれた文章をそのまま読み込めないという、そういう困難を抱えているといわれています。

こういった識字率の調査というのは、世界で43カ国、日本とスウェーデンも含まれていますけれど、そういった調査はされているんだそうです。けれども、その中で実際、識字ではなくて読み書き、そういった学習障害を持っている生徒がどのくらいいるのか、そういった調査をしているのはスウェーデンだけなんだそうです。ですから、だいたい5%から8%といわれているんですけれども、大変興味深いことはこの世界の識字調査をしている43カ国の中で日本とスウェーデンとフィンランドというのは、その中でもそういうことに対して非常に高い要求を出している国なんだそうです。そういう国に、勿論こういった議論をするときに、参加各国違った言葉を使っているので、同じ土俵に立って比較することは非常に難しい事とは思いますが、やはり興味深いことは文字、言葉、言葉の構造が全く違っても読めない、書けないという現象は同じということです。

もうひとつ例を上げますと、目が見えない方々は勿論違った独自の文字を持っているわけですが、そういった方の間でも3カ国を比べてみると、同じ率の読み書きの困難さを抱える人達がいるんだそうです。

質問者:中学校で教諭をしていますナガタと申します。私も長年教えておりまして、クラスに普通の日本語での授業におきまして、先ほどおっしゃった5~8%ぐらいのでしたけれども、丁度そのぐらいの割合のように思うんですけれども、話していてわかっているようなんですけれどもテストをしてみると書き表せないっていう子がいるように感じております。

それと英語におきまして、先ほどハンスさんがおっしゃっていたように「b」と「d」をよく間違える現象が非常に私の生徒にも多いです。
今日、お話をお聞きしまして、ハンスさんがこのディスレクシアを持っていると聞きまして、とてもびっくりしたんですが、でも考えたら、私もものすごく数字に弱いんですが、ある意味ではそういうところが苦手だというところですけれども、大なり小なりひょっとしたらみんなが持っているものかなあと思いました。
また、それをカバーするためにハンスさんは、ものすごい努力をされたんですが、本当に素晴らしいお話をお聞きしたんですが、それを凌ぐような素晴らしい能力を、かえって獲得されるんではないかなということを、今日感じました。

そしてですね。ここではちょっとひんしゅくかもしれないんですが、私は語学が好きで自分でいろいろやっているんですが、このデイジーのアイデアですね、私ちょっと今スペイン語を勉強したりしているんですが、もしスペイン語のソフトが出たとしたら、自分の語学の勉強のために「あっ、これすごくいい教材じゃないのかな。」と思ったり、或いは生徒の英語のために、これから英語のソフトがありましたら英語の教材として是非授業で活用したいなと、そういう方面で活用されても、これは違う方向で駄目なのかなと思ったりしたんですが、ものすごく私自身が欲しいなと思いました。
スウェーデン語は、私ちょっと今から手に負えそうにないので、そういうふうに感じました。

講師 今、最後のほうにおっしゃった日本の子どもの英語の学習に活用出来ないかということですが、実際それは本当に正しい考えだというふうに思っています。学習の困難を持っていない人にもこれは充分に活用できるものでありまして、ひとつは私の例をとりまして、英語に関して外国語を覚えるのに、これは非常にいいなあと思う方法がありまして、英語を私は少し話すことが出来ます。というのは、書くことではなくて聞くことによって私は英語を習得しました。
それは主に映画なんですが、吹き替えをしていなくて下にテキストが出ていて、なんと言っているか解かるテキストが出ていて、下にスウェーデン語が出ていてなんと言っているかわかる、それで英語を聞いてそれで習ったんですが、やはり私も障害と言いますか、困難があったからなんですが、若いときに外国語を習うことを避けていたということを非常に残念に思っています。
今でも英語を書くことは出来ませんが、話すことは出来ますし、勿論聞くことは問題なく出来ています。ですから、今おっしゃられたことも活用できるアイデアだと私も思います。

質問者:太田と申します。遠いスウェーデンからお越し戴いてありがとうございます。
ちょっと質問があるんですが、スウェーデンでは学校の生徒5~8%のLDの方がおられるということをお聞きしたんですが、それから先ほど学校の先生も、日本でも同じ位のパーセントでおられるということで、スェーデンではLDの人をどの辺からLDと判断したりとか、そしてLDを病気として捉えているのか、それと回復率ですね、いろいろな方法で教育というか、指導すればどれくらいのパーセント回復されているかということと、スウェーデンの学校の先生はLDの生徒に対して、どういう対応の仕方をされているか、私は日本では殆どなされていないと聞いているんですが、スウェーデンではどういう対応、それと社会的なバックアップがされているかということと、それとお年寄りの件ですが、お年寄りには具体的にはどのような問題があって、それをどのようなことで回復いうんですか、されようとしているのか、その辺を具体的にちょっとお聞きしたいんです。

講師 スウェーデンでは病気とは全く考えておりません。これはある種の機能に障害があるということで、病気とは全く考えられておりません。
これがどのくらいから、障害であると判断されるかというと、それは社会の、社会に出てからどういった機能が必要とされているかということから、それが困難だと言うことで判断されるわけですが、最近世界保健機構の方でもLDに関する定義というものが出ているそうなんですが、社会の中での機能として、こういった機能が備わっているかどうか、社会ということでそういった機能に参加できるか出来ないかといったことで判断されていると私は考えておりません。 それでスウェーデンの方では、病気かどうかという議論は全くありませんで、むしろ障害を持っている方々をどのように支援していけるかということが議論になっているわけです。

教育によってであるとか、いろんな手段があるわけなんですが、障害が何であるかというよりも、どのように支援するかが一番大事であり、その根本にあるのは、その困難にある方々がよい人生を送るためには、どのような支援をしていったら良いのかという点です。

障害がどれくらい回復できるかということですけれども、スウェーデンではある調査をしたことがあります。
小学校1年生から後12年間ぐらいをフォローしたんですが、結果から言うと、とにかく早いうちに年齢の低いうちにそういった傾向があることを発見して、なるべく年齢の小さいうちにトレーニングして支援することが大切であるということです。遅くなればなるほど、そういった回復率というものが非常に低くなってきます。
本当に、7歳になる前に出来ればそういった傾向があるということを発見出来れば、その間に大事なことは両親が、回りにいる人がなるべく本を読んであげる、読み聞かせ、語りをしてあげる、話しかける、言葉、音声にしてコミュニケーションをとるということ、それから歌であるとか詩であるとか、そういうリズミカルなものをどんどん聞かせるということを、7歳までに出来る限りやったお子さんの回復率というものは、非常に高くなっているそうです。

もうひとつ老人の方々に関することですが、直接は老人の方々がこのプログラムっを使ったほうが良いと考えているわけではなく、コンピューターを使うということによって、特に老人で知的レベルが低くなってきた方々の援助になるんではないかと考えているわけですが、専門分野ではないのであまりはっきりは言えません。
実は私はいろいろな障害に興味を持っておりまして、そういった知的障害ディスレクシアだけでなく、もっておりますが時間の関係でこの分野気に限らせて戴きます。

質問者:今まさに6歳の子どもを持っている母親なんですけれども、来年から小学校に上がるんですけれども、もしかしたらうちの子はLDかもということで、今日はこの講習会にやってきました。今、読み聞かせとか言われたんですが、集団教育になりますと、やっぱり今、30人ぐらいの生徒と先生ということになります。実際LDという判断も親が完全に出来る問題ではありませんから、、どの程度先生とも関わってくれるかということがすごく不安な状態です。
家では本を読み聞かせたり、音楽を聞かせたりいろんなことが出来たとしても、いざそうい集団での関わりの中となったときに、スウェーデンでは特にそういう子どもさんを先生とのコミュニケーションという点で注意をされているのか、或いは親も含めて三者でどういう取り組みをされているのかということがありましたら教えていただいて、出来ましたら就学時点で相談機関等も含めて関わりを持っていきたいなと思っていますので、その点をお知らせください。お願いします。

講師:私は日本の学校制度というものをよく知らないものですから、日本とスウェーデンを比べて何かということは言えないのではないかと思いますが、やはりスウェーデンでも学校のクラスは大きくなっています。もしかしたら学習障害があるのでないかという気持ちを抱えて、お子さんを送り出すのは勿論不安があると思いますけれど、一番大事なことは親御さんが自信を持って、その方々を育てて差し上げる、親御さんが刺激を与える、宿題が出たら一緒に大きな声で読んでみるとか、書きながら声に出して書いてみるとか、そういった親御さんからの支援というものが、一番彼の経験としても学校がというよりも、彼のお母さんが非常に献身的に一緒に勉強して、一緒に本を読んでくれる、声に出して自分に自分としてはこれでいいんだという自信というか、価値を認めさせてくれた、これが一番大きかったように思います。

 やはり学校との関係というのは個々の関係ですので、おつきになる先生がどのくらいLDに関して知識を持っているかということもありますし、逆にそれは親御さんの方からLDに関する情報を先生に差し上げるという積極的にそういったことをアピールしていくことが、それは隠す必要の無いことですので、アピールして理解を求めていくことが大事だと思います。こういった障害があるとすれば学校の勉強というのは、何をするにも非常に時間があかかるものですので、忍耐を持ってゆっくりと時間を取ってあげるということが重要だと思います。

ちょっと挑発的なことをもうひとつここで申し上げるとすれば、実は障害を持っているのは私達ではなくて、学校のほうかも知れません。というのは、私達は知的には全く問題が無いわけですから、そういった困難を持っている子供たちに必要として義務教育を与えられるべき義務教育を与えられないと言うことは、学校の方にある意味で障害があると言っていいと思います。

私は自分を含めてこういった困難を持っている人々のために仕事をしてまいりましたけれど、スウェーデンでも大きなグループでの授業の中では、困難を持っている人が同時に授業を受けていくということは、まだ難しい問題でもあります。

ですから、そういう意味でも要求資料書という文章を作っているんですけれども、それをよく読んでいただいて考えていただく、それをそのまま日本に持ち込むということは難しいでしょうから、では日本ではどのようにしていったらいいんだろうか。日本ではもしそういう困難を持っているとしたら、日本としては社会の中でどういうふうな要求を掲げていくべきか、どういうふうに学校を変えていくべきか、日本で考えて決めていくべきだと思います。

私どもが出来ることは、今まで進めてきたこの活動、知識、経験というものを、皆さんにお伝えすることを通して参考になればという形で、ダイアログを持っていければというふうに考えています。

質問者:私は神戸市内にある精神病院のほうで精神科のソーシャルワーカーをしているんですけれども、このデイジーの有効性というところに視覚障害者の他に学習障害、知的障害、精神障害にとっても、有効であると書かれているんですけれど、まあ精神障害にもいろいろ病名があって症状もそれぞれ違いますが、どのような精神障害にこのデイジーは有効性を発揮するのでしょうか。
スウェーデンでは実際にどのような場面にどのように精神障害のある方に使用しているのでしょうか。

講師:精神的な障害を持っている方に、どのように使えるかということに関しては、私は専門外ですので詳しくお答えできませんが、こういった方々に関して言えるのは、自分で自分の生活、時間をコントロール出来るようになることによって安らぎというか、落ち着きを得られるんだと思います。自分が得たい、自分が読みたい時に得られるといった点が、この素材の有効な点だと思います。

そういう意味でこういった方々はカレンダーにしても、絵のついた、まあ、コンピューターの中に入っていて動いている絵がついていて、そのことによって楽しく思えるということがあるそうですし、それから実際に本にしてみても動かない文字を読んでいるよりは、こういったコンピューターの形にして音も出てくるし、画像も出てくるしという形で楽しめるということで落ち着きが出てくるという意味で、有効なのではないかということです。私は専門家ではないので、このぐらいしかお答え出来ません。ごめんなさい。

質問者:今日はどうもありがとうございました。神戸養護学校の田中と申しますが、実はですね、養護学校ではいろいろな生徒がいるんですが、LDは少ないんです。普通の学級にはLDはいると思うんですけれど、デイジーでは専門的なものを勉強したいというときには、対応しておりますでしょうか。専門用語と言うか、専門的な内容についてはどうでしょうか。お聞きいたします。

講師:デイジーは、勿論一般的に使用可能なものですから、専門的な知識を入手するためにも使えるはずです。
例えば、個々にあるものはデイジーではないんですけれども、同じと考えていいとおもうんですが、このレポートは洗濯屋さん、クリーニング屋さんですね。文字を読んだり書いたりすることは出来ませんが、音を聞いたりアニメーションであるとか、それから勿論文字も全部、統合してあるプログラムによって、どういうふうにクリーニング店を経営していくかということ、その運営や財政、お金の出し入れであるとか、それからどのように洗濯して出してアイロンをかけて、それをどのようにパッケージしてお客様に渡すかという、そういう統合的なものが入っているわけです。ですから、それは勿論、可能なわけです。

どうもありがとうございました。

質問者:私は乳幼児検診の仕事に携わっているものですけれども、最近、発達の遅れと言うよりも落ち着きがなかったり、動き回ったり、育てにくさを持つお子さんの中に、LDが交じってる、将来LDと判定される方が多く交じっているんじゃないかなと思うんです。その判定もですし、保育をしているお母さん方への支援という役割もあるんですが、ハンスさんが育ってきた中で、こういうふうに私が扱われたので良かったとか、或いはこういうふうにアドバイスをしたり、有効だった玩具があったら教えていだきたいのですが。

講師:もしかしたらその質問には、私の妻のほうがうまく答えられると思います。彼女はその分野で専門的な知識を持って働いている者なんですが、私のほうから言えることは、集中できない子どもというものは、集中できる静かな環境を与えてあげるというのが重要だと思います。そして、そういった落ち着いた環境の中で自分が興味を持てること、そしてまわりも興味を持たせてあげられるような、そういう能力のある人を配置するということが大事だと思います。

最近になってですね、ひとつスウェーデンの方で注目されているのは、自閉症の方々にコンピューターがとても役に立っている例があるということです。ある種のコンピューターのプログラムに関して、自閉症の方々が特別に興味を持ったそうで、その結果スウエーデンの中ではコンピューターテックという名前をつけた遊び場、プレイセンターを設置したそうなんですが、そこへ先生方がそういった落ち着きのない子ども達を連れて来て、自分の好きなプログラムを選ばせてそれで遊んだり学習させたりしているそうですけれど、それは非常に効果があって、家に持ち帰って家でも出来るようにもしているそうで、特にそういう子ども達のために更に数多くのプログラムを開発中なんだそうです。

ハンマランド夫人:私はジェニーと申します。私はこの10年間視覚障害の子ども達とLDの子ども達に関わってきていますけれど、先ほど夫が申しましたのは、図書館のことをスウェーデン語でビブリオティークと言うんですけれども、代わりにコンピューターの図書室と言うので、ドウタティークというふうによれているんだそうです。コンピューター図書室には、あらゆる種類の障害を持った子ども達が来ています。

そこでは学齢に達していない、机に座って勉強するのではない、遊びが大事な年齢の子ども達が来る場所です。特に学校に入る前の子ども達にとっては、遊びというのが一番重要なことだと思います。出来る限り遊ぶというのが大事なんです。けれども、その中で集中を学ぶと言うときには、コンピューターというのは最適な遊び道具だと思います。子どもにとって、それは画面は動きますし、音も出ますし、自分で動かすことも出来るので、子どもにとって集中するのには最適な遊び道具だと、私は考えております。

大変興味深いことに、こういった障害を持つ子どものための子ども番組というものも、スウェーデンではよく作られていますが、それはあまり細かいことを作らずに、とにかくシンプルに楽しく作ってあるんですが、こういったプログラムが障害のない子ども達にも非常によい効果をあげているそうです。

質問者:失礼します。幼稚園の教諭をしております。
ハンスさんのお話によりますと、7歳より前の子ども達でLDと言うことが判ったら、訓練が効果的だというふうに、先ほどお聞きしたんですけれど、読み書きをまだしていない幼稚園の子ども達に「あっ、この子はこんな症状があるから、もしかしたらLDじゃないかな。」と判断出来たら、保護者の方の後押しが出来るんじゃないかなと思うんですが、先ほどハンスさんのお話の中で5歳のお孫さんがもしかしたらLDじゃないかなということがあったんですが、どのような症状を見られたときに、LDじゃないかなと思われたのかお聞きしたい。

講師:先ほど妻が言いましたように、子どもに出来るだけ遊びをさせるのが大事なのであって、子どもがもしかしたらLDではないかというチェックするために遊ばせるとか、書かせてみるとか、そういうことはやはり良くないのではないかと思います。

遊びの中で知的に発達していくために、文字というものを遊びで覚えていくのが、一番良いと思います。親としても遊びとしてリズムのあるものを、詩とか歌を口ずさんであげるということをしているうちに、反応で判るのではないでしょうか。

先ほどからコンピューターはなかなかいいものだと言っていますが、コンピューターだけにこだわる必要は無いと思っています。
なかなか難しいことですが、一人一人の子どもが見られる、世話をしてもらっているという意識が一番重要なのではないでしょうか。 子どもでなくて大人でもそうですが、「この子はこれが出来ない。」となると自信が、自分に対する気持ちがネガティブになってしまいますが、そうではなくて「これは出来ないけれど、こっちはできる。」と出来るほうに目を向けてやると、人としても全体としてポジティブなのではないでしょうか。

私もいろいろと本を読んだりするのですが、世界で知られている作家ですとか、画家であるとか、シンガーであるとか、俳優であるとかの中、多くの方がこういったLDの問題を抱えていたということを、私は知っています。

質問者:こんなことがあるんじゃないかと思ったんですが、新しく若くて小さいときにやればいいんじゃないかと言われましたが、学校に行っている間にLDになる方がいるんじゃないかと思うんですが、それは個人と言いますか、学習を受ける側に問題があるんじゃなくて、指導する側に問題があるんじゃないかと思うんですが、そういったことはLDの側では問題にならないのですか。
或いはスウェーデンではそういった方、指導障害のある先生はいらっしゃらないのか、そのあたりをお聞きしたいんですが。

講師:この講演の最初のほうでお話したと思うんですが、LDの場合には二つのカテゴリーがございまして、一つはディスレクシアと言いまして、遺伝的にそういった能力が欠けている場合、それは教師として何もできませんが、逆に教師のほうから適応していくといった場合、これは出来ると思います。
先ほどお話にありました学校に行っている間にLDになるのではないか、それは社会的に家庭に問題があって勉強する気が起こらないであるとか、学校の授業が子ども達にとって充分興味深いものでないとか、勉強に対して興味を失って、その結果、読み書き能力が低下してしまうという二つがあると思います。

司会者:予定していた時間が13時20分ということになっていますので、一番最後に、結局人間としてですね、画一的な、或いは同士的なものではなくて、それぞれ個性を持って多様な形で生活していくべきだ、そしてそれをサポートする道具の一つとして、こういったものがあるよという形であろうかと思います。
そして個人的にそういったものを努力するだけでなくて、家庭や学校、社会がお互いに連携を持ってサポートしていくっていうようなことなんだろうと思うんですね。

今日、紹介したデイジーソフトというのは、そのうちの道具の一つとして非常に有効なものではなかったかと思うんですが、もう少し詳しいことは、IT関連のご紹介があった後、リビエラという会場のほうで質問していただきたいと思います。

最後に先生にキーワードを一言お願いします。

講師:大変難しいのですが一言でいうと、自分を感じ取る気持ち、自分の価値を認めるということが、自信とは違うんですが、自分は自分、これでいいんだと、こういった気持ちが一番大切だと思います。
そういった困難を抱えているからといって、回りの人間がその人権を壊すといいますか、そういった社会はいけない。ですから「自分はこれでいいんだ。」という言葉がキーワードだと思います。

質問者:ドキドキしながら、息子と言おうか言うまいか悩んできました。先ほどのお母さんが自分の子どもの学習障害について話されましが、私も息子と20年間、この学習障害という言葉で悩んで生きてきました。

去年、読売新聞を見てお友達が教えてくださったんですが、三島先生という方に、2年前にもLDのことで読売新聞に載ったんですが、その先生のほうへ少し通ったんですが、とても素晴らしい先生で、今は体調を崩して行ってないんですが、もし同じことで悩んでいる方がいれば、その先生をご紹介出来れば、先ほどハンマランド先生が素晴らしいお母様に育てられたことをお話くださいましたが、私はとてもそんな大変な者じゃないんですが、これからまた二人で頑張っていこうと思っているんですが、もしこれが皆さんのヒントになればと思って、息子に聞いたら、言ってもいいと言ったのでお話しました。そういう素晴らしい先生がいるんだということが助けになればと思います。

講師:今のお母さんがおっしゃったことは、私どもがスウェーデンでディスレクシアの協会を設立する時に一番最初に始めたことです。と言うのは、社会に出てこういう問題がありますよ、こういう経験もありますよということを、皆さんに伝えるということ、それからそういう経験がある人、もしかしたら自分がそうじゃないかと不安を持っている方々と話し合うこと、自分の経験を他の人と分かち合うことから始めてこの10年があったわけです。

日本はまだスタートラインについたばかりですし、皆さんそういう経験を隠そうとしていますが、隠すのではなくたくさんの方が潜在的にいるわけですから、むしろそうしたお母さんの経験を皆さんに分け与えて差し上げるのが、大変素晴らしいことだと思います。

(息子さんに向けたメッセージ)あなたは成人に達しました。同じような問題を抱えている方々と、自分達がやったように、小さな会館でいいですから、声をあげるということ、自分達はこんな困難があった、だからそういう潜在的にある方に対しても支援をしてくださいというふうに、声をあげることが、あなたが成人した現時点にあって大切なことです。

これで第一部は終わりです。