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障害者対策に関する新長期計画推進国際セミナー

総括質疑(大阪会場)

八代

 これから、時間があと30分近くございますので、会場の皆さんからシンポジストの皆 さんに、率直なご意見を投げ掛けていただいて、一つ一つ、糸口を見付けるコーナーに したいと思っております。どうぞ。

高田

 本日のこの集い、大変有益でした。アメリカのジュディ講師のお言葉の中に、ADA 法の成立、その前から今日までのお話がありました。そこで、私はジュディ講師に1つ 質問をいたします。

 いわゆる連邦政府の、障害者に対する予算は何万ドルか、それは、いわゆる国防費を 含めた全アメリカの予算の、何パーセントに該当するかであります。

 それから、いわゆる障害者の認定方法、判定方法、登録方法はどうなのか。最後には 名前の公表。プライバシーの問題もあると思いますが、どのようにされておりますか、ア メリカの実態をお聞かせ願いたいということであります。

 それからADA法につきまして、デンマーク、スウェーデン、アメリカ、コーディネー ターの八代先生から、コメントをいただきたいと思います。一言で結構です。

 最後にもう1つ。私は松葉杖でございますが、これからこういった会合をするときに は、我々車椅子、松葉杖使用者のために、椅子と椅子の間や出入口をもう少し広げてい ただきたい。それから、要約筆記。その字はもう少し上のほうへ上げていただきたい。そ うするとみんなが読めます。そういう細かい配慮もあれば、「ああ、やっぱり僕らの会合 だな」ということになりますので、ご理解をいただきたいと思います。

八代

 いま、ご注文も含めてたくさんありましたが、まず、アメリカの障害者予算は、全体 の何パーセントぐらいに計上されるかということ、それから、障害者の認定、日本には いろいろな認定のシステムがあるんですが、アメリカにはそういうシステムがあるのか ないのか。まず、その2点を伺いましょう。

ジュディ・ヒューマン

 予算全体の中で、障害者施策の予算が何パーセントであるかということは、ちょっと 分かりませんが、2,200億ドル以上を、障害者関係に使っています。そのうちのかなりの 部分は、社会保障制度の給付ということです。それから、医療関係、医療保険(メディ ケード)、またこの額のうちほんの小さな部分なんですが、教育のために使い、そのほか リハビリテーションや住宅関係に使っているということです。

 教育省で私が担当する特殊教育とリハサービスの部門では、50億ドルを教育関連とリ ハビリテーションのために使っています。100億ドルもしくは200億ドルぐらいが、教育 やリハビリテーション全体に、各官庁から集められて使われているわけです。

 障害者に対しての予算は、大体は州政府、地方自治体政府レベルで、実際は使われて いるわけです。特殊教育のための費用の7%は、連邦政府から出ています。州政府レベ ルにおいては、350億ドルが、特殊教育のために計上されています。ですから、全米で見 ますと、連邦政府の予算以上に、州政府、また、地方自治体でいろいろとお金が出てい るということで、具体的にお答えすることはできません。

 次は障害者の認定の問題ですが、日本のような認定のプロセス、例えば出生のときと か、もしくは障害者になったときに認定されるというような制度は、アメリカにはあり ません。そもそも「認定」などという言葉は使いません。「資格がある(qualified)」という 言葉を使うのです。障害をもつ人として資格を持つというのは、特定のサービスに対し て資格を持つ、他のサービスに対しては資格を持たない、というような感じです。例え ば教育、これは504条ですけれども、朝申し上げた504条によれば、連邦政府から お金をもらっている所、すなわち連邦政府関係の官庁は、差別をしてはいけないことに なっています。どの公立学校も、当然連邦政府からお金を受けているわけですから、ア メリカのすべての公立学校は、障害をもつ人に対して、差別をしてはいけないことにな るわけです。この法律によりますと、身体的もしくは精神的な障害がある、そして、そ れによって日常生活の活動の、1つもしくはそれ以上に障害がある場合、これが「資格 がある」という条件の1つになります。

 ですからいまご質問なさった方、もし杖を使われるということであるならば、「障害を もつ人」として、「有資格」ということになります。身体的な障害があって、そのことに よって何かの活動に障害がある、例えば、階段を上がるのが大変とか、この障害のため に何か不便があるということならば、有資格ということであります。504条によりま すと、「障害をもつ人」になるわけです。

 しかし、必ずしもそれをもって、IDEA、すなわち、障害者教育法の適用対象にな るわけではありません。この教育法の「資格」を持つためには、その障害によって、学 習するために特別の援助が必要だということでなければなりません。例えば、学校がす ぐそばにあって、歩いて学校に行けるのであれば、特別の援助は何も必要となりません。 ですから、このIDEAの適用対象にはならないわけです。複雑なように聞こえますけ れども、社会保障制度の場合ですと、仕事をしているならば、仕事をしていない場合と 比べて、社会保障制度の適用の仕方が違います。ですから、有資格かそうでないかとい うことで、いろいろな違いがあるわけで、アメリカの場合は、例えば1級、2級、3級 の障害があるから、こうこうというやり方ではないのです。アメリカでは、人を認定す るとか、人を登録するというような、そういったやり方を嫌っています。それが悪いと いうわけではないんですが、アメリカは違うやり方なんです。

八代

 日本では1級から6級まで、障害者手帳というものがありますね。アメリカの人口は、 日本の人口の約2倍。アメリカには、障害をもつアメリカ国民が4,900万人いるというこ とで、つまり20%ということになるわけです。日本では、いま、370万人から380万人と 言われていますから、日本の障害者はかなり抑制された数値の中で、決められていると いう部分がないわけではありませんね。世界の一般論は、人口の10%が障害者であると いう捉え方をしています。この辺について、スウェーデンとデンマークの状況はどうで しょうか。障害者に対してそうした、「認定」という言葉は大変失礼だと思いますが、「登 録」でしょうか、どう言うんでしょうか、そういう形のシステムは、スウェーデン、デ ンマークにはありますか。

ベンクト・リンドクビスト

 スウェーデンには、一般的にそのような証明システムというのはありません。私たち の考え方は、アメリカと非常によく似ていると言えます。すなわち、私たちは人々のニー ズを、実際のサービスと関連付けることを行っております。ですから、人々が、そのサー ビスを受ける資格があるかどうかということで、それは障害の程度によって決まってく るわけです。したがいまして、その証明とか認定というのはありません。私は唯一、こ のような方法でしか、フェアなやり方はできないと思います。統計の問題など、難しい 問題もありますが、しかし、このサービスを受ける資格がある人たちは、それらのサー ビスに対して登録されていて、これだけの数だという把握の仕方は、基本的に間違って いると思います。

 ADAについてどう思っているか、というご質問がありました。私は、このような法 律は必要だと思います。これは、商業的な目的によって提供される事業が、アクセスで きるようなものでなければならない、と命ずることができます。すべての国で、このよ うな法律が必要であると言えます。ADAというのは、正しい形態であるかもしれませ ん。その他の法律との関連にもよりますし、いくつかの要因があるかと思いますが、民 間企業において、このような法律は必要であります。

 スウェーデンには、PASに関する法律はありますけれども、私たちは、この問題に ついていろいろな討論の最中にあります。スウェーデンの形態ということでいろいろな 討論をしております。アメリカではもうすでにこれが達成されている、ということが言 えるかと思います。

ビヤタ・メリング

 デンマークでは、障害をもつ人が医師の所に行って、障害程度について診断を受けま す。病院で書類に署名をし、さらに主治医が署名すると、障害についての証明になりま す。地方自治体に年金受給を申請し、自治体はそれに基づいて年金等を支給するのです。

千葉

 日本では、例えば障害者手帳などをお持ちかと思いますが、彼女はそういうものをもっ ておりません。ある障害をもっているとすると、お医者さんの証明を持って、地方自治 体のケースワーカーの所へ行きます。そしてそれが認められるという形です。それは認 定というような難しいことではなくて、要するに障害者年金をもらえるか、もらえない かという決定に関わるわけです。特に手帳のような、この人は障害者だと証明するよう なものは持っていません。

ジュディ・ヒューマン

 私も一言だけよろしいですか。

 先ほどバリアフリーの話が出ましたが、日本では物理的なバリア(障壁)を取り除く ことが、最初の段階として行われている感があります。北欧などでは、やはり精神的な 面でのバリアが先になくなっています。それに伴って、物理的なものもなくなっていく のです。日本の場合は、物理的なものを、先に取り除こうとしている感じがします。

八代

 ADAについてのご感想はというご質問がありましたが、ビヤタさんいかがでしょう か。

ビヤタ・メリング

 デンマークには社会福祉法というのがありまして、私たちがどのような種類の教育を、 受けることができるのかということは、その中に盛り込んであります。

八代

 それではその次のご質問をどうぞ。

質問者

 今の話題とはちょっと離れますが、「市町村障害者計画」の取り組みについて、コー ディネーターの八代さんにちょっとお尋ねします。

 先に県身連を通じまして、各市町村長に対するこの取り組みについての面接アンケー トの依頼が、各団体長のほうにまいりました。それについて、各市長にお会いしてお話 を聞く時点で、1つ問題点が出たわけです。

 ご存じのように、平成5年度に作成されました老人保健福祉計画には、基本となる3 本柱がありました。それは策定義務と、策定最終期日の指定、及び策定に関する財源の 裏付けの3点でございますが、このたびの障害者計画の策定に当たりましては、その3 本柱がすべてありません。いわゆる、これは義務でなく、努力義務と申しますか、努力 しなさいというような、隘昧な言葉になっているとともに、策定期日も定かではありま せん。裏付けになる予算もありません。そのような状態ですと、ちょっと前途が危ぶま れるのではないでしょうか。昨年12月に国から発表された障害者プランには、数値目表 が盛り込まれて、大変画期的なものと期待しているのですが、先に述べたような状態で は、ちょっと難しいのではないかと危惧するところでございます。

 もう1つは、私は淡路島の出身でございます。このたび、大震災で大きな打撃を受け た地方行政では、財源にも、人的にも大きな負担となって、取り組む姿勢が見えません。 リハビリテーション、ノーマライゼーションの理念を踏まえて、八代さんをはじめ日身 連、また、本日主催された方々のご努力によって、その3本柱の枠組みができるように、 ご努力願いたいとともに、我々障害者の末端の団体が、いかに取り組んでいくか、指針 を示していただいたら有難いと思います。

八代

 ありがとうございました。努力義務についてのご指摘で、老人福祉の計画では義務規 定になっているということですね。障害者基本法でも、国は障害者基本計画を発表しな ければならず、中央障害者協議会が、国の行動計画を策定し、閣議決定をするという、拘 束力があるんですが、地方自治体の場合にはそれがありません。「努めなければならない」 です。しかし、その努力義務から、本当に作らせることが、私たち障害者の運動として の責任ではないでしょうか。ただすべて、法のとおりに動いて行動するのでは、いつま で経っても私たちの前途には、進展はないと思います。したがってむしろ、もし地方障 害者協議会がないとしたら、その協義会を作らせる。3本柱の計画がないとしたら、そ の計画を作らせる。3本が5本でも6本でも構いません。そういうものこそが、障害者 のパワーではないかと思うのです。ただ、全国一律に、あそこがやってくれる、国がやっ てくれるというものではなくて、これからは、この障害者プランも、7カ年という1つ の数値目表を出しましたから、7カ年という中でバリアフリー、心のバリアフリーも含 めたもの、全部を勝ち取るための運動をどうするか。まさにこれは、障害者運動の責任 にかかってくると思うのです。

 ですから、我々がプランを考え、我々が監督をし、我々が次への要求を出していく。今 年度は、いわば厚生行政が中心的な数値目表ですけれども、来年は建設省に、再来年は 運輸省に。運輸省には、例えばアクセス法案のようなものを作らせる。というぐらいの 障害者のパワーが、今こそ必要ではないでしょうか。そういう意味では、みんながこれ から頑張るときだと思います。7カ年の数値目表、これを重要に考えてもらいたいので す。2002年までには、この計画は100%やらせるぞという意気込みを、是非、我々は持ち たいと思っております。

 では次の方、お願いいたします。

アラサキ

 大阪の肢体不自由児施設でソーシャルワーカーをしているアラサキと言います。お伺 いしていまして、当事者の主体性の確立とか、自己決定の原則という、当然であり、ま た、我々が初心に帰らなければならないことを、ご提示いただきまして、本当にありが とうございました。

 その中でジュディさんやベンクト・リンドクビストさんがおっしゃられたように、基 礎教育の中での、「ともに育つ」という部分が、障害者プランの中で、ほかの点に比べ、 ちょっと弱いかなと思っています。それで質問なんです。いまの日本では、障害をもっ ている人たちも「ともに学ぶ」という形を、ボランティアの啓発運動などの中でプログ ラムとしてやっているのが、現状だと思うのです。当事者の主体性が確立された皆さん 方の国の、障害をもっている方々の自己決定という問題は、まだ発展途上の我々が行っ ているボランティア活動や、その育成の問題とは、少し違うかもしれませんが、ボラン ティア活動の現状を、当事者の主体的な決定という問題も含めて、教えていただければ と思います。

八代

 ボランティア活動について、いかがですか。自己決定というのは当然のこととして、い かがでしょうか。特に、教育の問題も触れられましたが。

千葉

 デンマークでは、ボランティアとしての介護職とか、そういうものは存在しません。も ちろん、障害をもつ人が学校へ行くときのアシスタントには、プロ、要するに、給料を もらっている者が付きます。ボランティアが存在するのは、せいぜい特養などへ行くと きの話し相手とか、そのような形で、労働を要する介護職などにはボランティアは存在 しません。

ビヤタ・メリング

 ボランティアというものの考え方が、違うと思うんです。私たちはボランティアを使 います。例えば、自立センターの中にもボランティアが入っていまして、例えば理事会 の中にボランティアが務めている。NGOでありますから、ボランティアに対してはお 金は支払いません。こういったボランティアの方々は、例えば資金集め活動をしてくだ さったり、そういうことはするんです。ただ、学校での活動に関して言うならば、普通、 その助手、アシスタントの方にもお金を支払っています。例えば、学校にボランティア がやって来ることもあります。しかし、これは別に障害をもつ子供のために来るのでは なくて、学校のためにボランティアをしているわけで、親御さんやボランティアはその 教室で、そこにいる子供たち全員のために、ボランティア活動をしてくださって、例え ば、遠足に付いて行く等をしてくださるわけです。

 例えば、継続的な作業に対するボランティア、これはあまり行われていません。例え ば、高齢者のボランティアの場合には、そういうものがあるかもしれません。短期的な ボランティアの仕事や、高齢者に対してはあるかもしれませんが、例えばPASと言わ れるパーソナル・アシスタント・サービス、これは有給で仕事をしていただいておりま す。そのほうが信頼性も高いですから、ボランティアにお願いするということはありま せん。

ベンクト・リンドクビスト

 私たちスウェーデンのシステムも、デンマークと似ております。ボランティアが通常 の社会サービスの中に入ってくることは、ほとんどありません。それについては、有給 で仕事をしていらっしゃる、正規雇用の方がやっております。障害をもつ人に対するサー ビスのほかに、もちろん、障害をもつ人自身が実施している事業もあり、その周りで支 援をする人はおります。その人たちは、例えば会議を開く等、実際的なことを担当しま すが、その組織が、そのボランティアに頼るということはありません。もちろんボラン ティアが参加することはありますが、組織全体が、障害をもつ人の組織が、ボランティ アに依存するということはありません。

 スウェーデンの政党でも、社会制度におけるボランティアの役割は、という論議があ りました。ボランティアをすれば、税金を下げようとか。そうすればもっと社会サービ スを、ボランティアに任せられるんじゃないかという議論が、あったこともあります。で も実際に障害をもつ人たちのほうから、それに対して反対の声がありました。

ジュディ・ヒューマン

 アメリカでも保守党のほうで、人々のニーズに応えるために、もっと宗教団体を使っ たらどうか、宗教団体にボランティアしてもらったらどうか、という意見がありました。 でも、ボランティア団体のほうからも、それには反対の声があがっています。いろいろ な作業が増えてきて、それをボランティアだけではやっていけない、というわけです。

 ボランティアの問題について、この人たちは熱心だけれども、信頼性に不安があると 考えている人もいます。重要な仕事であれば、やはりお金を支払うべきだ、という議論 です。その仕事に関心を持っていて、その仕事をする資格があるのであれば、やはりお 金を払うべきだと。そして、そういう資格を持たない人は、使うべきではないという声 があります。

八代

 日本でも、実は今国会で、ボランティア法なるものが出て来るんです。気を付けない といけません。日本には、プロのボランティアなんていう人がいましてね。「私はプロの ボランティアです」なんて、随分勘違いしているところもあったりしますので、まだそ の意味では、ボランティアというものが、本当には分かってないところもありますね。介 護システムという法律と、このボランティア法をドッキングさせて、なるべく、ボラン ティアに高齢者の介護、障害者の介護を、押し付けてしまってというようなところも、な いわけではありませんから、この辺はじっくりと、この法律を作る、作らないはまだ分 かりませんけれども、私たちは、よく勉強することも必要だと思います。

松尾

 2つだけ、簡単にお答えいただいて結構なんですが、ジュディ・ヒューマン先生にお 伺いします。

 ADAが施行されてから、連邦政府は350件ほどの訴訟で解決している。これでもっ て、バリアフリーができたということですが、この訴訟をするというのは、個人がされ るのか、それとも、団体が主体となってやっておられるのかという点が1点。それから、 先生が最後に「世界の障害者の夢実現のため、完全参加と平等ということで、全力を傾 ける」というお話で、大変心強く思ったわけですけれども、その中で、「日本とアメリカ とのプラスが必要だ」というお話を伺いました。私ども日本の障害者は、今後どういう 方面に力を入れれば良いか、お教えいただければ大変有難いと思います。

ジュディ・ヒューマン

 実は700ぐらい訴訟があるんです。でも数は問題ではありません。この訴訟は、個人が やるのか、組織がやるのかというご質問だと思うんですが、典型的には、こういった訴 訟を起こしているのは個人なんです。もちろん、組織が訴訟を起こしても構いません。言 葉を換えるなら、XYZ団体という組織が、例えばある企業に対して、新しい建物を建 てたけれども、障害をもつ人が使用できないではないか、という訴訟も起こせるわけで す。しかし大半の訴訟は個人が起こしております。

 2番目はアメリカと日本が、これからどういった努力をしていくのか、一緒にどのよ うに進めていくのか、そして、その中で新しい社会を、どうやって構築していくのかと いう質問がありました。

 これについては朝の講演の中でも少しお話ししたように、もっと効果的に、一緒に仕 事をしていけるところがあるのではないかと思っています。その中でも、教育は重要な 要素だと思うのです。アメリカではやはり日本に目を向けています。例えば、教育とい う幅広い観点では、日本に目を向けています。日本は子供たちの教育という面では、ア メリカより進んでいるところもたくさんあると思っていますので、私たちはその成果を 非常に尊敬しております。特に小学校、中学校での日本の教育には、かなり良いものが あると思うのです。と同時に、前にも申し上げたかもしれませんが、情報を共有するこ とが大事だと思うのです。そして、教師の訓練、教師の指導ということも考えていく必 要があります。例えば、障害をもつ子供と障害をもたない子供が、ひとつの教室に集まっ た場合、そこでどういうふうに指導するのがいちばん良いのか。教育の統合を進めるた めにはどうすれば良いのか。リーダーシップも含めて、教師の訓練、教師に対する指導 を、していかなければならないだろうと思うのです。そのためにはやはり、アメリカと 日本の間で情報を共有する必要があると思います。

 障害をもつ子供たちや、障害をもつ人たちが、平等に扱われる社会を構築するのは、必 ずしも自分たちの責任だと思っていない人もいるわけですから、そういったところで、日 本政府とアメリカ政府、そしてまた、日本人とアメリカ人の間で、いろいろと情報を共 有して、教育の分野で何をやっているか、どういうことをやっていけるのか、もっとお 互いに調査をしていったほうがいいと思うのです。

 ADAという法律がありますが、こういう法律を日本に適用するには、どのように手 を加えれば良いかということも、これから先、話し合っていけるでありましょう。

 自立生活運動についてもそうだと思います。日本の自立センターと、アメリカの自立 センターの間で話をしていけば、単にセンターが生まれるだけではなくて、日本での運 動、例えばバスとか電車の利用の問題にも随分と向上、改善が見られるのではないかと 思います。

 また、日本とアメリカの、障害をもつ子供の親の間でも、協力を進め交流を深めれば、 もっと効果的に、多くのことが学べるのではないかと思っています。

八代

 最後の質問になります。どうぞ。

質問者

 2つ質問があります。1つは、先ほどから何度も出ております障害者プランで、実は 私たち、注目をしている表現があります。それは「障害者の相談、あるいは生活支援、情 報提供などに対する事業を行う」という部分です。読みようによれば、自立生活センター に対する、公的助成なのかなという感じはするんですが、そこで質問なんです。日本で はJIL、ジルという組織に50数団体以上の、自立生活センターグループが属していま す。しかしながら、今までどうしても日本の福祉システムの場合、法人枠を持っていな ければ、助成を受けられない制限がありました。是非、この自立生活センターが実際に やっているような活動に対する助成にも適用していただきたい、というふうに思うわけ です。スウェーデンやアメリカなどではそういう団体、日本でいう社会福祉法人を持っ ていない、いわゆる任意団体と言うんですが、そういういわば草の根のグループが、ど ういうふうにして、例えば自立生活センターの制度を勝ち取ってきたのか、是非お聞か せください。

八代

 アメリカにある自立センターのようなものに、財政的援助が国から、あるいは地方公 共団体からあるかどうか、NGOでもあるかどうかということですね。

質問者

 2点目の質問は、今回のノーマライゼーションプランは、どう見ても、各省庁の文章 の寄集めという観は、あるかなあという感じがするんです。特に先ほどから話の出てい ました教育については、例えば、心のバリアを取り除くためにということで、障害児と 健常児を分けた上で、交流教育をするんだというような、ブラックジョークとしては理 解できるんですが、どうも違うんじゃないかなと思うわけです。その点、基準規則との 関係で、先ほどベンクト・リンドクビストさんから午前中、「調整という機能が非常に重 要なんだ」というお話がありました。例えば、ノーマライゼーションという考え方でい くんだというときに、他の省庁が、例えば今回は文部行政ですが、全然違う方向の文章 を出してきた、そのときの調整の機能というのは、諸外国ではどうされているのか、是 非お聞きしたいと思います。以上です。

八代

 最初の質問をジュディさん、2つ目の質問を、リンドクビストさんにお願いしましょ う。

ベンクト・リンドクビスト

 政府としては一本化した障害者施策が必要であります。すなわち、政府が考えをまと めて、どの方向に行きたいかということを、決めなくてはなりません。その決定をする 際には、インテグレーションか別個にするか、これをどう考えるかという考え方を、はっ きりと出さなければいけません。統合にするか、別々にするか、実際の措置は、分野に よって違うでしょう。ある分野では統合がさらに進んで、他の分野では、そうでないと いうこともあるでしょう。しかし全体的には、調整が必要です。すなわち政府が、調整 の努力を払うことが必要です。

 けれども、教育というのは、障害者施策全体の進展のために、1つの鍵となる極めて 重要な分野であります。と同時に、これが政府の全体的な施策の一環となるべきであり ます。私は、日本政府の方針としても、やはりインテグレーション、統合の方向に進む べきだと思っております。ヒューマンさんがおっしゃったとおりです。この統合という 方向こそが、いま私たちが取れる唯一の方法で、日本でもそういった考えを採択するな らば、早ければ早いほどいいいでしょう。そして政府が、ノーマライゼーションの道を 取るということであれば、やはり教育は、分けたやり方ではなくて、統合ということに なると思います。そうでないと矛盾になると思います。

 スウェーデンの場合ですと、障害をもつ人の団体は、市町村レベルにおいても、いろ いろな助成金を受けます。町村レベルにおいても助成金を受けるわけですが、特定のサー ビスに対して助成金を受けるわけではありません。受けるときもありますが。助成金を 受けるのはなぜかと言いますと、社会は障害をもつ人の声を聞きたいからです。すなわ ち、一般の人たちも、状況がどうなのか知りたい、また、どういうことを言って行くべ きかを知りたい、社会における意思決定において、障害をもつ人の声を聞きたいという ことであります。

 自立生活運動は、確かにスウェーデンにもあるんですが、それほど強いものではあり ません。ストックホルムにも自立生活センターがあって、助成金を受けております。独 立した生活ができるように、障害をもつ人に対して様々なサービスを提供しています。主 に、実際のサービスを提供する団体という形です。ですから、みんな同じシステムの一 部ということです。

ジュディ・ヒューマン

 アメリカでは、政府からの助成金を獲得するためには、非営利の、非政府団体でなく てはなりません。そうでないとお金を得ることができません。もし営利団体ですと、助 成金は受けられないのです。

 自立生活センターは、法律によって4,000万ドルを連邦政府から受け取り、またいろい ろな措置によって、州政府からお金を貰っている状況です。

 デンマークやスウェーデンの場合は分かりませんが、アメリカの伝統の1つとして、お 金を獲得するために、かなり競争が激しいわけです。ですから、自立生活運動において も、連邦政府のほうで、資金の欲しい所を募り、私たちもそれに対して登録するわけで すが、この資金を受け取るためには、ある一定の条件を満足させなければなりません。そ の資金には、例えば教師の訓練資金とか、自立生活センターのための資金とか、リハビ リテーションのための資金とか、いろいろな目的のものがあるわけですが、非営利団体 は、その用紙に書き込んで、それを各州の政府機関に対して送付するわけです。

 ですからアメリカですと、連邦政府、州政府、郡政府、市町村政府と、各種の政府レ ベルからいろいろな種類の資金が出てきているわけでありまして、自立生活センターあ るいはその他の障害者団体は、まずお金の申請をします。しかし、その際、障害をもつ 人を特に対象としていない資金も、得ようとします。例えば、自立生活センターとして 連邦政府からお金を受けるためには、非営利団体、そして、自立生活センターとしての 資金を申請するわけですが、私がお金を獲得しようとするときには、例えば住宅省、運 輸省、内務省、レクリエーション担当の省など他の省庁、もしくは市町村政府、郡政府 の、必ずしも、障害をもつ人向けでない資金を、障害をもつ人のために得ようとしてい るわけです。こうやって多角化しようとしております。そうすることによって、より多 くの資金を獲得することができるわけです。この方法はある程度成功しております。例 えば親の団体が、教育省から、親を教育するプログラムに対して、資金を獲得しようと しました。今までは、障害をもつ子供の親の団体に対しては、資金は出ていなかったわ けですが、前回は4つの団体に対して、私の局からそういうお金が出ましたし、その他 のプログラムからも資金を獲得しております。

 大変複雑なので、お分かりいただけたかどうか分かりませんが、人々はいろいろな政 府官庁から資金を獲得しております。そして、先ほどリンドクビストさんがおっしゃっ たように、こういったプログラムに対して、政府が支援を提供することが極めて重要な のであって、これをボランティアベースでやるべきではないということです。

 また、リンドクビストさんがおっしゃったもう1点。政府としては、統合か別個に分 けるか、それに関して一本化した政策が必要ということでありますが、アメリカでは過 去2~30年の間に、政策が徐々に変わってきておりまして、より統合の方向に進んで おります。法律のほとんどすべての分野において、特に障害者のリハビリテーション、教 育、また、ADAなどの法律においても、インテグレーション、統合の方向に向かって おり、また、統合を支援するようなプログラムの方向に向かっています。つまり、今ま でいろいろと障壁があって、統合することが難しかった状況の中で、法律を作り、また 施策を通じて、その障壁を取り除こうとしてきたのです。

八代

 どうもありがとうございました。