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国際セミナー「知的障害者の自立、社会参加及び就労ースウェーデンから学ぶ」

現場からの報告1
「働くということ」

社会福祉法人ゆめグループ福祉会
三橋 正明

こんにちは。三橋正明です。東京生まれの28才です。よろしくおねがいいたします。

まず、自己紹介を少しします。僕の家族は、両親と姉と僕です。
姉は重度の脳性麻痺で、母が付きっ切りで介護をしています。
公立の小・中学校を卒業しました。高校は東京都立白鷺養護学校に行きました。学校では学級委員をやったのですが、とても恥ずかしがり屋で、今もすごく緊張しています。
ここからは用意してきた原稿を読みます。外国からお客さんもいるのでなるべく大きな声を出します。

都立養護学校を卒業すると、自分ですんでいる区と同じ区の作業所しか行けません。外国に比べて日本は遅れていると思います。
江戸川区には行き場がないので、越境してゆめ工房に来ました。
今回は働くことと作業所についてのテーマで、僕の経験を話したいと思います。

まず学校を出て働いていた作業所のことを話したいと思います。江戸川区にも作業所がありますが、学校でワープロとかをやっていたので、パソコンとかがある作業所が良いと思っていました。
先生がそういう作業所はゆめ工房というところがあると教えてくれました。これがゆめ工房です。(4)

会社でも実習をしました。ゆめ工房のほうが、友達ができるかなと思って決めました。
その会社は体をつかうところで、僕は気が小さいし、大変かなと思ってやめました。学校から環境がかわって始めはすごく緊張して、やっていけるかなと不安に思いました。学校でも頑張りましたが、ゆめ工房では学校以上にやる気がでました。
これがゆめ工房で働いているところです。(5)

お金をもらうためには頑張らなければならないと思いました。学校は勉強するためだけど、ゆめ工房は仕事をするために通うのだと思います。
だいぶ昔のことなので、忘れました。
これはまだ入ったばかりのころ、バザーとか作品展とかやっているところです。作品展では、作るのが大変だったけど、一生懸命みんなで作りました。(6)

工房では、発送班に2年いて、その後1年はパソコン班にいました。そのあと、発送班に戻りました。
これは仕事の様子です。ダイレクトメールの発送をしているところと、外でジャガイモとかを売っているところです。これも作業の様子です。最後の写真はゆめ工房のパソコン班です。(

それから後は発送班のリーダーとして頑張りました。リーダーになったのは推薦でした。
これは話し合いの様子です。毎日帰りにゆめ工房ではリーダーたち役員が集まって明日の確認をします。リーダーの仕事は、皆の様子をみることと、ゆめグループのリーダー会議に出て、皆に報告をすることです。皆が話を聞いてくれなかったときは、困りました。
リーダーになって、色々なことを決める力がついたと思います。
少し自信がつきました。リーダーになって、人のために気を配りながらやっていたと思います。仕事の段取りをして、行事などの実行委員会に参加して、色々なことを覚えました。仕事の段取りでは、お休みの人の確認をしました。休みの人に電話をかけしました。仕事の交渉もしました。(10)

僕にとってゆめ工房は色々なことを覚えました。ここで皆さんに、ゆめ工房が入っているゆめグループのことを説明します。
わからないことは他の人にも教えてもらって説明します。
ゆめグループは、7つの作業所と5つのグループホーム、生活支援センターからできています。さっき見せたのは僕が働いていたゆめ工房です。(12)

今の仕事が午後からなので毎日午前中はゆめ工房に行くようにしています。水曜日は休みなので、ゆめ工房で働いています。
ゆめグループの作業所は、身体障害、知的障害、精神障害の3つの障害の人たちが混じって働いています。ゆめ工房にも色々な人がいます。(13)

ここはゆめ工房北砂です。ゆめ工房と同じようにダイレクトメールの発送をしています。ゆめ工房の2階にあります。(14)

ここはリサイクル工房サラエです。会社でいらなくなったパソコンのリサイクルをしています。
ゆめグループの中では一番給料が高いです。その分、工場のようにみんな仕事をしています。(15)

この写真はふれあい工房です。てんかん発作のある人が集まって働いています。障害は色々です。作業所は時間の都合で全部紹介できません。さっきも言ったように障害別に作業所が分かれているのではなく仕事の種類で作業所が分かれています。
1年に1度、人事異動もあります。作業所を選ぶことができます。なんだかわからないけど、僕はゆめ工房にいました。(16)

今度の写真は、グループホームです。
ここは僕が住んでいる、ひだまり第2です。(17)

24時間介助が必要な人や他の人と住んでいます。ちゃんと個室もあります。食事はみんなで集まってします。
グループホームは他に4カ所あります。僕はこのひだまり第2にいるのですが、グループホームに入るきっかけは、実は自分の姉も重度の障害者で、小さいころからその様子を見ていたからです。それで、いずれは親がいなくなったあと、自分で生きていかなければならないと思いました。(18)

ゆめ工房にはいまも友達がたくさんいるので1日1回顔を出します。旅行とかのイベントにも参加しています。このようにゆめグループはなるべく住み慣れた地元で、障害者が働いたり、生活していけるようにしています。

ゆめグループは3つのことを、大切にしています。(19)
1.障害の種別を超えて利用すること
2.働くこと、働く場所を自分できめることができるようにすること
3.働くこと、生活、課外活動を通じて社会で生きる力を育てること

最近は3つの障害を同じように扱おうとするのが社会の流れのようです。ゆめグループはずっと前からこのことを実現してきました。
ゆめグループでは7つの作業所を仕事の内容、分量別に特徴をもたせています。みんなは自分の今の状態や目標に応じて選ぶことができます。
3番目は、仕事だけではなく、生活や課外活動にも力を入れているということです。ゆめグループで過ごす時間の中で僕らはたくさんの人と関わります。人と関わる力を伸ばし、これから社会でたくましく生きていきたいと思います。

ゆめグループでは、喧嘩の仲裁や冗談を言ったりしましたが、ここをでてすぐ就職したら、そんなことはできないと思います。

去年の7月から知り合いのすすめで伊藤園という飲み物メーカーで働いています。仕事は倉庫の出庫です。(2122

給料は7万5千円くらいです。一日5時間働いて、一週間4日間はたらいています。
倉庫で働いているのは5人で、大変なことはいろいろなコミュニケーションです。
いつも一緒に仕事をおしえてくれた人が9月に辞めてしまいました。僕のことをすごく可愛がってくれたので、すごくつらかったです。でも負けすに頑張りました。その後、係長に、人に聞かないでやりなさいと言われましたので頑張りました。仕事はたいへんだなあと思いました。一時腰を痛めて休んだのも辛かったことです。
今見せた写真は伊藤園で働いているところです。
ゆめ工房から就職するのはとても迷いました。続くのかなぁと思いました。

僕には彼女がいます。いずれは、僕の両親のように、仲良くふたりで暮らしたいと考えています。そのためには、みんなの力をかりて、少しずつでも働いてお金を稼いで独立して、アパートを借りて住みたいという夢がふくらんできています。これで僕の話はおわりです。(24)

聞いてもらってありがとうございました。

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