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平成17年度
地域におけるインターネット・パソコンを利用した
障害者情報支援に関する調査研究事業報告書

基調講演
「パソコンボランティアと障害者IT支援の展望」

三崎 吉剛
東京都立中央ろう学校開設準備室主幹

写真

こんにちは。ただ今紹介していだきました三崎といいます。よろしくお願いします。

肢体不自由の学校で10年少し、それから視覚障害者の学校で13年、現在はろう学校で仕事をしております。

この話をまとめるときにいろいろ調べたのでありますけれども、非常に今まで知らなかったことを知ることができました。

画面には草原で座っている3人の人物がおりまして、向かって右側がちょっと年配の髭の生えたもじゃもじゃの紳士ですね。それと向かい合っている若い女の子がおります。真ん中に立っている女性が一人おります。これはアメリカン・ファウンデーション・フォー・ザ・ブラインドというアメリカの視覚障害者団体のホームページからのものでありますけれども、これがなんであるかということで私は非常に驚いたのですが、男の人と少女は手をつなぎ合っています。これは接触して、指文字でお話をしているんですね。その少女と真ん中の女性はですね、少女が左手を伸ばして、女の人の唇をふれています。これは唇を読んでいる、読唇という方法ですね。

この状況をご覧いただくと、この3人がどういう方かというのがだいたい少しわかるかなと思うのですが、女の子、座っている小さな女の子は盲ろう者であり、ヘレン・ケラーという方です。立ち上がっている真ん中の女性はサリバンさんですね。この人はパーキンス盲学校から派遣されている視覚障害、全盲の方だったかな、と思いますけれども、視覚障害の女性です。

この男性が誰であるかということが私には驚きだったのですが、これは電話を発明したグラハム・ベルという方です。これは偶然の場面ではなくて、グラハム・ベルがサリバンをヘレン・ケラーのご両親に紹介したということなのですね。

私もヘレン・ケラーの自伝などは読んでいたのですが、ちょっと気がついていませんでした。

グラハム・ベルという方は、実は3代にわたるろう教育の研究者、もしくは教師でありまして、大学でも教えている、まあ言語学者のような方だったと思います。その方が、ある時期に電話の発明をするということですね。電話の発明をするということと、この聞こえるということ、あるいは聞こえないということが密接に関係しているということがございます。

現在の、21世紀の大きな基盤であるテレコミュニケーション、遠隔地と通信するということの基礎になるような発明が行われるときにこうした場面があるということは、非常に印象的ではないかなと思います。

私がこうしたIT支援に関わったのは20年くらい前になるのでありますが、そのときに、こういうことが言われました。障害者のことがよくわかる人は、コンピュータのことはわからない。技術的なことはわからないし、関心もない人が多い、と。また逆に、コンピュータのことが詳しい人、機械が詳しい人は、障害者のことは関心がない方が多いしわからない、そんなことはないよという人はいるかもわかりませんけど、一般的にそうですよ、ということをある肢体不自由の方のお母様が私たちに語ってくれました。だからこういうことがうまくいかないんだ、ということです。

このギャップを埋めるのが、たぶんパソコンボランティアの方の活動の中心的なミッションなのではないかなと思っています。

コンピュータが障害者に使われるということは、なにか偶然のことではなくて、やはりコンピュータならではの理由があるのではないかな、と。コンピュータはある方に言わせると不完全な商品であって、ソフトウェアを買わなくてはできないし、インストールしなければできない。そんな商品は世の中にはないですよね。冷蔵庫を買ってきて、冷蔵庫になにかソフトウェアをインストールしなければ冷蔵庫が使えないといったら、たぶん売れないでしょう。でもコンピュータは本来、そういう性質を持っていて、不完全なまま世の中に出て、それをそれぞれの方が自分向けに利用しやすいように変えていくという、そういう機械です。

このことを考えると、いろいろなニーズを持っている、いろいろなハンディキャップを持っている障害者にとっては、うまく使えば非常に使いやすい機械になる可能性がある、ということだと思います。

そこでその当時、仲間と話したのはこういう、障害者でもなんとか工夫すればコンピュータが使えるようになるよ、ということではなくて、障害者だからこそコンピュータを使ってハンディキャップを超えていこうじゃないかということです。このことは、このあといろいろ紹介していきますけれども、これからの社会を考えるときにいろいろなバリアができてくる。新しい機械ができると、便利になるだけではなくて逆に不便になってしまう。あるいは障害者が使えなくなってしまうということを防いでいくということも提案の中に含まれています。

ここで、日本で最初の障害者IT支援というのをご紹介したいと思います。この話も、あまり知られていない話ですが、この名前で検索していただくとひっかかってきますのでご覧いただくといいかな、と思います。

日本電信電話公社、これはNTTの前身になるものでありますけれども、そこに喜安善一(キヤスゼンイチ)という方がおりました。この方が東京教育大学の学生であった全盲の尾関育三さんと一緒に、ある研究をしました。これは当時開発されたばかりの「武蔵野一号」という、おそらく日本で最初の大型コンピュータだと思いますが、このパラメトロンのコンピュータで点字と墨字の相互変換の実験を行いました。

おそらくこれは日本で最初の障害者のIT支援ではないかな、と思います。また、世界的には、同時期に米国でもこういうような実験が行われていたようですので、前後するかな、と思います。たぶん、この喜安さんという方がアメリカで勉強して日本に帰ってきていますので、アメリカでの障害者のコンピュータの使い方ということを学んできて、こういうことを日本でやったのかもしれませんし、あるいは全くオリジナルにやったのかもしれません。尾関さんとの出会いというのがございますので、視覚障害者の方との出会いというのがあってこういうことを発想したのかもしれない、とも思っています。

画面には喜安善一さんの写真が左側に出ておりまして、右側には当時のコンピュータの名前とその完成年が書いてあります。エニアックというコンピュータが1946年に完成したと書いてありまして、通常は、本などを読みますと、パソコン、コンピュータの元祖はこのエニアックであると言われていますが、それより以前にABCとかコロッサスとか、そうしたマシンがあった。その後にも、ザ・ベイビーとかエドサックとかがあったということは、今ではわかっています。

これはなぜこういうふうに、エニアックが有名になったかといいますと、いろいろな理由があるでしょうけれども、やはり軍事目的、暗号解析とか弾道計算とか、高度に軍事機密が重なっていたので、あまり一般には知られていなかったということがひとつの原因のようです。

ご覧になるとおわかりになりますけれども、1957年の武蔵野一号も、そんなに世界の流れから見ると遅れていないなということですよね。

パソコンは、プログラムを変えるといろいろ変容していくと言いましたけれども、開発当時の大きなコンピュータは、必ずしもそうではなかったんです。現在のようにプログラムを変えて自由にその姿を変えられる方式のことをプログラム内蔵方式と言いますけれども、そういう視点から見ると、ザ・ベイビーという1948年のコンピュータ、それからエドサックという1949年のコンピュータが、現在のコンピュータのもとだなということが言えるそうです。そうしますと、武蔵野一号も1957年ですから、さらにその近さというのがわかると思います。

つまり、本当に最初のコンピュータが障害者のために使われたというこの事実を、やはり先ほどのベルと同じように理解しておきたいと思います。

続いて、現在のパソコンによる障害者支援のことに少しふれていきますけれども、障害児学校ですと盲学校、聾学校、それから肢体不自由の養護学校、知的発達障害の養護学校といったような種別に分かれています。この分かれ方というのは、どうしてこんなふうに分かれているのかなあ、ということなのですが、たぶん、こうした、例えば肢体不自由養護学校というのはその大元は医療からきておりますので、リハビリテーションの仕分けである、あるいは病院の部門の仕分けである、というようなことではないかなあ、と思います。つまり、医療的な専門性から学校の種別が分かれてきているというようなことは推測できると思います。

しかしながら、障害を持った当事者は、例えばご高齢の方であれば視力が弱くて、耳が遠くて、ちょっと足が弱いとかという方はおりますので、さまざまなニーズを持っているわけなので、われわれ支援する側は、ニーズからものを見ていかなければならないと考えています。つまり、その方が視覚障害者であるとか、あるいは肢体不自由の車椅子に乗っている方であるとか、そのこと自体はすごく重要なことなのですが、それ以外にさまざまなニーズがあって、そのニーズから見るとまた違った支援の仕方がありますよ、ということを経験的にもいろいろ見てきました。

今事例を挙げてありますが、例えば脳血管障害で片麻痺があり、手の震えが少しあり、片方の手が使えない。それから高齢のための難聴がある。片方の耳がよく聴こえません。それから視力が弱くて小さな文字が読めないということがあります。こういうような場面に出会うことが多いのですが、このときにではどうするかというと、キー操作を順次操作に変える。つまり、同時に押すような操作を変える。これは肢体不自由者の仕様を取り入れるわけですね。それから、画面を拡大する必要があれば拡大する。これは視覚障害者への対応を取り入れる。それからスクリーンリーダーを場合によっては入れて、文字を読めるように、目を酷使しないようにするということであります。

それから、今、学習障害とかLDとかADHDとかアスペルガー症候群とか言われている障害で、文字が読めないという方がいらっしゃいます。これは知的な障害ではなくて、理由はよくわからないのですが、漢字だけが読めない、あるいは計算だけができないという方がいます。他のことはできますよ、でも漢字だけは読めないんですよという方がいらっしゃいます。

そういう方は、ではコンピュータがあっても漢字は読めないからあまりうまく使えないではないか、ということなのですが、視覚障害者用のスクリーンリーダーをそこに紹介すると、漢字を読んでくれるので大丈夫ですよ、という話がありました。これもスクリーンリーダーの本来の使い方ではないのですが、こういったような発想もあります。

それから、この方はアスペルガー症候群かな?キーボードを手で打って画面に文字を出すということがどうも理解できない。つまり、離れたところの操作というのがわからないという方がいます。この方は大学院も出た方なのですけれども、でもなぜかそうなっちゃっている。それで、いろいろ考えて、携帯電話は打つことができる。これは打つ場所と出てくるところが非常に近いので、なにをやっているのかよくわかる。だったらというので、ペンタッチで入力できるようなマシンをある企業から借りて、照会して使ってみてもらったところ、ストレスなくすらすら入れることができた、というようなことがありました。

こうしたように、複合したさまざまなニーズや新しいニーズがIT支援に生じてきているということが言えると思います。そのときに、ボランティア間の情報交換や情報蓄積が非常に有効であるというふうに考えています。視覚障害者のみの強力な支援を行ってきたようなグループが、今言ったような方たちへ情報を繋げていく。あるいは、そういう方たちから情報をもらうことによって相乗作用で新しい支援のパターンが生まれてくるというふうに思います。

また、今回、盲聾養護学校が、今度学校教育法が変わり特別支援学校というふうに名前が変わろうとしています。これはどういう意味かといいますと、学校の中だけで教育をするのではなくて、広く地域に支援を行う、それを本務として位置づけようということになってきております。またさらに、例えば肢体不自由の養護学校が近所にあって、そこの相談支援部というところに連絡をして、目について問い合わせても、それは自分たちの仕事ではないということではなくて、ネットワークでやって、盲学校や、あるいはそうしたことがわかるところに繋げる、という仕事をするということであります。ですから、IT支援の、地域のボランティアグループの方たちも、是非こうした新しく変貌しつつある特別支援学校、盲聾養護学校の相談支援機能を活用していただきたいと思います。そこには多くの機器もありますので、試して使う、借りるということもさせてくれると思いますし、そこへ行って相談するということも可能だと思います。

さまざまな支援、さまざまなソフトウェアや周辺機器によっていろいろな支援が行われてきているのですが、確かにパソコンはさまざまに変化ができる、しかしながらその変化をさせるためにはそれだけのパワーが必要で、限りなく必要になってきてしまう。そこで、ではあらかじめそういったものを組み込んでおいたらどうなのか、という発想があります。皆さんも扱われているような、マイクロソフトのWindowsにもコントロールパネルがある、アクセシビリティについてのコントロールができるようになっています。

今画面に紹介したものは、これは日本で作られたOSの超漢字といわれる、商品名は超漢字なのですが、BTRONというOSの中のユーザ環境設定の部分です。パネルが開いておりまして、画面の中にタブが5つありまして、個人属性、PD(ポインティングデバイス)属性、キー属性、表示属性、音属性というそれぞれのタブがついています。今、表示属性のところが開いておりますので、そこの下にタイトル文字のサイズを調整するところ、スクロールバーが付いています。それから、スクロールバーの幅を調整するもの、それからメニューの文字サイズを調整する、カーソルの点滅間隔を調整する、選択枠のちらつき、これはある文字や絵を囲ったときにその周りがちらちらするのですが、このちらつきを調整する。それから、メニューの反応時間を調整する、それからカーソルの太さ、これを大きくしたり小さくしたりする。ポインタの表示サイズを調整する、選択枠の太さを調整する、スクロール動作を調整する、こうしたものがあります。同様にキーの操作でもさまざまな調整ができるようになっています。また、ポインティングデバイスについても調整ができるようになっています。これらのものについてはWindowsの中にもありますので、ご覧いただくと、もちろん使っていらっしゃると思いますのでご存じだと思いますが、こうしたものがあるわけです。

それから、TigerというOSの中にもありまして、タイガーは音声読み上げの機能もあらかじめ組み込まれています。このマシンは、残念なことに日本語を喋ることはたぶんまだできないのではないかと思いますが、英語文化圏あるいはもしかしたら、西欧であればスクリーンリーダーを買わなくても喋ることができるという機能がついているわけです。

なぜBTRONを紹介したかといいますと、このBTRONの障害者の仕様というものは、ボランティアグループがたくさん入り、障害者や障害者関係者、私もそうですが、が入り、設計者の東大の坂村先生に提案していったものであるからです。設計段階でこうしたものが入り、きちんと仕様化されて今は商品化されているのでありますけれども、このことは、先ほど言ったような限りないマンパワーの必要性を削いでくれるものである。つまり、あらかじめ入っていることによってボランティアの負担を少なくし、より細かなところに力を注ぎ込むことができるということになると思います。IT支援のボランティアの活動としてこうした設計、これは企業ではないのですが、大学、研究者等の連携というものが一つあったということをここで認識していただきたいと思います。このことによって、一地域の支援ではなくて、こういうマシンに入ることによって、もうたくさんの人への支援につながっていくということができる、こういう事例として紹介いたしました。

それから、あらかじめ組み込んでおくということをすれば、実は障害者だけではなくてさまざまな人が利用できる。事例として書いたものは、例えば実際にITのサポートの会を開いてそこに高齢の方がいらっしゃって、キーボードを初めて触る。こういう方にとっては、パソコンのキーボードというのは非常にフェザータッチ、軽い力で動きますので、なかなか触り慣れていないと、怖いんですね。ここにいらっしゃる方はそんなことはないと思いますけど、初めて触る人にとっては、こんなに簡単に入力できてしまう機械というのは世の中にはありませんから、ちょっと怖いわけですね。それで、そのときにキーリピートやキーの反応の速さを調整すると、ストレスなく入力できるようになるということがあります。下に書いてありますが、キーリピートの解除とか有効時間の設定、こういったことが有効です。これが、一般には肢体不自由の障害者、上肢の震えのある方用に設定されているというふうに考えがちですが、実はそうではなくて、初めてキーボードに触る方にもたいへん優しい設定になっている。それから、もしかすると例えば、私も経験がありますが、バスの中でどうしてもコンピュータを打ちたい、パソコンを打ちたいというときに、こういう設定をしておけば、打つことが割合と簡単にできるということもあります。

画面には有効時間という言葉を使いましたが、これの説明が出ております。キーを押して、しばらく押し続けないとそのキーが入力されたことにならないという設定です。有効時間という言葉はBTRONの中で使った言葉ですが、たぶんTigerの中でも使われているのではないかと思いますし、こころWebにもこの言葉が入っておりますので、割合と標準的な言葉になったかなあと思います。

対になる言葉で無効時間という言葉がありまして、これはキーを押して、有効になった後でちょっとキーを離してまたふれてしまっても、しばらくの間はキーを入力したとは見なさないよという設定であります。

障害ということについて少しふれてみます。障害を持っている、障害を持っていないという仕分けになりますけれども、しかしそんなことはないよという発想もあります。障害とは、環境とその人とのミスマッチで起こるという発想があります。どのような人も、環境によっては障害者と同じ状態になる。一時的に障害者みたいなものですよ、という考え方です。例えば荷物を抱えている人は、片方の手が使えません。荷物を抱えてパソコンを打つということはないでしょうけれども、いろいろなATMとかキオスク端末とか、そういったものについてはこういった条件はあるわけです。それから、騒音の大きな工場では音声による情報は伝わりません。もちろん水中では音声はできません。これを調べているときに、水中手話という本があることを発見したのですが、ダイバーの方は必ずしも手話を使っているというわけではないのでしょうけれども、手話を使って対話をするダイバーのグループもたくさんあると聞いています。

先ほどもふれましたけれども、振動の激しい乗り物の中ではキーのミスタッチが生じるということがあります。これは肢体不自由の方、手の震えがあるということと同じ条件になるわけです。

コンピュータ、パソコンなどがさまざまな環境の中で使われるということを考えると、障害者を対象としたいろいろな措置というものが、こうした機器が安全に使えるような一つの基準になるというふうに考えることもできます。例えば、ガスファンヒーター、なにか電気ヒーターのようなものが家庭の中にあるとします。これが、設計者がスイッチの操作をフェザータッチでオンオフできるようにしたとします。そうすると、例えば猫が乗っかっちゃうとスイッチが入ってしまうということになるわけです。おそらく安全基準で、電源のオンオフというのはそんなに簡単にできるようにはなっていないと思いますけれども、それに準じたことが起こる可能性があるわけで、簡単に操作できないようにしておく、あるいは二点を触らなければできないようにしておくというような仕様が安全基準になるという場合があります。タッチパネルではなくて機械式のスイッチのほうが安全である。それは障害者にとっても、視覚障害者にとっても触りやすいということにつながっていくというわけです。

ここで言いたいのは逆のことであって、障害者のために作っておけば、そうした多様ないろいろな問題が避けられるようになる可能性が非常に強いということであります。

今までパソコンについてふれてきましたけれども、今はパソコンはもしかしたら若い人たちにとっては主流ではなくて、携帯電話のほうが皆さん持っていて、電子メールもそれでやることのほうが多いというふうに聞いています。これは身につけられるコンピュータ、ウェアラブルコンピュータと言われるものの一つなのですが、最近この携帯電話の中にも、音声読み上げができるようなもの、文字が大きなものが出てまいりました。それから、リアルタイムの動画の送受信ができる携帯電話ができています。こういうものを使って障害者のIT支援を行うという事例も上がってきています。

また、障害者の中には携帯電話の需要が非常に高いので、携帯電話会社と、どういう携帯電話にしてほしいのかという会があちこちで開かれています。これも先ほど言いましたように、障害者当事者、あるいは支援者のボランティア活動の重要な仕事ではないかなあと思っています。今までパソコンの操作ということに重点が置かれたかと思いますけれども、パソコンであれば、ある意味ではソフトウェアを後から入れればいろいろ変えられるのでありますけれども、携帯電話はそうはいかないというわけであって、いったんできた携帯電話に素人がソフトウェアを後から入れて障害者のために使いやすくするということはこれはほとんど不可能なわけなので、こうした、できる前にボランティアグループが提案をしていくということが重要な仕事になるのではないかと思います。

今、一つの事例を紹介いたします。長谷川貞夫さんという方がおりまして、これは全盲の方なのでありますが、この方がドコモのテレビ電話に非常に関心を持ちまして、それが出たときに購入しました。販売員が、なんで、あなたは視力障害なのにテレビ電話がいるんですかという顔をしたらしいですね。長谷川さんは、さらに2台買ったんです。なんでこともあろうに2台いるんですか、と販売員は思った、あるいは言ったらしいですね。実はどういうことかといいますと、今画面には写真が2枚出ております。片方は重度の肢体障害者で車椅子に乗っていて、携帯電話の画面を見ています。口で喋るという状態になっています。もう片方の右側の写真には長谷川貞夫さんが正面に映っておりまして、携帯電話で本を映しています。あるいは本の表紙ですかね、映しております。その本の表紙を、先ほどの車椅子の方が、この場合は部屋の中なのですが、実際は遠隔地で見ておりまして、それがなんであるかということを喋って、視覚障害者の長谷川さんに情報を伝えているというわけです。これはテレビ携帯電話を使った遠隔支援の様子です。重度の車椅子の障害者の方が、全盲の方が、手に持っている本の文字を読んでいるのを携帯電話で聞いているという状況です。長谷川貞夫さんはこれをテレサポートと命名しまして、広く紹介活動を続けております。NTTドコモもこのことを認知して、支援を行っております。今まで、企業との関係ということにはあまりふれませんでしたが、この場合、障害者、関係者のボランティア活動が企業との連携を満たしたという事例だと思います。これも重要な点だと考えています。

テレサポート、遠隔支援です。繰り返しになりますが、視覚障害者の目の代わりに、遠隔地にいる他の方がその画像を音声で伝えるということですね。このことは、考えてみれば、できるなというふうに考えるかと思いますけれども、実は、つい数年前なのですが、米国の視覚障害者支援の方にこの話をしたらたいへん驚いておりました。アメリカという国は、今はだんだん変わりつつありますけれど、携帯電話はそんなに日本ほど普及していないんですね。こういう高機能の携帯電話というのは、最近は入ってきたのでしょうけれど、その当時はまだなかった。ですから、リアルタイムの画像を携帯電話で遠隔地に送って支援をすくなどということは本当にびっくりしたようで、どういうイメージか最初はわからなくて、私がそのアメリカ人と電子メールでやりとりをしたら、それがぐるっと廻って日本の障害者団体に伝わって、なんかそんな話が日本であるらしいけれども、という問い合わせがきたくらい、ずいぶん驚いていました。

さらに、長谷川貞夫さんのことをお話しましたが、このお名前をGoogleで検索してみると、このテレサポートの活動が世界中で数か国語で紹介されています。ですから、日本から発信しているITサポートの新しいスタイルだというふうに思います。もちろん、このことはインフラができればどこの国でも可能になるわけです。

今日はここへ来る前に、今A4の紙を持っているのですが、長谷川貞夫氏の仕事と発想の源流という、長谷川先生を紹介したA4の紙が出てきまして、持ってきました。これは、長谷川さんがどんなことをやってきたかということを私がまとめたものなのですが、数年前のものだと思います。1900……書いてないですね。おもに点字と墨字の相互変換、点字ワープロを作成するといったようなことをまとめたものです。人数が多いのでちょっと回りきらないと思いますが、お回ししますのでご覧ください。視覚障害の方がいてたいへん失礼なのですが、そばの方はちょっと読んでさしあげていただけるとありがたいです。

そしてですね、大型コンピュータ、最初にパラメトロンの紹介をいたしました。これが、ごく最初、生まれた年に障害者支援を行ったという事例を示しました。

それから、先ほどウェアラブルコンピュータ、携帯電話を使った障害者の支援が行われているということも紹介しました。これが日本発で世界的に紹介されているということもお話ししました。

現在、ユビキタスコンピューテングということが言われております。これは、数ミリ角のコンピュータを環境じゅうに貼り付けて、そのことを使っていろいろな社会基盤を作ろうというような考え方です。一番わかりやすいのは、お札に入れてお札が偽造されないようにするとか、あるいは本に貼り付けて本の管理をするとか、そういったものもあります。それから物流に使用される場合もあります。

こういったことは既に半ば実用になっているのですが、このユビキタスコンピューテングの中心に坂村先生という方がいらっしゃいまして、先ほどのBTRONの開発者なのですが、この方が神戸において障害者の自立移動支援というプロジェクトを進めております。道路や商店などいたるところに数ミリ角のコンピュータを埋め込んで障害者の移動を支援するという、国土交通省の実証実験です。これは既に行われておりまして、昨年夏に大きな実証実験があり、それから、ご存じの方もいると思いますが、万博でも一部行われておりました。このことによってどういうことが可能になるかというと、ユビキタスコミュニケーターという、掌に乗るような、携帯電話のようなものでありますが、これによって街角で情報をいろいろ手に入れることができる。ここがなんのお店であり、なにが今売れているか、レストランであればなにが置いてあるかということを、目が見えなくても、あるいは手話で表示するという実験が行われております。街角の情報を、手話や文字や音声や、その人が使いやすいメディアによって入手することが可能であるというわけです。

あるいは、白杖の先にセンサーがついていて、点字ブロックの中に埋め込まれているチップによって視覚障害者の方が誘導を受けることができたり、それから、電動車椅子が点字ブロックの中のチップを頼りに目的地まで自動運転するということができるような実験が行われています。これは面白いのですが、通常は肢体不自由の方にとって点字ブロックというのは、「あんなボコボコしたものは」という方がいるのですが、ここでは肢体障害者にとっての利便の一つになりつつあるということが起こっているわけです。

ここで非常に重要なことは、国土交通省は全国の道路にこのチップを貼り付けることを考えているのですが、その最初に障害者の自立移動ということが入っているのであります。このことによって、障害者がもう使えるようになるということですけれども、障害者が使えるのならばすべての人が使える、子どもでも高齢者でも使えるというようなインフラが準備されるというわけであります。

開発の当初から障害者の問題が入っているということですね。大切なのは、障害者のことを坂村先生が考えているということは大事なのですが、障害者当事者が、先ほどの長谷川先生もそうなのですが、このプロジェクトの中心に入っていて、実証実験に参加し評価を加えているということですね。国土交通省の障害者自立移動支援プロジェクト、先ほど話しました、障害者から出発すれば誰にでも利用できるようになる、後から障害者の仕様を組み込むよりもコストがもちろん下がる。それから、先ほどもふれましたけれども携帯電話のようなコンピュータ、こういうユビキタスなコンピュータについては、後からプログラムすることは素人には実際できないということもある。あらかじめ組み込んでおかなければ、どんどんその不便さは広まってしまいますよということですね。こうしたことを提案する仕事が、パソコンボランティアにはあるだろうと思います。

障害者自立移動支援については、雑誌を持ってきたのですが、先月の末か今月の頭に発売されたトロンウェアという雑誌で、昨年の12月の初旬に行われたシンポジウムの紹介が出ておりますので、ちょっとこれも、たぶん回りきらないとは思いますが、回してください。

ユビキタス時代のバリアフリー、ユビキタスというのはもう最近はかなり使われているので説明の必要はないような言葉ですが、いたるところに偏在するといったような意味で、神はいたるところにいらっしゃるという、そういう言葉のラテン語を引き合いに出している言葉だそうです。坂村先生はあまり最初は好きではなくて、どこでもコンピュータという言葉を使いたかったんですね。ユビキタス研究所というものがこの近くにあるのですが、その研究所も、産学共同の研究所も、どこでもコンピュータ研究所にしたかったのだそうですが、ドラえもんみたいだからやめろと言われてダメになった、たいへん残念がっておりました。

いたるところにコンピュータが溢れる。そうすると、人間との関係、インターフェースを間違えるとこれはいたるところにバリアが生じてしまうということになります。こうしたインターフェースを提案していくという重要な仕事を、障害者のことがよくわかっている、あるいは障害者と技術者を繋げる力を持っているボランティアが行うということが重要なのではないかと思います。障害者とエンジニア、あるいはアカデミズムや行政を繋げていくという重要な役割があるというふうに考えています。実際、そのようなことが今一部で行われているわけです。

技術の進歩とバリアフリーという画面です。技術の進歩は必ずしも障害者の便利さにはつながらないですよ、と。これは当事者にとってはもう、そうだという話になると思います。例えば機械式のタイプライターは使えたけれども、パソコンになったら使えなくなっちゃったじゃないか、と。機械式のタイプライターはちょっと押してもガチャッと行かないけど、パソコンだとちょっと触るとだあっと行ってしまうから使いづらいということが起こった。それから、機械式の券売機は点字が貼ってあるし触ればわかるから使えるけど、タッチパネルになったら使えなくなっちゃったじゃないか、と。こんなこともあります。家電製品でも、タッチパネル式のものが増えてくるとこれはなんだか使えなくなってくるものが多いじゃないか、という話になるわけです。

画面では、券売機は肢体不自由者にも使いにくい、タッチパネルは使いにくいとありましたが、車椅子の方にとってもですね、車椅子を横付けすることがなかなか難しい設計になっていて、車椅子の方にとっても使いづらいということが生じています。

今、券売機の話にふれましたが、JR東という会社のタッチパネル式の券売機についてのいろいろな障害者の抗議が1995年にございました。これは、主には視覚障害者の方から、タッチパネルに変わったら使えないので、やめてもらいたいというようなことでした。JR東と障害者の方が何度も交渉されていて、新聞でも話題になっておりました。ご存じの方は多いと思います。私はそれを横で、盲学校にいたころから見ておりまして、これは具体的なインターフェースを提案すれば解決するのではないかというようなちょっと甘い考えを持って、今より少し若かったですから、いろいろ手を打って連絡をしたら、JRでは自分たちと会おうではないか、と。そのとき会ってくれたのは、営業ではなくてエンジニアの部門だったんですね。実際に機械を作る人たちが、障害者と、あるいはそれを繋ぐボランティアと会う機会が生じました。我々はいろいろなインターフェースを提案して、最終的にはある視覚障害の方が、テンキーを付けたらどうかという提案をしたんです。テンキーというのは、電話のボタンのようなもの。それと音声のフィードバックをつければ、電話のボタンを操作できない視覚障害者はおそらくいないだろうから、それがあれば、それでガイドをしてもらって、操作が可能になる。それから、タッチパネルの部分も、それまでよりは少し明度を変えてもらって、弱視の方でも見えやすくするという工夫もすることになりました。

これは、1年間やったものですけれども、途中でJR東がある、恵比寿かな、どこかの駅で実験を行いまして、1台だけ、ボタン式の券売機、他のものはタッチパネル式券売機で、ボタン式のところへ視覚障害者を誘導するための点字ブロックと、それからここがボタン式ですよということを言う音声の案内のスピーカーを付けたもの、そういったような実験をしました。

これにはたくさんの視覚障害者当事者の方が参加して、結果としては惨憺たるもので、雑踏の中でそんなことはできないと。音で誘導を受けることはできないので使えないということがわかりまして、そのことをJR東は受けて、方針を180度変えて、1台だけバリアフリーにするということではなくて、全てをバリアフリーにする、バリアフリーを優先するというような方針に変えました。

これは非常にいろいろな教訓を含んでいるのですが、一つは、障害者の方、あるいは関係者の方が営業を通して企業と交渉したのではなくて、ものを作っているところと直接話したということですね。ものを作っているところは、実はタッチパネルが使えないと言われただけではわからないのだけれども、障害者がこういうインターフェースならば使えるよということを障害者、関係者が提案したので具体的に動けたということはあります。第二番目には、実際に使ってみて、実際に実験してみて、使えるか使えないかということを試してみた。このことによって、JRがこうやればいいかなと思ったことがダメであるということがわかって、方針を変えたということですね。当事者による実験があったということです。

これも障害当事者、それからパソコン、コンピュータのボランティア活動、IT支援のボランティア活動がインターフェースを提案し、企業と橋渡しをし、企業の方針を転換したということです。これは、先ほどOSの中身を提案していったということで、一地域の問題ではなくなったと言いましたが、JRに関しては、今新しく券売機を替えるのは、このJR東のモデルをほとんどのところが採用しておりますので、全国でこのモデルが広まっています。これは、ハードウェアですので、たいへんコストがかかるようなインターフェースのチェンジですが、仕様が固まっていることによって広く普及しているということです。できたものをあとから変えるのではなくて、できる前に提案し、大きなインフラを作っていったということですね。

障害者とそれを支えるボランティアということで、JR東のことですが、障害者と企業との対話を阻むもの、拒むもの。これはなにを言いたいかというと、いろいろあるのですが、使えない、使えないということは障害者の方はおっしゃって、それはいいし、我々も言うのだけれども、それによって企業の側は文句を言われているだけというふうにとらえられてしまって、ひいてしまうということが起こることが非常に多いのですね。これは企業の側にも問題があるのだけれども、提案型のことをする、こうしたらいいのではないかということをする。それから営業が入らないで、直接作る人と交渉することが必要だと。この場合に、作る人の言葉と、障害者の言葉とを通訳するような仕事も必要になってくるわけですね。両方の専門分野について多少理解して、相互に対話を可能にするような、調整するような仕事。パソコンボランティアの仕事になると思いますが、そうしたことがあれば、対話は可能になるというわけですね。インターフェースを提案することが障害者とボランティアによって可能になった。

それから、先ほどもふれましたけれども、最後は当事者による実証実験が大事だったと。今神戸で行われている、ユビキタスチップによる自立移動支援につきましても、障害者当事者がその中心に入ってチェックをしているということですね。

画面は、テンキー付きのJR東のタッチパネル券売機が出ています。触ったことのない方もいると思いますので、ちょっとだけ紹介します。これはライブドアのホームページからとってきたものです。別に他意はないのですが。

コインの投入口の左側にテンキーがついています。これの、左下のボタンを押すとこの機能が起動しますので、「コインを投入してください」というようなことを言います。それで右下のものを押すと、エンターになるわけですね。携帯電話と同じですから、♯ボタン、左下がアスタリスクですかね、右下が♯ボタンかな。触ってみてください。音声でフィードバックが入ります。当初これは、もう少しいいテンキーを付けてもらいたかったのですが、ここはダメで、こんな一番チャチなものになってしまいましたけど。でも、有ることによってバリアフリーになったということですね。

おしまいのほうの話ですが、連携であります。ボランティア間の連携で多様なニーズに対して支援ができるようになる。それから、企業との連携をすることによってユニバーサルデザインを社会に普及させることが可能になる。それから、これからは学校をセンターとして活用してくださいよという話ですね。ここにもちろん落ちていますけれども、行政や研究者との連携も非常に有効であるということですね。

最後の画像で、戻りますが、ヘレン・ケラーとグラハム・ベルとサリバンの絵でありまして、現代のテレコミュニケーションの最初期にこうした障害者支援が行われているということを覚えておきたいと思います。

どうもありがとうございました。