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分科会SD-2 9月6日(火)16:00~17:30

適正な技術の創出と活用

DESIGN AND USE OF APPROPRIATE TECHNOLOGY

座長 Mr.Tomas Lagerwall ICTA Information Center〔Sweden〕
副座長 今田 拓 宮城県拓杏園園長

適正な技術の創出と活用

DESIGN AND USE OF APPROPRIATE TECHNOLOGY

Tomas Lagerwall
ICTA Information Center,Bromma,Sweden

多くの人々にとって適正な技術とは,竹,皮ひもなどのごく簡単な材料を意味する.このことは特に障害者のための適切なテクニカルエイドの場合にあてはまる.この種の材料はある地域のある種のグループの人々にとっては最も適しているといえるであろうが,常に適正という考え方に合っているとは思われない.適正という言葉を使う時は少くても3つの面を考慮する必要がある.

  • ―経済的または社会経済的側面
  • ―文化的または社会文化的側面
  • ―技術的側面

世界は絶えず発展し,変化している.25~30年前には先進工業国においても稀であったプラスチック製品は,今日世界中で見られ,第三世界においても,プラスチック製品が手に入る国が増えてきている.近代的な材料を使うことにより,よりよい解決をはかることができる.
プラスチック製品のような近代的な材料はそれを扱う人にも,利用者にも危険をもたらす可能性がある.新しい技術について考える時にはこのことを忘れてはならない.
適正な技術を活用するということは,コミュニティの人々を知識と分かち合うことである.技術はそれを最も必要としている人々(つまり農村地域や都市の貧しい人々)のニーズに応え,自立を促し(外的なリソースに過度に依存するのではなく),また環境と調和のとれたものでなくてはならない.

重度肢体不自由者のための器具の個別製作

AIDS MADE FOR INDIVIDUAL USE OF PHYSICALLY SEVERE DISABLED

光野有次
重度心身障害児(者)施設 みさかえの園むつみの家機器開発室

はじめに
今から15年前,私は工業デザイナーとして家庭電化製品のデザイン研究所に勤務していましたが,そこでの仕事に対し「一体誰のどんな生活を実現するための道具をつくろうとしているのか?」という疑問を持ち悩んでいました.ちょうどその頃,一人の重い障害を持つ子との出会いがあり,そのことが,その問いに対し簡単に答を出してくれました.
その子を風呂にいれるための器具や,片手しか使おうとしないその子の両手を使わせる遊具や,自分の足で立たせるための訓練具を日曜大工で友人らと一緒に作りました.出来映えはともかくとして,対象者と目的が明確な仕事は気分がよく,私達の拙い技術でも確実に役に立つということもわかりました.そして当時,このような仕事をやる人がほとんどいないということもあり,1974年に「でく工房(DEKU WORK‐SHOP)」という小さな木工所を友人3人で始めました.
最も注文の多かった仕事は,座位がとれない脳性麻痺の子供達の食事や遊びの場面で使われる椅子でした.それに,排せつのための椅子や目的のはっきりした訓練具や遊具,あるいは新しい形態と機能をもつ磁器食器の開発や,ときには家屋の改造や新築,小さな施設の設計などにも携わりました.
その後(1983年)私は,現在の施設に移り,その中で機器開発室の仕事を担当しています.

I 個別制作の具体例

工房の仕事も,施設内の仕事も原則的には「現場」というのは,問題の発生場所のことです.
私たちは,障害(disability)そのものを問題とは捉えません.障害を持つことによって起こってくる生活上の問題慰を問題として捉えているわけです.そして,その問題に対し,道具によって解決の手伝いをするのが私たちの仕事です.これは,リハビリテーションのチームワークとして行われることが多い仕事です.また,義肢装具製作者や建築技師など他の技術者との連携も必要で,これから紹介する例の中にも共同の仕事が含まれています.

1.水頭症の子の椅子

巨大な頭部を自分自身の首では支えることができません.また,臥位も楽な姿勢ではありません.そこで,義肢装具製作者に協力を求め,頭部支持型リクライニング椅子を作りました.頭は本人の力で左右に動かせるような構造になっています.また滑らかで安全なリクライニング機構を必要としたため,軽自動車のジャッキを流用しました.(図1)

水頭症のK君のための坐位位保持具アイデアスケッチ
図1 水頭症のK君のための坐位位保持具アイデアスケッチ

2.食事用椅子

身体に障害を持つ人の椅子は,体の大きさや能力に合っていなければならないことは言うまでもありませんが,その生活の場に合っていることも大切なことです.
わが国では,西洋式のダイニングテーブルでの食事と共に,座卓という低いテーブルを使い,直接床に座る伝統的な食事スタイルもまだ多く見かけられます.どちらのスタイルで食事をするか考慮にいれておかないと,ひとりだけ別に食事をさせることになりかねません.(図2)

ダイニングテーブルと座卓で使える椅子の例
図2ダイニングテーブルと座卓で使える椅子の例

3.脳卒中後遺症の老人のためのトイレ

リハビリテーションセンターで訓練をうけ,自宅に戻ることになった老人の問題として,日中介護者がいなくなる時間帯があり,その間の排せつをどうするかという点を本人も交えて検討を行いました.本人は,おむつを使うくらいなら施設に入った方がましだと考えていました.そこで,本人の移動能力など身体機能を理学療法士と一緒に調べてみますと,畳の上でのイザリ移動がなんとかできることがわかり,その結果,縁側の廊下を利用して簡易トイレを作りました.(図3)

縁側の廊下を利用した簡易トイレ
図3

4.掘りゴタツ式テーブルと床埋め込み便器

重度の脳性麻痺者の中にも,四つ這いに限らず寝返り移動なども含めると,床の上での移動ができる人がかなりいます.自分で車いすに乗れない人でも,同一平面上の室内であれば目的の場所まで独力でたどり着くことができます.
そんな人たちのために施設の室内を一部改造しました.両方とも,目的のところが足を落として入れることができるように掘り込まれていますので,適当な支えがあれば独りで座位をとることができ,用をたすことができます.

5.姿勢保持具

寝たきりに近い重度の障害児(者)にとって大切なことのひとつは,長時間同一姿勢をとらせないということです.もっとも問題になるのが,ベットでの長時間の仰臥位です.変形拘縮の大きな原因となるばかりでなく,口腔機能の発達を妨げますし,心肺機能の低下を招くことになります.当然のことながら精神機能の発達も阻害され,老人の場合は低下が起こってきます.
私たちは,その人の能力や目的に適した姿勢を求め,その姿勢を保つための器具を「姿勢保持具」と名付けました.座位だけでなく,側臥位,腹這位,膝立位,そして立位に至るまでの様々な姿勢が考えられますが,本人の日常生活や運動療法的にみて役に立つ姿勢を選ぶことになります.

II 個別製作の今後のテーマ

1.個別製作と他の製作方法との関係

テクニカル・エイドを仮に「心身の障害(disability)を軽減するための機器類」と定義してみますと,移動手段としての車,それにエレベーターやエスカレーター,さらにそれは最近の家庭電化製品の中にも見つけ出すことができます.例えば,全自動の洗濯機や食器洗い器,それにテレビやビデオやエアコンなどのリモコンスイッチも,広い意味ではテクニカル・エイドと呼べるかもしれません.また最近のパソコンやワープロは,コミュニケーション・エイドとしての役割を十分に果しています.
テクニカル・エイドは,この様に大量生産(生産単位;1000~,10000~)される一般の工業製品の中にも発見できますが,その大部分は障害を持つ人を対象として開発され,カタログ化されている製品で,それらは中量生産(生産単位;10~,100~,1000~)されています.
ところが,障害が重ければ重いほど,その人が使えるテクニカル・エイドは,市販品の中から選べなくなります.前述の例でもわかるとおり,個別製作に頼る部分が多くなってきています.
また義肢装具類も広い意味ではテクニカル・エイドの範囲に入ると思いますが,それらは本人の体に合わせることが前提となっていますので,これも原則的には個別製作となっています.しかし,全てが個別製作ではなく,共通の部分や部材は中量あるいは大量生産されていて,それを一部加工して作るという方法になっています.
これからの個別製作は,この例のようにあらかじめ個別製作する部分と量産していく部分を計画しておくという方法も有効だと考えられます.たとえば,最重度者の電動車いすの場合,駆動部が標準化されていて,豊富なバリエーションを持つコントロール部が準備されていれば,あとは個別製作された姿勢保持具をプラスすればできるという方法です.
このように,大量生産,中量生産,個別製作とそれぞれの持ち味をうまく生かせれば,品質の向上や経済性を高めることができるはずです.

2.素材・技術・安全性

最近わが国にも個別に適合させるための新しい専用素材が輸入されるようになってきましたが,その素材の扱い方の技術と共に,適合のための技術が要求されます.椅子の場合でいえば,どんな姿勢をとらせるのか,そのためにはどんな工夫がいるのかという座らせ方の技術です.これは,セラピストや医師の守備範囲ともいえますが,やはり基本的な知識や技術は個別製作者にも必要です.例えば,セラピストや障害児の母親がダンボール箱を利用して椅子を作る場合のように,この2つの技術のバランスがとれていれば,個別製作が「現場」で役に立つわけです.
身近な素材である木材は,広く家具材として用いられていることでもわかるように,肌ざわりもよく人間的な素材といえます.その上,加工性もよく,比較的簡単な工具で工作できますので,個別製作に適した素材のひとつですが,設計によっては耐久性や安全性で限界が生じてきます.また塗装するなど表面加工が必要だったりして工作に時間がかかることも欠点になる場合があります.
最近,イレクターシステム(erecter system)を個別製作の中で活用する機会が増えてきました.これは,肉厚の0.7M/Mの鋼鉄パイプに強度と耐久性に優れたAAS樹脂(肉厚1M/M)を接着被覆した外径28 M/Mのパイプと,同じ樹脂性の豊富なジョイント部品(150種以上)とそれに関連した金属部品からなるものです.パイプを必要な長さに切り,ジョイントに差し込みその隙間に接着剤を注入すれば,一定の強度が得られ,構造物の製作が容易にできます.しかし,設計上十分な検討がないと,安全性の面で問題が生じる恐れがあります.手すりや強度が要求されるフレームとして使う場合は特別な注意が必要です.
個別製作も「適材適所」という考え方が大切で,バラエティに富んだ様々な要求に答えるためには,常に豊富な素材や部品を準備し,その加工技術も磨いておかなければなりません.しかし,現実には経済的な面で限界があります.この面では,スウェーデンのような公立のテクニカル・エイド・センターの存在がうらやましく感じます.
今後,すぐに「現場」に出向いてサービスできるように,素材や部品や工具一式を車に積み込み,椅子や便器や遊具などの提供と共に,手すりや補助台をつけたりするような簡単な住宅改造などもできるようにしたいと考えています.

3.情報の共有化と個別製作者の養成

「でく工房」で始まったこの新しい仕事は,現在,全国に29ヵ所,大学や施設内のものを含めると33ヵ所で展開されています.それぞれは,独立した形で地域内で活動していますが,年に一度,連絡会議を開いて情報交換や研修の場を持っています.
個別製作者に要求される能力は,ハードウェアの製作とともに,「現場」の問題解決者としての能力ですが,実際にはその能力は数多くの「現場」の体験がなければ身に着かないものかもしれません.義肢装具製作者のように,個別製作者の養成や研修のための公的機関の設立が望まれる時代になってきています.

終りに

個別製作の技術は,少数者といわれる障害者の中でも,さらにグループ化できないたった一人の注文にも応じることができる技術です.小回りのきく技術なので,一度作ったものでもすぐ改良することができます.また,特別に大掛かりな生産設備がなくても活動を始めることができる技術ですから,地球上のどんな地域でも,まず一人の技術者がいれば,即時に個別製作をスタートできるでしょう.この分野の発展には今後も多くの人々の協力を必要としています.

リハビリテーション医学上の問題を解決するための現存技術の可能性

THE POTENTIAL OF EXISTING TECHNOLOGY TO PROVIDE SOLUTIONS IN REHABILITATION MEDICINE

Kamal Bose and J.C.H.Goh
Department of Orthopaedic Surgery,National University Hospital,Singapore

過去に障害者リハビリテーションの分野で直面していた困難な問題の数々は,技術の進歩により解決できるようになってきた.制御工学,コンピュータ技術,材料,生産などの進歩のおかげで総合的な方法で,かなりの重度障害者のリハビリテーションも可能となってきた.しかし,技術の進歩が障害者のリハビリテーションに大きな影響を及ぼしている一方,まだ多くのクライアントが必要とする適切な援助を受けていない.
この論文の主眼は障害者が快適な自立した生産的な生活を送るために現存の技術を有効に使用する方法に焦点を当てることである.常に消費者側の視点に立って技術的問題の解決を探ることが大切である.必要とされている技術援助のレベルに従い,障害者を次の3グループに大別することができる.

グループI: テクニカル・エイドを探している人々のほとんどが,このグループに属する.彼らが基本的に知りたいのは,どんな情報や機器がどこで手に入るかということである.「リハビリテーション・システム」そのものとかかわる積りもないし,その必要もない人々である.機器の特徴や説明が掲載されている消費者向けパンフレットがあれば,自分で買うことができ,彼らのニーズは満たされる.
リハビリテーションの専門家が直接このグループの人々とかかわることはほとんどないため,忘れがちな存在だが,今後はもっと注意を払うべき人々である.この人々が必要とする機器は単純明解なものが多く,リハビリテーションにかかわる人ならだれでも応じられるものがほとんどである.
グループII: 標準的リハビリテーション関連製品を利用している人々で,「リハビリテーション・システム」も時々利用しており,どこに行けば必要なものが手に入るかも知っている人々である.脊髄損傷,切断などの人々で,医学的リハビリテーション・プログラムも定型化している.
グループIII: 数は最も少ないが,手のかかるグループである.重度な人々が多く,複雑な機器を必要とし,かかわる制度や専門家も数が多い.評価,注文による製作,使い方の訓練などトータル・アプローチが必要な場合が多い.費用と時間がかかり,かかわった人々は皆いらいらもするが報われることも多い.

グループIIとIIIが,新しい技術の恩恵を十分に受ける人々である.
グループIIに対しては市販のコミュニケーションエイドも著しく改良され,日常生活動作を助け,移動や外出時の問題も解決できる新しい技術も利用されている.
グループIIIの人々にとって市販物で利用できる機器は少なく,既存品の修正または個別注文が必要である.彼等のニーズを満たすためには,同じ組織内に製作施設が必要である.これはリハビリテーション医学部門と密接な関係を持つ第三の施設となることが多い.このグループに対するサービスは商業ベースからみると,効率はよくないが,技術進歩は,このグループの人々に大きな変化をもたらすはずであり,何らかの方策が必要である.
リハビリテーション医学における技術的進歩は驚嘆するほどで,制御,マイクロプロセッサ技術,コンピュータ技術,光学,機械工学デザイン,そして材料,製造業に至るまで見られる.そのあるものあるいは可能なこと全てを枚挙するのはむずかしくまた不要であろう.重要なことは障害者の立場から技術を見ることである.
クライアントの基本的なニーズは 1)コミュニケーション 2)日常生活動作 3)移動 4)歩行で,リハビリテーションチームは個々のニーズに対応することが大切である.

1.コミュニケーションエイド
障害を持つ数多くの人々にとっての教育,人間的成長,創造,雇用の機会を得るための最大の障壁は,効果的なコミュニケーションの手段がないことである.
現在の技術はそのコミュニケーションの障害を取り除くために役立ち,数多くのコミュニケーションエイド,比較的簡単な標識コミュニケーション板,電光カードなどから,高度化されたBlissymbolic光電コミュニケーション板,キャノン製コミュニケーター,シャープ製メモライター,小コミュニケーション機器などが開発され利用されている.
マイクロコンピュータ技術の進歩と生産価格の低下に伴い,クライアントにとってこれらの機器はより利用し易くなってきた.マイクロコンピュータは多目的性で,言語障害をもつクライアントのニーズにも対応できる.ソフトウエアによって教育,レクリエーョン,雇用などの目的に,さらに広範に利用できる.
マイクロコンピュータは標準的コミュニケーション機器のすべての機能を発揮できる.例えば,キーボード,単/多スイッチ方法,音声確認,光電法など各種入力方式がある.情報の収納もディスケット,磁器テープ,ビデオディスクなどがあり,出力についてはプリンター,音声合成,モデムなど各種が利用可能である.
このようにマイクロコンピュータは障害者のコミュニケーション能力の重要なギャップを埋めてくれる.個々のクライアントのニーズに応えるためには,同一組織内に施設があることが望まれる.

2.日常生活動作
身体障害者が可能な限り普通の自立した生活を送れるようにするために多くの補助具が開発されている.食事,身じまい,読書,調理器具,レクリエーション,移動用器具など多種類にわたる.その多くは簡単ではあるが,機械的にも電気/電子回路の点でも精巧に設計されている.
特に臥床している重度障害者のためには環境制御システムがあり,彼等が満足できる生活を送る上で役立っている.このシステムはテレビ,カーテン,扇風機,調理器,電気などが遠隔操作できる.また,一人暮らしの重度障害者にとって大切な問題は,安全性と必要な場合に助けを呼ぶための効果的でしかも経済的な方法を保証することである.マイクロプロセッサ制御システムは家庭内の錠鍵と窓の開閉などをコントロールし,言語障害者のための緊急通報装置をも開発した.この他,上肢機能障害,歩行障害あるいは排尿障害をもつ人々のための機器も開発されている.

3.移動
障害者の自立生活様式を追究していくと最終的には安全に移動できるという点にたどり着く.移動困難な人には何らかの形の移動用機器が必要である.子供用には自分で操作可能なキャスターカート,サドルウォーカー,臥位用三輪車,歩行補助器などがある.重度障害者に対してはMac Larenバギー車がよく用いられ,車いす(手動,電動)は,子供にも成人にも用いられている.
最近になって電動車いすの設計が注目されるようになり,各種制御機構も単/多スイッチ,ジョイスティク方式,舌スイッチ,頭,顎スイッチ,音声制御方式などが開発されている.バッテリーも長期間続き,より強力なものになりつつある.段差も乗り越えられるように改良された車いすもある.電動車いすが高価なため,低価格のモーターを開発し手動式車いすに取り付け動力式に交換できるような工夫も行われている.
車いすと共に用いるシートも特別な配慮を要することがある.長時間車いすを利用する場合には,圧迫により褥瘡の発生や変形の進行を防ぎ,最大機能を発揮し,より快適な座となるように設計されなければならない.一般に個人の注文に応じて作られる.

4.歩行
クラッチ・ローレイタ,歩行杖などの歩行用具はリハビリテーションの分野で依然として需要が多い.しかしより強くより軽い材料の開発を除くとこの種の器具の大がかりな設計改善は見当らない.義肢・装具の分野で最大の革新は,義肢・装具の製作分野にCAD‐ CAMシステムが導入されたことである.〔CAD:コンピュータによる設計,CAM:コンピュータによる製作〕このシステムは製作時間の短縮のみならず,適合性をも改善した.その他の主な技術革新は,対麻痺者のための制御工学と人工知能を用いたFES(機能的電気刺激)の分野のもので,これによりこのグループの人々が再び歩くことが可能となるかも知れない.
技術革新の影響は歩行パターンの評価にも及んでいる.光電子とコンピュータシステムを利用した歩行分析システム(例;Vicon,Selspot,Coda system等)は,歩行の客観的評価,ひいてはリハビリテーションシステムの効果判定にも急速な進歩をもたらした.これらのシステムから得た標準的データを基礎に,義肢・装具などの設計,開発,試験などが行われている.
このようにリハビリテーション医学分野の諸問題解決に現在の技術を役立てるためには,クライアントのニーズを念頭におき,特定の要件に基づいて多岐にわたる学際的アプローチを総合して取り組むことが重要である.そうすることにより我々は急速に進歩しつつある技術を十分に活用し,障害者のリハビリテーションを実質的に向上させることができるであろう.

〔参考文献〕

  1. Bleck E. Rehabilitation engineering services for severely physically handicapped children and adults. In: Current Practice in Orthopaedic Surgery, 223‐244.
  2. Engineering for people with disabilities‐ Breaking down communication barriers. In: Waisman Center Interactions, January 1984, University of Wisconsin System Board of Regents.
  3. Parnes P, Lee K. Use of the apple microcomputer as a communication prosthesis ‐ application with the non‐speaking physically handicapped population. IEEE, 1982, 7, 39‐44.
  4. Proceedings of the 2nd International Conference on Rehabilitation Engineering, June 1984, Ottawa, Canada.
  5. Vanderheiden G. Computers can play a dual role for disabled individuals. Byte, September 1982, 1‐8.
  6. Bose, K and Goh, JCH: Applied Research in Orthopaedic Surgery. Applied Research and Its Management, pp 184‐198. Published by the Faculty of Science, National University of Singapore, 1986.
  7. Bose, K and Goh, JCH: Impact of objective motion analysis in the practice of orthopaedic surgery. Journal of the Western Pacific Orthopaedic Association, Vol XXIII, No 2, pp 1‐13, December 1986.
  8. Bose, K: Current state of biomedical engineering in Singapore. Keynote Address, Proceedings of the Fourth Symposium on Biomedical Engineering, Singapore, pp 1‐5, June 1987.

適正な技術の創出と活用

DESIGN AND USE OF APPROPRIATE TECHNOLOGY

Tonu Karu
lnstitute of Chemical Physics and Biophysics.Estonia,USSR

80年代当初から,障害者人口の総数は大きく変化していることがわかっている.国連,国際リハビリテーション協会,その他の政府機関によって修正,発表される情報は,新しいアイデアやアプローチに不可欠のものとして提供されて来た.ソビエトの専門家は,リハビリテーションの分野で世界中の関係者が興味を持つような多くの良い結果を得ている.ソビエトの専門家と国際的なリハビリテーションの組織の間には正式な交流がないため,情報の流れがとぎれがちである.
中央政府と地方政府の新しい法令により,将来の研究や開発のために特別資金の提供が行なわれる.それは,自立生活のための適切な技術を開発するための基金として援助される.適正なという言葉は,障害者の技能や目的によってさまざまである.
新しい障害者団体は,福祉機器の製作のための小規模な協同事業を始めた.ソビエト連邦における最初の福祉機器情報デモンストレーションセンターは,1982 年にエストニアに設立された.ICTAはそれを近代的なものにするために非常に重要な役割を果たした.
障害者は,多数の補助具を自分たちで造って来た.専門家とボランティアの仕事は,そのアイデアを商品化し,生産をうながし,必要であればトレーニングとメインテナンスを行う手助けをすることである.先進国で作業療法士が長期にわたって行なってきたことが紹介されるべきである.
エストニア学術会議は,自立生活に必要な適正な技術の開発の研究計画を開始した.建築家らとの協力の結果,1982年にエストニアにおいてアクセシブルなデザインの公共建築物に関する初めての法令が制定された.そのことは全連邦の取り組みの基本として役立っている.
若い学生デザイナーやエンジニアの新しい適正なアイデアを取り入れた.マスメディアは新しいアプローチを紹介するのに非常に重要な役割りを果たしている.連邦の連合都市組織と協力することで,国際的なセミナーや展示会が行われた.
新しい適正な福祉機器のデザインのための基礎研究(会話合成,特別なソフトウエア,新素材,バイオテクノロジー,高温超伝導など)の結果の利用には明るい見通しがある.費用対効果を高めるためには,これらの活動の国際的な協力と協調が必要不可欠である.
第11回自動制御国際連合世界会議は1990年8月に Tallinnで開かれる予定である.それは適正な技術についてのアイデアを分かち合うよい機会となるだろう.
経済的,技術的,情緒的に現状を考慮し,障害児のための福祉機器が優先的に考えられている.ソビエト児童基金はその推進と資金調達の中心として活動している.

アフリカにおける低価格,高品質車いすの生産

PRODUCING LOW-COST,HIGH-QUALITY WHEELCHAIRS IN AFRICA

Ralph Hotchikiss
Oakland,California,USA

車いす使用者,デザイナー,企業家,エンジニアらの世界中からのチームが,開発途上国でも使用できるように,アフリカでの特別な要望や経験を基にして低価格で,じょうぶで,技術的にも高い水準の車いすを製作するために8年間働いている.軽量のスポーツ用車いすが設計され,ラテンアメリカ,アジア,そしてアフリカの20のグループが製作を始めた.初めにワシントンD.C.にあるAppropriate Technology Internationalが援助したその仕事はカリフォルニアのAppropriate Technology for Independent Livingが現在継続しており,ICTAやPartners of the Americasその他のグループの協力を受けている.

アフリカにおける車いすの必要性

第三世界には,車いすを必要とするが持っていない多くの障害者がいる.アフリカには,約300万人いる.使用されているわずかな車いすでさえ重く,狭い戸口を通るにはあまりにも幅が広い.修理する必要があっても,地域によっては必要な部品が見つからない.もちろん,高価格ということが車いすを持てない理由である.現在の価格では,第三世界のほとんどの障害者や政府の社会政策では手が届かない.
私自身障害者として,車いすのデザインの仕事を始めたが,それは価格はさておき良い車いすを求めたからであった.しかし,今回のプロジェクトは私には非常に役に立った.というのは障害者が車いすを所有なるのにはどの位価格を下げたらよいかがはっきりしてきたからである.
開発途上国で新しい車いす製作業者が急速に増えており,その数は過去5年間で約100以上になっている.残念なことに,これらの車いすのほとんどは1940年から1980年代の初頭に欧米で広く使用された,重量があって融通性のないものである.これら製作業者のほとんどが新しくよりよいデザインと製作手法を得たいと願っている.そのためにも我々は,世界中の車いす製作者が自由に情報交換できるネットワークをつくることをまず第1の目標とした.
欧米では,車いすのデザインが過去数年間で急激に変化した.熾烈な競技を行う車いすの選手たちは形がよく軽量な車いすを要求し,規模の大きい製作業者がニーズを満たしてくれないとわかると,独自で斬新なモデルを造り出す者もいた.結果として,従来の業者はそれらの業者に負けないように競い合わなければならなかった.その影響で今では,多くの異なった型の軽量モデルが出回っている.多くの欧米人が乗っている軽量アルミニウムモデルについて第三世界の業者は興味を持っているが,これらのいすを作るために必要なハイテク機器や材料の価格はあまりに高すぎる.
われわれは多くのハイテクを利用した車いす設計を可能な限り第三世界での生産に取り入れようと試み,それぞれの国で車いすの設計を採用したり,改善したりする熟練した技術者を求めようとして来た.結果としていろいろなアイデアが組み合わせられ,それは斬新で有効な考えとして欧米諸国に戻ってくる.すでに,アフリカには有望な車いす製作者や計画がいくつかある.これらの発展や事実はアフリカが挑戦していることの実例となる.

技術的問題以上に

よい低価格の車いすが市販されたとしてもなお,多くの国でそれらを買える人はほとんどいない.というのは障害者の再統合を助ける政治政策がほとんどないためであり,今までの購入者の多くは裕福な家の人々であった.障害者の権利運動は国によっては重要な政治力を得るようになり,教育や雇用の差別をなくすような変化が徐々に起きている.しかし,基本的な移動手段が欠けているため,多くの障害者はまだとり残されている.
インドはわれわれが考えていたよりも変化の可能性と実行力があることを示しているようだ.インド政府は1万人の障害者にじょうぶな屋外使用モデルの手動三輪車を供給している.政府は車いすを積極的に供給する準備をしており,その車いすは三輪車の70ドルに近い価格で,信頼でき便利なものが製作可能であると聞いている.もし,このいすが「インドの移動能力」になれば,―それは可能と思われるが―障害者の生活様式はかつてないほど大きく,急速に変化するだろう.

TORBELLINOの発展

1980年にニカラグアのマナグアの新しい障害者団体によって設立された車いすショップでの生産が,第三世界での車いす使用者と製作者が共同で仕事をする始めであった.一から製作を始めることで,アメリカ産に頼っていた車いす部品が手に入らず,またアメリカで一般的な生産技術は役に立たないことがわかった.多量の部品をストックすることが困難なため,車いすは連続生産ではなく少しずつ生産しなければならなかった.そのような短期的生産活動のため,われわれのジグや備品は組立と分解が素早くできるように設計される必要があった.
輸入部品は高価であるためわれわれの車いすの中には使用していない.フットプレート,前輪,キャスターフォークとハブは,田舎の鍛冶屋でも作れるように設計する必要がある.整備されていない道路での荒い使用に耐えうるように,しかも交換部品を得ることが難しいので,車いすは可能な限り信頼性と頑丈さがなければならない.製作上失敗した点はすべてについて,再設計,破壊検査を,故障がめったに起こらなくなるまで何度もくり返してきた.
車いすの車軸は第三世界で使用されている自転車の車軸より強度でなければならなかった.われわれは5/ 8以上のボルトの使用を決め,この車軸に適合するように車輪のハブを再設計した.維持費があまりかからないようにするため,精密さ保証付のベアリングのように高価な部品も選んだ.保証付ベアリングを使用することによって高価となるが,その分調整,洗浄,オイル注入なしで長期間使用できることで補える.
設計の要点は単に技術的なものだけではない.低価格で効率の良い車いすが,従来の時代遅れのクロムメッキの病院用スタイルのものと同じように人々の目を引かなくてはならない.また,簡単に操作でき,狭い廊下を楽に通れ,しかも整地されてない所を移動するのに十分安定していなければならない.また,バスケットコート上でも田舎の道でも同じように快適に動けるよう簡単に操作できなければならない.
特に悪条件下で押したり持ち上げたりしなければならないので,市販の車いすより軽量でなければならない.当初ハイテクの部品を鍛冶屋による軟鉄から作られる部品に替えて軽量にすることは困難であると思われた.フレームにかかる圧力を少なくするためフレームを再形成したり,いくつかの構造部品の機能を結合させたりした結果,われわれの車いすは通常のものより25%軽量化が可能になった.現在の重量は軟鉄の場合が16kg,アルミのリムでクロモリ管では12kgである.
車いすの後輪には空気圧タイヤを,前輪には幅が広いタイヤを選び,その結果軟らかい場所でも移動可能となった.アームレストは車輪の曲線に沿っており,フットレストは乗っている人が車いすからの移動が容易になるように車いすのフレーム近くで折りたためる.
何年にもにわたる共同作業の結果でき上がった製品を“E1 Torbellino”(英語でWhirlwind:旋風)と呼んでいる.現在この車いすに関して80人以上の人たちが製作技術を学び,12カ国20作業所で製作に取り組んでいる.また,他の100以上の車いす製作者と接触し,技術を分かち合った.
“Torbellino”の設計図はマニュアルをU.S.$15で下記の所より手に入れることが可能である. Appropriate Technology International 1331 H St.N.W.,Washington,D.C.20005 U.S.A

開発途上国のための補聴器製作プロジェクト

A PROJECT TO DESIGN A HEARING AID FOR DEVELOPING COUNTRIES

Ole Bentzen
DANHEARING,Hobro Ns,Denmark

「Health for All by the Year 2000」の概念と視力障害者や肢体不自由者に対する共通プログラムの設定はすでにはっきりとその方向が決まってきた.そして,人口が60億になると推定される西暦2000年には聴覚障害者に対するシステマティックな措置が出来るようになるであろう.
1981年の国際障害者年以降の10年間の基本的活動方針として国連総会によって採用された世界行動計画によれば,障害者は4億5000万人にのぼると推定されている.そして,その80%が開発途上国に在住し,その多くはアジア,アフリカ,ラテンアメリカの貧しい国々である.さらに,UNICEFの推計によればその30 %が子供である.
1980年にWHOは聴覚障害者を普通の音声が理解できない者と定義し,以下のように分類している.
グループ1:中度聴覚障害 (TC:56~91dB)世界中で1億8000万人
グループ2:重度聴覚障害 (TC:91dBを超える)世界中で450万人
注)TC (Threshold Carhart)とは500,1000,2000Hz における純音最小可聴域値の平均値(Bentzen, 1984)

補聴器

補聴器は聴覚障害を治すことは出来ないが,ろうあになることを予防することはできる.
左右の耳に補聴器を装用した難聴児は,自分自身の声,母国語の歌,そして両親や学校の友人,先生が話しかけてくる単語や文章,つまりは生まれてから生きていく上でコミュニケーションをとる必要がある人全ての声を聴くことが出来るのである.
両側性難聴児は右耳も左耳も同様に音による刺激を与えられるよう,両耳に補聴器を装用するべきであることを忘れてはいけない.我々は1つの耳で音の存在を知り,両方の耳で聞いてその内容を認識するのである.
私は,デンマーク,ユーゴスラビア,エジプト,インド,スーダンで1953年から行ってきた難聴児に対する相談事業において,補聴器の効果で難聴児の音に対する反応や発話能力の発達が促進されることを見たり聞いたりしてきた.インドのMysoreにある大きな学校で110人の難聴児に両耳に箱型の補聴器を装用させたことがある.その数週間後,その学校の盲児のクラスの生徒から,難聴のクラスからの声,歌声や先生が生徒達に指導している声がうるさいとの訴えがあったそうである.

補聴器の需要

近年,技術の進歩によって補聴器は箱型からより小型になり,耳の穴に挿入できる便利なものが開発されている.しかし,これは中程度の難聴者用で,しかも小さくなればなるほど高価なものとなってしまう.
この傾向は,重度の難聴者を対象とし,安い補聴器を作るといったものとは異なったものである.
Shah(1980)はHearing Aid Dispensing in India のなかで,6億7千万人が補聴器を必要としていると書いている.この数字は西暦2000年に予想されている人口60億人の10分の1にあたる.
インドの全国サンプル調査は治療が困難な難聴(主に先天性または幼小児期に発症)の発生率は人口10万人に対して124人,つまりインドでは1980年の人口から推定して70万人の難聴児がいるとしている.
しかし,これらの内,聾学校に通っているのは25,000 人,そして補聴器を装用しているのは13,000人にすぎない.さらに,成人の場合でも3,000万人が補聴器を必要としている.

開発途上国のための補聴器開発企画

我々が開発したDANHEAR2000型補聴器は以下のようなものである.

  • -大量生産により低価格
  • -内臓マイクロホンと2台の独立した出力アンプを備えたダブルタイプ
  • -丈夫な設計で,胸に紐またはクリップで固定
  • -大型のボリュームコントロールを使用し,老人や手先の不自由な人でも操作が容易
  • -電源は標準的な1.5Vの電池(ペンライトなどに使われている)を2本使用し,寿命は120~150時間以上
  • -技術的な仕様は以下の通り
    周波数範囲:250~3500Hz(HAIC)
    利得:54dB SPL(HAIC:500,1000,2000Hz)
    最大出力:120dB SPL(HAIC)
    最大SSPL90:128dB SPL 以下
  • -2個の標準イヤホン接続用コネクタを装備

DANHEAR2000は砂や粉塵,さらに多くの開発途上国の湿度の高い気候条件下での腐食などから本体を保護するために,全ての電子部品はプラスチックでシールされ,交換を必要とするイヤホンおよびコードは本体と分けられている.

訳者注)

  • HAIC:Hearing Aid Industry Conference Standard Methods of Expressing Hearing Aid Performance.
    (補聴器の測定方法が決められている.)
    SSPL90:Saturation Sound Pressure Level-90

〔参考文献〕

  1. Bentzen,O.Global Audiology.International Congress of Audiology.Santa Barbara,California 1984.
  2. Shan,V.Hearing Aid Dispensing in India. International Hearing Aid Seminar.San Diego, California,1980.

分科会SD‐3 9月6日(火)16:00~17:30

ニード別課題

高齢者

SPECIAL NEEDS POPULATIONS:THE VERY OLD

座長 Dr.Hana Hermanova World Health Organization Regional Office for Europe
副座長 林 泰史 東京都老人医療センターリハビリテーション部長

老人における障害

―リハビリテーションへの示唆―

DISABILITY IN THE ELDERLY:IMPLICATIONS FOR REHABILITATION

Hana Hermanova
World Health Organization Regional Office for Europe,Denmark

一般的状況

WHOの施策「すべての人に健康を」
WHOは世界政策として2000年までにすべての人に健康を」を打ち出している.WHOのヨーロッパ事務所は38の地域目標を掲げて「すべての人に健康を」政策を推進している.目標のひとつ(目標2)「元気に年を重ねよう」は老人層の健康づくりを奨励している.また別の目標(目標3)「障害者により良い機会を」は障害者の機会平等と完全参加を目指している.
世界各地の人口統計学的および疫学的研究によれば,老年男女の多くは,加齢とともに機能が低下していくことが明らかである.機能低下が明らかに障害による例も多く,通常その病因は慢性疾患か負傷の結果に特定することができる.
今日,多くの人が何十年か前に建てられた家に住んでいる.数世紀前に建てられた家に住んでいる人も多い.数階建ての家を建てる習慣が数十年,数世紀後に,その住人に対してこれほど多くの問題をもたらすことになるとは誰が想像したであろうか.自立できなくなった老人を援助しようとするなら,彼らが日常生活において直面している環境から受ける困難や緊張をよく知る必要がある.
老人やその家族の思いや不安を完全につかむことが必要である.老人の考えの豊かさを知るとともに,老人の幸福を考えるための適切な解決策をさぐるためには,彼らの人生観に学ぶことが必要である.
老年患者や老人が一般的に示す,生活上の複雑な問題や環境のもたらす困難を克服する能力は,常に賞賛に値するものであり,私たち自身も将来にそなえて自ら錬磨すべき種類のものである.

依存的な老人:リハビリテーションへの示唆
これまでの考え方は,老人の数も少なく,老年障害者に対するプログラムも個人単位もしくは少数単位であり,過剰な管理もなく,精力的で熱心な指導者に頼っていた頃の経験や研究に基づいている.しかし,今日では問題の程度ははるかに大きく,大規模な保健・社会的ケアのシステムをいかに現実的に機能させるかを考える必要がある.
政策立案者は老人社会全体の幸福を考え,一方担当者は一人ひとりの幸福に重点を置く.
多数の老人が複数のサービスを受けているわけではない.ホームヘルパー,食事の宅配,訪問や看護,輸送サービスなどの老人向けサービスを受けているのは 65歳以上の老人の8%以下である.
老人のためのサービス・システムの必要条件として適切なケース管理がある.適切なケース管理の基本的要件を下記に示す.

  1. クライアントの発掘―援助を必要とするすべての人にサービスを提供するために
  2. 最も助けを必要としている人のニーズに応じ,また効率的にサービスを提供するための医学的社会的スクリーニング
  3. クライアントを全人的に把握し,あらゆる観点からとらえるための評価(機能評価,「人間対減境」のバランス)
  4. クライアントとケア提供者の動機づけ,目標設定
  5. ケアの計画
  6. クライアントの可能性を最大限に引き出す計画
  7. ケア計画の実行(質,迅速さ)
  8. サービスが不要になった場合の終結

つぎの言葉を引用して私の話をしめくくりたい.「今日,高齢の人たちの生活の質を向上させることにむける私たちの努力は,私たち自身の幸福で健康な将来を保証するであろう.」(Hon.Th.Lavoire‐Roux,ケベック・保健社会サービス省 1978)

〔参考文献〕

  1. Targets for Health for All.WHO Regional Office for Europe,1985
  2. WHO Technical Report Series No.668,1981. Disability Prevention and Rehabilitation: Report of the WHO Expert Committee on Disability
  3. International Rehabilitation Medicine Vol.7/ 1985 No.2 pp 45‐92,and Vol.8/1986 No.1. EULAR Publishers,Basel,Switzerland
  4. Periodical on Aging,Vol.1,No.1,1984,New York,1985
  5. The elderly in eleven countries―A sociomedical survey,Public Health in Europe 21,WHO/EURO,1983
  6. Education in Care of the Elderly,Report on a Consultation,Thonex,November 1985
  7. WHO/EURO extract on approaches to multidimensional assessment of the elderly, based on consultations held on same topic in 1984,1986 and 1987

老年障害者の生活の質

―家庭で施設で―

THE QUALITY OF LIFE OF ELDERLY DISABLED PERSONS LIVING AT HOME AND IN RESIDENTIAL FACILITIES

Marianne Fritsch
lnstitution,Senator Neumann Heim.FRG

人間は,障害者を含め,誰しもそのおかれた環境によって左右される.移動能力の低下した多くの障害者にとっては,その住居が唯一の環境となる.従って生活の快適さが生活の質を意味する.快適さの中味は,自立,安全感,個人的欲求やニーズが満たされることなどである.これらの基本的な権利を保証するためには以下の4点が整えられていなければならない.

1.個人的権利の尊重
障害者の多くは,特に年をとるに従って,他の助けに頼るようになり,他者の影響を受けやすくなる.故にすべての障害者は,他の人と一緒に生活するか,自分だけで暮らすかを自分自身で決断できる余地がなければならない.

2.自己決定権
自分で決める権利や自分自身に対して責任をもつことが,障害者のリハビリテーションのすべての領域で尊重されるべきである.障害者の環境に関する決定に障害者自身も積極的に関与できるようにすることが必要である.社会的責任について再学習するためのよい機会はこれをおいて他にない.

3.プライバシーの保護
障害者の住居は個人の私的な環境が保全されていなければならない.従って障害者はプライバシーが守られ,その居住空間に足を踏みこめる人を選べる自由がなければならない.治療と社会的ケアに全面的に依存している障害者は,ケアを受ける時や方法について最適な形を自ら決定できるべきである.また適切な看護も必要である

4.地域社会生活への参加実現にむけての努力
社会生活に積極的に参加するには,生活の様式や範囲を選択することと,より広い経験と,より広い環境にふれる必要が生じる.大多数の障害者の場合,そのハンディキャップのタイプがその後のその人の人生を制約する.従って,可能な限りよい形で障害者の環境を拡大するように条件を整えるべきである.さらに,余暇を楽しむなどの新しい領域にも障害者が挑戦していくことも必要である.

以上の基本的要求は1979年ドイツ・カリタス協会が提議したものである.

次に西ドイツにおける老年障害者の状況について述べる.
誰しもがもつ長寿の夢は現実となりつつあり,年齢ピラミッドは大変に高齢化している.1950年には75歳以上の老人は140万人であったが,1985閣には総人口が滅少していく中で420万人に達した.今日では,75 歳の老人1人に対し20~60歳の人は8.7人となっており,この中から障害者の看護にあたる人材が求められる.ドイツ老人援助協会理事会の推定によれば1990年には在宅の人は270万人にのぼる.施設入所者はわずか10%で,90%はそれぞれの自宅で介護を受けている.そしてわずか13%の人だけが外部の専門家による看護ケアを受けている.
過去4年間にわたって,ドイツ青少年婦人家族保健省は,ケアを要する人々に対して訪問サービスを行ってきた.このプログラムは,在宅ケアは施設より人間味が感じられ,また安価であるという仮定の上に立っている.ナーシングホームですごしているうちに,障害者は自尊心を失いやすく,また自己評価も否定的になりがちである.施設の中ではかつては自立していた人たちが施設の規則にすっかり依存するようになる.障害者たちは慣れ親しんだ環境,見慣れた飾りつけの部屋,近隣の人たちや友人その他今持っているあらゆる人間関係などの社会的接触を絶たれる.そして新しい生活様式やまわりの人々,新しい環境に慣れなければならないことによって恐れや不安が生じる.
政府のプログラムは,家族や近隣の人やボランティアによってすでに行われているケアを,社会センターからの訪問サービスやその他のリハビリテーション援助を通して支援し安定させることを目的としている.これにより,ケアを必要とする人が最後まで,あるいは少なくともできる限り長く家庭にとどまることができる.
社会センターの事業には次のようなものがある.

  • ―訪問看護ケア
  • ―老人ケア
  • ―家族ケア
  • ―隣人ケア

これらのサービスは身内や医師,あるいはソーシャルワーカーが要請する.ほとんどの社会センターは週末を除く午前7時から午後5時まで開いており,ハンブルグなどの州では,それ以外の時間でも看護ケアの不足という理由で救急病院に入院する事態を避けるために,救急の看護サービスを行っている.障害者の収入が十分でない場合には,これらのサービスへの支払いは通常公費でまかなわれる.

長期にわたる集中的な看護ケアは社会センターの許容範囲を越える.そこで身内の負担を軽くし,自宅での看護ケアに適応させる目的で障害者を短期間ナーシングホームへ入居させる.そこで自助の訓練を行い,またリハビリテーションを学ぶ.この短期ケアは在宅のケアにとって必要不可欠であることが証明されている.これは訪問サービスのしめくくりになる.こうした短期患者へのケアは非常に密度の濃いものである.
老年の障害者の大多数は自分の家に住み続けたいと願い不便を受け入れてしまうことが多い.移動の困難は特に大きな障害となり,孤立や疎外につながる.

独居老人のためには車いす利用者向け住居なども販売されている.障害のタイプや障害者が求めるケアによっては,社会との接触の変化や崩壊は避けがたい.
1986年5月にハノーバーで開催されたFIMITEC会議でノルウェーのO.Rand‐Ringaは障害者向けの「永住型住居」について報告した.ドイツにおいてもさまざまなニーズにも対応した「永住型住居」のモデルに関して討議を重ねている.シュツットガルト市の福祉担当はサービスハウスという着想を推進している.この住宅では障害者は自立した生活を営むことができ,また個人の必要に応じたサービスを受けることができる.
他にもボンードッテンドルフやハンブルグなどの都市ではマッチ箱大の緊急ベルが障害者のために備えられ,これによっていつでもサービスステーションに助けを求められるサービスハウスがある.
西ドイツの病院は老年障害者のケアを行う設備が不十分であることが多い.若い医師や看護スタッフの多くは高齢と障害と病気ということに不慣れであるため,彼らにとって老年障害者は精神的にも肉体的にも負担を意味する存在となる.
ドイツ国民保険法では病気であることと看護ケアが必要なこととを区別している.後者は健康保険ではなく社会保険でまかなわれ,制限がある.主として看護ケアを必要とする障害者について病気と認定するかどうか,またどのくらいの期間病気とみなすかは担当の医師の決定にかかっている.重度障害者や老年障害者の入院加療に要する平均日数は35日であり,他の患者では18日となっている.
このような場合,デイケア病院が必要になろう.老年障害者のケアも行っているここでの平均滞在日数は約18日である.患者はそれぞれの家庭から朝送り出され,夜戻る.医学的治療や各種ケアの他に,理学療法・作業療法・言語療法を受けられる.作業療法士と理学療法士は患者の家を訪問し家族と患者本人に,福祉機器や家庭で自分で行える訓練などの指導を行う.またソーシャルワーカーに家族会議に加わってもらうこともできる.このような在宅に近いリハビリテーションは成功することがわかってきた.
老年障害者に対するその他のサービスには次のようなものがある.

  • ―親族の負担軽減をはかるデイケア・ナーシングホーム
  • ―移動ができ,自立している在宅老年障害者のためのデイ・ケア
  • ―教区や福祉機関の主催する老人会―レジャーの際の付添
  • ―家庭への給食サービス
  • ―入浴サービス
  • ―清掃その他サービス

老年障害者の10%が施設に入居している.これらの施設はもっと多くの障害者をその年令に応じて受け入れることができる.障害者にとって個室か2人用かを選択できるのは重要なことである.また十分な医療,セラピー,社会サービスも必要である.一方障害者の側は,これらのサービスを利用するかどうかを自分で決める.このためには予防の分野も含めて情報が絶えず手にはいる必要がある.予防の手段としては,効果的な食養生,老年障害者向きのスポーツ,ニコチン・アルコール・麻薬の誤用による危険を避けること,また気を若くもつ訓練などがある.特に感覚・知覚・敏捷性・創造性などの訓練が必要である.これらは遊びながら行えるので,障害をもたないさまざまな年齢の人たちと良好な人間関係をつくることができる.
老人施設では,移動能力に特に配慮が払われている.ドイツの法律ではこのような要請に応えるために,障害者のためのタクシー料金の減額やバス料金の免除を許可している.看護ケアに対する不安さえ看護スタッフによって解消されれば,老年障害者の多くが施設に来てすぐに驚くほどよく動けるようになる.私が医師として過去22年間担当してきた重度障害者の施設では,施設とは異なるホテルなどに泊って2~3週間の旅行をするレクリエーション活動には,必ず周到な看護ケアと信頼できる医学的ケアや治療を欠かさなかった.
精神的混乱状態や精神遅滞の老年障害者が精神的に正常な人と生活している施設では困難な問題が生じる.彼らは毎日同じ場所で同じスタッフによる規則的な日常ケアと,方向,記憶,排泄,衛生に関する訓練を受けることが必要である.こうした能力は彼らの心の平衡や自己評価を改善し,また精神的に健康な障害者から拒絶されることも少なくなった.
障害者全体の中でも老人に対する人間的な看護ケアは,単なる援助やケアということをはるかに越えたものである.障害者も含めて人間は誰もがいつかは死ぬ.死を受け入れることは動ける人にとっても入院患者にとってもたいていは未解決の問題である.臨終や死にどう対処するかということは,生きていく上ではほとんど忘れられ排除されている.医師や看護婦は自分に責任を帰すべき失敗という形で死を受けとめる.特に死者と個人的関係が深かった場合にそれを強く感じる.多くの場合,病院へ入院し,障害者がなじみのうすい環境の中で威厳をほとんど失い,死んでいくというのが最後の結果である.慣れ親しんだ家族や家庭の雰囲気の中で,配偶者の腕の中で死んでいくことは生活の質の中で重要な部分を占める.老年障害者のケアにあたるすべての人がこのことを知っておくべきである.

老人のリハビリテーションゴールと退院後の生活

―QOLの視点から―

REHABILITATION GOALS AND LIVES OF THE AGED:FROM THE PERSPECTIVES OF THE QUALITY OF LIFE

奥川 幸子
東京都老人医療センター医療社会科

1.はじめに
1972年に開設した東京都老人医療センターは,65歳以上の比較的急性期の老人患者を対象とし,703床のベッドを有する老人医療専門病院である.勿論,リハビリテーションサービスも充実している.
私は開設時より当センターでソーシャルワーカーとして老人患者の社会生活上の問題を扱ってきた.高齢化が進む社会を反映し,70代から90代の老年後期の患者が増加する中で,老人患者が抱える生活問題の性質は「ケアを受ける場所」に集約される.「ケアを受ける場所」とは言葉をかえていえば,「死に場所」のことである.老人患者が抱える問題の性質はますます重く,暗くなり,「長生きすることが即,幸せにつながる」という幻想は,いまや崩れてしまっている.
今回は「老人のリハビリテーションの基本的対応」というテーマを与えられたのを機会に,東京都老人医療センターで16年間に及ぶソーシャルワーカーとしての数千例の臨床経験をもとに,老人患者が急性期から慢性期の治療を終え,日常生活に移行する時に焦点を当てて,その際に生じる社会生活上の問題と今後取り組むべき課題について私見を述べたい.

2.わが国における老人のリハビリテーションの流れと考え方
わが国のリハビリテーションサービスは,1970年代に入ってからサービスの対象が若い障害者から老人に広がる過程で急速に普及した.老人に対してリハビリテーションサービスが行き渡るようになったプロセスをみると次の3つの時期に区分できる.
第1に専門家がリハビリテーションの効果を強調し,普及につとめたプロパガンダの時期.第2にサービスを受ける側がリハビリテーションに対して過剰な期待を抱いた時期,つまり疾病や障害のある老人がリハビリテーション訓練を受ければ元通りの状況になると周囲が幻想を抱き,老人をリハビリテーションにかり立てた時期があった.第3に現在では,その幻想は崩れたとはいえ,老人がリハビリテーションサービスを受けることはごく当たり前のことになった.つまり老人医療の供給体制の充実にともない,医療とリハビリテーションを受けさせなければ最善をつくしたことにならなくなった.その結果,老人のリハビリテーションの目的は,たとえ百歳になった人に対してもセルフ・ケアの自立におかれ,身体や精神機能やアクティビティを高めるために強迫的なまでに実践されている.そのことは,老人患者や家族に「リハビリテーションに行ってきます」を「PT訓練室に行ってきます」と言わしめ,リハビリテーションが本来有していた筈の幅広い慨念は,日常生活動作の自立に狭められてしまうことになった.かくして,たとえ90や100歳の老人であろうとも,寝たきりや呆けを防ぐという 名目のもとでリハビリテーションは彼らに対して一度は試みられねばならない医療の最後のメニューに加えられている.
このような現象が生じている背景には,誰にでも来る「老い」「死」を受け止められずに「生」が永遠に続くと信じ,老いや死を隠蔽している現代社会の姿がある.それは老人が元気な間はその生活の場を家庭,地域社会で過ごせるが,いったん病や障害を得るとこれらの場からはじき出されて,本来自然に迎えられる筈であった死さえも忘れさられてしまうという現象を抱いている.

3.病院における集中的なリハビリテーション終了後の退院先
老人が発病の後,急性期や慢性期の入院による集中的なリハビリテーションを終えると日常生活への移行期に入る.老人患者の退院先としては次の3つが考えられる.
(1) 家庭
(2) 老人ホーム:老年後期の場合は寝たきりや呆け老人を収容する特別養護老人ホームまたはケア付の有料老人ホームが該当する.
(3) 老人病院:急性期の治療やリハビリテーションを提供している老人病院ではなくて,長期慢性疾患の患者を受け入れる,場合によってはターミナル・ケアを主としている老人病院が該当する.また老人患者の退院先は「生活の場所」つまり「死に場所」である,という視点を持つことが重要である.しかし退院を計画する際に医療スタッフと家族が「死」と「死に場所」の問題を顕在化させ,共通の認識をもつことは,老いと死が隠蔽されている社会の中ではむづかしい状況にある.実際に老人患者の退院先を当センターの統計からみると,1987年では約10%の老人が家庭以外の場所に移っている.まずは90%が家に帰ることになるのだが,後に心身の機能が低下してくるにつれて,家以外の場に移行している.ソーシャルワーク部門の統計でも家庭に帰れないケースの相談が年々増える傾向にあり,特に他の老人病院に転院しているケースが増えてきた.老人患者の多くは家に帰ることを願望するが,家に帰れないという傾向は今後も続くだろう.

4.老人患者の退院先を決定する要因
老人患者の退院先は1老人の能力 2家族の能力3地域社会の能力の3者の相互関係によって決まる.老人の能力とは生活機能であるが,疾病や障害によって生じた「依存性」の段階が鍵になる.「依存性」とは医学的管理や看護,ケア・ニーズである.家族の能力とは,老人に生じた「依存性」を支える機能である.つまり支える人としてのキイパーソンの有無,キイパーソンの介護能力や他の親族の支援と経済力や住居の環境が鍵になっている.地域の能力とは,老人や家族を支える地域サポートシステムのことであるが,ここでは障害老人に対する包容力が鍵になる.
老人患者の退院先が決定される際に老人のケア・ニーズが決定要因となることは,ごく一部の例外を除いてまずない.それは家族や周囲の人達が老人の死をどのように受け止めているか,によって家庭か病院かが決められていく.
身障老人や痴呆性老人に関する私の調査結果からみると,家族と老人との関係性,つまり情緒的な絆の強弱と,家族のもつ老人観や生死観が退院先の決定と退院後の老人の生活の質に影響を与えていることが明らかである.この点は英米の文献でも同様の傾向がでている.
多くの家族が老人を家庭に引き取れない理由として,歩けない,トイレ動作が自立していない,日中独りでおいておけない,転んで骨折し再発作をおこしたら大変だ,だからリハビリテーションを続けて歩けるようになってくれないと困る,重症すぎて家では世話できない,と老人の疾病や障害の重さを主張する.しかし,実際は,老人の身体的・精神的機能のレベルが決定的な理由ではない.その証拠に老人のケア・ニーズや家庭状況が同じでも,片方は家庭でのケアを選び,もう一方は老人病院に入れる.後者の場合,老いの過程と死を見詰めずにあくまでも身体的な自立を家庭でケアできないことの口実にしてしまう周囲の思惑がある.
多くの老人が家庭に帰ることを希望する.その裏には住み慣れた土地や家で家族と共に余生を過ごし,その場所で死にたいという老人の側の強い要求がある.しかし,先に述べたように,医療やケア,死の社会化の進展にともない,家に帰れない老人が年々増加している.
老人の希望が叶えられない理由としては,一般的には核家族化,女性のパートタイム就労人口の増加,老人の疾病や障害の重度化や在宅サポートシステムの不備等があげられ,何よりも最も大きい条件は住居の狭さだといわれている.しかし,私がここでどうしても見逃すことができない点は,これらの理由の裏に隠れている老人のケアや看取りに対する社会のごまかしである.つまり老人の希いはわかるが,一方で医療やリハビリテーションを受けさせることによって最高のことをしているという気持ちを抱きたいという周囲の思惑が,老人の存在を宙ぶらりんにしてしまう.
92歳の老人が肺炎で寝たきりになった.リハビリテーションを受ければなえた足は元に戻りますかと70歳に近い息子が言う.ちょっと身体に変調をきたしたり,熱が出たりすると,家中が死を恐れるあまり大騒ぎになる.一方で秘かに早く死んでほしいと自然な感情も湧いてくる.周囲の者もアンビバレントな状況に戸惑う.これは老衰および自然死の概念が失われた今,老いと死を正面からみつめることができない社会の病理からくる現象である.
地域のサポートシステムは,日常生活上のケアに加えて医療や看護,リハビリテーションサービスの整備とともに,サポートシステムとそこで働くプロフェッションたちが,どこまでこの社会病理に迫れるかが問われている.

5.おわりに
老年後期はセルフ・ケアの自立が困難になる時期である.老人が最早,家庭や社会で生産的な役割を担うことは不可能であり,なおかつケアを必要とする存在になる.つまり「ただ在るだけの存在」に対して家族や社会がどのような意味や価値を見出せるかが重要な課題なのだ.そのことが老年後期の老人の生活と生命の質に望ましい効果をもたらす.ここでいう老人の生活の質とは,いかに老人が居場所と居がいを獲得できるかということである.居場所とは,家庭や社会の中で生きる場所のことであり,居がいとは,それまでに培われてきた家族との関係の中で,ただ生きていることだけでOKとされる関係のことである.
そのためには以下の2点についての取り組みが必要である.
(1) 死を射程に入れたリハビリテーションプログラムの設定が必要である.
従来のように老人のリハビリテーションの目標をセルフ・ケアの自立に設定することは老人の老いと死を隠蔽し,永遠に生きられるという幻想を作り出し,治療やリハビリテーションを継続するという名目の上での入院を促進させてしまう結果を招く.
老人の個々の精神,社会生活機能をそのときの段階から最終的な死の段階まで査定した上でプログラムを組む必要がある.対象は家族が中心になるだろうが,家族が自然な老いと死を受け容れ,老人の心理的な要求に応えられるようなプログラムの提示が我々に要求されている.それは広く老いと死の社会教育にもつながるものである.老人と家族,医療やリハビリテーションスタッフの間で,老人が死までのプロセスのどの段階にいるか正確な共通認識を持てるプログラムの設置が望まれる.
(2) 次に老人の自立に関するプログラムが必要である.
従来のリハビリテーションは身体的な自立を強調しすぎてきた.たとえば歩けることが最大の目標になり,トイレ動作の自立の可否が重大なこととして問われてしまう.老年後期に入った老人は,自己像の変換を迫られる.つまり,他者に物や知識や労働を与える存在から,受け取る存在として自己像を転換できないと生きにくい.あくまでも自立を求めてその変換を望まない家族と社会があり,老人自身も「自立」を金科玉条にかかげる.老人にとって真の自立の意味はどこにあるのか,その問い直しが必要なのである.

高齢者サービスにおけるリハビリテーションの応用

EXTENDING THE PRINCIPLES OF REHABILITATION IN SERVICES FOR ELDERLY PEOPLE

Elizabeth Wong
Director of Social Welfare,Government of Hong Kong

人口の動向

人口統計は,今後20―30年間にかなり高齢化が進む傾向にあることを示している.現在の人口構造で最も目立つ変化は,60歳以上の層に最も急速な人口増加が認められる点である.下記の香港における今後20年間の人口予測で明らかなように,長寿化と出生率の低下により,香港では他の多くの国々と同様,高齢者人口が増加しつつある.

1986年 1996年 2006年
総人口(単位千人) 5524.3 6134.6 6526.6
60歳以上人口 640.3 901.1 1048.5
高齢者人口の割合 11.6% 14.7% 16.1%

これまでよりはるかに多くの人々が高齢になるまで生きられる,というのは歴史上初の出来事であり,現代文明最大の勝利である.しかし,この勝利はまた,将来への大きな課題をなげかけるものである.高齢者人口の伸びにより,すべての主要社会経済政策は,必然的に我々の地域社会の非常に重要な部分に直接影響を与えることになろう.このことが高齢者の全般的な福祉への関心をよびさましてきたというわけで,その目指すところは社会が人々のニーズの変化をしっかりと予期し,変化に適応できるように備えることにある.

加齢およびこれに対する姿勢

各国民にはそれぞれ異なる社会的,経済的,政治的,歴史的背景があることを考えると,各国での活動とこの問題に対する姿勢を比較するのは困難である.しかし,加齢とは,人の生理的,心理的,社会経済的変化を含むさまざまな面に認められる自然な過程であることは事実である.『加齢』は,死や病気または一般的な形での重度障害の原因と考えられるべきではない.実に,定義上の高齢者人口には,広範囲にわたる不均質な人々が含まれており,各々が異なったニーズを持っている.特に,心身の衰えからくる問題に直面している人々には一般的健康管理に加えて特別の配慮が必要である.

高齢者にリハビリテーションの原則を適用することの関連でも,また高齢者の幸福維持という目的を達成する上でも,ここで重大な問いかけをし,重要な問題点の指摘をしなければならない.例えば,高齢者に対する社会の見方や扱いについての基本的な問いかけが必要なのである―高齢者の権利はどのように守られているか?社会制度は人口パターンの変化にいかに対処しているのか?我々の社会には,高齢者が生活を楽しみ,自分達の住む社会の活動に十分に参加できるようにするための法的措置として,それぞれどんなものがあるのか?この社会的弱者集団が人道的目標を達成しやすいような枠組みが存在しているのか?我々とともにある高齢者が,より質の高い生活を維持するためのサービスとしてどんなものがあるか?このような質問をする理由としては,

  • 高齢者のニーズについて調べ,これらのニーズに対する認識を高めるため.
  • サービスの設置を促し,これらのニーズを見越した計画を奨励し企画するため.
  • 世界的な視点から,相互協力と関心の重要性をさまざまなレベルで唱導し,これを助長するため.
  • さまざまなレベルや形でのサービスを強化する目的で情報や経験を分かちあうため.
  • 平等,社会の正常化,人種差別廃止,選択の自由といった社会正義の原則の推進に関わっているさまざまな民間グループの間での対話を促進し,改善するため.

一般に,高齢者サービスはリハビリテーションの原則に則り,健康と訓練および教育の推進,経済面社会面文化面での対策,ならびに高齢者が尊重され,安全,かつ必要とされていると感じられるようなコミュニティ・ケアの支援,という点に留意しながら提供されるものである.
最も重要なのは,心身両面での老人保健サービスであり,これには予防,治療およびリハビリテーション措置を容易にするための初期診断が含まれる.この意味で,医療・準医療従事者,ボランティアと共に高齢者自身の教育が非常に重要な問題である.すべての公衆衛生サービスに,高齢者の健康に関する一般的知識の増進を含む.知識の増進方法としては,マス・メディアへの働きかけ,公的な場や家庭での生涯教育,高齢期に入るについて本人達がこれに備えること等が考えられる.
知識のある人ほど自分の権利を守ることができる,と仮定するならば,高齢者には教育や再教育の機会が与えられる必要がある.平易かつ理解しやすい情報を得る道を提供するため,あらゆる努力が払われるべきである.社会の人々には,高齢者を敬い,世話をするという伝統的な文化的価値観を維持・実行する場が与えられるべきである.高齢者はその過去の貢献だけでなく,若い世代に分け与えることのできる豊かな経験を持っていることからも,尊敬に価する存在であり,また尊ばれ愛されて社会に受け入れられるべきである,という論をしばしば耳にする.経済的に現役であり続けることへの意欲と能力を持つ高齢者には,彼らの永年の経験を通じて得た専門知識・技術を使って若い世代の教育ができるように道を開く手助けがなされるべきである.
工業化と都市化の影響によって,家庭に高齢の家族を経済援助する力がなくなってきたケースもある.核家族においては高齢者の役割が少なくなっていることも原因であろうが,絶えず変化する環境への適応が難しくなり,その結果家族との間に軋轢が生じたり社会から疎外されてしまう高齢者もしばしば見受けられる.多くの場合,彼らの役割や地位は,経済活動の減少により更に低下してしまう.高齢者,特に高齢婦人の貧困に対しては,人生の終りの時期にこれらの高齢者が不当な扱いをうけないよう保障する特別な措置がとられるべきである.高齢者のさまざまな労働能力のレベルに配慮しながら,社会保障制度で高齢者にできる限りの便宜を図っていくべきである.差別や,年齢に関連した懲罰的,差別的課税は取り除かれねばならない1).家族が高齢者へ暖かい手をさしのべるよう地域社会も支援すること,これらの家族に高齢者の世話についての広範な支援制度を適用すること,および高齢者が自尊心を持ち続けてできるだけ長く地域社会に存在できるよう援助すること.これらすべての責任は個々の社会にある.必要があれば,高齢者のさまざまなニーズに合わせて入所型ケアが提供されるべ きである.
高齢であることを,年齢による権利行使資格の喪失事由として使うことなど断じてあってはならない.高齢者の同意を得るに当たって,法律は良識をもって運用されるべきであり,また弱者の能力を判定する際は,高齢者に意思決定過程への参加権利能力を最大限に与えるべきである.弱者が自国の法律にうたわれた保護を受けられるよう,選択の自由と情報入手の権利が保障されなければならない2).
*1)および2)1988年ICSWベルリン会議(高齢者に関する委員会―法律への課題)

香港の前途

香港では,コミュニティでのコミュニティによるケアを通じて高齢者福祉を提供することを目的として,広い分野で高齢者サービスが拡大されている3).コミュニティが高齢者の福祉に関して生活のあらゆる面で責任を持ち,彼らが自尊心を持ち続け,できるだけ長く地域社会に存在できるようにすることが必要である.西欧の多くの国々と同様,我々もこのことを受け入れるようになった.必要な場合には,この年齢集団の多様なニーズに合わせて入所型ケアが提供される.コミュニティにおけるケアの原則の下での戦略は,次の3つの部分から成り立っている.
(1) 一連のコミュニティサービスを提供し,また,給付金を増額して家族が高齢の家族の世話をするのを助けたり,あるいは,高齢者ができるだけ長く自立し,威厳をもって暮らせるようにする.
(2) 健康上その他の理由により,もはや自分の家族と共に,または自力で,生活できない人々に入所施設を提供する.
(3) 加齢の過程についてのより深い理解を奨励し,高齢期が高齢者自身だけでなく地域社会全体にとっても,より建設的で生産的な時期になるようにする.
*3)1979年白書「1980年代へ向かう福祉」

一般に,高齢者向けに提供されているサービスは次のように分類できる.

  1. 社会保障
  2. コミュニティ支援サービス
  3. 住宅
  4. 収容施設のサービス
  5. 保健サービス
  6. その他の支援サービス

政府の関係省としては,保健サービスのための医療保健省,住宅のための住宅省,雇用のための労働省,および特に文化・レクリエーションを手がける市政協議会等がある.社会福祉省は,ホームヘルプ,カウンセリング,デイ・ケアと入所型ケア,および公的扶助,老齢手当,障害者手当といった形での金銭的援助の計画,実施を行う政府の主要省である.
高齢者のニーズに直接関連した社会保障施策には,公的扶助と特別困窮扶助の2つがあり,その支給額は高齢者の購買力を維持するものとなるよう,常に見直されている.公的扶助は,貧窮者や家族の収入を必要な基本的ニーズが満たせる一定のレベルにまで引き上げることを狙っている.この公的扶助には資産調査が課せられており,掛金分担義務のある性格のものではない.老齢付加給付金は,高齢になることで生じる特別のニーズを満たすために60歳以上の公的扶助受給者に支払われる.特定の費用を賄うための付加補助金および障害者付加給付金や長期付加給付金も特定の状況がある場合に支払われる.特別困窮手当施策には,70 歳以上の人々の特別なニーズを満たすための資産調査なしの手当である老齢手当と,重度障害者の特別なニーズを満たすための資産調査なしの手当である障害者手当の2つがある.これらの手当は,コミュニティにおけるケアの原則に則って高齢者が家族の中で喜んで受け入れられることを狙ったものである.1987-88年における高齢者への公的扶助は4億2500万ドルで,特別困窮手当は8億3800万ドルであった.
高齢者への金銭的援助とは別に,社会福祉省は高齢者へのサービス提供のために,多数のボランティア団体に補助金を支給している.(1988-89年における高齢者サービスへの補助金は,予想助成金総額7億8800万ドル中,1億5200万ドルを占めるとみられている.)それに加えて,地元住民の団体が,高齢者のための受け皿となっている.
コミュニティ支援サービスには,家庭やセンターを拠点としたさまざまなサービスがある.これらのサービスのほとんどは,高齢者ができるだけ長く地域社会に住み続けられるようにすることを狙いとしている.雇用サービスは,経済的に現役でいらける能力と意欲を持ち,適切な職を探している人々を助けるためのものであり,また輸送サービスは,高齢者の輸送面での特別なニーズに応えるためのものである.コミュニティ教育サービスは,高齢者のニーズに関する対応や問題点についての理解を深めること,年老いてゆく過程に高齢者がよりうまく適応できるよう手助けすること,高齢者は地域社会の不可欠の存在であるから地域社会の中で地域社会が世話をすべきものであるとの考え方を育むこと,および若者と高齢者との間の相互理解を促進することを目的に実施されている.演劇大会,舞踊コンテスト,弁論大会,運動会等高齢者のためのさまざまな活動を通じて,また出版物やニュースレターを通じてなど,多面的なアプローチが,我々の中にいる高齢者の全人的な福祉に貢献している.
また,高齢者が各々の衰えの程度に対処するのを助けることを目的として,長年の間に特定な形でのサービスが生まれている.

○ホームヘルプ
自分の身の回りのことが適切にできない人,および家族や友人からの援助がない人,に対して家事サービスを提供する.
○デイ・センター

  1. マルチ・サービス・センターでは,ホームヘルプ,カウンセリング,洗濯,入浴,社交的活動等,多くのさまざまなサービスを提供する.
  2. デイ・ケア・センターでは,まだ家族と共に自宅で暮らすことができるが,昼間だけ身辺介助や限定的な介護サービスを必要とする高齢者に対してサービスを提供する.
  3. 社交クラブと社交センターでは,社交活動やレクリエーション活動を提供する.

○ボランティア・サービス
ボランティアの人々に,独居老人の訪問,グループでの外出や通院の付き添いをしてもらう.○電話サービス 在宅の高齢者に情報を提供したり,定期的な連絡をとったりする.
○入所施設でのケア
個人的,社会的または健康上の理由により,入所施設でのサービスを必要とする高齢者に提供される.これには,高齢者共同宿泊施設とともに計画的なプログラムや,24時間体制の管理スタッフを備えたホステル,また宿泊施設と食事とある程度の身辺介助を提供する老人ホーム,および食事と宿泊施設の他に全般的身辺介助とある程度の看護を提供する養護ホーム(care and attentionhomes)が含まれる.施設でのケアの関連では,コミュニティにおけるケアの考え方を補強する目的で,一時入所型ケア・サービスが香港に導入されつつある.
家族関係に問題がある場合には,家族サービスセンターを通じてカウンセリングを受けることができる.必要な場合には,老人ホームへの任意入所の手配も行い,一時的措置としてこれらのホームにある臨時の場所に入居することができる.またこの問題の最終的解決法としては,長期入所または家族による引き取りを考えることになる.現在,これらのサービスのほとんどはボランティア団体が行っており,これらの団体が高齢者の福祉のために貴重な貢献をしていることは広く知られている.
香港では住宅が相変わらず最優先課題であり,住宅官庁は毎年大量の公営住宅の建設を続けている.住宅省は,小規模アパート,独居者用宿泊設備,擁護ホーム,ケア付き住宅および介護棟等,さまざまなタイプの公営住宅を備えることで高齢者に住宅を与える努力をしている.コミュニティでのケアを奨励し,地域社会に暮らし続ける高齢者に適切な住宅を提供するために,住宅省は日常生活に手助けを必要としない高齢者用の宿泊設備の計画と運営に特に力を入れている.例えば,住まいが必要な高齢者用の特別住みかえ制や,親と同居している家族への優先入居権を与えることがあり,また,戸数が3000戸以上の新しい公営住宅には擁護ホーム棟が併設されている.
効果的な高齢者サービスは,「コミュニティにおけるケア」の考え方をよりどころとし,リハビリテーションの原則によって支えられ,さらに高齢者自身と家族,コミュニティ全体の支援で強化される.世界中の人々が集まって意見交換を行う手段としてのネットワークを提供し,世界中の高齢者の福祉を増進するために理論面と実践面での専門知識を分かち合い,新たな活動への基礎固めをする上で,今回の世界会議のような機会は,非常に重要なものである.

分科会SD-4 9月6日(火)16:00~17:30

社会統合のためのマスコミの利用

USING MASS MEDIA AS AN INFLUENCE FOR SOCIAL INTEGRATION

座長 Ms.Barbara Kolucki Media & Disability Consultant〔Hong Kong〕
副座長 馬橋 憲男 国連広報センター

社会統合のためのマスコミの利用

USING MASS MEDIA AS AN INFLUENCE FOR SOCIAL INTEGRATION

Barbara Kolucki
Media & Disability Consultant,Hong Kong

コミュニケーション論の研究者によれば,人々は,世の中とはどんなものか(つまり社会的現実)に対する考えを,マスメディアの影響を受けて形成していく.事実,テレビで暴力的攻撃的シーンを多く見ている子供は,そうでない子供よりも,世の中は暴力に満ち恐ろしい所だと信じる傾向があることがわかっている.
障害をもつ人々にかかわる「社会的現実」についても同じことが言えよう.とすれば,メディアによる新しいもっと積極的な試みが子供や大人達の障害をもつ人々に対する認識を変えるであろう.その結果,人々は障害をもつ人々も,今まで考えていたのに比べ,はるかに多様な面を持つあまり違わない人間だと思うようになるであろう.そしてステレオタイプ(ある「グループ」の人々について極度に単純化,一般化したタイプ)とそこから引き出されるその人々についての「社会的現実」が,くつがえされることになる.
子供のテレビ視聴について触れたが,テレビに関する研究は多い.私自身この分野には関心があり,専門でもあるので,子供に社会の良い面を示し,成功したテレビ番組の例を多数の中からひとつ示したい.米国で1980年代前半に制作された「フリースタイル」という題のシリーズである.この番組は,子供向けに,子供について,子供を主役にして(非常に巧みな方法である)思わず釣りこまれてしまうような物語の中で,社会に対する肯定的メッセージを伝えている.調査によれば,異なった社会経済的背景を持つ男女の子供達が,さまざまな非伝統的活動の中で子供や大人の能力を,再評価している.この番組が,子供が世界について真実であると信じていたことを変えたのである.「フリースタイル」は視聴者の文化的世界,つまり社会的現実に挑戦しこれを作りかえるというメディアの魔術を活用したのである.
この分科会では,障害をもつ人ともたない人の社会統合を積極的に促進するためのメディアによる努力について取り上げる.これはまだ新しい領域であり,ここしばらくは「実験的」とみなされるであろう.しかし,過去10年間に開発途上国,先進工業国両方でさまざまな試みがなされてきた.いろいろなプロジェクトがあり,障害者,非障害者それぞれにとって時として恐ろしい分野になりうることを学ぶ機会となった.
広告キャンペーン,セミナー,ドキュメンタリーなどを問わず,私たちのメディアにおける種々の試みが成功していないと家われることも多く,やむをえない場合もある.また我々の仕事がいかに素晴しく,役に立っているかを耳にすることもある.どちらが本当か.気落ちしている時には,人々が狭量すぎる,無関心であると「地域社会」を非難する.またよくあることだが,自分がプロデューサーでない時には,メディアを非難する.
しかしさまざまな困難があるからといって,努力は無駄だということはない.世の中の他のすべてのことと同様,変化,中でも向上的変化には時間が必要である.子供のためのテレビ番組と学校教育にかかわった私自身の経験からも,明白なことである.不可能だと主張していた人に限って,首尾よく実現出来たのを見てから他の人に薦めている.本日のパネリストは,それぞれの国での忍耐と変化の経験ゆえに,今日この場に出席しておられる.適確適切で時機を得た情報を伝え,迷信や無神経なステレオタイプ的信念の追放を目的とした,個人のまたは社会的あるいは国際的レベルでの仕事について論じるわけである.

この領域で過去の成功と失敗からすでに知られている点について,ここで簡単に述べたい.以下のリストは決して完全ではないし,世界中で無数のガイドラインが発表されており,国際障害者年以来特に増えている.しかし下記の事項は,ほとんどの国のほとんどのメディアに関して大部分の場合に正しいと証明されており,傾聴し今後に役立てることが必要であろう.

  1.  情報は対象とする視聴者の関心を引くものでなければならない.予算や財源にかかわらずプロフェッショナル(高価と同意語ではない)であるべきである.
  2.  情報は対象とする視聴者にとって有用でなければならない.誰でも必要なものは利用するが,残りはしまっておくか捨てる.「何故この情報が必要なのか」, 「どのように利用できるか」という質問に対する答えを視聴者に提供する必要がある.
  3.  情給と情報提供者には信頼性が必要で,しかもわかりやすくなければならない.
  4.  可能な限り否定的行動をモデルにしないこと.子供向けメディア作品で特に重要である.研究からもわかるように,人は否定的な話には嫌気をおこしたり,侮辱を感じたりする上に,音声による「してはならない」というメッセージには耳を傾けないことが多い.この法則に関する唯一の例外は,ユーモアを用いることだが,これも大人にのみ有効である.
  5.  予防に関するメッセージは,人間を強調するのではなく疾病の予防を強調すべきである.映像も肯定的で生命を慈しむものであるべきで,人間性を奪うものはいけない.
  6.  出来れば複数メディアの使用が最善である.複数メディアとは,メディアを介しての発表に加えて人間的触れ合い,あるいは少なくとも質疑応答の機会があれば,最高の結果をもたらすということである.
  7.  それぞれのメディアは,その最も得意な分野で用いること.例えばテレビは娯楽の提供に最適であり,またもうひとつの世界,つまり「社会的現実」の創造に最も優れている.それに比べてセミナーは,実際に会って伝えるのにすぐれており,人々を新しい情報の世界へ案内し,新しい情報に対する参加者の異和感をやわらげる役割を果たす.伝統的語りの方法は,識字率の低い所では,多分最も効果的である.いずれにせよただ指図したり説教したりするのでは,どの方法を採っても効果は薄い.
  8.  障害をもつ人々に対して敬意と感受性を持って接すべきであるように,障害をもたない一般の人々にも同じように接しなければならない.人々の知識の欠如,宗教的,文化的信念とか恐怖心は,自分自身をどのように感じているかによることもある.発達理論,あるいは自分自身の生き方を変えられるとわかるよう援助をすることが,多くの懸け橋をつくる.
  9.  人々にとって障害をもつ人が成長し変わっていくことを,目で見て知ることが必要である.障害を持つ大人や子供が表通りの人生から隠されてきた開発途上社会で,特に必要だと言える.耳で聞くことも重要だが,実際のところ百聞は一見にしかずである.権利擁護運動のグループ,People Firstからの引用が適切であろう.「人に亜種はなく,我々は一人残らずさまざまな面を持つ人間であることを理解する必要がある.」
  10.  最も重要なガイドラインであるIMPACTの声明を要約する.「人は電気がなくても発展の可能性はある.しかし本当の意味で意志決定に参加していなければ,発展はできない.」ここで述べたいのは,もちろん障害者の公的権利と意志決定についてである.可能な限り障害者自身がスポークスマンに,リーダーになるべきである.障害者こそが,社会統合を目指す際の最善の教師,つまり最高のメディアであったし,またこれからもである.

社会統合のためのマスコミの利用

―国際シンポジウムの成果―

USING MASS MEDIA AS AN INFLUENCE FOR SOCIAL INTEGRATION:THE RESULTS OF AN INTERNATIONAL SYMPOSIUM

Aleksander Hulek
Polish Society for Rehabilitation of the Disabled,Poland

マスメディアには,書かれた言葉として本,定期刊行物,新聞があり,話された言葉としてラジオがあり,画像として多様な芸術があり,画像を伴う話された言葉としてテレビと映画がある.
マスメディアは以前より,身体的精神的障害をもつ人々とその問題に関心をもってきた.事実,一般に認められている基準,価値,習慣,宗教,生活条件に基づいてさまざまな形で関心を示してきている.障害者の概念と彼等に対する態度は社会的伝統で受け継がれ,のちにマスメディアによって伝えられてきている.
1940年,50年代には,リハビリテーションの実践と理論の基礎となる概念および障害者の能力と特徴についての考え方はマスメディアに正しく理解されていなかった.障害者についてマスメディアが伝える形式と内容は,リハビリテーションの目的や障害者が,個人としてあるいは集団として生活の中で成功している事実にそぐわないものが多かった.否,正反対のものすらあった.
しかしながら,徐々にではあるが,ラジオ,テレビのライター,スタッフ,アーチストたちが障害者の生活やニーズ,そして障害者も非障害者同様に機能することができるように我々が保証しなければならない条件等についての知識を得るにしたがって状況が変わってきた.そして我々の仲間になってきた.さらに,我々専門家もマスメディアの働きをより一層理解することで,協力が容易になってきた.

「マスメディアと障害者」についてのワルシャワ・シンポジウムでは主に二つの問題を取り上げた.第1は,現在のマスメディアの障害者問題へのかかわり方,その方法および効果を評価することであった.
第2は,マスメディアが障害者問題をいかにしたら最良の方法で,一般にあるいは特定の社会グループに示すことができるか,その方法を我々が提案することであった.
現在のマスメディアの役割を評価すると,次の点を指摘することができる.

  1.  マスメディアは障害者について,その私生活,社会的地位,望ましい条件についての概念を形成し,情報を提供する強力な道具である.
  2.  非常に少数ではあるが,特定のマスメディアや新聞はいまだに過去を繰り返すような常套句を使用している.これは,「弱者に援助を」とか「不幸な人を助けましょう」などと題する記事に示されている.
  3.  マスメディアはしばしばドラマチックな状況を取り上げる.しかし,その状況は障害者だけに限ったものではない.
  4.  一般に,彼等は現状を再現するのみでその放映の影響には必ずしも注意を払ってはいない.
  5.  障害者問題はテレビの経済感覚にはそぐわないのでゴールデンアワーにはほとんど放映されない.
  6.  障害者問題の放映を障害者,その親たち,介護者が徐々に評価の対象にしてきている.これは前向きの面である.
  7.  障害者はいまだに極端な方法で紹介される.マスメディアは,他の人々のように障害者の生活の個人的な独自の内容まではほとんど紹介していない.
  8.  マスメディアは「典型的な」問題,すなわち,学校,仕事,障害者への援助などに制約し,もっと微妙な家族の問題や個人的な生活についてはほとんど討論していない.

書籍,新聞のグループおよびラジオ,映画,テレビのグループでの活発な講演や討議に基づき,マスメディアについて次の結論を出した.

  1.  マスメディアは今後も引き続き障害者についての考えを形成したり,情報を提供するのに非常に重要な役割を果たす.ことに,親しみやすい方法で一般大衆にあるいは特定の社会グループに専門知識を伝達する.マスメディアは障害者に対する望ましい態度について,また,その逆について提案する.しかし,情報は単独で直接的な効果をもたらすのではなく,同時に他の要素,すなわち,障害者自身,その家族,リハビリテーション・サービスにかかわる人々の意識や,また生活条件,そして科学者などの考え方もその効果に影響を及ぼす.
  2.  以前にも増して,マスメディアは,障害を必ずしも客観的状態として,または個人的特徴や個人の先天的状態としてとらえてはならないことを認識すべきである.障害は個々の障害者とコミュニティとの関係からも生まれる.
  3.  我々は障害者の普通と違う身体的心理的特徴をドラマチックに扱ってはならない.信頼できる情報を与えるべきである.障害者のごく自然な日常の状況について語るべきである.そのことによって世論が家族,学校,同年代の人々,職場,あるいは余暇での障害者の状況を認識すべきなのである.ノーマルな対応が結果としてノーマルな行為となるのである.
  4.  障害者と非障害者の間にはむしろ共通のあるいは同一の問題が予想以上に多い.これはワルシャワ大学教育学部によって多年組織的に行われた調査の毎日の観察結果である.前記の「我々」と「彼等」との使い分けは障害という一つの特徴をもとにした評価によるものであった.知的,意志的な特色や性格や精神についての調査はほとんど不可能である.
  5.  障害者の弱点よりもむしろ能力を,いろいろな生活状況の中で成功している様子を,そして障害者の多くは自分自身に責任を持つことができる人々であることを示すことが必要である.
  6.  公開質問は障害者の問題を提示する最も効果的な方法の一つである.短時間あるいは長時間のフィルムを使う特別プログラムを作るあるいは他の問題を扱うプログラムの中に障害者問題も含めるなどが考えられる.たとえば生産工場の成果について語るのなら,障害者もその中で働き,生産に貢献していることを述べるとよい.障害者が我々の中で生活していること,彼等の問題は日常的な生活の場で我々の問題でもあるという事実を認めることが必要である.
  7.  もし障害者の全般的な問題を一般の人々に提示する場合と障害者の特定グループの特別な問題を専門家に提示する場合は異なる.双方とも好条件のなかでなされるなら肯定的な結果となる.
  8.  重要なことは,誰が何を,どんな方法で,誰に,どんな結果を話すかという問題である.誰がマスメディアのなかで障害者の問題を提示するのか.何世紀ものあいだそれはライターの仕事であった.ラジオとテレビの出現した時にはジャーナリストはほとんど非障害者であった.そして今日,障害を持つジャーナリストも増えている.これは,情報への信頼性を増す.大切なことは受け手が情報源を信頼できるようにすることである.
  9.  我々は障害者に対する非障害者の態度に及ぼすマスメディアの影響についてほとんど情報を持っていない.これまでの研究はマスメディアによる態度の変化はきわめて少ないことを示している.したがって,障害者に対する非障害者の態度や障害者のために備えられるべき社会的,心理的,物理的条件などに力を入れるべきである.
  10.  マスメディアの影響による障害者の生活状況の変化についてもほとんど分かっていない.障害者のための「キャンペーン」や街頭募金などの効果についての研究はなされている.これらの研究結果は否定的なものから肯定的なものまで非常に多様である.
  11.  障害者のニーズは,知識,すなわち医学・職業・社会リハビリテーション,特殊教育,社会団体の役割,その他諸サービスの分野における研究の成果に基づいて対応がなされてきている.ポーランドにおいても外国においても,科学の進歩はマスメディアによりさまざまなかたちで一般にあるいは特定の人々に伝達されている.この限りにおいては,我々はライターやジャーナリストのかなりの進歩と貢献を認めるが,彼等の仕事の効果については知られていない.また人々には,ことの真髄を知らせなければならない.残念ながら,必ずしもそうはなっていない.広く伝えられたことが,必ずしも事柄の核心あるいは客観的事実や状態ばかりではなかった.いまだに「底辺の人々」とか「貧しいひとたちを助けましょう」とか,「彼等の劣等感」とかいう決まり文句や用語にでくわすのである.
    彼等はこのような方法で障害者問題に一般の人々の関心をひくことができると信じている.これは間違いで,固定観念をさらに強化するだけである.これにかわるような次のような情報を与えようではないか.例えば,「彼は学校や職場で良い成績をおさめ,社会的に活躍し,家族は十分な生活をしている.」など.新聞およびラジオ,テレビはこのような積極的方向にすすんでいくであろう.
  12.  リハビリテーション・サービスはマスメディアと密に協力すべきである.目的を明確にし,問題を選択して適切なメディアにまわし,その公開により予想される影響について共に協議すべきである.
  13.  ライター,ジャーナリスト,アーチストを障害者問題についての大会やセミナーに招待すべきである.単に資料を廻すよりも,問題についてのより良い知識を得る機会となるであろう.
  14.  マスメディアの言語は不明瞭でなく正確でなければならない.しかしこれはマスメディアの種類により異なる.
  15.  情報源,伝達の方法一形と内容,受信者の反応についてさらに研究が必要である.

特定の国におけるリハビリテーションの発展や障害者の地位に関するメディアの影響を私が評価するには十分な資料がそろっていないが,その影響がかなり強いことは間違いない.開発途上国においては,マスメディアがますます障害者の利益の向上や相談サービスにかかわってきている.しかし,その方法などはまちまちである.また長い間,障害者の特定の問題について深く追究しているマスメディアもある.

公共放送としてのNHKの役割と福祉番組

ON THE ROLE OF NHK AS A PUBLIC BROADCASTING ORGANIZATION AND ITS WELFARE PROGRAMS

伊藤 恒之
日本放送協会教育番組センター(生涯教育)

NHKは,「公共の福祉のために,あまねく全国において受信できるように放送を行うことを目的とする」と放送法で規定されています.
その意味でNHKは,日本で唯一の非利潤の公共放送機関であるとともに,公共の福祉に貢献なくしては,その存在はあり得ないのです.
現在NHKでは,ラジオで3番組,テレビでは8番組の福祉および障害者に関する放送をしています.
しかし,NHKの放送の歴史から見ると,福祉番組の歴史は,決して長いものではありません.
NHKが放送を開始したのは,今から63年前の1925 年で,当時の放送メディアはラジオでした.一方NHKが福祉番組をスタートさせたのは,第二次大戦後の 1952年で,それは,NHKの放送開始から遅れること 27年でした.因みに第二次大戦が終わったのは,1945 年ですから,終戦後7年たってから,NHKは,本格的に福祉番組を始めたことになります.NHKの福祉番組の開始が,NHKの放送スタートよりも,何故27 年も遅れ,それが1952年になったのかは,それなりの理由がありました.その理由はこうです.
第二次大戦以前の日本では,福祉活動は,慈善事業の形で行われ,その活動のほとんどは,民間の篤志家たちが行っていたのです.
国は社会事業に,ほとんど係り合っていなかったのです.「国民にゆたかな生活を保証する」福祉の精神は,今でこそ現代の国家すべてに共通する大前提になっていますが,戦前の日本では,そうではありませんでした.日本人は,敗戦によって貧困のどん底に突き落とされましたが,戦後になって,初めて日本政府は,国の名のもとで福祉の精神を実行に移したのです.
1947年に児童権利と福祉を保証する児童福祉法, 1949年には身体障害者の生活安定と福祉の増進を目的とする身体障害者福祉法,そして1950年には,全国民に最低の生活を保障する生活保護法と,いわゆる福祉三法が3~4年の間に次々と施行され,社会福祉事業が国家の責任のもとで行われることになり,それを約束した法律が1951年6月に実施された社会福祉事業法でした.これを受けてNHKは,翌1952年1月に「社会福祉の手引」というラジオ番組を新設したのです.当時は,社会福祉とか,福祉事業というような言葉さえ耳慣れないものでしたから,この新しい番組は,福祉三法およびそれに基づく社会福祉事業について,分かり易く解説し,国民全体に社会福祉とは何たるかを周知し,理解を深めてもらうことを目的とした番組でした.このような事情のなかで,NHKの福祉番組は,第一歩を踏み出しました.
この番組は,国民全体を対象とした番組でしたが,時代の経過とともに,放送メディアもラジオからテレビへと変わりました.また番組題名・内容もその時代,時代に対応しながら変わってきましたが,放送の目的は,障害者,老人,児童,家庭など福祉にかかわる問題をいろいろな角度から取り上げ,一般社会人共通の問題として,福祉問題の啓蒙に努めて来たことでした. 1952年から現在まで36年の間放送されて来ましたが,現在この番組は今,「あすの福祉」というタイトルで,テレビで放送されていますが,来年には装いを新たに新しい番組に発展させていこうと考えています.

次に福祉を教育問題として放送してきた番組について触れます.NHKは,この種の番組を二つの方向に向けて放送してきました.一つは家庭に向けて,もう一つは学校に向けてです.
前者の家庭に向けた言わば,障害児を持つ家庭(母親・父親)のために,「テレビろうあ学校」という番組を今から27年前の1961年に始めました.当時日本では,東京や大阪などの大都市の一部を除いて,障害児に対する教育機関・施設は,量的にも質的にも,また公的にも私的にも貧弱でした.そのため全国で障害児を持ち,その育て方に苦しんでいた家庭に向け,なんらかの教育情報を提供する必要がありました.
この番組は,このような趣旨でスタートしたのでした.同じような趣旨で始めたテレビ番組に「ことばの治療教室」という番組もあります.この番組は,1966 年にスタートしましたが,言語障害児を持つ家庭,とくに母親を対象に,ことばの発達のおくれ,発音異常,難聴,口蓋裂などについて基礎的な知識・指導法を放送内容としたものでした.現在「テレビろう学校」と「ことばの治療教室」の番組内容は,「こどもの発達相談」という題名の番組のなかで,継続されています.
家庭向けの番組で,NHKが最も新しく創った福祉情報番組があります.新しいといっても4年前の1984 年にスタートしたテレビ番組ですが,題名は「シルバーシート」といいます.
この番組は,介助の必要なお年寄りや,身体の不自由な人たちの介護をしている家庭を対象にした番組ですが,NHKがこの番組を4年前に新設した理由は,今先進諸国は,猛烈なスピードで人口の高齢化現象が進んでいます.とりわけ日本の高齢化のスピードは,驚くべきほど早く,ヨーロッパ諸国が100年以上かかって高齢社会になったのに対して,日本はわずか25年で高齢社会を迎えたのです.〈高齢社会とは,国連の定義により,総人口のなかで65歳以上の人口が7%を越えた社会をいう.〉
そして今から32年後の2020年には,日本人口の 21.82%は65歳以上の人たちが占めることになります.これは,世界のなかで,ナンバーワンの割合になります.私達日本人は,その時に備えておかねばなりません.現在も確実に増えていますが,その時には老人性痴呆症,あるいは寝たきりなど,予期せぬいろいろな問題が継起するに違いありません.わたしたちは,その時のために心の準備と,それを解決するためのノウハウを一人ひとり獲得することが必要だと考え,この番組をスタートさせたのです.

以上は,家庭向けの放送でしたが,NHKには,もう一つの学校の教室に向けての放送があります.それは,小学校の障害児学級や養護学校に学ぶ知恵遅れの子供たちを主な対象にして,1964年に始まった「テレビ特殊学校」という番組ですが,この番組は,現在低学年のための「たのしいきょうしつ」と高学年のための「いってみようやってみよう」という2番組に分けて放送されています.小学校低学年の「たのしいきょうしつ」は,日常生活のなかで身辺の自立を子供たちに促すことをねらいにした番組です.
高学年の「いってみようやってみよう」は,こどもたちが,日常生活の場をひろげ,積極的に外へ飛び出した時に,直面するさまざまな問題を自分の手で解決していく時の,動機づけになることをねらいとした番組です.言わば「たのしいきょうしつ」は基礎編であり,「いってみようやってみよう」は応用編なのです.この番組は,学校で放送学習として利用されています.

次に,障害者当事者に向けて,NHKが放送を出している番組について触れます.
ラジオ番組に「心身障害者とともに」という番組があります.この番組は,当初「ラジオ特殊学校」という名称で1962年にスタートしましたが,その後「精神薄弱児のために」,「精神薄弱児とともに」を経て,今の番組になったのですが,「~のために」から「~とともに」と番組の名称が変わった背景には,この間に障害者・者に対する考え方が,大きく転換したことがあります.従って,この番組の狙いも障害児・者の医療,教育,郎働,生活にかかわる今日的問題を取り上げ,「障害児・者」と「健常者」がともに生きていく方向を探ることにあります.
また,1964年に始まった番組「盲人の時間」は,全国に35万人いる視覚障害者のために,生活情報や話題を提供するラジオ番組ですが,それにとどまらず,盲人の職業として多い針,灸,マッサージいわゆる三療医学に関して新しい情報を提供する実用番組でもあるのです.
聴力障害者のためには,「聴力障害者の時間」というテレビ番組が,聴力障害者の広場として,ここ10年,生活に役立つ情報や話題を提供しています.この番組の場合,テレビの特性を生かして,手話,文字スーパー,写真,イラストなどの映像を駆使して,トータルコミュニケーション的な演出手法がとられています.
さらに,聴力障害者のために,マルチ・チャンネルを使って,文字放送・字幕番組を放送しています.文字放送の番組内容は,生活に必要な情報および,NHKが月曜から土曜まで毎日放送している朝の連続ドラマ,この連続ドラマの視聴率は,40%を記録している番組です.そしてもう一つは,日曜日のプライムタイムに放送している大河ドラマ,この視聴率は,30%強を記録している番組で,現在日本のなかで,一番見られている番組のひとつですが,この2つの番組のあらすじが分かるように,文字放送しています.
字幕放送では,先に述べた朝の連続ドラマ,大河ドラマ,そして子ども向けのアニメーション番組である「三銃士」など4番組について,毎回字幕をつけて,聴力障害者のためのサービスを行っています.もちろんこれらのサービスは無料です.
この文字放送・字幕放送は,当初は地域的には限られていましたが,現在では全国的にカバーされています.そして,これらの放送は,ここ数年進歩・発展が著しい,いわゆるニューメディアを利用したものですが,これから将来にかけて,このようなニューメディアを利用した放送サービス,あるいはワープロやパソコンを使った高度情報通信手段を利用することによって,障害者に対するサービスが,ますます充実されていくと考えられます.

3年後は,国際障害者年が設立されてから,10年目にあたりますが,これに向けてNHKは直接放送だけでなく,放送を通して障害者が,より住みやすい社会になるように努力していくつもりです.なぜならば,障害者が住みやすい社会は,多分健常者にとって住みやすい社会であることに違いないからです.
最後に,今日報告申し上げたNHKの経験が,今回参加されている国々の方々に,何らかの参考になれば,大変うれしいと思います.

障害予防、リハビリテーションおよび障害者のための機会の平等化に果たすメディアの役割

―フィリピンでの経験―

THE ROLE OF MEDIA IN DISABILITY PREVENTION,REHABILITATION AND EQUALIZATION OF OPPORTUNITIES FOR DISABLED PERSONS:PHILIPPINE EXPERIENCE

Arturo Borjal
National Council for the Welfare of Disabled Persons,Philippines

フィリピンでは広範囲なメディア網が確立していて,メディアは障害を予防し,障害者を救済するための有効な手段となっている.
政府直轄のフィリピン情報局(PIA)はその「メディア浸透の概略」の中で,1987年には英語,フィリピン語その他さまざまな方言による出版物を扱う印刷媒体事業所は約396,ラジオ局が329,テレビ局は60あったと報告している.これらのメディア施設は,ルソン,ビサヤ,ミンダナオというフィリピンの主要3島に散在している.PIAの同報告書によれば,全国980 万世帯のうち70%がラジオを所有しており,テレビは 30%の世帯にある.この調査では印刷媒体による浸透度を数量化していないが,これも相当な数値であることに疑問の余地はない.フィリピンのマスメディアは,情報源であると同時に,全部で7,000以上を数える島々に住む国民をつなぐ輪としての役割を果たしているという意味で,他に例を見ない.
このような現実を認識した上で,全国障害者福祉協議会(NCWDP)は,障害をもつフィリピン国民のために,メディア資源の十分な活用を目的に考案された戦略を採用している.その内容を以下に記す.
1.国内全12地域における情報網の設立
各ネットワークは,地域内にある既存のメディア機関とNCWDPをつなぐ輪としての役目をもつ.マニラのNCWDP本部から,地域や州レベルへの情報の伝達は,地域情報網を通して送られる.
伝達された情報に関するフィードバックの収集も,地域網の責任の一端である.マニラのNCWDPは,得られた反応を基にして,情報伝達方法を策定する.
地域情報網は実際上,双方向のコミュニケーション経路としての役割を持つことになる.
2.技術報告,パンフレット,雑誌,データ表その他の情報資料の作成と配布.
マニラのNCWDPでは,さまざまなメディア従事者,ソーシャル・ワーカー,リハビリテーション・センター,障害者のために働く市民グループ,政府の調整機関,議員や政策立案者へ配布するための情報資料を,定期的に作成している.
これらの資料は,障害予防やリハビリテーションの話題や,他の障害関連の問題に関する参考資料として,メディア従事者に役立っている.
3.マニラのメディアとの緊密なつながり
日刊の全国紙すべてとさまざまなメディア機関の本社はマニラに置かれていて,NCWDPとは緊密なつながりを維持している.新聞発表という形で得られる障害に関する最新情報は,さまざまなメディア機関の間で定期的に配布されている.
全国ネットのメディアが伝えた我々のニュースは,一般に都市や州の他のネットワークが取り上げる.これまでのところ,その成果には勇気づけられている.メディア利用を通して全国的に障害者に対する関心を高めようとする我々の努力は成果を挙げている.フィリピン国民は,障害者が生産的で自信をもった地域社会のメンバーになるための援助が急がれていることを理解しはじめている.しかしまだなすべき事は数限りなくある.
このところ,障害関係の問題について,国民をさらに教育し,情報を与えることが必要とされる.ここで情報経路としてのメディアの継続的な使用が役立つのである.人々が障害者のニーズや問題に気付いていなければ,どうして理解と援助を期待することができるだろうか.
障害や障害者関連の情報は,良い記事にならないという人もいる.犯罪,暴力,経済,政治のみが良いニュース種だと言い張るが私は同意できない.実際に仕事をしているジャーナリストとして,私はメディア向けの障害者に関するニュースがたくさん有ることがわかっている.例えばリハビリテーション・センターには,非常に興味深い話がいくらでもある.
陶器を作る盲人,家具を巧みに製作する肢体不自由の人,足で肖像画を描く腕のない人,身体中に火傷をした一歳の乳児の苦しみ,余暇時間を使って障害者に医療を施す若い医者,ハンディキャップのある人の日常生活でのニーズに献身的に応える修道女あるいはソーシャル・ワーカーというような話題はすべて,非常に興味深い.知識を得,理解し,援助を申し出てくれるように,こういった話題は伝えなければならない.苦悩,自己犠牲,希望,勇気,成功の話であれば,メディアが無視することはない.
ここで私が特に強調したい点が浮かび出てくる.メディアに技術的情報を提供するだけでは十分とは言えない.障害者の日々の苦闘が反映された,上質の作品を提供しなくてはならない.それと同時に,メディアの第一の目的は売り込むことであるという事実を考慮すべきである.売り込むためには,読者と関連があるだけでなく,読者の興味を引くニュースを提供する必要がある.メディアを我々の使命遂行のパートナーとするためには,メディアが伝達する情報を提供する際に,ある一定の規準を満たす必要がある.そのためには,メディアではなく,我々が主導権をとるべきである.
我々の目的を効果的に達成するために計画された広報プログラム作成には,調査と広範にわたる立案が必要である.優先分野,対象となる読者層や視聴者層,公開の範囲,予算要求を明確に決定すべきである.同様に,キャンペーンの結果を判断し,改善すべき点を発見するための,フィードバック機能を設置すべきである.端的に言えば,広報キャンペーンを成功させるためのすべての要素について検討すべきである.
メディアとの良い関係を構築することがもう一方の課題である.メディア従事者やメディア機関が障害者援助のために行った努力に対し,適切な評価を与えるような広報活動プロジェクトを作成しなければならない.評価は,賞とか表彰状という形でよいだろう.
障害者の世界についてメディア従事者が直接体験から知識を得るようにするためには,リハビリテーション・センターへの訪問,会議への出席,あるいは障害者のためのボランティアグループへの参加を時折呼びかけることを勧めたいと思う.これにより親密で継続的な関係を確立できるであろう.
情報に依存している社会では,メディアが非常に重要な役割を担っている.世論を形成する助けとなり,それにより政府の政策に対し影響を及ぼすのである.
このことは障害者の苦境を軽減するための幾つかの法律がまだ成立していない我が国では,特に真剣に考慮しなければならない.政策立案者や議員は,障害者の権利促進のために行動しなければならない.つまり教育,雇用,移動の権利であり,人間としての潜在能力を十分発達させる権利,非障害者の市民と同様に,憲法で保障されている諸権利を享受する権利,地域社会で意義ある役割を担う権利,自己充足と幸福追求の権利,自分自身を社会の主流に統合させる権利である.
現在フィリピンのメディアには報道の自由が保障されており,論争中の問題についても客観的な評価ができ,政府の政策を批判する勢いをもっている,つまり価値ある目的のための改革運動である.
フィリピンのメディア従事者は,辛辣で痛烈な論評で知られているが,チャリティ活動にもしばしば参加してきている.緊急に助けを必要とする人々への援助を呼びかけるコラムニストのような例は,新聞ではよく見かける.このような呼びかけに対しては,多くの場合読者からの熱狂的な反響がある.
以上のことから,フィリピンのメディアは自由であるのみならず,弱者,つまり恵まれていない人々に対しての感受性をも備えていることがわかる.
障害者のために働く我々にとって,これはもうひとつの歓迎すべき進展である.我が国ではメディアが心からの味方である.現在我々はこの協力関係を一層強化するよう努力しており,そうすることで,障害者のために資源を共にプールしていけるであろう.

マスメディアと障害者

MEDIA AND DISABILITY

Daniela Bas
Centre for Social Development and Humanitarian Affairs.Vienna intennational Centre.United Nations office at Vienna

障害者世界行動計画(WPA)に関連してメディアと障害について話をするようにとの要請であるが,我々が何について論じているのかを知るために,まずメディアを定義することから始めるべきであると考える.
メディアという言葉は,個人と個人,個人とグループ(またはグループと個人),あるいはグループとグループの間の伝達手段を意味している.通信メディアは有史以来,常に大きな社会的影響力を持ってきた.語り部,役者やあやつり人形師の芸は人類の歴史と文化について記録し,保存し,さらに定義を与えて,その本質と発展について人々に情報を提供するための重要な役割を担ってきた.テレビ,ラジオ,雑誌,新聞,映画,本や演劇といった現代のメディアもまた,このような大昔からの目的に,現在も役立っている.先進工業国と開発途上国では,異なった形態の社会的コミュニケーションの諸問題が起こると考えられる.メディアの普及に伴い,広く受け入れられ,また今回のようにメディアと障害を関連させて扱うためには,手段として何を用い,またどのような用語を使用するかという問題が出てくる.
この点に関しては,1981年国際障害者年の素晴しい成功と,それが多くの国のマスメディアからどのように評価され支持されたかを今でも覚えていらっしゃるでしょう.1982年には,障害関係の問題に対する一般の人々の認識を高めるために,国連総会は障害者世界行動計画(WPA)(国連決議37/52)を採択し,同時に1983年から1992年までの国連障害者の10年を宣言した.後者については,1987年8月にスウェーデンで開催された世界専門家会議の場で中間点における再検討が行われた.WPAの中で情報および大衆教育のプログラムに関連するすべての事柄について,各国政府,機関およびマスメディアのすべてのレベルでの行動を奨励するために一連のガイドラインが設定された.これに関連して1982年に国連セミナーがウィーン国際センターで開催され,このセミナーでの成果が「障害をもつ人々のコミュニケーションの改善」という題名の小冊子になった.その中に以下のような勧告がなされている.

  • ―家庭,仕事場,学校,レジャーその他さまざまな普通の社会的,物理的状況下での障害者を描写すること.
  • ―障害者と非障害者の両方が関係している社会状況において自然な好奇心や,時折のぎこちなさがあることを認識すること.そのような好奇心が満足され,またぎこちなさが軽減されるようなよい例を適切に提供すること.
  • ―メディア制作の中で,障害者の話に焦点を合わせた作品をつくるばかりでなく,障害者を一般社会の一部として取り扱うこと.
  • ―障害者を依存的あるいは憐れむべき存在として描くことは避けること.その他避けるべきステレオタイプとしては,生来の聖人である,あるいは無性的存在であるとか,むやみに危険である,あるいは障害に由来する独特な特技を持っているなど.
  • ―障害者を描写したり,特徴を挙げる時の言葉使いには,十分注意すること.障害者をみさげるような語句を心して避けること(例・こうもりのように,つんぼでおしの).
  • ―障害者を他の人と同様に多面的に描くこと.身体的精神的不全を強調し過ぎたり,不全の状況を誇大視したり感情的になり過ぎたりすることなく障害者の成功や困難を伝えること.例えば,障害については,ニュースやドキュメンタリー報道の内容と直接関連がある場合にのみ伝える.
  • ―障害をもたらす身体的精神的不全の予防と処置について,並びに障害者とその家族のためのサービスの入手法に関連する情報を一般の人々に伝えること.これは広報キャンペーンを通じても可能であるし,一般のメディア制作の中に組み込むこともできる.

上記のガイドラインは,障害者のための組織向けに作成された別の11のガイドラインと共に,メディア関係者が障害者に対する一般の人々の認識を改善する上で援助となるように作られたものである.
一般の人々の理解および障害者との相互協力を発展させることも,明らかに社会に必要なことである.この目標を達成するためには,関連諸団体は何を利用すべきか.加盟国である以上,その勧告を実施するよう道徳上の義務を促す国連の指針が最適であると思う.(国連のような国際的組織ではこの問題の重要性を十分に認識している.)メディアと障害の問題についてメディアの注意を喚起するために,一体何を利用すれば良いか? 国連がメディアとの間に新しい相互の対話を創り出すために行っている援助を利用するのがよいのではないか.国連が,メディアは一般の人々や障害をもつ人々の態度の肯定的な変化を知らせ,促す重要な手段であるとみなしていることは明らかである.
この問題の根底には,専門用語とイメージに関する問題がある.用語やイメージの誤まった使用は,伝えるべき内容の意味をいっそう歪め,既成のステレオタイプを固定させてしまう.マスメディアは,何世紀にも渡ってイメージ,象徴,書物,話し言葉を通じて,さまざまな形で人々にかかわってきた.その形はその国の規範,価値観,宗教や生活の状況により異なり,障害者に対する概念や態度は,社会的伝統として歴史を通して受け継がれてきた.アリストテレス,カント,ヤスパースやダーウィンのような思想家による誤謬に満ちた考察は,障害者に対する態度に影響を与えた.前述の歴史的に代々受け継がれてきた伝統のことを考えると,物語の登場人物には,障害者の否定的描写を子供に伝えている危険な例がある.キャプテン・フックや「ピノキオ」の中の猫ときつねのような登場人物は否定的イメージを強め,大人の障害者に対する子供の恐怖心をかきたてる.一般大衆に繰り返し示される否定的寓話やメッセージの危険な例は,2,3挙げてみるだけでも映画,ショーや文学に多くみられ,障害のある化け物のような人とか犯罪者が,人々を攻撃する様子が描かれている.これは恐怖映画の お得意の主題である.犯罪行為と障害を結びつけることは,身体の欠損と精神の欠損を結びつけることになる.他の例では,性とロマンスを話題にする際に,恥辱と差別が一層強調される.この場合,障害者のステレオタイプ的イメージ描写には,軽蔑が含まれていることが少なくない.「外見」や魅力的であることが重視される文化においては,障害をもつ人々は危険である,性的に異常である,精神的にも肉体的にも性生活を営めないというふうに見る可能性があり,また事実そう見られることもある.その反対に,障害者を肯定的に描いた例が,「小さき神の子供ら」という映画に見られる.
以上の例から,否定的イメージは歴史的に女性,また最近では障害者のような社会的に恵まれないグループを隷属させる手段として用いられていることがわかる.この直接の結果として,不適切な用語や言語の使用が見られる.「車いすに閉じこめられた」,「障害に苦しんでいる」人々,「気が狂って」いる精神障害者というような言いまわしをよく聞く.障害者や障害を説明するために一般的にメディアが使用する言葉は概して,障害と同じく障害者も好ましくないことを暗に示唆している.少なくとも最近まではそうであったと思う.まだこの先長い道のりがあるが,しかしメディアが次第に障害に関しても正確に報道するようになりつつあるという事実は認識すべきである.人を「苦しめる」障害とは,他の人々に少々不自由さをもたらすものに過ぎず,車いすは人を閉じこめるのではなく自由にするといった意味が伝えられなければならない.障害(人のできることの範囲を制限する)があるのは身体であってもそれを社会生活上不利(社会的な許容度に制限が加わる)にしてしまうのは社会の側なのである.
コミュニケーションとメディアを結びつけるために,つまり,学び知識を得る権利,広く知られ,お互いに伝達し,イメージの変遷や文化の流れに参加する権利のために,障害の扱い方に関してメディアを教育することが何にもまして重要である.一般の人々のみならず,誰よりもまずメディア従事者であり,メッセージの送り手である人々のイメージや態度が正確な情報と教育を通じて変化し,社会的不利は個人にとって生来のものではなく,環境と人間,つまり個人が生活する社会との関係であることを目で見,感じることができるようになるのである.社会的不利の程度は,その人の周囲の社会がどう構築されているか,その態度や,社会が抱くイメージにより左右されるものである.また,車いすの使用とか視覚障害があることがどういうことかに関して,どの程度非障害者側が理解しているかにもよる.知識があれば,聴覚障害者や,精神障害その他の障害がある人に話しかけることを躊躇しなくなる.障害関連の話題を報道するメディア従事者の側の種々の偏見もまた,まったくの無知やステレオタイプ的な考え方からくるものである.障害関連の事柄について情報キャンペーンを行っても,一般 大衆の関心を喚起することはまず出来ないので,「(障害について)教育された」メディアを利用すれば思いがけない効果をあげたり,個々の人々の社会的責任の自覚をさらに促すことができるであろう.我々はまず市民であり,障害はそのあるなしに抱らず二義的問題であり,メデイアの全分野でハンディキャップのある人を採用すべきである.しかしここでは障害をもつ人々の肯定的見方をすすめる一例として広告についてお話ししたい.広告は,見る人の態度,物,状況や人に対するイメージ形成に影響を与えると考えられる.民間の例を取り上げてみよう.障害者が一つの市場となっていることは,ことに特定の社会で認識されている.障害者は一般商品やサービスの他にテクニカルエイドといった特殊製品の購買者である.企業は障害者を購買者層として,また労働力として重要な要員であると位置付けている.このような志向の興味深い広告が,既に何本か制作されている.ジーンズ販売会社の例を挙げると,この会社が制作した広告は,快適に過ごし,自信に満ち,存在感のある本物の人はジーンズをはいているという考えを伝えている.興味をひかれるのは,この広告の登場人物を演じる俳優の中 に,車いすを使っている青年が入っていることである.障害者は食事をし,運転し,商品を使ったり着たりする,社会の中の一大勢力なのである.障害者は世界中で約5億人を数え,世界最大の「マイノリティ・グループ」のひとつであり,政治・人権運動の強力な担い手となることもできる.障害者についての肯定的イメージを向上,定着させるためには,障害者自身が自信,自尊心を,欠損だけでなく才能や資質についての自覚を築き上げられるような教育を受ける必要がある.障害者は余りに長い期間,生活のさまざまな面における差別と孤立とに立ち向わなければならなかったので,今日では,全人類と同じ権利,義務や願望を分ち合いながら,独立して個人としてまた社会の一員として生活していく能力があることを,自分自身に納得させなければならないからである.
パターンとか価値のステレオタイプとは,精神的,身体的あるいは社会的なものであれ,それをひとつの準拠の基準とみることから出てくる.先入観としての基準,「規範」から外れるものはすべて,人から正常さ,美,価値,調和を奪い取ってしまう.
物も人もすべて同じということはないのであるから,我々が受け入れてきたさまざまな事物が正常でないとしたら,一体何を正常と呼ぶのであろう.つまり正常とは我々が事物に対処するために定めた範疇に入るものを指す.正常とは,多数派として経験し,うまく対処し,受け入れることを学ぶことなのである.だからこそメディアが重要な役割を果たすことができるのである.適切な情報へのアクセスを通して,概念,イメージや価値は流動するものであり,この流動こそが成功への鍵となる.メッセージの創り手をどうやって援助できるか,創り手とは誰のことでどうやって接触するか,何故創り手を訓練することが必要か,視聴者は誰で,どのようにメッセージを送るかについて更に詳しく,お話ししたいと思う.
以下のことに関して検討したいと思う.メディアのあらゆる分野に,障害者が確実に参加できるようにするために,メディア業界で障害者を訓練し雇用をはかる必要性について.障害問題についてメディアと協力して仕事をするNGO(非政府間機関),政府間機関,団体および個人の重要な役割について.まだまだ話すべきことは多くあるが,前述の11のガイドラインに言及して終りたい.これは6年前に作成されたものであるが,メディアが障害者および障害関連の課題を確実に,建設的な形で,取り上げるようにするための有用なモデルとして,現在も役立っていると思う.

リハビリテーションにおける啓発

―マスメディアを利用した香港の経験―

PUBLIC EDUCATION IN REHABILITATION:THE HONG KONG EXPERIENCE UTILIZING MASS MEDIA

Francis S.W.Ho
Commissioner for Rehabilitation.Hong Kong

一般大衆に対する教育の重要性は,見識ある方々の集まられたこの会議では,当然のことと見なされている.また,私は教育の専門家やジャーナリストとしての観点から尊大な態度で話したいとは思っていない.私の立場では,おそらく行政官としての観点から話すのが適当であろう.
大衆教育に関する限り,これは3つの重要な機能を果たすべきであり,それによってこの教育を受ける人それぞれの役に立つべきである.鍋も重要なことはもちろん,障害者と非障害者の間の理解を育て,それによって両者の統合と相互受け入れという大義を推進し,支援することである.しかしながら,大衆教育は特定の概念を強硬に押しつけるためのプロパガンダと見なすべきではない.大衆教育は,崇高で時には理想主義的なメッセージの下に伝えられるが,その役割は提供するサービスに関する情報を伝えることである.これが機会の平等を達成するのに役立つのである.政府の立場からは,サービスに対する本当の要求を判断することが不可欠であるが,これは,一般の無知のために要求が抑えられているようなことがないときにのみ可能である.我々のサービス計画の立案の基盤が病気の蔓延を前提にした計画から実際の要求に応える方向へと徐々に移行していることから,これは非常に重要である.
私の言うマスメディアとは,テレビ,ラジオ,新聞である.一般的に,香港のマスメディアは他の国々の場合と同じように,リハビリテーション問題を伝えるイニシアティブをとる能力を十分持っている.まず第一にマスメディアは常にリハビリテーション政策やサービスに関して批判的で厳しい論争を打ち出している.例えば,障害者の雇用,障害者の交通手段などについて知識や教育があり動機のある人,例えばリハビリテーションの専門家でこの問題の動きにすでに興味を持っている人を対象にしている.第二に,ニュースは自然発生的な報告であるが,読者や視聴者に十分な内容や背景を提供することが出来ず,表面的で,センセーショナルになりがちである.第三に,障害者が関係した悲劇または喜ばしい出来事が記者の特集記事のよい話題になる.第四に,障害者にまつわる実話や想像上の話はドラマ製作者にインスピレーションを与えることが多い.
しかし,以上のすべてがある程度の欠陥を余儀なくされている.第一に,均衡がとれていないこと,第二に時々内容が歪められることは別にしても,通常でも情報が十分でないこと,第三に,問題を理解するための冷静で客観的な構成になっていないことなどがそうである.
そのために,大衆教育として望む結果を得るためには,マスメディアを体系的に組み込む必要がある.香港では,このための機関がある.リハビリテーションに関する大衆教育委員会(COMPERE)がリハビリテーションのために宣伝努力の計画立案と調整を担当している.この委員会はリハビリテーション担当官が議長を務め,政府の関連諸局と心身障害者協議会(Joint Council for the Physically and Mentally Handicapped)の代表で構成されている.この委員会は政府公報局からの現物援助の他に,リハビリテーションの宣伝運動のために中央政府からも小額ながら予算を得ており,この額が増えつつある.1985-86年には,総額約10万香港ドル(13,000米ドル)を得たが,これは 1985-86年および1986-87の20万ドルからさらに 1988-89年には30万ドルヘと増加した.その予算の大部分はテレビ用の公益事業の公報(API)の製作に使われている.このAPIは通常15秒から30秒で,他の広告と並んで,民間放送のテレビで流されている.その目的は,政府からの重要な情報やメッセージを大衆に伝えることである.キャンペーンのテーマはその時の優先課題やマンネリを避けて気分転換を行う必要がある場合など,その時によって異なる.1984年に政府が公営住宅団地の中に精神病の病歴のある人のためのハーフウェイハウス(中間施設)を建設しようとして地元住民から大反対を受けたときには,精神衛生教育に重点が置かれ,その結果,この3年間にAPI番組が2本作られた.同様に障害者の輸送機関の必要性に関する作業部会の勧告の結果,障害者のための輸送優遇措置に関するAPI番組が作られた.1988-89年には雇用に重点が置かれ,障害者の雇用,職業訓練,および技術援助それぞれに関するAPI番組が3本作られた.
これらのAPI番組はどの程度効果があるのだろうか? ここでAPIが直面している制約について指摘しなければならないであろう.第一に,香港には政府のテレビ局がない.そのため,利用できる放送時間は民間放送局の認可条件に従って交渉しなければならない.普通,これにはかなり制限がある.1986年の調査は,政府のAPI全部が利用できる1日の合計時間は,午後6時30分から10時30分までのゴールデンアワーでは,1チャンネルにつき1.5分しかないと指摘している.一方,他の時間帯では4.5分が利用できる.このような背景では,放送時間の獲得に非常に激しい競争があることを認めなければならない.1986年の初めに,テレビで放映したい番組は1カ月に主要テーマが9本,主要でないものが35本あった.リハビリテーションは主要テーマとは見なされてこなかった.主要テーマとは,犯罪撲滅,憲法改正,身分証明書の更新などである.一方主要でないものとは家族計画,旅行,職場の安全性,新しい交通法などである.統計では,リハビリテーションについては1986年の初めには,精神衛生と精神障害者の雇用の2つのテーマが1カ月に 50回放送されただけだということが分かった.合計2, 146本のうちの50回であるから,放送時間の2.3%にしかならない.
しかしながらこのような制約がありながら,政府公報局が1986年に行った独自の調査では,リハビリテーションを大衆に認識させるもっとも効果的な方法はAPI番組であることを示している.
APIが利用できる放送時間が限られており,内容が詰め込みすぎているという状態から,テレビ放送にもっと変化をつける必要性が出てきた.ここでは3つのタイプについて話したいと思う.それはドキュメンタリーと雑誌タイプの番組,そしてドラマである.
ドキュメンタリーに関しては,普通は専門家の発意で製作されているが,例外もある.正当な社会的大義があるときは,政府がある程度テレビ製作者にリハビリテーション問題を扱うように影響力を与えることができる.たとえば1984年に政府が公営住宅団地の中にハーフウェイハウスを建設する計画が大反対に遭ったときには,ラジオ,テレビ香港が政府とボランティア団体からの要請と援助に応えて,精神病およびハーフウェイハウスという伝統的な施設を通して社会に融和させるという考え方について大衆の理解を促進するために,精神衛生とハーフウェイハウスの役割についてのドキュメンタリーを製作した.その結果障害者のための政策およびサービスと障害者がドキュメンタリーのテーマとして次第に一般に受け入れられるようになってきた.これは障害者問題が受け入れられてきただけでなく,リハビリテーションの人材不足,社会保障など障害者に関連のある話題が取り上げられたときに,必然的にリハビリテーションの分野にふれることもその原因の一つになっている.
しかしドキュメンタリーは批判的になりがちである.これは知的問題意識の高い層を対象とした奥の深い高度な教養ある意見や批判とともに問題を紹介することが多いからである.このような番組は意図的にではないものの,政府やサービスの不十分さを示すために障害者の不幸な部分を見せることが多く,障害者が,援助や奉仕に頼りまたそれに値する無力なグループとして捉えられるために,番組がかえって逆効果になり,同情や偏見を強めることにもなりかねない.こうしたことから提示方法は注意深く,専門的かつ慎重な取り扱いが必要である.
ドラマはギャップをある程度埋めることができる.ドラマは個人としての障害者を実生活に近い状態で見せるので,社会の非障害者に彼らをより身近なものとして感じさせるよい手段になる.香港はこの数年間,その方向で大きな努力をしてきた.時には専門家の発意により,また時には政府や地域社会が財源とアイディアを提供してこれを行ってきた.この最も良い例が, 1987年に政府とボランティア団体,および製作専門家が合同で製作した性教育に関するドラマ番組である.このシリーズの一つのエピソードは,夫が事故の被害者である場合の性生活と夫婦の適応問題であった.これはこの種のものとしては香港で初めての大胆な試みであったが,非常に好評であった.この数年,まだ顕著ではないが,障害者をテレビのメロドラマのテーマに使う傾向が増えてきた.驚いたことに,その効果は非常に大きく,障害者側ではなく非障害者に焦点を当てていることから賞賛に値する.
香港は昨年初めて,リハビリテーションに関する大衆教育委員会(COMPERE)の後援を得て,雑誌タイプの番組製作に組織的に乗り出した.精神衛生教育に関する番組と障害者の雇用に関する番組の2本が製作されたが,残念なことにテレビでは1回しか放映されなかったために,その影響は余りよく分かっていない.本年は,Barbara Kolucki氏を中心とするボランティア団体の発意と我々の事務所の支援によって,イギリスのLINK番組の経験を基に,ラジオ,テレビ香港を通して,12回のシリーズ番組を製作した.これは各回 15分間の12回の連続もので,予防と評価,さまざまな障害者グループが利用できるサービス,スポーツ,レクリエーション等,幅広い話題を網羅したものであった.このように長期のシリーズを利用することによって,情報をより広く,体系的な自主番組の形で伝え,製作におけるギャップを埋めることができると良いと希望している.
ラジオと新聞はどうであろうか? その限界はあきらかで,その影響力,聴取者・読者の範囲,話題の取り扱い方の範囲などの面で,テレビほど効果的ではないというのが常識であろう.このことは,1986年に政府公報局が行った独自の調査にも現われている.
全体としては,香港はマスメディアの利用については正しい方向に進んでいると思う.私個人の考えでは,マスメディアにもっと関心をもたせ,マスメディアの中で障害というデリケートで微妙な問題を扱うについての動機を育て,専門的知識を発達させるための努力を行い,現在の勢いを維持することが将来の課題であると思う.

分科会SD‐5 9月6日(火) 16:00~17:30

障害青年の教育のニーズ

EDUCATIONAL NEEDS OF DISABLED YOUNG PEOPLE

座長 Mr.John R.Garrison Chief Executive Officer,National Easter Seal Society〔USA〕
副座長 下田 巧 全国特殊教育推進連盟理事長

学校生活から職業への移行についての将来的課題

EDUCATIONAL NEEDS OF DISABLED YOUNG PEOPLE:ISSUES FOR THE FUTURE IN THE TRANSITION FROM SCHOOL TO WORK

John.R.Garrison
National Easter Seal Society,Chicago,USA

移行期における教育では,我々は障害をもつ生徒に対し,いかなる選択が存在し,一人ひとりの生徒にとっていずれが最も適したものであるかを知ることが必要である.
社会や制度は,統計的に平均的グループに属する人々のニーズに焦点を合わせる傾向があるので,例えば英才児や障害児といった人々など統計的に平均外の人々は,この既存の選択に合わせられないことが多い.
障害をもつ人は独自の志望やニーズをもっている.またそれぞれの社会により,障害者に対する機会や期待が異なるので,移行期の教育へのアプローチにはこれらの変化に対する鋭い感覚が必要とされる.
学校から職業への移行の状況は,都市に住む若者と地方に住む若者を比べると異なった様相を示している.多くの組織団体は移行への援助を重要な役割としているが,その役割の調整や統合には困難な問題が多い.
合衆国では,教育省の中に「特殊教育およびリハビリテーション・サービス局」(OSERS)が置かれ,社会への社会・経済的統合を目指す障害生徒のための移行サービスと優先的雇用の援助を行っている.
国がこの移行サービスを先導して行っているということは,障害者やその家族にとって公教育を受けられることがそのまま雇用や社会的統合,あるいは適切な成人向けのサービスにつながらないという問題があることを反映している.ずらりと列挙されているプログラムやサービスは移行を複雑にする.数多くのサービス提供者が目標やプロセスについてそれぞれの考え方をもっている.彼らは競争するかも知れないし,協力するかも知れない.また困惑させ,誤った方向へ導くかも知れない.我々の課題は彼らの成功を確実にすることである.この目的に向けて,移行教育への有効なアプローチをについてよく考えるために著名な方々のご意見を紹介する.

あらゆる児童を対象とした学校

―全入制度への現実的対応―

A REALISTIC APPROACH TO A SCHOOL FOR ALL

I.Skov-Jorgensen
Member of Educational Commission,Copenhagen,Denmark

原則としてのインテグレーション 伝統や法律の違いにもかかわらず,障害者のインテグレーションに関連した論争は,国内および国際的組織の中で,10年以上にわたって専門的,政治的な討議を引き起こしてきた.
インテグレーションは,障害児の生活の一般的目標というよりも,ノーマライゼーションの手段と考えるべきである.
すべての子供達のための学校 障害児がすべての子供達に開かれた学校制度の中で教育されるような条件とは,個別化された指導が可能な制度である.
経過 一般の学校法に従って障害児の学校問題を解決しようとする考え方は国際リハビリテーション協会のユネスコへの働きかけの結果,1960年代に国際的な躍進を遂げた.
時の経過とともに,障害者の隔離は―初めは強いられたものであったが―「子供は同質の仲間の中で最もよく遊ぶ」という論旨の下にのぞましいこととされた.各障害者グループはそれぞれの学校制度をつくり,子供達にその小さな“モデル”社会の中で一生を過すような教育を行った.
この自然発生的な発展を修正しようとした結果,障害児の指導や訓練を一般教育制度と関連づける堅実な基礎ができた.
特別なニーズをもつ生徒 バランスをとることは難しい.分類化を恐れる気持ちと人々の間の差異を受け入れようとする考えとの間のバランスをとることも困難なことである.異なった障害グループの間の障壁を和らげることはよいことである.しかしながら,専門的にも人間としての好意でも,はっきりした差異について不明瞭にしておくことは適切ではない.「特別のニーズ」という語には当然,障害に伴う困難についての合理的な説明がなくてはならない.
ヨーロッパ12カ国における研究 私の最初の文献とするものは,1970年代終りと80年代初めに私が行ったEC諸国における特殊教育の施策に関する研究である.
民間の主導 民間の主導は現在もなお重要な役割を果たしているが,事柄の性質上,職員や援助の必要性が高まるにつれて公的な財源が必要となった.教育当局による特殊教育施策は,通常0~18歳の年令グループを対象とする.
経済的資源の優先性 すべての子供達のための学校では一般と特殊の費用のいずれを優先するかが問題になるだろう.調査によると特殊教育施策のための給付金を指定するには,政治的な働きかけが必要であり,特殊教育専門家はそのような給付金のための運動をするべきである.補装具以外のもので学校教育に必要な基本的なテクニカルエイドはすべて学校から無料で与えられるべきである.
柔軟性 個人への配慮と仲間関係とのバランスは学校において極めて重大であり,日々の問題があるが,クラス単位をこえた協力関係が高まってきた傾向がある.成功例として5人の生徒の特殊クラスと15人の生徒の普通クラスを併設して補助教師を配置したということがある.
法規 障害児のための義務教育の延長は,一般の成人のための補足教育の規則に基づいて行われるようになった.このことに関連して,障害児の学校教育に必要なエイドや通学にかかる特別の費用の補助がでる.
青年の一般雇用への移行 同年齢の,障害をもたない普通グループと共に成長していくことは,将来の雇用に対する準備になる.
教師の養成 インテグレーションに対する努力の結果として,教師養成の間,教師を目指すすべての人は障害児とその指導について徹底した情報が受けられる.この訓練に続いて実習を経験した後,特殊教育の教師としての継続的な訓練が行われる.6つある障害分野のメソッドやエイドは総合的なものでいずれも半年間のコースにまとめられている.この公認の養成プログラムは理論と実際の両面から行われる.
結論に向けて 調査により,統合(integration)よりも統合する(integrate)の方がよいとされた.このことは我々が静止した状態ではなくプロセスを対象として扱っていることを意味している.
全入制度に関する北欧の報告 私があげる第二の文献は,1984年の北欧文化協会による報告である.特殊教育は,一般の教育に適用される学校教育法に従って行われている.地方分権は,児童の家庭に出来るだけ近いところに教育措置を決める目的で教育制度の中に取り入れられている.これにより,児童の学校の選択と同様,学校区にも親の影響が増す.デンマークの法律に従えば,教育委員会の委員7人のうち2人は普通学校の中の特殊学級の生徒の親から選ばれ,学校内での重度障害児の利益を守る方法が確保されている.
調査研究 障害をもつ生徒を分散させることは,特殊教育についての調査研究および経験の普及を難しくする結果になることは予想されていた.
しかし,最新技術を備えたセンターの必要性やパイロットプロジェクトへの資金供給については最近の運営者の間に論議があるようだ.
一般および上級の特殊教育 すべての点で,一般的特殊教育と上級特殊教育を分けることは困難である.
照会 特殊教育への照会は学校所属の心理士の判定をもとに,国の規則に従って行われる.その結果,次のような方法がある;普通クラスの中で特別の援助を受ける,個人でまたは他の生徒と共に課目の補習を受ける,いくつかの課目を特殊教育センターで受ける,特殊学級に入るなど.短期間集中コースがよく利用され,よい成果をあげている.
国の統計 特殊学級の生徒数は,1973年以降減少している.またこの学級は年々普通学校の中に設置される傾向にある.1981年~82年度生徒総数の13.1%が,何らかの特殊教育援助を受けており,そのうち特殊学級で指導を受けたのは2.4%である.
ある特定の期間,学校の全生徒の9%が特殊教育の援助を受けていた.就学前の幼児で特殊教育援助を受けている者は3%である.この時期には,両親に対するカウンセリング,テクニカルエイドおよび言語刺激に重点が置かれる.
結論 第一の課題は政治的性質のものである.メディア,関連団体および学校は“社会の態度”に影響を与える上で重要な役割がある.
社会の態度として同様に重要なことは,学校の適切性である.すべての教師が障害児と障害児を援助する方法についての知識を必ずもっていなくてはならない.指導要綱は常に新しいものを全教師に配布するべきである.
学級の担任教師に能力があるにもかかわらず,普通学級の中では意義ある教育が受けられない生徒が常に存在する.このような生徒のためには特殊学級の措置が必要である.
我々の実験によると,言語,運動能力,精神障害および聴覚障害による軽度の学習障害をもつ生徒はそれぞれの特殊学校で一緒に教育を受けた方が効果的である.その学校は運営上適切な規模でテクニカルサービスセンター,輸送設備,巡回教師が配置されている相談センターを併設しているとよい.
特殊教育と心理-教育カウンセリングは表裏一体のものである.教育心理士とコンサルタントは専門家としてまた大学として週2,3回の学習を継続する.
聴能言語療法士と特別な訓練を受けたブレスクールの教師を含む巡回教師は,特に家庭やデイケア・センターで援助を受けている就学前の障害児のために,学校の心理サービスと重要なつながりがある.
国の教育心理サービス課にはさらに社会福祉アドバイザーおよびコンサルタントも配置されている.
特殊教育センターには医療専門家,精神療法士および作業療法士も配置されている.
特殊教育は国の全体的な教育システムと共に発達していかなくてはならない.これはインテグレーションのための必要条件である.障害をもつ人々は特権ではなく,平等の権利,つまり,すべての子供達のための学校における個別の適切な教育を望んでいる.

〔参考文献〕

  1. Skov-Jorgensen,I.-Special Education in Demnark(Copenhagen1979).
  2. Skov-Jorgensen,I.-Special Education in the European Community(Brussels1980).
  3. Skov-Jorgensen,I.-Special Pre-School Education Facilities in the European Community (duplic.Brussels1981).
  4. Skov-Jorgensen,I.-Special Education in the European Community-Supplement (duplic. Brussels1982).
  5. Skov-Jorgensen,I.-Special Education in Greece,Portugal and Spain(duplic.Brussels 1982).
  6. Dahlgren,Inger and Nielsen,Henning W.-A School for All(Copenhagen1984).
  7. National Union of School Psychologists-Educational Rehabilitation(Copenhagen1986).

学校から社会へ

―地域社会における職業・社会生活に備えて―

FROM SCHOOL TO SOCIETY:PREPARATION TO THE VOCATIONAL AND SOCIAL LIFE IN THE COMMUNITY

三沢 義一
筑波大学心身障害学系教授

はじめに

障害児の将来の自立生活のためには,人生の初期からの適切な教育と援助とが不可欠であることはいうまでもない.一人ひとりの障害児は,それぞれの能力,発達段階及び障害の状態に応じて,相応の教育機会と適切な学校教育が授けられるべきである.障害者の社会への全面参加が強調されるに伴って,特殊教育,特にその中での中等教育は,障害児の未来の社会適応のニーズに見合う望ましい資質を培うことに重要な責務を帯びている.学校と社会との橋渡しをするために,特殊教育諸学校及び学級は,現実的な目標に積極的に挑むべきであろう.障害をもつ生徒の学校から社会への移行は,特殊教育諸学校の教師はもちろん,リハビリテーション専門家の大きな関心事である.
日本における盲学校及びろう学校の歴史は古いが,これらの学校が義務教育になったのは,1948年からである.反面,精神薄弱,肢体不自由,病弱の養護学校教育の義務制は,どんなに重い障害児にも教育を施すことをねらいとして,1979年4月から開始された.教育施策におけるこのような前進は,特殊教育諸学校が新しいより大きな問題に直面することになった.障害児に対する職業教育もこの変革によって大きな影響を受けており,障害児の学校から社会への移行には,多くの問題や困難を抱えている.

障害児に対する進路指導の役割

日本においては,移行教育(transition education)の概念は明確ではないが,少なくとも,中等教育における教育活動としての進路指導や職業教育が障害児の社会への移行を円滑にするために重要な役割を演じている.進路指導には,次の6つの活動分野がある.1)生徒の自己理解とパーソナリティ,適性,興味等の評価,2)職業・進路情報,3)学校内外における観察・実習を含む啓発的経験,4)よりよき適応と将来計画の選択を援助する進路相談,5)就職,進学,施設入所,在宅生活のための進路斡旋,6)卒業後のフォローアップ
上述のように,進路指導は学校の卒業時における進路斡旋だけを意味するものではなく,生徒の将来の生活に必要なさまざまな指導を包括している.心理学的には,進路指導は,障害児の自己概念,進路意識,進路計画能力を発達させる役割を有している.
最近,生徒の障害が重度・重複化したために進路指導の実施が非常な困難を伴うという報告が教師の中から数多く出されている.しかしそれらの困難を克服して,生徒の望ましい人格や態度の形成が強調されなくてはならない.

障害児に対する職業教育

日本において行われている特殊教育諸学校の職業教育は,一般的に定義されるような職業教育の枠組みを忠実に守っているわけではない.その理由は,中等教育における多くの在籍生徒の障害が非常に重くなってきており,職業自立が著しく困難もしくは不可能と思われる生徒も多い.この傾向は,肢体不自由及び精神薄弱の養護学校において特に顕著である.このような実情から特殊教育諸学校における職業教育は,生徒のニーズに応じてその概念と内容の修正を迫られているのが実情である.私の考えるところでは,現行の職業教育は,次の4類型に分けられよう.

  1. 特定の職務技能を授ける教育
  2. 基礎的な職業技能を授ける教育
  3. 学習形態としての職業教育(主として,精神薄弱児の作業学習)
  4. 生徒技能を高める職業教育(重度障害児に対して)

移行期における援助

(1) 移行プログラムの必要性
移行プログラムの重要性は,OECD/CERI報告(1985) 及びAPEID特殊教育地域セミナーでも指摘されている.また日本の特殊教育諸学校の教師の多くはこの移行プログラムの確立の必要性を十分に自覚している.一人ひとりの障害児の未来展望に基づくプログラムには,自己理解,自立生活技能,人間関係・社会的技能,作業態度及び習慣,レジャー技能等の指導要素が含まれるべきである.
(2) レジャー教育の必要性
伝統的に教師の関心は,特殊教育諸学校においてすら,教科の指導に大きな留意が払われてきた.しかし,障害青少年の増大するニーズに応えるために,レジャー教育は,特に障害が重度で就職や就労が無理のような生徒では,なおさら学校において配慮されるべきものである.自由時間を建設的な目的のためにどう使うかの知識を獲得することを,中等教育の教育内容に積極的に取り入れるべきである.
(3) 学校,家庭及び地域社会の相互強調 障害児が学校から社会への移行をより容易にするために,学校,家庭,公的機関,施設,民間企業等の連携及びそれに加えて進路相談及び斡旋活動の実施が強調されなくてはならない.

卒後の受け入れ体制の充実

1987年5月1日の文部省統計によれば,特殊教育諸学校高等部の卒業生は約30%が就職しているのみで,他は進学,施設入所又は在宅している.このような実情から,障害者の雇用促進,社会サービスの拡大,在宅者の生活の質の向上などが,卒業生の将来の生活を規定する上に決定的な要因となる.学校と社会との間のギャップを最少にするために,雇用促進を含む卒後のサポート及び生活環境の改善が当面の重要課題である.

〔参考文献〕

  1. Japanese National Commission for UNESCO, National Institute of Special Education,Final Report of the Sixth APEID Regional Seminar on Special Education.1986.
  2. National Association for Employment of the Handicapped (in Japan),Physically and Mentally Handicapped People in Japan and Countermeasures to Promote their Employment, 1985.
  3. Ministry of Education,Science and Culture, Special Education in Japan,1988.
  4. Misawa G.Employment Promotion of the Disabled Workers and Attitude Modification of Employers and Co‐workers,paper presentation, 15th World Congress of R.I.1984.
  5. Misawa G.A Study of Vocational Adjustment of Mentally Retarded Adults in Competitive Employment,paper presentation,International Special Education Congress,Nottingham University U.K.1985.

パキスタンの特殊教育およびリハビリテーション・プログラム

EDUCATION NEEDS OF DISABLED YOUNG PEOPLE

lrfan Aziz Malik
Pakistan


バキスタンでは障害に悩んでいる社会の人々に対し,特別な手だてをすることの必要性は以前から認識されており,政府は高い優先権を与えてきた.障害者への教育訓練やリハビリテーションのための特別の施設を建設することは非常に重要なことで,すべての人々の権利であると考えられてきた.
出生前のケアから教育,職業訓練,雇用にわたる障害者のための広範囲な施設を準備することや,成人となってからの生活を援助することなどは,政府のある一つの部局だけの問題ではない.真の質的サービスの増大をはかるためには,多くの公私立の分野の機関の積極的な協力とその中で働く専門家を必要とする.障害をもつ個々の子供や成人に与えるサービスに反映されるように,計画や政策の実行のための調整が要求される.
パキスタンでは,国連が示す推定人口の10%に基づく算出方法のほか,パキスタン独自の調査に従い,障害をもつ子供と成人のプログラムがたてられている.将来計画を樹立する最も基礎的な数字ではあるが,詳細な科学的調査が不足しており,正確なものとは認めがたい.10%という世界的な見積りは,1,000万人の子供と成人が何らかの重大な障害に悩んでいることを示している.これらの人々は障害が軽度であるか,一時的な状態であっても何らかの援助を必要としている.国連により示されたパーセントに対し,パキスタンその他で行われた調査では,全体の2ないし4%のグループの人々が長期にわたる援助を必要とする疾病や重度障害をもっていることを示している.
パキスタンでは,障害に苦しむ14歳から20歳の青年は,110万人いると推定されている.このグループの特別なニーズは,1一般教育を補足したもの,2職業技能訓練,3生活指導とカウンセリング,4職業斡旋と援助などである.我々は障害者に対する総合的なサービスの準備を開始したところである.しかしながら我々が計画し発展させている制度の基本的考え方はすでにその分野で発達をとげている先進国のそれに従ったものである.
国のプログラムは障害青年のニーズに対して,いろいろな形で行われている.普通学校や技能センターに出席できる人々は,そうすることを勧められている.政府は必要とする補助具や設備を提供している.それに加えて,教師が学問と社会の両面で,障害の特別な問題を認識し理解するための養成プログラムが開始された.教師と社会の両者によって,特別なニーズの理解が促進され,マス・メディアを使う企画も準備された.同時に,個別的なアプローチも採用された.これは我々が特別の友人とよぶボランティアの協力を得ることである.
中央政府は,地方政府やボランティア機関を通して障害者に必要な専門家の養成や財政援助をして,サービス設置の促進や調整を行っている.政府の機関では総合的教育やリハビリテーションを提供するため,また他の同様の組織のため,リソースセンターとしての役割を果すセンターのネットワークを確立した.
「全国障害者リハビリテーション協会」には,障害者の学校から雇用までのプロセスがコンピュータ登録され,また,学校卒業者や後天的な障害者が潜在力を伸ばし,訓練指導をうけることのできる地域の技術センターが設置されている.自営業ができる障害者に対して,財政的な援助も実施している.
パキスタンの法律では,50人以上の従業員を有する雇用者は,1%の障害者雇用割当が課せられている.それにより障害青年および成人の職業訓練の必要性が生じている.それらのニーズに応ずるためには,我々は,継続性のある教育対策を発展させていかなければならない.また,障害青年が高等教育や技術センターに円滑に移行できるように,学校のカリキュラムを伸展充実させることが大切である.
このことが将来達成されれば,障害者も積極的に社会に参加し貢献することができるようになるであろう.


主題:
第16回リハビリテーション世界会議 No.7 267頁~308頁

発行者:
第16回リハビリテーション世界会議組織委員会

発行年月:
1989年6月

文献に関する問い合わせ先:
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
Phone:03-5273-0601 Fax:03-5273-1523