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平成18年度
地域におけるインターネット・パソコンを利用した障害者情報支援に関する調査研究事業報告書

社会福祉法人 プロップ・ステーション

「理事長竹中ナミ氏に聞く」

この記事は2007年1月20日 神戸、プロップ・ステーションにて竹中ナミ氏にインタビューした内容をまとめたものです。

プロップ・ステーションがパソコンボランティア発祥の地と伺っていますが。

プロップ・ステーションは1991年5月の発足からITを活動の柱にしました。最初からそれだけのためにというとおかしいですが、それを目的にして生まれたようなものなのです。実は16年前というのは、パソコンは一般家庭にゼロ台でした。一般家庭にパソコンが全くないときに、コンピュータとか通信を使って、自宅や施設で介護を受けている人が「働いて稼ぎたい」と考え、タックスペイヤー(納税者)にまでというような運動が起きたということが、普通に考えたら有り得ないことですよね。だから私たちが活動を始めた時も、誰もその内容を言ってもわかってくれないし、「障害者に高いコンピュータを買わすんちゃうか」みたいな非難もいっぱいあり、活動そのものを理解していただくまでに何年もかかったというのも実は事実なのです。そもそも私がチャレンジドたちと活動を始めたきっかけというのが、自分の娘、今年の2月2日で34歳になったのですけれども、彼女が重度の脳障害のため全くの赤ちゃんタイプで、視覚も聴覚も精神も身体も全部が重症で、私のことはまだ母親とほとんど認識ができていないという状態なのですね。身体のほうは、最近少ししっかりしてきて、手を引いたら(短距離なら)歩けるという状態です。私は彼女を通じて、すごくたくさんのチャレンジドたちと出会いました。チャレンジドたちの多くは「この人だってこの世界で自分の娘を支えてくれる人になれるやん、この人もなれるやん、この人もなれるやん」、というように、いろいろなポテンシャルを持たれている方が多かったんですが、自分の娘のように本当に全面的に守って支えてもらわないといけないという人も、彼等のような人も、日本では同じように「障害者」と一括りに呼ばれて、かわいそうで気の毒な存在で、家族にそういう子がいると世間から蔑まれ、隠したり恥ずかしがったり悲しんだりしている。現実に私も自分の娘があまりに重症だったので、生後3か月で重度の脳障害だとわかったのですが、その時に私の父が、「おまえがこの子を育てるのは苦労するから連れて死んだる」とか言うたりした経験もあるのですよね。私はそれが不思議というか、「そんな日本ってなんや」、というのが自分の中の強い気持ちだったのです。同じ人間として生をうけて、それを障害があるのとないのとで「恥ずかしい」まで言われてしまうのってなんなのかしらと、めちゃくちゃ理不尽に感じました。チャレンジドたちと出会ってみて、彼らと一緒に活動してみて、やはり世の中のほうがヘン。世の中のほうが絶対変わるしかない。結局、世の中って、自分自身が変えなければ変わらないし、変えようと思うんやったら自分がなんとかするしかないわ、というのが私自身の確信になって行きました。

障害を持つ人自身がどう思っているかを知るために全国アンケートを?

障害を持っているチャレンジド自身はどう思ってるのかなあ、と考えた。障害があっても自分が社会の中で活躍したいと思っているのか、つまりお仕事したいと思っているのか、それとも、「自分たちは無理や」というふうに、家族や社会と同じように思っているのかというのを知りたいと思って、全国の重度・重症の人にアンケートをとったのですね。それはたった二つの質問でした。一つは、「あなたは大変重い障害があるが、働きたいと思ったことは?」 もう一つは、「働きたいと思うときに、武器はなんだと思いますか」というこの2点。本当に介護を受けて在宅や施設に居るというような人たちだから、もしかしたらお返事なんか全く来ないかも知れない、と思っていたのですが、私たちの手許にある重症の方ばかりの名簿から、1,300名くらいに送ったのですが、なんとそのうち200通くらい戻ってきまして、しかもその中の8割の人が「私も働きたい」、「これからの武器はコンピュータや」と答えていたんです。アンケートの中で、彼ら自身が、こうすれば自分たちはこうなれるという答えを実は出していたのですね。答えの中から課題も見えました。まず自分がコンピュータを使えば働けるのではないかと思うので、"勉強する場所がほしい"。友だちにベッドサイドで習っている人もいたのだけど、友だちに習っているだけでは身についた技術がプロとして通用するのかどうかわからないから、"ちゃんとプロから習って評価"をしてほしい。評価されるくらいになったら、"当然働きたい、仕事がほしい"。でも働きたいんやけど、自分は家から出るのがたいへんだから、職場へ行け、毎日通えと言われたらそれだけで潰れちゃう。だから"仕事のほうが来てほしい"、というこの4つの壁が明確に見えました。でも、コンピュータに期待している!
私は自分がコンピュータみたいな機械系のもんは嫌いやし、そんなもん触りたいと思わなかったけど、彼ら自身がそう言っているのだったら、「勉強をする場所を作って」「一流の人に教えてもらって評価できるようにして」「なおかつ仕事は、とれる人間がとってきて」「それでその仕事を在宅でする」この4つをクリアしたら、彼らの思っていることは実現できるのではないか。楽天的な性格の私は、明確に何かが見えたら即動けるタイプなので、この4つをクリアしたらええのかと思って、何人かの重度のチャレンジドたちの仲間でプロップというボランティアグループを作ったのが1991年5月だったわけです。だから最初から活動の柱に、コンピュータを使い、勉強する場所を設け、そこに一流のコンピュータ・エンジニアらにボランティアで来てもらい、仕事は在宅でできるようにすると、発足からゴールがキチンと見えていた珍しいグループとして発足しました。当時はまだNPOという言葉はなかったのですけれども、プロップはまさに「パソコンボランティアのはしり」ということになります。

ボランティアは一流のプロ?

これ私の持論なんですが、最重度の人が力を発揮するためには道具は最高のものでないとあかんし、教えてくれる人も一流の人やないとあきません。障害者の世界を見てみると、とにかく一流のプロと出会う機会はゼロなのですね。家族や介護ボランティアや福祉施設職員など温かい気持ちでお世話してくれるという人たちばっかりに囲まれて、その子の中に眠っている、あるいは眠っているかもわからない、仕事につながる可能性の部分を引き出したり磨いたり、実際に銭儲けにつなげるなんていうようなプロは回りに、はっきり言って一人もいないのが「障害者福祉の世界」やったのですよ。だとすると、やはり社会で彼らが働けるようにするためには、自分たちがそんな環境を作り上げていかないといけないし、福祉の世界にそういう人がいないのなら、そういう業界の人とつながりを持つということで、一流のエンジニアの人たちに声をかけたわけです。そうするとびっくりしたことに、自分たちも実はボランティア活動をしたかった。だけど世の中のボランティア活動は、車椅子を押しますとか、お食事やお風呂のお手伝いをしますとか、そういう介護系のことばっかりで、自分たちのような技術者が飛び込んで行けるような世界ではないと思った。だけどプロップステーションが技術でそのまんまボランティアをしてくださいというのは、もう僕たちにとって新しいものが生まれたということですごい嬉しい、と最初の説明会に30人くらい一流の企業の一流のデザイナーやエンジニアという人が集まってくださって、それでコンピュータのセミナーを発足することができました。

チャレンジドがパソコンを使ってボランティアに?

プロから技術を伝授され、スキルを磨いたチャレンジドたちが、在宅スタッフとしてパソコン通信を使って活動を進めていた時に、1995年1月17日の阪神淡路大震災が起きました。私の家は神戸市東灘区に有り、全焼しました。阪神間でプロップを始めたものですから、仲間が全員被災者という状態になったんですが、「私は生きている」、「僕は無事でした」というのを仲間が、電話線と電気が通じたらすぐにみんなそれを発信し始めたのですね。次には、誰それさんはどうしたというと、どこそこの避難所に入れた、大丈夫やったみたいというようなことを、またそれがわかって、どこで今日は水やお弁当をもらえるのとか、車椅子でも使わさせてくれるお風呂屋さんはないかみたいなことが、情報が飛び交いだして、みんなが避難した養護学校かどこかでおむつがなくなっちゃったというときに、それをチャレンジドが書き込んだらバトンリレーみたいにずうっとそのメールがつながっていって、東京の紙おむつの会社から千箱くらい届いた! ということもありました。  震災の年は後にボランティア元年と呼ばれて、日本中の方やあるいは世界の方が力を貸して、応援してくださったのですが、パソコンボランティアという言葉もあの時に初めて使われました。ですから実は、ベッドの上のチャレンジドがパソコンボランティア第1号なんですよね。パソコンのプロの技術者によるボランティア活動もプロップのセミナーが日本初の第1号やし、「パソコンボランティア」も第1号・・・道具も人の技術も最高水準のものを使うことで、そういう結果が生まれたわけです。

初めてといえば、プロップ・ステーションは日本で初めて障害者と言われる人から、セミナーの料金という「お金を取った」団体なのです。今でもそうですけど、障害者からお金を取るということは日本ではずうっと許されないことだったんですね。でも私は、自分で自分を磨こうとする時に、リスクを負わないでできるなんて嘘やと思うたんですよ。だから、一般の企業のセミナーみたいに高いお金ではないけど、僅かでも自分でリスクを背負って、元を取ろうというつもりで勉強にきてくださください、私たちスタッフも自腹切りながら活動を進めてるけど、参加する全員で出し合ったお金で活動を続けて行こう!って。でもね、やっぱり石は飛んできましたね。「おまえら障害者からカネとるんか」、というのがすごいありましたね。ですけど腹を括って有料セミナーやってきて、結局そうやってリスクを背負うこともした人たちが今皆さんプロになられたり、人に教えるくらいになられている。あるいは自分が堂々と「これできるよ」と言える状態になっている。だから結果からしたらそれは間違っていなかったなと思います。またプロップのキャッチフレーズは「チャレンジドを納税者にできる日本」というのですから、これまたさんざん批判されました。このキャッチフレーズは、J.F.ケネディが大統領になった時~1962年ですが~最初に議会に提出した教書の中で、「私は全ての障害者を納税者にしたい」、というふうに書いたのを知り、自分の目からウロコが落ちたことから生まれたんです。なんでケネディはこんなことを言ったんかなぁ?と思ってバックボーンを調べたら、ケネディ家というのは親族にかなり障害者が居て、なおかつ自分の一番可愛がっている妹のローズマリーさんも知的ハンディを持たれていた。それでケネディは、政治家である前に一人のアメリカ国民として、アメリカで障害を持って生まれた時に人がどれだけ貶められるかというのを、いやというほど感じていた。そして「障害があるから人は働けない、ましてやタックスペイヤーにはなれなくて当たり前」という考え方そのものが差別やと気付いたわけです。そして、アメリカという国は、「国家として"彼らをタックスペイヤーにする"という意志を持たんとアカン」、ということを、1962年の教書に書いたんですね。翌年彼はダラスで暗殺されてしまいましたけれど、その考え方はアメリカの制度の中にずうっと生きてきて、ADA法やリハビリテーション法が生まれてきました。「差別がない」というのは、どのような状態か。それは「人が生まれ、生活し、学び、働き、能力に応じたステータスを得、タックスペイヤーになって行く、そのためのチャンスが平等に与えられることだ」とアメリカは定義したわけです。ですからアメリカではチャレンジドの自立運動も、「チャレンジドはタックスペイヤーになる権利を持っている」という言葉をスローガンとして掲げてきました。日本ではとても考えられないスローガンですし、税金なんか払いたくないと誰もが軽口で言うけれど、社会の基盤が税金で整備されている以上、私は日本のチャレンジドも「誇りあるタックスペイヤーになるための運動」「それを実現できる道筋を皆で造る運動」を展開したいと思いました。そんな想いから、プロップのある意味「過激な」キャッチフレーズが生まれたわけです。
プロップが提唱している「チャレンジド」という言葉も、15~6年前にアメリカの人たち自身が「ハンディキャプト」や「ディセイブルパースン」のように「マイナスや不可能な部分だけに着目した呼び方ではないものを生み出そう」ということで誕生した呼称で「挑戦という使命や課題を与えられた人。挑戦するチャンスや資格を与えられた人」などを意味する造語です。プロップはこの言葉に「意識の180度の転換」という大きな意義を感じ、「ネガティブな意味を持つ"障害者"ではなく"チャレンジドであろう!"」という想いを込めて使っています。

ところで私はいつも「私は、つなぎのメリケン粉」って言っているのですけれど、障害があろうがなかろうが、地位があろうがなかろうが、その人の中にある「人の役に立ちたい」とか、「喜んでもらえることをしてみたい」という気持ち、そういう気持ちをつないでいくというのが私の役割かなっと思ってます。つなぐことに関しては、実は私は娘のおかげで天才的になれたんですよ、ははは。普通そんなSOSが出せるかぁというようなSOSでも平気で出しちゃったり、現実にだって私、自分の娘を育てながらやってきたことは、この子を一人で自分が抱えたら潰れる。絶対いろんな人にSOSを出しながら育てるという形でやってきましたから、その時に、人をつなぐ。親としてこの子のことは最終責任は自分にあるけれど、自分だけではあまり非力なのでみんなの力を借りて、それをコーディネートするのが母ちゃんの役割、それ以外にないなと。自分の力の限界はもういやというほどわかった。私は「つなぎのメリケン粉になろう!」ってやってきて、それがそのまま今の活動になっています。そして、そういう仕事をさせてもらっているというのはすごくラッキーなことやと思わずにいられません。だって普通は誰でも、自分のやりたくない仕事もやらなアカンのが人生じゃないですか。その中にいて私は本当に自分の好きなこと、自分に向いてることばっかりやって、つまりいろんな人をつなぐ仕事だけをやらせて貰ってる。すごくありがたいことだと思っています。

パソコンボランティアに求められる資質は?

チャレンジドが在宅で働く時になにが必要ですか?とよく聞かれるんですが、その時必ず言うことは「人柄とスキル」です。そして重要なのはスキルよりむしろ人柄。同じスキルでどちらを選びますかと聞かれたら、当然人柄のいいほう。
プロップは多くのボランティアに助けられてここまできましたが、ボランティアも人間なのだから、当然好き嫌いがあって、なおかつボランティアに来るきっかけはさまざまです。ですから活動をスムーズに進めるためにはコーディネイタが必要です。これはまさに「つなぎのメリケン粉」。要は、その人がいかにプロップで力を発揮してもらえるかを考え実行する。コーディネイタである私の役割はそれに尽きるんですけど、コーディネートって実に自分が磨かれる仕事やなぁと毎日感じます。修羅場というか、試練というか、勉強になることばっかり!
ボランティアさんというのは、給料をあげてお仕事をしてもらうわけではないから、クビにするとか命令するとか、普通は絶対にできない。ですけど、どこかで一線をひかないといけない時があるんです。ボランティア同士で、この組織は私でなければ、僕でなければみたいな、何か権力争いみたいになった時にはもう終わりです。プロップ・ステーションの活動の中で自分が役立つならばしますということで来られた方が、自分がこれをしたいから、ここを使ってやらせてくださいと言い出して、それがプロップのミッションと違うときは、これはきっぱりとやっぱり辞めていただかねばならない。だから、本当にお金を払って人を使うより、ボランティアという方々に気持ちよく自分の力を発揮してもらうというのはめっちゃ難しいことだと思います。ですから、どこの組織であれ、やはりそういったコーディネートの力量が問われるのではないかと思います。
最近では、うちのパソコンボランティアには高齢の方もいまして、昔大型コンピュータでずうっと技術を磨いて磨き上げて、しかも社会人としてもそれなりのものを身につけられてきた60代、70代の方々が、うちのボランティアのけっこうメインでいらっしゃるんです。そういう方は社会経験、人生経験、仕事経験を持っていらっしゃいますから、普段のセミナーではボランティアとしてサポートして戴き、企業や行政から仕事の発注を請けたときには、在宅ワーカーの人たちにお仕事を振り分けたり、その人のお仕事をチェックしたり、あるいはその人の体調を気遣ったり、社会的なことを教えていただいたりということを「お仕事として」(ペイをお支払いして)やっていただきます。
 何年も何年もお手伝いをしてくださって、何年も何年も付き合うから、お互いに腹を割って話もできるし、その人の人柄もわかるし、その人に安心して信頼して任せられる。
だから、単に、私はパソコンができてボランティアしますってぽんと行って、そこでお互いにとっていい仕事ができるかっていうと、それは無理やと思います。だから、パソコンボランティアという組織がいくらできても、やはり年月と、それからそういったお付き合いの深さみたいなものが必要だと私は思います。

行政との連携はいかがですか。

行政は重要ですよね。日本の福祉って、全部税金でなされているわけですから、特に障害者は。そして障害者手帳の級数や、年金の給付を決めることから、雇用率の数字を決めることなどなど、全部国が専権事項としてやってます。地方自治体はそれを受けて仕事をしてるわけです。ということで、プロップは発足時から、国と交渉しながら活動を進めて来ました。プロップの目標は「重度の障害者が自分の住んでいる地域で、コンピュータや通信を使って働き、なおかつタックスペイヤーになる」というものですが、私たちが活動を始めた時ときというのはまだ12省庁再編前でした。そうすると、重度の障害者、これは厚生省の所轄する話です。パソコンやソフトと言えば、これは通産省。通信と言うと郵政省で、働くというと労働省で、税金は大蔵省で、地域でと言うたら自治省です。つまり、プロップの掲げる文字にすると僅か1、2行のこの目標を達成するためには、殆ど全ての省庁が、「この人たちも働けるようにしよう!」「この人たちも社会の中で活躍してもらおう!」と思って政策転換しないとアカンわけですよ。
ということで、最初からとにかく国の役所を走り回りました。「日本の国の役所で誰に会ったらええやろ?」っていろいろな人に相談したら、全員が当時厚生省の障害者雇用対策課長をしていた坂本由紀子さんという女性に会うべきですと言うので、坂本由紀子さんに手紙を出しました。絶対返事来ないだろうなと思いながら、そうしたら即返事が来たんですよ。是非お会いいたしましょうというので、霞が関というところに初めて足を入れて、彼女とお会いして、一所懸命話をして・・・すると「私はあなたの言うことはとってもわかるし、きっとそういう時代は来ると思うけど、あなたは今の時代の2歩も3歩も先にいる。だけど私はそういう時代が来るべきだと思う。とはいえ今の段階私のできる応援は、後ろから頑張りなさいよと言うことです。」と。でも彼女のご紹介で、色んな関係セクションや省の方にお会いすることが出来、率直な意見を言わせて戴く機会を得ました。
由紀子さんの何代か後になって村木厚子さんという女性が課長になられて、由紀子さん、厚子さん、ナミねぇの女3人すごく仲良くなって、ぶっちゃけ話とかもできるようになりました。彼女たちが口を揃えて言われたのは、霞が関という男社会で子どもを育てながら女性が活躍していくということの壁はね、障害者が働くということの壁と全く同じで、これは女性問題と一緒で「日本システム」の問題なんだ。だからナミさんの話が私はすごくよくわかるって二人が言ってくださって、そういう意味で、女性の力というのはプロップの大きなバックアップ・パワーでした。
でもその頃、市民運動や障害者運動をしている者と行政の関係というのは、対立的な交渉相手ですね。相手は敵ですから怒鳴り合いの喧嘩になる時も多い。口汚い罵り合いもある。要するにドアをどんどんと叩いて、叩き破って「なんぼか取ってきますわぁ!」。でも私自身はそういうやり方にかなり懐疑的でした。「罵り合いからホンマの理解って生まれるんやろか?」。だから私は外からドアを叩いた時に、中からこっそり鍵を開けてくれる仲間、プロップの考え方への理解者をあっちにも作ろう、全ての省庁に作るんや。全ての省庁に生まれた理解者がそこでのキーパーソンになって、一緒に制度を変えて行けたらえぇな、と思いました。
ところでプロップは活動をはじめて8年目に社会福祉法人の認可を得ましたが、施設も措置(当時)も持たない、コンピュータネットワークである意味バーチャルに支え合ってる異端の組織なので、「第二種社会福祉法人」という位置づけになり、運営そのものに対する補助金は全くありません。活動はいつも刃物の上の綱渡りみたいに大変やけど、でも自分たちが補助金なしでやってきたというのは、無いからこそやれたとも言えるんです。つまり、補助金にはルールが付いて来るでしょ。社会のルールを変えようと思っている人間にとってそのルールは邪魔なわけですから、補助金が無いというのは逆説的な意味でいうとラッキーなんです。そうやって毎日危機感を抱いて活動してきたプロップからみると、行政予算が厳しくなる時というのはチャンスなんですね。主権者たる国民が、自分たちでアイディアを出し合えるという意味で。つまり今の社会状況は「日本人全員がチャレンジド」なんですね。今、挑戦する使命と資格を持っているという状態だと思うんです。何かがあったらしますというのではなくて、無いからしますという、知恵出します、汗出します、それからつながります、いろんな力と、いろんな能力を持ってる人とつながってやります。これから本腰を入れれば、絶対やれる。今までできなかったやり方がこれからできるというふうに、私は確信をしています。

じゃぁプロップと行政のお付き合いの仕方はどんな風か、身近なことで言いますと、プロップは日本の近畿の関西の兵庫県の神戸市の東灘区というところに本部を置いています。一番身近な役所は東灘区役所。私たちは自前のお金が、特の活動の広報に使えるお金が殆どありません。ですから、マスコミとかいろいろな雑誌とかで活動を紹介してもらったり、たとえばボランティア募集にしても来週からこんなセミナーが始まりますよ、にしても、自前のホームページでも発信する以外は、そういう媒体にお願いしてきました。その時、一番市民がしっかり読むのが、東灘区民便りなんですね。次が、神戸市市政便りです。一般新聞よりも克明に読んで、何か今新しいイベントがないかとか、何か新しい補助事業が始まっていないかとか、何か自分が聞きにいきたい講座が始まっていないかとかいうのを、読まれるんです。いまだにやっぱり市民にとっては役所が一番信頼できますから、役所の便りというのは皆さんすごく安心感を持ってお読みになるんですね。そこでプロップ・ステーションは、必ず区民だよりにも市政だよりにも、何か月前までの締切に原稿を出しなさいと言われたらきちんと出して、そのお便りの担当者とうちの事務担当者が綿密にやりとりして、必ず載せていただいて、その時にお問い合わせ先は区民だよりの窓口と、プロップ・ステーションのどちらに問い合わせをしてもいいという記事を掲載して戴きます。市だったら市の福祉課に問いあわせてもいいし、プロップ・ステーションに問いあわせてもいいという形で、両方の電話番号とか載せていただくんですね。そうすると、相談に来られる方も、問い合わせる方も、すごい安心感がある。今私も神戸市のいくつかの委員会でお手伝いをさせていただいていて、市の新しいビジョンを作る時というのは必ず発言もさせていただいていますけれど、そういうふうに、役所から見てもプロップ・ステーションの活動があることによって、市民に情報が伝えられる。区役所、市役所、身近な役所があることによって、自分たちのやっていることを信頼性をもって地元の人に伝えることができる。あるいは自治会活動もありますよね。プロップの所在地には六甲アイランドという島の自治会活動があるんです。2年前にプロップ主宰の国際会議を六甲アイランドのホールでしたんですが、地域の自治会で活動している方のトップには全員お会いして、ここでやるから応援してくださいとお願いしました。地域あっての活動ですもんね。でもその地域にあるさまざまな問題の根っこはやっぱりほとんど国の制度だなと、様々な局面で感じます。だから、「私の問題で私が悩んでいます」と言う人には、「あなたの問題というのは案外、あなたのような人全ての状態の人の問題で、それはもっと大きく言うと日本のシステムの問題という場合が多いよ」と、私はよく言うんですね。

リハビリテーション関係の方々との連携は?

実は私、神戸学院大学に新たに開設された「社会リハビリテーション学科」の客員教授をしています。リハビリテーションというのが、単に障害をどうするこうするというのを超えて、その人が全面的に社会の中にどういうふうに参画をして、その人なりに活躍できるかということに変わってきたということなんだろうと思うんです。私の娘が1歳から早期訓練ということで訓練所に通っていて、PTさんとかOTさんとか言語療法士さんとか、そういう方々に囲まれてずっときましたけど、昔はとにかく障害というのはマイナスのもので、マイナスのものをちょっとでも正常と言われる状態に戻さないといけないという感じのリハビリだったんですよね。ですけれど今は、マイナスのところがあってもその人が輝くことができるという意味のリハビリになりつつあって、私としては、リハビリの方向性がそういう風になってきたことを嬉しく思っています。ですから、リハビリテーションの専門家の方々とお会いしたときにいつもお話するのは、皆さんそれぞれ、新しい知識を技術として吸収しつつ、やはり全人的に相手のことを見て欲しい。単に足だけ見ているとか手だけ見ているとか、言葉だけ、発話だけを見るのじゃなく、ね。 リハビリテーションの先生たちには、この人たちをどうやって社会に出して、その人の力を充分に拡大して世の中に発揮してもらうかというのを、やはりリハビリテーションの大きな着眼点にしていただきたいです。みんながそこまで行けるかどうかはわからないけれど、少なくともそこを着眼点にしてリハビリという仕事に取り組んでいただきたい。そのためにはやはり、日本の中だけでなくて、世界の情報を集めていただけたら嬉しいなと思うというか、お願いです。そういう意識や見識を持つ人たちと連携していきたいと思います。

プロップ・ステーションの場合は、身体に障害があってサポートが必要という人がパソコンセミナーの受講申込みをされた場合、必ず自分が最も信頼できるサポーターと一緒に来てくださいとお願いしています。そしてサポータも一緒にお勉強していただいていいです、というシステムをとっています。プロップでは介護協力はしていません。あなたがもし本当に社会に出て仕事をしたいと思うなら、あなたが自分に必要なサポートを提供してくれる人を自分で探すということがその一歩だと思ってるからです。サポータの居ない人には、サポート組織を紹介します。介助者を派遣するお仕事とか今すごい増えていますし、あるいは手話の通訳のグループとか、そういうところとはネットワークがありますから、ご紹介はするけど、「プロップで勉強したいから一緒に行ってください」とそこに依頼するのはあなたの仕事だ、というのがうちのやり方です。
 なおかつ、いろいろな機器も必要ではないですか、入力装置でも。それはあなたが家で自分のキーボードにつないでいる入力装置を、つまり自分に必要なアタッチメントは自分の使い勝手の良いものを持ってきてくださいとお願いしています。
支援機器情報については、「こころウェブ」をご紹介して、必要なものを一緒に見たり、ということが一つあります。「こころウェブ」はすごく喜ばれますね。こういうホームページがあるということすら知らない方がいっぱいいらっしゃって、そこを見て自分で選んだ中で、最後にこれかな、これかなみたいなご相談があるというようなことが多いですね。なぜうちがアドバイスができるかというと、講師が全部チャレンジドだからです。私は足だけで勉強してきて今先生をしてますとか、私は指先しか動かない状態で勉強して今講師をしていますとか、私は手話通訳者を連れてきて勉強してこういうふうになりました、教える時も手話を使いますとか、そういう人が先生になって、彼ら自身の中に、経験の蓄積、どんなソフトを使いどんな勉強のしかたをし、どこでつまずいてどこで苦労をしたかというものが全部あるんですよね。プロップのセミナーにこられる方にとって一番大きなポイントはそこですね。自分に技術を伝授してくれる人自身が、そこに至るまでにすごいいろんな経験を、身体的な経験、心理的な経験、家族との軋轢もいろいろなものを経験して来られているということですね。その分野においては、私はぜんぜん太刀打ちできません。

ゴールはトータルなライフワークのサポートですか。

できたら就労までいきたいけど、そこまでは無理でもインターネットは使えるようになり、とか自分のホームページを作りたい。それがどんなにささやかな目標でも、できた時にはすごく嬉しいですから、その次のステップに行かれる時の意気込みが違いますね。
ライフサイクルの全てに、これからはITがますます役立っていくものだから、それを自分で身につけておくのは、それは絶対得じゃん、ということですよね。パソコンのプロにはなれなくても、使い方はしっかり身に付ける、これが重要。たとえば、真ん丸を描くために人間はコンパスを使うじゃなですか。でも思い出してみると、あのコンパスで上手に丸を描けるようになるまでに、けっこうやっぱり難しかったんですよ。私は手先がどんくさいからよけいなんですけど、だから要するに道具って使えて初めて結果が出せるというものですよね。だから、丸を描きたいと頭でいくら思っても、本当の丸というのはコンパスがないと書けない。特に脳性麻痺なんかの手が震えちゃう人にとっては、直線とか真ん丸を描くなんて至難の業というか、まあ無理な話ですよね。だけど、パソコンだったらA点とB点とをポイントして、あとはクリックしたらどんな太い線でも細い線でも1cmの線でも1kmの線でも、丸やったら中心指定して2cmとか数字を入れたら半径2cmの丸が描けるわけでしょう? これがどんなにすごいことかということですよね。だから、傍から見たらささやかな、真ん丸とか線を引くとかあるいは漢字が書けるとかね、でもそれが指先だけでできたり、瞬きだけでできたり、あるいは知的なハンディがあって読めなくても打てたり計算できたり、本当にパソコンは凄い道具だと思います。プロップのチャレンジドたちは「ITは自分たちにとって、人類が火を発見したほどの道具」と言うてます。つまりこれによって初めて人間に、社会的な存在になれた、って。

最後に、パソコンボランティアの人にメッセージをお願いします。

私たちは、パソコンを使ってボランティアをするチャレンジドのことをパソコンボランティアと呼んでいますが、その時に一般的にイメージされるのは「健常者が障害者にボランティアする」という場面かと思います。でもプロップではチャレンジド自身がパソコンの講師をし、ボランティアもします。こういう関係が広がって欲しいなぁ、というのがメッセージの一つですが、もう一つ技術的な面で言うと「3のことを教えるには10の力が要る」ということですね。つまり、きっちり相手に教えてあげて、そのひとが覚えられるような教え方をしようと思うと、その人には相手に教える量の3倍の技術が要るということです。だから、パソコンボランティアを目指される方が相手に何かを伝授してあげようと思っているのであれば、その技術は相手の3倍要るということを絶対肝に銘じていただかないと、ボランティア活動の意味が薄いですね。だから、まず教える相手の人がどのくらいのことを求めていらっしゃるのか。それの3倍の技術を本当に自分は持っているかということをよく自分が見つめなおして、なおかつ持っていなければその技術を磨いてからボランティアを始めるということが重要だと思います。
それと、ボランティア活動そのものに関して言うと、どうしても教える、教えられるという関係性、つまり上下関係ができてしまうわけですね。プロップ・ステーションでラッキーだったのは、超一流のエンジニアのボランティアの人たちが、ここへ来て初めて自分の技術が役立つ、社会に役立つということが自覚できたとか、あるいは初めてこういう重度の障害者の人たちに会って、自分と違うこういう世界があるということを知ったとか、自分が毎日平然と駆け上っている駅の階段がどんなに大きな障壁になっているかということに気付いたということを、いっぱい言ってくださったんですよね。ここに来ることが自分たちにとってプラスになったということを言ってくださった。私はボランティ活動というのは本来そういうものだと思ってるんです。一方的にかたっぽが何かを与えてかたっぽが何かを受けるという形になりがちなんですけど、技術は伝授するけどかわりにこの人から何か吸収したろう!と思う、そんな時に一番長続きするし、お互いにとってもいい関係だと思うので、やはりそうなれるようなボランティア活動を目指す。最終的には技術ではなく人が絶対問われますから、自分はどんな人間でどんなことが苦手で、性格はこんな性格で、だからこの人にこういう部分は伝わってほしいけど、こんなとこは伝わってほしくないな、こんなところでは迷惑かけんようにしようとか、常に自省しながら活動して欲しい。ただ、その場所にボランティアをコーディネートする人がいるのであれば、「関係性」というのはコーディネイタの責任の部分が非常に大きいですね。ボランティアさんにどういう人のところに行っていただくか、どういう人と接していただくかというのはコーディネイタの一番重要な仕事ですから、ボランティアをする人と同時に、コーディネートをする人に対しても改めて「厳しい仕事ですよ」というのをお伝えしたいと思います。

ボランタリーな気持ちでサポートしてくれる人というのは地域に絶対必要ですから、できるかぎりその狭くて小っちゃい区域にも居て欲しいんですが、どうしても東京にボランティアさんが集中して、「僕パソコンボランティアというのに所属したんだけど、僕の地域で教えてという人も見つからへんし、活動自身がないんです、せっかくボランティア登録したのに」という声をたくさん聞きました。ですから、そういう全国組織的に今なっているのであれば、やはり津々浦々にいらっしゃるボランタリーな活動をしようという志を持っている人たちにきちんと情報を流してあげて、あなたの近くにこういう人がいますよ、というようなことを両方に伝えてあげれるような役割もやはり果たしていってほしいなと思います。そういうネットワークがきちんとできて、逆に初めてボランティア活動というのはすごくしやすくなるんじゃないでしょうか。
ボランティアは自分の意志による自発性というのが一番大きなものですけど、対象となる相手がいる以上、絶対無責任にはなれない。そこで重要なのは、つまるところボランティアさんの人柄なんですね。無責任でもしゃあないと思う人なのか、ボランティアだけど、ボランティアだからこそ逆に無責任になれないと思うのかというところで、やはりボランティアの質というのは決まってしまうと思う。だからボランティアって簡単にできそうで、滅茶奥の深い仕事。「ちょいボランティア」みたいな、ちょっとやるみたいなことも、そういう人もいい。だけどそういう人ばかりではボランティアの世界ってなんなの? というようなことになっちゃうからね、自分はどちらのボランティアか?自分はちょいボランティアなのかそうでないのかを自覚しておく必要がある。ちょいボラも必要ですよ。ちょっと力を貸してよ、というのは。それを寄せ集めることが、地域を変えることにもつながりますから。
 それから、本来きちっとビジネスとして成立しないといけないことまでもがボランティアでやられていることが福祉の世界ではすごく多い。それは私はよくないと思っています。これだけのことができるのであれば、それは当然ちゃんとお金をとってやるべきよ、と思うところも、今までボランティアでやってきたし、とか思って無理して続けて、結局疲れて潰れちゃったというような事例をいっぱい聞くんです。しかも非常に専門技術も要って、そこまで磨き上げるのに時間もお金も投資されてやってこられた方がね、でも社会的評価はすごい低いというようなことで辞めていかれたなんていうことは、専門性のいるボランティア活動ではいっぱい見てきましたよね。だからどこかでそれは、きちんと収入になるシステムにしないといけない。でもまずは、本当のいいボランティア活動をする人が増えてくれへんかったら、やっぱり地域なんか絶対よくならないですものね。

<インタビューを終えて>

私たちは、障害者の方々へのIT支援という視点でお話を伺ったが、プロップ・ステーションは実に一般家庭にパソコンがまだ普及していなかった16年も前からITを障害者の方々の武器と認識し、活動の柱にしていたことは驚きに値する。今回の我々の調査・研究の目的は必ずしも就労に結びつけるためのIT支援ではなかったが、プロップ・ステーションはITを活用した就労支援が非常にうまくいっている事例であることがわかった。竹中氏のお話の中には、「ITはチャレンジドにとって、人類が火を発見したほどの道具」、「ボランティアに求められる資質はスキルより人柄」、「活動をスムーズに行うためのコーディネート力」等々、障害のある方々への支援を考える際の多くのヒントが込められていたように思う。

社会福祉法人 プロップ・ステーション
兵庫県神戸市東灘区向洋6-9
神戸ファションマート6E-13
TEL:078-845-2263
  FAX:078-845-2918
http://www.prop.or.jp/
prop@prop.or.jp

竹中ナミ氏(プロップステーションにて)    IT講習風景
竹中ナミ氏(プロップ・ステーションにて)        IT講習風景