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第22回総合リハビリテーション研究大会
「地域におけるリハビリテーションの実践」-総合リハビリテーションを問い直す-報告書

【実践報告3】:障害当事者による自立生活のサポート活動

町田ヒューマンネットワーク
堤 愛子 

三ツ木/チャンピオン・レポートの3番目は、町田ヒューマンネットワークの堤愛子さんにお願いします。
 皆さんは自立生活援助の拠点である各地の自立生活センターをよくご存知の方もいると思います。あまりお付き合いのない方はぜひこのレポートで当事者からのサービス提供についてご理解いただければと思います。中ごろでビデオの放映があります。それでは堤さん、よろしくお願いします。

 現況

 私たち町田ヒューマンネットワークは、1989年12月に7人のメンバーで始まりました。今年の12月で10年になります。自立生活センターは障害をもつ当事者が中心で、自分たちに必要なサービスを行うものです。有料の介助派遣、自立生活プログラム、ピア・カウンセリング、リフトつきキャブの運行、また年金などの相談。その他最近では、町田市の教育委員会から委託を受け、市民大学でクラスの運営を頼まれたり、路線バス(リフトつき)の運行について相談にのったりと、行政と連携した活動も増えています。町田ヒューマンネットワークは発足からちょうど10年経ち、スタッフが17人。このうち、障害のない人が4人、残り13人は障害者です。働き方もユニークで、自己申告制。週1日の人から障害をもつ人は週4日まで、障害のない人は週5日まで働けます。「週4日まで」というのは障害年金を受給している場合です。つまり年金をもらっている人のほうが経済的に有利ということで、「週4日まで」という制限を設けています。

 障害者運動・自立生活センターのスタート

 障害者運動ではだいたい70年代初めから重度の障害をもつ人たちの当事者による自立生活運動がスタートしたと考えています。一般的には、たとえばトイレなど、身辺自立をめざす訓練や職業的な訓練がまずあって、そのうえで自分で生活を作るという考え方だったと思いますが、そういった考えにとらわれていると、障害の重い人は一生自立はできません。一生かかっても歩けるようにならないかもしれないし、がんばって訓練しても着替えができるようにならないかもしれない。またいわゆる企業で普通に働けるようにならなければ自立でないと言われてしまったら、障害の重い人はそれが難しい。だから、身辺自立や経済自立ができなくてもいい、介助者に助けてもらって、生活保護や年金で生計を立てて、自分で自分の暮らしを作っていけば、それは立派な自立。そういう考え方が始まったのは70年の初めです。当時は介助制度も充実していなかったから、ボランティアの人にローテーションで介助に入ってもらい、地域でアパートを借りて暮らす人が増えてきました。
 その後国際障害者年をきっかけに、アメリカの自立センターの活動家が日本に来たこともあり、またアメリカに留学する障害者がいたりして、日本にも同じようなセンターを作ろうと、1986年に八王子でヒューマンケア協会ができました。町田ヒューマンネットワークはその3年後にできています。つまり自立生活センターができたことは、障害者の運動に質的変化をもたらしました。何が大きな変化かというと、「受け手」から「担い手」に変わって来たことです。障害者はそれまで福祉サービスの受け手でしたが、自分たちに必要なサービスを自分たちで作り出していくということで、提供する側に変わったということが、質的な変化だととらえています。
 自立生活センターの定義はいろいろありますが、いちばん重要なのは、「当事者が運営主体である」ということ。運営委員会や理事会、幹事会などいろいろな呼び名がありますが、「意思決定機関の過半数は障害者自身であり、会の代表と事務局長は障害者であること」これが大きなポイントです。障害のない人は、代表、事務局長にはなれないので、ある意味では“健常者差別”とも言われるような組織です。最初から“平等でない”のがこのセンターです。今は自立生活センターが全国に増えて、約80か所あります。

 障害を持ったままで

 私たちのモットーは「エンジョイ・自立生活」です。どんなに重い障害をもっていても人生は一回きりだから、最高に楽しんでいきたいということです。
 私たちがめざしているのは、障害をもったままの自分を好きになろうということ。障害のない人をめざすのではなく、障害をもったまま地域で生きることをめざしています。だから、「リハビリテーションって何なんだろう」というのがこのチャンピオン・レポートの一つのテーマですが、私のリハビリテーションの考えは、障害をもったままの自分を好きになり、誇りをもつこと。それが私たちの考えるリハビリテーションです。「リハビリテーション」という言葉が適当かどうかわかりませんが、それがまず自分たちが自立を考えるうえでの第一歩かと思います。
 介助とか自立生活プログラムのなかでよく言ってることなんですが、たとえばかつては介助というのは、「できることは自分でする。できないことは頼んでもいい」といわれていたと思います。自分でがんばって1時間かかって着替えられる人がいたとして、それは大事だと思います。いざというときには、それが生活していくうえで心の支えになります。でも毎日1時間かかるのはたまったものではない。その1時間で着替えられる人が介助者を入れることで15分でできれば、残りの45分という時間とエネルギーを別のことにふりむけることができる。脳性麻痺でそれほど重くなければ、がんばれば一応身のまわりのことはできますが、それで食事の準備、洗濯、すべて自分でやったら、それだけで1日が終わってしまう。自分でできるが介助者を入れることで、たとえばワープロやパソコン、旅行などをする余裕ができてくる、そうやって自分たちで生活をデザインすること、それが自立ではないかと私たちは考えています。

 「車椅子」考

 私はきょうは手動の車椅子です。近い距離を動くときや、タクシーを使うときは手動が便利です。町田市内を動き回るときは電動車椅子です。事務所の中では歩いています。つまり自分にとっていちばん居心地のよいことや、便利な方法を選んでいます。
 車椅子にしても、多くの障害者はたとえばまだ歩けるのに車椅子を使うと、親や医者に筋肉が衰えて歩けなくなっちゃうよって言われちゃうらしいんですね。自立生活プログラムに来る人で、歩くのがしんどそうな人に、「車椅子を使ってみれば」と言っても、親にだめだと言われてしまう。でも、私が見ている限り、がんばって歩いている人ほど二次障害になって歩けなくなってしまったりするんですね。それより、自分にとっていちばん居心地のいい方法を選んでいったほうが、長い目で見ても歩く機能を維持できるんじゃないかと思うんです。私は自分で初めて手動車椅子を使ったときに、人生が変わって見えました。ウインドーショッピングができる、立ち読みしても疲れない。そういう意味で、エネルギーの節約というか、まわりを見る余裕ができました。歩いていた頃は「歩くこと」に必死でまわりを見る余裕なんかなかったんです。私は車椅子になって10年目くらいですが、本当にずいぶんまわりを見回せるようになりました。そういう意味で、自分の力や生活をコントロールしていくことも、これからの自立生活には大事なのではないかと思います。
 町田ヒューマンネットワークでは、1996年下半期から厚生省の市町村障害者支援事業の委託を受けるようになりました。この事業のなかで画期的だったのは、まずピア・カウンセリングというのが必須事業として認められたこと。もうひとつは、私たちのような法人でない任意団体でも(もちろん既成の法人・団体も)、支援事業を受けられること。「法人等」の「等」の字、これが重要です。これがあるので、私たちも公に認められ、私たちのような小さな団体でも国の委託を受けられるようになった。その2点でこの支援事業は画期的ですが、さらにそれを受けるようになったので、障害者だけでなく、町田の障害のない人に向けてもさまざまな事業ができるようになりました。
 障害者のない人向けには、たとえば障害児・者をもつ親を対象にしたプログラムや、障害をもっている人ともたない人が一緒に学ぶ自己主張トレーニングなど、障害をもたない人にも意識的に活動を広げていっています。

 ビデオ・Aさんの場合

 ここでビデオに移りたいと思います。これはMX-TVが制作したものです。
 (ビデオ上映)
 今ビデオに登場したAさん(脳性麻痺、30代、男性)の場合は、町田ヒューマンネットワークのさまざまなサービスを総合的に使って自立した例です。住宅探しから始まって、改造、介助者探しなど。Aさんのように24時間介助では、町田ヒューマンネットワークに登録している人たちだけで24時間介助を補うのはとても難しくて、個別に専従者を募集するんです。アルバイトニュースなどに募集記事を出して、面接をして決定するということで、仲介して契約するところまで立ち会って、ローテーションを組んでいくという手順で探します。
 今のビデオのように、Aさんの場合、個人プログラムとして電動車椅子の練習を行いましたが、人によっては献立づくりの手伝いや家計簿など、定期的にピア・カウンセラーが訪問してフォローしたりしています。介助者の管理も代行する場合もありますが、なるべく徐々に自分でできるように、プログラムを組んでいきます。サービスを総合的に利用する人もいるし、部分的に利用する人もいます。住宅サービスだけとか、介助者のローテーションづくりまで手伝うとかもあります。

 私たちの権利

 さきほども言いましだか、私たちがめざしている自立生活のスタート地点というのは、ピア・カウンセリングなどを通して、本当に自分を好きになること。よく生まれた子供が障害者だということに親がショックを受けますよね。そのマイナスイメージは子供にも伝わります。露骨に言われる場合もあります。「あなたのために手がかかる」とか、「障害があるからできない」と。またそれは言葉だけでなく、障害に対して否定的な眼差しを向けられることは、日常茶飯事です。そのため自分に自信がもてなくなってしまう人は大ぜいいます。
 たとえば、私の友人の脳性マヒの女性は、言語障害があるから、「あなたは話さえしなければ障害者に見えないのにね。」って親から言われてきたといいます。またストローを出してものを飲むと、障害者とわかってしまうから、ホットコーヒーを飲みたいと思っても、人前ではジュースを飲んでいたなど、一つひとつが現実的に抑圧なんですよね。
 私たちが、障害をもったままの自分を本当に好きになっていくために、自立生活プログラムでやっている「私たちの権利」というものがあります。10項目あって、これを繰り返すことで自分たちの心を励ますことができます。それを紹介します。
<私たちの権利>
 ここでいう「権利」とは、社会一般でいう法律的な権利ではありません。もっと人間として基本的なこと、当然のこと、にもかかわらず障害者にとっては大切にされてこなかったことがらです。

  1. 自分のやりたいことをはっきり言って、それを優先する権利
     今までは・・・お母さんや介助者の顔色を見て、自分のやりたいことをひっこめてしまう。
  2. 自分のやりたいことを人を使ってやり、それを自分でしたことにする権利
     今までは・・・迷惑をかけてはいけないと思って人にたのめない。
     よくなぞなぞでありますね。「法隆寺を作ったのはだーれ?」「聖徳太子」「ちがうよ、答えは大工さん」。私たちは、みんな聖徳太子になればいいんです。そうやって、介助者にやってもらったことを自分がやったと思えればどんなに障害が重くてもハンディはなくなります。
  3. 能力のある平等な人間として尊重される権利
     今までは・・・障害があると自分の能力が低いもののように思ってしまう。
     要するに障害者は子供扱いされる場合が多いので、これは平等の人間として見られていいんだよということです。
  4. 危険を冒す権利
     今までは・・・お母さんや介助者に付き添われ、守られていた。
    「危険を冒す権利」は日本ではなかなかないですね。たとえば、遊園地でも車椅子に乗っているというだけで、乗れない乗り物がありますね。アメリカの遊園地で乗車拒否がなかったのには驚きました。ちなみに横浜の遊園地では車椅子で乗れるのが4歳以下の子供と同じでショックでしたが、今はどうなっているでしょう。
  5. まちがえる権利
     今までは・・・まちがえるのはバカなことだと思い、だから自分は能力が低いと思ってしまう。
     まちがっていいんだよと思えるようになれれば安心です。
  6. 自分だけの考えをもつ権利
     今までは・・・先生や親に言われるままになっていた。賛成してもらえないと、自分の考えがおかしいと思ってしまう。
     これはべつに障害者だけのことではないと思います。人それぞれいろんな感性があって、でもそれが変と言われると「そうか」と思っちゃったりして。でも、自分の感じたことというのは大事にしていいんだよ、ということです。
  7. 思うとおりに「はい」「いいえ」をいう権利
     今までは・・・人に気を遣って自分の気持ちが言えない。
  8. 気持ちを変える権利
     今までは・・・一度言ったことを取り消すと、何か言われると思い、取り消すことができない。
  9. 「わかりません」「できません」という権利
     今までは・・・「わからない」「できない」というのは、能力がないことを言ってしまうようなことと思ってしまう。
     でも、できないことはできないと言っていいんだと思えると、すごく楽になります。自分のありのままでいいんだよ、ということです。
  10. 楽をする権利、からだを気持ちよくする権利
     今までは・・・疲れることやしんどいことも、がんばらなくてはと、やってしまう。
     この部分に、すごく気持ちが残るというか、印象的だと言う人は、けっこういます。「楽しちゃだめ」って、よく言われてますよね。健常者に負けないようにとか、甘えるなとか言われるけど、気持ちのいいことは実は「いいこと」なんで、もっと楽をしていいよということを言っています。

 といった感じで、「私たちの権利」はまだまだいっぱいあります。みんなで書き出してみましょう、というふうにやっています。たとえば「話を最後まで聞いてもらえる権利」もあります。言語障害の重い人たちは、最後までキチンと聞いてもらえなかったりすることが多いですから。そんなふうにして自分たちのありのままを好きになるために、この権利を呪文のようにしながらうまく活用しています。
 自立生活センターの活動を、大急ぎで紹介しました。細かいところは、また明日の第3分科会で話します。ありがとうございました。
三ツ木/堤さん、ありがとうございました。私は歯切れのいい彼女の演説は何度も聞いていますが、こういう話が初めての方にはカルチャーショックだったと思います。

 質疑(会場から)

 少し時間がありますので、ディスカッションしましょう。勇気のある方お手を上げてください。
X氏(会場から)/いまの10の権利、聞いていました。耳新しいこともありました。障害児と長く付き合っていますが、いまのは幼児にもあてはまるのでしょうか? 児童ではなく、大人にあてはめるものではないかと。そのへんはいかがでしょうか。
堤/子どもにあてはまらないというのはどのへんですか?
X氏(会場から)/たとえば、人を使って自分のことをする。すると、私たちはたとえば早期なら0才からありますが、僕らはその人の最高能力をいかに引き出すかが目標です。引き出したあとは、いまのが適用できると思いますが、成長期においてはやはり100%迎合するわけにはいかないというのが僕の意見です。
堤/なるほど。ただ私は子供時代にも、できないときには「できなくもていいよ」と言ってほしかったですね。大人になったらできるかも、という希望を捨てることはないけれど、今もし歩けないなら、歩ける人にものを取ってもらうとか、自分で食べられないから食べさせてもらう、そのことに引け目を感じさせることなく、「恥ずかしいことじゃないんだよ」というのは、子どもにも共通することだし、是非伝えたいと思います。
X氏(会場から)/共通すると思います。それは私も認めます。でも、それをいつも利用されると困る。自分の子どもを育てているので、ある程度トレーニングしながら能力を伸ばさねばと思います。治療と教育の両方の視点においてです。
堤/かねあいの問題でしょうね。負い目を持たせることはしないでほしい。でも、できる可能性を否定する必要はない。大人でもそうだと思います。大人になればできるわけではない。「できないこと」に引け目を感じさせないでほしいと思います。
X氏(会場から)/それは、子どものほうが可能性が大きいわけですから、はじめから大人と同じレベルで判断すると、私はそれにアグリーできないということです。
堤/進行性の病気もありますので…。
それはもちろんそうです。私が言っているのは脳性マヒの話です。
三ツ木/このへんがリハビリテーションとILの違いでしょう。そのほかどうぞ。
O氏(会場から)/いまの問題を、明日ちゃんとぜひ、しっかり話していただきたいと思います。それが、このテーマをここにもってきた大事なことの一つだと思うので。よかれと思ってまわりで援助している皆さん、特に子供の場合は親や教育担当者が、ずっとよかれと思ってしてきたことが、どれだけ子どもにとって抑圧となり、それを取り払うのに、育つのにそれだけの年月が必要なことか。10年なら、その後30年でもその抑圧によってキズついた心は取り戻せない。
三ツ木/堤さん、ありがとうございました。


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