音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

報告書「明日のデジタル放送に期待するもの」

特別講演

八代英太
(衆議院議員・最終年記念フォーラム組織委員長)

おはようございます。今日は週末の金曜日でございますし、また外はあまりにも晴れ渡っておりますし、部屋のなかよりも外のほうがいいという方も大勢おられると思いますが、今日はこうして関心のある皆さんがお集まりいただいたということで、ありがとうございます。

今、松友さんから経過のご報告がございましたように、いよいよ来年がアジア太平洋障害者の十年の最終年になるわけでございます。私たちにとっては20世紀にはいろいろ積み残したこともございますし、また20世紀に新たに始まったものもございます。その後どのようにそれを育てていくかという、分岐点を来年に据えておりまして、言ってみれば世の中は21世紀ということになっているんですが、我々障害者の問題というのは来年が20世紀の最後として、そし2003年からを新たな21世紀の気分で取り組んでいこうではないか。こんな思いに立ちながら、この際日本であらゆる障害者の国際会議をどんどん開催して、そして世界から先進国あるいは途上国、いろんな障害をもった人たちの思い、悩みというのは共通点があるわけですので、来年は世界の障害者が札幌に集まってDPI世界会議というものが開かれる。そしてまた大阪におきましては、アジア太平洋障害者の十年という一つの締めくくりとしてのアジア52か国のESCAP加盟国がそれぞれNPOの各団体をはじめ、障害者の当事者たちが大阪に集まって、そして最後のアジア太平洋障害者の十年の締めくくりをやろう、と。そしてその次の十年はどんなふうにしていこうかということも併せてその席上で議論をしていきます。

そしてまた、滋賀県におきましては、各国のハイレベル、つまり局長とか大臣とか、そういう代表者の方々にも滋賀県に集まっていただいて、そして障害を持った当事者と政府の人たちが一緒になって滋賀県のESCAP総会で次への十年というものを考えていこうという動きもあります。

いろいろテーマはたくさんございますけれども、アジア太平洋障害者の十年も1992年から始まって来年が最終年の十年になるわけですが、日本と中国がこのESCAP総会に提案をしまして、それが決議され、それが来年最終年の段階になるわけです。

しかしまだまだ関心が低うございます。障害者の問題も、それぞれ関心の高い方、低い方、さまざまでございますことを考えますと、ちょうどアジアのこの十年は、福祉ということに取り組んでいこうという思いに各国がなったときに、アジアの経済危機になってしまいましたから、またそういう計画が頓挫したという流れがございます。

したがって、おそらく大阪会議では第二の十年を、もう十年、アジア太平洋では延長しようという決議が行われるのではないかという思いがいたします。

ではこれからの21世紀の障害者福祉はどういうものがいいんだろうというテーマを考えていきますと、こうしたデジタル放送をどのように障害者の情報の一つの糧として導入していく、また期待していくかということも一つの関心事でございましょう。それは言ってみれば、情報のバリアフリー、あるいは移動のバリアフリー、建物のバリアフリー、心のバリアフリー、いろんな障壁を取り除くということが、やはり障害者にとって大切なことであるということを考えますと、まずそういう権利を国連で決議していただくような、権利条約のようなものをこの際作っていこうとか、あるいはバリアフリーということを大きなテーマにした、これからの21世紀の新たな十年にしたらどうかと。

こんなことがいろいろ取り沙汰されています。

1992年にアメリカにはADA法というのが成立しました。障害を持つアメリカ人法。あらゆる形で障害者の生活にバリアがあったとしたら、それは罰則規定を取り込んでそうしたもののない障害者法、ADA法というのが作られたわけでありますが、それに呼応して私たち日本もなんとかしなければという思いに立って、今までの心身障害者対策基本法というのを、私が中心になって障害者基本法というものを作らせていただきました。これは議員立法でございましたが、これもいよいよ2003年からは新たな議員立法を改定して、障害者基本法というものを主軸にしながら、もっとバリアフリーであれ教育であれ、あらゆる障害者施策についてアメリカのADA法のような拘束力のあるものも導入したらどうかということを、私たちは議論を始めております。

そんななかで、来年は障害者の国際会議が三か所で盛大に開かれるという、今はその出発点に立っておりまして、今日は松友さんを委員長とするキャンペーンの第一弾ということになるわけでございますが、我々もこうした催し物を広く情報で各障害者自身にお伝えしながら、もっともっと関心を持っていただかなければと思っております。

当事者がしっかりと関心を持って、そして問題提起をしていかなければ。ああしなさいこうしなさいという行政の舵取りのなかで私たちの生活、行動が動かされてきたというのが20世紀でございますから、これからは私たち自身が積極的に意見を述べて、そして私たち自身がコンシューマーとしてしっかりと行政をむしろチェックするような形で、自分たちの考え方を提言していくという時代にしなければならないと思っています。

「我ら自身の声」という言葉があります。VOICE OF OUR OWN。我々自身が声を発しなければだめなんだよ。ああやったらどうだ、こうやったらどうだと、健康な人たちの指図のなかで私たちは生きていくのではなく、我々はこうしたいんだ、こうしなければならないんだ、そのためにはこういうネックがあるんだ。それを取り除かなければならないんだ。そういう自分たち自身の声を発することこそ大切なんだというのが、これからの21世紀の私たちの行動でなければならない。そんなふうに思っております。

私は昨年の7月まで郵政大臣をしておりました。郵政大臣をして真っ先に思いましたことは、我々の世界というのはグローバル化、もう国境というものはありません。アメリカの同時多発テロの画面が夜の9時45分にテレビのなかに突然入り込んでくるというように、リアルタイムで世界の情報を私たちは受け取っていく。これも健康な人たちと障害を持つ我々と格差があってはならないわけでありますから、私は郵政大臣になりまして真っ先に取り組んだことは、これからデジタル放送の時代になっていくときに、障害を持つ人々の情報格差というものは絶対にあってはならないということで、情報バリアフリー懇談会というものを作らせていただき、そこに各障害者団体の代表の方に出席していただいて、これからテレビというものは重要な共生の私たちの一つの相手になっていくことを考えると、デジタル放送をしっかり育てていくと同時に、そこには障害者のための文字放送を導入するとか、あるいは視覚障害者のための解説放送を導入するという形になって、すべての人が平等のなかでデジタル放送の情報が享受するようにしなければならない。ということを提案し、バリアフリー懇談会というものを立ち上げ、そして提言をまとめ、それが今、着実に実行に移されているという状況でございます。

今、BS放送、CS放送というのが約500万世帯、すでに宇宙からの電波によってできあがっておりまして、これから地上波、つまり1チャンネル、3チャンネル、4チャンネル、6チャンネルというあの地上波も、2003年にはこの大都市圏は全部デジタル放送化されます。そして2006年には全部の国がこのデジタル放送という新しい時代に入ってまいります。そうすると、野球をみながら天気予報を見られる。自分の会議のところにアクセスすると、その会議が明日どのように行われるかということも同時にテレビから情報が享受できるという、まさにこれから多角的なデジタル化時代というものがやってくるわけでございます。

CSチャンネルは200チャンネルくらいあるのではないでしょうか。そしてBSチャンネルが10チャンネルくらいあって、さらに地上波デジタル放送が、今ある地上波のものを含めますと、200を超えるチャンネルからいろんな情報が私たちのところに届くということでありますから、これが障害を持つ一人ひとりにとってどのように平等な情報の伝達がなされるかということが、これから大切な時代だと思っております。

たとえば日常生活用具の支給にワープロなんていう時代がありました。もうワープロの支給の時代ではないと思います。パソコンを皆が日常生活用具として支給されるようにこれから変えていかなければならないと思っています。そしてパソコンを車椅子の上に載せて、ピッポッパとやるともう隣はアフリカであり、隣はホワイトハウスであり、隣はロシアである。こういう時代になっていくと、まさに不便さを便利にするのが科学技術であり、不便さを便利にしながら我々の情報がリアルタイムで誰しも共通のなかで完全に平等な形で享受できることによって、本当の情報化時代のなかに私たちも暮らすことができる。そしてそれは、我々にとって大きな武器になっていく。我々の車椅子の上に載っかったパソコンから、隣のアフリカの友人と、あるいは隣のヨーロッパの友人と同時に交信ができるという状況のなかにありますと、情報機器の発達というものに、我々の意見がしっかり組み入れられるか否かということによって、ずいぶん私たちの21世紀というものは光り輝くものになるのではないかと思っています。

私はいつも携帯電話が離せないんですけれども、会議中にはこれが振動音になってメールがきたとか全部わかる仕組みになっています。これは聴覚障害の方には音を振動に変えるということで役立っています。これからいよいよ来年からはこれに画面がついてまいりますから、自分が発言しながら相手に小さな電話によってその姿が同時に発送できるという、新しい情報化時代というものも出てまいります。

テレビのデジタル化にも関心を持つことは必要ですが、こうした情報通信にも我々の問題がどれだけ取り入れられ、我々にとっての障壁は何かということもチェックしていくことが大事だと思っています。

そのためにこうしたシンポジウムを通じましてデジタル化時代の対応もさることながら、情報通信全体にわたって、すべての人と完全参加と平等というテーマの通り、我々が平等の権利が享受できる環境にあるかどうかということも、これからチェックしていくのが、来年10月までいたるところで開かれるキャンペーンの大きなテーマの心でなければならないだろうと思っております。

今、DPI世界会議の議長さんがジョシアン・マリンガといってジンバブエの人なんですが、彼と私は1981年の国際障害者年のシンガポールで産声を上げたDPIの最初の仲間の一人です。彼が今度30日に日本にまいりまして、それから札幌で同じようなシンポジウムを開くということですから、私も彼のお供をしていきたいと思っております。

一つは、繰り返し申しますが、札幌での世界の障害者の集まり。そして大阪でのアジア太平洋障害者の集まり。そして滋賀県でのハイレベル、各国の行政側のキャプテンが集まる会議。その3つの国際会議が、来年、言ってみれば20世紀の締めくくりの大きな会議であり、そのなかで特に情報通信ということ、IT時代に我々はどのようにITを享受できる時代を迎えることができるかということも、大きな大きなテーマになっていきますので、今日ご出席の講師の皆さんのお話をよくお聞きいただいて、そして皆さんからもいろいろご提言いただいて、今日がそのキャンペーンの初日でございますから、いろんな形でこれから広く、来年に向かっての最終年フォーラムを実りあるものにしていきたいと思っております。

私も組織委員長という大役をいただきましたので、これから大勢の皆さんにこうしたシンポジウムを広報し、そして伝達をして、なによりも我々自身の問題なんだと、我々自身が関心を持つことが大切だということを、これからしっかりと伝えていかなければならないだろうと思っております。

今日は広い会場ですから、会場のわりには参加者が少ないという思いを持たれるかもしれません。しかしそれは空いている席以外は満員であるという思いに立てば気持ちもやわらぐだろうと思いますから、今日一日実りあることを心から期待いたしまして、ご挨拶とさせていただきたいと思います。どうぞよろしくご協力をお願いいたします。ありがとうございました。