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■  講演2 アジア盲人図書館協力事業-14年の歩み

社会福祉法人 日本点字図書館理事長 田中徹二


沼田/それでは、次の講演者である田中徹二さんをご紹介したいと思います。

田中さんは、東京都心身障害者福祉センターにお勤めされた後、1991年に日本点字図書館館長に就任され、2000年には同館の理事長に就任されました。今日は、日本点字図書館でマレーシアをはじめ、大変多くのアジア諸国で長く実施されているコンピューター点字製作技術の移転についてお話しいただきます。

 

田中/日本点字図書館では、2つの協力事業を行っています。1つは、先ほどご紹介がありました、コンピューター点字製作技術指導です。もう1つは、視覚障害者のある方を対象にした情報コミュニケーション技術(ICT)の指導です。コンピューター点字製作技術指導は、1994年から行っています。ICTのほうはそれから10年後の2004年からです。

コンピューター点字製作技術指導は、視覚障害者をエンパワメントするための指導を、視覚障害者に直接するのではなくて、点字の教材、資料、雑誌などをつくって、それを視覚障害者に読んでもらうことによってエンパワメントしていく事業です。ですから、間接的な視覚障害者のための事業といえます。もう1つ、若い30歳以下の視覚障害者にパソコンを教えるという直接的な指導をしています。

1993年に始まった第一次のアジア太平洋障害者の10年を機に事業を行うことにしました。

1993年は、アジア地域で視覚障害者にどんなニーズがあるかを調べるために4か国を訪問しました。その結果、まだ私が日本点字図書館に来る前の1985年に、ネパールの視覚障害者の援助をするために調べにいった時に感じたこととほとんど変わっていませんでした。

ネパールでの事業

そのネパールの事業は、東京ヘレンケラー協会の点字出版局がネパールを対象に国際協力を行いたいので、どんなことをすればいいのか見てきてほしいと頼まれ、ヘレンケラー協会の職員と2人で行って調べたのです。普通児を教育する非常に大規模な学校である、カトマンズのラボラトリー・スクール、ポカラのアマルシン・スクールを訪ねました。それらの学校では、視覚障害児が統合教育を受けていたのです。

統合教育ですので、学校にはリソース・ティーチャーという先生たちがいて、視覚障害児に特別な指導をしていました。点字の教材をつくるのもリソース・ティーチャーの役目でした。先生がパーキンス点字タイプライターを用いて教科書をつくっていましたが、紙に直接点字を打ち込むので、一度に1冊しかできません。その1冊を5人10人という視覚障害児が回し読みで勉強している状況でした。

ヘレンケラー協会の点字出版局は点字の本をつくることに関してはプロなので、そのノウハウを生かして、カトマンズに点字出版所をつくったらどうかと提言しました。それにしたがってヘレンケラー協会は点字製版機などをカトマンズに送って、事業が始まりました。

日本でコンピューターを使った点字製作が始まったのが1988年ですから、それより前だったので、その当時は、まだコンピューターによる点字製作の技術は確立していませんでした。結局昔から出版所が使っていた足踏み式の点字製版機をカトマンズに持ち込んで点字の教科書づくりを始めたのです。しかし、それによって、ネパールの一般の学校で勉強している視覚障害児に点字の教科書を供給できるようになりました。

コンピューターによる点字製作技術指導

1993年に4か国を回って調査した時の盲人関係の施設や盲学校の様子は8年前にネパールで見た状況とほとんど変わっていませんでした。盲学校では、先生たちがつくった教材を生徒が回し読みしていました。こういう状況では視覚障害児の教育は進みません。教育が進まなければ、大学などに進んで社会的に指導できる立場の視覚障害者は生まれてこないのです。そこで点字の教材をつくれる体制を提供したらどうかとなりました。

その頃は、すでに日本でもコンピューターによる点字技術指導が進んでいたので、ネパールの時のように大きな点字製版機を持ち込むのではなく、コンピューター、点字プリンター、点訳ソフトを提供すれば、小さなユニットで点字の教科書ができていく状況になっていました。ですから、それを導入して技術指導をすることにしたわけです。

主に盲学校の先生、図書館の職員、施設の職員にコンピューター点字の製作技術を教えるのに、日本に来てもらって教えるのは非常に非効率的だと思いました。ですから、最初からアジアの国のどこかに拠点を決めて、そこで指導ができないかと考えました。

マレーシアでの技術移転

その目的で各国にあたった時に、マレーシアを選んだのです。その理由は、経済的に非常に進んでいるアジアの国と、遅れている国のちょうど中間的な立場にあるからでした。また、マレーシアはコンピューターなども調達できる環境にあり、カウンターパートとして非常にしっかりした組織がありました。盲学校、盲人施設、盲人協会などを統合している「マレーシア盲人協議会」という組織があり、そこがカウンターパートになれるのではないかと考えました。そして、将来そのプロジェクトで指導員として「マレーシア盲人協会」の人たちが活躍できるのではないかという見通しがついたのでマレーシアで行うことに決めました。

コンピューターで点字を書く手順は、点訳ソフトをコンピューターに装備して、そのソフトを使って点字データをつくっていきます。そのできあがった点字データを点字プリンターにかけると紙に点字が印字されます。技術的には大して難しいことではありません。要するに、点字を知っていてコンピューターをある程度操作ができれば、すぐに対応できる作業なので、これを日本人が行って指導する必要はない、マレーシアの人を養成すれば十分に指導者としてやっていけると考えてスタートしました。

マレーシアにはNECマレーシアがあってコンピューターをつくっていたので、東京のNEC本社に交渉に行き、コンピューターを買うから指導員を出してほしいとお願いしました。そして、NECの人に東京からマレーシアに行ってもらい指導してもらいました。それを何回か行ううちにマレーシアの人たちが完全に指導できるようになったので、その後はマレーシアの人たちを中心に講習会を続けていきました。

1998年にマレーシアでは、マレーシア点字出版所ができました。それは、私たちが支援を続けていくうちに実力をつけて、点字プリンターなどをどんどん導入して点字出版所をつくったわけです。教育省から助成金をもらって盲学校の教科書などもつくるようになりました。そういう実績があったので、その後もマレーシアに拠点をおいて、周辺の国から、盲学校の先生や施設職員などに来てもらって点字をつくる技術を指導しました。

その事業に一番助成金を出していたのが国際ボランティア貯金でした。しかし国際ボランティア貯金の利子が入らなくなったために事業がどんどん縮小され、私たちの講習会の経費も最後は削られてしまいました。しかし、マレーシアの指導員たちは実力がついていたので、2003年からは指導者たちに周辺の国へ行ってもらい、そこの国の盲学校や盲人施設の職員や先生たちを指導してもらうという、第三国研修に切り換えました。民間の助成団体から年間100万円をいただき、現在も細々と続けています。

それから、もう一つの事業は、篤志家が基金をくださり、その基金を使って、若者たちに今度は直接エンパワメントしてもらう指導を始めました。それがコンピューターを教えるという仕事です。これもマレーシアで行うことを決めました。コンピューターを教える人たちがマレーシアでは育っていましたし、日本に呼んで宿泊して教えることは非常にお金がかかり、無駄です。マレーシアならまだ宿泊費も食費も安いです。周辺のアジアの国々から若い盲人が来る旅費にしても、日本に来るよりもはるかに安いので、マレーシアで始めました。始めてから4年になりますが、ずいぶん状況が変わってきています。

いつまで援助を続けていくのか

コンピューター点字製作技術指導は、大都市や首都では、最近は各国の援助が豊富で、点字プリンター、コンピューターもどんどん普及してきています。ところが、大都市でないところに行くとまったくないというのが現状です。

今年もベトナムのハティンというところへ行きました。ここの盲人協会は、コンピューターも、点字プリンターもまったくないという状況です。ハノイやホーチミンに行けば、ICT環境はかなり整備されています。3回目か4回目のマレーシアの講習会で、ベトナムのホーチミンの盲学校の人が参加しました。今回、その学校に行ってみたら、すごい発展振りで、もう点字プリンターが何台もそろっていて、全国の盲学校で使う教科書をホーチミンの盲学校の手で供給していました。しかし、ホーチミンなどの大都会を除くとアジア全体では、まだまだという場所はたくさんあるので、この事業はずっと続けていきたいと考えています。

ただ、私たちの図書館は民間の社会福祉法人ですので、国際協力のための資金を自分たちで捻出していくことは非常に難しいのです。やはりどこかから助成をいただいてやっていかなければいけないという状況があり、その助成がどこまで続くかが最大の課題だと思います。

それから、若い盲人たちにパソコンを教える事業は、もう今年で4回目を終わりましたが、1回目の参加者は、パソコンを触ったことがないという人が非常に多く、キーボードの操作から教えなければいけませんでした。ところが4年たって、今年の人たちはほとんど、キーボードに触ったことがあるという人になってきています。アジアの国々で急速にコンピューター環境が改善されています。それを思いますと、あと何年ぐらい指導すればいいのかが課題となります。一般の視覚障害者の多くがコンピューターになじんでいくのには時間がかかるだろうと思いますが、各国で視覚障害者のリーダーとして活動していくと言う人だけに限れば、いつまでも指導しなくてもいいのではないかと思います。

先ほど言いましたようにこれから何年続いていくかは、どれだけ助成金があるかにかかってきますので、ぜひご理解していただき今後も援助していただければと思います。

 

沼田/ありがとうございました。まず調査をしてマレーシアへの技術移転をはかり、そしてマレーシアが周辺諸国に対して技術移転をしていく。現在は、大都市と地方の格差を埋める作業に移っているというお話でした。先ほど、加藤さんから現地での自立というお話がありましたが、それに通ずるものがありました。

どなたか、ご質問がありますか?

 

質問者/ベトナム政府から障害者に対して助成金はないのですか。

 

田中/非常に少ないようです。コンピューターや点字の本をつくることに関しては、外国の助成団体の資金で賄われているのが実情です。

 

沼田/では、これで田中さんの講演を終わらせていただきたいと思います。