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分科会SE-4 9月8日(木)14:00~15:30

ニード別課題

視覚障害

SPECIAL NEEDS POPULATIONS:THE BLIN AND THE VISUALL IMPAIRED

座長 中島 章 順天堂大学医学部眼科
副座長 Capt.H.J.M.Desai Hon,Secretary General National Assembly for the Blind〔India〕


視覚障害

THE BLIND AND THE VISUALLY IMPAIRED

中島 章
順天堂大学医学部眼科


視覚は我々の生活にとって最も重要な感覚である.故に視覚障害は,たとえそれが生命にかかわるものでなくても,その人にとっては大きなハンディとなる.感覚器官は外界の情報を集めそれを脳に伝える働きをするが,その情報量の半分以上は視覚によって脳におくりこまれ,他の四つの器官で残りの半分を伝える.しかし,たとえ視力が完全に失われても,その機能は残された感覚器官が代用するであろうし,訓練すれば眼の見えない生活や環境にも適応していくであろう.視力障害者のリハビリテーションの目的は障害者がさまざまな手段を用いて自己の能力を最大限に発揮し,楽しい生活を送ることができるようにすることにある.ある種の動作や作業(例えば運転,細い手作業など)は視覚障害者には無理だが,このセッションを聴いておわかりになるように,視力障害はかなりの程度まで克服することが可能である.かすかな視力でも駆使すれば障害に打ち勝つ重要な手段となる.
WHOの重大な課題のひとつに失明と視力障害の予防がある.国際失明予防機構や各国の失明予防組織が世界のあらゆる地域で失明予防のキャンペーンを行っている.日本では200万人の身体障害者の内,視覚障害者が約30万人で,障害全体の約15%が視覚によるものである.また,WHOは世界人口50億のほぼ1%にあたる約4500万人が視覚障害者であると発表している.その90%以上が医療や社会保障も満足に受けられない開発途上国に住み,世界人口の20%以下が住む富める国々の視覚障害者は僅か0.2%にすぎない.他の分野の医学やリハビリテーションについてもいえるが,失明の予防・リハビリテーションも特に開発途上国において深刻な社会問題となっている.これから我々の行うセッションが世界の視覚障害の予防とリハビリテーションの将来にとって実り多いものとなることを願う.


ニード別課題

視覚障害

SPECIAL NEEDS POPULATIONS:THE BLIND AND VISUALLY IMPAIRED

H.J.M.Desai
National Assembly for the Blind,India


国際連合憲章は“基本的人権,人間の尊厳と価値,男女の平等および大国と小国間の平等の誓約”を再確認している.まず第一に,障害者には他のすべての市民と同じ基本的人権があり,他のすべての市民がもつニーズを持っている.加えて,障害者は特殊なニーズをもち,障害のために特別なサービスの受け手となっている.
視覚障害者に対し,運命の女神は最も貴重な賜物である視覚を否定したのであるから,州や地域社会は,視覚障害者たちがさらに基本的人権を否定されることがないように,また他の市民が受けているような保健,教育,雇用,市民としての他のサービスを同様に受けられるように補助し,それによって視覚障害者が人としての尊厳をもった自尊心のある独立した市民として生活できるようにするべきである.
世界の視覚障害者人口は,2000年までに約1億人になるであろうと推定されており,これは全く恐るべきことである.これは予防と治療,保健,教育,職業訓練,雇用,社会保障,娯楽や地域社会への統合といったサービスの提供において,大きな問題を提示することになろう.開発途上国においては,視覚障害者人口の80%が地方に住んでおり,何百万もの孤立した辺ぴな村落に散っている.また,組織化されたサービス供給システムが欠落しているので,地方の障害者の基本的人権を確実なものとし,彼らに必要なサービスを提供することが極端に困難となっている.

今後の問題の大きさ
急激な人口増加,世界的なインフレ,増え続ける失業率,科学・テクノロジーやオートメーション化・コンピュータ化また研究などによる偉大な進歩,科学的分野および関連分野における大きな進歩,省力化をすすめる集約的産業,地域戦争や市民戦争,増え続けるテロ活動,交通事故やその他の事故,こういったことのために,障害者の諸問題は今後さらに膨大なものになると予想される.

早期的計画
前途に待ちうける挑戦は,実に手ごわいものである.我々はたった今から2000年以降におこってくる事態に対処するために準備しなければならない.今後は計画をたてるだけでなく各国のニーズにあった行動計画の実施が必要である.

農村部に住む視覚障害者
Education and Resettlement Methodologyのおかげで,近隣の村落の学校10校ほどを巡回する援助教師をつけ,地方の視覚障害者に教育を行なうことができるようになった.このために特に必要な経費といえば,視覚障害者に点字や農業その他関連の仕事を教え訓練する援助教師への手当など(通常彼らには自転車が与えられる)である.これは最も経済的な方法であり,閉鎖的で特殊な施設を多くの費用をかけて建設する必要をなくしている.また統合的な教育は,若いときからの社会への統合を促進している.
視覚障害者は,地方において訓練され,農業,園芸,草花栽培,林業,家畜の飼育,酪農,家禽の飼育,養魚,食品加工業,羊やウサギやブタの飼育,小さな村の店の経営,民芸品,貿易などの活動を通じて,再定住している.彼らは家族の田畑に貢献するメンバーとなることができ,家族の収入の増加に貢献している.また彼らは10~15の村落を受け持つ移動訓練チームによる訓練を受けられるので,自分の村に最も近いところで訓練を受け,村の年長者や家族,村の役員やソーシャル・ワーカーの助けによって,自らの経済的再定住を果たせるのである.
視覚障害者たちを,彼らの馴れ親しんだ地方の環境のなかで訓練し再定住させることができれば,生活費が高く,安価な住居の確保が困難で,移動が特別な問題となってくる都市・副都市部に移住する必要はなくなり,移住した場合の精神的,情緒的障害という問題もなくなる.大多数の視覚障害者が各村落において訓練をうけ再定住することができたなら,開発途上国における視覚障害者の少なくとも80%がカバーされ,そうなれば都市・副都市部における視覚障害者の問題も,対応可能な割合にまで減少してくるはずである.Swami Vivekanandaはこう言っている.“国家的大罪はといえば,地方の民衆の軽視であると思う.国を刷新したいのならば彼らのために働かなければならない.”この言葉は,今日においても真実の響きをもっている.

職業訓練,リハビリテーションおよび雇用
個別化,個人化が行き届いた集中的な職業訓練は,基礎のしっかりした総合的で望ましいリハビリテーションをもたらす.私の提言は,次のとおりである.

  • ―すべての職業訓練施設とそのサービスを近代化する.
  • ―専門家や有資格スタッフによる専門的なリハビリテーションを確実に行う.
  • ―近代的な運営技術を導入する.
  • ―職業訓練の質的な水準を上げる.
  • ―視覚障害者の技能の多様性をのばす.
  • ―実際の作業,雇用,仕事に即した訓練指導を行う.
  • ―スタッフ・メンバーの訓練,及び再訓練を実施する.
  • ―良い労働習慣,ならびに労働耐性を身につけさせる.
  • ―職業指導だけでなく,その査定や評価を行ない,職業計画のサービスを提供する.
  • ―能力を最大限に引き出すようにする.
  • ―地域社会の資源を十分に活用する.
  • ―自営業,農業,生産業,消費組合などあらゆる方法を通して雇用を促進する.
  • ―障害者の能力に合った選択的な職業紹介を行なうという原則を徹底する.
  • ―大工場での作業実践訓練プログラムや多種の流れ作業の訓練を促進する.

一般事項

  • ―レベルの高い技術者やテクノクラートと交流をもち,労働組合や雇用主団体と関わりをもつ.
  • ―特に,補助具・装具・用具・技術の開発および実用化の研究に力を入れる.その際,国際的もしくは国家的レベルにある研究所や企業の研究開発部門や著名な科学者たちの助力を得る.
  • ―情報や知識および最新の進歩の普及を目的とした情報センターを設立する.
  • ―地域間の協力を促進し,スタッフ訓練のための専門家を確保する.
  • ―マス・メディアを通じて集中的な宣伝を行う.
  • ―マス・メディアを通じて地域社会の意識を高める.

政府による活動
政府は次のことを行うべきである.

  • ―視覚障害者の特殊なニーズのすべてに応える責任をもつ.
  • ―障害の程度に応じて,州の責任も大きくなる.
  • ―国家的政策を打ち出し,国内における活動計画を発展させ,効果的なサービス供給システムを組織する.さらに,障害者のリハビリテーションの進展について定期的に再検討する.
  • ―視覚障害者の雇用と統合における特殊なニーズをすべて網羅する包括的な法律を制定する.障害者のリハビリテーションのために,個々の障害について専門家グループを加えた専門的な委員会もしくは理事会を設立する.
  • ―視覚障害者を含めた障害者を雇用した雇用主に対して,税金その他の優遇措置を与える.
  • ―重複障害をもつ人々,地方に住む障害者,老人や女性,幼児・児童期の障害者といった長い間軽視されてきた人々のリハビリテーションを最優先する.
  • ―州は,総合的な社会保障制度を設置し,視覚障害者が100%の生活費を得られない場合の補助金,老齢の重複障害者のための年金を提供して,すべての社会保障及び年金制度の中で障害者を総合的にカバーする.
  • ―州は,視覚障害者の総合的なリハビリテーションを促進するために必要なすべての技術的な補助用具の費用を支給する.

“我々は,機会という扉を開かねばならない.また,この扉を歩き抜けられるように人々を身じたくさせねばならない.”とLyndon B.Johnsonは言っている.我々は,障害者の総合的なリハビリテーショに目標をおき,彼らが将来直面するであろう事態に対応できるように,多様な技能を身につける手助けをしなければならない.国連の世界人権宣言は,すべての人は働く権利と職業選択の自由をもつということを強調している.政府は国連の障害者の10年の終わる1992年になる前に,この権利を障害者が享受できるようにしなければならない.
国連の障害者に関する世界行動計画,1983年のILOの職業リハビリテーションと雇用(障害者の)に関する総会と勧告,障害者の権利宣言その他の国連およびその特別機関による文書は,卓越した指標を与えてくれる.政府の関係各省とボランティア機関は,これらを深く研究し実行すべきである.そうすることにより,あらゆる分野における大きな進歩が確実なものとなるであろう.

現実的展開
世界会議のテーマは“総合リハビリテーション―その現実的展開と将来展望”である.現実的展開とは,現存の地域社会の資源を最大限に利用し,より多くの地域社会をベースとしたプログラムやサービスを組織し,現存の施設をリソース・センターとして用いて,国連の文書にある立派な目標を実行するように努めることであろう.我々は,土地を買い,建物を建て,工場や機械などの設備を設けて視覚障害者施設をつくるようなことは避けるべきである.我々の目標は,障害者を早い時期から普通の地域社会に統合することでなくてはならない.
我々は“総合的なリハビリテーション”を目指しているのであり,教育や職業訓練だけでは,十分とは言えない.障害者は各々の好みや関心に沿って能力を十分に伸ばし,地域社会に完全に統合されるべきである.世界会議が日本で開かれることは喜ばしいことと思う.日本ほどハイ・テクノロジー産業やリサーチ,科学,技術,電子工学その他の分野で大きな進歩をとげた国はないからである.日本の著名な科学者や研究者が小人数のチームで,障害を引き起こす一般的な原因を撲滅する高レベルのリサーチを請け負い,視覚障害者の総合的なリハビリテーションの助けとなる簡単で安価なテクニカルエイド,装具,補助具といったものを発展させ実用化してくれることを期待する.また日本は,開発途上国の中から最も発展の後れている国を取り上げ,障害者のリハビリテーションのための,低いコストで高い生産性を産む地域社会ベースのプログラムやサービスの設立を援助してくれることを期待する.
我々の眼前にある仕事は巨大であり,資源は乏しい.しかし,志をもち,実行する人間にとって不可能なことは何もない.Mahatma Gandhiは,かつて“力は身体的能力からくるのではない.それは確固たる意志からくるのだ.”と述べている.障害者の総合的リハビリテーションへ向かって,確固たる意志をもって努力していこうではないか.


日本の視覚障害者運動の発達と現状

DEVELOPMENT AND FUTURE MOVEMENT BY VISUALLY DISABLED PEOPLE IN JAPAN

村谷 昌弘
社会福祉法人 日本盲人会連合


1945年8月,日本は戦争に敗れた.戦争は残酷で,何もかも破壊し,多くの人命を奪った.だが,救いはあった.敗戦によって,それまで抑圧されていた日本国民は開放された.過去,蔑視され,冷遇されてきた障害者も起ち上った.
1947年5月,新憲法が施行された.憲法の基調は戦争の放棄と主権在民をうたい,憲法の25条で「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定した.障害者はこの規定を拠りどころとして社会運動を起した.
1948年8月(昭和23年),全国各地域における盲人団体代表ら同志70余人が,大阪府下・二色の浜に集合,日本盲人会連合(日盲連)を結成した.他に全国的に組織された障害者団体は無く,日盲連は唯一の全国的に組織された障害者団体であった.
日盲連結成の時の,宣言文の一部に,
「ここに,挙国的な盲界の一大統合を期した我等は,敗戦の混迷と彷徨より起ち上り,盲人の文化的,経済的向上と,社会的地位の躍進を図り,進んで平和日本建設のため,真に人道的使命に立脚し,社会公共のために寄与せんことを誓う.」
又,決議の中で

  1. 我々は,日本盲人の福祉と文化の向上のため,平和の戦士たらんことを期する.
  1. 我々は,世界的標準に立つ盲人社会立法の制定を期する.

(以下略)

日盲連はその決議の具体策として,盲人福祉法の制定を目標とし,運動を起した.
日盲連は結成にあたって,初代会長の岩橋武夫は友人の間柄だったヘレン・ケラー女史を招致,女史は1948 年8月末,来日,ヘレン・ケラー・キャンペーンが全国的に展開された.敗戦の衝撃から抜けきらず混迷していた国民に大きな反響を呼び,障害者に対する関心を深めた.障害者も奮起した.1949年に入って,各地域に障害者統合の団体作りが始まり,11月末には,ほぼ全国的に組織された.この間に,身体障害者福祉法の期成運動も展開された.政府,国会関係から求められ,日盲連は盲人福祉法を身体障害者福祉法期成運動に代えた.
かくして1949年12月3日,国会は身体障害者福祉法案を可決,成立.同年12月26日に制定,翌1950年4月(昭和25年)から施行された.当時としては財政が貧弱で十分な施策がとれなかったが,福祉法施行当初の施策は,財政の不足から新味がなく,戦時中戦傷病者を対象とした療養所と社会復帰の為の職業更生施設が主なもので,古来,視力障害者に専業視されていたあんまマッサージ,はり,きゅうの施術養成所を視力障害者一般に解放したにすぎなかった.こうした中にも福祉法の特色としては,障害者の登録ともいえる身体障害者手帳が申請によって交付されることで,これにより障害者の実態とニーズが漸次明らかになり,施策が練られるようになった.1951年の厚生省の実態調査によると,障害者数は,
肢体不自由:291,000人,視覚障害:121,000人,聴覚音声言語障害:100,000人,合計512,000人
以後,ほぼ5年経過ごとに障害者の実態調査が行われてきたが,1987年2月の調査,集計によると,
肢体不自由:1,460,000人,視覚障害:307,000人,聴覚音声言語障害:354,000人,内部障害(1970年調査から):292,000人,合計2,413,000人
1950年以降の日盲連自体と障害者団体ともの運動の経緯と成果の概略は,
1953年8月,それまでの日盲連に参加していた点字図書館等の施設事業体を日盲連から分離し,日盲社協・日本盲人社会福祉施設協議会を設立させ,盲人を主体とした組織と施設事業体の組織を両立させた.
1954年9月,WCWB世界盲人福祉協議会の創設に加盟.パリで開催されたWCWB第1回総会に日盲連から代表者を派遣,国際的な交流の第一歩を踏み出した.
1955年10月,日盲連の提唱によって厚生省等各方面の後援を受け,東京において第1回アジア盲人福祉会議を開催,この会議の決議を基に翌1956年,国内の盲人団体連絡協議会の日盲委・日本盲人福祉委員会を設立した.日盲委は日盲連,日盲社協並びに盲児教育の全国盲学校長会の3団体代表者,学識経験者らをもって委員会を構成したもの.今日では1984年にWCWBとIFB・国際盲人連盟を統合,再編したWBU・世界盲人連合に日本を代表した加盟機関となっている.
1958年4月,国民年金法が制定された.施行は1959 年4月からであるが,同法は国民一般からの拠出金制によって年金が給付されるが,法施行前に発生した老齢障害者は本法から除外された.そこで,障害者団体は本法の補完を要求,運動の結果,1958年11月から無拠出制による障害福祉年金が給付されるようになった.障害福祉年金は,本法による障害年金に比べて,ごく低額であったので,福祉年金の増額と格差是正を要求し続けた.20年余の運動によって1986年,年金法が改正され障害基礎年金を導入.遂に拠出,無拠出,即ち,年金法施行以前に発生した障害者,又,施行後20歳未満の障害者に対する不平等,格差を是正した給付金が一元化された.
1988年4月以降,障害1級は65,400円,2級は 52,317円が給付されている.しかし,法施行前発生の障害者で依然として一定所得を上げた者には,年金の給付が停止されているので,その制限の解除を現在も要求している.
1960年6月,身体障害者雇用促進法が制定,施行され,公共団体は1.8~1.9%,企業1.5%の割合で障害者の雇用が義務付けられ雇用の促進が図られるようになった.しかし,視力障害者を含む重度の障害者の雇用は難航しているので,目下,その打開策を模索している最中.同法は1987年,それまで法の対象外であった精神薄弱者と精神障害者を加え,「障害者の雇用の促進等法」に改称,改正された.
1968年1月,身体障害者福祉法の抜本的改正を図って,厚生省に置かれている同法審議会に,大臣から諮問があり,10か月余にわたって審議が続けられ,11月に答申が出た.審議会の答申を基に,翌1969年以降,法が全面的に改正され,施策が拡充されていった.因に,法律の第1条の法の目的は,「この法律は,身体障害者の更生を援助し,その更生のために必要な保護を行い,もって身体障害者の生活の安定に寄与する等その福祉の増進を図ることを目的とする.」
1970年,障害者に対する立法,行政及び広く社会的協力を義務付けた心身障害者対策基本法が制定され,すべての立法,行政はこの基本法の趣旨をもって行われるようになった.この基本法は,1981年,全世界に展開された国際障害者年の先がけとも言えようか.
一方,日盲連は1964年1月,結成以来大阪に置いていた本部事務所を東京に移し,組織団体会員の拠出金を基に,1966年3月,現在地に仮日本盲人福祉センターを開設し,厚生大臣より社会福祉法人の認可を受け,唯一の公認盲人団体となった.1969年5月,同センターを新築,落成.本部事務所を置くとともに,盲人の生活,更生相談所,点字図書館,点字出版所等を併設,施設事業を自主的に経営している.
組織各団体もこれにならい,それぞれの地域において盲人センターを開設し,今日では40か所を数え,地域盲人の活動の拠点となっている.盲人センターの併設を含む点字図書館は80か所開設されている.盲学校は全国で69か所.あんまマッサージ,はり,きゅうの施術者養成所は国立5か所の他,公私合わせて5か所開設されている.
1981年,全世界に展開された国際障害者年を受けて,我が日本においても障害者の社会への完全参加と平等を目指して活動している.政府は「障害者対策に関する長期計画」を立て,その実現に向かっているが,日盲連を含む障害者団体はその推進に協力している.
日盲連は,政府の各省庁が設置している各審議会に委員の委嘱を受けて,こうした面からも尽力している.
尚,日盲連は,1948年8月の結成の際の総会を第1回として,年々全国各地において全国盲人福祉大会を開催してきた.本年は結成40周年を迎えて,結成の地大阪で大会を開催したが,参加者およそ4,300人.この日盲連の体制と威力は,全国視覚障害者を一層勇気づけ,福祉の達成に力強く前進して行くであろう.


日本の視覚障害者の職業と今後の課題

THE OCCUPATION OF THE VISUALLY DISABLED IN JAPAN AND ISSUES FOR THE FUTURE

松井 新二郎
日本盲人社会福祉施設協議会


序論
我が国の視覚障害者の職業は世界にもその例をみない特長がある.それは,働く大多数の視覚障害者があんま・鍼・灸業に従事し,立派に自立していることであり,これに反して,あんま・鍼・灸以外の職業能力を持つ者が,その能力をいかしてついている職種が諸外国に比べてあまりにも少ないことである.近年,東洋医学が見直されるにおよび,我が国の視覚障害者の伝統ある職種としてのあんま・鍼・灸業も晴眼者の進出が激しくなっている.このため,視覚障害者の業種の擁護が叫ばれている.従って,我が国の視覚障害者の職業の今日的課題はあんま・鍼・灸業従事者の生活安定と,雇用による職業領域の拡大,さらに,職業能力に応じての新職野の開拓を図るところにある.

本論
視覚障害者の職業の現況
1.あんま・鍼・灸師
  • 法的援護……長い伝統を有するあんま・鍼・灸業が今日の繁栄をみていることは,視覚障害者の自助努力はもちろん,社会の理解と法的援護にあったことは見逃せない事実である.今日まで江戸幕府の援護政策,明治政府のあんま・鍼・灸営業取締規則,世界大戦後の1947年あんま・鍼・灸・柔道整復師法,1988年新たにあんま・マッサージ・指圧師・はり師・きゅう師等に関する法律の改正などがある.
  • 盲学校における職業教育……1884年より発足をみた盲学校も今日では70校(現在国立1,公立67,私立2),このうち職業教育としてあんま・鍼・灸師の養成を行っているところが64校ある.
  • 訓練施設における職業訓練……あんま・鍼・灸師の養成施設は,晴盲合わせて38施設に及んでいるが,このうち盲人関係は,国立5か所,公立1か所,民間8か所である.
  • 視覚障害者のあんま・鍼・灸師の指導者養成……1910年に始まった筑波大学特設理療科教員養成施設の指導者養成事業は,80年の歴史を持ち,年間20名の卒業生を送り出しており,我が国の理療科教員は700名に及んでいる.なお,新たに1991年からは視覚障害者のための筑波短期大学が設置され,資質の向上を目的としたあんま・鍼・灸師の養成コースが情報処理コースとともに設置されることとなった.
2.理学療法士
1965年に施行された理学療法士に関する法律で1966 年に視覚障害者が従事できることが認められた.現在は晴盲合わせて理学療法士養成施設は45校,および,このうち国立1か所,公立盲学校2校が含まれており,理学療法士7,000名のうち視覚障害者は,およそ120名である.
3.他の職業
1950年に施行された身体障害者福祉法,老人福祉法 (1963年)により国・公・私立のリハビリテーション施設をはじめ,点字図書館,点字出版所等の利用施設,さらには盲老人ホーム等の設置に伴い,これらの施設に視覚障害者がカウンセラー,ケースワーカー,インストラクター,司書等の職員として雇用の道が開かれ,視覚障害者の職種が拡大された.
また,身体障害者雇用促進法(1959年)の制度と,その後の改正に伴い,障害者の法定雇用率(公機関1.9 %,民間1.6%)が定められるとともに,雇用率に達しない企業は一定の納付金を納める制度により,障害者を雇用する事業主へのオプタコンやワードプロセッサなどの機器の購入,設備の改善などの助成事業並びに個人に対して機器購入の資金貸付制度など各種の助成事業の発足をみている.
また,視覚障害者の職業訓練としては,国立職業リハビリテーションセンターの設置による盲人プログラマーの養成,電話交換手の養成,さらには公立,私立の福祉施設におけるプログラマー,電話交換手,工業的技術員,オーディオタイピストなどの養成訓練が行われて新たな職種の開拓が行われてきている.
しかし,国家公務員,地方公務員,盲学校,一般学校の教員,大学教師,法律家,研究員,さらには民間におけるヘルスキーパーなど,ある程度の新たな職野への進出はみられたが,十分とは言えない.従来の身体障害者雇用促進協会は1988年新たに日本障害者雇用促進協会に編成変えを行い,地域職業センターにおける視覚障害者の職能指導をはじめとする助成事業,さらには中途失明者の継続雇用,ヒューマンアシスタント事業,視覚障害者のためのOA機器の開発,研究事業など積極的な雇用対策が行われつつある.
なお,この他,3校の盲学校において,ピアノ調律科,邦楽科,洋楽科,さらには情報処理科のコースが置かれ,あんま・鍼・灸以外の職業教育が実施されている.福祉作業としては,身体障害者の授産施設900か所,小規模作業所が2000か所と多数を数えているが,うち,視覚障害者のためのものは,わずか数箇所にとどまり,そこで福祉作業に従事している.

結論
OECDでも視覚障害者の“雇用”か“サポート”かは,よくどうあるべきか論議されているところである智,障害者の生活の安定は,その国の経済力と社会保障制度のあり方において一概には言えないが,両者は,バランスが保たれていくべきものであると思われる. 1987年に厚生省が実施した身体障害者の実態調査によれば,我が国の障害者全般の雇用率は29%,中でも視覚障害者は22.2%と低いことは我が国の視覚障害者の職業自立のひずみを如実に物語っているものである.
この問題の解決のための施策としては,

  1.  我が国の視覚障害者にとって共通の文化財,財産であるあんま・鍼・灸業は,これまで自営で行っていたが,今後はあんま・鍼・灸の資格を持つ視覚障害者を公的機関や企業などが,そこで働く人々の健康増進や能率向上のためのヘルスキーパーとして雇用し,視覚障害者の職業領域の拡大を図る必要がある.
  2.  完全参加と平等がうたわれ,その権利の実現が求められているものの未だに国家公務員,地方公務員,教育公務員等の試験制度に全面的に点字受験が認められていないので,これの完全実施を求めていく.
  3.  労働行政下の雇用対策と,厚生行政下の作業のいずれに属するか労働能力の判定基準によっておのずと分かたれていなければならないものであるにもかかわらず,我が国の実情は,労働行政で扱うべきものが,厚生行政の中で,福祉作業として扱われているのが現実である.
    従って,労働能力判定基準を明らかにし,それに基づく重度視覚障害者の労働権が完全に確保されるような配慮が望まれるところである.
  4. 重度障害者対策としての第3セクター方式(公共機関,民間による共同事業)による雇用も視覚障害者への配慮が全く行われていないのが現状である.速やかに重度視覚障害者対策が進むことが望まれる.
  5.  視覚障害者の自立は自助努力によるものだけではなく,進展する科学技術を導入した感覚代行機器の積極的な開発と,これが利用による職業自立を速やかに図らなければならない.
  6.  視覚障害者の中で大多数を占めているのにもかかわらず,その対策がみすごされているものに弱視者の職業対策がある.従って,これらの対策が急務とされている.

近年,福祉国家を超えて福祉社会の創造こそがノーマライゼーションの実現であると言われているが,視覚障害への差別,偏見は未だに社会通念の中に根強いものがあり,この偏見を取り除き,社会の障害者観を障害は一つの個性であるという理解に高めることこそが,真の職業自立を可能ならしめると言えよう.
なお,この世界会議を契機にして,1つの提案をしたい.それは,各国に1か所インフォメーションサービス機関の設立をすることである.視覚障害者のための新しい機器の開発利用と情報は生活はもちろん,職業自立のうえに極めて重要である.また,職業情報や外国からの訓練の希望や受け入れの調整などを行うことも極めて重要なことがらである.これらの目的を達成し,国際的なネットワーク化を図り,国際交流と協力を推進していくための提案である.もちろん伝統職種としてのあんま・鍼・灸マッサージの国際的な技術交流も必要であることは言うまでもない.


ヘレンケラー・インターナショナルのCBRと眼の保健プログラム

HELEN KELLER INTERNATIONAL'S PROGRAMS OF INTEGRATED COMMUNITY BASED REHABILITATION AND EYE HEALTH CARE

Lawrence F.Campbell
Division of Education and Rehabilitation,Helen Keller International,U.S.A.


ヘレンケラーの名に由来する当ヘレンケラー・インターナショナル(HKI)は,1915年に彼女を中心とするアメリカ人のグループによって設立されて以来,80 カ国以上の国々で眼の不自由な児童・成人のニーズと失明予防に携わってきた.近年,創設者の貢績をたたえ,名称を変えたが,その使命は一貫して視覚障害者ひとりひとりのニーズに応え,その生活の質を高めること,また回避可能な失明を予防し,できる限りの視力回復をはかることにある.
HKIの活動は,第一次大戦後のヨーロッパで連合軍の戦傷による失明者のリハビリテーションから始まった.西欧に数カ所のリハビリテーション施設ができた後,財団の活動は,視覚障害児教育と視覚障害者リハビリテーションの発展をはかるための点字本の作成,定期刊行物の発行,教材の制作等に力を注いだ.
続く40年間は,学校とリハビリテーション施設建設のための物的援助が増大し,アジア,中東,ラテンアメリカの各地域事務所とヨーロッパ,北アフリカを担当するパリ事務所が活躍した.この急速な発展はヘレン・ケラー女史の疲れを知らぬ仕事ぶりに帰するところが大きい.女史は,個人的な業績や著書を通じても世界的に著名となった.視覚障害者や他の障害を持つ人々のニーズや能力に対する世界の指導者たちの認識を高めたヘレン・ケラーの功績は偉大である.女史が 1968年に死去する数年前に私はお会いしたが,強烈な印象の残る短い出会いだった.今日HKIの仕事で世界各地を旅していても,女史に直接会ったことのある人にも,あるいはStory of My Lifeを通じて女史を知った子供達にも大きな影響を与えていることに打たれる.彼女ほど旅,著書そして生き方を通じて何百万の障害者に明るい未来を与えた人は他にはあるまい.

1986年デリーで開催された国際失明予防協会の4年毎の会議の開会式で,Rajiv Gandhi首相はインドの視覚障害者サービスと失明予防プログラムについて大変自信を持って述べられた.ヘレン・ケラーを良く知る母と祖父からこどもの頃に聞いた話を語り始めたとき,彼は開会のあいさつをしている政治家というより,すぐれた盲聾夫人から深い影響を受けた家族の人という感じだった.
特にアジア地域で,HKIの活動が活発になるにつれて困難な問題に直面した.学校や施設設立のために援助をどんどん増やしていったにもかかわらず,視覚障害者のニーズは増える一方で,HKIや他の団体の努力にもかかわらず間に合わないのである.そこでこれに対処するために1960年代後半に,HKIは二つの方策を立てた.
第一は,当時としては大胆な新しい試みであったが,視覚障害者向けサービスの発展段階をはっきりさせるということであった.HKIは南インドにおいて現地の同僚と共に次のようなことを始めた.それは,農村地域の盲人を都市部へ連れてきて,都市部のセンターでしか提供されないサービスを受けさせるのではなく,農村地域において視覚障害者にサービスを提供するということであった.
この考え方は大変明瞭である.つまり,あるがままの村の環境のなかで村の資源をサービス提供システムの基本的な土台として用いて,視覚障害者に基本的リハビリテーション・サービスを提供するために村のワーカーを訓練するのである.この方法は,適切でコストも低いだけでなく,家族や地域をリハビリテーション過程の中に引き込むことになった.その結果,人々の障害者に対する態度を変えるという,最も難しい問題において成果をみることができたのである.これはヘレンケラー女史もかなり前に,障害者が直面する問題の内最大のものと述べていたことである.

これがHKIが既存のセンターを中心とした教育とリハビリテーション・サービスの方法と平行して,コミュニティ・ベースド・リハビリテーション(CBR)を役立つ哲学,方法として築きあげようと続けてきた 20年間の努力の第一歩であった.最初は大変であった.センター中心の活動になれていた専門家は,この考え方は実行不能で,サービスの質への脅威だと反対した.しかし,時がたつにつれて専門家の現状に挑戦するこの革新的プログラムは,雄弁な説得や見栄えのする建築物によってではなく,ゆっくりとした着実な仕事の成果によって価値を証明した.視覚障害者の自信,自尊心,家族と地域に対する経済的貢献は,言葉より雄弁に物語った.
今日,CBRは本領を発揮し,世界中の機関で広く受け入れられている.CBRプログラムの恩恵を何千人もの障害者が受けていることを,ヘレン・ケラー女史が知ったなら大変喜ばれることと思う.しかし女史にとってCBRの頭文字には他の意味もあった.
私は,HKIの新しいCBRプログラムを開始するために,美しいネパールに行ってきたところである.ネパール盲人福祉協会との共同プログラムである.
2週間前,カブレ地域で若い訓練生のグループに,彼らが6週間の集中訓練を終えた後自分達の村で仕事をする時にCBRの文字がより大きな意味をもつようになることを期待すると私は話した.ヘレンケラーの精神に則り,Cは仕事に対する深い理解(Compassion) を,Bは視覚障害者の能力に対する確信(Belief),そしてRは各人が自分のゴールを定める尊厳と権利を尊重(Respect)する精神を表わすものとなるように.それがケラー女史の願っていたことであり,我々が共に働く人々に期待することであると私は確信している.

当財団が共同のサービス提供システムを通じて,より多くの視覚障害者に手をさしのべる革新的な方策,即ちCBRの探究に乗り出すことを決定したのと同時に失明予防のプログラムにより視覚障害問題の根本に取り組む決定がなされた.資源に限りがあるため,当財団はまず毎年開発途上国の約50万人の子ども達を襲う回避可能な子どもの視覚障害である眼球乾燥症(栄養障害による失明)に焦点をあてた.
当協会のこの重要な先駆的事業はインドネシア政府の協力と支援を得て1970年代初めにスタートした.眼球乾燥症について20年前には何も知られていなかったのである.インドネシア政府は深刻な小児の視覚障害の問題に気づき,HKIと協力して全国的調査を行った.1億6千万人以上の人口が1万3千以上の島々に散在しているインドネシアを知っている人はそのような調査の数字がどのような困難さを意味するかおわかりであろう.しかし,インドネシア人を知る人は彼らがひと度目標を定めたら,どのような困難も克服することもご存知の筈である.United States Agency for Internationl Developmentの協力を得て,3年後にはこの栄養上の視覚障害問題の程度に関する十分なデータのみならず,いくつかの段階での問題への取り組み方も得られた.ビタミンAカプセルの配布,栄養に関する教育プログラム,そして最近のMSG(グルタミン酸ソーダ)の摂取強化等.この調査研究はビタミンA対策のみならず,フィリピンおよびバングラディシュにおいても現在進行中の大規模プログラムをスタートさせることになった.
インドネシアでのこの事業で思いがけず得られたことは,ビタミンAと幼児の死亡率との間に関連性があるかも知れないということである.Aceh区での作業がビタミンAが幼児の死亡率を30%減少させ得ることを示している.この関連性についてはさらに研究が必要であるが,同じ研究がネパールで始められたところである.もしこの関連性が実証されれば,ビタミンA対策が全く新しい段階をとるようになるのは勿論のことである.アジア地域ではいくつかの興味深い進展が見られるので関心をもって見守っていきたい.
HKIはJohns Hopkins大学の疫学および予防眼科学国際センターで現在進行中の研究結果に重大な関心を寄せる一方,予防,教育,リハビリテーションを促進するためのサービス実施および技術援助を引き続き基本的使命としている.

近年,HKIは世界の視覚障害問題のさらに二つの面に目を向けている,白内障についてと眼の基本的健康管理をその国の基礎的保健医療システムの中に組み入れることである.これらのために,HKIは過去20 年間,教育とリハビリテーションサービスおよびビタミンA対策を通じて学んだことをより広範な眼の健康管理計画に活かすことができる.
HKIは日本の慈善家笹川良一氏のご支援により,数多くの予防可能な白内障による失明に対し先導的な取り組みに着手した.行動計画を作成するための世界中の専門家による科学会議,進んだ外科的処置の促進,廉価な眼鏡の製造等の活動が含まれる.またHKIは,フィジー,パプアニューギニア,スリランカ,フィリピン,インドネシア,中国で行われているアジア太平洋地域プログラムにおいて,眼の基礎的保健医療への効果的な視力回復手術の組み入れを実施している.同様のプログラムがタンザニア,モロッコ,ペルーにおいても進められている.

これまで75年間,HKIは80ケ国以上の国々の人々と共に仕事をしてきた.このような国内的,国際的機関と共に,視覚障害児の統合教育,CBR,および栄養障害による失明予防の分野で我々が一貫して行ってきた先駆的事業は重要な役割を果してきたが,バラバラであった糸が織り合わされ,眼の総合的健康管理とリハビリテーションという一枚の織物を成してきたのは最近のことである.このつづれ織物が世界的な視覚障害問題解決の始まりを表わしている.
我々の努力が現行の保健,社会的サービスおよび地域社会開発のための支援施設に統合されてこそ現実的で持続性のある変化が期待できるのである.

最近,私はネパールの同僚のひとりと世界中で4200 万人と推定されている視覚障害者にとって未来はどんなものになるだろうという話をした.視覚障害者の特殊教育とリハビリテーションの分野および失明予防の分野に携ってきた我々は余りにも長い間,より大きなシステムの付属部分として任務を遂行することに甘んじてきた.
恐らくこれらのいくつかは何が出来るかを証明し,実績をつくり,はずみをつける上で必要なことであったろう.しかし時代の変化と共に我々も変っていかなくてはならない.我々の先駆的事業をより広く発展させるための優先権が与えられるよう要求するべき時である.国のより広い地域開発および経済発展の優先的方針から遠く離れたところに留まっている限り,我々は徒らに問題にかかわっているだけで,恒久的な解決策を生み出すことはできない.
視覚障害の分野における国内および国際機関は確かに大きな役割を果してきたが,次のような法律を設ける努力がなされれば,将来その影響力は何十倍にも増すであろう.それはアジア,アフリカおよびラテンアメリカの国々での開発事業を支援している我々の国の開発機関に,全ての事業を進めるにあたり,“このプロジェクトでは障害をもつ人々のニーズに対してどのような取り組みがなされているか?”という問題に応えることを要求することで障害者のニーズに対する正式な義務づけを定めるものである.
二歳の時から聴覚と視覚の障害をもった人に何も出来る筈がないと言った懐疑論者にヘレンケラー女史が挑戦したのと同じように(偉大さは別として)我々もまた将来を見つめ,今は最も捕えにくいと思われるようなゴール……つまり,視覚障害者のための特殊なプログラムではなく,その国で行われている開発プログラムやサービスへの十分なアクセスと平等の機会を得ることに挑戦していかなくてはならない.


視野欠損のリハビリテーション

REHABILITATION OF PATIENTS WITH VISUAL FIELD DEFECTS

H.H.Janzik
Neurological Rehabilitation Center,Bonn,FRG


この研究の目的は,同名(同側)視野欠損を持つ患者における視野回復について,更に検討を試みることである.我々はこれを行うにあたり,視野計ではなくモニター管面上に視標を呈示するための電子デバイスを用いた.

患者および方法
症例
患者1:男性,年齢49歳,左側頭部-後頭部動静脈の血管腫(手術済み),不規則な視野下半部の同名性欠損を認める(図1),視力:両眼とも1.0,訓練は脳損傷後7週目に開始.
患者2:女性,年齢21歳,外傷による脳後頭部の損傷,左下四半部視野に大きな同名性の暗点を認める,視力:右眼 1.0,左眼 0.8,脳損傷およびその治療から25週経過している.
患者3:男性,39歳,頭蓋および脳外傷時の左側頭部と後頭部硬膜上の血腫,右側視野同名半盲,視力:両眼とも1.0,脳損傷から訓練開始までの期間は25週.
患者4:男性,年齢45歳,多発性脳梗塞症候群,左側の下四半部視野の同名性欠損,視力:両眼とも0.9,脳損傷後約10年を経て訓練を受けた.

図1,図2 視野測定結果

4名の患者とも,眼球運動能力または固視能力について障害は認められない.また治療の妨げになるような精神神経的な欠陥も無い.治療の開始前と終了後に,本治療について知らされていない外部の眼科医によって動的視野計を用いた視野の計測を行った.視野の日中の変動や,視野計での測定基準の違いによる計測視野の変化を小さく抑えるために,視野のマッピングは一日のおおよそ同時刻に同じオペレーターによって行われた.視野測定にはGoldmann視野計(SBP/20型)を用いた.視標の大きさは,64mm2でその輝度は1, 000asb,背景の輝度は31.5asbとした.視野は訓練前の測定を両眼のみで行った1名を除き,常に片眼で計測した.固視点の安定性は観察鏡を使って確認した.
訓練に際し,視標を呈示するモニターは薄暗く,騒音の聞こえない部屋に設置した.モニターの大きさは対角で67cm,視標は異なる6本の経線(0,45,135, 180,225,315度),更に左右視野の水平軸方向に沿って呈示され,視野の各部(各四半分)を別々に訓練することが出来る.視標は両横軸上の4つの異なる位置 (偏心度 10,20,30,40度)と他の経線上の異なる三か所(偏心度 10,20,30度)から現れるように設定できるものである.
固視点はスクリーン上の決まった位置に呈示する.患者は音のシグナルが聞こえるまで視線を固視点から動かさぬように指示されている.このシグナルは視標呈示がスタートするのと同期して鳴らされるもので,この際,彼らは視標が一秒間呈示される経線の方向に,視線を一回移動するように求められる.患者は各セッション毎に,どの経線方向に視標が呈示されるか事前に知らされているが,その数や位置については知らされていない.視標を呈示する位置は,呈示時間や各試行間の間隔を3秒から7秒の間で変化させ得る電子デバイスによってランダムに選択した.訓練中,患者はモニター画面から70cmの所に頭の位置を固定し,首を支えられている状態で座っている.一回の訓練過程は 20の試行からなっており,通常,訓練の1セッションはこのような訓練過程を5回実施するものである.

結果
患者1:この患者については15の訓練セッションが実施された.訓練は主として180度経線に沿って両眼の半側視野およびその下四半部について行われた.訓練前後に行った視野測定検査結果の比較は,右水平経線の上部と下部,および左下四半部視野における著しい視野拡大を示している(図2).この患者は視力訓練と平行して行われた職業再教育訓練において明かな視野の改善を体験したと報告している.
患者2:この患者については訓練を14セッション行った.訓練は主として両側視野の左半部の経線(180度) と左下四半部の経線(225度)に沿って実施した.訓練後,暗点の大きさは全体的に縮小した.
患者3:訓練は右水平軸,右上四半部の経線(45度) および右下四半部の経線(315度)に沿って行った.視野の拡大は,しかしながら右横軸に沿う部分,右上四半部の垂直の境界線に沿う部分とにのみ認められた.
患者4:この患者については15訓練セッションを行った.訓練は左水平軸と左下四半部の経線に沿って行った.訓練後の視野測定検査では,左耳側半月領域における明かな視野の拡大が認められた.

考察
ここに報告した4例について得られた結果は,系統的な視覚的治療が視野の拡大をもたらすものであることを明白に証明するもので,これはZihl(参考文献1,2)の報告を支持する結果である.視野の回復は少なくとも部分的であり全体に起きるのでないということは,視野回復が視野欠損の度合とその位置に制限されていることを示している.また本研究によって,治療が視野計を用いなくとも視標を呈示するモニターを使用して首尾良く行えることも明らかになった.
この治療に関して知らされていない外部の眼科医が,これらの患者の視野が拡大していると報告したことは,患者とセラピスト,あるいはその一方の治療結果に対する期待感が,視野の見せかけの拡大になってしまったのではないかという疑いを否定する根拠となり得るものである.さらに,治療の効果がある特定の視野領域に限定されていることは,不安定な固視あるいは固視点のズレ,または視野計検査における測定基準の変化などの原因を持ってしてはここで観察されたような視野拡大が説明出来ないということと合致するものである(参考文献3).また,この視野拡大が訓練と無関係に起こったのではないかという点に関して,その可係に起こったのではないかという点に関して,その可の自発的な回復が,症例2と4の場合のように損傷後かなり時が経過して後,起きるということは考えにくいからである.損傷後,比較的早い時期に治療を受けた患者(症例1)についても,もしそうであるならばなぜ自発性の回復が訓練期間と一致して効果的に起こったかということを説明しなければならない.従って,視野の拡大が訓練時期と密接に関連して起きるという事実は,このような仮説とは相いれな いものである.
患者自身によって自覚された視力の改善は,周辺視野拡大によると考えられる読書能力の改善に関するものであった(症例2,3).一方,症例1と4では彼らの“見る状態”についての著しい改善,例えば周りがよく見えるようになるといったことを述べている.
以上のことから,視野障害は治療が可能であるといえ,それ故この治療は神経学的リハビリテーションに加えられるべきであると考えられる.ここに紹介した治療の効果を得るには必ずしも視野計が要るという訳ではなく,ここで用いた視標の呈示を制御する電子デバイスやモニターは,それに代わる有効で且つ安価なシステムの一つといえる.

〔参考文献〕

  1. Zihl J.Recovery of visual functions in patients with cerebral blindness.Effects of specific practice with saccadic localisation.Experimental Brain Research 1981,44,159-169.
  2. Poeppel, E.Brinkmann R,von Cramon D, Singer W.Association and dissociation of visual functions in a case of bilateral occipital lobe infarction.Arch.Psychiatr.Nervenkrh., 1978,225,1-21.
  3. Zihl J.,von Cramon D.Visual field recovery from scotoma in patients with postgeniculare damage.A Review of 55 cases.Brain 1985,108, 335-365.

ネパールにおける盲人のためのコミュニティ・ベースド・リハビリテーション(CBR)プログラム

COMMUNITY BASED REHABILITATION PROGRAM FOR THE BLIND IN NEPAL

L.N.Prasad
Nepal Association for the Welfare of the Blind,Nepal

序文
ネパールは,北は中国,南はインドという二つの大国にはさまれた国で,山が多く,人口は約1600万人である.およそ94%の人々が地方に住み,主に農業に従事しており,経済的には世界の中でも最も開発の後れた国のひとつである.人口の約0.8%が視覚障害者である.
国王の精力的な指揮のもとに,ネパールはあらゆる分野で急速に発展しており,またここ10年間,王妃のすぐれた指導力の下に社会団体によるサービスにも目覚しい進歩と拡大がみられた.これらの社会団体はすべて,王妃が会長の任にあたっている民間公益団体,全国社会サービス調整協議会に加わっており,視覚障害者のためのサービスも同様に急速に進歩してきている.
ネパール盲人福祉協会(NAWB)は,最近主にCBRのプログラムに力を入れている.ネパールでは産業がまだ発達しておらず,企業で職を得る機会も限定されているので,先進諸国で行われている視覚障害者のためのリハビリテーション・プログラムはネパールには不向きなのである.

プログラムの範囲
NAWBは,国内の数カ所で包括的な視覚障害者のためのCBRプログラムをスタートさせている.これらは純粋に農村地域に依拠したプログラムで,1989年までに全国75の地区のうち7カ所でのネパールCBRプログラムの開始を予定している.このプログラムにより,5年で約4000人の視覚障害者がリハビリテーションをうけられるようになることが期待されている.ネパールの各地区は9地域(ILAKAS)に行政区分されており,プログラムは最初1地区において2~3地域で開始し,徐々に地区内の全地域をカバーしていくようにする.

CBRプログラム
1.調整委員会
プログラムのための地区と地区内の地域が選ばれ決定されると,NAWBによって地域委員会が結成される.この調整委員会は,ソーシャル・ワーカー,村落指導者,教師,ボランティア,聖職者などから成り,委員会の主な責任は,a)監督者とフィールド・ワーカーの選出(同地域から),b)視覚障害のある人やその家族のメンバー,また地域社会のメンバーのプログラム参加への呼びかけ,c)リハビリテーションのための訓練プログラムの開発,d)基金積立,e)監督および監視,の援助である.
2.プログラム
監督者1名と事務員兼会計係1名が各地区に,フィールド・ワーカー4名が各地域(Ilaka)に選出され,6週間にわたり視覚障害者のためのCBRプログラムの包括的な訓練が行われる.これに続いてフィールド・ワーカーによって視覚障害者の所在が明らかにされ,そして彼らの病歴が調査される.不治の視覚障害者のみがプログラムのために選ばれ,他の障害者は最寄りの眼の病院や治療所に送られる.
CBRプログラムのため,視覚障害者は次の四つのグループに分けられる.

  1.  就学前児童(0~5歳):子供たちの両親や家族のメンバーに,子供たちの日常生活訓練と就学準備を行うための訓練と指導がなされる.
  2.  就学児童(6~17歳):就学年齢の児童は障害のない児童と共に統合教育を受けるため,近くの学校へ行くように呼びかける.点字の本や他の教材はNAWBから支給され,視覚障害者のための専門教師は各校から呼び集められてあらかじめ訓練される.初等教育担当教師の訓練プログラム(パッケージプログラム)は5カ月間であるが,中等教育担当教師には1年間である(盲人のための特殊教育訓練を受ける教育学士コース).これらのプログラムはNAWBの協力のもとに,カトマンズのトリブバン大学で指導される.
  3.  成人(18~45歳):村落や地域社会で行えるさまざまな仕事のための職業訓練がなされる.その際,視覚障害者の家庭背景や過去の職業,才能などが職業訓練の考慮に入れられる.ほとんどの訓練プログラムが家庭と農業をベースとしており,彼らはまず自立するための訓練を受ける.ロープやマット,カーペット,家具といったものをつくったり,家禽や水牛,乳牛,羊,やぎなどを飼育したり,野菜や果物,花,米,小麦,レンズ豆,大豆などを栽培したりできるよう訓練される.ある視覚障害者たちは,村落内で日用雑貨の小売店の経営や,自営タイプの小規模の家内産業を奨励されたりする.もし必要であれば,低利や無利子のローンが地域の調整委員会の推薦のもとに必要としている人々に貸し出される.返済は分割で行われる.
  4.  老人(46歳以上):主に家庭や地域社会での日々の活動を手伝ったり,自力で日常生活できるように,歩行訓練が行われる.この歩行訓練は,CBRプログラムの最も重要な活動の一つである.児童・成人・老人のすべての視覚障害者に自信を抱かせ,自分で移動できるようにこの訓練を行うのである.

障害者のための統合的なCBRプログラム
視覚障害者のためのCBRプログラムに加えて,NAWBでは視覚障害者,聴覚障害者,肢体不自由者,精神薄弱者,らい患者など,すべての障害者のための統合的なCBRプログラムをスタートさせている.このプログラムはカトマンズ盆地にある人口約16,000人のある大村落で開始されており,NAWBがさまざまな障害のための社会団体と協力して運営している.これは困難なプログラムである.財源は児童対象のものに対し UNICEFから来ているが,他のものについてはNAWB自身がまかなっている.これは試験的なプロジェクトであり,もし成功すれば他の地域でもこのタイプの統合的なCBRプログラムが開始されるだろう.

財源
視覚障害者のためのCBRプログラムのための財源は,一部が政府からそして一部がNAWBの内部資金および募金によってまかなわれている.しかし大部分を西ドイツのクリストフェル・ブリンデンミッション(CBM),ニューヨークのヘレン・ケラー・インターナショナル(HKI),世界盲人連合(WBU)やカナダの南アジア・パートナーシップ(SAP)といった外国の機関に負っている.近い将来,日本の東京ヘレン・ケラー協会(THKA)が香港リハビリテーション協会と協同で一地区のプログラムを支援してくれることになっている.すでに香港のIpYee基金がこのプログラムのために,香港リハビリテーション協会を通じてTHKA に寄付を行っている.香港の故Ip Yee博士は,障害者のリハビリテーションのためにさまざまな骨董品のコレクションを寄贈した.

問題点
視覚障害者のためのCBRプログラムの運営においてNAWBが直面している主な問題は,プログラムの運営においてさまざまなレベルでの適切に訓練された人材が不足していることと,経済的な資源の不足である.ネパールは入り組んだ地形をもつ山国であり,交通手段や他のコミュニケーション・システムが適切に発達しておらず,プログラムの実施,監督および把握が困難である.この問題はNAWBの大きな挑戦となっている.


分科会SE-5 9月8日(木)14:00~15:30

障害予防技術と生命の倫理

EXTENDING LIFE THROUGH TECHNOLOGY:WHOSE DICISION?

座長 Mrs.Yolan Koster‐Dreese Vice President,Dutch Council of the Disabled〔Netherlands〕
副座長 岩倉 博光 帝京大学医学部教授


テクノロジーと生命

―誰が決める?―

LIFE THROUGH TECHNOLOGY,WHOSE DICISION?

Yolan Koster-Dreese
Dutch Council of the Disabled,Netherlands


良いの反対は悪いではなく,多くの場合「善意」である.ドイツのKless教授1)は,このように現代の科学技術開発におけるジレンマを捉えた.技術開発は,今までのところかなり貧弱な輪郭しか見せておらず,その結果,倫理的,道徳的な意味を考えるという必要不可欠なプロセスがなされないままに置かれている.
結果で計るというプロセスが今は最も重要なことになっている.なぜなら,技術開発は金のかかる歩みの早い様相を呈しているからである.技術開発に関する,あるいはその根本となる我々の社会としての決断が,将来を決定すると私は考えている.すなわち,我々の決断が我々のヒューマニティを形づくる.文字どおりの意味においても,比喩的な意味においてもである.
「テクノロジーと生命」について論じるのであるが,この場合のテクノロジーは特殊な分野における技術開発,すなわち生命にかかわる技術開発である.安楽死の問題をとりあげるのが目的ではなく,科学技術開発が,生命に及ぼす影響,つまり生命の始まりとその終焉に及ぼす影響について論じようというのである.

現在可能とされているのは次のようなことである.
クローニング(Cloning)―細胞組織を取り,それを培養することによって全く同じ物を作ること.この技術は人間には試みられていない.
異種複合体―キメラ育種(Breeding chimeras)―以前は交配不能だった動物を,異種交配させること.私の知るかぎり,この技術は動物と植物には適用されているが,人間にはされていない.
DNAプリント―遺伝学上の指紋のようなもの.
軍事産業―いくつかの企業とおそらくいくつかの政府で,遺伝科学による武器開発を行っている.人間の遺伝学的感受性を変える方法を探っている.
遺伝診断(Heredity diagnosis)―最近では,特に胎児,新生児,子供のいるあるいは子供を望んでいる親に対する診断において,遺伝的欠陥の診断が行われている.
予測診断(Predictive diagnosis)―遺伝的要因により起こり得るすべての疾病についての診断学的研究.
研究室の中でこれ以外のことが行われていても知るすべはないので,この記述は完壁には程遠いであろうが,しかしこの分野で行われているこの種のことについてかなり正確に状況を把握している.

技術開発に対して人々が思慮ある決断を行うことができれば,技術開発はさらに促進される.私も予防は治療に優ると教えられた.
予防はどこまで可能なのだろうか.例えば,予防接種は将来起こり得る状況にうまく対応するための手段と考えることができる,しかし,悲しみに対する予防設種はできない.悲しみに対応する唯一の方法は,経験である.経験は,連続した成長の過程の結果である.成長する中で,人は自分の可能性を知り,自分の限界にどう対処するかを知る.そのような過程を否定する社会は,生命を単に「生存している状態」にまで引き下ろしてしまうのである.
人々は,障害を持つことがどういうことを意味するか知っていると思っている.その考えは仮定に基づいたものであり,障害を恐ろしい,手に余るものと思っている.こどもを持とうとする親はこの偏見に基づいて障害児の誕生は防ごうと決心するのである.
「子供にとって最善のものを望んでいるだけだ.」という叫びは,皆さんもよくご存じなはずである.最善とは何であろう.最善の教育?最善の伴侶?最善の健康?それとも母親も父親も実現できなかったすべての夢を実現することが「最善」なのだろうか.
では,私は何を望んでいるのだろうか.私は意識的に最善を選ばなかったのだろうか.私が本当に望んでいるものが,例えば二分脊椎児かどうか私にもわからない.しかし,引かれるべき線があることは知っている.私が,そして人類すべてが決して越えてはならない線である.なぜなら,我々が人間として踏み止まるべきところを知らないということをすでに示してきているからである.二分脊椎が疎まれ,じきに兎唇が,知らないうちに弱視が,そして赤髪がというように.言い換えれば,人々は最善を求めて努力する過程の中で,結果を顧みずに選択をしているのである.

私は遺伝的欠陥を持って生まれてきたが,この欠陥が私の人生を断固たる意味を持って形成した.そしてこの人生を私は深く享受している.私の両親はかつて,もし私の将来の障害を知っていたら,生まなかったろうと語ったことがある.ならば,それは誰の決断であるべきだったのか.
現代科学の状況は,非人間的選択を生じさせてきている.例えばやがて妊娠のごく初期の段階に,遺伝的欠陥のみでなく,ビールスや冠状動脈の病気などに対する将来の罹患の可能性などについても情報が得られるようになったとしたら,我々は何を選択すべきであるのか,社会は何を許すのか.遺伝的重荷を背負った子供をあえて世に送り出そうとする親は中絶を強いられたり,断種を強いられたりするのだろうか.
終わりに,つぎの一節を引用したい.より強い世代が,弱い世代を凌駕するだろう.なぜなら,生命力とはそれ自体の持つ究極的な形において,いわゆる人間性という,個人の不合理な鎖をいつも断ち切る.そしてそれを本来の人間性に置き換えるからである.つまりそれは,強者に道を譲るために,弱者を滅ぼすことに他ならない……」2)

我々の直面しているジレンマは,障害を持つ子の誕生を許すか許さないかといった問題ではないのである.我々のジレンマは―選択があるのか,選択があるとすれば,誰がどんな基準で選択するのか,である.
まとめとして,つぎの3つの疑問を投げかけたい.
1.社会は障害者を不健康かつ望まれざる現象として治療すべきであり,従って予防されるべきものと決めることができるのか?
2.障害を持つ人に対して,数々の偏見があることは皆さんも私も承知のことである.もし遺伝学的情報をもとに障害児を持つか持たないかを決めることができるようになったら,このような選択に必要な客観的な情報が十分に社会にもたらされることを期待するのか,それとも偏見に基づいて判断してしまうのか?
3.前もって考えなければならなかったはずの重要な問題を考えるため,現時点で技術開発を一時的に凍結するどんな手段を我々は持っているだろうか?

〔参考文献〕

  1. Dr.Berndt Klees in the Dutch TV documentary `Better than God´.
  2. Adolf Hitler in `Mein Kampf´.

胎児から得た情報をどこまで親に伝えるか

WHICH INFORMATION OBTAINED FROM FETUSSHOULD BE CONVEYED TO PARENTS?

木田 盈四郎
帝京大学小児科学教室


羊水穿刺によって胎児から得られた情報は,すべて親に伝えるのは原則的に正しい.しかし,例えば性別を親に伝えることは,原則として良くないこととされている.ヒトの多形は,原則的に伝えない.しかし,ダウン症のように知能の発育が遅れるものは教える.このように,染色体の情報だけとってみても,その内容によっては伝えるべきでないものがある.
最近,出生前診断の現状と,検査をしている人の個人的意見を調査したので報告する.
全国の80の医科大学と30の医療施設に,調査用紙を送って,出生前診断をしているかどうか調査した.現在までに68施設から回答があった.そのうち羊水検査を行っているものは29施設,42.6%で行われていた.絨毛検査は7施設で行われていた.大学病院では43施設のうち24施設,55.8%であった.
検査開始時期を報告のあった26施設でみると,1971 年から3施設で開始され,1975年から1979年の間に5施設,1980年から1985年の間に16施設,1986年以降に2施設で開始されていた.
22施設の検査総数は4896で,そのうち4662(95.2 %)には染色体の異常はなかった.染色体異常は202(4.3 %)で認められた.そのうち,染色体数異常は95(47.0 %),染色体構造異常は24(11.9%),転座は60(29.7 %),その他は23(11.4%)に認められた.
続けて,実際に検査を担当している人の意識を調査した.

回答は,男53,72.6%,女20,27.4%から得られた.その内訳は,研究者10(13.7%),検査技師11(15.1 %),医師49(67.1%)であった.43人が染色体培養に従事しており,その経験年数の平均は9.0年である.羊水検査は29名で平均経験数は7.3年であった.
73人の個人別精神的背景として,信仰(宗教)の影響を受けていない,と答えたのは48人である.宗教の影響ありと答えたもののうち,仏教は4名,キリスト教は9名,無信教は8名,神道は1名であった.この調査では,宗教の影響を受けていないものと,無信教を合わせると56名で,全体の77%を占める.
日本人の特徴は「宗教の支配を受けていない」点において「同質性社会」である.
受精から出産,さらに幼年期を経て成人,死へと至る過程は連続的である.受精後,一定の発達段階までは堕胎が認められるが,その以後は許されると考えることを「線引き問題」と呼んでいる.どこに線を引くかは個人の判断に左右されている.
胎児の命を守る時期を調べると,受精卵からは41.1 %(30),胎児の体が出来る時期(胎芽期)からは13.7 %(10),生まれて生存可能の時期からは41.1%(30) であった.
日本では,胎児の命は,妊娠24週以後は法律で守られている.それ以前は母親が自らの体で守らなければならない.この調査では,胎児の命を守るのは,親(母親,父親)としたのは52.1%(38),自然の法則としたのは42.5%(31),社会または法律としたのは17.8 %(13),医師としたのは12.3%(9),誰もいないとしたものは2.7%(2),神または絶対者としたのは1.4 %(1)である.
胎児の命を守る時期,および胎児の命を守るものなど,日本人の死生観の根底にはかなりのバラツキがある.むしろ,共通した思想的基盤はないといって良い.
日常の臨床の場では,妊娠中の母親の多くが胎児の異常の不安に脅えており,その不安を除く目的で羊水検査を臨むことが多い.
しかし,日本では,胎児診断は中絶を前提としているので,障害者は生まれてはならないという障害者抹殺思想を含んでおり,より強い差別の引き金になる.として反対するグループがある.そうした市民グループの意見に押されて,現在でも胎児診断を中止している公的医療施設がある.
しかし,一方では,日本では,胎児の生命を奪う中絶が野放しになっている.こうしたことを放置しておいて,単に胎児の状態を知る目的の,胎児診断に反対するのは論理的に無理がある.また,自分が検査を受けたくないという理由で,他人が自発的に検査を受けて妊娠を継続したり,選択的中絶したりすることを,強制的に禁止すべきだとする意見は,他人の行為に介入することになる,と考えられる.
この調査では,羊水検査は社会的に認知されていないとするものは8.2%(6),認められているとするもの26.0%(19),条件つきで認められているとするもの64.4%(47)であった.全体の90%が社会的に同意されたものと,している.

次に,回答者個人の意見を聞くと,ダウン症の胎児診断を認めるものは68.5%(50),条件つきで認めるもの27.4%(20)であり,認めないものは2.7%(2) であった.つまり,羊水検査を認めるものは,全体の 96%である.
また,この調査では,胎児検査の際に制限年齢を認めるとする35人のうち,35歳が27人,36歳と38歳が1人ずつ,40歳は6人であった.
「胎児から得た情報はすべて親に伝えるべきだ」とするものは58.9%(43),条件つきで伝えるとするもの 34.2%(25)であった.
その内容を詳しくみると,胎児の性別は伝えるべきでないとするものが多い(28/35).またすべての染色体異常は,伝えるべきであるとするものが多い(59 /7).知能や発達の遅れを強く起こす染色体異常は,伝えるべきである(59/0).性器の異常を伴う染色体異常は伝えるべきである(59/0).転座など遺伝して障害を起こす染色体異常は伝えるべきである(47/1). 日常生活に支障ない染色体構造異常は,伝えるべきである(38/17).親が特に質問しない場合には伝えなくて良い(14/19).
さらに,胎児診断の技術の開発は人類にとって有害とするものは1.4%(1)のみで,全く心配ないとするものは24.7%(18),留保つきで心配ないは58.9% (43)である.つまり,胎児診断の技術の開発を望んでいるものは回答者の84%である.
ところが,バイオテクニックの未来について聞くと, 8.2%(6)は未来は輝いていると答えたが,6.8%(5) は未来は暗いとしており,態度を保留したものは63.0 %(46)であった.つまり,バイオテクニックの未来については,なんらかの危惧を持っているものは全体の70%である.
今回の調査で分かったのは,羊水検査などの出生前検査は,妊婦の強い願望があり,日本の医療施設のかなり広い範囲で行われている.しかし,国民的同意は,充分得られていない.この格差は,放置すると当然技術の未熟,充分な啓蒙ができない状態を産みだし,それは妊婦の不幸となる.また,日本は精神的に同質性社会と考えられているが,それは宗教の影響のない点においてである.宗教の影響がないということは,生きる意味を充分考えていないことなので,日本人の死生観には共通の地盤はないことになる.また,生命の倫理に対して議論がないことと一致する.こうしたことは,好むと好まざるに係わらず,生命の技術が発展する時代にあたって,国民に不利益を与えることになる.
この調査の結果,私は,「出生前診断に対して社会的同意が与えられるべきである.」ことを強く感じた.


障害予防の倫理

―親の立場から―

THE ETHICS OF DISABILITY PREVENTION:A PRESENT'S POINT OF VIEW

Jane Baker
ACROD,Australia


私にはPaul,Mary,Kevin,Angeline,Jimそして Pennyという子供がいます.高度の新生児医療がなかったなら,このうちの3人は現在,生存していないでしょう.Maryは生まれた時,紫色で呼吸をしていませんでした.蘇生されても彼女は紫色のままで,弱々しくて反応がありませんでした.KevinとJimは元気でしたが,生後数時間でABO血液型不適合による黄疸が見られました.この3人の子供たちの生存を確実にするためには生後数時間以内の専門的処置が必要であることは明らかでした.
KevinとJimは生まれて12時間のうちに血液交換を受けました.その準備が整った時,私は承諾書に署名を求められ,輸血は素早く行われました.誰からも公式に輸血に同意するかを尋ねられませんでした.当然,私が同意するものと思われていたのです.
Maryの時は生まれて24時間も経ってから,私は Maryがダウン症候群―私は既に気付いていましたが―であると看護婦(医者ではなく)から告げられました.その後に,小児科医から彼女に心臓疾患があり,生き延びるためには,たぶん外科的処置が必要だろうとの説明を受けたのです.私が娘の状態を理解したと言うと,医者は間が悪そうに手術にも同意するかどうか尋ねました.私が直ちに同意の返答をすると,彼は大変安心した様子で,私が「賢明な決定」をしたと言いました.私にとって他の決定は有り得なかったので―問題は他ならぬ娘の命でしたから―医者の態度に驚きました.医者は多くの人が「自然は問題をもたらすが,その問題の解決も与えてくれる」と信じていると言葉を続けました.
Kevin,JimそしてMaryはそれぞれに生命が危険な状態でした.Maryは,また,知的能力に限界のある生に直面していました.(Kevin,Jimの)重度の血液不適合も時間内に治療されない場合には,精神遅滞を引き起こします.ではなぜ,Maryと男の子たちとで,そんなに処置に対する態度が異なるのでしょうか.それは Maryにとってその生は受け入れ難い質のもの(unacceptable quality of life)であると,第三者は信じていたからなのです.男の子たちの遅れは連続的な血液交換によって防ぐことができます.手術はMaryの心臓疾患を改善することはできても,知的障害の現実まで変えることはないでしょう.それゆえ,男の子たちには自動的に救命のための専門的処置を受ける権利が与えられ,Maryには与えられなかったのです.

科学は25年前には想像できなかったシナリオを与えてくれます.妊娠26週目にしてすでに生命の発育力の問題に直面し,自立するまでずっとその生命を育てていくために必要なケアを考えて,社会はその生命を支えることに努力を払うことが正当かどうかを,現在問いかけています.「殺し文句」(私はわざと,この語を使っているのですが),「生の質」という殺し文句が登場するのはここなのです.
早産,身体的欠陥,知的欠陥によるハンディキャップを持って生まれ,「死ぬために生まれた」と言われる子供たちがいます.医学的処置は死への過程を引き延ばすだけでしょう.人道と法と国際憲章がすべての人間に保障しているケアのすべてを与えられたとしても,この子供たちは死に,私たちをそれを深く悲しむことになるのです.
しかし,それとは別に,生命の完全燃焼を援助する特別なケアを必要として生まれてくる子供たちがいるのです.この子たちは「リスクを持った子供たち」です.これらの子供は,ある人々にとっては「その生は受けいれられる質のもの(acceptable quality of life) ではないのです.彼らの命は救うに値しないと言う人もいるかもしれません.でも,3回にわたる心臓のバイパス手術は当然のことと思う人もいます.
減少しつつある国家財政から多大な額が,生命維持のための医療装置に向けられているのは本当です.多くの救命された者が,その後,ある人々にとっては望まないような人生を送っているというのも本当です.
子供の障害に対処できず,社会的ケアに子供を委ねる家族がいるということも確かに本当ですが,一方で障害のある子供を家族に持ったことで,自分たちの人生が永久に変わったことを認めている人もいます.
これがすばらしい20世紀なのです.私たちは新しい技術的進歩を喜んで迎え,私たちの権利として現代の奇跡を受け取っています.私たちは今より洗練されていない世紀にではなく,現代に生きていることに感謝しています.しかし,これには代償も必要です.(といっても新しいものではなく),それぞれの時代で私たちの祖先も支払ってきたものです.それは時代の恩恵とともに,責任をも引き受けるということです.
もし,「リスクを持った」赤ん坊の生命を救うことができるなら,そうしなければなりません.それが私たちの文明の尺度です.もし,できるのにしないとすれば,私たちはこう言っていることになります.「確かに私たち20世紀に生きることを望んでいる.でも,生命保護に対する責任は放棄したい.もっと原始的な時代に生きていた私たちの祖先なら,それを十分引き受けられるほどに強かっただろうが……」
さて,「その生命が受け入れ難い質のもの」である子供にとってのリスクを調べてみましょう.その子は専門的な外科処置を拒否されるかもしれず,呼吸装置や監視装置を外され,栄養を与えられずに餓死させられたり,極端な場合は水分さえ与えられず,死ぬまで鎮静剤を与えられるかもしれません.これが現在,病院で起きていることです.死をもたらす注射が慈愛深い選択とし承認されていると示唆する人々もいるのです.
これらがリスクだとするなら,誰が自分の人生の中で,こんなリスクに直面したいと思うでしょうか.誰が超早産児や重度奇形児のリスクを選択する権利を持っているのでしょう.母親でしょうか,父親でしょうか,小児科医,ソーシャルワーカー,それとも国会議員でしょうか?
私はMaryの母親として,両親でさえ,その決定を下したり,責任をとる権利を持っていないと皆さんに言いたいのです.その子供は人間であり,その生はどんな質のものであろうと彼自身のものなのです.私たちは単に他の人間にしか過ぎないのですから,誰がその生命の未来を決定できるでしょう? もし,その責任を引き受けるという人がいるならば,その人は不完全な存在である人間には許されていないはずの,権威,権力を持っているつもりなのです.早産児も障害児もやはり子供であり,人間です.それだけで,その子供は法律の十分な保護と人類の同胞すべてからの援助を受ける資格があるのです.また,彼は生命を維持するための手段,避難所,家族,そして教育に対する権利も持っているのです.

「生の質」の論議の中心となっている人々は,障害とはどんなものか知らない人々,「その生が受け入れられる質のもの」であるかを物質的,社会的貢献によって計る人々です.障害者である私たち,または障害者を友人,家族,同僚に持っている私たちは,これらの子供たちの生の価値を認めなければなりません.それは,障害者の人生が十分に成就されること,もっと重要なことは,その人生がコミュニティを心豊かなものにすることを示すことです.
物質的な面だけで,人が社会に貢献できると思うのは大きな誤りです.結局,非障害者としてであれ,障害者としてであれ,会社,家庭,工場で,私たちが行っていることはささやかなことです.世界中の偉大な哲学,宗教においてすべて一致しているのですが,価値があるもの,それは人間の精神です.これが日々の仕事に基本的な価値を与えているのです.
目の不自由な乳児の生命を奪うことは,耳の不自由な子供の中にあるかもしれないミルトンやアインシュタインの芽をつむことでもあるのです.どんな子供でも,その生命を絶やすことは,世界を否定するということであり,また,その子供がただ生きて,笑ったり,愛したり,傷つけたり,求めたりする人間であるだけで貢献していることを否定しているのです.
社会は形も色も多様な織物であるというのは昔からの考えです.その織物の1本の糸に「生の質」を十分に期待できないものもいると主張する人々は,織物そのものを破壊しつつあるのです.もし,私たちがその主張を許し,そして,その主張に合わせた立法化に反対しないなら,この社会は多様な色合いの上着をポリエステルの(単色の)ビジネスシャツと交換することになり,その社会を終わらせることになるでしょう.
皆さん,社会は,まさにテーラーメイドなのです.もし,生まれてきた子供はその生命を維持するために必要な援助と介入を受ける権利を持っていると,勇気を持って言わないならば,黙従から必然的に生じた,子供たちの死を結果として認めなければなりません.もし,皆さんが文献を読むならば,「生の質」についての話に耳を傾けて下さい.そうすれば,無脳症,二分脊椎,ダウン症の典型的な例を知ることができるでしょう,無脳症の子供は生まれても生存できないけれども,しかし,二分脊椎,ダウン症の子供たちは生存可能であり,その資格があることを,私たちは知っています.(しかし,重い障害によって)消滅させられる子供たちの生命と,遺伝工学的な基準に合わないために消滅させられる生命とは,ほんのすぐ近くの所に置かれているのです.もし,誕生時に「障害の予防」をするならば,私たちは確かに他のいろいろな不完全さ,例えば私のそばかすのようなものを「予防」することができます.(その気になれば)私たちはナットやボルトを規格化するように,人間を簡単に規格化することができるのです.

1985年,Michael Kirby判事は,障害児の生命を絶やすことによって,誕生時に「障害を予防する」という課題について,重石をどける(the stone to be lifted) べきだという要求をしました.彼は社会的合意がなされ,障害を持った新生児の医療的管理のためのガイドラインが設けられるように,この主張を行ったのです.私たちは,この議論に,事情に精通する援護者として関わらなければなりません.障害児とその家族にも未来があることを示さなければなりません.その障害児と両親が,自分たちの現実の状況を受け入れ易くなるために,必要としている援助と情報を与えなければなりません.マスコミが障害者を害するためでなく,利するために使われることを確実にしなければなりません.そして,決定を行い,決定に影響力を持つ人々(医師,社会学者,議員)が,障害者が生活し,人生を楽しむ能力があることを本当に理解するようにしなければなりません.
障害を持っている友人,家族,仕事仲間に対して私たちが果たすべきこと,それは,彼らの人間性を肯定することです.そして,私たちが社会に対してなすべきことは―賢明な人々は常に分かっていることですが―他人の人間性を否定することは自分の人間性を失うことであると宣言することなのです.


現代の災い

THE MODERN SCOURGE

S.N.Gajendragadkar
Rehabilitation Coordination India,India


世界中のリハビリテーション分野のベテランが,我々皆が関心を持つ問題を討論するためここに参集された.本分科会のテーマは確かにそれらの問題のひとつであり,実際,あえて言わせていただくなら人間性に最も影響を及ぼすものである.
また主催者が問題の範囲を拡大されたことにも敬意を表する.リハビリテーションの対象には,日々遭遇する聴覚や視覚の障害ばかりでなく,声がなく目にも見えないために最も致命的なものもある.生命が,花開くチャンスを迎える前にさえ摘まれているのである.
私は医学,外科学の知識を持たないドクターである.この問題を単に一人の教育を受けた市民として―お許し願えれば,啓蒙された人間として―男女平等を非常に強く信じている人間として考えている.
この発表には,人種/色/地理的偏見は全くなく,その意図もないことを確信している.しかしこれはデリケートな領域であり,たとえわずかでもそのような印象を与えるようなことがあったらお詫びしたい.

1 問題は何か? ぶっきらぼうで攻撃的でさえある言い方をすると:「殺人は最大の過失,最も良い場合でもそうなのだが,この最大の過失は奇妙で自然の理にそむく」(ハムレット).
ここではまだ胎児でしかない子供が,女の子であるということで責めを負い死刑の宣告を受ける.羊水穿刺が裁判官で,両親が死刑執行人である.

2 事態はどのように生ずるか? 今世紀,科学は何百万人という人々に援助,幸福,健康をもたらし驚異的な進歩を逐げた―夢にも見なかった発展である.しかし,それがもろ刃の武器になっている.核エネルギーは原子爆弾として使われており,化学は化学戦に利用されている.火と同じように,それを用いて何をするかにかかっている.私は人間は人間の最大の敵であるとしばしば感じている.医学では,欠陥つまり胎児の異常を判定するための諸検査法が発見され,諸方法が見つけられた.この目的は,胎児に,もし可能なら欠陥に打ち勝って,あなたや私のように普通の,健康な人生が生きられるチャンスを与えることである.付随的にその子供の性別がわかるのである.後者の事実があまりにも残酷に,心なしに利用されてきているため知識ある人々は恥じ入ってしまう程である.

3 検査法はどのようなものか? 「Y」精子(男性)をより活発化するために胃の中の酸性度を減らす目的で,過度の塩やアルカリ潅水を取り入れるといった多くの国々で懐妊前の女性が行う食事の制限とは別に,医学的に認められるものとして広く行われているのは以下のものである.

  1.  超音波検査法は,妊娠第6~12週目に行う.超音波を用いて胎児の視覚画像をスクリーン上に映し出す.これにより胎児の年令/障害が判定される.もしスキャンが正しく行われれば,性別決定が可能である.
  2.  絨毛膜絨毛生検は,妊娠初期に行う.注射器で吸い取って少数の細胞をとり出す.最も外側の胚芽膜つまり絨毛膜は,手の指様に突出し伸びる.妊娠第7~9週目に標本を膣および頚部から採取し,遺伝学的欠陥と性別の検査が行われる.
  3.  羊水穿刺は今日大変に一般的で,14週後から行われる.胎児を囲む液体(胎児の細胞を含む)の採取を行い,細胞を培養した後,性別とすべての異常/欠陥の両方がわかる.この羊水20ccは,腹部から穿針を挿入して取り出す.これは有益な意図をもつ出生前検査であるが,両親の同意をえて,開業医が非常に残酷かつ恥ずる気配もなく不当に利用している.
  4.  胎児検鏡法.子宮腔から直接胎児を見る.日本ではこの分野で多くの進んだ仕事がなされている.動物を用いた研究が行われているが,まだ実験的段階である.これらの方法について良い点は,―このことから行きつくいまわしい罪ゆえに危険な点を述べたい位だが―これらがかなり安全性も確実性も高いということである.精度は97%,リスクは1,000に対し1~5である.

これは女の子に対しては全く不当な行為であるが女子を出産することに罪を感ずる母親にとっては,産むことがさらに苦しいことなのである.ところで性の決定には男性が一因をなす……男性の精子Xが女性のそれと結合する時に女性胎児が生ずる.責任は男性側にあるのだが,伝統,偏見,無知のため女性に責任が押しつけられる.
この慣習は,孔子思想の社会―中国や韓国―や,社会の態度や偏見が何世紀にもわたって是認され,固められ,結晶化しているインドのような国々―世界人口のほぼ5分の2をしめるこれらの国々で行われている. Readers'Digest1988年7月第133号では,身の毛もよだつような―血の凍るような―堕胎の例や方法を載せている:女の子の赤ん坊がほら穴に捨てられたり,しっかり縛って袋に入れられたり,川やごみ箱等に投げられている.中国は,「モグラ塚から山をつくるよう」と断言されている……真実はここにご出席のその国の卓越した代表者だけが我々に伝えることができるのであろうが,韓国医療協会の努力にもかかわらず,韓国では内密の検査と妊娠中絶が適当な値段で利用できる.
恥ずべきことだが,インドもこの悪習慣に屈している.ボンベイ市では数年前まではたった3病院だけだったが今はもっと多い.1978年~83年の間に7万8,000 の女の胎児が中絶された.中絶の8,000症例のうち 7,999は女の胎児であった.北部諸州では,性別テストを行う何百という個人のクリニックが急に現われた.不幸にもこの悪習慣は,都市中心部―少なくとも設備や衛生的な状態は整っている―だけに限られておらず,地方にも広がっている.特定のコミュニティの名前をあげなくても,地主社会や持参金システムを社会習慣のひとつとしている新しい金持ち社会が,まるで恐れを知らないかのようにこの罪にふけっていることがわかる.南ケララ州ではこれが一般的なことになっていないが,これは興味深いことでありまた心が暖まる感じさえする―読み書きの能力が高いということよりも,むしろ女性を土地/財産の所有者にするというこの地方に行きわたっている家母長制による.従って女性が重荷になることはない.インドでの悪慣行はあまりにも根が深いために持参金をしぼり出すお金の全くない貧しい両親の娘達は,過去においては焼身自殺もあり,最近も2例が起きた.
出生前検査が合法的である香港では,医療従事者が強い倫理基準を持っており,性別に関するいかなる情報も表明することを制限している.女であるからといってその胎児を中絶する女性の例は実際上前例がない (Readers'Digest).日本やシンガポールにはこの偏見はない.
教育と高い生活水準が偏見を鈍らせ,そのため堕胎の悪習慣を減らしたと言える.

4 この悪習慣が依然として存在するのはなぜか?

  1.  偽宗教的迷信が依然残存する―例,「息子だけが地獄から父親を救うことができる」.
  2.  昔の農業社会では,男の子は非常に役に立ち,実際雄牛のように価値あるものとされた.
  3.  子孫を通しての不滅に対する願望―姓は継続されなければならない.
  4.  昔は男の子は家で生活を営むことを望み,年老いた自分の両親を助け続けた.これはインドのような国々では,今や神話である.男性は,今や両親を助けることが可能であるとか好都合であるとは思っていない.そして働く女性が,家族に対する責任感がより強いためか,年老いた自分の両親を助ける.そのために自らの結婚を犠牲にする女性さえいる.これらの理由のほとんどは,昔はともかく現在では全く適切でないことは明白である.

5 人口の不均衡は,明らかにこの残酷な習慣の結果である.「インド栄養財団広報」に掲載されたある研究によると,以前は男性1,000人対女性972人の比だったのが現在では1,000人対935人である.そして女性の平均余命は男性より短かい,つまり女性54.3年に対し男性55.2年である.この偏見は災難時には強くなり,女児出産後の出産間隔は短かい.
この状況にあって心痛むのは,インドのある人々,特に医療に属する人々の「倫理的中立」あるいは「無神経な防衛」である.人口抑制に通ずるという議論は,皮肉であるばかりか残酷である.インドでの主犯は当然「持参金システム」であり,残念ながらこれが増加しつつあり,事実社会的名声の証印を授けられている.その結果,3~4人の娘は,正当化はできないが,大目にみられていたことが「最初の子も敵」にさえなりつつある.人口統計学上の不均衡とは別に,このすでに重大な状況が強姦,一妻多夫へと至らしめるであろう.

問題は,それについて我々が何をすべきかということである.この下劣なドラマ―いまわしい罪について,肩をすくめたり,カクテルパーティでそれを非難しながら黙した見物人になるだけなのか? 「法律」に責任を転嫁して責任逃れをすることはできない.インドを始めとする多くの国々には法律があり,たぶんかなり厳しいものである.しかし,残念なことに,教育のある啓発された人々が支持する運動でバックアップされない限り,法律が社会の悪習慣を解決したということはない.セミナーや会合を通じて,すべての社会―経済グループの女性とその夫に意識を生み出さなければならない.女性が不必要な罪の重荷を背負わなくてすむよう遺伝問題に関する正しい情報を伝えるべきである.種々の状況の中での女児の真の価値を強調すべきである.もっと現実的な法律を制定し,さらに関係する当事者の権力や社会的名声に関係なくもっと厳密に適用すべきである.
一方,一般大衆,特に無教育の人々の社会意識を奮起させることほど大切なことはない.これらの出来事を公然と非難するためばかりでなく,止むことのない―ほとんど宗教的な―真剣さと熱意で偏見を終らせるためにも,前向きの努力がなされねばならない.
我々一人ひとり,あなたも私も役割を担い,義務を果たさなければならない.あなたの国で行われているか否かに関係なく,この女児堕胎の悪習慣を人道に反する罪として,みんなではっきりと非難しよう.この会議をまぬけ者の昔ながらの対話にさせないように.失敗はできない.もしそうなったら歴史が我々を許さないであろう.


分科会SF-1 9月8日(木)16:00~17:30

―機会の平等化―

スポーツ,レジャー,レクリエーション

EQUALIZATION OF OPPORTUNITIES IN SPORTS,LEISURE AND RECREATION

座長 Mr.York Chow Queen Elizabeth Hospital〔Hong Kong〕
副座長 中嶋 寛之 東京大学教養学部保健体育科教授


―機会の平等化―

スポーツ,レジャー,レクリエーション

EQUALIZATION OF OPPORTUNITIES IN SPORTS,LEISURE AND RECREATION

York Chow
Queen Elizabeth Hospital,Hong Kong


国際リハビリテーション協会(RI)レジャー・レクリエーション・スポーツ委員会は障害者のスポーツ,レジャー,レクリエーションに関心のある個人および団体間の国際レベルでの交流と情報交換をはかること,プログラムや研究についての情報の収集そして国際的研究が必要な地域の確認を主な活動とし,それにより,RIのプログラムに含む活動について総会と理事会にアドバイスをする.これまでに多数の連絡先と40の加盟団体が集められ,半年ごとの行事カレンダーが作成された.スポーツ,レジャー,レクリエーションに関する世界中の情報をすべて盛り込んだパンフレットも準備中である.
1988年1月にInsbruckで行われた先回の委員会において,当面の課題が確認された.
第1に,我々の手元には数多くの団体名や住所があるが,その多くは連絡がとれないか応答がない.委員会書記であるMr.Dresslerが行ったアンケートの回収率はわずか30%であった.
第2に,委員長のスポーツ関係団体への働きかけにもかかわらず,当委員会と,例えばICC(国際調整委員会)との間に十分な交流がはかられていない.ICCは存在自体が危機にあり,従って現時点ではまだその役割も比較的不明確である.
第3に,スポーツ大会とそれに関連した情報は入手し易いが,レジャーやレクリエーション活動は通常小規模で組織され,特定のグループの外に公表することはあまりないので,その関連の情報は集めにくい.また,多くの国々でレジャー,レクリエーション活動よりもスポーツ活動の発展を重視する傾向がある.
先進国での労働時間の短縮と,予防と医療の進歩による寿命の延長に伴い,我々の人生の3分の1はレジャーに使われると推定されている.障害者が教育や雇用の機会を得られない場合は,余暇が彼らの人生の大部分となる.我々は手にした生活の質や水準を誇りに思うことはよいが,必ずしもすべての人々が現在ある一連のレジャー活動を利用できるのではないということも忘れてはならない.当委員会は,障害者が彼らの余暇を有意義で楽しい活動に使えるようにすることを目標とし,“人生が長くなるだけではなく,その長くなった時間が生きたものにならなければならない”と主張している.
この会議のテーマ,“総合リハビリテーション-その現実的展開と将来展望”に応えて,スポーツ,レジャー,レクリエーションにおける機会の平等の達成には次のことの実現が不可欠であることを強調したい.

  1. すべてのスポーツ,レクリエーションおよび文化施設へのアクセスを確保すること.
  2. 交通費や必要な補助具,介助などこれらの活動の参加に伴う特別な経費の補助.
  3. 一般の人々の障害者に対する考え方を変えることおよびスポーツ,レクリエーション,レジャーの分野における障害者のニーズに対する認識を高めること.

―機会の平等化―

スポーツ,レジャー,レクリエーション

EQUALIZATION OF OPPORTUNITIES IN SPORTS,LEISURE AND RECREATION

Wilhelm Thiel
Austrian Workers' Compensation Board,Austria


私達が自由に使える時間の量は第二次世界大戦以後,着実に増加しているが,先進工業国では特にその傾向が強い.1948年には週6日労働であったが,20年後にはほとんどの国で土曜日が休日になった.今ではほとんどの人が週5日労働の権利を持ち,従って週末が長くなっている.
被雇用者の平均休日数は平等に増加している.しかし,労働者や被雇用者だけが,長くなった余暇の恩恵を受けているわけではない.自営業の大部分の人もスポーツや文化活動に費やす時間が増えている.生産性の向上,通信手段の発達,フレキシビリティの増大などのおかげである.
社会的政治的な大きな変化のために平均労働時間は劇的に短縮したが,それのみならず,医学の進歩も平均寿命の延長に貢献してきた.20世紀の終りには,労働時間は減り,老後の備えもでき,人生の約2分の1を自由に使えるようになる.人類は今,まったく新しい境遇を迎えようとしている.余暇と余暇活動が私たちの人生の決定要因になったのである.ここまで来た生活の質や水準の高さを当然誇りにしてよいのだが,忘れてならないことは,この数々の余暇活動を利用できるのはすべての人ではないということだ.
ほんの数年前なら命を落とすような病気や事故も,今では現代医学のおかげで助かる.しかし,そのような事故や病気に逢って生き延びた人は,身体的にも精神的にも大きな障壁にぶつかることが多い.中には障害を持ちながら生きなければならないために,無限の余暇をもて余す人もある.労働社会は彼らの残存能力をもはや必要としない.彼らは人の助けがなければ余暇利用はほとんどできない.それゆえ,RIレジャー・レクリエーション・スポーツ委員会は「人生が長くなるだけでは十分ではなく,その長くなった時間が生きたものにならなければならない.」と主張し続けている.障害をもつ市民に必要なことは何かについて,絶えず社会の注意を喚起する必要がある.統合はたゆまぬ努力の過程にできるのであって,一度に多くの活動をしてでき上るものではない.それゆえに,どこの国でも政策を決定する人に,障害者の完全統合を目指す時は,スポーツ,レジャー,レクリエーションの分野を忘れないでほしいと頼むのである.障害者にとってスポーツなど余暇活動施設を利用できることは,特に重要である.人間生活のあらゆる分野に障害者が参加してこそ,私たちは真の人間的社会を語る ことができるのである.
私もRIレジャー・レクリエーション・スポーツ委員会の長としての立場から,私たちの主張をいくつか挙げ,議論してみよう.法が出てくるだろう
私もRIレジャー・レクリエーション・スポーツ委員会の長としての立場から,私たちの主張をいくつか挙げ,議論してみよう.

  1.  スポーツ施設,映画館,博物館,ホテル,レストラン,交通機関等にある,建築上の障壁の撤去.
    上に挙げた施設の中には,障害者に不便なところがまだまだ多い.少しの知恵と,わずかの費用で,障害者にも便利になることが少なくない.オーストリアの主要な事故保険機関であるThe Austrian Workers Compensation Boardの例では,社会リハビリテーション対策の一つとして,スポーツ施設の改良に融資し,多くの障害者に便宜を与えた.
  2.  障害者レジャー活動に要する特別費用の公共機関による補償.
    たとえあらゆるレジャー施設の建築上の障壁が除かれたとしても,障害者にはまだ不便なことがある.具体的な例をあげよう.身体障害をもたない人のスキー用具(スキー,スキー靴等)は並の品質のもので約500ドルである.下半身麻痺障害者が,ウインター・スポーツをやってみたいと思えば,特別の用具,モノスキーが必要である.この用具は通常の3倍の費用がかかる.また視覚障害者が休暇で出かけるには,普通付添いが必要である.従って旅行の費用は2倍になる.つまり障害者にレジャー活動へのアクセスが十分に与えられても,それで十分ではないということである.障害ゆえに直面しなければならない余分の費用を,社会が分担してはじめて真の機会の平等は実現するのである.
  3.  障害者の関わる場所での身体障害をもたない人の態度の反省,およびスポーツ,レジャー,レクリエーション分野への障害者の要求の認識.
    障害者と身体障害をもたない人との間の人間関係には,まだ偏見や半面の真理や相互不信などが伴う.これは学校,職場,レジャーの場で,長い間障害者を分け隔てて来た習慣による.この数年,特に1981 年に,国連が国際障害者年を宣言して以来,事態は改善されて来たが,これからすべきことも多く残っている.

障害者のスポーツ担当当局者としての私の個人的な経験から,私たちが財政や組織の基礎を作れば多くのことが出来ることがわかった.スポーツは一つの障害者解放と見てよい.他の分野では,彼らが自分の立派な成績や能力を広く一般の人たちに示すことはない.身体障害をもたない人にとって重要なことは優勝のみである.競技で2位や3位になっても,マスコミが取り上げることはまれである.障害者のスポーツでも勝利は重要であるが,優勝者のみが重要なのではない.障害者のスポーツで打ち勝たねばならないのは競争相手だけではない.引込み思案,偏見,不自由さなどの克服がもっとずっと重要なのだ.私はこういう勝利をこそ称賛して止まない.スポーツが総合的リハビリテーションに非常に重要だとはいえ,いつまでもそれが唯一の余暇活動ではないことはわかっている.積極的に参加する側であれ,観客側であれ,美術や文化活動にも,障害者は身体障害をもたない人と同様無限の便宜を与えられるべきであろう.文化的分野でもいろいろ実行されているが,欠けていると思われることがある.一方では,障害を持つ芸術家を広く一般の人に知らせることで,もう一方では,文化面で活躍 するすべての人が障害者の要求をすすんで認める態度である.この分野でのコミュニケーションの改善が必要である.
障害者にとって,旅行は多くの場合まさに冒険である.交通機関やホテルは決して彼らに便利なものではない.車いす利用者は,敷石や階段にぶつかればお手上げである.視覚障害者も付添いの助けがいるのは普通だし,脳性麻痺をもつ人は,障害ゆえに他の旅行者やホテル宿泊者に拒絶される.残念ながらこれは作り話ではない.悲しい現実なのである.
だからこそ私たちは障害者の願いや要求を広く人々に知らせ続けねばならない.
障害者も普通のレジャー活動に参加できるのだ.必要なことは,保護ではなく,励ましであり,単なる親切な忠告ではなく,実際の財政援助であり,彼らの成果が社会に認識されることである.
今日,一国の潜在力はその国の経済的業績で評価される.成長率,国民生産力の増加,通貨の安定性,貿易収支などが評価の基準となっている.しかし私は国や社会が別の基準で評価される未来が来ることを期待する.障害者,老人,民族や宗教による少数派のような恵まれない人たちに与えられる発展の可能性によって,国や社会の評価が決まる未来を願う.RIおよびRIレジャー・レクリエーション・スポーツ委員会の働きによってこの夢の実現に一歩でも近づけると私は確信している.


障害者のための地域スポーツ

―リハビリテーションの成功のために―

COMMUNITY‐BASED SPORTS FOR DISABLED PEOPLE TO ENSURE THE SUCCESS OF REHABILITATION

Hans-Joachim Roesener
Federation of German Pension Insurance Institutes〔VDR〕,FRG


障害者のためのスポーツの起源

当時「障害者のための競技」と呼ばれた障害者のためのスポーツに仲間を集めて最初に取り組んだのは,第二次世界大戦から復員した傷病軍人たちであった.世界中で世代を問わず被害を受けた大惨事後の廃墟から,新生の息吹きが育って来ていたのだということもできるであろう.「同じ苦しみをもつ仲間は不幸に対して慰めとなる」というローマの諺があるが,人は周囲に自分以上に苦しんでいる人がいると,自分の苦しみが軽減されるものなのだ.
ドイツ連邦共和国ではかなり以前から,傷病軍人保護政策および法令による不慮の災害保障によって,各地の地域スポーツ団体が規模の大きな組織へと発展して来ている.障害者のためのスポーツは長い伝統をもち,今日では,各種の施設で設けられているドイツ社会保険の全加入者がこれに参加している.これが今日の論題の出発点である.

一般的なスポーツおよび理学療法とは異なったものとしての障害者のためのスポーツ

障害者のためのスポーツは,リハビリテーション・スポーツ(機能回復のためのスポーツ)として見た場合,広い意味での医学的療法である.リハビリテーション・スポーツにあてはまる一般的な療法上の原則がいくつかある.
その第一は,身体に障害がありその結果機能に制約があることは,医療上の管理や特別に訓練を受けた指導員を必要とするということである.目標は,普通のスポーツグループに完全に復帰を遂げることである.
これがリハビリテーション・スポーツが障害者のための一般のスポーツとも,また理学療法とも異なる点である.障害によるハンディキャップがあり,またその状態は変わらないのだが,障害者が一般のスポーツをする場合には,その運動中に管理や指導を必要としない.理学療法の場合はさらに徹底して機能中心で行われる.通常個人単位で治療が行われ,小人数のグループで治療がなされることは例外的である.
リハビリテーション・スポーツは個々のケースに応じて指示がなされ,適切な処方と管理のもとに行われねばならない.訓練は,運動能力,持久力,柔軟性,筋肉運動整合性,そして制限つきであるが体力を向上させることを主目的としている.障害者のためのスポーツは,競ったり功績を挙げたりすることが主目的ではないので,力やスピードは二次的なことにすぎない.

リハビリテーション・スポーツの生理学上および心理社会学上の機能

リハビリテーション・スポーツは特定の訓練運動をすることによって全身の順応反応を引き出すのが目的である.機能や形態が変化すると,効率が高められ,圧迫や緊張に対する耐性が増し,機動性が向上するのである.目指すところは制約を受けている力をより有効に使うことである.
心理的な要素もまた重要な役割を果たす.自分の身体的な能率に自信がもてるようになると,恐怖心や精神的な緊張が和らいでくる.自分の健康状態が良い方に向かっていることに気がつくと,グループで話し合う時でも一対一で話す時でも自信がついて来て,情緒が安定するのである.このように,スポーツは療法全般の効果を向上させる媒介としての役割を果たす.

地域におけるリハビリテーション・スポーツの特別な意義

「機能回復は病床から始まる」とは,ドイツの社会保険を構成しているさまざまな団体で,災害保障の際に最もよく実行されている金言である.これには,医学,職業,社会リハビリテーションが含まれており,リハビリテーション・スポーツはこれら3つの面すべてに関係をもっている.しかし,学際的なリハビリテーションのための特別診療が適用されるのは通常リハビリテーションの初期段階の4~6週間にすぎない.だが慢性疾患の患者や障害者のためのリハビリテーションは,生涯にわたるケースがほとんどである.
従ってリハビリテーションが成功するか否かは,病院での治療が完了したのち,医療センターで行われたリハビリテーションの方法を患者の家庭環境に移すことができるかどうか,またそれがどのようになされるかにかかっている.長期にわたる疾病や障害のもたらす不利な条件が克服されるかどうかは,明らかにこの患者の社会環境によるのであり,リハビリテーション・スポーツが大きな意味をもってくるのもここなのである.身体的,心理的要素がリハビリテーションの初期段階においてその方法を引き続き効果的なものにするための一助となる.健康上大切な行動を向上させる目的で教えられ習得したことを,ここでは臨床的な管理を受けずに続けていかねばならない.
地域のリハビリテーション・スポーツのグループは,孤立感や無気力感を防ぐ機会を与えてくれる.集団の中で,社会的,個人的な触れ合いができ,仲間意識が形成される.これが原因となり基礎となって,新しい自尊心が形成され,また人生に対する態度が変化し,私生活や仕事場での日常生活にも影響が及ぶようになるのである.

ドイツ連邦共和国におけるリハビリテーション・スポーツの組織と運営

ドイツ連邦共和国には,数多くの疾患や慢性の病気の患者のために,それぞれに適したリハビリテーション・スポーツの団体がある.気管支喘息,パーキンソン病,真性糖尿病,多発性硬化症,ある種の心臓疾患,高血圧症,精神病,ベヒテレフ病,他のリューマチ性の病気の患者,また透析を受けている人たち,車いすを使っている人たち,さらには癌のアフター・ケア中の人たち―乳房切除や喉頭摘出を受けた人,骨癌の患者,血管に疾患をもつ患者などがあげられる.
多様化する課題に対処して,組織のタイプもさまざまである.例えばスポーツ・クラブの特別クラスであったり,障害者用スポーツ・クラブの一部門であったり,独立したクラブであったり,また個人病院,大学の研究所,地域の活動グループ,自助組織などに関係をもつ団体もあり,医院やグループでの訓練所に関係しているものもある.ここは,特殊な疾患に関する理論や訓練,またスポーツへの参加がその疾患に及ぼす効果について詳述する場ではないので,心筋梗塞や高血圧患者の交感神経緊張を和らげる,真性糖尿病患者の血糖値を下げ,インシュリン投与量を減らす,またリューマチの場合には関節の可動性を向上させる,などの効果が見られることに言及すれば十分であろう.
ここで強調しておきたいのは,スポーツ活動が原因となって健康状態が向上することも重要であるが,それは自覚できる実際的な効果の一部にすぎないということである.スポーツ活動の結果として身体の能率が高まり,精神が安定し,そして社会人として一般社会に溶けこめるようになってはじめて,すべての条件が充たされるのである.
欠くことのできない条件は,リハビリテーションを受ける側の,スポーツ・グループに積極的に参加する意志である.多くの場合必要なのは,まずこのすすんでやる意志を促すことで,ドイツ連邦共和国ではそれがリハビリテーション・クリニックの一番大切な仕事になっている.病気の段階が行動のパターンを変えるのに特に望ましいのであるが,この時期に患者に興味をもたせて,自分に合った適切な練習計画に従って,地域のリハビリテーション・スポーツのグループに参加できるように準備をするのである.また,家族や周囲の人たちが協力してこの相談に参加するのも大切なことである.
リハビリテーション・クリニックの医師たちは,患者に上のような指導をする以外に,病院でのリハビリテーションの期間中に家庭でリハビリテーション・スポーツへ参加することが必要だと診断された場合に,これを処方する立場にもある.スポーツを処方することは,リハビリテーションを持続させることに役立つのである.

問題点

リハビリテーション・スポーツ・グループのネットワークは,ある面では立派に運営されており,かつ個人的参加も多いにもかかわらず,組織運営には不十分な面もある.
3つの側面について述べてみたい.

  1.  リハビリテーション・クリニックは,リハビリテーション・スポーツの処方を十分に活用しているとは言えず,従ってリハビリテーション・サービスの提供者側の費用負担を保証することに対しても消極的である.この点で,関係医師たちはリハビリテーションの継続の必要性および家庭においてリハビリテーションが確実にうまく行くようにすることに,もっと関心を払うべきである.同様に,スポーツ医学の知識をもっと持つことが絶対に必要である.治療に関して信頼できるアドバイスを与えるためにはそれが不可欠である.
  2.  リハビリテーション・スポーツ団体の組織網はまだ十分に広範囲にわたっているとは言えない.心臓病患者のための各団体(現時点で約1,700)とリューマチ患者の各協会のみが全国的なコミュニティ・ケアの対象範囲にあるにすぎない.これ以外の病気の患者に対しては,地域によって相当の格差がある.国中のさまざまな病気に対応してスポーツ団体の組織網を確立させることが実行可能かどうかについては疑問があるが,少なくとも,比較的一般的な性格をもつリハビリテーション・スポーツを特別な訓練運動やスポーツの範囲でするような団体をつくり,大切な地域レベルでの保護を積極的に保証することは可能であろう.
  3.  一般的に言って,現在あるスポーツ団体のすでに利用できる設備を,リハビリテーションを受ける人たちが十分に利用しているとは言えない.リハビリテーション・クリニックで,医師からアドバイスや処方を受けたにもかかわらず,多くの障害者はその後家庭でスポーツに参加していない.調査によると次のような理由が挙げられている―適当なスポーツ団体が都合の良い場所にない.十分に時間がとれない.練習と自分のスケジュールが合わない.プログラムや計画案に不満がある.クリニックで指示してもらったのに,かかりつけの医者がスポーツ参加に反対する.健康状態が悪化している.スポーツ団体に関する情報が不足している.

運営上のプログラムへの言及は別として,障害者たちが挙げた理由は,リハビリテーション・スポーツに参加する熱意が不足している気持ちのかこつけであることが多い.さらに意外なことは,これらの患者の多くが病院のリハビリテーションでやっていた訓練については,まったく前向きの意見を述べていたという事実である.入院中以上に患者たちを指導して意欲を起こさせる必要があることは明白である.調停役として適切な関係者のグループに加えて,特に良き指導役として患者を動機づける役割を求められるのは,患者のことを一番よく知っていて絶えずその世話をしている主治医である.
リハビリテーション・スポーツの指示を受けながらまだ実行していない患者を,ソーシャル・ワーカーが家庭訪問をするプロジェクトが試験的に行われ,見通しの明るい成績をあげている.
私の考えを以下に要約してみよう.
従来より,障害者の生き方の向上を目指した活動が公的,民間の双方で広まって来ている.特にリハビリテーション・スポーツの団体は,これらの人々の長期の職業復帰,社会復帰に少なからず貢献をしている.障害者の生活の中で社会復帰を現実のものとするためには,地域におけるリハビリテーション組織を改善し,関係者がもっと熱意をもつようにすることが絶対に必要である.必要なのは新しい法規ではなく,リハビリテーションを行う中で,関わりをもつすべての人がもっと努力を傾けることである.人間として不十分なことを認識することが,よりよい状態へすすめる力となるのである.


障害者と創造的活動

CREATIVE ACTIVITIES FOR DISABLED PERSONS

Finn Christensen
Viborg Amtskommune,Denmark


人々は,工業化され専門化された世界にあっては,分類された個別の機能に基づいた性質によって理解されることが多い.このことが我々の制度や施設,そして障害者のための援助・サービス組織の背後にある人に対する見方を特徴づけている.
保健サービスは人々に生存のための援助を提供し,栄養管理,健康管理そして治療が基本となっている.障害者もまた,この制度の恩恵を受けることがある.社会制度は衣・食・住のような,人間の基本的ニーズの充足を保障している.教育制度の目的は人々に物事を理解する可能性を与え,その社会の土台となっている技能,知識および経験を発展させ,伝達していくことである.文化的な組織や施設を通して,社会の基本的な要素である価値,行動の道筋,様式,歴史,そして人に対する見方が生まれる.社会の基本的な要素である.
これらの諸制度はまた分類体系を示している.人々は第一に生存することを保証され,その後に安全を,さらに教育による発達を保証されるのである.そして最後に,文化の機能や価値が考慮される.この分類体系は基本的なものとしての文化面の価値についての知識や関心を制限してきたが障害者のリハビリテーションに関連したことについても同様である.
人間を身体的,社会的ニーズのみに基づいて定義することはできない.歴史,宗教,言語,自然および人々の考え方が決定する文化に属している.文化との関係なしには,価値や影響を体験することは不可能である.文化との関わりをもつ方法は,自主的に自分で選択した活動を積極的に行うことである.成功したリハビリテーションは,必ず文化的な生活と深い関わりを持っている.
文化的な活動は創造的な活動と相等しいものである.創造性とは,何か新しく,独自なことを創出し,それを遂行していく能力である.創造性はその人の自信を築き,成長させる.障害者にとって,劇場や美術館,映画,ビデオ,音楽,ダンスおよび芸術に関連する創造的な活動の持つ可能性は大きい.
障害者は以下のことを保証されるべきである.

  1. 文化的施設や文化的活動の利用および参加
  2. 移動-自分で移動する際の必要に応じた援助
  3. 文化的な催しについての情報および催しに参加する際の援助
  4. 障害者,特に精神薄弱者,精神障害者の特別活動への参加

創造的,文化的活動に参加するということは障害者がそれらを単に与えられ,楽しむだけではなく,彼らが演じ,他の人の関心を高め,社会における役割を果たすことでもある.文化的な意味において,障害者は自らの特別な人生体験を生かして,人々の生活の向上と保護に役立ち,また深い理解を示すことができる.
障害者が創造的活動へ積極的に参加することにより,それぞれの障害者の持つ困難と,独自の価値を持った一人の人間としての障害者の両方についての(人々の)理解と受容が生まれる.それはまた障害者の意味ある人生を可能にする.
これはリハビリテーションの成功のために基礎となるものである.同時に,創造的,文化的活動は障害者に新しい可能性を開く.創造的,文化的活動への障害者の参加に今まで以上の重要性が置かれるように,優先順位が変更されなければならない.


障害児の生活環境におけるスポーツの現状

―障害児の水泳―

SPORTS ACTIVITIES IN THE QUALITY OF DISABLED PEOPLE'S LIFE:SWIMMING FOR THE HANDICAPPED

矢部 京之助
名古屋大学総合保健体育科学センター


紀元前3000年頃の中国では,治療を目的とする体操が用いられていた.毒矢で負傷した将軍の腕を手術した後に,回復をはやめるために健側肢を使ってテーブルゲームが行われていた.
スポーツ活動や身体運動は児童の生理的・心理的な発達を促すために重要な役割をはたしている.子供達は発達を願うならば活動的な運動を体験すべきである.身体経験の乏しさが障害児の発達を遅らせる要因である.たとえば,盲児の体力は日常の活動水準が低いために晴眼児にくらべて低い.
身体運動能力を表す最大酸素摂取量(VO2max)についてみると,精神遅滞児(MR)の値は健常児(NORM) の60~80パーセントである.このMRとNORMのVO2 maxの差は年齢の増加とともに増大する.健常児に比して身体運動能力が低いのは日常生活における身体活動の不足によるものと思われる.体力トレーニングとスポーツ活動は,障害児の体力を発達させるために不可欠である.
日本における身体障害者のスポーツは,医学リハビリテーションの一環として発達してきた.1964年の東京オリンピックを契機として,障害者のスポーツは普及してきた.しかし,いわゆる「保護より機会」の理解が必要である.ここでは,発達障害を持つ子供の水泳運動について述べる.

障害者の水泳

身障者にとって陸上での身体活動は困難であるが,水中での身体活動は彼らに自由な世界を体験させられる.水泳はあらゆる種類の障害者にとって有益な運動と言える.
われわれは1976年以来,毎日曜日に春井市のNASスイムスクールで脳性まひ児と精神遅滞児の2つの水泳教室を開催してきた.参加者は3~12歳の脳性まひ児約30名と,精神遅滞と自閉症児の約30名である.指導スタッフは障害者の両親,水泳指導員,医師,運動生理学者である.
アテトーゼ型の脳性まひと,てんかん発作のある脳性まひ児は知覚刺激に対して敏感である.冷水は筋の過緊張をひきおこす.水温は約30度,室温は水温の1~2度プラスが適当である.水深は80~90cmが必要である.水泳訓練の時間は,重度障害児では体力が低いので30~40分,軽度障害児では60分程度が適当である.

脳性まひの水泳

水泳運動は循環系機能と身体運動能力を向上させる効果がある.水の浮力が体重を支え重力とバランスが保たれることになる.この支えがリラクセーションを産む.水泳運動は脳性まひ児にとってレクリエーションと治療運動になっている.
1986年の厚生省の報告によると,全国の身体障害児は9万2,500人と推定され,そのうち30パーセントが脳性まひ児である.したがって脳性まひの治療スポーツが望まれる.脳性まひ児の水泳のねらいは次のとおりである.すなわち,水中での運動を楽しむこと,リラクセーションを身につける,神経筋のコントロールとからだのバランスを覚える,関節の可動範囲をひろげる,全身持久力,筋力,パワー,敏捷性を発達させる,集団練習に参加し仲間を作る,スポーツの楽しさを通して自信を獲得することである.
水泳クラスの前半は,水慣れと治療運動,後半は障害の程度と水泳能力に応じて3つのグループに分けた水泳訓練である.
運動機能の発達に先立って,心理的なトレーニング効果があらわれる.心理的効果は,行動の改善,忍耐力と集中力の獲得である.しかし,障害児の水泳効果を評価するためには長いスケールでみなければならない.

精神遅滞と自閉症児の水泳

精神遅滞と自閉症児の水泳のねらいは,彼らが運動機能の障害を持たないので水泳の技能と精神面や感情面の改善を得ることである.たとえば,列を作る,補助者が自分の両親でなくとも泳ぐ,グループ練習に参加する,一人でも水泳教室に参加することである.
指導プログラムは脳性まひ児のクラスとほぼ同じである.上手に泳げるようになった障害児は,健常児のクラスにも参加している.われわれの教育理念は,分離ではなく統合である.

水泳運動中の運動強度

水泳運動によって運動機能の向上と精神発達が期待される.画一的な指導プログラムを与えることは,障害児の多様化と重度化のために効果的でない.効果的な水泳教室を運営するためには,適切なプログラムと運動強度に考慮しなければならない.全員に同じプログラムを与えても生理的な反応には大きな差があらわれる.心拍数は身体運動能力を調べるときに,酸素摂取量の間接的な測定法である.水泳訓練中の運動強度は心拍数の変動から知ることができる.図中の上のトレースは重度アテトーゼ型脳性まひ(10歳女児),下のトレースは重度痙直型脳性まひ(9歳・女史)である.同じプログラムに参加しても脳性まひのタイプによって異なった生理的反応があらわれることに留意すべきである.
テレメーターを利用することによって7~11歳の脳性まひ児8名について水泳教室の開始前,運動中,終了後の心拍数を記録した.水泳クラス中の最高心拍数は,128~198拍/分に分布した.水中における平均心拍数はアテトーゼ型では146,149,163拍/分であり,痙直型では99,105,119,119,121拍/分であった.アテトーゼ型の方が痙直型よりも心拍数は高くなる傾向である.

(グラフ)心拍数

2名の脳性まひ児の水泳運動中の最大酸素摂取量を測定した.6歳男児の歩行不能の重度脳性まひでは訓練終了時に0.298l/mm,8歳男児のランニング不能の軽度脳性まひはクロール・ストローク中に0.753l/mmであった.トレッドミル歩行時に得られた最大酸素摂取量(45ml/kgmm)は,同年齢の健常児(39ml /kgmm)に比べて,高い値である.痙直型の脳性まひ児は歩行中の酸素摂取量が高いと言われている.それは効率が低いことである.しかし,われわれの結果は,水泳運動による最大酸素摂取量が高いことは体力が向上したことを示唆するものである.

まとめ

水泳教室に参加することによって運動機能の発達と行動の改善がなされたことは明らかである.さらに,競技スポーツと市民スポーツの区別をする必要がある.スポーツ活動に参加する際には,体調や体力に注意を払わなくてはならない.
障害児の体力には個人差が大きい.健康と施設の安全性の管理に留意した状態で障害者のスポーツ活動をすすめる必要がある.
身障者の生活環境におけるスポーツ活動を促進するためには,指導者の養成と施設の開設が急務である.


アジア・太平洋諸国における障害者スポーツの将来

THE FUTURE OF SPORTS FOR THE DISABLED IN ASIAN & PACIFIC COUNTRIES

York Chow
Sports Association for the Physically Handicapped,Hong Kong


地理的,文化的,経済的等の要因および国家制度の違いによって,アジア,太平洋諸国における障害者スポーツ,レクリエーションの発展は大きく異なっている.障害者が自由意志で余暇活動に参加できる機会を十分に持っている先進国以外の国の大多数は,まだ多様なリハビリテーション上の問題に直面している.ほとんどの国々では,社会的偏見,住宅の不備,教育や雇用の機会,移動やアクセスの困難等がさまざまな程度で存在している.1986年に香港の障害者スポーツの競技者について行った調査は,我々の隣国の多くに多分,共通していると思われるこれらの問題の一部を浮かびあがらせた.
大部分の国では,障害者スポーツの(普及)運動は通常医学的リハビリテーションの専門職や障害者団体によって先導され障害のカテゴリーに準拠する傾向があった.障害者スポーツの発展に有効な協力を行い,総括する連合体がある国は多くない.少数のアジア,太平洋の国々がこのグループに属するのみで,実際のところ,多くの国々は,いかなる障害のカテゴリーについても政府から公認されたスポーツ団体をいまだに持っていないのである.
障害者にとってスポーツが有益であることは明白であるにもかかわらず,それに他のリハビリテーションサービスと同等の優先性をおいている政府は少ない.スポーツおよびレクリエーションは人生のごく自然なそして統合的な部分であるが,教育,住宅,雇用等と違って,この福利を金額や数字によって表現することは出来ない.それゆえに,何らかの発展をはかるためには国の政府に対するこれまで以上の強い働きかけが必要である.
いくつかの国際的な管理機構が行ってきたことは,これまでのところ,さほど途上国の助けになっていない.競技規則,規定や分類体系の頻繁な変更は最近多くの混乱を引き起こしている.現在の国際調整委員会 (ICC)はそれらの管理機構をひとつ屋根の下に統一する役割を果すことが出来なかった.
アジア,太平洋地域における(障害者)スポーツの振興はFESPIC(極東南太平洋障害者競確連盟)と,故中村博士によるRESPOと大分マラソンの開始に大きく依存してきた.この地域の開発途上国はこれらの競技会への参加,競技計画の作成を通じて,経験や専門的知識の交流による利益を得てきた.しかしながら,技術的な援助は一般にまだまだ不足している.IFSD(国際障害者スポーツ財団)によって組織されたマレーシアのワークショップでは正しい方向に向けた重要な一歩が記された.
ICCにおいて起こりつつある変化に伴い,我々の地域の障害者スポーツ,レクリエーションの促進における,それぞれの国際的機構の果たす役割を考察することも時宜にかなったことである.以下の提案は関連する諸機関や各国内機構から示された意見を考慮したものである.

1. RI
我々の地域の多くの国々では障害者スポーツが依然としてリハビリテーションと強く結び付けられているので,RIはそれぞれの国で障害者スポーツを開始し,促進する可能性のあるリハビリテーション機関のすべてに対し,情報普及センターとして役立つには最適の立場にある.情報は連絡先,活動内容,競技種目,新しいスポーツの形態,開発経験を含むべきである.RI内部の他の委員会とともに,各国政府や各省に働きかけ,障害者スポーツ,レクリエーションの重要性を強く訴えるべきである.

2. 国際的団体(将来のICC,IFSD,その他の国際的連合体)
これらの団体は障害者スポーツを世界中で促進するために,特別な開発委員会を設置すべきである.競技規則や規定は随時でなく一定時期に(例えば4年ごとに)制定したり修正すべきである.工学や医学分野の職員に訓練を実施していくために,技術に関する教育や訓練のための教材(書物,スライド/視聴覚用,ビデオテープ,映画)を準備すべきである.開発途上にある多くの国が国際的な催しに参加できるように,例えば,オブザーバーや準会員の地位を与えることによって,その会員料金を適正な水準に保つべきである.定期的なワークショップは地域的な連合体や各国機構の協同によって組織することができる.

3. FESPIC
この連合体は間違いなく,我々の地域の発展に重要な役割を果たすであろう.4年ごとの競技会に加えて,セミナー,ワークショップ,招待試合のような開発プログラム,そしてまた,いろいろな国々を訪問し,スポーツを公開演技し,技術的なアドバイスを行う代表団は直接的な好ましい結果を引き出すであろう.また,常設の会場を設置するという構想も,開発のための長期的計画のひとつとして検討されている.

4. 各国機関や団体 各国は利用可能な資源,施設やマンパワーを基礎として,最大の関心や支持を引き出すような特定の障害者スポーツの開発を目ざすべきである.多くのスポーツは高価な設備を必要としない.国内的にも,国際的にも認められるために,そして,その後に地域や国際的連合体からの技術的な援助を得るためには,国内の類似の組織との協力をはかることに努力するべきである.

結論として,今後の発展が成功裡になされるためには,上に述べたすべての連合体が協力し合い,ひとつにまとまることが重要である.

〔参考文献〕

  1. Guttmann,L.Textbook of Sports for the Disabled.
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  4. Fang,H.The First International Meeting on Leisure,Recreation & Sports for the Disabled. RESPO,1984.
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  6. Vermeer,A.Sports for the Disabled‐Proceedings of International Congress on Recreation Sports & Leisure,RESPO 1986.
  7. Stewart,M.The Handicapped in Sports, Clinics in Sports Medicine,March 1983.

リハビリテーション・サービス消費者の生活の質

QUALITY OF LIFE OF REHABILITATION CONSUMERS

H.I.Day
Faculty of Arts,York UniVersity,Canada


職業リハビリテーション

リハビリテーション中のクライアントのために作成されたプログラムの大部分は,職業リハビリテーションに重きが置かれ,彼らの生活の他の側面はないがしろにされる傾向がある.障害のない人と同様に,障害を持つ人々にとって,最終目標および興味は生活にあるのであって,仕事それ自体にあるのではないという事実を無視しているように思われる.
実際「リハビリテーション」と「職業リハビリテーション」という言葉を,交換可能な言葉として使っている場面を目にすることが少なくない.
例えばBitterは,アメリカのあるリハビリテーションに関する手引書の中で,リハビリテーションと職業リハビリテーションとの相違を無視することから始めている.彼は前者を,「障害者が職業的順応性を身につけることを促進するために作成された設置目標であり,個人個人に合わせた一連の援助手段である」と定義づけている.また,次の頁では,「もしそれが成功すれば,障害者を,賃金を稼ぎ,税金を払うことのできる生産的な社会の一員となす有益な活動になる」と続けている.しかし同著の後半でBitterは,「障害者のために自立生活サービスに,より重点が置かれる傾向がある.職業リハビリテーションという言葉は,法律的にも,役所の名目上も,そして文献的にも,次第にリハビリテーションにとってかわりつつある」と認めている.ここでは,彼の立場は,職業リハビリテーションは,リハビリテーション全行程のただ一つの面だという観点に立っているようである.
しかしこの分野での他の人たちは,リハビリテーションが,障害のある人を労働力に吸収することとはかけ離れたことだと書いている.例えばNeffは,仕事とリハビリテーションについての著書の中で,働く個人についての見解を発展させている(仕事と人間の行動, 1977年).彼は,仕事に関心を持っているのは無論のことだが,人間を,成熟した,よく統合された存在,また自分自身や社会に対して容認できるやり方,すなわち他の人から尊敬され,自らも高い自尊心をもつことができるような形で,生活のあらゆる分野において行動できる存在だと述べている.
ゆえに,リハビリテーションという言葉を,もっと広い意味で定義づけ,リハビリテーション・サービス利用者の生活のいろいろな面を含むようにすることが,リハビリテーションの専門家としての私たちの責任なのである.
リハビリテーションにおいて,職業的側面に重点が置かれた主な理由として,次の2つの興味深い事実をあげることができる.まず第一に,リハビリテーション・プログラムの多くは,政府の資金あるいは,利益を得ることや税金等に最も関心を持っている一般の団体の寄付によって作られるということである.第二の理由は,カウンセラー自身のバックグラウンドや,職業倫理に対する執着によって生じていることが考えられる.例えばカウンセラー自身が,リハビリテーションの仕事を遂行する過程の中で働いており,仕事というものが彼らにとって,価値のあるゴールであり,クライアントの生活の中においても強力な補強策になるものだと信じている.
しかしながら私たちは次のような現実を認識しなければならない.すなわち,世界中には障害がなくても働いていないばかりでなく,これからも決して働かないだろう大人たちが何百万人もいるという事実である.
カナダやアメリカ合衆国のような先進工業国における政府の統計では,失業率が10%以下だという数字を好んで発表している.しかしこれらの数字は誤解を招きがちである.なぜなら,その数字は現に仕事を探していて,名簿に登録している人の数だけを反映していて,それらには仕事と縁のない人々,特に生活保護を受けている人々,障害のある人々の数は含まれていないのである.そして,以前に働いたことのある女性の数は含まれるが,雇用の分野からとり残された家事労働者の数は含まれていない.
リハビリテーション・センターを出ていった151人のリハビリテーション・サービス利用者について最近行った調査によると,そのうち100人は働いていないし,またどんな職業紹介所にも登録していない.彼らは何とか職を得ようと努力したわけではないし,そのうちの66人は働きたくないか,全く働くことができないかのどちらかである.働いている51人のうち42人は単なるパートタイマーとして働いている.
従って,職業リハビリテーションは,リハビリテーションの過程の中で好ましいゴールではあるかもしれないが,多くのクライアントたちを無理に労働力に組みこむことによって失敗させてしまうことがないように,それが選択の余地のない唯一の目標であってはならない.リハビリテーションは,仕事にない,しかしある程度の質を持った生活にもっと重点をおくべきである.

生活の質

生活の質(Quality of Life)」という概念は,誰もが話したり書いたりする際に,そのことについて少しふれなければならないと感じる程に人気過剰になっているというのが最近の傾向である.そして他の人気過剰の概念と同様に,その意味ははっきりしなくなり,その由来があいまいになり,興味本位な部分や誤解されやすい部分が濫用されがちである.
その概念の起源を探ってもその始まりを確認することは出来なかった.それは第二次世界大戦後,経済学者や「国家の福祉」に関係した人々が発案したもののようである.最初の「質」は明らかに国民生活の客観的な性質のことがらに関連していた.公害のような否定的な指標を含めて,国の経済成長,消費,住宅や他の資源の供給など.その言葉は(生活の質の測定は最初まったくアメリカ独自の発明だと考えられていたので),現在と過去の水準を比較するために,国家の福祉のいろいろな面を測ることに使われていた.その後,他の国々の社会学者たちが,アメリカを比較の基準として用いて,それぞれの国の生活の質を測り始めた.
生活の客観的な領域を反映する概念として,国の犯罪統計,失業率,住宅,教育,保健の数字を読むことによって生活の質が測定された.この中のあるものは人間生活の質を下げ,またあるものは上げていると考えられた.
しかし1970年代になって,社会学者や心理学者たちが,生活の客観的状況と,幸福に対する主観的な考え方との相関関係は密接なものではなく,むしろかなり希薄なのではないかと主張し,期待感こそが生活の質を測る上での決定要素であることは明らかであると論じた.
この傾向は生活の質についてのより意味の深い定義づけに反映されている.例えばSzalai(1980年)は生活の質に関する質問を,「ごきげんいかがですか」というあいさつの問いかけと同等に考えている.彼は生活の質を調査研究することは,人々に現在の生活について,あるいは,できるならばその人の全生涯についてどう感じているかとたずねることだと論じている.「まあまあ良い」とか,「かなりみじめである」とか,「全く満足してる」というような全体的な答えを引き出した後で,個々の人になぜそのように感じるのかとたずねることによって,調査を進展させることができるとしている.
このように彼は,健康,仕事,経済状態,結婚,環境の質,政治情勢等個人の幸福に影響を与えると考えられる要素や分野を確認することによって,生活の質の指針となるものについて研究している.人々の答えは確かにさまざまで,各々の分野に割り当てる比重も個々人で違っている.しかし,これらの要素のすべてが「ごきげんいかがですか?」という質問に対する答えに,ある程度の影響を与えている.
生活の質についての研究者は,「あなたは現在の生活にどの程度満足していますか」というただひとつの質問をすることによって,差異を見つけ出す傾向にある.答えが10段階に分かれている.結果は,質問は意義のあるものであり,思慮深い自己評価を正当に表現していることを示している.実際,同じ質問を修正したものが,人々の生活の他の分野,すなわち,仕事生活,家庭生活等の質をこのような方法で多くの領域を比較しながら調査するために使われてきた.

調査研究報告

私は,過去8年の間に障害を持つ人々の生活,余暇,仕事の3つの分野の調査研究を行ってきた.これらの研究で,対面調査の一部は生活全般の満足度や彼らの将来の希望を明確にするために行われた.
1回目の調査(1980年)では,2年以上前にリハビリテーションをすませた151人のリハビリテーション・サービス利用者と面接した.2回目の調査(1985年)では,リハビリテーション・ワークショップに参加中の80人のクライアントたちに面接し,最新の調査(1988 年)では,リハビリテーション・ワークショップの最中にいるクライアント62人に面接を行った.
面接を受けた人々は,自分達を身体的,情緒的,発達上そして社会的にも障害があるとみなしているが,ここでの分析では,障害のタイプ別での大きな相違はなかった.そしてこれらの3回の調査を通じて,何らかの理由でリハビリテーション・プログラムをすでにやめた回答者も,現在リハビリテーション・プログラムの途中にいるクライアントと似たような答えを出した.
カナダ人の生活の質について多くの調査がトロントのヨーク大学で行われ,1981年の調査結果は,私たちが行った3回の調査研究と比較するための対照グループとして使われた.次の表1と表2は私たちの3回の調査で293人から得た結果と,トロントで無差別に229 人を選んで行った結果を比べている.

表1 幸福と憂うつ

リハビリテーション
サンプル(293人中)
トロント サンプル
(229人中)
人数 人数 X2
1.大体において,あなたは今どの位幸福ですか
とても幸福 92 31.4 89 38.9
まあまあ幸福 142 48.5 123 53.7
全く幸福でない 59 20.1 17 7.4
293 229 16.9*
2.どの位の頻度で自分が本当に生活を楽しんでいると感じますか
いつも感じる 53 18.1 40 17.5
しばしば感じる 116 39.6 135 59.0
たまに感じる 86 29.4 49 21.4
めったに感じない 38 13.0 5 2.2
293 229 31.4*
3.どの位の頻度であなたは意気消沈したり憂うつになったりしますか
しばしば 60 20.5 10 4.4
たまにする 135 46.1 88 38.4
めったにしない 66 22.5 106 46.3
全くない 32 10.9 25 10.9
293 229 *48.6

*P〈.05

表1は,生活全般における幸福と憂うつに関する3つの質問に対しての2つのグループ間の答えの違いを示している.リハビリテーショングループの20%以上が全く幸福でないと答えているのに比べて,トロントのサンプルでは7.4%となっている.また「時々」ないしは「めったに」幸福と思わない人は,前者では42 %以上に対し,後者は23.6%となっている.また,前者では20%以上の人がしばしば意気消沈したり,憂うつになったりしているのに対し,トロントのサンプルでは4.4%となっている.
これらの3つの質問に対する答えは,「現在の生活に満足していますか」という質問への答えと一致している.

表2 生活の満足度

リハビリテーション
サンプル(293人中)
トロント サンプル
(229人中)
中位 満足 中位 満足 ±
a)現在 6.17 2.28 6.92 1.72 -4.14*
b)2年後 7.72 2.15 6.37 1.91 7.46*
c)長期的見通し 8.78 1.85 8.91 1.35 -0.89
サンプル内の
比較
a)-b) -8.47*
a)-b) 3.24*
a)-c) -15.22*
a)-c) -13.77*

*P〈.05

表2は,リハビリテーションのサンプルグループが,現在の生活により大きな不満を持っていることを示している.しかしながら,近い将来(2年後位)に生活が著しく向上し,より満足できるものとなるだろうという期待感に関しては,リハビリテーション・サンプルの率の方が大きく増加している.一方トロントの一般人のサンプルは,かなり減少している.
ところが,長期間の楽観的な見通しの点で見ると,両グループ共に10の可能性のうち9近くまで期待しており,ほぼ同等になっている.1980年から81年にかけての経済不況と失業率の増加をもって,トロントのグループにおける期待感の減少を説明できるかもしれないが,これらの要素は1980年に面接調査を行ったリハビリテーション・サービスの利用者(151人)には影響を及ぼしていない.
この3つのリハビリテーション・サービス利用者のサンプルグループは,一般の人々に比較して幸福度や,生活への満足度が低いが,特に何の根拠もなく,将来は明るくひらけるであろうという望みを強くもっていることは明らかなようである.ところで私たちは,彼らのニーズに応えるため,最も適切なやり方で役に立っているだろうか?
生活のさまざまな領域での彼らの満足度をたずねた結果,表3のようなデータが出た.
各領域はその満足度の高い順に並べられている.リハビリテーション・サービス利用者は彼らの生活の中で,家庭面,社会面で最も満足しており,収入面で最も不満を表明していることがわかる.

表3 さまざまな領域における満足度(1988年の調査)

中位 満足 全体との関係
全体 6.17 2.28
家族関係 7.42 2.49 .243*
友人 7.06 2.65 .252*
夫婦間の地位 6.66 3.17 -.109
仕事 6.52 2.73 .358*
余暇時間の量 6.50 2.55 .414*
健康 6.47 4.14 .299*
自己 6.44 2.65 .330*
余暇体験の質 6.29 2.67 .353*
収入 4.92 3.05 .221*

*P〈.05

しかしここで言及すべきことは,彼らが余暇体験の質に比較的不満を感じていることである.さらに仕事と余暇の領域の方が家族関係や友人関係の領域よりも,全体的な満足度により密接に関連しているということである.
できる限り最善のリハビリテーションを供給するのであれば,プログラムの中に特に余暇時間を最大限に活用することを含まなければならないことは,このデータが明らかにしている.リハビリテーション・サービス利用者の大多数は,達成感や自らの存在感を得られるような十分な収入のあるフルタイムの仕事につくことはできないだろうということを,私たちは十分認識しなければならない.そのかわりに,クライアントらが,収入も技能も少ないが,十分にもてる時間を楽しく過ごし,この時間を有意義な価値あるものにできるよう,彼らの余暇時間の質の問題に取り組んでいく必要がある.


身体障害者スポーツ大会の各方面に及ぼす波及効果について

IMPACTS OF SPORTS GAMES FOR THE DISABLED

木村 哲彦
国立身体障害者リハビリテーションセンター


初めに

先ず,私に発表の機会を与えて下さった会長および座長に感謝の意を表するものです.1964年,東京オリンピックに続き東京において開催されたパラリンピック以降,日本における身体障害者スポーツは年々盛んになりつつある.パラリンピックの翌年から毎年開催されている全国身体障害者スポーツ大会も,今年10月で24回目になる.そして,スポーツ活動に参加することを通して,障害者は社会参加への意欲を燃やし,行政の立場では,社会参加意欲の向上に伴って派生するニーズの拡大に対応することで,社会参加をより増進させる方向に力を与え,市民の障害者福祉に関する理解を深めるための一助としても極めて大くな役割を果たし,結果として障害者福祉の増進に大きく寄与してきた.私達は,社会参加促進運動の成果を問う場面として全国大会を位置付けし,その波及効果を評価し,報告する.障害者福祉の増進のため,障害者スポーツの振興は極めて有効であると信じ,益々の発展のために努力したいと考えている.

スポーツ大会を評価すると

身体障害者スポーツは,当初医学的分野における機能回復のための訓練手段に用いられた.すなわち,医学的リハビリテーションに利用されることから始まったが,その効果は顕著であり,なおかつ健康の維持増強にも効果的であり,さらには社会参加の一助としての拠点作りに,文化的サークルと並び有益である.スポーツ大会も分極化し,リハビリテーションの成果を問うための自治体,国主催の全国大会と共に,競技団体主催の選手権大会を毎年開催するスポーツ種目も増加しつつある現状である.
1.障害者対策全般の変化に見られる影響
スポーツ活動の活性化と相まって,障害者の社会参加にも弾みがつく.家庭または施設の中で,半ば隔離状態で生活をしていた障害者は,スポーツ活動に参加するようになってから積極的に施設外の社会に出ていくようになった.このことが健全な社会のあり方として受け入れられる所となり,行政側での数々の社会参加促進事業の拡大を図る等々,その波及効果は大きい. 1981年国際障害者年も行政効果に側面から大きな力を及ぼしたことは言うまでもないことであるが,主なものを挙げても,1972年身体障害者福祉センター創設, 1973年障害者福祉モデル都市,1979年養護学校の義務制の実施等々,法体系の整備から始まり日常生活用具に至るまで,年々障害者対策は充実整備が進み,障害者の社会参加を促進させる原動力になっていることは万人の認めるところである.
2.障害者意識の変化に及ぼした影響
ここ10年以内に全国身体障害者スポーツ大会を開催した県の中から6県を選び,詳細な検討を行った.5県については極めて顕著な良い結果であり,社会参加促進啓蒙策として最善策であると行政担当責任者は評価している.1県はコメントを避けた.一方,障害者自身はいかなる評価を下したのか.同じく全国大会経験県の障害者で現在もスポーツ活動に参加している29 人の評価によれば,変わった:6,変わらない:9,何とも言えない:14,と渦中の自分達の意識が変わったと考えている者は少なく,極く自然に障害受容が成され,社会参加への意欲が高められる結果になっているのは興味深い.
3.市民意識の変化に及ぼした影響
前項目と同様の県について調査検討した結果では,同様に5県については,極めて顕著な好影響がもたらされたとしている.障害者を避けるという面が減少し反対に障害者を受け入れ,すべての面で差別がなくなる方向に向かっているとしている.しかし,障害者側からみた市民の意識については良い方向に変わったと評価するものは少なく,受け入れが良くなったと評価する以上に,障害者自身の能動的な社会参加意欲の向上によって市民が受け入れてくれるようになったと評価する者が多い.
4.自治体としての認識
同じく,自治体職員の障害者対策に関わる諸問題に対しての姿勢は同様に5県においてより真剣に検討され,きめの細かい配慮を多くの職員がするようになったとしている.すなわち自治体としての障害者対策にも配慮が成され,数々の施策の面にも反映している.然し障害者の目から見ると,明らかに改善されたとするものは上記29人中3人のみであり,9人は全国大会終了後元に戻ってしまったと考え,17人の障害者はどちらとも言えないとの考えを以っており,明らかな対照を示しているのは興味深い.
5.福祉行政面への効果
前述6県および大会開催未経験だが毎年参加の19県における福祉行政担当者の等しく好影響を認める所である.地域全体での社会参加促進の機運を高めるのに良い影響を与えている.健常者・障害者間の交流の機会が増加し,相互理解を円滑化し,福祉行政を担当する者にとって仕事がし易くなったとの評価が高い.一方前述の障害者29人の評価は,行政指導によって変革を遂げつつある社会参加を果たすに当たって,必要な利用施設等の数的増加や,障害者への援助等の増加を挙げるものが多い.
6.医学的リハビリテーションに及ぼす効果
身体障害者スポーツ自体が,当初医学的リハビリテーションの一手段として利用されたほどで,この効果について疑いを持つものは少ない.全国大会出場経験のある前出29人の障害者の場合,自分の身に当てはめて24人が大きな効果かあったことを認めている.5人は自分の場合どちらとも言えないとしている.身体障害者福祉行政担当責任者は,全国大会経験県のすべて,未経験県19の内18県が高い効果のあったことを認めている.現在でも全国大会における目的は,第一にリハビリテーションの成果を問うことである.
7.社会心理的リハビリテーションに及ぼす効果
スポーツ活動に参加すること自体,社会参加に向けて積極性の涵養という面での効果は多くの認める所であるが,リハビリテーションの過程においてもその効用は高く専門家の評価している所である.前出29人障害者の場合も障害受容の面で若干マイナス効果であったする1人,何とも言えない7人を除き有益であったとする者20人で最大であった.行政担当責任者は全員その効用を疑っていない.
8.全国身体障害者スポーツ大会未経験県の評価
自県において全国大会を開催した経験はなくとも,毎年選手を派遣していかなる効果を期待できるかは,常に体験し考える立場にある.自治体として既開催県と異なる点は市民が全国大会を通して直接障害者問題を考える経験をしていないことにある.既開催県と未開催県との間には市民のレベルでの障害者スポーツおよび障害者福祉に考えに差があっても,行政担当責任者の間には差は認られず,等しくスポーツおよびスポーツ大会の福祉行政に与える多大の効果を讃えている.

終わりに

国際障害者年のスローガンであった『完全参加と平等』の遂行のため,身体障害者スポーツの振興に力を入れ,スポーツ大会等の場に障害者も健常者ね相集うのが良い.スポーツおよびスポーツ大会を通して福祉関連の各方面に与える波及効果は,極めて大かい.今まで障害者スポーツにあまり興味,関心をお持ちでなかった方々に,是非ともスポーツ大会への参加を呼び掛けたい.およそを理解できるはずである.百聞は一見にしかず.


分科会SF-2 9月8日(木)16:00~17:30

ニード別課題

アルコール,薬物依存

SPECIAL NEEDS POPULATIONS:THE DRUG AND ALCOHOL DEPENDENT

座長 Thomas Gerad Garner Hong Kong Society for Rehabilitation〔Hong Kong〕
副座長 蜂矢 英彦 東京武蔵野病院


麻薬およびアルコール依存症について

SPECIAL NEEDS POPULATIONS:THE DRUG AND ALCOHOL DEPENDENT

T.G.Garner
The Hong Kong Society for Rehabilitation,Hong Kong


長年にわたる政府,司法機関,医学および看護の専門家,各種専門分野の人たち,その他数多くの関心ある人たちの努力にもかかわらず,麻薬・アルコール依存は,依然として存在するという残念な事実がある.更に不安なことに,この問題は世界的にあちこちで増大している.
なぜそうなのか,少なくとも国によっては,努力不足のせいでないことは確かである.問題の難しさについての認識不足によるわけでもない.過去において,私たちは表面に現われた事だけに対処して来たに過ぎなかったためではないだろうか.近年になって,国際協力と,政府,地域社会の意識の向上のおかげで問題の深さ,昔はわからなかったその重大性が見えて来た.その結果,政治・宗教を問わず,安定,前進そして関心のある人たちの努力などが,重大な脅威を受けることになった.
長い目で見れば,この状況は暗い不幸な運命の前兆では決してない.
今回の日本開催にちなみ,日本で主として1960年代に起きた麻薬中毒追放運動におけるすばらしい成果を,例に取り上げたい.
1972年11月付けの衆議院議員,内閣麻薬委員会委員長中野四郎氏の報告によれば,1950年朝鮮戦争勃発とともに,大量のヘロイン,モルヒネが,米軍人らの手によって,日本に密かに持ち込まれはじめた.1960年から63年にかけて,多数の麻薬中毒者が,組織化された不法商人の商売の的となった.この情勢は手に余るようになり,暴力団員が東京・横浜・神戸・福岡などの大都市の街角に堂々とたむろし,麻薬は大都市の諸悪の根源になった.
何か手を打たなければ国は亡びるだろうということで衆議院労働委員長であった氏は,菅原通済氏の提案を基に,菅原氏と共に対策を練った.(菅原氏は私も個人的に知っていた.)彼は最終的に日本の三悪追放運動の団体を組織した.菅原通済の名は一般にはともかく,この運動でよく知られている.
この政策は次のようなものである.

  1. 密輸ルートの撲滅
  2. 重罰を課す.終身刑も含む.
  3. 一般大衆に麻薬中毒の惨状を知らせ,協力を求める.
  4. 麻薬中毒者を治療施設に送り,公費で治療する.

私がなぜこの話をするのか,そろそろおわかりだろう.つまり,今日多くの国で今大筋を述べた政策の要点を,実際に手本にしているのである.理由は簡単である.政策は大いに効果を発揮した.日本社会を脅かしたヘロイン常用は,たちまち消滅した.報告書が発表されて,およそ16年経った現在の状況は,当時実施された政策の効果を証明するものである.確認はしていないが,日本のヘロイン中毒者数が,二桁になったとしたら,私には驚きである.2年前には5件しかなく,しかもその中3件は沖縄で発見されているからだ.同様に同じ頃か少し前に,韓国でもメタドン常用問題が見つかり,政府は,日本と同じように多角的政策をとって成功した.その結果,メタドンを製造していた多くの薬剤販路が閉鎖されることになった.この分野で,少なくともこのような規模の成績はあまり聞いていないが,これは事実であって,心に留めるべきであろう.
時々私は古い諺を思い出す.馴れ過ぎは悔いを招くしかしアルコールや麻薬中毒の世界に当てはめれば,「馴れすぎは黙認を招く」となるだろう.例えば,家庭における子供の感電死予防を目的とした予防教育を見てみれば,それがこの世の最高の予防教育法だとわかるはずだ.親は,即死の危険を知っているから,どんなことでもして,たとえ小さな幼児にでも,電気のソケットやテレビの裏側に触れる危険を教える.時間をかけて説明することもある.にもかかわらずこの同じ親が,一日の勤めを終え,あるいはショッピングの騒ぎから帰宅すると,冷蔵庫からビール1杯,あるいは,アルコール飲料を調合して飲む.頭痛がすれば,アルコールではなく,アスピリンを取りに薬箱に手をのばす.同じ子供達の前で飲むこのような酒や薬について,子供達に何の説明もない.このような環境にいる子供が,後日チャンスがあった時,飲みませんとは言わずに,麻薬や酒を試しに飲んでしまうとしても不思議はないだろう.
最後に,日本滞在中に世界によく知られている日本のボランティア・アフターケア・ワーカーにぜひお会いになるようお勧めする.


わが国のアルコール依存症者のリハビリテーション

ALCOHOLIC REHABILITATION IN JAPAN

加藤 伸勝
東京都立松沢病院


わが国の年間の酒量消費量は最近の20年間に約2倍となり,飲酒人口の推計は約1.5となっている.推定のアルコール依存症者数は,昭和30年を100(34万人)とすると,昭和60年には553(188万人)となり,実に5倍に増加している(表1).

表1 アルコール依存症者数(推計額田方式)

区分 昭和30年 40年 50年 60年
アルコール
依存者数(指数)
約34万
(100)
83万
(244)
146万
(429)
188万
(553)
飲酒人口
成人男子90%
成人女子45%
約4,440万 4,850万 5,660万 6,353万

一方,精神病院に入院しているアルコール依存症者の年間推定数は表2に示すように,昭和43年を 100(14,720人)とすると,昭和59年では147(21,700 人)で,約20年で1.5倍で,やはり増加の一途をたどっている.
この数値からも分るように,アルコール依存症者の増加に対する治療とリハビリテーションは社会的にも深刻かつ緊要な問題となってきている.
わが国では,過去20年間,アルコール依存症者の治療のための専門病棟の設置が遅れ,現在でも,国立病院2カ所と2,3の県立病院,10数ヵ所の私立精神病院に専門病棟が設けられているに過ぎない.

表2 入院アルコール依存症者数(推計)

昭和43年 50年 55年 58年 59年
アルコール
精神病
1,720人
(100)
3,300
(192)
1,900
(111)
2,400
(140)
3,000
(180)
アルコール
依存症
13,000人
(100)
15,200
(117)
18,200
(140)
24,500
(189)
18,600
(143)
合計 14,720人
(100)
18,500
(126)
20,100
(137)
26,900
(183)
21,700
(147)

昭和38年に厚生省は,国立療養所久里浜病院にわが国では最初のアルコール依存症専門治療センターを開設した.そして,同センターで作成された久里浜方式の治療体系が試みられた.この方式は,その後のアルコール依存症専門病院等の運営のモデルとなった.
その方式は,アルコール依存症者のうち,治療意欲をもち,断酒の意志の認められる者を入院させ,開放的に処遇するというものである.入院期間は3ヵ月とした.もちろん,長期入院より短期入院の方が効果的で,精神療法と作業療法の併用療法が「アルコール依存症リハビリテーションプログラム(ARP)」として日課に組み入れられた.
松沢病院においても,昭和59年から1年間,久里浜方式によって治療を試みたが,この間に入院した128名のアルコール依存症者の予後調査を小林ら1)がまとめた.それによればARPの全過程終了者は76%で,残りの 24%は中途脱落をした.ARP終了者につき,1年後の予後を調査したところ,断酒の続いている良好群は7%で,やや良好群は12%,68%は不良群,4%が死亡,9%が不明となっていて,結果は必ずしも芳しくない.この結果からも分るが,アルコール依存症者の多くは社会で孤立しており,住居も職業も不定なものが多いため,退院後の支持とアフターケアが極めて重要である.わが国では,未だアルコール依存症者専用のハーフウエイ・ハウスや職業リハビリテーション施設はない.そこで,われわれは退院患者に地域内の自助グループ(断酒会)やAAの集会に出席させ,病院の外来への通院を積極的にすすめている.
大阪地区で,自助グループ出席と地域内での相談を行う支持活動を開始した昭和47年から10年間のアルコール依存症者328名(男312,女16)の予後調査を野田ら2)が行っている(図1).

(図1)男性依存症者の生存率および自助グループ参加者と非参加者の比較(野田他)

図1 男性依存症者の生存率および自助グループ参加者と非参加者の比較(野田他)

その報告によれば,予後良好例はアルコール依存症専門施設を退所後,断酒会に出席していた者であった.
それらのアルコール依存者の10年間の生存率を調べて見ると全体では66.3%であり,そのうち自助グループ参加者は83.3%であるのに比較して,非参加者の生存率は52.6%で明らかに前者が勝っていた.
このことからも,アルコール依存症者をその生活環境に適応させ,リハビリテイトさせるには,自助組織等を活用する支援体制が極めて大切である.
東京都においては,斎藤医師ら3)の指導の下に世田谷地区において積極的なアルコール依存症者の支援のためのアルコール問題相談クリニックを1983年から開始している.
斎藤らが行っているクリニックは,アルコール依存症者のみならず,他の支援者,治療者を包括する集団療法的集会で,月1~2会合が持たれる.
出席者はアルコール依存症者自身,その家族,地域断酒会会員,AA会員,保健婦,福祉事務所のソーシャル・ワーカー,病院ケース・ワーカー,精神科医等であり,これらによって構成される集団療法として位置づけられる.出席者は同等の権利で,自由に発言できる.討議の内容は必ずしも決まっていないが,前回討議した事項を基礎にし,それに日常的な問題を話題として提供する.
この集会は治療集団としてのその場の直接的な効果よりも,むしろ,アルコール依存症者をめぐって,各施設の専門家たちが,依存症者の現存在を認識し,相互に支援の方法を連絡し合って,適切な訪問指導,面接,電話相談等のケアを行ってゆくことに意義が見出されている.斎藤はこれを“ネットワーク”と呼び,その治療的効果に対して,“ネットワーク・セラピー”と名付けている.
保健所相談クリニックと並んで行われているもう一つの重要な活動は,家族介入(family intervention)である.これは,精神衛生センターや民間の相談機関を使って行われるもののほか,病院家族会を利用することもある.
この家族介入の理念は,家族にアルコール依存症,またはそれと類似の現象の一つである摂食障害等が,いずれも嗜癖的問題行動であって,これは家族全体がつくり出している病気とみなすということを認知させることにある.問題行動が家族間の歪みの一つの表現と考える発想に基づいている.これは家族の中で助けを求められる人,すなわち第一来談者(first client) を教育することから始める教育治療ということができる.
世田谷保健所のアルコール問題相談クリニックに出席したものについて,保健婦の調査結果では,取り扱った全症例の80%の予後追跡が出来たが,そのうちの 45%は予後良好であった.この活動の有効性の理由について考えると,依存症者自身に限らず,家族の心的負担の軽減が依存者に対する怖れや嫌悪感を除くのに役立つことが第一に挙げられる.また,予測しなかった効果としては,関与する専門職員の過度の使命感や緊張感をゆるめるのに役立ち,結果として依存症者への支援に圧力や強制がなくなり,自然な交流が可能になったことも挙げられる.
要するにアルコール問題相談クリニックは地域におけるアルコール依存症者の社会適応を促進する手段として,自助グループとは異なる治療的効果をもつ重要なリハビリテーション活動として位置づけられよう.

〔参考文献〕

  1.  小林勇他:入院アルコール依存症社会復帰プログラム利用者の追跡調査について;アルコール研究と薬物依存 1986,21(別巻)S240-S241.
  2.  野田哲明,川田晃久,安東龍雄他:衛星都市(大阪府高槻市)におけるアルコール症者の実態と長期予後―地域酒害対策との関連において;アルコール研究と薬物依存 1988,23,26-52.
  3.  Saito,S.,et al:Report on Community Based Program at Setagaya Health Center; Biomedical Aspects of Alcohol and Alcoholism, (Kameda,T.,Kuriyama,K.and Suwaki,H.ed). Aino Hospital Foundation 1988,165-175).

予防教育:明らかな問題に対する怠慢

PREVENTION EDUCATION:NEGLECTING THE OBVIOUS

T.G.Garner
The Hong Kong Society for Rehabilitation,Hong Kong


私は過去40年間,特に東南アジアの麻薬問題に関わって来たことに触れておいた方がいいと思う.1940年代後半から50年代にかけて香港で起こったアヘンからヘロインへの移行を私は目撃した.それまでアヘン常用者に何の教育も治療もないままの当時の状況に対して,法律の運用を変えたためにこの移行が起こった.香港にヘロイン常用問題があのように急激に起こりはじめたのは,主として関係当局側の無知,アヘン常用者が法の改正時に直面する苦境に対する無知が,原因であったとあえて言いたい.
麻薬・アルコール常用問題との戦いには,長い間にいろいろな方法がとられた.それは主にヨーロッパ,アメリカでのことで,アジア太平洋地域ではあまり急激な目立つ変化はなかった.
開会のことばの中で,私が子供の前での大人の行動について述べたことを御記憶だろうが,これは昔からある問題で,人間は弱いから,克服することは難しいにちがいない,しかし,そのことを絶えず自分に言い聞かせておくべきである.というのは,たとえ無意識の行為であっても,それは,多くの青少年がいつか,麻薬やアルコール常習者になるような反社会的行為を学習する決定的な源なのである.
世界中の教師はこのことをよく知っている.小学校低学年の子供が家庭の出来事を話す時,彼らの口から出る言葉は,明らかにこの状況,親の関心の無さを物語る.昔からあるこの種の問題は,汚ない言葉を自由に使う大人の多い香港にもある.家庭で使わなくても,公共の交通機関に乗っている大人の何気ない言葉は,毎日子供たちの耳に届くところで聞かれる.
やる気があれば,大人が悪い手本を減らし,子供を無視しないよう,何らかの努力は出来るし,しなければならない.多くの場合,関心が足りないというよりは,思慮が足りないためだと思う.今利用できる一番適切な道の一つに,PTAがある.
麻薬問題と取組む予防教育は多くの国で実施され,アルコール依存症の予防も,控え目であるが行われて来た.一般に全国的な運動では,ヘロイン,コカイン,インド麻(cannabis)関係の問題に集中して,その他の常用されている危険な薬物には然るべき注意を払わない.アルコールやタバコもそうである.残念ながらほとんどの国で家庭を重視せず,その代わりPTAをとりあげる.PTAももちろん重要に違いないが,主要な親の役目までを引き受けてくれると期待しない方がよい.
自分の責任を教師に分担してもらおうとする親もいる.教師の第一の役目は教育することであり,教室で父親とか母親の代わりをすることではない.
私は昔から学校のカリキュラムに麻薬教育を入れるよう提唱して来た.保健,社会などの課目で容易に教えられるだろうが,この分野の教育はほとんど何もなされていない.小学生のうちに家庭でも,学校でも,薬の飲み方に重点を置いた根本的な考え方を教えるべきである.例えば,投薬量の指示や,なぜ医者の処方通りに,一定期間に一定回数薬を飲まねばならないかなどが,プログラム導入の健全な基礎になるのである.
このような知識を身につけて,子供は12歳位になると小学校から中学校へ進む.ここで,徐々に麻薬中毒,飲酒(食卓用ワインを含む),タバコなどの問題について更に教育を受ける.10代前半の子供が知っておくべき必要不可欠なことが教えられる.この方面の教育はこれまでも行われてはいたが,現在多くの国で子供たちが情報を得るのは,いまだに校庭や遊園地や近所の仲間からで,その知識はたいてい事実と異る.そうして麻薬や飲酒常用に至る環境が作られてゆくのである.
飲酒問題は,バー,パブなどの場所で,公然と酒類を売れる時間が,法律で厳しく規制されている国ほど問題が大きいようである.香港にはきびしい許可時間制はないので,アルコール中毒関係の問題は他国と様子が変っている.ただし統計によれば,香港は一人当りのブランデー消費量は世界一多いという事実はある.
バー・パブなどの飲酒許可時間を,以前は厳しく制限していた国で,時間を延長してから,アルコール中毒が増えたという例はまだない.これは実際に,バー・パブの平常閉店時間の規制が緩和されたイングランドとウエールズのごく最近の報告である.スコットランド人はたしかに比較的合理的だから,大分以前に許可制の法律を改正した.
かつて,酒類を売り始める時刻,終る時刻に厳しかった国で起こったさまざまな問題が,今では解決されつつあることは注目してよい.10代の子供が巻き込まれる場合もあったのである.子供は10代の時は,親がちょっと一杯飲んでいる間,ドアの外に立って待たされていたが,成人に達するやいなや,その同じ場所に間髪を入れず飲みに出かける,といった例である.
欧米諸国では,これまで家族の構成や結びつきの重要性が無視されることが多かった.これは昨今のいわゆる現代的で自由放任,イージーゴーイングの社会の結果であると思う.そのため反抗的な若者,家出する者,そして「自分の好きなように暮らすタイプ」の者が増えることになった.サッカー,最近では競馬など,スポーツ行事の観客の中の暴力行為はそのよい例である.生命に関わる結末になる場合も多い.そのような時,飲酒問題が大きく浮び上るのが常である.
アジア・太平洋諸国では,この地域に拡がる問題はいろいろあるが,家族・親族の結びつきは,弱くなっている所があるとはいえ,依然はっきり存在している.あらゆる社会の基礎となる家庭は,今でも麻薬やアルコール中毒の蔓延を防ぐ大きな緩衝地帯となっている.防ぐことが出来なくとも,治療や更生の場の役をつとめ,多くの負けた者たちを救うのに役立つ.
治療は,私の経験では生やさしいものではなく,知識不足,事実の理解や認識の不足のために一層困難になっている場合もある.メタドンの管理は,備え付け安全装置や不可欠なフォローアップなしに使用あるいは誤用され,困難を助長している.
麻薬依存者が,麻薬の不足や入手困難の理由でメタドンに手を出し,麻薬,ヘロインが再び補給されるまで代用品に使うというような状況もある.他方,麻薬依存者は,専門家の介入なしに,この2つの薬物を,交互に飲むか,時には一日の中に両方摂取することもできる.
メタドン管理と治療という言葉を結びつけて使っているため,一般の人たちが誤解する状況を作り上げてしまった.麻薬依存者は,正しい安全装置なしに,メタドン管理が行われるから,麻薬から救われる道を閉ざされることになり,安易な逃げ口ともなる.それは,麻薬中毒者を救う手段の一つに数えられてはいるが,私達は事実をよく知って,事実でないものを粉飾しようとしてはならない.
もう一つの問題点は,麻薬・アルコール依存者に禁固刑を課するという,間違った治療法である.裁判官は,被告に,刑務所で治療を受けさせる善意の意図で判決する.刑事犯罪で判決を受けるならわかるが,裁判官も,刑務所は麻薬やアルコール依存症の治療に向いた場所でないことに気がついてもいい頃だと思う.刑務所のプログラムは,犯罪行為の矯正のためである.大抵の場合麻薬依存者の犯罪は,自分でコントロールできない麻薬依存が直接の原因なのである.
麻薬依存症者もアルコール依存症者も人間である.薬物に依存していたい欲求を除けば,他の人々と同じように,それぞれ,いろいろな点で違う.このことを考えると,誰でも同じ期間の治療でよいことにならない.行動,動機,心理状態,健康状態によって,それぞれに合った期間がある.彼らには特別のプログラムが必要である.刑務所の環境では明らかに実行できないと私は確信している.特に有罪の判決を受けた罪が,依存性から発している時はなおさらである.また,現在,世界の刑務所で麻薬のない環境はあまりないことも事実だ.深刻な問題である.各国は,麻薬に汚染されている環境の改善にもっと力を注ぐべきである.ある国で,刑務所内に麻薬禁止区域を設けたが,これは敗北を認めたことである.
私たちが,明らかな誤ちを正す行為を起こすことを怠っているいくつかの問題,特に予防教育の方法について意見を述べてみた.今日の世界の麻薬・アルコール中毒の脅威を克服するつもりならば,予防教育計画の戦略を考え直す必要がある.10代の子供たちや若者に真実を教え,その結果,勇気を持ってNOと言える者が増えれば増えるほど,悪徳商人が入り込む市場は少なくなるだろう.彼らが,教えられたことが真理で,正しい事実であると十分に納得することを,注意深く確かめねばならない.仲間との会話で得た情報が,正しい事実でない時は,反駁できるように教育する必要がある.NOと言えと教えられて,弱々しくNOというのではなく,知識の裏付けのある,力強いNOが言えるようになってもらいたい.


中毒患者のリハビリテーションにおける社会保障保険業者の協力

THE COOPERATION OF SOCIAL SECURITY INSURERS IN THE REHABILITATION OF ADDICTS

Hans-Joachim Rohrlach
Federal Insurance Institute for Salaried Employees Berlin, FRG


はじめに

西ドイツにおいても中毒患者の救済は,公衆衛生上不可欠な活動である.常用物質(アルコール,麻薬,薬物)への依存の危険に関する情報の提供やその予防は,主として社会全体の責任である.しかし,中毒患者の治療やリハビリテーションについては,社会保険業者にもはっきりとした責任がある.特に,年金や医療保険業者および関連企業は過去20年の間に,この分野での仕事と協力をかなり広げてきた.
その発端は医療保険法で定義されているように常用物質への依存が病気として認められたことにある.1968/ 69年にはじめて,ドイツ連邦社会裁判所(BSG)のいくつかの決定を経た後,病院における中毒患者の治療は医療保険機関の責任の範ちゅうに含まれることを述べた明確な法的決定がなされた.それにより,中毒ということが,自己抑制喪失や常用物質への病的依存のため,すなわち「もうやめる事ができない」ために現われた異常な身体的,精神的状態であると認識された.この決定以来,中毒は自ら課した異常な健康習慣の結果であるとして医療保険業者のサービス範囲から除外されることはなくなった.
そのため医学リハビリテーションの方策,つまり治療を超えて長期的な行動パターンの修正や職業や社会に再び統合させることをターゲットとする医療努力が,中毒患者を対象として考慮されることは明白であった.この結論は,医療保険と年金保険業者の間の協力をすすめる上で特に重要なものとなった.
すなわち,1974年10月以降西ドイツの医療保険団体は,当初からこの領域で活動的であった年金保険業者と共に医学リハビリテーションの保険者となったのである.立法者による責任の設定の結果,中毒の分野において病院ケアと医学リハビリテーションの境界を定める問題が生じた.中毒については,特に治療からリハビリテーションへできる限りスムーズな移行をはかるために医療保険業者と年金保険業者間の協力について解決しなければならない問題があった.

中毒患者に関する協約

病的酩酊(アルコール依存症)の治療は,医療保険業者ばかりでなく年金保険業者の責任でもある.1978 年11月20日に,社会保障2部門の主要団体の協議により中毒患者のリハビリテーション問題に関する医療保険と年金保険業者間の協力について協約がなされた (the Addiction‐Agreement).この協約は1979年1月1日から実施された.この中毒患者に関する協約は,アルコール,麻薬,薬物の中毒患者対象に入院処置を提供するための責任と手続きについて規定しており,医療と年金保険の業者双方のサービスを考慮に入れている.実際上,一般的法則として使用中止(解毒)を医療保険の機能範囲にあてがい,一方拒否の時期は主として年金保険の範囲内に入れている.これらの処置の迅速な開始とこの2つの治療段階の間のできるだけスムーズな移行を目的としている.この協約では,この一組の治療で先に行なわれる使用中止治療の場合と同じように,拒否治療にとって最も重要な前提条件を以下のように定めている.

  1. ―十分な基礎に基づいた治療の成功の可能性
  2. ―患者の側の治療を受ける意欲または動機
  3. ―適切な施設における治療の可能性

治療効果と動機は専門家の医学的見解と社会的レポートに基づいて評価が行なわれる.特にこの目的のためにマニュアルが用意された.
良質な施設での治療を確保するために,中毒患者に関する協約の関係者が共同で定めた施設の「選択基準」が実施されている.
手続き上必要な書類は,医療保険と年金保険業者が中毒患者治療を専門とする医師,科学者,専門家と密接に協力してまとめた.
この協約によると,リハビリテーションは,年金保険業者に申し出ることから始まる.年金保険業者はその申し出についてただちに裁断を下し,必要ならば拒否治療を開始し,またこの決定につき医療保険業者に連絡をする.拒否治療の前に使用中止治療が必要な場合は,その開始と期間について医療保険業者が年金保険業者と合意した後にこれを始める.
拒否治療用機関選択のための規準を含む協約によって,開始手続きが大いに改善されたばかりでなく,拒否治療そのものも向上した.今日,中毒患者のリハビリテーションは,迅速にスムーズに,しかも適切な施設で行なわれているのが大方の例である.
この協力作業は,入院患者を対象として行われ,リハビリテーション保険業者が長年にわたり実践し成功を納めてきている.さらにひきつづき,医療および年金保険業者の主要団体が,中毒患者救援についての広範囲な文献および科学的および実践分野の多くの権威者達の協力を得て,中毒患者のリハビリテーションに関する構想をまとめた.1985年5月にできたこの構想には,以下のように統合的かつ総合的治療の段階が実践に役立つように述べられている(責任の規定については省いた).

  1. ―接触および相談期(動機づけおよび診断を含む)
  2. ―治療期(使用中止および外来か入院による拒否治療)
  3. ―治療後ケア期(安定化および治療成果の保持)

中毒による病気ではその原因や結果が非常にさまざまであるとしている.
それぞれの時期において必要とされるサービスや機関並びに職員の配置が詳細に記されている.
この構想には,中毒患者のためのケアに必要な各種のサービスがすべてもり込まれている.それはまた同時に,医療保険や年金保険についてさらに検討を加えるための土台としても有効である.つまり,保険が正当な法的制限内で中毒患者のケアに対する補助的責任の内容を改善できるかどうか,あるいはどの程度可能か,そしてどの程度まで総合的治療に貢献できるかについて考える上で役に立つ.

治療後のケア

医療と年金の保険業者の主要団体は,構想の実現に向けてすでに第一歩を踏み出した.1987年3月に,中毒患者の入院による拒否治療後の治療後ケアを援助するための協約を結んだ(治療後ケアに関する勧告協定). このフレームワーク式協約は1987年7月1日から実施され,部分的協約により補足されている.
医療保険および年金保険業者は,リハビリテーションの成功と長期的な節制の達成を保証する上での重要な要員として治療後のケアを高く評価している.この場合には自助や節制のためのグループに入る事がまず第一に大切である.しかし,人格の安定と動機づけの強化のためには,さらに持続的な専門家によるケアも必要となろう.
治療後ケアに関する協約では,専門治療機関での治療後外来ケア,カウンセリングおよび入院による拒否治療後のセラピーの支払い請求に対し,比例制の援助を予定している.この援助は,治療後ケアの一部として単独およびグループでの心理療法セッションを行なう機関に対し補償金を支払う形がとられる.一般的にこの援助は6ヵ月間の治療後ケアに限られる.
外来治療後ケアへの援助を得るためには,その機関が,科学的な基盤に立った治療概念に従って業務を遂行し,その有効性の評価に積極的に協力することが要求される.さらに,有資格専門家を配置していなければならない.つまり中毒症の分野や心理療法の特別訓練を受けたソーシャルワーカーと心理学者の両方,またはいづれかがいなければならない.そして,治療後ケアの機関は中毒患者治療の経験を持つ医師との協力が是非必要である.

今後のゆくえ

中毒患者のリハビリテーションにおける年金保険と医療保険の間の協力関係は,将来さらに発展させてゆく必要があろう.外来による拒否治療が,構想の実現化のための次のステップとして考えられる.構想の中のこの治療期部分に関しては,社会保障の保険業者側のサービスの可能性について今日までのところ十分に調査されていないが,そうなるとまず必要な条件となるのは,中毒患者に関する協約に従い,中毒患者が外来治療で成功すれば,入院による拒否治療は行われないということである.つまり,外来による治療と拒否が入院による拒否治療に優先する.しかしそのためには,中毒患者が十分に動機づけされているばかりでなく,社会の中に融和しており,精神,身体あるいは社会的に重大な障害がないことを前提としている.このため,麻薬中毒患者に対する外来治療は望ましくないというのが今日の専門家の意見である.外来による拒否ケアの改善に医療保険および,可能ならば,年金保険をも含めるという考えは,さしあたり,アルコール中毒者のみを対象としたものになる.
まとめとして,中毒患者のリハビリテーションは,年金保険と医療保険業者間協力が必要とされる重要な分野であり,これまでのところこの協力の進展に行き詰まりはなく,また今後もないと思われる.


主題:
第16回リハビリテーション世界会議 No.9 349頁~393頁

発行者:
第16回リハビリテーション世界会議組織委員会

発行年月:
1989年6月

文献に関する問い合わせ先:
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財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
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