音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

平成18年度
地域におけるインターネット・パソコンを利用した障害者情報支援に関する調査研究事業報告書

2006年10月、大塚誠一氏を訪ねてお話を伺った。
大塚氏は平成8年10月、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発病。平成10年より都立神経病院リハビリテーション科の作業療法士、看護師の助言と協力を得て、パソコンを使うようになる。ボランティアがインターネットの接続等を支援。
平成11年、寝たきりになる。現在は「伝の心」を利用し、あごを動かすことによりセンサーが感知して入力を行っている。大塚さんはパソコンを使って小説を書いたり、メールのやりとりを楽しんでいる。パソコンを使う前は生きる希望がなかったという大塚さんだが、現在はライフワークとして執筆活動にいそしんでいる。今回この事業の報告書作成のために、「パソコンと私」というテーマで執筆をお願いした。

「パソコンと私 」

大塚 誠一

私は瞼が閉じにくくなった。文字盤では長い会話は難しいのでパソコンが活躍することなる。私共寝たきりの難病患者にとって「伝の心」は心強いものである。しかし、最近は目力(いわゆる眼力とは違う。)がなくなって長い時間パソコンを行うのは難しいです。以前は10時間位は出来たけど、今は3時間位が限度だ。パソコンは正午過ぎからやり始め、終わったら瞼を閉じている。好きなテレビ番組もあるがテレビは見ずに聴いている。それに私共寝たきりの難病患者にとって「伝の心」は大変便利だが、いかせん遅い。都立神経病院の某看護婦さんに「陽が暮れてしまう。」と皮肉られた。しかし、めげずに亀のようにゆっくりパソコンを行うしかなかった。又、メールも楽しいものです。私からメールを送信された人には迷惑をおかけしているのではないかとおもっています。「ちっ、大塚のじっちゃんからメールが来たよ。返信するのめんどうくさいなぁ。」 私共にとってメールは外部との大事な通信手段です。私はホームページができません。それが出来れば幅も広がるとおもいます。ホームページは簡単だと聞いています。

最近初めて都立神経病院以外の私立の神経内科病院に入院しました。徹底した合理化、分業化にはびっくりしました。経官栄養を配る人、水分を配る人、吸引をする人、水切りをする人、その他等に分かれています。三週間程入院させて頂きましたが体を悪くして一度だけ風呂に入れてもらいました。風呂はストレッチャーの上で頭や体を洗った後「大塚さん、湯船に入ろう。」といわれ温まれるという期待感があった。トンネルみたいなところに入れられ上から、いくつかシャワーが出てきて一丁上がり。「自動車の洗車じゃあるまいし。」私はおもった。 歯磨きもカテキン効果といって布かペーパータオルをぺットボトルのお茶に浸し、口内を拭くだけ。持ち込み禁止。持ち込んでいいものは電池式ラジオとそれに付随するヘッドホーンと電池式髭剃り。いずれの電池式も持っていないので買った。おむつも持ち込み禁止。病院から買う。市町村から無償で供与を受けている者にとってはもったいない事だなぁ。国公立と違って私立は自ら稼がなくなければならない。  狭いべっどが食堂であり、居間であり、トイレでもあります。しかも他人にやってもらわなければならない。痒いところがあっても自らは掻けない。介護者に社交辞令をついつい口にしまうのはやもえないか? それも自分自身が生きていくのが精一杯なので今はやっていない。私の場合ベッドを離れるのは風呂に入るか、入退院の時です。  難病患者本人とその家族が希望すれば何時までも入院できる公立の病院か施設を造って欲しい。それ等の建物はコスト(坪単価)が高い。そこに勤務する医師や看護師やリハビリや事務、その他の人々も必要になってくる。お金のかかることです。財源として新しく福祉目的税を設ける。購買力がなくなって景気が悪くなるという人もいるだろう。しかし、北欧のいくつかの国々は消費税は25%を超えている。それ等の国が景気が悪いわけではない。でも選挙のことを考えるとどの政党も公約しないだろう。

私は自分が寝たきりの難病患者であるという事を忘れている時期があった。楽しかった。しかし、それは一年位しか続かなかった。その事はメルヘンの世界の話になってしまった。 万が一、この病気(ALS)が直ったら私が住んでいる仙川の街を散策してみたい。随分変わったらしい。入退院の時、車から垣間見る事はできる。次が渋谷。私が若者だから!? 私が元気な時は、まだ森ビルが六本木再開発地域として工事を行っていた現・六本木ヒルズも行ってみたい。私の好きな景色はレンボーブリッジから見下ろす景観です。初めて見た時はここはアメリカかとおもった。西新宿の高層ビル街も自動車で走ってみたい。 高等学校(旧府立第三高等女学校:なんでこんな事を書くのかって?)の国語の授業で教科書に夏木立という字が目にはいった。先生が「夏木立から何を連想する?」とおっしゃられたので私は大きな木を連想した。この夏木立が似合う大きな敷地を持つ家に住みたいとおもった。どれもこれも夢また夢。他の人は狭いベッドの上で何を考えているのだろう。私はとんでもないことを考えている。もし、私が地球上の絶対的な独裁者ならこんな事を行うという事を書いてみたい。読者の皆様は今暫くの我慢を。

まず、日本語以外を禁止する。英語で大分悩んだから。次に民族をなくす。人々を混血にする。抵抗もあるだろう。アラブとイスラエルは何千年争っているのだろう。青年同士の結婚となると舌を噛み切る若者もいるだろう。それでも私は民族を無くしたい。それと国境。人々は誰も好きなところに住める。その代わり、全ての人に背番号制をひく。大和民族も混血である。日本人の祖先の多くは北方からやって来た。バイカル湖辺りの人々が獲物のマンモスを求めて東へ東へと進んだ。当時ユーラシヤ大陸と樺太(サハリン)と北海道は地続きであった。氷河期に津軽海峡は凍り人々は本州に上陸した。一方、南からは今のインドネシアやフィリピンも大陸と地続きであったが島々に分かれた。人々は人が乗れるように丸太を削り(今のカヤックみたいなもの)、黒潮に乗って日本に着いた。明らかに南方系の人と解る人が入る。祖先が南方から来た人だろう。朝鮮半島や中国大陸からやって来た人もいた。

次に暦も変える。以前は2月が年度末(今でも韓国はそうだ。)だった。年度始めの3月を大の月(31日)として4月を小の月(30日)とし、後は大の月と小の月を順番に並べていき、年度末の2月は調整して29日になった。のちにとんでもない大王(名前は忘れた。)が出てきて「俺様の生まれた8月が小の月なんて気に食わん!大の月にしろ。」というわけで8月が31日になり年度末の2月は28日になった。その結果一ヶ月で3日も違うという現象がおきた。私は大の月と小の月を適当に並べ年度末の2月も30日とする。御存知ように一年は地球の一公転だが、4年毎に閏年を設けて2月を29日として調整している。100年か400年か忘れたが閏年であっても1日増やさず2月を28日として再調整している。余談だが月は一回の公転で一回自転している。したがって、私等地球人はいつも、月の同じ面を見ていることになるので常に、兎が餅をついている絵をみていることになる。旧暦(太陰暦)では1,2,3月が春で4,5,6月が夏で7,8,9月が秋、10,11,12月が冬である事は御存知の通りです。中秋の名月とは旧暦、秋の真ん中8月15日です。いわゆる十五夜です。これは暦上の真ん中であって必ずしも満月とは限らない。が、満月には近い。ちなみに十三夜は旧暦9月13日であることは御存知の通りです。偉そうな事を書きましたが、私は「方丈記」と「平家物語」をゴチャにする位なのです。 次に数字の位取りを変える。日本語以外禁止なのだから日本語のゴロにあわせる。例えば、174,693,852,317,638今はこう書く。これを174,6938,5231,7638と書くようにする。これなら、頭から174兆6938億5231万7638と読める。何々、コンピュウターがあらゆる部門に入り込んでいる現在、難しいことだって? なにしろ、私は絶対的独裁者なのだ。というより私のたわごと。  それから学制を改革する。6.3制はどうも気に食わない。学識経験者等の答申を待つが、私の出す条件は現在の中学二年生から高校二年生までの四年間を一つの学校とし、名称は小学校次第だが、中等学校か高等学校になる。女性徒のみの学校は中等女学校か高等女学校とする。大学院を現在の四年制と二年制を一つにして三年制として卒業生には修士号を与える。それ以外は小学校を何年制にするか何歳で入学しようが、又、大学を何年制にするかは又、短期大学をどうするかはどうでもよい。新しい寸法をつくる。

私共、寝たきりの人間は誰でもそうであるように誰かの助けが必要だ。私のパソコンは主に家内との二人三脚。毎回セットしてもらう。又、センサーが度々離れる。その度に直してもらう。「パソコンと私」を書くにあたり、文章が二回消えた。一回目が3,000字が消えた。二回目は2,500字が消えた。三回目からはフロッピーを入れるようにした。したがって三回目は突貫工事よろしく急いだ。元来、作文は苦手です。その上、時間がある程度過ぎると字がかすみ、感で打っていた。 少子化、温暖化が問題になっている。温暖化については北極、南極の氷が豪快に溶け、海面があがり白熊、アザラシ、オットセイ、セイウチ、トドやペンギン等の生活がおびやさかれている。都市においては自動車の排気ガス、商業ビル、住居からエアコンの熱風の排出、コンクリートジャングルでヒートアイランド現象を起こしている。アメリカのアル・ゴア氏が来日して温暖化について熱心に講演を行ったが、歴史にたらればはないがもし、彼が勝っていたらと考えてしまう。大接戦で最後に票が開くフロリダまでもちこされ、やはり接戦のすえジョージ・ブッシュ氏が勝った。しかし、日米関係を考えると民主党より共和党政権時代の方が日本とはうまくいっている。少子化については皆さんがおもっているように、若い夫婦が赤ちゃんを生める環境を整える事が必要だ。具体的には多くの保育所を造る。女性でも夜遅く子供を迎えに行かなければならない人もいるだろう。夜遅くまで営業している保育所が必要になってくる。ここでも財源は福祉目的税。保険の問題がなければ、私は日本の人口は2,000万位が良いとおもっている。日本は山又、山の山国で平野部が少ない。森林面積の国土面積に対する割合はカナダより多い。人口密度が高く、大都市に集中している。森の中に都市があるというのがいいなぁ。小鳥のさえずりで目が覚め、雨戸を開けると花の匂いが鼻を擽る。以前はカラスが制空権を握り、電線の上に一列横隊なんてことは毎日だった。今はカラスの鳴かない日もある。都でカラスを駆除しているのだろう。最近は小鳥のさえずりも戻って来た。

「パソコンと私」から随分話が離れてしまった。話を戻そう。今年(2,007年)の9月で寝たきり8年になる。体は自由にならず、頭ばかり回転している。新聞や本を読まないので知識はふくらまず、逃げていくばかりで理屈を言うようになった。ホームページが出来るといいなぁ。パソコンの立ち上げに毎日協力してくれ、二人三脚で頑張ってくれた大プライマリーには感謝しています。パソコンがなかったら、私は毎日ウジウジしてかもしれない。パソコン万歳! 伝の心万歳!      完