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障害者とメディア 「マスメディアと障害者」ヨーロッパ大会

全体会議Ⅰ(マスメディアにおける障害者の描写)

Mr. Richard Rieser-NGO「教育の平等」-英国

障害者訓練士(disability trainer)の講師でもあるRieser氏は、歴史を通じて障害者が社会的にどのように扱われてきたかを説明します。そして、そのような社会の態度が、英国メディアによる障害者の描写に及ぼしたマイナスの影響を分析します。また、このような障害者の描写の具体例を挙げ、望ましいものとそうでないものに分類します。「完全性」という考え方がいまだに根強いとし、例えば障害者の写真が雑誌の表紙を飾るとは皆無に近く、オリンピックは出場者を障害の有無で分けていると述べます。このような、現在も残る障害者に対する否定的な態度は、古代から存在しました。

古代ギリシャの哲学者らは、「障害者は生きる権利を持たない」と考えていました。次のユダヤ教・キリスト教融合の時代において、障害者の庇護という考え方が唱道されました。この頃から障害者と物乞いは同化されるようになりました。宗教裁判の尋問官のガイドブックであるMalleus Maleficarum(「魔女の槌」)の中に、何千人もの女性が裁判で魔女判決を受け、合法的に暗殺されたという記述がありますが、その中には障害を持つ女性が多く含まれていました。文学の世界でも同様でした。グリム童話に登場する魔女はしばしば障害者です。一方ルネッサンスの時代には、障害者が描写されることはほとんどなく、唯一シェイクスピアがリチャード3世を「障害を持つ王」としましたが、彼の死後100年以上が経過し、この記述を裏付ける証拠は、何もありません。

「障害者とは他者と異なる人々」という考え方は、次第に固定化されていきました。最も極端な例が生じたのは20世紀のことでした。障害者を遺伝学上の脅威と見なし、ダーウィンの主張を曲解して「障害者に不妊手術を施し、障害が次世代に遺伝するのを防ぐ」ことを推奨する優生学的社会が登場したのです。ドイツ・ナチスはこの趣旨を宣伝する映画まで制作したのです。

同時代に登場したルーズベルト大統領も、自らの障害を秘密にしました。これは「障害者は尊敬すべき人物と見なされない」という考え方の表れです。

ベトナム戦争終結後、2,100万人もの兵士が障害を抱えて帰国しました。これを端緒に障害者運動が始まり、障害差別禁止法が採択されることになったのです。

このような考え方は変化してきており、現在では障害者は環境に起因するハンディを背負った人々と見なされています。障害を無くすことはできなくても、障壁を取り除くことはできます。固定観念に基づき障害者を描写する傾向が特に顕著なのは、映画の世界です。映画に登場する障害者は、多くの場合、非常に暴力的な人、偉人、あるいは哀れな人々です。彼らは普通の生活を送ることができず、社会の重荷となっています。セックスとは無縁で、雪辱を願うことさえできません。しかし障害者を侮辱するのは許されないことであり、メディアはこのような固定観念と戦っていかねばなりません。

障害者は、普通の生活ができる普通の人々として描写されなければなりません。(障害者)雇用令もこの考え方に立っています。障害者がメディアの専門家として働くこと、もしくは俳優となることを妨げる理由は何もないのです。

政府の推進する、障害者に対する意識改善運動も、正しい方向性のものとは言えません。障害者を生み出すのは社会が築いた壁そのもの、という事実を明確にしていないのです。その一方で望ましい広告宣伝活動も随所で見られるようになりました。

最後にReiser氏は、障害者を肯定的に表現し、彼らの障害ではなく彼らが人間として有する質に焦点を当てた実例をいくつか紹介しました。まだ先は長いものの、私たちは確実に目標に近づきつつあるのです。