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分科会


分科会SA-1 9月5日(月)14:00~15:30

各国の総合的障害者政策の発展
―政策発展のダイナミックス―

THE DEVELOPMENT OF COMPREHENSIVE NATIONAL DISABILITY POLICIES:THE DYNAMICS OF POLICY DEVELOPMENT

座長 Mr.Lewis Carter-Jones Chairman,International Committee Royal Association for Disability and Rehabilitation〔UK〕
副座長 丸山 一郎 厚生省社会局更生課身体障害者福祉専門官


総合的障害者政策の発展

DEVELOPMENT OF COMPREHENSIVE NATIONAL DISABILITY POLICIES

Lewis Carter-Jones
The Royal Association for Disability and Rehabilitation,London,UK


本日の演者はそれぞれの分野で功績のある方達ばかりであり,この討論に実りある貢献をして下さることを確信している。
皆さんのお話になることを前もって紹介することなどは到底出来ることではないが,本セッションの導入のために何か必要かと思うので,過去20年間,一国の障害者政策の確立に深く関わって来たものとしてお話ししたい。
確かにこの20年の間,よく調整のとれていないシステムの中でサービスを拡大し経済的給付を行ってきたが,筋の通った統合性のあるものを作り出したかは疑わしい。
ものの考え方は変化してきたので,もし現時点で全くの白紙から国の障害者政策の方針を策定するとしたら,20年前に比べて容易であろう。
今日迄作り上げて来たものの多くは,少しずつ断片的に積み重ねられてきたものである。障害をもつ人々の団体の要求があり,その特定のグループのニーズに応えて何らかの対応策がとられて来た。主張するグループのニーズに応えたり,政治的な便宜によって,サービスや施設を,まるでパッチワーク(切端を集めて縫った)布のように作り上げてきた。国としてまとめられた政策があっても,それを十分に実施することはなかった。
この5年間には疑いもなく,障害をもつ人々のニーズについての認識は増大し,またそのニーズを満たす上で彼ら自身を考慮するべきであるということへの理解が深まってきた。しかしながら,未だに一つの重大な問題がある。つまり,ある範囲で障害をもつ人々は依然として“障害者”というグループとしてみられているという紛れもない事実である。
障害をもつ人々のニーズや直面する問題は,地域の他の人々と同様に多種多様である。障害をもつ若者,障害をもつ老人,障害をもつ億万長者,障害をもつ貧民,障害をもつ男性そして女性,少数民族の中にも障害をもつ人々はいる。
国の障害者政策の原則は,障害をもつ人々が生活している地域での構成員として参加し,その地域での権利を行使し,責任を負うことをいかに保障するかということでなくてはならない。
その基本は教育,住居,訓練,雇用,移動であり,これらにおけるニーズのすべてが考慮されなければならない。また地域の他の子供達と同等もしくはより良い教育が障害児には保障されなくてはならない。こうしたことによってのみ,障害をもつ人々が二重に“社会的に不利な障害者(ザ・ハンディキャプト)”となることを避けることができる。
障害をもつ人々は,ある人達には通常の雇用と考えられない場合も認めるとしても,雇用されるような訓練を受けられるべきである。
地域の活動に参加できる適切な住居がなくてはならず,何よりもまず,家や生活の場が選択できなくてはならない。
能力に合ったアクセスがあり,移動が自由な,受け入れる雰囲気のある職場が用意されなければならない。
近年,我々が経験してきた変化は,いかなる意味においても障害をもつ人々の行動の自由が保障できることを示した。
私は,このことを強調し,繰り返したい。つまり,「アクセスと行動の自由」とは,単に,物理的障壁を取り除き,援助や保護をすることではないのである。
障害を伴っている“人”を受け入れることが必要である。心にこう留めながら「“障害”や“不利”は社会そのものが規定するものだから,同じように取り除くことも出来るのだ。」と。
今の傾向が続くことを期待するのみである。今後,各国の政府が,障害をもつ人々に社会における十分な役割を任せることを理解するように求め確認してゆこう。
出来ないことを最小限にし,持てる能力を最大限に活用出来るのである。障害をもつ人々の多くがその能力を抑えられ,一部分に過ぎない不能力に閉じ込められていることを忘れてはならない。
すべての政府はその国の障害をもつ人々に対し責任があることを認めなくてはならない。何といっても障害をもつ人は,人口の10%は存在するのである。この事実を20年間繰り返し言って来たが,もう十分であろう。
政府の政策が,実際に今私の述べたように行われるなら,依存でなく自立を生み出すのみならず,障害をもつ人々の状況を改善し,生活様式を変更させ,現在では得られていない満足をもたらすであろうし,多くの場合は,税の消費者を納税者に変えていくであろう。


フィンランドの障害者のための政策

FINNISH NATIONAL DISABILITY POLICIES

Eero Vilkkonen
The National Association of the Disabled,Finland


フィンランドにおいて,障害者のための政策の基礎がつくられたのは第二次世界大戦中であるが,これは多数の傷痍軍人が出た結果である。戦傷の問題が深刻であったために,外科医術および他の医学ケアが高い水準に達することになった。また,医学リハビリテーションがその言葉本来の意味で始められた。同じことが,職業リハビリテーションにも当てはまる。フィンランドは1950年代初頭までは農業社会であったため,障害者の大半は農場主,農業従事者,または森林労働者であった。彼らを再教育して新しい職に就かせる必要があったが,それは容易にかなえられることではなかった。学問上の資格を必要とする職業を除くと,就ける仕事はほとんど手仕事に関係したものに限られた。
概して言えば,フィンランドの障害者政策は,障害者をでき得る限り一般の人々と統合することを目的としてきた。観念的な面から言うと,この目的とは,以前に障害者に関連していた抽象的な見方,言い換えれば,障害にまつわる概念を取り去ることであり,実際的な面でいうと“統合する”とは,例えば障害のある児童や青年を,特別教育施設にではなく一般の学校に入学させることなどを意味する。周囲の環境を変化させることで,障害を持つ人々がこれまでより暮らしやすくなり,重度の障害を持つ人々も社会生活に参加することができるように,との努力がなされている。国際障害者年は,フィンランドにおける障害者の地位向上にとって目覚ましい進歩を意味したのである。
もちろん従来より国の障害者政策には常に法律で定められた基準があった。障害者福祉法が1946年施行され,その条項のいくつかは現在も生きている。また傷痍軍人に適用される特別法もある。しかしフィンランドでは1980年代に入ってから,障害者政策およびその関連法令の抜本的な変革が行われている。これは明らかに国際障害者年がもたらした影響である。興味深いことなので特に言及するが,先ず最初に改正されたのは経済面と行政に関するもので,簡単に言うと,障害者に対する福祉の責任が自治体に移管されたことである。国が受け持つ役割は財政上の補助である。助成金の額は,各関係自治体の財政状態を確認して決められる。このことで,フィンランドの各自治体間には規模によって大きな格差があるという欠点が露呈されたともいえよう。従ってある種の地方法ができてしまう危険も起こる。つまり法律で定められた障害者の権利に,法律自体は形式上同じであるにも拘わらず,地域差が生ずるということである。行政上のこの改正に続いて,1988年になって具体的な改正がなされた。これには,障害者に対するサービスや援助の規定―例えば適応訓練,輸送,通訳などのサービスや,個人 的に介助者をつける権利なども含まれている。また,障害者は車いすなどの必要な補助器具を入手する権利も与えられている。法律の段階では,フィンランドにおける障害者の地位は,世界でも最も恵まれた中にある。これが法律の施行段階でどのように履行されるかは,時間を置いてみなければ分からないが。
おそらくいちばん計画通りに進んでいないのは,障害者の働く権利に関してであろう。フィンランドの失業率は高く,障害者は一般の人々に比べると就労の面でさらに弱い立場にある。高い教育を受けていれば,障害者にも雇用は保証されるだろうが,すべての障害者がそのような教育を受けることは不可能である。
フィンランドにおける障害者政策の大きな特色は,政策立案に際して障害者の組織が重要な役割を担っていることである。概して,フィンランドでは民間組織が生活の多くの分野で有力な位置にあることが多い。1987年に施行された〈障害者に対するサービスおよび援助に関する法律〉は,地方自治体および国の両レベルでの,障害者のための特別協議会に関する条項を含んでいる。障害者のために協議会の設立の可能性がこの法律に規定された事実,また,政府役人の他,障害者の組織の代表たちが重要な地位に就いているという事実が,フィンランドでは障害者の組織がかなりの程度まで法的に公認されていることを意味している。フィンランドの障害者政策において,これらの組織は重要な役割を果たしているのである。
フィンランドにおいて現在最も重要視されている論点は,障害者のための新法案の実際的な施行を徹底させることである。いくつかの大切な権利が平等の名のもとに障害者に与えられてきている。我々はこれらの権利をあくまでも守り続けて行かなければならない。


日本の総合障害者対策

COMPREHENSIVE MEASURES FOR DISABLED PERSONS IN JAPAN

村岡輝三
総理府障害者対策推進本部


I 1。日本の障害者政策は,第2次世界大戦以降新たな展開をみた。その先駆けは,1947年の心身障害児を含む児童福祉の基本施策を定めた「児童福祉法」の制定であり,1949年には「身体障害者福祉法」が制定された。1950年精神障害者に関する独自の衛生法規として,「精神衛生法」が制定された。さらに1960年精神薄弱者に関する援護事業の整備を図ることを目的とした「精神薄弱者福祉法」と,身体障害者の雇用を促進し,職業の安定を図るための「身体障害者雇用促進法」が制定されている。その後,1968年には重度重複障害の児童が,「児童福祉法」で取り上げられたほか,施設収容における児・者一貫体制がとられるための法的措置が講ぜられた。そして1970年には心身障害者の福祉総合対策を推進するための基本法制定の民間運動が起こり,「心身障害者対策基本法」が制定され,日本における障害者対策推進の基本理念が確立された。さらに,1979年には,教育の分野での対策が進み,それまでの3年間の準備期間を経て義務教育の徹底化が図られ,障害児の全員就学が実現することになった。また,これを一つの契機として,障害者の在宅指向が強まり,施設中心から在宅重視を促進して いる。
2。このように,法制面では,総合的な障害者対策の枠組みが整ってきたが,総合的施策の推進という観点からは,「国際障害者年」を契機とする障害者対策の推進の高まりを挙げなければならない。
国際障害者年には,各種行事が催され,国民意識の高揚が図られたが,同時に,国連の行動計画をガイドラインとしつつ,障害者自身も含む中央心身障害者対策協議会(心身障害者対策基本法に基づき設置)において,「障害者に関する長期計画」の策定が協議され,1982年3月,政府は「障害者に関する長期計画」を策定するとともに,障害者対策を総合的,効果的に推進するため,障害者対策推進本部を閣議決定により総理府に設置した。
3。このように見てくると(IIの3で述べる国際障害者年以降の動きを含む。),障害者対策の進展は,児童から大人までへ,身体障害者中心から全障害者へ,軽症者から重度障害者・重度重複障害者へ(教育,福祉,雇用),施設対策中心から在宅対策重視の地域福祉,職業自立中心から社会参加促進・社会参加のための施策を中心とする重度障害者の在宅対策へと力点の変化がみられ,日本の障害者対策は,障害の種類,程度といった対象者の面からも,保健・医療・教育・福祉・生活環境といった施難分野の面からも,施設対策と在宅対策といった施策の手法の面からも,法制・計画・実施体制といった枠組みの面からも,総合的障害者政策を進めている。

II 1。日本の総合的障害者政策を明らかにする場合,まず取り上げるべきものに「心身障害者対策基本法」がある。同法は,単に福祉施策のみならず心身障害者対策の総合的推進を図ることを目的とすることおよび心身障害者の個人の尊厳が尊重される権利を有することを謳う画期的なものである。また,発生予防から福祉,教育,就業・雇用,所得保障,生活環境,文化,啓発・広報までの広範な分野において,法制上,財政上の措置を含め,国および地方公共団体の責任で,必要な施策を講じ,配慮がなされることを求めており,総合的障害者対策を成文化した画期的な法律と言える。しかしながら,この法律は,高邁な旗印の割には,あまり注目されておらず,その意義について正当な評価がされていないのは残念である。
2。政府が総合的障害者政策を体系的に成文化したものとしては,「障害者に関する長期計画」がある。同計画は,国際障害者年における国連の呼び掛けに応え国際的基準に即し,中央心身障害者対策協議会の合意を基に1982年策定された。(その後の成果に基づき「国連障害者の10年」中間年においては,これを見直し「障害者に関する長期計画」後期重点施策が策定された。)
障害者に対するこのような計画は,国レベルばかりでなく,すべての県,政令指定都市など地方レベルでも国の計画と相前後して策定されており,また「国連障害者の10年」中間年を契機に見直されている。地方公共団体においても,障害者対策推進本部,地方心身障害者対策審議会等を設置し,総合的障害者対策の推進に努めている。
3。このような枠組みの中で,国際障害者年以降予算的にも大幅な伸びを示し,法改正を含め,施策の着実な進展を見せている。1984年「身体障害者福祉法」が改正され障害者年の理念が盛り込まれたほか,1986年には年金制度の改正により障害基礎年金の制度が導入され障害者の所得保障が確立されている。さらに「国連障害者の10年」中間年には,「身体障害者雇用促進法」の改正による「障害者の雇用の促進等に関する法律」の実現,「精神衛生法」の改正により法律名が「精神保健法」となり,人権の擁護と社会参加の一層の促進の措置が講じられることになった。
4。後期重点施策は,「国連障害者の10年」中間年にあたり「障害者に関する長期計画」を「国連障害者の10年」の後半期に積極的に実施するため,これまでの成果を踏まえ,中央心身障害者対策協議会の意見書に沿って,障害者対策推進本部(内閣総理大臣を本部長,内閣官房長官と厚生大臣を副本部長とし,19省庁の事務次官で構成)において策定された。「障害者に関する長期計画」後期重点施策は,分野ごとの重点施策を定めるとともに,政策の基本方針を明記している点において画期的であると考える。
すなわち,障害者施策については,分野別,障害種別に応じて,法律を中心として整備されてきたが,障害者政策については寡黙である。また,基本法は,具体的施策についてまでは直接的には規定していない。日本において施策のあるべき方向について語ることの多いものとしては,各種審議会の答申がある。審議会においては,その筋の権威,先駆者,理解者,障害者等々が委員として任命され,しばしば意見調整が行われる。施策の方向づけについては,比較的多弁である。但し,審議会の答申,意見書等は,必ずしも政府の施策そのものではない。
「障害者に関する長期計画」後期重点施策は,中央心身障害者対策協議会の意見書に沿ってまとめられた。政府全体としての総合的障害者政策は,中央障害者対策推進協議会において審議され,その意見具申を受けて関係省庁で構成する障害者対策推進本部(事務局総理府)において作成されるという形式を国際障害者年以後2度にわたりとってきており,手法として定着化したものと考えられる。
5。後期重点施策は「全体としての基本的考え方」および「各分野における考え方」を明らかにし,分野別の重点施策を具体的に定めており,その点は,あまり注目されてはいないが,画期的なものである。
「基本的考え方」の章では,「障害者に関する長期計画」は,「リハビリテーション」および「ノーマライゼーション」の理念を基本理念とし,「完全参加と平等」の実現を目標とするものであることを表明し,障害者対策の目的は自立の支援であることを明確化している。同時に,今後,生活環境の改善,高齢化への対応,技術進歩の活用,施策の連係,調査研究の充実,国際協力の推進といった分野において施策の積極的展開が待たれることを明らかにしている。さらに「国連障害者の10年」後期において,啓発・広報・保健・医療,教育・育成,雇用,就業,福祉,生活環境,スポーツ・レクリエーションおよび文化,国際協力の8つの分野における重点施策を総合的に推進することを具体的に定めている。

III 障害者政策の形成に当たっては,障害者問題の正しい理解と施策についての国民的合意の形成が,前提となる。
今後は,「障害者に関する長期計画」後期重点施策に述べられているとおり。

  1. 「障害」および「障害者」についての正しい認識の一層の普及
  2. 均等な機会の確保
  3. 自立の支援
    といった理念にかかわる分野,並びに
  4. 生活環境の改善
  5. 高齢化への対応
  6. 技術進歩の活用
  7. 施策の連係
  8. 調査研究の充実
  9. 国際協力

といった新たに対応すべき分野において施策の積極的な展開が図られると同時に,障害を持つ者持たない者相互の努力により「心の壁」を取り除き「共に生きる」社会の実現を目指し,着実な歩みを進める必要がある。


フィリピンにおける総合的障害者政策の発展

―政策発展のダイナミックス―

THE DEVELOPMENT OF COMPREHENSIVE NATIONAL DISABILITY POLICIES:THE DYNAMICS OF POLICY DEVELOPMET

Mita Pardo de Tavera
Department of Social Welfare and Development,Philippins


社会経済の障害対策費削減と,その結果として障害者をフィリピン社会に寄与するメンバーとして同化させていくという問題が,全国的な重要関心事となっている。この目的に向け,フィリピン政府は総合的な障害者政策を宣言して,障害者問題に対して広く総合的な取り組みを確立し発展させていくことを目指し,また,政府および民間のプログラムを組み込んだ〈フィリピン障害者10年行動計画〉を採択している。
従って,政府の社会福祉の主要部門である社会福祉・開発省は,その主な目的の中に,社会的ハンディキャップを持つ国民が介護・保護・リハビリテーションを受けられること,および,身体や知能に障害を持つ人達が実際に社会的機能を果たすことを置いている。
この枠組みの中で,障害の予防と,身体や知能に障害を持つ人達のリハビリテーションを促進する主要計画が,さまざまな団体の手を借りたり,センター・ベースの取り組みや計画を利用したりして,全国的な規模で実行されている。
障害者問題のために設定された目標を達成する上で,鍵となる要因は〈障害者福祉国民協議会〉であり,これは,社会福祉・開発省所属の機関で,政府およびNGO(非政府間機関)の管理のもとに,障害予防や障害者のリハビリテーションおよび機会の平等のための主要政策の立案,調整,検討を行う団体として尽力している。〈フィリピン行動計画〉は,三つの重点目標を目指している。すなわち,障害の予防,リハビリテーション,そして機会の平等である。その中で,政策方針の実行が,以下のように推進されている。

1。健康・教育・環境管理のための全国的計画の中に,障害予防対策を織り込むことによって,疾病や障害の発生率を低下させること。
人々の能力を制限する障害は,大部分が予防可能である。障害の主な原因は,小児麻痺・麻疹・風疹のような感染性の病気,妊娠中の母親や児童の栄養欠乏―これには,失明を引き起こすビタミンAの欠乏が含まれる―,胎児期および周産期の異常事態,これに関連して起こることを含む事故などがある。
これらの現実に対処して,予防対策に含む必要があるのは,細菌性およびウイルス性伝染病に対する免疫計画の増強,遣伝の検査および相談,血族・近親結婚を減少させるための家族教育である。また,胎児期,周産期のケアや条件の改善,長時間のひどい騒音の排除,家庭・仕事場・娯楽場・道路上での事故防止である。

2。リハビリテーションを行きわたらせるための費用がかからず,しかも効果的な,地域に根ざした方法や取り組みを制度化し拡充すること。またその目的を,障害者の援助と診察後患者を専門医に差し向けるシステムの強化および障害者の地域への統合促進に置くこと。
フィリピンでは,農村地域に住む障害者で,医療・社会・職業・教育のリハビリテーションを受けている人は,わずか1~2%に過ぎない。このような施設のほとんどが,都市の中心地にあるためである。しかし調査が示すところ,障害者のほぼ70%は,専門的な第三次レベルのサービスを要求しておらず,彼らがリハビリテーションに求めるものは,その地域社会で満たされることが可能である。障害者とリハビリテーションに関する最近の傾向と発展を見ると,地域社会を基盤とした取り組みが実行可能であること,その受け入れ体制が整う方向にあることが分かる。地域社会に根ざしたこの取り組みは,障害者へのリハビリテーション・サービスをもっと能率的に,効果的に,そして少ない費用で行うための新機軸としてうちだされたものである。この考え方には,地域社会の資源,障害者自身やその家族,つまり地域社会全体を基として組み立て,利用しようという地域レベルの方式が含まれている。地域に基盤を置くということは,従来のセンターをベースとした取り組みとは,以下の点で違っている。

  1.  自分たちのニーズおよび資源の状況を明らかにし,査定し,持っているものを活用し,ニーズを満たすために,人々や地域社会のもつ可能性を開発することができる。
  2.  障害者も含め,その土地の特長を生かしたボランティアの能力を訓練して,予防やリハビリテーション活動の諸面―例えば,障害者にその人に合った仕事を助言したり,雇用の機会と地域のニーズを的確に取り持ったり,地域の資源を開発したり―に成果をあげることができる。
  3.  地域で入手できる資源,例えば古い機械,専門技術,奉仕活動,雇用の機会などを無駄なく利用することができる。
  4.  障害者が,地域社会にとどまって,家族や隣人が提供してくれるリハビリテーション・サービスを受けることが可能となる。

フィリピンでは現在,医療および職業リハビリテーション優先のプロジェクトの,地域に根ざした取り組みが,国中10カ所のモデル地区で行われている。反響次第ではこのような取り組みは制度化されて,農村地域だけでなく,都市にも及ぶようになるであろう。

3。あらゆる面での障害者の権利と利益を保証して,より完全な参加と機会の平等を達成するために,必要な手段を提供し,維持すること。
フィリピンの開発努力の中で,社会政策の焦点となっているのは,障害者を含めて,不利な立場にある国民が,平等な機会を与えられ,社会に統合することである。平等とは,障害者が障害を持たない人と同等の権利を持つことであり,経済,社会そして政治生活のあらゆる面に参加し,貢献する権利を含む。従って各々の社会構造は,障害者が全面参加する機会を与えられるように,計画され運営されねばならない。このような構造には,自然環境,住居や交通,社会上また健康上のケア,教育や労働の機会,スポーツ・娯楽・宗教に関わる活動などの文化的および社会的生活が含まれている。上に述べたようなことに備えて患者の体力を支えるためには,その土地の資源を用い,またすべてに無理のない費用で,技術的な援助やリハビリテーション機器の生産を高めるようなリハビリテーションの実行プログラムを発達させる必要がある。
障害者はまた,身体上だけでなく,社会上の障壁に出合うことが多く,そのために他の人達と親しい関係を発展させることが難しくなる。従って,周囲が障害者に対して積極的な態度をとるように奨励する必要がある。

障害者の完全な地域参加を促すために,多くの国で障壁を少なくする目的で,重要な対策が取られている。
フィリピンでは,利用できる設備や他の考案物の設置を法律で行うようにと要求が出され,〈Batas Pambansa Bilang 344〉,つまり,〈アクセス法案〉が通過した。障害者が従来よりもっと活動しやすくなることを目指している取り組みの中で,このことは大きな進歩とみなすことができる。このおかげで,他のものに加えて,障害者用の駐車場やバス停も設けられる。この法案は現在まだ十分に実施されていないが,見通しは明るい。最近,公共事業・交通局がManilaの中心地区で歩道の側溝を障害者用に削る工事を行った。また,アクセスのある建物の中にアクセスマークが掲示されている。障害者のニーズに対する認識をもっと喚起しようと,この法案実施について,シンポジウムやマス・メディアを使って大規模な情報キャンペーンが開始されている。
同じく重要な進展はCorazon C.Aquino大統領によって,フィリピン国会に障害者部門担当の下院議員が指名されたことである。この部門は,障害者にさらに広い機会を保証するため,より総合的な〈アクセス法案〉を具申した。
政府および民間セクターは,これらすべてを実行するに当たって,対等の責任を負わねばならない。障害者自身もまた,自分たちの利益の強化に向けて,プログラム,サービス,プロジェクトの計画,実行,評価に積極的な役割を果たすべきである。
これまでに強調してきたのは,我が国の総合的な障害政策を,どの範囲まで,障害者福祉のための計画や活動に移せるかについてである。するべきことはまだ多く残っている,というのが実情であるが,第一歩を踏みだしたのも確かである。これは,障害を持った人々にとってだけでなく,社会全体にとっての良い前兆である。


総合的障害者政策の発展

THE DEVELOPMENT OF COMPREHENSIVE NATIONAL DISABILITY POLICIES-A SINGAPORE PERSPECTIVE

Lim Puay Tiak
Disabled People Section.Ministry of Community Development.Singapore


1。障害者援助の二つの方法 障害者への福祉サービスの供給について我々の社会では二つの可能な方法がある。一つは,国の福祉予算によるものであり,他は,地域参加による民間支援を通してのものである。

2。国家福祉主義

  1.  シンガポールは福祉国家(Welfare state)ではない。このことは,障害者のニーズに国が無関心であることを意味するものではない。歴史の浅い国家として,他国の痛みを伴った経験に学ぶことが出来るが,国家福祉主義は,手に負えない問題を伴っている。
  2.  ノルウェイのBergen大学のE.Oyen教授は,次のように嘆いている。「道しるべとして輝いていた福祉国家のビジョンは消えさり,細かい脈絡のない決定にとって代ってしまった。それらの決定の寄せ集めは,どこへ行きつくか,行かぬ方が良いかもしれない道を杭で囲んで固めている。」
  3.  国家福祉主義には3つの弱点がある。それらは,
    1. 福祉への支出の増大は国家予算の増大と一致する。
    2. 福祉システムを維持するために税金を高く維持しなくてはならない。
    3. 福祉の対象者の数と種類は増え続け,システムは乱用される。
  4.  このことは,生産的投資への意欲と勤勉への動機を徐々に蝕む。

3。地域参加

  1.  シンガポールにおいては,我々の社会の援助を必要とする人々に対する責任を政府一人が負うべきではないという見解を持っている。
    障害者のケアは,家族と地域と政府の三者の責任であることを啓発している。
  2.  障害をもつ人が受けられる最良のケアは家族によるものである。
  3.  障害者に関する政府の関係省庁の施策の目的は,障害によって制限された心身の機能や社会的能力を,最大限に延ばす機会と環境を提供することである。
  4.  従って,障害をもつ人々のニーズに応えるボランティアの努力を奨励し維持する。
    地域社会は,障害や困窮による社会的な困難の撲滅と軽減のために,より一層大きな役割を担うことを奨励される。
  5.  地域社会が,金銭的援助や自主的なソーシャルワークにより,地域の困窮者を援助することには,3つの際立った利点がある。
    1. 納税者に対して,どれ程納税すべきかを選択させる。
    2. 市民が困窮者により直接的に関係することができ,より思いやりのある,助け合う社会の育成に役立つ。
    3. 援助を受ける側の尊厳と自尊心のためにもより好ましい。

4。福祉サービス

  1.  シンガポールにおける福祉サービスは第二次世界大戦によって引き起こされた荒廃を緩和するために1946年に初めて紹介された。
  2.  過去42年,戦後の緊急的・救済的なものから今日のよりリハビリテーション的,予防的そして発展的なアプローチへと展開してきた。
  3.  最近,政府は国家建設と将来の政府方針として「行動計画(Agenda for Action)」を定めた。副首相は,計画に示された目標は,各閣僚を長とする6つの諮問機関による専門的アプローチによって実施に移すことを表明している。
  4.  教育相を長とする障害者に関する諮問機関は,次の役割をもつ。
    1. 障害をもつ人々の直面する問題とニーズを調査し明確にする。
    2. 現在の障害者に関する政策・事業・サービスを見直す。
    3. 障害者の社会への参加と統合を最大限に可能とする行動計画と政策を勧告する。
  5.  諮問機関の構成は,政府の方針と施策が政府外からも評価できるように,民間の障害者と非障害者を含んでいる。このことは,将来の障害者のための計画が種々の異なる観点をもち,またより重大なこととして実現可能なより全国民的な性格をもつようになることを保証している。
  6.  この計画は,シンガポールにおける障害をもつ人々の状境を改善する分水嶺となるものである。

(注)以上の見解は個人のものであり,シンガポール政府の見解ではない。


各国の総合的障害者政策の発展

―政策発展のダイナミックス―

THE DEVELOPMENTF OF COMPREHENSIVE NATIONAL DISABILITY POLICIES:THE DYNAMICS OF POLICY DEVELOPMENTS

M.Tinaz Titiz
Minister of culture and Tourism.Turkey


どのような政策もその必要性に基づいて展開されるものであり,それは各国のどのような問題に対する政策についても言えることである。ここでの問題は“障害者”であるので,まず第一の問いは“何故”障害者のための政策を設けることが必要かということである。答えは問いそのものの中にある。何故ならば“障害”という状態が現存するからである。第二の問いは,それならば“どのような”政策か? さてここで,その答えは多くの場合,治療やリハビリテーションの方法についてから始まるのであるが,それではこの問いおよび問題に対する答えの半分にしかなっていない。
どのような政策も基本的な問いに対する答えと説明を含んだものでなくてはならないと思う。この場合の問いは“何故障害が生じるのか?”ということである。これに対する答えがなければ,さらに進んで“どのようにして障害を予防するか?”という2番目の問いを発することはできない。この“何故”と“どのようにして”という問いとそれらに対する答えがなければ,効果的な政策を企てることはできないであろう。これらの質問を投げかける一方,その答えは,先進国と開発途上国に明らかにそれぞれの障害のパターンや原因があるように,世界の異なる地域によってさまざまであることは十分に認識している。しかし障害の原因の大部分は共通したもので,共通のアプローチにより,取り除いたり,避けたり,少なくとも,最小限にとどめることができる。勿論その国独自の障害も存在し続けるであろうが,それらに対しては,その国の特定の政策や活動で対応できるであろう。
これまでに明らかなように“予防”がキーワードであり,国の障害者政策の最も重要な部分で,我が国においても大きな関心がよせられている。社会的,経済的および教育的不備といったような地域社会でのいくつかの一定要素が複数の問題の原因や理由になっているということは興味深い。例えば,適切な教育を受けていないことが障害を引き起こす事故の理由となるように,貧困と栄養失調が障害の理由となりうる。
従って“教育”というひとつの要素によって,いくつかの問題とその結果を変え,あるいは少なくとも変えることを目的とすることができる。そしてそのために,何故,どのようにして障害が生じるかというあの問いから得た知識が必要となるのである。このような基礎資料があってこそ,政策立案者は効果的な予防政策を企てることができる。
これまでは,障害に関しての正確な統計が入手できなかったために,障害の原因について多くのゆがんだ社会通念や誤解があった。しかし,障害が何故,どのように生じるのか科学的に証明されれば,それを予防したり,治療,リハビリテーションを行うために何ができるかという政策が導き出せる。国際的関心や大半の国々の努力は主に“原因”よりも“結果”に多く向けられてきた。これは障害者が仕方なしに置かれた状況での当然の結果である。しかし今や我々は予防をも少なくとも同じ程度重要視していくべきである。このような主張をする一方で,予防政策にはリハビリテーション政策以上に複雑な各部門内外の協力が必要であるという事実がある。しかし誰も安易な道を期待していないし,困難が予想されても達成されることを確信している。
障害予防のモデルを設定しなければならないが,それらはすべての原因を網羅し,高齢者のみならず,全年令層を対象としたものでなくてはならない。障害者とリハビリテーションの国家的プログラムはすべての分野の人々に代表されている国内委員会が運営し,政府の一部門だけに任せておいてはいけない。政策立案者らは,これらのプログラムのどの部分においても,障害者も多く貢献できるということを忘れてはならない。
結論として,障害者政策は,予防をその基本とし,すべての年令層と原因を同等の重要性をもって網羅すること。障害の原因についてもっと徹底的に研究し,資料にする必要があるが,これは国際的な協力と研究によってできる。このようなデータは,障害者とリハビリテーションに関するその他の現存のデータと共に,コンピュータ情報として世界的に利用されるようにすること,そして専門用語は間違って引用することのないように基本的なものを選ぶこと。実践は各国により異なるであろうが,評価の手段は国際的に認められたものであるべきで,これも国際協力により作成できる。
予防から医学・職業リハビリテーションまで障害者問題のすべての面,および法令等を網羅した総合的政策―トルコはそのような総合的政策を積極的にスタートさせる用意がある。すでにその計画の一部は,先頃RIに加盟したFoundation for the Strengthening the Bodily Disabled(BEGV)による“身体障害者のための雇用と環境改善”として実施されている。我が国は,すべての障害を予防することはできないまでも,できる限り減少させ,予防できなかったものについては治療を施して社会復帰できるようにするために有効な国の政策を展開していきたい。そのためにRIを通じて世界の人々と情報やアイデアを交換できることを期待している。我々の目標は障害(能力低下)者もいわゆる能力のある人と同じ生活の質を享受できるようにすることである。


分科会SA-2 9月5日(月)14:00~15:30

コミュニティ・べースド・リハビリテーション

―開発途上国における地域リハビリテーション―

COMMUNITY BASED REHABILITATION

座長 Prof.Charlotte Floro Dean,College of Alied Medical Professions,University of Philippines
副座長 高橋 孝文 拓桃医療療育センター長


コミュニティ・ベースド・リハビリテーション(CBR)

COMMUNITY BASED REHABILITATION

Charlott A.Floro
College of Allied Medical Professions,Univercity of Philippines


これまでリハビリテーションは,病院・診療所,リハビリテーション・センター,デイケア・センター,特殊学校などの施設で計画,組織,実施されてきていた。この状況の中では,クライアントは必要なリハビリテーション・サービスを受けるためにこれらの施設に入所あるいは通所することを余儀なくされている。これらの施設の主な特徴については,すでによく知られている,つまり,複雑な組織の中にさまざまなレベルの専門訓練を受けたスタッフが配置されていること,最新技術が利用されていること,サービスのコストが高く,わずかな人しかそれを利用できないこと,主として都市地域に集中していること,本質的に先進社会に適したものとなっていることなどである。
このような施設リハビリテーションは発展する一方,開発途上国にもモデルとして導入された。しかし,開発途上国には世界の障害者の大多数が生活し,しかも,その少なくとも70%が辺ぴな村落コミュニティに住む。抑圧された貧しい状況に置かれているにもかかわらず,基本的なサービスはほとんど提供されず,経済成長や発展もわがかにとどまっている。このような中で,人々の生活は大部分が大家族の強力なつながりによって左右され,迷信・因習,運命論的な認識,誤解・無知がはびこっている。
我々は,先進国で発展してきているリハビリテーション・サービスをそのまま開発途上国に受け入れることは適切ではないことを一致して認識するに至った。例えば,ニューヨークにいるクライアントを対象とするリハビリテーションの基準を開発途上国にも当てはめようとして大きな過ちを犯しているのである。まず急を要することとしてリハビリテーション・ワーカーが感じていることは,より適切かつ有効に第三世界のコミュニティの中の障害者に援助の手を差しのべるための戦略を作成することである。1979年に世界保健機関(WHO)は,これに応えて,リハビリテーション革命のきっかけを提供するためにコミュニティ・ベースド・リハビリテーション(CBR)というユニークな考え方と方法についての実地テストを開始した。それは世界的に関心を集め,実地テストによって,CBRが特に村落地域のコミュニティにふさわしく,有効かつ適用可能であることが明らかにされた。それ以後,CBRは強力かつ広範な活動に発展している。
CBRの中心には,コミュニティの資源がリハビリテーション・プロセスに積供的に関与すべきであるという基本的な考え方がある。コミュニティの人的資源に対しては,障害者がコミュニティ生活の主流の中で最も適した役割を果たすことができるようにするためのケアならびに訓練に一層の責任を持つように働きかけ,動員,動機付け,訓練が行われなければならない。その資源の中には,障害者自身,障害者の家族,近隣住民,農場主,地方公務員,村の工芸家や教会,学校,政党などの基本的な社会単位のすべてが含まれる。コミュニティの人たちによって構成されるボランティアの訓練者チームによって,家族に対して障害の発見と予防,あるいは基本的なリハビリテーション技術の習得などに関する簡単で実際的な指導が行われる。CBRアプローチは,低コストであり,その土地の資源を活用して,既存のコミュニティ・サービスとグループとの連携を最大限に発揮させることができる。
いわゆる「専門的」リハビリテーション・ワーカーが,このようなリハビリテーションの新しい分野で効果的な役割を果たすためには準備が必要であり,新しい行動様式が求められることを指摘しておきたい。それは次のようなことである。
第一に,CBRには技術の移転が必要であるが,その場合,いわゆる専門家の技関的知識や能力は村落地域の人々にも理解され,受け入れられるような単位に細分化されなければならない。そのためには,まずさまざまなリハビリテーションの原則や手段の根底にある基本原則を説明し,なぜ,またどのようにそれが行われるかを示さなければならない。そして,コミュニティの人々が関係を理解しはじめた段階で,コミュニティの資源と能力の中でニーズに合わせて実際の手段を工夫することができるように指導する。それによって,コミュニティの人々は,その土地に以前から存在する材料の用途が広く,補装具や自助具の製作にも利用できることを認識する。このように「教えることから学ぶ」というプロセスが効果をあげるためには,我々のような保健分野に従事する者は,何よりも,そのコミュニティに存在している価値観や古くからの伝統を重視して,その主要な慣習によって生ずるさまざまな関係を理解する訓練を受けなければならない。また,我々は,村の人々とどのように交流し,認識を深めるかについても学ばなければならない。さらに,知識の交流や共有化が起きる。それは,一方では 人々の保健に対する考え方や技術,実践に関する具体的なものであり,一方では科学的なものである。このような関係の構築にあたっては,我々は,コミュニティの人々の考えを受け入れ,彼らが重要な立場にあることを認識しなければならないが,一方で,我々は考え方や原則を明確に示し,具体的な事例によってそのことを認識しなければならない。我々は積極的に新しいことを学び続けなければならないのである。なぜなら,村の人々はその場所で長い間生活を営み,時間と伝統に裏付けられた経験や実践的な知識を広く蓄積しているからである。
第二に,変化の主体として,我々は指導者としての役割を果たさなければならない。このことによって,人々が問題の解決方法を具体的に見いだすことが可能となり,また,同時に,村の人々が自分の村の問題の解決方法を見いだすための素晴らしい資質を本来備えていることが十分に理解される。CBRアプローチは,障害者が家庭,家族・親類,住み慣れたコミュニティなどの最も自然な環境の中で生活することを可能にする。また,それは我々にとって,村の生活の厳しい現実を直視し,同等の立場で村の人々と接する機会ともなる。
第三に,CBRアプローチは,コミュニティのさまざまな要素をまとめて,つながりのネットワークを構築するとともに,コミュニティによってコミュニティのために造られ,コミュニティの協力的努力によって維持されるメカニズムを生み出す。
第四に,CBRアプローチは,村落のレベルでの我々の活動成果を記録し,研究や実地調査ばかりでなく情報の普及・提供のために必要とされるデータ・バンクの基盤を構成するという重要な課題への取り組みを促す。このことは,我々が他のコミュニティにCBR戦略を導入して,その評価やモニターを行うときの基礎資料となる。


コミュニティ・ベースド・リハビリテーションの枠組みと計画実施の戦略

COMMUNITY BASED REHABILITATION FRAMEWORK AND SOME STRATEGIC ISSUES ON THE PROGRAMME IMPLIMENTATION

Handojo T jandrakusuma
C.B.R.Development and Training Centre,Y.P.A.C.,Indonesia



初めに

コミュニティ・ベースド・リハビリテーション(CBR)計画は,とくに開発途上国において増加しているリハビリテーション・サービスへの要望に応え,一層効果的な普及を目指すものである。
この計画の背景には,人口増加,交通量の増大による交通事故の増加,そして工業の発展に伴う産業事故の増加がある。医療の改善は致命的な病気の克服には役立っているが,障害の要因も増えつつある。今,一般大衆の健康問題や障害に対する意識は高まっている。従って,適切なサービスが一層求められるのである。
しかし,大多数の開発途上国において,すでに実施されているサービスでは不十分である。それは根本的社会構造のあり方に由来する。すなわち,食料生産,プライマリー・ヘルス・ケア,家族計画などを優先し,リハビリテーション事業はあまり優先的に行われていないのである。これに加えて,リハビリテーションの専門技術を身につけた職員も不足している。
従来のリハビリテーション・サービスは,リハビリテーション施設の“リハビリテーション専門職”が行っている。このシステムでは,プライマリー・ヘルス・ケア計画や小学校栄養計画などと関連した非リハビリテーション・サービス従事者は除外され,力を発揮することができない。
従って,以下の本質的な条件をそなえたCBR計画が必要であると考えられる。まず,計画は広範にわたり実行しやすいものでなければならない。さらに,CBR計画を効果的に実施するためには,地域内,そしてリハビリテーション施設や非リハビリテーション施設にある資源が相互に活用される必要がある。


CBR計画の構造

“構造”についてまず言えることは,わかりやすく,手近な資源を活用できるものでなければならないということである。CBRにおいてはそれはひとつの指令系をさす。すなわち,定まった方策というよりむしろ計画の施行者と考えられる。リハビリテーションは,医療,教育,職業,心理社会的など,枚挙のいとまがないほどさまざまな活動を含む。そして量・程度においても単純なものから,中程度・高度なものまでニーズも多様である。そして最も適切なサービス―CBRの概念に基づくサービスの提供者,すなわち一般の地域社会,特殊な訓練を受けた地域住民,専門家もしくは施設―を異なるレベル,異なるタイプ別に分類することができる。
CBRにおける“地域社会”とは,一定の区域内に住み,似たような価値観をもち,お互いに定期的かつ頻繁に行き来のある人々を指す。地域社会がCBRの基盤を形成すると,地域社会は,計画の立案,実施,評価において意志決定の責任を負う主要な行動体としての役割を果たす。また,計画の目的自体は,地域の要望と社会資源の利用価値に基づいて設定される。
CBR構造の基盤の上に,それぞれA,B,Cと分類されるリハビリテーション活動がある。これがこの構造の各分野,すなわち支柱である。支柱Aは一般の地域住民によるリハビリテーション活動を表している。この活動の中には,早期発見と家庭看護,さらに,情報伝達や,資金調達・啓蒙活動などの組織的技能も含まれる。
支柱Bの活動はとくに選ばれて訓練を受けた地域住民によるものである。このグループには,単純なリハビリテーション介護,照会システムの実施,監督,責任の引き受けなどがある。
支柱Cの示すリハビリテーション活動は地域内に住み,地域外のより高度な照会センターで働いている専門家によるものである。その内容は高度な専門的サービスで,訓練計画の作成などに加えて研究開発活動も含まれる。施設サービスも,高度な専門的サービスを提供するということに関連して,CBR計画にとって重要な資源となる。
支柱の上にある到達目標とは,地域社会がCBR計画の開発活動に参加し,発展改革を目指し自分たちの経験を他の地域のCBRでも実践できるような力をつけることである。

図1

CBR計画の構造図1


CBR計画の効果的な開始

最も効果的なきっかけからCBR計画を取り入れると,計画の初期において成功を収められるばかりでなく,長期にわたって効果をあげることができよう。重要なのは,当初この計画を地域社会に取り入れることが刺激となって認識が高まると,これがまた相当な影響力をおよぼし,将来の活動において地域の関与を継続することができるということである。
このような目的を考慮すると,CBR計画の開始には以下の基準が必要不可欠である。

  1. 心理的に魅力のある計画であること。複雑でなく,わかりやすく展開させやすいということをじっくり説明する。また,子供という普遍的なテーマを取り上げ,その幸福を訴えるという心理作戦もある。
  2. 地域社会において実施可能な計画であること。子供の発達や行動において,何が正常で何が異常かというようなことに関し,地域,とくに母親の間に受け継がれている一般的知識を受け入れる余地を残していること。CBRの検索法を使ってこのような知識の妥当性を確証すれば,地域住民は自分達の伝統的な判断にいっそう自信を深めることになるだろう。
  3. CBR計画が成功していることを示す成果が目に見えること。5歳以下の子供を対象群に選ぶと効果的である。5歳以下での介護といえば普通は医療リハビリテーションに限られているからである。その良い例としては兎唇や内反足の手術がある。さらに訓練の必要な子供達も医療面の治療に効果を示すであろう。この種の結果は認められやすく,地域にとってやりがいのある活動となる。
  4. 既存の事業と連携しやすい計画であること。この場合,新しい設備に費用をかける必要がなくなる。5歳以下の子供に対する保健活動がすでに地域内でうまく進んでいる例も多い。

上述の基準を考慮したうえで,5歳以下の障害の早期発見は,CBR計画導入のプログラムとして最も適切であると結論してよいであろう。


CBR計画の維持

CBR計画が村々に紹介されて以来,地域内における障害やリハビリテーションに関する知識や認識が高まり,技術も身について,CBRサービスが実施されるようになってきた。そしてその結果,CBR計画の到達レベルも上がった。地域のためにはこのレベルを維持する必要がある。いったん障害者がCBR計画を通じて障害を克服し,地域において正当な地位を回復し,外見からはリハビリテーション・サービスを受ける必要もなくなったように思われると,この計画への関心が低くなる。活発でなくなってしまうという危険性は,当初からあったわけではないにしても結果として生じる可能性がある。
これに対する対策としては,5歳以下の子供の体重測定など,地域内で定期的に行われているプライマリー・ヘルス・ケアや栄養指導のようにすでに行われている事業とCBR計画との連携を通じて関心をつなぐという方法がある。
障害の問題は,例えば障害者が勧められて夜警などの地域活動に参加することによって人々に意識されうる。障害者が村の運動会や美術工芸展,パレードなどに参加すれば,障害に関心をもち続けなければならないという意識を引き出すことにもなろう。あるいはまた,村を紹介するパンフレットの中には村の障害者にかかわる統計を掲載すべきである。村同志の競い合いでは,とかく地域の保健活動,環境問題,農業政策の達成度に注目が集まるものだが,障害やリハビリテーション事業の統計も衆目にさらされるべきである。
CBR計画を効果的に進めるには,計画内に継続策を設けておく必要があるといえる。

図2

CBR計画の維持図2


結論

考察を必要とする問題はほかにも多い。例えば,リハビリテーション研究,訓練計画,地域レベルでの計画管理などがある。既存のリハビリテーション・サービスや関連のある非リハビリテーション・サービスがCBR計画に参加して果たす役割にも注目しなければならない。そしてこれに加えてとくに大切なのは,現場での経験から生まれる問題の数々である。
理論と実践体験の双方に基づいて,効果的なCBR計画の実施策を開発する必要がある。


コミュニティ・ベースド・リハビリテーションの
さまざまなモデル

VARIOUS MODELS FOR COMMUNITY BASED REHABILITATION

Padmani Mendis
World Health Organization,SriLanka


私は,この分科会で主催者から「コミュニティ・ベースド・リハビリテーション(CBR)のさまざまなモデル」というテーマで発言することを求められているのであるが,このことは,過去およそ10年間のCBRの発展に寄与してきた開発途上国からの参加者の期待や不安を皆様と分かち合う機会となると思う。
以前のこの種の会議では,私は,「なぜCBRなのか?」という疑問について開発途上国からの意見を述べる役割を果たしてきた。それが,現在,「CBRはどのようなものか?」という疑問に変化したことは,CBRの考え方が国際的なレベルで認識されるようになった半面,その課題が引き続き困難な状況に置かれていることを物語っている。過去数年間で,スリランカにおけるリハビリテーションへの関心と活動は著しく拡大し,その大半がCBRという名目で実施されている。開発途上国の我々にとっての不安は,このような関心と活動がCBRの考え方を本当に理解することなく行われている場合が多すぎることである。そこでは,北半球で伝統的に行われているリハビリテーション・セラピーのパターンがそのまま,あるいは多少の修正を加えて,我々のコミュニティに導入され,それがCBRと呼ばれているのである。私は,CBRの考え方を詳しく検討することのできるこのような機会を利用して,CBRのモデルの問題をはっきりと議論したいと考えている。

CBRでは,我々は一定の考え方に基づいて行動している。従って,CBRと呼ばれるすべてのアプローチは,その考え方を十分に認識したものでなければならない。言い換えれば,それらのアプローチは一定のパターンに沿ったものでなければならず,さもなければCBRとは言えないということである。従って,CBRのモデルを話題にするときに,「モデル」という言葉は,CBRの考え方の中に含まれる基本的な事項を実行するためのさまざまなバリエーションやアプローチを表すために用いられる。
私が実際に見たり,深くかかわった人から話を聞いた中で,CBRの考え方によって行われていると思われるモデルは,次のような地域のものである。これらの地域とは,ベトナムのTiangGiang地方,ネパールのBaktapur,インドのKerala,スリランカのSarvodaya,フィリピンのBacolod,マレーシアのKuala Terrauganu,ビルマである。これらの地域のモデルは,どれも同じではなく,それぞれが著しい特徴を持っている。しかし,このような多様性の中にも,これらのすべてのモデルが実現に向けて取り組み,多少なりとも実現してきているものには基本となる類型が存在している。その類型は,CBRに固有の特徴を持っている。
これらの特徴を明確に示すためには,CBRの考え方が発展してきた理由を考える必要がある。今の時点で我々の理解していることを要約すると,第一に,障害者が絶望的な社会・経済状況に置かれていることと,第二に,これまでのリハビリテーション・システムが障害者の生活の質に大きなプラスの影響を及ぼさなかったことがあげられ,しかも,この二つは密接に結び付いている。後者の点について,今年7月の米国民主党大会でエドワード・ケネディ上院議員は次のように指摘していた。

「米国は,障害者全体を我々の経済の停滞部分に追いやるのではなく,メインストリームに引き入れる必要がある。」

この発表の主旨と残された時間を考慮して,私の考えを述べると,CBRの考え方は次の三つの特徴によって最も適切に表現されている。その第一の特徴は,以前には治療が重視され,社会変革は二の次とされていたのに対して,社会変革が治療を効果的にするための前提として重要視されていることである。社会変革は,治療の効果を最大限に高め,リハビリテーションの目標を達成するために不可欠である。
過去の経験,とりわけ最近のプライマリー・ヘルス・ケアに関する経験によって,我々は,根本的でしかも永続する社会変革は,家族やコミュニティそれ自体がその社会変革の主体となったときに,はじめて実現することを学んだ。そして,そのような中から態度の変革も生まれるのである。
CBRの第二の特徴は,当然のことであるが,コミュニティがそのメンバーである障害者のリハビリテーションに責任を持つということであり,これがCBRという名称の由来ともなっている。この考え方によると,リハビリテーションあるいはCBRに対するコミュニティの責任は,単に,リハビリテーション・サービスがコミュニティのレベルで行われたり,コミュニティがサービスの提供に参加するということだけにとどまるものではない。最近では,CBRの名によって,訪問,移動タイプの早期促進プログラムなどが多種多彩に行われている。CBRでは,リハビリテーション・サービスはコミュニティのレベルで行われ,コミュニティがサービスの提供に参加するのであるが,その基盤として,障害者へのサービスが全体としてのコミュニティ開発の一部であるというコミュニティの認識が不可欠である。リハビリテーションは,孤立したプログラムや活動ではなく,コミュニティの改善に向けた総合的なシステム変革の一部である。このようになってはじめて,社会的統合,完全参加,機会の平等ということが意味を持ち,現実的な目標となるのである。
個人の能力を改善するための治療を中心とする伝統的なリハビリテーション・アプローチでは,これらの目標が達成されないことは,経験からも明らかとなっている。障害者であるなしに関係なく,個人がどれだけ自己達成を目指して努力したとしても,社会の環境が自己達成がその人の権利であることを認めない限り,その努力は報われないのである。従って,障害者に対して差別的な我々の社会を本質的に変えていくことが,リハビリテーションにとって不可欠であるといえる。CBRはこのことを行おうとしているのであり,それは計画段階から教育,経済活動,保健活動,文化,政治などの範囲を越えてあらゆる社会開発のプロセスにその考えを浸透させることによって可能となる。
教育を例としてあげると,特殊教育は,世界的傾向として,「全員のための一つの学校制度」に向かっている。そこでは,特殊教育はもはや孤立した特別のものではなく,さまざまな形式の一般教育の中に入っていっている。最近のロイターによるニューデリーからの報道によると,女性開発・研究センター所長の報告に対する反応として,地位向上を目指すインドの女性グループは,「別個の問題として女性をとらえているプランでは,女性をメインストリームに引き入れることなどできるはずがない。」と述べていた。
CBRの第三の特徴は,コミュニティに情報を提供して,コミュニティが上にあげた二つの特徴を実現できる能力を持たせるようにすることである。WHOが作成した「コミュニティでの障害者の訓練」というマニュアルには,これら三つの特徴の間の関係が示されている。ここでの知識と技能は,小出しではなく,自由にアクセスでき,しかも,障害者,家族,リハビリテーション・ワーカーにとどまらず,障害者の隣人や友人,公式・非公式のコミュニティ指導者,学校教師,保健従事者,その他のコミュニティ開発担当者やグループにも利用できるものとならなければならない。
これまでの治療を中心とするアプローチだけでは,たとえ,それがコミュニティ・ワーカーの手で,障害者の自宅で障害者の積極的な参加を得て行われたとしても,CBRとはならない。治療技術は,社会変革とコミュニティ開発の状況の中に統合されなければならない。私は,このことに関する理解と認識が欠けていることが,CBRとは何かということに関して若干の混乱を引き起こしていると考えている。
このような混乱の大きな部分は,情報の提供が不十分なことが原因となっている。また同様に,無責任な情報の提供もその原因となっている。CBRの考え方が受け入れられているかどうかは別問題として,その考え方が理解された上での批判は,積極的な意味を持ち,機会の平等化に向けた我々の活動にとっても役立つ場合がある。しかし,CBRの考え方を理解せずに行われる批判は,それを受け入れることを認めているものであっても,我々の妨げになる。
後者の種類の批判の多くが,開発途上国で働いている先進国からの性格的に孤独で厳格な派遣者から提起されていることは興味深いことである。彼らの批判は,いわゆる「WHOモデル」に向けられている。そのモデルは,WHOマニュアルにも示されているのであるが,各国の社会・文化的な背景を考慮して作成されている。彼らは,そのモデルやマニュアルがあまりにも固定的で弾力性がないとして,それを破棄することを求めているのである。しかし,このモデルが多様な内容を持っていることが世界の多くのWHO加盟国によって認められ,またマニュアルが現場の従事者によって高く評価されていることを考えると,このような批判が意味を持たないことは明白である。従って,このような批判は,開発途上国の知性を侮辱するものであり,また,このような見解を持つ人が傲慢で,偏見を持ち,融通性がないことを示すものである。

このようにCBRの考え方が理解されてないことと,CBRの名のもとでCBRとは無関係のさまざまなモデルがはびこっている原因は,先進社会の基準によってCBRへのアプローチが行われていることである。CBRの考え方は,開発途上国の視点から見たときに,はじめて理解され,評価されるのである。
先進国でも,開発途上国でも,リハビリテーションの目標は同じであるが,開発途上国の状況は先進国からみると,まだ何十年も遅れていることは確かである。しかし,我々開発途上国は,先進国の経験から学ぶことができるという有利な立場に置かれている。先進国では,産業の発展仁伴って,リハビリテーションに関する制度面へのテコ入れによって,現状は大きく改善されると期待されていた。しかしながら,一方で社会の姿勢の変化には遅れがみられることも確かである。この経験によって我々は,開発段階に応じて,利用できる資源を最大限に利用して障害者の社会統合,完全参加,機会平等という世界共通の目標により一層近づくことのできるCBRという考え方を生み出したのである。


〔参考文献〕

  1. World Programme of Action Conceming Disabled Persons.UNSCDHA Vienna,1983
  2. Helander E,Mendis P,Nelson G,Training Disabled People in the Community, WHO Geneva RHB83.1,1983
  3. Miles M,Where there is no Rehab Plan.A critique of the WHO Rehabilitation Scheme, Mental Health Centre,Peshawar,(Undated)
  4. Myrdal Gunnar, An Approach to the Asian Drama, Vintage Books,NewYork,1970
  5. Corea Gamini,Third World Cooperation and the Development Crisis,Inaugural Senaka Bibile Oration,Sri Lanka,1987
  6. Meadows Donella H,Whole Earth Models and Systems,(from the CoEvolution Quarterly, Summer1982 Vol 34)

コミュニティにおける生活の質の向上

IMPROVING THE QUALITY OF LIFE WITHIN THE COMMUNITY

Robert Sabourin
Center Francois‐Charon,Canada


1981年2月,障害予防およびリハビリテーションに関するWHO専門委員会は次のような結論を述べた報告を行った。

“世界人口の約10%は何らかの形で障害とハンディキャップの影響を受けている。そしてそのことは当事者とその家族のみならず,その人々が住む地域社会にとっても,社会的,経済的,物理的,心理的に深刻な問題の原因となっている。そのような障害やハンディキャップの深刻な状況が広範に発生していることを考慮して,本委員会は各国政府に対し,以下のような勧告を行う”

その5番目の勧告を引用すると,

“政府はコミュニティ・ベースド・リハビリテーション(CBR)と障害予防に関 る開発計画を緊急課題として着手すべきである。”

この引用部分は,私の発表の要旨,つまり「コミュニティにおける生活の質の向上」の前提となるものである。
どのようにしたらこの勧告は実現されるであろうか?私の発表内容はこの問いに答えることを目的にしている。

  1. “障害をもつ人々の地域社会での生活の質の向上”とは?
  2. その目的を達成するための主要な方法は何か?


定義

障害をもつ人々の生活の質の向上……”
ケアにかかわるすべての人々が“受益者”とか“援助される人”としてではなく,一人前の人間と見なせば,自立できるであろう人々。
他の市民と同じように,住宅,教育,交通,そして報酬のある仕事かボランティアの仕事かにかかわらず働く場へのアクセシビリティのサービスが受けられる人々。
身体的,知的,社会的,文化的活動を通じて得たものを,あるがままの環境の中でできるだけ長く保持できる人々。
そうあれば,彼らは自分達があらゆる面で幸福で,有用であると感じることができるであろう。

“……地域社会の中で”
村,近隣,家族,友人,親類等共通の,また特定のニーズの下に自然に集合体が形成されたところ。
これについての長い研究や論議は不要であるが,必要なことは,生活の方法に密着していることと革新的なことである。
この地域社会についていくつかの条件を挙げるが,実践の前にあなた自身の経験と比較できるであろう。
条件1-障害をもつ人々は,自分達の権利を守るためばかりでなく,生活向上のために独創的で経費のかからない方法を見いだすために,自主的に自分達の組織をつくることができる。
条件2-家族(友人および親類も含む)の中に,障害者を自然な地域社会の中で生活させるために協力しようとする意志がある。しかしその意志の実行のためにはサポート,情報そして小休止が必要である。
条件3-地域社会の中に物事を決定する人々あるいは指導者,変化を推進する人々,ボランティアなど,適切なサポートがあればすすんで自分達の時間とエネルギーを提供しようという人々がいる。
条件4-その卓越した能力を発見し,伸ばすことができるならば,社会の役に立つことを最上の願いとする多くの現役退職者がいる。
条件5-指導者らがハビリテーションとリハビリテーションの研究,各種のセラピー,地域社会の経験の評価に巨額の投資をすることを決定すれば,政府は,障害をもつ人々を普通の環境の中でより長く生活させることにより莫大な金額を節約することになろう。
条件6-社会事業の焦点を市や村に置き,自治体や学校そして社会レベルから意志決定者を得て,障害をもつ人々の生活の質の向上を目指して協力すれば,その結果は個々のバラバラの事業成果を全部合わせた以上に重要なものとなろう。


基本的手段

1987年6月,ケベック市においてテーマ“地域社会における生活の質の向上について”の下に開かれた前回のカナダ・リハビリテーション会議では多彩な提言や実体験が交換された。その中でハビリテーションとリハビリテーションに対する確実で明るい未来を感じさせる3つの活動パターンが心に残った。

  1. 自助グループ
  2. コミュニティ・プロジェクト
  3. 政府の政策

1。自助グループ

自助グループは共通のニーズをもち,似たような生活状況にある人々が相互に援助し合う,自発的な仲間によって作られた小グループである。基本的な特徴は生活経験を積んだ人たちで構成されていることである(REISMAN,1977年2月号)。
我々の社会で影響力のある人はすべて,このような組織を援助しなければならない。その寄与するところは,いろいろな意味で非常に大きいからである。

  • ―メンバーの間には,お互いを気づかう環境の中で,容認,支援,激励の雰囲気がある。
  • ―“ヘルパーセラピーの原則”(REISMAN,1976年2月号)を実践に移す好例である。
  • ―このヘルパーセラピーの原則は“快復するための闘い”をよりよく理解するために,保健や福祉の専門家にも適用できる。

保健や福祉の仕事をする人たちは,自助グループの発展に参加すべきである。そしてグループの人々を近隣の非専門家の援助者たちと結びつけるようにする必要がある。米国のNational Association for Psychiatry (国立精神医学協会)は現在,自助グループを好ましい援助方式として認めているし,英国の未来派学者James Robertsonは,ヘルスケア・ワーカーの将来の仕事は,人々が自分で自分の健康により大きな責任をもてるようにすることであると述べている(ROBERTSON.J. 1985年)。自助のプロセスそれ自体が可能性への影響力をもっている。
2。コミュニティ・プロジェクト
地域社会における生活の質の向上はコミュニティのプロジェクトでなければならない。そのプロジェクトの中心となるのは当然市当局である。市当局は,輸送,宿泊,レジャー活動の全般,そして生活環境に責任があるので,教育,保健,雇用を担当する組織体と協力して,障害をもつ市民のニーズの問題の中心となることができる。
障害をもって生活している人々に援助を提供する組織体が区分されると,彼らに影響を及ぼすことが多い(消極的な形で)。
科学の進歩に伴い,市民は昔より長寿を享受できるようになった。だが,どこかの施設で“朽ち果てる”のなら,長命の恩恵は何の役に立つのだろう?我々の社会の全指導者がとるべき方向は,市を中心としたコミュニティ・プロジェクトが目指すところのことである。
障害や限界のある人たちが,明日の市の発展に積極的に参加できることを保証するためにあらゆる手段を尽くさなければならない。
3。政府の政策
工業先進諸国が保健やリハビリテーション関係に支出した金額の割合は,これらの国々が今後20年も,あるいはそれ以下,そのような経費をまかないきれないだろうということを示唆しているようである。新しい方針をとる必要がある。WHO専門委員会が発表したように,この分野で,より現実的な方向への推進力となる最適な立場にあるのは政府である。
国の政策の具体的な立案が望まれるのは次の四部門である。

  1. ハビリテーション,リハビリテーションおよび予防に関する調査と開発(付記参照)
  2. 訓練計画の再検討(構造改革)
  3. 在宅ケア・サービ
  4. 高齢者がもつ潜在能力の開発と活用


付記

  1.  まず,ハビリテーション,リハビリテーション科学の明確な定義づけから着手すること。そしてそれにはWHOが採用した国際分類用語によりimpairments(機能障害),disabilities(能力障害),handicaps(社会的不利)の生物物理学的,精神的,社会的側面の系統的な調査研究が必要である。
  2.  調査研究は,impairments,disabilities,handicapsの発生頻度,発生範囲,特質に関するデータの収集,分析,解明を含む。
  3.  調査研究により人々の環境,遺伝,文化的背景,ライフスタイル,職場,レクリエーションやスポーツヘの関心等々に関連した障害の原因やリスク要因を見極める。
  4.  調査研究を通じimpairments,disabilitiesおよびhandicapsの社会的影響,コスト,そしてそれらの予防,減少対策を研究すること。
  5.  調査研究により人間に残された能力の開発を推進しなければならない。
  6.  調査研究においては全体論的アプローチに従い,対象となる人を総体的にとらえること。プロセスを通じて,その人の積極的な参加と,家族や友人たちが序々に深く係わってくることが必要であろう。
  7.  調査研究を通じ,行動とその環境がもたらす,はかり知れない可能性といった見地から社会的環境に働きかける効果的な方法を見いだすこと。
  8.  調査研究には,その基本,評価,技術,心理の側面に加えて,組織,運営の面も含まれる。
  9.  調査研究によりサービス,教育,消費者および産業組織間の協力を促進すること。
  10.  調査研究は,その成果と利用を組織的に普及しなければならない。

ハビリテーション,リハビリテーション研究におけるこのような方向は多面的な効果をあげるであろう。

  • 効果1:今後10年以内に,援助費用が大幅に減少するであろう。
  • 効果2:身体的,知覚的,精神的障害をもつ人たちの教育的,専門的,社会的統合が早まるであろう。
  • 効果3:障害をもつ人々のための訓練計画,クライアントのためのサービス目標,政府の計画目標,消費者団体の問題と要請等の間によりよい調和がはかられるであろう。
  • 効果4:教育,産業,臨床医学界におけるハビリテーション,リハビリテーション研究が行われるようになるであろう。

(抄訳)


都市型コミュニティ・ベースド・リハビリテーション

―香港の例―

URBAN COMMUNITY BASED REHABILITATION:THE HONG KONG EXPERIENCE

S.F.Lam
Maclehose Medical Rehabilitation Center.Hong Kong


コミュニティ・ベースド・リハビリテーション(CBR)は,地元で利用できる資源に応じたレベルでリハビリテーション・ケアを提供するシステムである。これは,コミュニティの中で当事者(患者)と最も良くコミュニケートする家族や友人とともに,その母親が子供の面倒をみるのに理想的な看護婦であり「セラピスト」である,という古くからの考えに基づいている。
現在以下の三つのCBRの方法がある。

  1. 政府のプログラム
  2. 医科大学またはリハビリテーションセンターの行うプロジェクト
  3. 主としてボランティア機関が地方当局と協力して行うプロジェクト

WHOは1978年に「コミュニティでの障害者訓練」というタイトルの開発途上国向けCBRマニュアルを作成した。4年以上に及ぶ実地テストで以下の事が明らかになった。

  1. 障害者の70%は,マニュアルを適切に利用して家族によって援助が行われた。
  2. 20%は,職業的な補足的援助を必要とした。
  3. 10%は,専門家への照会が必要であった。

地元のスーパーバイザーや家族またはコミュニティの訓練員を利用した現行の形のCBRの実地テストが,低開発国,開発途上国の農村地域だけで行われた事は重要である。
Maclehose医学リハビリテーションセンターが1986年にWHO協力機関に指定された。これが同センターを運営する香港リハビリテーション協会の最初のプロジェクトのひとつとしてはじめた都市環境におけるCBR(UCBR)である。香港でCBRを有効に活用するためにはどのように変えたらよいのか? この疑問に答えるためには

  1. 香港にあるものを明らかにし
  2. 我々に不足しているものを見きわめ
  3. これらの不足を克服するためにUCBRを適用する(CBR←→UCBR)ことが必要である。


香港に何があるか?

身体障害者のためのリハビリテーション施設は政府および民間機関の両方があり,私的な(有料でサービスを提供する)セクターの役割が徐々に増している。施設の多くは,病院,クリニックあるいはセンターに設置されており,患者は通院したり(外来患者,デイ患者として),生活したり(入院患者として)する。
先進国の最高の施設と比べてひけをとらない水準の施設も多くある。自宅からこれらの施設へ行く意志があり,移動が可能ならば,香港でリハビリテーションサービスを必要としている人はだれでも利用する事ができる。
政府と民間機関の両方が提供するコミュニティ看護婦サービスはあるが,総合的な国による保健サービスを備えたもっと豊かな国々にはみられる在宅理学療法や作業療法のサービスはない。


我々が不足しているもの

我々がリハビリテーション・サービスは施設中心だが,スタッフが仕事をこれらの場所だけに限っているということではない。家庭訪問も,患者が退院する前に彼らの家庭が適当であるか,彼らのニーズに適応しているかを調べるためにこれらスタッフ(理学療法士,作業療法士,医療ソーシャルワーカー等)により頻繁に行われる。同様に,患者が家に帰る場合には,家族も注意を喚起され,指導を受ける。
患者には全員に対し,フォローアップのために各々の病院,クリニック,センターに来るよう指導し,来院の日時を指定する。ここに我々のシステムの弱点がある。つまり約束を守るか否か,フォローアップを受けに行くか否かの決定が完全に患者の判断にまかされているのである。移動に不自由がある,交通機関の利用が不可能である,家族が付添いをするため職場を離れるということができない,などの多くの理由から,患者が退院後のこの絆をつないでいくのは難しいものと思われる。要するに,退院とその後にケアが必要な場合ケアとの間を結ぶケアの継続性が途切れるということである。


UCBRおよび継続的コミュニティ・
ケア・プログラム(CCCP)

この不足を乗り越えるための試みの中で,Sir George Bedrookが西オーストラリア州パース市のシェントン・パークで彼の患者対象に導入した「訪問患者ケア・プログラム」を調べた。彼のリハビリテーション病院を退院した下半身麻痺の人々は,訪問患者ケア看護婦により家庭でフォローアップ,ケアをうけ,(必要な場合には)さらに治療を受けている。
我々の目的は,患者が諸施設から家庭に戻った後に必要となる訪問ケアを提供するためUCBRの概念を適応することである。私はこのプログラムを継続的コミュニティ・ケア・プログラムと呼ぶ,つまりUCBR←→CCCPである。
我々の計画ではこれを看護サービスと結び付ける予定である。つまりコミュニティ看護婦が中間スーパーバイザーとなってCBRの地元のスーパーバイザーと我々の施設に根ざしたリハビリテーションシステム(IBR)の専門家との間を結ぶ。
この結びつきができると,相互対応が可能になりコミュニティ訓練員や地元スーパーバイザーは,難しい,複雑なケースについて必要な場合,適確な診断や高度なセラピーの支援を受けることができる。Susan Hammermanの1982年レポートにある20%の専門家の協力と10%の専門家への照会である。


〔参考文献〕

  1. Dr. Jerzy Krol, Community Based Rehabilitation-The Basic Principles and Their Implementation. Proceedings of the 15th World Congress of Rehabilitation International, Lisbon 1984.
  2. Ms. Susan Hammerman-report of the field testing of the WHO Manual presented at the 1982 Asia-Pacific Regional Conference of Rehabilitation International in Papua New Guinea.
  3. Dr. Sankaran, WHO Consultant reporting on the field trials of CBR presented to the Medical Commission of Rehabilitation International in Geneva, November 1985.

コミュニティ・ベースド・リハビリテーションの中国における都市型モデル

AN URBAN MODEL OF COMMUNITY BASED REHABILITATION IN CHINA

卓大宏(Dahong Zhuo)
孫中山医科大学教授



序文

WHO(世界保健機関)によると,コミュニティ・ベースド・リハビリテーション(CBR)は,機能障害,能力障害,社会的不利を持つ人々自身,その家族およびコミュニティ全体を含むコミュニティのリソースを活用し,その上に築くコミュニティレベルの活動である(1981)1)。各々の国や地域の社会,経済,文化状態に大きく左右されるため,各国の特異的な背景やニーズに合うように適合させた非常に多様な形態で,過去12年間に25ヵ国以上で実施されてきている。中国では1986年から,廣州市の都市型コミュニティであるチンホア街を始めとする多くのパイロット地域でCBRプロジェクトに着手している。チンホア街のCBR事業を事前評価した結果,都市型CBRの前途有望なモデルが具体化しつつあることが明らかになった。


組織ネットワークと人的資源

チンホア街は廣州市西部にあり人口は約3万人である。住民は0.44平方キロメートルの面積内に住み,146の狭く,短い路地が迷路のように不規則に広がっている。物理的環境のハンディキャップにもかかわらず,コミュニティの人々は街の衛生状態や住民の生活の質を改善するために懸命に努めてきた。
1986年3月チンホア街の行政当局は,孫中山医科大学のリハビリテーション医学部の後援と,このリソースセンターからの支援を得てCBRのパイロット・プロジェクトに乗り出した。街コミュニティのリーダーを長とし,その地域の校医の出席を得て管理委員会が組織された。委員会のその他のメンバーとしては,地元の保健従事者,市民福祉ワーカー,赤十字社の活動家,ハンディキャップのある人々,の各代表が含まれている。大学から3名のリハビリテーション専門家が管理委員会のコンサルタントまたは臨時メンバーとして参加する。この委員会は,CBRに関してコミュニティレベルで決定を下し,方針の作成を行うグループである。つまり,チンホア街のCBRプロジェクトは,コミュニティの人々の積極的な参加と大学側からの専門的援助のもとで街の当局が運営し管理している。
管理委員会の下に中間のスーパーバイザーとして,この街区域の中学の若い校医が選ばれた。彼は1986年廣州市で行われたCBR全国ワークショップを体験しているためCBRについて知識を持っており,技術にも通じている。この分野ではパートタイマーにすぎないとはいえ,CBRネットワークでは重要人物で,CBRのマネジャー,オーガナイザー,インストラクターの役割を果たす。中間スーパーバイザーの下には,管理委員会が街の全居住区域から選んだ33名の地元スーパーバイザーがいる。地元スーパーバイザーのほとんどは,コミュニティ活動に活発な中年女性である。この人々は障害者と共に在宅リハビリテーション訓練に従事する。障害者の住む区域でそれらの人々の世話をする地元スーパーバイザー一人当たりの標準仕事量は,通常一人につきリハビリテーション処置を必要とする障害者5~6名であるが,そのための週当たり時間は6~8時間である。障害者のいる全家庭で常に一名の家族の訓練員が指定されていて,地元スーパーバイザーの指導を受けて,障害者を抱える家族の訓練を毎日行う。複雑な障害を抱える人々は,地方病院や市立や大学の病院に照会される。地元スーパー バイザーは街コミュニティのCBR活動に対して報酬を受けず,ボランティアとして活動を行っている。


在宅訓練と街のリハ・ミニステーション

CBRの二大事業は,街コミュニティ在住の障害者を探し出して居所を明らかにすることと必要な人々には在宅訓練プログラムを実施することである。地元スーパーバイザーは,このための特別コースで大学のリハビリテーション医やセラピストから,また中間スーパーバイザーから訓練を受けている。地元スーパーバイザー向けの教材および指導書として,簡易化したマニュアルが用意された。
CBRプロジェクトの初期段階では,障害者を探し出し居所を明らかにするため,地元スーパーバイザーが戸別訪問による調査を行い,次に保健ワーカーと医師が再点検した。街人口29,964名のうち344名が障害者(全人口の1.15%)であることがわかった。この数字は,チンホア街の障害率が中国全体のそれ(サンプル母集団,例4.9%)2)よりも低いことを示している。障害リストの上位には以下の4主要カテゴリーがあった。神経筋肉障害-86名(25%),精神障害-75名(21.8%),心・肺障害-44名(12.8%),聴覚・言語障害-43名(12.5%)である。言及すべきその他の障害としては,全盲・視覚障害-26名(7.6%),関節炎-28名(8%),精神薄弱-19名(5.5%)がある。その他のそれ程重症ではない障害は全障害の6.8%を占める。
CBRプロジェクトの第2段階では,脳卒中による片麻痺,ポリオによる神経筋肉障害,脊髄損傷による両下肢麻痺,脳性麻痺関節炎,その他の各身体的障害を抱える人々を対象として在宅機能訓練を行った。通常地元スーパーバイザーが週2回障害者宅を訪問し,障害者訓練のために,家族訓練員に対し技術知識を与え,動機づけを行い,監督をする。片麻痺,ポリオ後遺症,関節炎といったいくつかの一般的障害を扱う場合には,リーフレットにまとめられている一連の訓練方式を用いる。監督記録を地元スーパーバイザーが作成する。機能改善率は90%である。最近の何ヵ月かにおいては,在宅訓練サービスが心や精神の障害を抱える人々にまで広げられてきている。同時に,ワークショップで働く精神薄弱の人々のためには授業時間がスケジュールに組まれた。現在までのところ,105名の障害者に対して在宅訓練プログラムが実施されている。
在宅訓練を補うものとして,コミュニティ運営のリハ・ミニステーションが1987年3月に設置された。ミニステーションは,50平方メートルの敷地内に,訓練用自転車,ウォールプリー,手の機能訓練器具,鍼・灸・治療マッサージ用の用具や道具など基本的装置を一通り備えている。このようなミニステーション設置の背景にある考えは,チンホア街のように人口密集,稠密コミュニティ(中国の他の都市型コミュニティの場合にも同様)では,器械を使ってより熟練した指導のもとで多少複雑な訓練を促進するためには,リハ・ミニステーションを設置する方が在宅訓練よりも適しており,有益であるということである。歩行ができたり,街の中を移動するのに車いすを用いる障害者や両親が付添う子供達は,ミニステーションに来てそこで訓練活動を行い,より良い治療効果を得ることができる。過去1年間に125名の障害者がリハビリテーションの治療と訓練を受けにミニステーションを訪れた。地元保健ワーカーがまとめた統計によると改善率は93%である。CBRサービスにおいとは,リハ・ミニステーションは在宅訓練の補助的なものにすぎないということを指摘しておきたい。どのような事情 であっても,CBRの焦点は在宅訓練に置かれるべきである。
チンホア街のCBRの特徴のひとつは障害者のケアの中に,伝統的な中国の方法を広範に用いていることである。鍼療法,伝統的なマッサージや調整,漢方薬は,麻痺,痛みや感覚喪失,リューマチによる障害といった多くの状態に有効に作用する。


総合リハビリテーション

チンホア街のCBRでは総合的アプローチをとっている。身体的,精神的,心理的リハビリテーションに加えて,職業,社会リハビリテーションにも大いに留意している。152名の身体障害者が,コミュニティの運営する工場で非障害者に統合して職が得られた。22名の精神的にハンディキャップを持つ人々を街コミュニティの運営するワークショップに世話をし,これらの人々は満足しながら有給の仕事をしている。社会リハビリテーション促進に向けては,障害者が非障害者と集うようにするために街コミュニティがスポーツやレクリエーション行事を定期的に主催,組織している。特にハンディキャップを持つ人々を対象に,コミュニティがスポーツ競技を組織し,成功をおさめた。1987年に障害者の自覚のためにつくった「チンホア街障害者協会」は,CBRの発展と共に成長している。


評価

最近アンケートとインタビューをしてチンホア街におけるCBRについて評価を行った結果,CBRは発展していて,コミュニティが多くの点においてCBRから利を得ていることがわかった。1態度の変化:今では一般の人々や家族が障害者に以前よりも関心と共感を持ち,喜んで援助の手をさしのべる。2今では障害者が将来についてより良い展望を持ち,より多くの動機づけがなされ,より自信に満ちている。3障害者の日常生活の中で運動機能と活動能力が向上し,生活の質が向上した。4CBRによってリハビリテーション治療がより身近に,より便利になり,コスト効果が上がり,家族の負担(経済的,心理的)を軽くしている。


〔参考文献〕

  1. World Health Organization:Disability Prevention and Rehabilitation. 1981, 9, Geneva
  2. State Statistical Bureau of the People's Republic of China:Press Communique about Principal Data of the National Sampling Survey of Handicapped in China. 1987

リハビリテーションの将来

THE FUTURE OF REHABILITATION

Einar Helander
Medical Officer Rehabilitation.World Health Organization


WHOでは,1億から1億2000万人の障害をもつ人々がリハビリテーションを必要とし,リハビリテーションによる利益を受けることができるはずだと推計している。この推計は,多くのコミュニティ・ベースド・リハビリテーション(CBR)プログラムの調査,研究,観察に基づくものである。このうち,現在リハビリテーション・サービスを受けている障害者は200万から300万人に過ぎず,およそ1億人の障害者がサービスにアクセスすることすらできない状況に置かれている。このギャップは桁外れに大きく,しかもますます拡大している。我々リハビリテーション従事者すべてにとっての最重要課題は,このギャップを埋める方法を生み出すことである。
開発途上国におけるリハビリテーションは,政府や篤志家によって運営されている場合もあるが,大半がNGO(非政府間機関)によって運営されている。毎年,先進国から開発途上国に対して大規模な資源の移転が行われ,その金額は少なくとも2億ドルに及んでいる。障害者のためのプロジェクトは4000以上にも達していて,さまざまな篤志家から資金が提供されている。
これらのプロジェクトでは,幾つかの異なるアプローチ方法が用いられている。次に,その主なものを示す。
1。サービス・プロジェクト このアプローチ方法によると,スタッフや設備が一時的に開発途上国に提供される。サービスはすべて外国人によって提供されるが,その外国人スタッフは,現地スタッフの訓練を行うことなく帰国する。
2。開発プロジェクト この目的は,知識や技術を開発途上国に移転させることである。そのために外国人による現地スタッフの訓練が行われる。
開発プロジェクトは,幾つかの異なったレベルで実施される。また,それには大きく分けて3つのタイプがある。

  1.  施設リハビリテーション・プログラム 障害者に対する専門的サービスが施設への収容あるいは通所で提供される。このような施設が設置されているのは,首都あるいは大都市に限られている場合が多い。
  2.  出張サービス・プログラム 専門的スタッフができる限り障害者の自宅でサービスを提供するもの。
  3.  CBRプログラム コミュニティの資源をできるだけ活用するという考え方に基づいて行われる。障害者は自宅やコミュニティの中で訓練を受ける。そこでは,家族が訓練担当者,コミュニティ・ワーカーが地域のスーパーバイザーとしての役割を果たすことになる。コミュニティ・ワーカーへのリハビリテーションに関する訓練は中間スーパーバイザーによって行われるが,そのスーパーバイザーの大半は専門的スタッフとなっている。このプログラムには,照会サービスによる裏付けが必要とされる。

施設リハビリテーション・プログラムと出張サービス・プログラムは,多くのスタッフを必要とし,運営コストも高い。従って,これらの2つのアプローチが,リハビリテーション・ギャップの縮小に大きく貢献するとは考えにくい。
CBRプログラムは,知識や技術を障害者,家族,コミュニティに広く移転することを目指すものである。そのような知識や技術の移転は,非常に明確な性格を持ち,先進国の最新のリハビリテーション・プログラムでも活用されている。そこでは,親をはじめとする家族がリハビリテーションの積極的なパートナーとしての訓練を受けている。
WHOでは,CBRのモデルを開発してきている。このモデルは,「コミュニティにおける障害者の訓練」というマニュアルの中に示されている。モデルは他にもあり,我々は,各国がそれぞれの社会の現状に合ったアプローチを開発することを期待している。現在,CBRプログラムを実施しているのは,およそ60ヵ国である。
もし次の点を認識すれば,将来リハビリテーション・ギャップは縮小されると考えられる。

  1.  最終的ギャップを埋めるサービスを提供できるのは,政府だけである。NGOによるサービスは,プログラムを運営する方法に関する事例を提供することによって政府にそのようなサービスを開始することを促すために役立つに過ぎない。政府は,あらゆるニーズに対応するために,コミュニティのレベルで機能するサービス提供組織を実現させなければならない。
  2.  リハビリテーションに対する最も現実的なアプローチはCBRであり,それが成功するためには,必要な現地の資源を提供しようとするコミュニティの意志が不可欠である。
  3.  「必要とする人すべてに対するリハビリテーション」を妨げる大きな要因は,コミュニティ・ワーカーや中間レベルの専門スタッフとしての十分な訓練を受けた人が不足することである。また,企画や管理のためのスタッフの不足も深刻な問題である。
  4.  篤志家の組織は,互いに密接に協力するとともに,政府とも密接に協力しなければならない。多くの開発途上国では,リハビリテーションに関する調整が全くと言っていいほど行われていない。我々の印象によると,これらの国々では,多くの組織が現実への配慮をあまりせずに,好きなことを行っている。また,開発途上国に派遣されるスタッフが適性に欠けているケースも目立っている。彼らは,確かに本国では専門家としての役割を果たしているのかもしれないが,専門知識を外国の現状にあてはめる方法を知らないのである。
  5.  リハビリテーション・ギャップを埋めることは,短い期間で簡単にできることではない。多くの国では,現実的にみて,このギャップを埋めるためには 25年程度かかると予想されている。

分科会SA-3 9月5日(月)14:00~15:30

自立生活のトータルコンセプト

INDEPENDENT LIVING:THE TOTAL CONCEPT

座長 Ms.Judy Heumann Co‐Director,World Institute on Disability〔USA〕
副座長 定藤丈弘 大阪府立大学社会福祉学科助教授


自立生活のトータルコンセプト

―各国におけるモデル―

INDEPENDENT LIVING:THE TOTAL CONCEPT
MODELS IN VARIOUS COUNTRIES

Kalle Konkkolla
RI Finnish Committee,Helsinki,Finland



運動

自立生活運動(IL運動)は70年代の初めに,世界の各地で同時に誕生した。この自立生活運動に非常に近いのが,障害者の権利獲得運動であろう。事実,フィンランドでは,これらは全く同一の運動である。われわれは,障害者の新しい運動について模索している。と言うのも,われわれは,障害者運動の原点にもう一度還ってきたからである。旧来の障害者運動は,ある時点で官僚化し,行政の一部と化してしまった。
このことについてDisability Studies Quarterly(障害研究季刊)に興味ある記事が紹介されている。それには,障害者運動団体によるサービスの提供は,運動の停滞という危険性を妊んでいると論評されていた。
障害者運動の基盤は,障害者の実状に基づいた活動である。これはしかし必要条件であって,けっして十分条件ではない。活動には次の2つの目的がなければならない。

  1. 障害者にとってより良い世界を築くこと。
  2. この1の目的の実現のために障害者の力を強化すること。

われわれにあるこの目的のための唯一の手段は障害者自身であり,障害者相互の教育,成長が大切である。
当事者運動にとって必要で,大切なことは,当事者自身が声を出すということである。障害者自身が運動の方針を決定し,またそれを実行しなければならない。経験に基づいた活動というのは,経験をもたない者にはできないからである。障害者運動の自己批判のひとつに,もっとろうあ者や精神障害者を運動に参加させるべきであるという声がある。
世界を変えるためには,障害者と一般市民の意志疎通を向上させることが大変必要になる。他の人とは,開かれた心と平等を基盤にして対峙する必要がある。また,障害者はお互いのコミュニケーションを強固にすることが大変重要である。自尊心,自信は社会の中で活動するのに必要であり,それは,ピア・カウンセリングの基礎となるものである。
世界を変革することは絶え間ない労力を必要とするプロジェクトであるが,そのために障害者同志が集い,経験を話し合う場所が必要である。そこから新たな活動のモデルや新しい計画が生まれる機会が得られる。


目的

自立生活運動の目的は次のように要約できる。障害者の基礎的なニーズに応えること,それも障害者自身の定義するニーズである。その基礎的ニーズとは日々の役割を果たすことや,障壁のない生活環境,アクセシブルな移動・交通機関,所得,職業,個別的な援助等が含まれるだろう。障害者はこれらのサービスの主導権を保持すべきである。目的はあくまでも完全な自立生活であるから。これが非現実的であるという人には,自立と自由は両者とも責任が伴うと言うことを強調したい。責任を負うということは簡単なことではない。まして,本能的に出来ることでもない。それは,学習するものである。しかし,論理的に学ばれることではなく,経験を積み重ねることにより得られるものである。自分自身の人生に責任を持てるようになることが,さまざまな自立生活プログラムの目標である。このようなプログラムでは,参加者が経験を分かち合うことによりさまざまな状況に対処できる力を養うことができるであろう。「人生を練習することは出来ない。生きることにより,経験を積まなくてはならない。」
この時点で,私がどのような世界を目指して活動しているかという問題には深入りしないでおこう。障害者にとってなにが理想的な世界であるかイメージ出来ない方がいれば,あなたの住む地域の障害者運動の代表者にコンタクトをとることをお勧めしたい。


方法論

自立生活はまた,施設のなかで生活せずに,日々の問題を解決していくことを意味する。このことにより目的と方法は一致する。自分自身の家で,サービスの主導権をもって自立して生活できる機会を保障するサービス制度を作ることが自立生活運動の目的である。
個別援助者制度が自立生活の最善の方法であろう。フィンランドではこの制度を次のように定義している。
個別援助者とは,障害者が家族・親族・友人に過重な負担をかけることなく施設の外で生活することを可能にするために,日常の生活を補佐するために公的な資金援助を得て障害者が雇う人である。障害者は雇用主であり,援助者は被雇用者である。個別援助者の補助により障害者は通常の生活が送れる。援助者は障害者の代弁者ではなく,また障害者の代わりに決定権をもつ人ではない。援助者は単に障害者がその障害のためにできない仕事を補佐する人である。
障害者は雇用主としての責任を果たさなければならない。いくらかの事務処理や計算能力が必要であるということである。しかし,それ以上に大変なことは,ボスになるという精神的な面である。障害者は援助者を導き,被雇用者として面倒をみなければならない。援助者を冷遇する障害者は援助者を失うことになるかもしれない。しかし,雇用関係がうまくいけば地域社会との新しい関係が生まれて来るであろう。


フィンランド

フィンランドでは,個別援助者制度を試行的なプログラムとして8年間実施してきた。1988年に新しい法律が採択されて,この制度が正式に設立された。この法律は,革命的で,障害者は基本的なサービスを受ける権利があることを宣言している。この権利には,住宅サービス,交通・移動サービス,手話通訳や家屋改造サービスが含まれる。この法律は,1992年初頭に完全に効力を発する。この法律によって,市町村は1992年までに障害者が自宅で生活できるのを可能にするための十分な在宅サービスを提供しなければならない。この法律は,重度障害者の生活をかなりの程度変化させるであろう。同時に,社会も全体として,すべての者にとって良くなるであろう。
フィンランドの自立生活運動はこの改革のために備えてきた。私達は,これまでにさまざまな支援制度や訓練プログラムを確立してきた。また,ボスになるためのコースとよばれる1週間コースを開設し好評を得た。さらに夜間のコースも始めたが,それは都市地区の多くの人にとって利用しやすいものであった。このコースに関連して,個別援助者のマニュアルが作られ,最初の2部はもうすでに出版された。第1部は,個別援助者制度の理念から,どのようにして良い援助者を見つけるか,問題が生じたときにどう対処するか等の実践的なヒントが含まれている。第2部は,フィンランドの雇用に関する法律や税制を説明している。第3部は,来年完成するが,障害者や援助者の家事に関する良き案内書となろう。経験の交換や,自尊心を高めることが,私達の教育活動の最も重要なゴールである。


他国のモデル

この世界会議の期間中に他の国のさまざまな自立プログラムについては学ぶことができるであろう。モデルの大きな違いはどこが資金を出すかであろう。フィンランドでは,州の援助を得て市町村が資金を供出する。ほとんどどこの国でも自立プログラムは試行段階だと思われる。
その他の重要な違いは制度をどのように調整するかという問題である。フィンランド・モデルでは,市町村が主に責任をもち,私達障害者団体がいくつかの支援サービスを提供し,また,ロビー活動を行う。他の多くの国では,障害者団体が活動の責任を担っている。故に,自立生活センター(CIL)は,職業サービスから移動サービス,そして車いす修理まで多種のサービスが提供できるのである。
フィンランドで私達は,故意に物品の供給サービスを委託されるのを避けてきた。なぜならば行政当局と同一視される危険性があるからである。これに関しては,フィンランドでは,サービスを提供する団体が進歩を阻止する等,苦い経験をもっている。私達は,支援と政治的圧力をかけることが,障害者団体の責任であると信じている。しかし,事情が違えば,その他のアプローチも適切になることもあるだろう。
同時に,サービスの詳細な計画をどのように見るかということも必要であろう。多くの細かいが重要な問題を解決するのに障害者自身の協力と参加が必要であるが,障害者は大体この過程から外されているのである。進歩に反対する官僚は,大変進歩的な法律すら施行を阻止しようとする。
このことには2つの解決策がある。まず,サービスの企画には経験と訓練を積んだ障害者が必要であるということである。その次に障害者が参加する企画方法を作り上げることである。個別援助者制度を企画するのに障害者に協力してもらうことが,どれ程有効であるかを,地方の行政官は徐々に理解し始めている。このことに関してヘルシンキにおいては特に良い経験を得ている。
もちろん,IL運動が十分な力を持つようになれば,役所から直ちに採用されるプログラムを企画することは可能であろう。フィンランドでは,既に述べたようにマニュアルを出版し,多くの市町村がそれを購入し利用している。一度劣悪な制度ができたらそれを修正することは容易なことではないので,障害者団体がイニシアチブを取って進めることが必要である。
ヨーロッパでは,デンマークのAarhus市が個別援助者制度の先駆者であろう。Aarhus方式は,障害者は十身の援助者を選ぶことができる。このプログラムはオランダの他の地域の障害者がこの市に移住してくるほど成功している。Aarhus市では,このプログラムが雇用状況に良い影響をおよぼしている。
十分な援助者を雇用できる資金的な援助が得られるかどうかが重要な問題の一つであろう。幾つかの国においては,原則として個別援助者制度を採用しようとしているが,資金節約のため給付金を低めに抑えるので十分な援助が得られないという矛盾を生じている。この考えは特に新保守主義人にアピールしているようだ。


観察

個別援助者制度や自立生活はまだ始まった段階である。さまざまな経験やモデルはこれから蓄積され改善される必要があろう。完全な制度はまだどこにも存在しない。フィンランドは,効率的な道具は手に入れたけれどもまだパラダイスとはいえない。であるから,政策決定者に圧力を掛けるために強力な運動が必要である。この運動はまた,相互に支援し,学び合うために,国際的な活動を増やしていかなければならない。
同時に,実質的なサービスを作り上げ,また我々自身の支援ネットワークを築き上げなければならない。我々のゴールは明確である。人々が自立し,お互いに平等な立場で生きていける世界を造り上げることであ


タイの自立生活運動

THE INDEPENDENT LIVING MOVEMENTIN THAILAND

Jureeratana Pongpaew
Council of Disabled People of Thailand



概況

何十年もの間,タイの障害者は,望みの無い役に立たないものとして遇され,悲運の時代を送ってきた。障害者本人も,彼らの家族や社会も,望みの無い役に立たない人間だと思っていた。障害者の悲運について,政府も政府によらない組織においても,全く関心がもたれなかった。タイでは,重要かつ基礎的な障害者の人口に関する資料が不足しており,現在調査中であることを認めなければならない。現在,国家統計局では,タイの人口5,300万人のうちたった1%のみが障害者であるとしている。ユネスコの報告によれば,タイの人口の10%がさまざまな障害を有していると見積もっている。とはいうものの,障害者の数は,500万かも知れないし,あるいは50万かも知れない。そしてその半数以上が15歳から55歳のいわゆる労働世代である。
タイの障害者の置かれている状況は,他の開発途上国とほぼ同様である。彼らが共通の問題として抱えているのは,貧乏・無学・経済的不利益・リハビリテーションサービスの不十分な供給・社会的偏見・差別といった事柄である。障害者に対する福祉とリハビリテーションに関係する法や制度の不備により,彼らのほとんどは,国民から孤立させられている。彼らの基本的人権は,例えば教育を受けること,職業に就くことといった点に関して無視されている。
国は,障害者が教育を受けやすくすることができないでいる。盲学校が3校,聾学校が8校,精神薄弱児のための養護学校3校,肢体不自由児のための養護学校1校があるだけである。また,別の18校では,小学校中学校レベルであるが,教材を用いた体験的なプログラムとして統合教育が実施されている。それ故,障害学生が大学等へ入学して高等教育を受けるためには,厳しい競争の選考試験にパスしなければならないのである。
雇用の点では,タイの障害者は,仕事を得ることの難しさに直面している。タイでは,職業訓練所が少ないために職業訓練コースを終えられるのはごく限られた者だけで,また,障害者が技術や能力を有していても,一般労働市場において非障害者に比べより競争率が高い。更に,障害者は,銀行やサービス業の大企業への就職手続きの中で差別されることが多い。
タイでは,社会保障法が施行されていないため,困った事態に置かれた障害者は,家族や仲間や友人の援助に頼らなければならない。


タイの自立生活運動

タイの社会では,少なくとも3世代からなる家族集団において,緊密な関係が保たれている。すなわち,祖父母・父母・子・それに他の縁者を含む集団においてである。特に,農村地域においては,ほとんどの村民は,知り合いであるか親類である。
もし,どこかの家に障害者がいたならば,(障害者である)彼や彼女は,家庭の事情や生活水準にしたがってケアを受ける。もし,貧しければ,医療的なまた教育的なリハビリテーションを受ける機会を欠き,中流階級であれば,より良いリハビリテーションを受けられる。しかし,障害者が受ける教育が高等教育までになるのか初等教育レベルとなるかは,教育に対する家族の方針によって決まってくる。したがって,障害者の運命を左右するのは,家族なのである。
多少の教育を受けた視覚障害者と,政府および民間の障害者のための職業訓練所の職業訓練コースを修了した障害者のグループが我々もタイの国民であるのだと,1963年にタイで初めて自立生活運動を展開して,社会参加の機会や権利を実現していった。彼らは,互いに持っている能力によって,日々の仕事を分け合い助け合っていた。MissJeniferCaulfieldは,彼らが医学的・教育的リハビリテーションサービスを受けられるようにと,いくらかの寄付をし,基金となっている。彼らは,自立して生活したいと思い,生活の場を手に入れようと試みた。1人で暮らすために家を去り,また仲間の障害者と共に暮らした。この後このグループは,1967年にタイ視覚障害者協会として発展し,聴覚障害者協会,肢体不自由者協会も設立され,ついには障害者協議会を発足させた。
タイの「自助運動」において,まず第一の目標は自由と平等である。非障害者のように,自らの力で生活をしていくことが障害者にとっての自由であり,そして,教育・就労・レクリエーションの機会を得ることが平等である。
タイの障害者が,なんらの援助も受けずに自分達で作り上げ,正に自助自立していることは自慢できることである。彼らは,国からの年金や福祉の恩恵を受けることなく自立して生活している。非常に安い給料しか手に入らない事があっても,自らの労働によって金を稼いでいる。バンコクの通りは,車いす利用者にとって利用しやすいように工夫されてはおらず,肢体の不自由な人たちは,自分の手で操作できるような三輪車に乗って通りを行くというようにしたり,適当な乗り物を工夫して取り巻く状況に自分を合わせるように改善している。きっと彼らは,自分で生活を営むこと,働くこと,結婚することといった点で普通の人々のように生活する自由を楽しんでいるのだ。彼らは,当初の目標に関しては,成功を収めたといえるが,第2の目標となる機会の平等に関しては,未だ達成していない。教育に関しては,養護学校の数が障害を持った学生の数に比べてまったく不足している。障害者のたった1%しか入学できないのである。障害者に対する社会の態度が,彼らが仕事を得ることの新たな障害になっている。障害者は役に立たないものと思われているために,サービスを受けたり法律によって 庇護されるといったことに関して,人々の意識にのぼることが少ないのである。法律によれば,すべて国民は,IDカードを持たなければいけないとされているのに,障害者に限っては免除されているのである。そのために,彼らは,銀行に口座を持つことが出来ないし,契約書にサインすることができないのである。周囲の状況がこのように彼らにとって不利であることは,「おまえは存在しなくていい」というメッセージをはっきりと送っているようなものである。機会の平等の実現は,障害者の福祉に対する法が施行されない限り不可能である。
自助運動から発展してきた障害者の組織化は,顕著な成功を収めた。組織の主な役割は,障害者の代表として彼らの権利について要求することである。加えて,相談のサービス,仕事を紹介するサービス,非常時の援助,手話通訳のサービスを,障害者に提供する。これらのサービスにより,障害者の自立生活はより確かなものとなるのであるが,予算がついているわけではなく,政府の,また民間の機関からの援助も受けていない。今日,タイの殆どの障害者が置かれている状況は,貧困,教育水準の低さ,障害に応じた援助と施設の不足により低い生活水準にとどまっている。タイには,自立生活センターもなく,日本やスウェーデン,アメリカのような先進国にはあるような組織もない。我々は近い将来,今年か来年には,障害者のためのリハビリテーション法が施行され,自立生活が援助され奨励されるだろうことを期待している。公共の建物や輸送機関は障害者にとって利用しやすいものになるだろう。
最後になるが,タイの自立生活運動は,他の国と比較してユニークであると思う。というのもタイの障害者は,共同社会,一般社会,現代技術の援助を受けることなしに自立して生活することを学んだからである。彼らは,家族やタイ国人の国民的気質である自由を愛する精神にしたがって,設立された施設から独立したのである。彼らは,植物人間のようにはなりたくなかったのであり,人間らしく生きたかったのである。社会に援助や救済を求める代わりに,タイの障害者は自分達で援助をする方法を学んだのである。しかしながら,もし彼らに通りで手を貸す人がいるならば,彼らは充分有り難く思うのではないだろうか。


アメリカにおける自立生活問題

INDEPENDENT LIVING ISSUES IN THE UNITED STATES

Michael Winter
Center for Independent Living,USA


15年前には,サンフランシスコ湾岸地域における公共鉄道機関は,プラットホームに上がるためのエレベーターがないために,車いすを使う障害者にとって利用できないものであった。バークレーの市役所も同様であった。車いすのためのスロープというのはほとんど聞いたこともなかった。電動車いすを所有する人はごくわずかであった。郵便局ですら利用できなかった。全米の他のどこへいっても障害者の状況はむしろ悪かった。
自立生活運動の誕生にふさわしい時期が到来した。1972年,10人の人がどうしたら障害者が地域の中で自立生活を獲得し,それを維持していけるかを話しあうために会合を始めた。その10人の内8人が障害者であった。この創始者達は,障害者が社会に参加し,かつ共有できるように支援サービスを提供し得る組織を作りたいと思っていた。提供された最初のサービスは,利用しやすい住宅を見つけだしたり,また,使いやすく改造するサービスや,介助者の紹介,ピア・カウンセリング,アドボカシー(権利擁護サービス)であった。
これが自立生活運動の始まりであった。これは,障害者にとって「自己決定」の始まりでもあった。と同時に,障害者がどのように自分が生きるかを選ぶことのできる時代の始まりであった。私達は,障害者が長い間収容されている施設を,どのようにして空っぽにするかを真剣に考え始めた。私達は,社会を目覚めさせ,もはや旧弊な方法は受けいれることはできないということを知らせていった。権利を主張する用意ができていたのである。
バークレーの自立生活センター(CIL)は,障害者が自立して生活するのに必要なさまざまなサービスやアドボカシーを提供する,障害者によって運営される第一号の組織となった。理事会は最初から,理事およびスタッフの多数は障害者でなければならないと規約で定めている。CILは,さまざまなタイプの障害者が共に働く,アメリカでは始めての機関である。CILが機能するための中心的なものとしてピア・カウンセリング―ピア(仲間)レベルでの障害者同士の支援および相談―の概念があった。CILはサービスを提供するという使命をもって生まれたが,実際はそれ以上に発展していった。CILは,地域社会そして国レベルでも強力な政治的発言力を持つようになった。障害者はもはや沈黙を守る人々ではなくなったのである。
これまでに,CILは2つの重要な役割を遂行することができた。1つは,自立生活を達成しようと目指している障害者と共に働くこと。2つ目に社会全体を改革していき,そして差別の撤廃と障害者への機会を実現していくという役割である。CILのゴールは社会のあらゆる場面において障害者が統合されることである。「分離されているが平等である」ということは,もはや受けいれられない。
自立生活運動の哲学のように活力を喚起する理念は押し止めることはできない。この運動は発展するのみであり,過去15年間にこのことが証明された。今日,自立生活センターと障害者全般の声を代表する組織として,全米自立生活評議会(NCIL)がある。NCILは1982年自立生活センターの所長が一堂に会し国や地域の静題を協議した時に結成され,現在さまざまな種類の障害者によって運営される国レベルでは唯一の加盟制組織である。
NCILは全国の自立生活センターにより構成されている。これらのセンターは地域に根ざした非営利団体で,さまざまな障害をもった人々により管理運営されている。センターは,あらゆる障害者層に基本的に次の4つを中心としたサービスを提供する。アドボカシー,情報・紹介,自立生活技能訓練(ILS),ピア・カウンセリングである。アメリカには現在およそ100ヵ所の障害者自身の手によるセンターが存在する。
NCILは,各地の自立生活センターを支援するために結成され,国レベルで自立生活運動の調整や展開を図っている。技術的な援助や啓蒙活動,その他の加盟団体へのサービスにより,自立生活センターの強化を目指しているのである。
NCILは,設立してからの6年間に多くの業績をあげてきた。たとえば,自立生活センターや障害者の権利にかかわる連邦の法律を注意深く監視している。また,しばしば障害に関する専門家としての諮問を受けたり,公聴会等において証言を求められている。今日までの最大の成果の中に,リハビリテーション法第7章の大幅な改正が含まれる。1986年と87年にNCILは自立生活センターの当事者による管理運営を義務づける規則を連邦議会と教育省から取り付けた。この規則では,自立生活センターの理事の大多数は障害をもつ当事者で構成されなければならないと規定している。
その外にも注目すべき成果を上げている。米国障害者評議会が「自立へ向かって」と題する障害者関連の連邦政府の法律について重要な報告を作成するのに多大な貢献をした。NCILはまた,公民権回復法やそれに関連する法律が成立されるのに重要な役割を果たした。今年3月に米国議会はレーガン大統領の拒否権を覆してこの法律を成立させた。この法律は障害者の公民権を総括的に保護するものである。それ以前にも他の団体と協力して障害者に対する差別を禁止する1986年の航空機利用法の成立を勝ち取った。この法律の施行規則の草案作りにも積極的に参加している。
昨年は,その他の重要な活動に参加した。1987年9月にサンフランシスコにおいて障害者によるデモが行われた。公共交通機関のアクセスがその争点であった。1,000人以上がデモに参加し,300人以上が逮捕され留置された。
1988年3月世界で唯一のろうあ者のための大学で,ろうあ者の問題もほとんど分からない,また手話もできない人が学長に任命された。学生の自治会や職員会はこの任命に抗議した。この抗議でついに学長は辞任し,代わりに134年の大学の歴史以来初めてのろうあ者の学長が誕生した。
私達は過去15年間に多くの成果を得てきたが,しかしまだそれは始まったばかりだ。世界にはまだ多くの障害者が施設の中での生活を余儀なくされている。同様に,障害者であるからとの理由で多くの障害者が基本的人権を剥奪されているのである。
問題は山積しているが,もう後には引き返せないのである。私達障害者はすでに世界的な共通のアイデンティティを持ち世界的に問題に取り組んでいる。私達は障害者を犯罪者と同様隔離している施設がすべて廃止されるまで必要な手段を取り,粘り強く運動するであろう。私達は,すべての障害者が人間解放の歓喜を味わうまで運動をやめることはない。これこそ私達の任務であり,今こそ私達の時代である。


日本の自立生活運動

INDEPENDENT LIVING MOVEMENTS IN JAPAN

白石清春
脳性マヒ者が地域で生きる会


1。わが国の自立生活運動は

  1. 30年前,脳性マヒ者によって運動がはじまる。
    わが国で一番最初にできた養護学校,光明養護学校の卒業生が集まってつくったのが,青い芝の会である。青い芝の会は脳性マヒ者のみの会員で組織されている。
  2. 所得保障制度確立に向けての運動
    幼いときからの障碍者の所得保障制度確立に向けた運動は20年以上の長い歴史を持つ。この運動は青い芝からはじまっている。運動の盛り上がりは1980年であった。青い芝の会をはじめ全国の障碍者団体が集まって「全国所得保障確立連絡会」を結成する。この運動の成果が実って,障害基礎年金創設にむすびついた。
  3. バスジャック闘争
    十数年前から車いす障碍者は外に出る回数が多くなってきた。そして,バス乗車拒否が度々起きるようになる。1977年,青い芝の会が組織的に,川崎駅前でバスジャック闘争を敢行した。しかし,未だにバス問題は解決していない。
  4. 養護学校義務制に反対する運動
    1979年,養護学校義務制化が施行された。養護学校義務制化は障碍児の隔離政策につながるとして,青い芝の会をはじめとして幾つかの障碍団体が反対運動を行っていった。
  5. 自立生活セミナーの開催
    1983年アメリカCILのメンバーを招いて全国各地で「自立生活セミナー」を開催してきた。神奈川では1983年以降毎年「自立生活をめざす神奈川セミナー」を開催している。

2。わが国の自立生活の現状,特色,問題点

  1. サービス提供の拠点は作業所が担っているところが多い。
    わが国には現在2,000ヵ所近く障碍者作業所がつくられている。作業所の多くは政府や地方自治体からの少ない助成金を受けて運営されている。その中で障碍者自身が運営している少数の作業所で細々とサービスの提供を行っている。
  2. サービスの種類は主に身辺介助。
    サービス提供の拠点は障碍者作業所のような小規模の場で行っているので,提供できるサービスの種類は限定されている。障碍者の自立に不可欠な介助のサービスが主になってくる。
  3. 自立生活運動は脳性マヒ者によってはじめられた。
    わが国の障碍者運動は,稼得能力のない,社会的不利益を一番こうむっている幼いときからの障碍者,脳性マヒ者によってはじめられた。
  4. わが国の障碍者運動を担っている障碍者団体は,主義主張,運動方針によってバラバラに運動を行っている。
  5. サービス提供の拠点は資金難で悩んでいる。
  6. 政府,厚生省,地方自治体は,サービス提供の拠点に対してほとんど援助していない。

3。わが国の自立生活の将来像

  1. 全国のサービス提供の拠点のネットワーク化を図っていく。
    各地のサービス提供拠点が問題点やサービスの方法等の情報を交換していくことにより,一層のサービス提供体系をつくることができる。
  2. 全国のサービス提供の拠点に政府,地方自治体から助成金を出させていく。
    障碍者自身による障碍者に対してのサービスを提供する拠点をつくることを制度化させていくことは重要な課題であろう。
  3. 全国の障碍者運動の統一を図っていく。
    早急に解決していかなければならない共通且つ優先課題を取り上げていく全国統一の障碍者運動を行っていく。
  4. 障碍者自身の自立生活の概念を整理していく。障碍者の有意桂な社会的参加,貢献を目指していく社会的自立の方向性を模索していく。

主題:
第16回リハビリテーション世界会議 No.3 111頁~141頁

発行者:
第16回リハビリテーション世界会議組織委員会

発行年月:
1989年6月

文献に関する問い合わせ先:
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
Phone:03-5273-0601 Fax:03-5273-1523