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日英シンポジウム2002「日英協同で進める地域における障害者・高齢者支援」

Seminar on Japan/UK Collaboration for Reinvention of an Inclusive Community

第二部 意見交換

フィリーダ・パービス
リンクス・ジャパン会長

フィリーダ・パービス氏の写真

みなさんこんにちは。フィリーダ・パービスと申します。
まず初めに、私が何をやっているのかということをご説明したいと思います。リンクス・ジャパンというのは小さな組織です。ボランティアの助けを得て結成されたもので、イギリスと日本の間のNGO、いわゆる第三セクターの間のコミュニケーションに関してのサポートを行うという目的でつくられました。
この組織を立ち上げたのは何故かといえば、私の考えでは、私自身、日英両国の別の分野で仕事をしてきた経験から、なんといっても重要なのは、普通の一般市民同様、一緒に協力して仕事をすることだと考えました。それぞれの社会のニーズを認識しつつ、お互いに協力することで互いの問題解決に役立つことができると考えました。そうすれば両国はもっとお互いに密接になり、お互いにどういった形でそれぞれの問題に答えていったらよいかというヒントを得ることができるようになります。なんといっても重要なのは、可能であればどんな分野であれ、パートナーシップを組むことです。そうすることによって、どんなプロジェクトであっても、その成功を最大限実現することができます。

リンクス・ジャパンは、さまざまな日本のパートナーとも協力しています。たとえば、日本NPOセンターという名前が出てきました。それから東京ボランティアセンター等々、いろいろな組織と協力しています。また、さまざまな交流を国際協力の分野のNGOとも行っています。
ということから、私は、いってみれば窓口としての役割を、この日英両国の協力の分野で果たしてきました。その目的は、特定のプロジェクトについて適したパートナーがいるかどうか、これを見つけるうえでのお手伝いをするということです。いわばコーディネーターという役割を果たしているのです。
実際どういった分野で交流があるのかということをご紹介したいと思います。日英両国の協力ということですが、初山先生のほうから具体的なプロジェクトのリストということで、私たちが関わっているものが出されたかと思いますが、私のほうからは、こういった交流がどのくらい成功したかということをご紹介いたします。
具体的なプロジェクトとして、その結果生まれてきたものもあります。
この交流は河村さんのほうから最初に説明がありましたが、これは、まずは高齢者と障害者に注目しようということでした。日本側からはご承知のとおり、さまざまな団体、組織のいろいろな人たちが関わってこういった具体的な分野での取組を行ってきましたが、少しずつ、その交流のなかで炭谷さんのリードのもとで、より幅広いコンセプト、すなわちコミュニティの再生、そしてソーシャル・インクルージョンという考え方が浮かび上がってきたのです。
あらゆる社会において、障害者というのは少数者として追いやられてしまいます。そして自分たちの声を発言したくても、権利を主張したくても、そういった発言権がありません。

しかし、ライフスタイルが変わるなか、医療や技術が進歩したことで、我々の寿命も延びてきました。そうなると、我々すべてが何らかの形で、やがては何らかの障害を抱えるようになるのです。歳をとれば誰でも障害を持ちます。
ということは、この問題というのは、ごく一部の人たちの問題ということではなくて、我々すべてにとって重要な関心をもつべき問題になるのです。
したがって、ソーシャル・インクルージョンというのはどういう形で、我々すべてがどんな役割を果たしていくことができるのか。つまり、自分たち、特定の分野に関して技能を持っていたとしても、自分たちのコミュニティそのものの健全性を維持するうえで、どんな役割を果たすことができるのか、ということです。
また、炭谷さんからもご説明がありましたが、私自身、日本において社会的なニーズを抱えている人たち、ごく最近まで政府のほうでも注目することはなかったということですが、どんな社会においても、今やもう政府としても、あらゆる社会的なニーズに対して応えることはできなくなっているし、またそれが適切であるともいえません。

つまり、具体的なニーズに草の根レベルで応えようとすれば、それはコミュニティごとに違いますから、政府のほうでそれに応えようとしても応えられないのです。ということは、住民そのものが関わって、そして、いろいろな公共サービスで自分にいちばん適したものを選ぶうえでのサポートをしていかなければなりません。

イギリスでは、長年にわたって慈善団体が存在してきました。19世紀後半、おそろしい産業革命後のひどい社会的な条件を背景として、いろいろな形の慈善活動が生まれてきて、当時いろいろなニーズを抱えた人たちに応えてきました。
しかしその後、国民健康保険制度、あるいは国民医療制度、政府、厚生省当局などにおいて、政府のほうがイニシアチブをとって、こういったサポートを提供するようになったわけであります。ですから、長年にわたってボランティア活動の歴史はもっていますが、イギリスは実際にはまたこの数年前から、新しい役割を果たしてボランティア団体として活動を展開しようとしてきたのです。
つまり、いままでボランティア団体がやっていたような活動を政府が担うようになったということから、今度は自分たち自身が再調整を図られるようになりました。我々が取り組んでいる問題というのは、日本が初めて市民社会のセクターをつくろうというなかで抱えている問題と同じような問題に再度直面しているわけです。
そういった意味から、私たちはかなりの分野において、お互いの経験を交流し合うことができると思います。歴史や文化は違っていても、同じようなニーズを抱えているのです。そしてそういった交流を通じて、経験を分かち合うことで、より多くのメリットを引き出すことができると思います。
今日はジョン・スモーリーさんの話を聞くことができました。彼のほうから、実際のこういったソーシャル・アントレプレナー、社会起業家がどういう形でイギリスで活動を始めたかということについての話がありました。

こういった社会起業家のコンセプトは、そもそもどうして出てきたかといえば、あまりにも多くの慈善団体の考え方が、70年代、80年代において硬直していたという、それに対する不満から生まれてきたのです。誰もが、会議室に閉じ込められて、そしてそのなかでひたすら話ばかりしている。しかしなんの行動もとらないというところから不満が生まれました。
スモーリーさんのほうから、具体的な例が今日示されました。イギリスの北東部において、CANが何を行い、どのような基本的な考えを持っているのかということが紹介されましたが、これはとても重要な方法であるといえます。協力の方法のひとつとして、お互いの経験を分かち合うということがいえます。
昨日、スモーリーさんと私たちは、もっと小規模なセミナーに参加し、そこで参加者からひとつの質問を受けました。
「ではどうやって社会起業家のトレーニングをするのですか?」と言われました。
スモーリーさんが説明をしました。
「ピアニストと同様に、実は誰だって、みんなある程度はピアノの弾き方は勉強できる。でも、誰もがピアニストとしての天賦の才能をもって生まれついているわけではありません。
なかには、社会起業家の天賦の才能を持って生まれてきた人がいたら、その人たちは別に教えなくてもできるのです。ただ、誰もがよい実例から学ぶことはできるのです。自分自身のスキルを、どんなものであれ、どういった形で役立てればコミュニティの生活を改善できるかということを学べるのです。」
CANというのはとても重要なメッセージを持っていると思います。どうすれば、官、民、そして第三セクター、この3つの分野がお互いに協調できるかということを示してくれました。

CANというのが、なぜこれだけ説得力を持っているかといえば、それは第三セクターがほかの2つの分野、つまり政府と企業の代表とが同じテーブルについて、同じ立場のパートナーとして意見を交換できるということです。日本においてはまだまだ、NPOというとよそからもまた自分自身も、まだ若いパートナーであると、自分たち自身について十分な自信を持っていない。ということから、たとえば交渉をしようとしても、スモーリーさんがおっしゃったような、たとえばもう使われていない造船所を使ったああいったプロジェクトにおける交渉などができないでしょう。ですから、平等なパートナーになるということ、これは、先ほどの例から生まれてきたとても重要なメッセージだと思います。
一人ひとりがみな、コミュニティの経済生活のなかで果たすべき役割があって、そしてその結果、自らにとってもそしてプロジェクトにとっても大きなメリットを実現できるのです。

たとえば、ヘルプというプロジェクトで雇用を生み、賃金を獲得することができるというのもまた、やはり重要なメッセージでありました。いろいろな例が示されて、私もたいへん期待をもっています。つまり、クリエイティブな形で資金を使うことで、そういった目的を実現することができるのです。
スモーリーさん、そしてCANのネットワークは、こういった具体的な実際の例であふれています。さっきご紹介のあったCANのウェブサイトをご覧ください。そうすれば、それが判ると思います。

ということから、どうやってこういった起業家の人たち、あるいは創造力にあふれた人たちを日英両国において支援できるかといえば、それこそまさに、我々が将来的に協力して行わなければいけないことです。
私たちは、さっきスモーリーさんの言ったようなプロジェクトを始めています。社会起業家交流プログラムです。スモーリーさんはたいへんな努力を傾けて、生産性のある、よい成果を生むことのできるプログラムをつくろうとしています。
NPOセンターのほうでも、日本において何人か、こういった社会起業家であるという人たちをみつけ、この人たちにCANのいろいろなセンターで、イギリスのほうで実際のこういった実例を見ていただきたい、そしてこういった実例に関しての情報交換をしたいと考えています。
来年、イギリスの社会起業家が日本にやってきます。これはとてもよい出発点となるでしょう。そして、もっと実質的なプロジェクトが、こういったソーシャル・エンタープライズに関して生まれてほしいと思っています。

炭谷さんの説明がありましたが、炭谷さんは大阪でひとつのプロジェクトを始められました。そのやり方ということで言えば、炭谷さんとジョン・スモーリーさんの考えているやり方にはかなり共通点があったと思います。
パイロット・プロジェクトを行うなかで、炭谷さんのご紹介のあったプロジェクトですが、そのなかにとても興味深い、こういった交流プログラムとしてスモーリーさんがやろうとしているものとの関連する点があったと思います。
私たちのグループは、こういった社会福祉の分野での交流を日英両国で促進しようとしている者たちとして、どうすれば人々の交流を通じてこういったプロジェクトを実現できるか、そしてその結果を参考に、ほかの人たちもまた、同じような形で考えて活動を展開できるように、そして自信をもってできるようにしたいと考えています。

先ほども申しましたが、私はあくまで「窓口」です。つなぎ役ということです。しかし私自身としては、人々、すなわちここにいらっしゃる方々、ジョンの仲間、そしてイギリスにいる仲間、すべてを一緒にして、協力することによる相互のメリットについて理解できるようにしたい。そして、炭谷さんがおしゃったようにお互いに夢を持つことができるようになればと思います。

フィリーダ・パービス氏プロフィール

リンクス・ジャパン会長
1998年10月から1999年7月まで、日英21世紀グループの事務局長。大和日英基金の副理事を5年間務め、日英の相互理解を促進するプログラムを推進。数々の市民交流プロジェクトの企画に才覚を発揮する。東京大学大学院にて日本の外交政策を研究。シンガポール滞在中には政治的活動、東京滞在中は経済活動に従事する。ダラム大学で神学を、ロンドン大学のSOAS(東洋、アフリカ学科)で日本語を学ぶ。枢密院のメンバー、GAPアクティビティプロジェクト(日本を含む海外への若者のボランティア派遣)上訴委員会のメンバー、極東戦争犯罪者委員会、及び収容者中央福祉基金のメンバー、ジャパン・ソサイエティ・レクチャー委員会、学校理事を務める。ビルマ・キャンペーン協会の歴史研究ソサイエティの創立会員及び名誉幹事。ロンドン西部に日本文化、スポーツ、レクリエーションセンターの設立を目的とする日本センター、ロンドンプロジェクトの理事。リンクス・ジャパンは日英の非営利、及び非政府団体の交流を促進することを目的としており、1998年10月、彼女のイニシアチブにより設立。リンクス・ジャパンは両国共通の社会問題の解決のため、ボランティア、地域のセクターの交流、セミナーや様々なプログラムを主催している。