音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

報告書「明日のデジタル放送に期待するもの」

パネルディスカッション「デジタル放送の可能性と課題」

コーディネーター:河村 宏

パネリスト:マーク・ハッキネン、ブロール・トロンバッケ
パネリスト:竹下 義樹(日本盲人会連合/弁護士)

パネリスト:坂上 譲二(全日本ろうあ連盟)
パネリスト:金子 健(日本知的障害福祉連盟)

● 河村

パネルディスカッションを始めさせていただきたいと思います。

本日、これから4時半まで「デジタル放送の明日を探る」というテーマでパネルディスカッションを行いたいと思います。パネリストは、今朝ほどマーク・ハッキネンさんと、ブロール・トロンバッケさんからご講演をいただきましたが、このお二人。それからこの後それぞれ自己紹介をしていただきます三人の日本の、それぞれの分野の障害関係の団体からご推薦いただきましたパネリスト。そして私河村がコーディネーターを務めさせていただきます。

それではプログラムにあります順に、三人の日本人のパネリストの方から自己紹介と、最初のご発言ということで少し長めに、10分ほど自己紹介およびそれぞれの方の論点についてご紹介いただきたいと思います。

客席から見まして右の順番でご発言をいただきます。最初に竹下さんからご発言をお願いしたいと思います。竹下さん、よろしくお願いします。

● 竹下

こんにちは、竹下です。僕は日本盲人会連合会、視覚障害者のユーザーの一人として発言をさせていただきます。僕自身は全盲で、弁護士という職業についています。私は最初の発言で三つのことを、私の思いを込めた話をさせていただきます。

まず第一点。情報の問題は福祉の問題ではなく、権利の問題である、ということを申し上げたいと思います。第二点目に、先程シンポジウムの直前にメーカーからの話がありましたけれども、パソコンと言われているけれども本当に一人ひとりのユーザーの立場に立った機械と言えるのか。まだ不完全ではないか、というのが二点目。三点目に、デジタル放送ということがこれから一般化してくるわけですけれど、そういう便利なデジタル化されたメディアのなかで、本当に視覚障害者やすべての情報の受け手の側が使える情報になりきれるのかということについて、10分以内でしゃべるようにしたいと思います。

まず一点目の問題でありますが、障害者にとっての情報処理の問題は福祉ではなく権利の問題である、ということなんですが。これにつきましては午前中のトロンバッケさんの話で答えが出てしまったように思います。午前中の彼の話のなかに、民主主義の問題である、民主主義における権利の問題である、という指摘があったかと思います。僕はまさにその通りだろうと思います。

私たちが憲法21条という非常にすばらしい規定を持っているわけです。憲法21条というのは「表現の自由」。これは国民に保障されているんだ。その表現の自由の一つとして「知る権利」というものが保障されている。情報へのアクセス権というのは憲法21条の権利の問題なんだ。これは民主主義の問題なんだ。たぶん法律を勉強した人間ならば誰でもわかる初歩的、基本的なとらえ方のはずです。

ところが……早すぎますか、すみません。10分でしゃべろうとあせる。手話の方、申し訳ありませんでした。通訳の方も。

そうであれば、なぜ障害者の問題になったとたんにそれが福祉の問題になるんでしょうか。おかしいと思うんです。

近代社会が、障害者も一人の人格者としてその差別を許さないということが当たり前になっているはずなのに、情報という分野だけを限ってみても、権利の問題としてはとらえずに福祉の問題としてとらえることに、私は大きな違和感を覚えるわけです。

そして、著作権の問題。午前中、野村弁護士からも質問があったかと思うんですが、幸いにして現行著作権法がスタートした時点から、視覚障害者に限っては点字化と特定の施設における録音というものが著作権者の権利制限という形で規定され、別の言い方をすると視覚障害者への著作物の提供というものが一定保障されるようになっていました。これは、とらえるときに、視覚障害者に対する恩恵だというふうにとらえられてきているとすれば、僕は非常に残念だと思います。

あくまでも著作者に対して、著作物を適正に利用するための一手段として、視覚障害者にとってはそれが権利として点字化と録音化が保証されていたんだととらえるべきだと思っているわけです。

時間の関係で第一点目はこれくらいにさせていただきます。

第二点目の問題。パソコンというわけですが、私の机の上にもNECのパソコンがありますが、IBMかどうかも忘れたくらい、ほこりをかぶっています。それは私自身がパソコンを使いこなすための努力をしていないということになるわけですけれども、私は敢えて傲慢に、私の努力不足ではなくてパソコンがハード面でもソフト面でも、まだ不十分なんだと言い切りたいと思っています。

なぜかと言えば、あくまでも一人ひとりがその人の条件に見合った形で使えるものでなければ、パソコンとは言えないのではないか。それはまだ不完全な製品ではないのかということであります。

もちろん、まったくの訓練や教育抜きで情報処理機器が使えるとは思っていません。しかし、特別な訓練や、よりたいへんなと言いますか、大きな訓練を積んだ人しか使えないというのでは、やはり不十分と言うべきではないでしょうか。

なぜならば、私の持っている能力が平均以下だと言われると辛いんですが、仮に平均的な努力をしてまだ十分に使いこなしていないんだとすれば、ソフト面でもハード面でも、まだ改善の余地があるということを自分で思っています。

私の友人から言ってもらった言葉なんですが、「竹下は自分のやりたいことを全部僕に言え。それに見合う形で全部組み込むなり全部操作をしなければ目的の情報が入ってこないのではなく、場合によっては――マクロというんですか――ボタン一個でお前の目的が全部達せられるようにセッティングしてやる」と言ってくれました。僕はそれをしてもらって初めて僕にとってのパソコンになったなと感じる人間であります。ここまでこないと、もっと本当の意味での広がりとはならないのではないでしょうか。

これが二点目の私の指摘であります。

最後に、デジタル化された放送というものが本当に便利なものであるのかということであります。私は技術的なことはまったくわかりません。ただわかっているのは、アナログよりはデジタル化された情報が細工しやすい、あるいは変形がしやすいと聞いています。

たとえば、視覚障害者にとってみれば、デジタル放送で文字情報がどんどん出てくるとより不便になるわけですね。しかしその文字情報が音声化されればいいのか。僕はそうは思わない。音声化されただけではだめだと思っています。耳学問というのはあまりいい言葉ではないのかもしれませんが、耳から入ってくる情報は、それなりにいいときもありますけれども、右から左に流れていく、そういう性質のものだろうと思います。

やはり視覚障害者は触覚で情報を確認する必要があります。たとえば今日の二人の外国からの講師の方の名前を、私は点字で確認するまで発音できません。トロンバッケさんを耳で聞いているとひょっとしたら変な発音で失礼な名前を読み上げるかもしれないわけです。

やはり正確に情報をとらえようと思えば音声だけでは不十分であって、私たちの場合は点字化、触読で確認する必要があります。

ですからたとえば文字放送がパソコンで落としてピンディスプレイ、ペーパーレスのディスプレイで私たち自身が確認できる、そういう変換が用意される必要もあると思うわけです。

さらに言えば、情報というのは今大量に出回ってきているわけですから、大事なことは、必要な情報を選択するということが問われるわけです。必要な情報を選択するということ自身が一つの能力になってきているはずです。そのときに、その必要な情報に近づくためには、もちろん今インターネットで簡単にできると言われればそうなんですけれども、もっと考えたいことは対話なんですね。単なる双方向でというわかりきったこと以上に、対話型で、自分のほしい情報がそこから選び出せて、それを中心に自分が放送から必要とする情報が私に届けられる。そういうものになっていくことを期待したいと思っています。

私の言いたいことはいっぱいあるわけですが、以上三つだけを最初にお伝えさせていただきます。ありがとうございました。

● 河村

 竹下さん、ありがとうございました。この後もまた発言が回ってまいりますので、言い足りなかったところは残りの議論でお願いいたします。それでは続きまして金子さん、よろしくお願いいたしします。

● 金子

ご紹介いただきました金子健と申します。プログラムの写真の順番と入れ替わってしまいましたけれども。

私は、日本知的障害福祉連盟という団体の常務理事をしております。そういう立場で今日は参加をさせていただきますが、この知的障害福祉連盟というのは4つの団体が集まって構成しております。そのなかの一つは、全日本手をつなぐ育成会という、知的障害のあるお子さんをお持ちの親御さんの会として出発したものです。50年前にできまして、この11月に50周年の記念大会をやりますけれども。初めは親が中心になって作った会です。今は親だけではなくていろんな人と手をつなぐということで、「全日本手をつなぐ育成会」という名前にしていますが。そういう保護者、親御さんを中心とした団体。それから施設の職員。知的障害の方たちのケアをする、ケアワーカーの全国的な団体であります、日本知的障害者福祉協会というのかあります。最近まで「愛護協会」と呼んでいましたが、施設職員の全国組織。そして学校の先生たちの組織、全日本特殊教育研究連盟と言いますけれども、学校の先生。特に知的障害に関わる学校の先生方の団体。それが「特連」と呼ばれているものです。それからもう一つは、知的障害に関わる研究者、医療や福祉、教育、行政、さまざまな立場の人がいますけれども、主に研究者による団体。

その4つが一緒になりまして日本知的障害福祉連盟というものを構成しております。私はそこで常務理事をしております。立場の説明にずいぶん時間がかかってしまいました。

今日は私は、障害当事者として役割を与えられているんだと思います。今ご紹介しましたように、私自身はそういう団体の役員ということですが、本職は実は大学で障害児教育学というのを教えている。そこから給料をもらっているわけですけれども。今日の立場は当事者ということで、特に知的障害者の親の会、全日本手をつなぐ育成会という団体の役員でもありますので、そういう立場で話をさせていただきます。

と言いますのは、私自身の弟が知的障害を持っていまして、もう50歳近くになりますが、養護学校を卒業して一般の企業に勤めましたが、やがてくびになりまして、福祉作業所という障害者のための小さな作業所で仕事をしております。月に1万円くらいの給料と障害基礎年金で生活をしているわけですが。そういう関係で私は親の会にも関わらせていただいているわけです。

そういう立場で何を申し上げたいかということですが、今、竹下さんがほとんど私と重なっているなという思いを持ちました。

私、実は参加させていただくにあたって、知的障害というのはいつも後回しというか、それは知的障害だけではありませんけれども。自閉症とか学習障害とかADHDとか、そういう障害の人たちの情報アクセスということについては、難しいせいもあるんですが、いつも後回しになるので、ちょっとひがんでいたのです。

やはり本質的なことはまったく他の障害と変わらないんだなという思いを、今持っています。竹下さんが冒頭におっしゃったこと、それから先程トロンバッケさんがおっしゃったこと。つまり、「デモクラティック・ライト」ということですね。民主的な権利の問題として私たちは考える必要があるだろうと。その権利が保障されることによってその人たちのQOLが高まり、あるいはノーマライゼーション、あるいはインクルージョンというものが実現していく。そのための本当に基本的な権利の保障として、情報へのアクセスという問題を考える必要があるだろうということを、まず最初に申し上げたいと思っていたんですが、竹下さんもそういうことをおっしゃいました。

次の点です。知的障害あるいは自閉症、あるいは学習障害という人たちの権利を保障する、情報へのアクセスの権利を保障するにはどうしたらいいか、ということです。

たしかに、視覚障害の方には音声による解説が入ることがこれまでも行われてきましたし、聴覚障害の方へは字幕の挿入ということが行われてきた。今、竹下さんから、文字にすればいいという問題ではない、それだけではない、ということをおっしゃっておられましたけれども、知的障害あるいは学習障害の方たちが情報へアクセスするには、まさに単に文字を挿入すればいいとかテロップを流せばいいとか、副音声とか、今までの技術だけでは非常にアクセスが難しいという状況があったと思います。だからこそ後回しになってきたんたと思います。

ではどうしたらいいのか。

知的障害や自閉症、LD、ADHD、こういう方たち、発達障害と言ったり、あるいはこの場合は認知障害と言ったほうがいいのかもしれません。つまり、周りの状況、いろいろな状況がありますけれども、ここでは周りから提供される情報ということだと思いますが、そういう情報を理解する、その理解のしかたについてさまざまな問題を持っているわけですね。これまで提供されてきたような、テレビやラジオ、新聞、雑誌にしても、これまでのメディアで提供される情報では必ずしも十分に理解できない。

その認知の障害ということに対して、ではどういうふうに情報を提供すればいいのか。あるいはどういう環境ができれば情報へのアクセスが可能になるのか。そのあたりのことをこれから考えていかなければならないと思っています。ここでいろいろ申し上げると長くなりますので、認知の障害ゆえの情報アクセスの難しさ、それにどういうふうに対応していったらいいか。特にデジタル放送というなかで情報への対応をどういう形にしたらいいのか。それを皆様とともに今日は考えさせていただきたいと思っています。

自己紹介としてはそのくらいで終わらせていただきます。

● 河村

ありがとうございました。今、金子さんから「いつも知的障害は最後になってきた」とおっしゃられていましたが、今日三番目にご紹介いたします坂上さんは聴覚障害の立場を代表していただきます。順番としては三番目になっていますけれども、決してそれは重要性が三番目ということではありませんので。これから坂上さんの自己紹介と論点を伺いたいと思います。よろしくお願いします。

● 坂上

私は、全日本ろうあ連盟文化部長を務めております坂上です。全日本ろうあ連盟の組織の都合上、情報担当ということで文化部が担当することになりました。私が立ちながら話す理由は、座って話すと非常にやりにくいということで、立ってお話しさせていただきたいと思います。

私たち聴覚障害者が他の障害者と絶対的に違うことは何かというと、他の障害者の場合は音声言語圏の障害。私たちは手話言語圏の障害というところで、決定的に違うわけです。情報の部分で違うということになります。ですから、障害の現状をちょっとお話ししたいと思います。

一般的に聴覚障害というのは情報障害と言われています。なぜかというと、聞こえないために日本語の習得が非常に困難である。日常的なコミュニケーション手段は手話であるわけです。でも私たちはその狭い世界で生活をしなければならない。広い世界で生活するためには日本語を習得しなければならない。日本語を習得するための教育が十分できているか、そのために言語習得が十分できるか、非常に難しい状況にあります。

今社会は少しずつ変わってきていますが、高齢の方々には聾学校も満足に行けなかった、日本語が話せない聴覚障害者がたくさんいるわけです。

そういう現状のなかで、私たち聴覚障害者が社会に参加できる条件が、以前と比べると非常に広くなってきています。その原因としましては、情報機器の発達。その発達に伴って私たちの社会参加の機会が非常に増えてきているわけです。けれどもその情報機器は、聴覚障害者のことを考慮して開発したわけではありません。聴覚障害者が自分の生活の向上のために情報機器に自分自身のニーズを合わせていったわけです。それがファックスであり携帯電話であります。

そのように私たちは生活を向上させるために、健聴の人たちのために作られた機器に自分が合わせて生活を向上させてきたわけですが、その考え方ではどうにもならないことがあります。それは何かというと、国民の身近な娯楽であり情報を得る手段であるテレビの字幕についてです。

今、テレビもデジタルになるという話があり、相互放送ができるという話がありましたけれども、テレビ放送がスタートして今までの年月は アナログということで、相互交信ができない、一方的に押しつけられる形になってきたわけです。字幕もついていませんでした。なおかつ手話通訳はなおさらテレビにはついていないという現状があるわけです。それは私たちの、日本人でありながら日本の文化を共有する権利を奪われている、また情報を得る権利を奪われているのに等しいことです。今、月や火星に人が行く時代に、前時代的な迫害を受けているわけです。

現在の放送の字幕付加率を見てみますと、日本を代表する放送局NHKは、全番組の19.8%です。民放は2%。ロケットで月に行く時代に、字幕を付けている番組が民放では2%しかないという現状があるわけです。

なぜ字幕ができないかというのは、技術的な問題ではありません。もっぱら放送局の財政的な事情によるものです。番組を作るのに必要な経費として、バックグラウンドミュージックや大道具、出演料などさまざまな経費が必要になってきます。それがなければ番組は作れません。その経費のなかに手話通訳を付けるとか字幕を付けるお金はまったく含まれていません。放送局としては聴覚障害者はマイノリティであり、そのために特別な配慮としてのお金を作って放送しているという考えを出していない、ということと同じです。「完全参加と平等」というテーマが実現されているのかどうか。

私は途中で参加しましたが、講演のなかに技術的な話を聞きまして、進歩しているんだと思いました。字幕の問題も解決できる問題だと思いました。聴覚障害者の場合、日本語が理解できないろうあ者もいます。その方々にとっては、手話による通訳が必要なわけです。NHKとして全番組の0.02%しかありません。そういう現状があります。

でも障害者基本法第22条のなかで、電気通信および放送の責務を提供する事業者は、社会連帯の理念に基づき、提供にあたっては障害者の便宜を図らなければならないとされています。つまり、聞こえない人も目の見えない人も、放送がわかるようにしなければならないという規定があるわけです。しかし残念なことに、努力義務であって、放送局の良識に期待するしかない現状があります。

さて、デジタル放送に対しては私たちは何を期待しているか。専門的な話はちょっとわかりませんが、アナログ放送の場合、画像の加工が非常に難しいと考えています。けれどもデジタル放送の場合、画像の圧縮が非常に簡単にできるような話を聞いています。そういう意味では、デジタル放送について私たちの情報保障をきちっと考えていく方向を、聴覚障害者のニーズを聞いた上で判断する制作というものが必要だろうと思っています。

そういうシステムづくりが世界共通として皆さんにがんばっていただけると思いますが、それ以前の問題として、たとえばパソコンを今入力している方々は、マンパワーということでは今はお寒い現状があるわけです。手話通訳も同様です。聴覚障害者の情報保障を担う人たちの養成が、今のところ非常に弱いです。育てた人たちを、デジタル放送の中身に結びつけていくようなことが求められていくのではないかと思います。以上です。

● 河村

坂上さん、ありがとうございました。これで三名の方からそれぞれ論点を第一ラウンドとして出していただいたわけです。ここで、今朝の二人のスピーカーに、何かコメントがあればいただいてから議論に入りたいと思います。

● ハッキネン

すべてのコメントは私達が聞くのにまさに非常にふさわしい内容でした。竹下さんやその他の方々が話された情報アクセスの権利というテーマは、私達が基本的な権利として認識し始めているもので、私達の読む能力あるいは情報にアクセスする能力は基本的人権であり、そのように扱われなければならないと主張し始めたところです。しかし著作権の問題を少しばかりお話ししましたが、知的所有権の所有者は自分達の権利もまた守ってほしいと望んでいるのです。ですから私達は知的所有権の保護が、私達が主張している、読んだり、情報にアクセスしたりする基本的な権利に対して障害をもたらすというジレンマを抱えているわけです。そこでこのプロセスに関わるすべての人々を勇気づけなければならないのです。皆さん、私達が訴える基本的人権とは情報にアクセスする権利です。知的所有権が守られなければならないことはわかりますが、しかし、どのようなケースにおいても、知的所有権の保護が私達の第一の基本的な権利を損ねることがあってはなりません。私はこれが認められ、すべての関係者が満足する解決策が見つけられることを期待しています。

機器が個人向けでないとか、パソコンがユーザーのニーズに対応していないというコメントについては、やはりPCのようなシステムの製造業者がアクセシビリティーについて最初の段階から考える必要があると思います。もし私が障害を持っていたらこう言うでしょう。どうして障害のある自分が、システムを使うために特別な研修を受けなければならないのだろう?どうして隣の人と同じようにすぐに使えないのだろう?と。ですからやはり消費者向けの機器を製造する業者の考え方を変えてもらわなければならないというわけです。ユーザーが余分な周辺機器を買ったり、研修を受けたりする必要がないよう、最初からアクセシビリティーを考慮するように。

最後に竹下さんがお話になった点字を使った本文の内容へのアクセスについてですが、これは今朝私が、スクリーンリーディングシステムを使っている人がどのようにSMILによるマルチメディアプレゼンテーションを見ることができるのかをお話ししたときにちょっととり上げようとしたことです。私は例として合成された音声による解説をあげましたが、画面上のタイトルや字幕を点字で表示することできれば、音声同様に簡単にプレゼンテーションを理解できるでしょう。ですから私達は点字の使用が本当に可能かどうかを検討する段階に来ているといえます。

金子さんの知的障害に関するコメントについては、もしウェブのアクセスについて標準規格を設定し、アクセシブルにしようとするなら、その研究の大変大きな落とし穴の一つは、知的障害者のためにどのようなインターフェイスを設定するかということになるでしょう。ですからこれらの標準規格を設定する方法について私達に指針を与えられるような新しいタイプの研究がきわめて重要になってくるのです。以上が、この点に関しての私からのコメント、2つです。

● 河村

それではブロール・トロンバッケさん、コメントをいただけますか。

● トロンバッケ

私も前の4名のおっしゃったことに同感です。これまでのお話のように、アクセシビリティーですとか、情報へのアクセスという問題は、福祉の問題ではなく、基本的人権、民主主義的な権利に関わる問題です。そしてこの分野において、技術者や製造業者、出版社は障害者や障害者団体とともに解決策を見つけ、更に開発を進めていくために協力していかなければなりません。どうもありがとうございました。

● 河村

非常に重要な論点についてもうすでに意見の一致が見られたと思います。それは、情報へのアクセスあるいは、今日の本題であるデジタルテレビ、デジタル放送へのアクセス、内容を理解できる形で放送を受けるということは、基本的な権利である。それは民主主義の基礎をなす基本的人権であり、一人ひとりの障害のあるなしに関わらずすべての人が持つ権利であって、問題はそれをいかに保障するかである、ということ。権利としての情報のアクセスの保障ということはすでに共通の確認となっているかと思います。

その上で、今日この後議論を進めていただきたい点としては、単刀直入に、デジタル放送、デジタルテレビにはこれを望みたいという利用者側としての要求を、今日朝からの講演、あるいは先程来の発言のなかで出ていないことがあれば、全部出し尽くすというところから始めたいと思います。

次に、では実際にどう実現するのか。そのすべての要求をメーカーや放送局に「さあやれ」と言ってできるものか。それはやはり一方で資源の問題というのが当然あるわけです。先程坂上さんが、人材養成がお寒い現状であると。たとえ技術があったとしてもそれを担う担い手をどう養成し、またその人たちがどのように社会的にきちんと評価されて仕事をするのか。そういった問題があります。また著作権の問題もあります。それを実現する上での問題点について、その後議論を進めたいと思います。

そして今日は4時半が終了時間ですので、それに近いころには、次の一歩を、それぞれの立場で進めてみようというまとめのポイントがいくつか出れば、今日の成果と言えるのではないかと思います。

この後、そのような進め方をさせていただきたいということを、それぞれのパネリストにお願い申し上げまして、後半には会場の皆さまからも積極的にご意見をいただきたいとお願い申し上げます。

今、午後のこのパネルディスカッションの休憩時間にさしかかってまいりました。もうすぐ3時になりますので、ここで10分間休憩をいただきまして、それぞれパネリストの方々には次の論点をまとめていただきたいと思います。それから会場の皆さんも、今日は長時間の会議になっておりますので、一回立ち上がって伸びをしていただいて、リフレッシュしたところで最後活発な論議で後半を締めさせていただきたいと思います。ではここで休憩をいただきまして、3時10分に再開したいと思います。よろしくお願いします。

(休憩)

● 河村

お待たせしました。それでは再開します。

先程申し上げましたようにこれからの流れを簡単に申し上げます。最初に、デジタル放送、デジタルテレビに要望する機能、「これが必要である」ということについて、もうすでに話されたものでも結構です。それについての補足、あるいはまだ話されていない機能「これが必要なんだ」と。それから今日これまでにまだ話題になっていない障害分野からのデジタル放送についての要望、要求。そういったところからまず始めたいと思います。

それでは坂上さん、どうぞ。

● 坂上

デジタル放送に対する要望というわけではありません。先程お話ししました中身の補足的な話になります。というのは、聴覚障害者に対する放送の現状を少しお話ししたいと思います。

今のところ、地上波のテレビ、また地上波のBS、またBSデジタル、CS放送、全部でチャンネルが約300以上あります。そのなかで聴覚障害者専用の放送は1局もありません。ゼロという状態であります。そこで私たち全日本ろうあ連盟と全日本難聴者・中途失聴者団体連合会が力を合わせて、NPO法人CS障害者専用放送統一機構を始めております。3年前から三菱関係の宇宙通信株式会社の援助を受けて、衛星を使わせていただき実験放送を繰り返してきました。昨年の4月から本放送を始めています。

放送の中身は何かと言いますと、映像にぜったい手話通訳を付ける。そのスペースを映像はだいたい同じくらいの比率で手話通訳を付ける。そして下に字幕を付ける。その字幕も映像の邪魔にならないところに付ける。それがなぜできるかと言いますと、CS放送がデジタルであるからです。私どもとしてはこれからのデジタル放送には双方向性を生かして、私たちが見たい手話通訳を出す、また見たいときに字幕を出す。そういった方法ができればいいなと思っています。

要望と補足意見を含めて話させていただきました。

● 河村

ありがとうございました。中身としては、放送のなかに手話も必要なんだということが、改めて確認されたと思います。

それでは他のパネリストの方で、先程申し上げましたデジタル放送あるいはデジタルテレビというシステムについて、さらに必要とされる機能、サービスについてコメントをいただきたいと思います。

ではご発言のときに、必ず名前をおっしゃってからお願いします。

● 金子

知的福祉連盟の金子です。デジタル放送に何を期待するかということに焦点を当てるように試みながら、先程のお話に続けてお話しさせていただきたいと思います。

知的障害、自閉症や学習障害(LD・ラーニングディスアビリティーズ)ですね、そういう方たち、要するに認知障害のある方たちが、まず今のメディアでは理解が不十分だということについて少しお話ししたいと思います。

私の弟が知的障害というお話をしましたけれども、彼はテレビがあまり好きではありません。要するに、見ていてわからないからであります。ニュースはやはり難しいですね。これをわかりやすく説明していただくということは非常に難しいことなのかもしれませんけれども、今のNHKも民放も含めてニュースを理解するのはかなり難しい。その点、たとえばNHKでやっている週刊こどもニュースですとか、手話ニュースがありますね。あの手話ニュースの視聴者は実は知的障害の方たちが非常に多いと聞いています。もちろん手話を見てわかるわけではありません。字幕が出てそこにふりがなが振ってあります。もちろんしゃべっていることが全部出ているわけではありませんけれども、むしろこれは聴覚障害の方たちの話ですでにいつもあります、全部文字になればいいということではないわけで。内容を的確に伝えるようなテロップが流れて、しかも難しい漢字にはふりがなが振ってあるということであればかなり理解できる。それを知的障害の人たちは今利用しております。

そういうことで言うならば、デジタル放送にもそういった字幕を付けようということで先程来お話があるわけですが。そして、その人の理解のレベルに合わせて字幕の様子が変えられるというものが、先程NECの人のお話で、難易度が変えられるというお話がありましたけれども、あるいはテロップの色を変えるとか。ユーザーが自分のニーズに合わせて変えることができる、情報の出方を変えることができる。そのあたりが、多チャンネルが可能である、あるいはさまざまな情報を同時に届けることのできるデジタル放送に大いに期待したいと思っております。

それから、文字もそうですけれども、もちろん文字だけではわからない方もいます。学習障害、LD――今日はLDの親の会の代表の方もいらしていますので後ほどご意見を伺いたいと思いますけれども。LD、学習障害と呼ばれる方のなかには、ディスレクシア――読字障害ですね。文字を読むのが非常に難しい。普通に話をするのはできるけれども文字を読むのが難しい。そういう方もいます。もちろん知的障害の人もそうですね。できるだけ映像による補足情報を同時に流していだだく。番組によってどういうふうに入ってくるのかよくわかりませんけれども、映像あるいは記号化されたものですね。記号化というのも実は認知障害の人たちにとっては非常に難しい部分ですけれども。たとえば非常口のサインというのがありますね。ここも左右に緑のサインがありますけれども。この非常口のサインについてはかなり障害の重い方でも理解はできる。また、万国共通である。というような、記号化なり映像を簡略化したものを多用していくということが一つ、デジタル放送の可能性のなかにあるのかなと思います。

それがいちばん威力を発揮するのは、非常の際の放送ですね。たとえば地震の情報は番組を見ていると即座に出ますね。これはテロップで流れてくるわけですが。必ずしも十分に読めるわけではないですね。そのときに地震がどこであってどのくらいの規模で、君は逃げなくてはいけないのかどうかということがすぐわかるようなサインが送られてくる。そういうものが出るといいなと思います。

これまでいろいろな災害の際に情報が流されて、それが障害の人たちにとって理解できたかどうかということがよく議論されますけれども、やはり知的障害や自閉症、LDの方たちにとっては理解しにくい。そして理解できないがために余計にパニックを起こしてしまう、あわててしまうということがあるわけですね。そういうことに対して配慮ができればいいなと思っています。

それからもう一つ。プリントアウトができるといい。これはすでに文字情報、テレビの文字情報でもそういうことが一部できるものがありますけれども。たとえば料理番組で作り方やレシピについて映像的な情報を盛り込んだものをプリントアウトする。作っている画面がどんどんプリントアウトされてもあまり意味がありませんから、ポイントをプリントアウトして手元で見られる、と。

私の弟は知的障害と言いましたけれども、結婚していまして奥さんがいます。彼女も特殊学級の卒業生で知的障害があります。彼女は料理を作るわけですが、一般のテレビの料理番組ではわからない。テキストもお料理教室のテキストというのが出ていますが、それを見てもよくわからない。だから結局、ヨシケイという、食材の宅配システムというのがあるんですね。会社の名前を言っちゃまずいですかね。いくつかそういうのがありますけれども、それを契約して週に何回かはとって。そうすると、限られた材料、必要な材料が必要な分量だけ送られてきて、簡単な作り方を書いたものが一緒に配られてくるんですね。それを彼女は重宝して使っているようですけれども。そういうものが放送で送られてきたら本当に便利だなと。注文までできればさらにいいな、なんて思いますけれども。それこそ夢の部分も含めて、少しお話をさせていただきました。

料理なんかは放送とちょっと離れますけれども、本ではすでに、私たちの知的障害育成会、親の会で知的障害の人たちにとって理解しやすい料理の本というのを出しているんです。これは実はスウェーデンのイージー・トゥー・リード(easy to read)のグループでお作りになった、後ろにも置いてありますけれども、マトリックス・クック・ブックで仕方をお手本にして、ほとんど写真で作り方がわかるような料理の本を親の会で出版しましたけれども。そういったものが放送を通じても得られるような。そういう理解のしやすさを参考にした放送を期待したいと思っております。以上です。

● 河村

ありがとうございました。

今「夢のような」というお話がありましたが、今朝の私の基調報告のなかでも、総務省が「こういうことも夢ではない」と今もウェブで出しているわけですから、やはり夢だとは思わずに、「こういうことができたらいいな」ということを積極的に出していきたいと思います。

それでは、竹下さん、ご発言の用意はできましたでしょうか。よろしくお願いします。

● 竹下

竹下です。私のほうから二点、要望を述べてみたいと思います。

まず第一点は、やはり視覚障害者は与えられる情報を選択すること自身が非常に苦手だと思います。特に情報量が多ければ多いほどそのなかから必要な情報を選ぶということが非常に困難なハンディを持っています。視覚でたくさんの情報を一度に見るということができないことからくるハンディだと言ってもよいと思います。

その点から、坂上さんとは共通するという意味で、視覚障害者専用のチャンネルというものが必要なのかもしれません。

すなわち、視覚障害者専用のチャンネルでは、視覚障害者が必要最小限と言いましょうか、必要最大限と言いましょうか、そういうものが常に情報として用意されているということが、一つは大事だろうと思います。

でもそれだけでは非常に危険だと思います。なぜならば、そこで用意されるものは一定の誰かが必要と判断した情報しか用意されないチャンネルになるからです。視覚障害者がそのチャンネルに限定された情報を得ればそれで足りるというのは、非常に問題であり、重大な、いわば別の問題を招くと思うんです。そういうチャンネルの準備と併せて、すべてのチャンネルにアクセスのできるものが必要だと思うんです。

その点で、午前中の話、私は技術的なことはまったくわからないまま聞いていたんですが、SMILという言語が、本当にすべてのデジタル放送、テレビに組み込まれていくならば、あるいはそれを前提として用意されていくならば、視覚障害者も聴覚障害者も、場合によっては知的障害者も、すべて自分に必要な方法で情報を変化させていける。それが拡大だったり音声化であったり、場合によっては一部の切り出しであったりスピードの変化であったり。その人に合わせられるという意味では、すべてのチャンネルがそうなってくれないと、私はだめだろうと思うんです。たとえニーズが一人であったとしても、そのことは満たされるべきだろうと。たとえば、よくわかりませんが、私は料理は必要ないけれども料理がやりたいという視覚障害者がいる。私は競馬が大好きですけれども、私のために競馬のチャンネルも当然用意されるべきだろうと思うわけです。

次に二つ目の私の願いは、たとえば私はデジタル放送が今後どういうふうにハード面でどうなるかわからないんですが、パソコンと接続できるようになる場合には、どのチャンネルも、どのテレビも、どのパソコンも、標準装置として視覚障害者が簡単にアクセスできるように、すべてのプログラムが準備されていてほしいと思います。

多機能ということになるといつも私たちが怖いのは、多機能になればなるほど操作が複雑になってくる。それを使いこなすこと自身がすでにハンディになり、遠のいてしまう。これは誰でも経験してきたことだろうと思うんです。そういうときにこそ、より単純化された装置、それがテレビの受信機であれパソコンであれ、最も単純な形で情報の入手や変更、可変性をもたせることのできる機能が、私のようななまくらなユーザーでもできるものであってほしい、というのが、今気づく二つの要望です。

● 河村

ありがとうございました。

ここで、SMILというものについて、たしかに午前中に説明があったんですが、私が、たぶんこうすれば私でもわかるという説明をしてみて、そういう理解でいいのかどうか、後でマーク・ハッキネンさんに聞いてみたいと思います。

SMILというのは、私のイメージでは、大きな楽譜のような作り方をして、必要な楽器のパートを次々と書き加えていくというイメージに近いです。もちろん歌詞もそこに書き込んでいく。つまり、これはバイオリンのパートである、これは太鼓のパートである、というふうに、何本も楽器ごとに楽譜を書いていって、オーケストラ全体が演奏する楽譜が構成されていると思います。オペラになればそこにセリフが出てくるし、振り付けも台本がそこに反映されてくるわけです。つまり、ある一定の時間の流れに添って、指揮者が全体の流れをコントロールして、それぞれのパートはここを演奏しなさい、これを演じなさいというふうにして、どんどんいろんなパートを書き足していける。人数が少ないときにはそのなかの必要なところだけを抜き出してそれなりの弦楽四重奏であるとか、あるいはそれこそアカペラで歌を歌うだけ、ということもできる。そのようなイメージを持っています。で、それぞれのパートの楽譜の書き方はSMILという基準に則っていれば、いくらでも一緒に足していって、全体をハーモナイズさせて演奏できる。そういうふうに私は理解しています。

それが、一つひとつの利用者のニーズに応じて、早送りをしたい、あるいは遅送りをしたい、それに合わせた規格がそれにはめこまれていて、コンダクターが、指揮者が速くやれば速くなるし、ゆっくり演奏しろと言えばゆっくりになる。

そのコンダクター役は実は情報の受け手である。受け手のほうが再生するための操作の簡単な装置を使って、自分は字幕と手話と両方出して見たい、そうすると字幕と手話が画面に出てくる。自分はオリジナルの画面を大事にしてあとはオリジナルの音声トラックだけでいきたい、というときにはそのトラックだけを選べばいい。盲ろう者の方、視覚・聴覚二重障害の方、その多くの方は難聴で弱視であったりします。ですからそういう方の場合には字はうんと大きくしたいというふうになるでしょうし、音もできるだけ聞きにくくなっている高音域を強調するように加工して聞きやすい音にしたい、というふうな要求が出てくる。それらに個別の要求に応じられるような技術的要素をSMILは含んでいると、私は思います。

そのあたり、ちょうど竹下さんからSMILについて、こういうことでいいのかなというのが出ましたので、ここでマーク・ハッキネンさんに、今の私のような理解で間違いないかどうか、伺ってみたいと思います。

● ハッキネン

 そうですね、今の楽譜のたとえ、大変すばらしいと思います。私もたとえとして、非常によく理解することができました。たとえばオペラや音楽作品をニュース番組に置き換えてみればよいのです。つまり、それぞれのトラックを、演奏している一人一人の人と考え、イメージとしてとらえるのです。あるトラックはニュースのイメージであり、別のトラックはニュースを読む人のイメージであったり、手話通訳のイメージであったりし、また他のトラックは標準的なテキストの字幕であったり、読みやすいテキストの字幕であったり、更にシンボルを使った字幕であったりするわけです。SMILはこれらの各トラックが基本的にプレゼンテーションの中で表示できるように作られており、またデジタルテレビであれ、PCプレイヤーであれ、SMILの再生システムはユーザーにこれらの異なるオプションが使用可能であることを示すことができる仕組みになっています。ですからニュースを聞き始めるときに、シンボルを使った表示が必要だとか、ニュースを読む人の大ファンなので画像だけを見たいとか、視覚障害者でタジキスタンのスペルがわからないので点字のディスプレイを使ってスペルを覚えたいとか、言うことができるのです。このようなニーズに対して、SMILは理想的なので、他の人達にもSMILがこの作業に大変適していることを納得させられるように、最低限、デモンストレーションを準備することがきわめて重要であると思われます。こう考えると、やはり今後、デモンストレーションの制作という活動が求められるでしょう。更に発展して、リアルタイムのニュース放送についても考えていきたいと思います。私達は、ニュースの放送と同時に、先ほどお話ししたすべての特色ある機能が使えるようにできればと切実に望んでいます。しかし実際問題としては、これら複数の機能の表示を作る時間が必要なので、それは不可能でしょう。私は様々な障害者グループから、編集にかかる時間とプレゼンテーションの質との兼ね合いについて意見を聞き、理解したいと考えています。ニュースには緊急性がありますが、完璧に自分が望む形にしてもらうまで待つつもりはあるか、ということです。もう一点、竹下さんが指摘されたと思いますが、使いやすさについてお話ししましょう。アメリカではビデオカセットレコーダーについて以前からこんな話があります。アメリカの大多数の家庭では、ビデオカセットレコーダーについている小さな時計が、12:12:12と点滅しているといわれています。これは、だれもビデオカセットレコーダーの時間調節の仕方を知らないからだというのです。ですから使いやすさというのは、単に障害者に限らず、すべての人々にとって大きな課題であるわけです。もしこの使いやすさという問題を解決できるなら、単に一つのコミュニティーのためでなく、あらゆる人々のために解決しなければならないのです。以上が私からご指摘したいポイントです。

● 河村

ありがとうございました。

先程、トロンバッケさんがスウェーデンで試みているプロジェクトのなかに、たしかインターネットでニュースをわかりやすいものを流すと。そのときにどうもSMILのアプリケーションあるいはDAISYのアプリケーションの計画があるという印象を受けたんですけれども、そのあたりをもう少し説明していただけますか。どういうユーザーのニーズに応えるためにインターネットを今後活用しようとしているのか。今日は放送についてがテーマですが、どうも放送についての技術とインターネットの技術がだんだん統合されるという傾向にあるという印象を受けますので、インターネットで今トロンバッケさんのところではどのようなことを計画しておられるのか、少しお聞かせいただければと思います。

● トロンバッケ

インターネットを含め、さまざまな分野の「読みやすい」出版物の制作からわかることは、これが知的障害者をはじめとする障害者だけでなく、教育の機会に恵まれていない人々にとっても役に立つ、つまり、実際問題として非常に多くの人々にとって有益であるということです。前にもお話ししましたが、あまりうまく読むことができない人々はかなりの人数に上り、そういう人達とっては一般の新聞を読むことも難しいのです。私は金子さんや他の方々がおっしゃったことに全く賛成で、むしろ一歩進めて、もっと複雑な情報、たとえばニュースや、地震情報、料理のレシピですとか歴史的な出来事についての情報なども、興味が持てる、楽しくてわくわくするようなものにして、テキストと、音声、映像、動画などを使ったデジタルマルチメディアを通して理解しやすくできるのではないかと思います。そうすれば、それぞれが自分にあったスピードやペースで、必要なサポートや説明を受けながら、一つ一つ段階を経て理解を進めていくことができるのではないでしょうか?たとえば音声によるサポートとか、動画や映画によるサポートなどが可能だと思います。そしてSMILの標準規格やデイジーの標準規格はそのような機能を導入するのに使うことができると思います。今後はこれを目標に、私達がウェブを使ったサイトなどのために企画しているウェブ情報に注目していきたいです。ありがとうございました。

● 河村

金子さんのご発言のなかで、料理の食材の番組が保存できたら、ということと、できることならば注文ができたら、というお話がありました。これはどうも、私にはできそうに思えるんです。決して架空のこととは思えないんですね。と申しますのは、デジタルテレビは双方向であると言われています。実際に法律的な規制などがいろいろあるようですけれども、デジタルテレビの放送を送るチャンネルを使って、技術的にはデータのやりとりもできると聞いています。つまりインターネットでできることは将来のデジタルテレビはそのままできる。つまりインターネットと放送とが、実際には技術的に一つのものになると考えると、先程の、いずれアナログ放送がなくなる2011年までまだ10年もあります。そのゴールまでに、今金子さんがおっしゃったようなことは決して夢ではないのではないかという感じがしてきます。

他に、会場の方も含めまして、デジタル放送、デジタルテレビにこういう機能がほしい、ということに関しましてご意見がありましたらぜひいただきたいと思います。いかがでしょうか。もちろんパネリストの方も含めてで結構です。

大杉さん、お立ちください。マイクが行きます。前へいらしてください。通訳をしますので。手話で客席に向かって発言していただきます。

● 大杉

全日本ろうあ連盟、大杉と申します。先程ハッキネンさんのお話を聞きまして、非常に興味を持ちました。また、トロンバッケさんのお話もそうです。将来のインターネットとテレビの世界が統合されていくという。技術的にはきちっとできるというお話を聞きましたけれども、これからデジタルテレビに非常に良い内容の番組など、いろいろ作っていけたらいいなと。それは皆さんの共通した願いであると思います。

今流行っている言葉、「ユニバーサルデザイン」という考え方から言いますと、先程ハッキネンさんがおっしゃったSMILというのは、非常にそのユニバーサルデザインと考え方が一致します。

たとえばいつ、何時にどのような内容の番組があるのか、調べるだけでもたいへんなわけです。今、新聞のテレビ欄を見ますと、前は一面だけでしたが、新聞を開くと中にも乗っているという状況です。さらに今はテレビ専門の本なども出ています。全部買ってもまだまだこれからCSなども増えてきます。実際のところ、どれだけ情報があるのか、すべてをつかむことはなかなか困難です。

そういうことを考えますとやはり、インターネットの世界は今、検索機能も非常に発達しております。たとえばキーワードを入れる。たとえば自分の好きな、隅田川の花火。今夜隅田川の花火がある、それを知りたいときに朝テレビに入力をします。「隅田川の花火」とキーボードで入力します。自分が家にいる、いないに関係なく、デジタル放送の画面で行き方などもわかるということです。その一日の間に、テレビから出てくる番組を調べることができます。そしてそれを私たちに知らせてくれます。そのテレビを予約し、全部取り込んでいく。それに対して後でSMILという形で情報を加えていく。たとえば字幕、手話などをSMILに取り込んでいく。そうしていけば見ることができる。

そんなことができるのではないか。今話を聞きまして、それが可能ではないかと思いました。いかがでしょうか。

● 河村

ありがとうございました。これはマーク・ハッキネンさんにコメントしてもらいたいと思います。

● ハッキネン

コメントありがとうございます。そういうことができるようになる日が必ず来ると思います。番組情報を検索できる機能について考えてみましょう。たとえばあるスターが出ているミステリーが好きなのだけれども、来週いつ放送されるのか知りたいという場合ですが、テレビで大変使いやすいインターフェイス、できればユニバーサルデザインにのっとったインターフェイスを使えるようになればいいと思います。ある点では、少なくともアメリカ合衆国では、既に現在とてもそれに近い状態にあります。テレビでできるというわけではないのですが、インターネットでテレビ番組ガイドのサイトに行き、自分のケーブルテレビの番組を検索できますから、いつ放送されるかがわかるのです。まだテレビにはつながれていないのですが、私達が目指しているものはほぼ同じです。デジタルテレビには500ものチャンネルがあるという事実を考えると、番組の検索は誰にとっても難しいことですから、このようなインターフェイスはすべての人々に役立つでしょう。そしてアクセシビリティーと使いやすさとがうまく設計されることが重要になるでしょう。

● 河村

中段の真ん中の列の方、今マイクがまいりますので、どうぞお名前をおっしゃってご発言ください。

● 金沢

都盲協のグループから来ました金沢です。よろしくお願いします。私、今聞いていて、デジタル放送の特徴と言えばエリアの情報が取れるということで。たとえば東京の練馬地区の天気予報を取れるとか、そういうエリアごとの情報が取れるということが特徴だと思います。それが点字で出てきたらずいぶん便利だと思っていますし、それからたとえばこちらに来たときに、選挙をする小学校にどのように行ったらいいかということが、点の図でとれたらたいへんありがたいと思います。

それから今は諦めて聞くだけにしていますが、「関東甲信越小さな旅」とか自然のことを紹介したテレビとか、動物の世界など、音声で楽しんでいるんですけれども、そのなかでたとえば「関東甲信越小さな旅」だったら、川の流れの湾曲状態とか、鉄道、ローカル線でもまっすぐ走っていませんから、どんなふうに曲がっているのかとか、山をどんなふうにうがっているのかとか、地図系統についてはほとんど諦めています。大きな点の地図を買うことで諦めているんですけれども。

今のアフガニスタンの情勢などでも、必ず地図が出たり山岳の状況も出るんですけれども、そういったものが立体コピーで、ぜひ触りながらデジタル放送が楽しめるようにしていただけたらと思っているんです。

エリアの情報は私たちは諦めていたんですけれども、デジタル放送によって、手で触って認識できれば、たいへんテレビが身近なものになると思うんですけど、いかがでしょうか。

● 河村

ありがとうございました。たいへん夢がふくらむ思いがいたします。他にご意見、いかがでしょうか。神山さん、お願いします。

● 神山

青森公立大の神山と申します。今お話を伺っていて、一つ、インターフェースの問題が大きいと思うんですね。もう一つは、コンテンツの問題。

インターフェースの問題に関しては、私大学で学生さんにコンピューターの使い方を教えているんですけれども、まず入学してからハードルがある事項として、キーボードアレルギーというのがあるんですね。

もう一つ意外に少ないのが、マウスアレルギー。マウスというのは非常に便利なツールで、画面に表示されたボタンを押すように操作すれば、簡単に操作できるように思うんですね。実際に1歳の子どもでも操作できる程度の、非常に簡単な入力ツールだと思うんですけれども、ここに落とし穴があるんですね。実際はマウスというのは手元で操作する。ところが表出されるポインターは画面上に表出される。知らず知らずにストレスを受けている。マウスの操作が苦手な高齢の方々というのがいらっしゃる。そういう方々は、マウスを操作して小さいボタンをクリックするのは非常にたいへんなんです。

ところが、WindowsベースのGUIを使ってなおかつマウスで入力する、そういうタイプのインターフェースが、あたかも使いやすいという先入観というのがあると思うんです。その先入観というのはどういうところから出てきたかというと、やはり技術サイドの判断によるところが大きいと思うんですね。

デジタルテレビに関してなんですが、あるときに電気屋に置いてあるデジタルテレビのリモコンを見たんですけれど、そのボタンは想像通り一つひとつがとても小さい。たしかにテレビ画面に表示されるのはあたかもウィンドウが表示されていてそれを選択すればいい。ユーザーに利用しやすいように見える、そういうインターフェースなんですけれども、実は操作が非常に使いづらいのではないか、というふうに考えています。

操作が非常に使いやすいというのはおそらく子どものころからゲームマシンを使っている人たちじゃないかと思うんですね。そうでない方々にとっては、画面に表示されたボタンを選択するというのは非常にたいへんかと思います。

これは、障害を持っている人たちだけではなく、一般の人たちにも言えることで、たとえばEPGというのがありましたけれども、あれは縦方向に時刻、横方向に二次元的に配置されていると思いますけれども、こういった二次元の配置のなかで、いつどういう番組が行われるかというのを把握できない、二次元情報を把握できない場合もあるかと思うんですね。

こういったインターフェースはおそらくデジタルテレビ、ないしEPGを企画なさった方々の思い込みがおそらくあるんだろうと思うんです。

こういった使いづらいインターフェース、本当に使いやすいの? マウスは使いやすいマウスを使っているんだけれども、本当にそれは使いやすいの? という、同じ問いかけをデジタルテレビのインターフェースに対してしたいと思っています。特に運動機能障害があるような場合、小さいリモコンのボタンを押すというのは非常にたいへんです。そのために何をするかというと、たとえばスティックを使う。あるいは代替えの大きめのボタンにして、リモコンを分解して配線するというようなことをやっているんですね。

そういうことをしなくてもすむように、先程もお話にあったかと思いますけれども、メーカーが発売するリモコン機器、言ってみればインターフェース機器ですけれども、そのなかに初めから誰でも使えるような使いやすいインターフェースを設計していただければと思っています。

それからもう一つ、コンテンツの問題なんですけれども。これは多チャンネルという特性があるんですよね。その特性を生かして手話を入れ、あるいは字幕を入れる。字幕についても話された内容を忠実に送信するような字幕であったり、あるいは要約した内容を送信したり。いろいろな形態があるかと思います。解説にしても、いろいろな障害をお持ちの方々のニーズに合った内容を送信する。そのためのチャンネルも必要になってくると思いますね。これは技術的に可能だと思うんですね。多チャンネルの特性を利用することは。ところが、そのコンテンツはいったい誰が作るのというと、とても心配になるんですね。

先程、ハッキネンさんと雑談をしていたときに、SMILというのをコンテンツプロバイダー、あるいは放送局に対して売り込んでください。また今後の展望はいかがですか、ということを伺ったのですが。アメリカにおいてもこの問題は大きいかと思います。日本においてはなおさらだろうと思うんですね。アメリカの場合は幸いADAと501条がこの前発効されました。日本においてはそういうのはないですね。

先程八代先生のお話、2003年には障害者基本法の次のステージが検討されるという話がありましたけれども、ひとつ法律で拘束することは必要かと思いますが、もう一つ、さまざまなコンテンツを放送する、コンテンツプロバイダーがやってみたいというようなマーケタビリティが必要かと思います。

その一方で、情報提供をする担い手の人材育成。これも必要かと思うんですが。たまたま私はインターネット経由で字幕を送信する、テレビ字幕をリアルタイムで送信するという活動をやっているんですけれども、そこの入力は、インターネットの特定のチャンネルにテレビ音声の字幕を聞いた人がタイプして、複数の人々が連携しながら一つのセリフを入力していくということをやっているんですね。そういった技術であるとか仕掛けであるとか、そういうものがデジタルテレビのコンテンツの提供の一翼を担えるんじゃないかと思います。我々が行っている活動はインターネットですけれども、デジタルテレビのコンテンツの充実のために使えるんじゃないか。そういったことも検討されているわけです。

もう一つ、長くなって申し訳ないんですけれども。

デジタルテレビの受信機は今10万円します。地上波デジタルになった時点でどの程度安くなるのかは普及の具合によって下がってくるだろうと思いますけれども、すべての受信機がフルスペックである必要はないと思います。特に災害時に必要であるような誘導の情報、危険情報、そういったものは文字情報で事足りるんです。もちろん文字情報に限定したものだけ受信する機能を持った受信機。この開発も急いでいただく必要があるのではないか。

それとともに、放送でありますので、電波の届きにくい場所というのがあるかと思いますが、今普及している携帯電話あるいはPHSのように、どこでも電波を受信できるような放送設備があってほしいなと思います。

まとまりのない話ですけれども、以上です。

● 河村

ありがとうございました。もうお一人だけ、会場からご意見をいただきたいと思います。どうぞ、今マイクがまいりますので、お手をお挙げください。お二人いらっしゃったんですね。それでは恐れ入りますがお二人ともご発言いただきますので、手短にお願いします。お名前をおっしゃってご発言ください。

● 長谷川

長谷川貞夫と申します。私も練馬区からまいりました。先程の練馬区の金沢さんのお話とも重なることですけれども。

一つは、権利。著作権の問題とIT時代のボランティアのことです。点訳とか朗読というのがボランティアとして知られていますが、これは実際に点字とかテープとかDAISYで行われて盲人のところへ届けられるわけですが、これからは郵便で届けるのではなく、ITで届けるような時代になると思います。

放送ということで言いますと、ちょうど聴覚障害の方とまったく同じなんですね。聴覚障害者の方が字幕をぜひ付けてくださいというのと、画像を説明してほしいという場面がいっぱいあるんですね。テレビでもそうですしインターネット画面でもまったくわからない画面が半分以上と言っていいくらいなんです。その説明をすべて放送局やインターネットの情報提供者に求めるのは無理ですから、これをボランティアの方が、何月何日のどういう番組はボランティアの方が映像のうち、特に説明すべきところ、これはドラマでもいいしニュースでもいいんですが、説明する。それが1対1で説明するときに著作権の問題が出てくる。たとえば家族が家族に同じ部屋で説明するときは著作権の問題は出ないと思いますが、それを通信を使って1対1でやったら問題が出る。それから、メーリングリストのように1対あるグループに対して行ったら、著作権の問題が出てくる。

それから、ホームページのように世界中の人がアクセスできるようになったら問題になるのかとか。そのへんのことがまず一つ。

それから、簡単に、夢です。私は7年前に仮想現実の立体というものを手でつかんだことがあるんです。画面の中の立方体を手で本当につかんだんです。持ち上げると本当に重く感じるんです。不思議な話です。これがもしデジタル放送が夢の放送として三次元立体映像のデータとして流されると、もし奈良の大仏が出た場合にですね、それをぱっと止めて、奈良の大仏をしげしげと、画像を観察しやすい大きさにして、頭のてっぺんから指の先まで眺められるような時代がくるのかなという夢を持っているんですが。この点については技術の専門の方にお話ししていただきたいと思います。以上二点です。

● 河村

どうもありがとうございました。実は先程私のミスで、実際に手を挙げておられた方は三人いらしたんだそうです。本当に恐縮なんですが、ごく短時間になりますので、お二人とも、先程手を挙げていらした方、手を挙げていただけますか? 今確認したいと思います。はい、わかりました。それではまず、真ん中の後ろのほうの方、今マイクがまいります。よろしくお願いします。

● 永井

都盲協の永井と申します。江戸川の者ですが。よく今、世界同時多発テロでいろいろな問題が出ていますけれども。アメリカあるいは世界の高官のコメントとかそういったものがテレビで流されますけれども、それは原語で流されるだけで日本語にはならないということです。そこで、今、辞典の技術がどの程度進んでいるのかわかりませんけれども、そういうことが可能でしたら、音声認識の技術もだいぶ進んでいるようですから、そういうことを通してでも聞かせていただけるようになればと思うんですけれども。いかがでしょうか。

● 河村

ありがとうございました。都盲協とおっしゃられたのは、東京都の視覚障害者の方の団体ということですね。今のにちょっとだけコメントさせていただきますと、テレビの最近のテロのニュースの特徴ですが、見える方は皆さんお気づきかと思いますが、テレビの中が、特にNHKなどは2つに領域が分かれていまして、右横にテロ関係のニュースというテロップがずっと貼り付けになっていて、上隅に横一列にずっと連行ニュース、マーキーというんですか、流れる文字でニュースが流れていたりすることがあります。それから先程おっしゃったアメリカの高官の発表などは、音声はそのまま流れているときには、テロップで字幕が日本語訳をテレビ画面に流しているという場面があります。そのような、文字情報でありながら読み上げられていないために、視覚障害者の方たちにはまったく、今何が言われているんだかわからないというような状況のなかでのご発言だったと思います。ありがとうございました。

それでは続きまして、井上さん、よろしくお願いします。

● 井上

時間がありませんので短く。全国学習障害、LD親の会、井上と申します。本来であれば本人の方が来て話をすればいいわけなんですが、親の立場、代弁者、本当に代弁しているかどうか怪しいんですが、そういうことでお話しいたします。

私たちの会は、ちょっと会の紹介で申し訳ないんですが、できて10年目ということです。まだ新しいわけなんですが。全国で3千人をちょっと超えました。50団体ほどあります。それの全国組織ということです。

さてLD、学習障害のことなんですが、先程来壇上の方からも話題がありましたけれども、残念ながら日本ではやっと認識という、社会的な認知を得てきた。ある方に言わせますと、専門用語だったと。専門家の間だけで通じる専門用語だったと。それがやっと、教育用語、つまり学校教育を中心にして、学校教育のなかではなんとか知れ渡ってきたという状況なんです。できれば、一般用語といいますか、ごく自然にですね、誰もがLDと言えばレーザーディスクかもしれませんが、LDというと普通レーザーディスクになってしまうんですが、そうではなくて、ラーニング・ディスアビリティーズ、複数形なんですが、そういう内容を指すんだということになってほしいなと思っています。

それで、金子先生も複数形、「ディスアビリティーズ」とおっしゃっていましたけれども、実は単一の障害を指しているわけではありません。いろいろなタイプがあります。

たとえば、聞こえにくい。ただし聴力がないわけではありません。音としてはちゃんと聞こえているんですが、それを意味のある言葉として理解するときにいろいろ困難がある。それから、目は見えている、視力はあるんですね。ですが文字を読もうとするとそれが図形としては見えているんでしょうけれども、意味のある言葉として理解するのが難しい。非常に、人に説明するのが難しいことなんですけれども。それ以外にいろんなタイプのLDの人がいます。10人いれば10通りだと思います。

ですから先程のパーソナルコンピューターですね。パーソナルということですからおそらくLDの人が10通りいれば10通りにカスタマイズされたパーソナルコンピューター。それから今日はデジタル放送がテーマですから、デジタル放送のインターフェースですね。これが自由に受ける側の困難に対応できるような、柔軟なシステムになってくれれば、非常にLDの人にとっては福音、いい道具になってくるのではないかと思っています。

それから、あともうちょっとで終わりにいたしますが。実はLDの人の数というのは非常に多いと聞いています。アメリカではおそらく200万人くらいですか。正確な数字は覚えていませんが。いわゆる学習障害、LDとしての教育対象とされているそうです。日本でもおそらく数十万人、あるいは100万人までいくのかわかりませんが、ものすごい数だと思います。数が多いからということで威張っているわけではありませんが。ということは、ニーズの量的なものでいうと、非常に大きいものがある。ということは、世の中に普及していく場合に、いわゆるコマーシャルベースという場合に、ユーザーの数というのはやはり無視できないわけですから、学習障害、LDの人たちの存在というものを、いつも考えに入れて開発していただけるとありがたいなと。

それからもう一つは、教育用語だとさっき申し上げましたけれども、実はこれから学校教育のなかで、アメリカやスウェーデンには遅れてはいますけれども、21世紀を迎えて、日本でも学校教育のなかでLD、学習障害の子どもたちが教育対象となることになりました。文部省がそういう方針を出しております。文部科学省ですか。ですからこれは、学校教育というのは一つの普及の場でもあるわけですから、障害を持たないお子さん、あるいは先生方に対して、コミュニケーションに困難がある人がいるんだという、数の上からいきますとそういう効果もあるのではないかと思っています。以上です。

● 河村

ありがとうございました。それではだいぶ時間が押してまいりまして、これから一人ずつパネリストの方にまとめのお話をしていただきたいと思います。ただ、やはり内容がきちんと伝わらないとあまり大急ぎでお話をされても、通訳も十分できませんので意味がありません。したがいまして、お一人3分で、これから次のことについてお話しいただきたいと思います。

先程来著作権のこと、あるいは法律的な制約、あるいはマーケットがあるのか、いやけっこう大きいんだ、というような経済的な諸条件ということについても議論がされています。これからのまとめのご意見のなかで、こういうニーズがあるということについては、私ども今日かなり出せたと思います。それではそれを現実に持っていくための、実現していくためには、法律についてはこういう点はこういうふうに解決していったらどうだろうというご提言。あるいは市場性、十分ペイするんだということを産業界にも納得してもらう。そういうことについてのアイデア、ご意見を含めて、最後にお一人ずつ3分以内にご意見をまとめていただいて、その後私が簡単に総括的なまとめをさせていだだきたいと思います。

それでは、今日の自己紹介以来の順番と逆にいきます。最初にトロンバッケさんにお願いしまして、客席から見て、トロンバッケさんからマーク・ハッキネンさん、そして順にお一人ずつ、一人3分以内でご発言をお願いしたいと思います。

● トロンバッケ

今日はたくさんの興味深いことがお話に出ましたので、付け加えることはほとんどありませんから私の方からはごく手短に言わせていただきます。今私が期待しているのは、これからもっと実験や研究がすすめられ、更にこのようなことが実際にどのような結果となるのか、また市場性について、障害者グループへのテストが行われていくことです。そして本当に重要なポイントは、今後ますます多くの人々が、関係してくるだろうということです。少人数ではありません。このような使いやすいデジタルフォーマットから利益を得る人はかなりの数になるでしょう。そうすれば、企業や各種産業が、これは市場性があると認めるようになるのではないでしょうか?どうもありがとうございました。

● ハッキネン

そのコメントには賛成しなければなりませんが、しかし私はある意味ではすこしばかり疑問を持っています。アメリカ合衆国ではここ2,3年の間、障害者人口が年間1730億USドルの可処分所得を持っているといわれてきましたが、この数字を企業に示しても、アクセシビリティーを採用しようとはしてくれないのです。私達はこの数字は大変やる気をおこさせるものだと思ったのですが。その後去年の夏に合衆国政府によって購入されるすべての技術はアクセシブルでなければならないという法律が可決されました。それに動かされて企業は行動を始めたのです。つまり企業は市場性には興味がないが、法律には動かされるというわけです。更に他の例では、銀行のATMに関してこんな話があります。1990年代のはじめにATM製造業者を訪ねたときのことですが、私達がATMをアクセシブルにするのはいかに簡単かを、技術を紹介して説明したにもかかわらず、何年間もそのままで、他からも改良を求められても、何も改善されませんでした。ところが障害者団体がアクセスの権利を銀行に求める裁判を始めるとやっと、腰を上げたのです。ですから私は市場性に関する議論が有効であるとは思えないのです。法律や法的なアプローチこそが、過去の歴史から見ても最も有効であると考えます。

● 竹下

三分ですので項目だけになることをお許し願って三点申し上げます。

一つは先程都盲協の方もおっしゃったことに関して。視覚障害者のニーズが、たとえば先程自然界のことで、「関東甲信越小さな旅」ですか、そのときに話もありましたけれども、すべての情報の受け手がいろんな要求を持っているんだろうと思うんです。それぞれの情報の受け手が、自分はこの情報にさらに追加してこのことをわかるように説明を追加してほしいという要求が、メディアに向かって、要するに放送の主催者に向かって言える、そういうデジタル放送が実現してほしいと思っています。

二つ目に、著作権の問題。一言で申し上げれば、著作権者の権利保障を万全に意識しながら、視覚障害者や他の学習障害者等すべての障害者の知る権利を保障するために、いくつかの方法があると思うんですが、私は今日ここで一つだけ提案するならば、それを買い上げるならば買い上げるための一つの基金が設置されることによって、その基金が常に著作権との衝突が生じた場合の著作権者への保障を実施する、というものが用意されるべきではないかと思います。

最後に、情報は権利であるということを申し上げましたけれども、アメリカにおけるADA、イギリスにおけるDDA等すばらしいサービス禁止法が諸外国にあります。世界20何か国にあるんだそうです。そういうものがわが国にないことが大きな問題です。八代さんも、障害者基本法の改正とおっしゃいましたけれども、その改正で成り立つのか。ではなくてあくまでも差別禁止法というものがきちんと独立した法律として用意される必要があるのではないかという意見を持っています。

ちなみに情報との関係で言えば、シドニーオリンピックのときにオーストラリアの視覚障害者が放送が自分たちにはぜんぜん入手できないではないか、視覚障害者も入手できるようにデザインしろということ要求し、それが受け入れられないことは差別であるという訴えをしたことが認められたことを、私は非常に感動して聞きました。以上です。

● 河村

ありがとうございました。金子さん、お願いします。

● 金子

金子です。三点申し上げたいと思います。

まず一点は、竹下さんがおっしゃいましたが、障害者法をやはり日本でもちゃんと確立するということだろうと思います。そのもとで、著作権の問題あるいは企業の経済性の問題というのも解決していくように努力をしなければならないだろうと思います。

たしかに本当にニーズは個々ばらばらです。さまざまなニーズがありますので、すべてに応えるということはあるいは難しいかもしれません。だからこそユニバーサルデザイン、多くの多様性を持った仕様ですね、ハードにしてもソフトにしても。多様性を持った仕様のもとに、あとはユーザーがカスタマイズできるというもので個別のニーズに応える。そういったハードあるいはソフトを、障害者法の規定のもとで実現するという方向を目指したいと思います。

経済性ということと関連してもう一つ。先程もでましたけれども、ボランティアの活用ということをぜひ進めたいと思います。もちろん企業には努力をしていただくわけですが、一般市民としていろいろな形で参加しうる部分がある。今、パソコンボランティアですとか、いろんな形でありますけれども、ボランティアの活用ということを進めたいと思います。

それと関連して最後の一点、教育における情報アクセスの問題についてもっと議論をし、実現をしていきたい。子どもたちの教育のなかでもちろんパソコンが今どんどん入ってきていますけれども、情報のアクセスの問題ということももっと小さな子どもたちに考えていってもらいたい。そういうなかで、お互いに情報をシェアする、あるいはお互いの情報のニーズに応えあうということでボランティアの教育ということも出てくるのではないかと思います。以上です。

● 河村

ありがとうございました。坂上さん、お願いいたします。

● 坂上

基本的には、先程マークさんがお話しした通りです。さまざまな障害者に関するさまざまな問題を解決するためには、二つの考え方が必要だと思っています。

一つは、日本は法治国家です。ですから法に基づいてさまざまなことをやるわけですよね。その法の整備を考えなければならない。それが一点。

もう一つは、当事者の権利意識をきちっと持たなければならない。今まで私たち聴覚障害者の社会における権利は、国と闘って勝ち取ってきました。運動の成果です。最近の例で言えば、差別的な法律がありまして、それを完全に改正させる運動がありました。100万人署名運動です。結果的には230万人の署名がありました。それは全体的な障害者の運動に結びついていきました。

そのような運動を、今後私たちの権利再生に向けてやっていかなければならないのではないかと思っています。以上です。

● 河村

ありがとうございました。

それでは最後に、私、ここのコーディネーターであり、なおかつ今回のシンポジウムを主催いたしましたアジア太平洋障害者の十年のキャンペーンを進める一員として、まとめをさせていただきたいと思います。

まず、法律の問題についていくつか出ましたが、今日出たなかで一つだけ、「それははっきり解決しています」と言える問題がございます。先程バーチャルリアリティのことで長谷川貞夫先生がおっしゃったことですけれども、画面の説明をしてそれを視覚障害の方に提供するということについては、私どもが一昨年来進めてまいりました著作権法改正の運動、これは立ち上げてから半年間で法改正に至るという成果を上げておりますけれども、障害者放送協議会と文化庁著作権課との交渉のなかで、そういう画面の解説ということについては「著作権法になんら触れるものではない」という明快な回答を得ています。つまりそれは、創造的な行為である。したがって元の絵の解説をするとか画面の解説をするというのは、解説をする人のまったく創造的な行為なので、元の作品の著作者の権利は及ばないという解釈を公式に得ています。その意味で有権解釈をする政府の機関から、「それは問題がない」という回答を得ていることを、ここでご紹介しておきたいと思います。

それから、法律的な問題で先程来障害者差別禁止、あるいは差別撤廃という運動、これはアジア太平洋障害者の十年の主要な目標の一つであります。これからもこのシンポジウムが終わった後で、本日の内容を踏まえましていっそう強めていくということを、主催者としてはお約束したいと思います。

また、そういう法律的な縛りによって権利を保障する、それと同時にやはり、自助努力と言いますか、共に暮らすコミュニティで互いに支え合えるところでは支え合うということも非常に大事で、そのためのボランティア活動、あるいはそのボランティアに対する研修の保障といったことはこれからも強めていく必要があろうかと思います。

そのなかで、企業、放送局、あるいは当事者団体がデジタル放送に関わる研究開発や先導的な試験的な活動を行うということについての助成措置も非常に重要だと思います。その必要性は、先程の、マーケットはどういうふうになるのかということも大事ではないかというなかで指摘されていましたので、ぜひその点についても、本日の議論を踏まえて取り組んでいきたいと思います。

そして最後に、専門用語で言いますと「インターフェース」および「コンテンツ」、両面にわたる、デジタルテレビにこういう機能を期待したいということ。非常に豊富な、今まであまり十分に指摘されなかった部分も含め、本日は皆で確認できた要求がたくさんあったと思います。これらにつきまして、一見、今夢かもしれないと思われるものが、実はよく考えてみると、たとえば先程のバーチャルリアリティの例なんかも、新しい建物を自分の家の近所に作る、それで都市の再開発をする、あなたは賛成か反対かというふうな計画段階で議論があったとき、どのようにその全貌を知るのか。図面でしか記されていないようなものをどういうふうに実感できるのか。たとえば坂道がこのようにある。スロープをこう作る。そこを上がっていくときの足の負担感、あるいは階段はこれで大丈夫か。これらもバーチャルリアリティは今提供できるようになっています。直接デジタルテレビの話とは結びついていないと思われるかもしれませんが、私どもは今後10年というレンジでデジタルテレビの行方を見極めて、今議論しなければいけないと思うんです。

そしてインターネットの技術とデジタルテレビの技術というのはかぎりなく融合、統合していくなかに、本当に誰もが使えるテレビというものの姿が見えてくる、というのが今日確認されたと思います。そういう意味では、先程来言われました一つひとつの要求というのは決して無縁なものではない、単なる夢ではない、と、皆さんご確認いただけると思います。

そのような一つひとつ重要な切実な要求を、すべて長いレンジで。それは時間がかかるものがあるかもしれません。しかしそのなかで本当に必要なものは実現していくんだという活動を、主催者はこれから始めるということをお約束しまして、本日のシンポジウムにつきましては、皆さんのおかげをもちましてたいへん豊かな意見交換、情報共有ができたということを確認してパネルディスカッションを閉じさせていただきたいと思います。

これをもちましてパネルディスカッションを終了して、総合司会の渡辺さんのほうに進行をお預けしたいと思います。どうもありがとうございました。