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日英シンポジウム2002「日英協同で進める地域における障害者・高齢者支援」

Seminar on Japan/UK Collaboration for Reinvention of an Inclusive Community

参考資料3:日本におけるディスレクシア対策:今後の発展に向けて

マーティン・ターナー
ディスレクシア・インスティチュート

このレポートはターナー氏の訪日後の日本のディスレクシアに関するレポートです。 2003年2月26日に事務局に寄せられたものです。

はじめに

イギリス、アメリカ、そしてスウェーデンをはじめとするヨーロッパのいくつかの国々では、既に30年近く、ディスレクシアに関する運動が続けられています。ここで言う“運動”とは、ディスレクシアの子供を持つ親達によってすすめられてきた、ディスレクシアへの認識と、法律の変更、そして特殊教育を求める動きです。政府の無関心や冷淡な対応に対抗し、民主主義の立場から、メディアや司法機関、ボランティアセクターなどの、公教育の場の外で、運動が繰り広げられてきました。

今回の短い訪問を通して、日本でもこのような動きがあるということ、少なくともこのような動きが出てきはじめたと、私は理解しています。2月8日に東京で開かれた、「日英協同で進める地域における障害者・高齢者支援」に関するセミナーでは、ディスレクシアの問題に関心を持っている数多くの団体に出会いました。

  1. 全国LD親の会。この会の代表者は私の講演の際に的を射た質問をしてくれました。残念ながらこの会のパンフレットは日本語で書かれているので訳すことができません。Eメールアドレスは、czt02757@nifty.ne.jpです。
  2. 小児神経科医で、「クリニックかとう」を開いている加藤醇子医師が出席してくれました。加藤医師はその医学的知識を持ってディスカッションに貢献してくれました。
  3. メディアの関心も高く、フリーのジャーナリストの品川ゆかさんが、今後ディスレクシアの問題について更に取り上げていくことを提案してくれました。
  4. 特別なニーズを持つ子供達を広く対象にしたNPO法人“エッジ”(Extraordinary, Dyslexic, Gifted, Eclectic)という会の参加がありました。
  5. 強力な中央政府の教育担当省である、文部科学省の参加はありませんでした。その代わりに、環境省に勤めている人が個人的な関心から関わっている、ホームレスの社会問題に対する地域の取り組みについて話してくれました。
  6. 国際会議への参加など、日本のディスレクシア研究の努力を示すものは何もありませんでした。しかし、たった1日の短い午後の時間ではありましたが、ディスレクシア対策の発展に実際に関心を持っている多くの人々が集まる機会を持つことには成功しました。
  7. 2003年2月の会議は日本障害者リハビリテーション協会のよびかけと、その見事な運営により成功を収めました。この非営利団体は、利益を求めてともに活動するさまざまな関係者・各機関をうまく包み込む傘のような役割を果たしていました。

ディスレクシア対策の目標

日本の教育界におけるディスレクシア(日本ではアメリカと同じく学習障害と呼ばれています)への認識と対応策を明確にしていくには、他の国々と共通する点に加えて、日本独自の、他国と異なっている点についても説明する必要があるでしょう。

最終的には、どの社会も、脳障害といった生物学的な原因が子供達の学習に与える影響を明らかにし、早期発見・指導を促し、特別な支援を法的に保障していくことを目指しています。この姿勢は、日本でもイギリスと同じで、大変多くの話し合いが必要なことではありますが、異論を唱える人は当然いないと思います。

ただ、日本ではそのような特殊教育サービスの中心となる局面が、他の国々と異なっているようなのです。非常に熱心に取り組んでいる方々に私から申し上げなければならないことは、そのようなサービスの開発には近道はない、ということです。

ディスレクシアに対する最も専門的かつ教育的な仕事は、直接的にも間接的にも、国際的な研究コミュニティーにおいて続けられている研究開発により、支えられています。イギリスの例をあげますと、1981年以降、ディスレクシアを視覚と脳の優位性を要因とする立場から、言語学特に音韻論的な要因を重要視する方向へと変わってきました。この結果徐々に適切な診断テストが作られ、(大学と地区教育局との共同でPhABと呼ばれる音韻学的評価テストを作成。1997年フレデリクソンらによる参考文献参照)普通教育と特殊教育の両方の場で、アルファベットの綴り字と発音の関係をより重視した教育方法へと変わっていきました。今日では、大学が中心となって、特殊教育の効果を評価しています。しかしここで日本の大学における更なる研究努力を奨励したり、財政支援をしたりすることについてコメントをするのは差し控えたいと思います。

次に公共部門の役割について一言申し上げます。公共部門は、他の国々では指導者として、また支持者として、大きな影響力を持っています。日本の教育に関わる政策は、特にアメリカ(例えばインディアナ大学http://www.indiana.edu/~japan/;参照。1992年スティーヴンソン、スティグラー共著参照)とイギリス(1988年リン、1987年プレイス、1995年フィットバーン参照)の国際的な専門家達にとって大変興味のあるトピックです。

ディスレクシアの子供を持つ親の団体は日本にもありますが、私が評価するのは難しいので、これ以上のコメントはいたしません。

その代わり、将来専門家によるサービスを行っていくために必要なことをいくつかお話しして、皆さんのお役に立てればと思います。

はじめに、ディスレクシアの評価についてですが、信頼性のあるテストを使って統計学的モデルを適用する必要があります(1997年ターナー参照)。このような心理測定学或いは心理学テストは、十分に訓練を受けた心理学者によって最も信頼できる結果を出すことができます。しかし経験や心理の資格を持っていない教師でも、訓練を受けることで、一人の心理学者が出会うよりも遙かに多くの人々を相手に、効果的に評価を行えるようになれるのです。

ディスレクシアを診断するための精度の高く正確な、そして信頼できるテストは、第一に日本人の子供達に適した内容でなければなりません。これは特にテストに使われる日本語そのものに関連してきますが、それに加え、テストに関わる視覚的かつ環境的な事柄についても当てはまります。第二に、テストには正確な標準値を定めていくことが必要です。テストを標準化するには、高い技術を持つ統計学者と心理測定学者だけでなく、教師その他の専門家など多数の協力者が必要です。また数多くの学校も関わることになるでしょう。このようなテストの開発にはお金もかかりますが、最終的には非常に利益を生むことになります。イギリスでは、このような研究開発に政府の支援を受けるケースと受けないケースの両方があります。

日本語の構造が読みと書きの評価テストを作る時に大切ならば(日本のためにこれらの言葉を定義し直す理論的な作業が必要かもしれません。1988年ジョーンズ、青木共著参照。1983年テイラー共著参照)、ディスレクシアの人に対する専門的な教育ではこれが中心になります。

イギリスでは英語のすべてが学習障害者の立場に立って考えられ、書き言葉の指導は算数の初歩を教えるように、注意深く、また少しずつ進められていきます(1993年ウォーカー、ブルックス共著)。この時間のかかる大変な作業は30年以上にわたり開発されてきた方法です。初期の頃、ディスレクシア・インスティチュートで研修を受けたギリシャ語を話す特殊教育専門の教師は(1997年サヴィードゥ参照)、その努力の結果、書くシステムが異なっていれば、書かれた言葉の構造も大きく違っているので、指導方法も他の言語のものを適用するのではなく、新たに考え直す必要があると言うことを示しました。

日本人はまずひらがなを学び、それからカタカナ、そして漢字へと移っていきます。高校生では1500もの漢字を習うことになっています。一つの漢字を覚えるのに丸1日かかることもあります。日本語の書き言葉には、道路標識から新聞記事に至るまで、最初に習うひらがなやカタカナが含まれています。音韻が関わるのは、話し言葉に含まれるひらがなの部分だけでなく、興味深いことに、キャロリン・パターソンが指摘するように、アジアの言語では、音節及び非音節要素のどちらも音韻学的要因がかかわります。

そこで日本人のディスレクシアで困っている学生のため、適切な指導教材を作るには、広い研究と専門家による努力が必要なのは明らかです。日本にはまだディスレクシアを診断するテストも、またこれを補うための教材もないと私は確信しています。

今後に向けて

はっきりとしているのは、以上のことを成し遂げるには、時間と努力とお金と専門知識を多大な投資が必要です。それには政府のバックアップが役に立つでしょうが、しかし、必ずしも必要というわけではなく、政府の承認という形で十分かもしれません。

いずれにしても、確固とした同じ目的に向かって広く協力し合うことが必要です。ですから、親、教師、認知心理学者などの関係者は、開かれたコミュニティー施設やメディアによる報道、会議やニュースレターによるコミュニケーションなどを通して精神的なサポートを続けなければなりません。資金調達も必要でしょう。そしていったんそのような支援体制が確立したら、責任体系がはっきりとした中規模のネットワークを背景に、研究者や教師の活動が、適切な指示のもと、うまく運営され、奨励され、更に評価されるようにしていかなければなりません。おそらく支援者による会が必要になるでしょう。それには教育関係の出版社や、政府、大学のディスレクシア研究グループや慈善資金を集める団体も含まれます。そして、プロジェクトを進める上で必要なのは、このような各関係者の経済的な利害関係にかかわらず、それぞれが投資したことが、販売可能なテストや指導テキストの制作に生かされ、利益を上げるということです。

最終的には、ディスレクシア専門の心理学者や教師に対する研修が、現在の大学及び短大を基盤とした専門教育の場で一貫して行われるようにならなければなりません。その際には新しい研修コースや資格が必要になるかもしれません。

それぞれのプロジェクトを進めるには、綿密な計画と協力、そして忍耐が必要です。他の国々で何十年もかかったことが、日本で一晩の内に成し遂げられるわけがありません。しかし、日本におけるディスレクシアの学習者を対象にした診断テストと指導プログラムの開発は、価値のある現実的な目標として評価され、実行されなければなりません。

マーティン・ターナー
MA Msc Cpsychol AFBPs S
公認教育心理学者
2003年2月25日

参考文献

N.フレデリクソン、U.フリス、R.リーズン共著。音韻学的評価テスト(PhAB)。1997年バークシャー、ウィンザー、NFERネルソン社

E.A.ジョーンズ、C.青木共著。日本の仮名と漢字の成り立ち。

D.ドゥ・ケルコフ、C.J.ラムスデン編、アルファベットと脳:書きの側性、301頁から320頁より。1988年ベルリン、スプリンガー・ヴァーラグ社

R.リン、日本における教育の業績。1988年マクミラン社社会問題担当部

S.J.プレイス、生産性のための教育:日英の教育及び職業訓練の比較。1987年2月、ナショナル・インスティチュート・エコノミック・レビュー119号より。

A.サヴィードゥ、DILPのギリシャ語への適用。1997年秋ディスレクシア・レビュー9巻2号より。

H.W.スティーヴンソン、J.W.スティグラー共著。学習のギャップ:なぜ我々の学校は失敗したのか?日本と中国の教育から何を学べるか?1992年ニューヨーク、サミットブックス社

I.テイラー、M.M.テイラー共著。読むことの心理学。1983年ロンドン、アカデミックプレス社

M.ターナー、ディスレクシアの心理学的診断。1997年ロンドン、フール社

J.ウォーカー、L.ブルックス共著。ディスレクシア・インスティチュート読み書きプログラム。1993年ロンドン、ジェームス・アンド・ジェームス社

J.フィットバーン、日本における数学の指導:イギリス人の視点から。1995年オックスフォード教育レビュー21巻3号347頁から360頁より。