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国際セミナー報告書「各国のソーシャル・ファームに対する支援」

講演2「ドイツのソーシャル・ファームの現状とソーシャル・ファームの支援」

ゲーロルド・シュワルツ
(国連コソヴォ・ミッションEU能力開発プロジェクト・マネージャー 前ソーシャル・エンタープライズ・パートナーシップ所長)

講演を行なうシュワルツ氏の写真

たいへん丁寧な紹介をしていただき、ありがとうございます。そして、日本に招待いただけたこと、たいへんうれしく思っております。二度目の来日となりました。

私は、10年以上、FAFという団体の仕事をしてまいりました。これは、ドイツのソーシャル・ファーム協会です。今日ご紹介する情報の多くは、このような背景から発しているものです。私は、このようなドイツのソーシャル・ファーム協会との付き合いがあります。

まず、私のプレゼンテーションですが、ごく簡単に定義したいと思います。ヨーロッパ、ドイツにおいてソーシャル・ファームは何を意味するのか、そしてソーシャル・ファームが供与する価値基準についてお話したいと思います。また、ソーシャル・ファームが、どのような文脈の中で活動しているかというお話をしたうえで、ドイツのお話をしたいと思います。

まず、ごく簡単に、歴史的な背景を紹介したいと思います。ドイツでは、どのようにしてソーシャル・ファームが発展したかというお話をしたいと思います。日本も今現在ソーシャル・ファームを始めようと、新しいソーシャル・ファームの形態を採り入れようとされている段階だと思いますので、参考になればと思います。それから、もう少し法的な背景についてお話をしたいと思います。ソーシャル・ファームは政府からどのような支援をえているのかという話、それに加えて、さまざまなソーシャル・ファーム自らが開発した支援制度がありますので、ドイツでの例をお話したいと思います。最後になりますが、我々の目から見てどういった教訓があったのか。まだ、この作業は終わっておりませんが、25年間ソーシャル・ファームの発展を見てきた中でどういった記憶があるかというお話をし、今後数年間の展望についてお話したいと思います。今現在、どういったところにあり、今後ソーシャル・ファームがドイツにおいてどういった方向性をたどっていくかについてお話したいと思います。

これが、CEFECです(講演2資料P55『ソーシャル・ファームとは?』)。1997年のCEFECによる定義から引用したものです。CEFECというのは、ヨーロッパにおけるソーシャル・ファームの連合体、協議会ですが、ここは定義として面白いだけではなく、一部の国によって自分たちの法律をこの定義に基づいて作っています。特にフィンランド、ドイツはこの定義を採用しています。ドイツにおけるソーシャル・ファームの法的な定義は、ここに書かれている内容と全く同じと言っていいと思います。

この定義の中で重要なのは、ソーシャル・ファームが、障害者、その他の労働市場において不利な立場にある人々の雇用のために作られたビジネスであるということです。そして、このソーシャル・ファームに働くかなりの数の人たちが、障害者でなくてはならないと言われています。ドイツの法律では、少なくとも25%から55%の従業員は障害者でなくてはならないと規定しています。55%というのは問題があります。ソーシャル・ファームでは、それを超える時もあるからです。いずれにしても法律ではそのように謳っております。

もう一つ重要な定義ですが、全ての従業員は自分たちの雇用に対し、労働の相場、市場の相場によって給与を支払わなくてはなりません。ソーシャル・ファームと他の雇用を創出している様々な活動を比べた場合、この違いというのは非常に重要です。ソーシャル・ファームは、市場で利益をあげ、不利な立場にある人たちを含む全ての従業員に給与を支払わなくてはなりません。これは、市場の相場に沿って支払うというものです。ドイツの場合、これは労働法とつながっており、組合ともつながっています。ドイツにおいては、給与はほとんどの場合、大きな労働組合と経営者側との交渉によって決まります。

最後の点ですが、ソーシャル・ファームにおいては、不利な立場にある人と、そのような立場にない人たちとは、全く同じ権利、義務を持つことになります。これらは、共通の価値基準です。これは、先ほどの定義を反映したものです(講演2資料P56『ソーシャル・ファーム共通の価値基準』)。「Enterprise(企業)」というのは、ソーシャル・ファームが市場志向であるとしています。これについては、また後ほどお話をしたいと思います。「Employment(雇用)」、意味ある雇用ということで、実質的な雇用をもたらすということです。これは、ソーシャル・ファームが共有する価値です。それからもう一つ「Empowerment」ですが、このような障害者が積極的に社会に参加できるようにするというものです。つまり、自ら生計を立てるようにし、できる限り外から、政府等の様々な機関からの資金的援助に頼らず自立できるようにするということが目標です。これが、いかに達成されているかの方法については、後にご説明します。

このスライド(講演2資料P56『ソーシャル・ファームの背景』)で、ソーシャル・ファームの位置づけをとらえていただきたいと思います。全体の雇用の中でどのような位置にあるか、リハビリテーション、支援、障害者に対する様々なものの位置づけです。たとえば、右側には一般労働市場(民間企業)があります。これは、市場主導です。100%ではありませんが、先ほどSRI=社会的責任投資という話が出ましたが、こういったものも民間セクターでますます見られるようになっておりますし、社会的価値に対する関心が高まってきております。ただ、一般の労働市場、これは営利目的の市場です。一方でたとえばシェルタード・ワークショップ、日本語で言えば授産施設、福祉作業所ということになります。こういった施設が、障害を持つ人たちのための住宅、職業訓練…等、さまざまな支援活動をしております。ドイツの場合、100%、政府によってお金が出ております。シェルタード・ワークの場合は95%から99%が政府の資金によって運営されています。このシェルタード・ワークがなぜ重要かといいますと、これは、雇用と同時に、そういった活動をする機会を提供するということに主眼が置かれています。

ソーシャル・ファームは、ちょうどこの二つの軸の中間にあります。市場主導型の民間セクターの部門と、ほとんどの場合政府が資金を出している、職業訓練、治療目的といったものの二つの極端のちょうど中間に位置していると言っていいと思います。このソーシャル・ファームの課題、トレード・オフというのはこの二つをいかにうまく組み合わせるかというところにあると思います。

ここでは、多少の歴史的な側面について簡単に説明していきます。1970年代、最初のソーシャル・ファームがドイツで誕生しています。当時は自助企業という名称が使われておりました。これらの企業は主に小さな非営利の組織から誕生しました。特に精神障害者等の支援を目指し、さまざまな訓練を提供し、住宅を提供し、雇用を提供することを目的としていました。このようなメンタルヘルス上の問題を抱える人たちが仕事に就けるよう訓練、統合化等を通じて実現することを目指したものです。

当時のドイツ経済は景気がかなり良かったのですが、このようなメンタルヘルスの問題を抱える人たちにとっては、なかなか仕事が見つからないという現状がありました。いろいろな理由があり、その中でも一番大きな問題の一つは、偏見、そして恐怖心。使用者側としては、こういった精神上何か問題があるような人を雇うことに対する抵抗感がありました。

そこで、まず職業訓練をしようということになりました。また、この精神衛生の制度、病院が当時イタリアではずいぶん変わってきたということから、インスピレーションを得て、仕事がみつからないのであれば、自分たちで仕事を作ろうという機運がわき上がってきました。ドイツは、そこから全てがスタートしました。そして、1985年には、すでに100社ほどソーシャル・ファームが存在しました。かなり急速に数が増えたと言えます。それからドイツにおける全国ソーシャル・ファーム協会という協会ができました。

ここで、1980年代中頃に急成長した二つの重要な点について申し上げたいと思います。1つは、政府からの資金を潤沢に得ることができたことです。ドイツは、他の多くの国々と同様、民間企業が、障害者を雇う場合には、さまざまな政府からの助成金が得られます。主に投資に対する助成、給与に対する補助金を最初の3年間は支給を受けることができます。また、その他の資金援助も受けることができます。ただ、こういった対策は当時、純粋に民間セクターのみを対象としておりました。ソーシャル・ファームはそういったことに着目しました。そこで、ソーシャル・ファームはなんとかこのお金を手に入れようとしました。当初は難しかったと思います。当時は、小さな自助企業でしたし、ここで働いている人たちはヒッピーのように見られていたのですから。

いずれにしても、大きな課題でした。なんとかそれも乗り切ることができましたし、ソーシャル・ファームがどんどん立ち上がる中、政府側から見てもだんだん信頼できるようになりました。そして、もっと資金を提供しようという動きが見られるようになりました。それが一つの重要な動きでありました。

もう一つ重要な点として、地方と全国のネットワークがどんどんできてきたことも重要であったと思います。かなり早い段階で、ソーシャル・ファームは、自分たちは誰か自分たちを代表する人が必要であると、他の団体や、政府に対して、また、資金提供者に対して自分たちを代表してくれる人が必要であるという認識を持ちました。そこで全国的な組織、団体を作り、そして自分たちの意見を発言するようにしようとしました。こういった小さい企業ではなかなか声が聞こえてこないからです。

それからもう一つの点ですが、後でもう少しお話しますけれども、こういった組織は、ソーシャル・ファームとして成功するためにはきちんとした高いレベルの専門的なサポートが必要であるということがわかってきました。具体的には、たとえば事業計画を立てるにあたってのサポートです。どういったところにいけば、こういったソーシャル・ファームの事業計画を立ててくれるかということをまず考えました。これはどんなビジネスでもそうだと思いますが、特にソーシャル・ファームの場合は自分たちの特殊なニーズをわかってくれる人が必要でした。また、経営者のトレーニング、研修も重要でした。これらのNGOでは私のような人間を雇う傾向がありましたね。私自身は精神分析が専門ですので、なかなかこういった事業はわかりません。いろいろな背景を持った人たちがソーシャル・ファームの仕事をしておりましたので。そこでこういった人たちがきちんとした会社の経営方法、立ち上げについて学習できる場を提供しなければならないということになりました。

初期の段階に誕生したソーシャル・ファームですが、これは小規模な事業でしたし、投資するお金もありませんでしたので、ですから否が応でもニッチマーケットを狙うしかありませんでした。たとえば、自分たちが、家具のリサイクルをし、そしてその家具、自転車のリサイクル品もありましたが、こういったものを売るお店を開いて活動を始めました。あまり利益にはつながりませんでした。

その後、1990年代に入りまして、これもたいへん面白い時期だったと思います。ソーシャル・ファームの運動をさらに展開し、ドイツ政府がもっと関心を持つようになりました。ソーシャル・ファームは、まず、EUの資金提供のプログラムから資金を得ることができました。ドイツにとってこれは、とても重要なことでした。そして1990年代になりますと、こういったプログラムをもっとソーシャル・ファームのさらなる発展のために使えるようになりました。

どんな課題があったかといいますと、こういったプログラムは従来、研修、訓練が中心になりました。障害者を普通雇用するといった場合、訓練が中心になりました。準備をさせ、そして民間で仕事に就けるような体制を作ることが主眼でした。しかし、当時、ソーシャル・ファームは、自分たちもいろいろな研修をしていると反論しました。そういった中でこのプログラムの対象を広げ、もっとビジネスを支援するような活動も含めるようになりました。私が最初に手がけたプログラムは、研修が中心でした。その次に手がけたプログラムはソーシャル・ファームの経営者同士の交流が中心でした。ですから、従来のソーシャル・ファームの発展のためのプログラムとはずいぶん違っておりました。その後、様々な活動が加わってきました。マーケティングですとか、その他ビジネスに関連する活動等が含まれるようになりました。新しい事業を興すにあたって必要なものがいろいろと入りました。ジョヴァンナさんがやっていらっしゃる一番新しいケースをみますと、たとえばフランチャイジング、ライセンシング、ライセンシー供与をする。こういった形でビジネスを拡大しようといったところまで発展しております。

1990年代には、こういうことは考えられなかったと思います。これはソーシャル・ファームにとってはたいへん重要な一歩であったと思います。重要な資金提供者、この場合でいいますとドイツ政府、そしてEUにソーシャル・ファームの発展のために是非とも投資をしてくれという説得に成功したことは非常に大きかったと思います。それから、ドイツの地方・連邦政府は同時に、ソーシャル・ファームの数やどのような財政状況にあるかということを知りたがるようになりました。そこでいろいろな調査を行いました。その中心はバリュー・フォー・マネーということで、投資に対する見返りがどのくらい期待できるかということを考えました。ソーシャル・ファームは経済的に見てどのように機能するものかということを政府は知りたがりました。政府は投資をする用意ができてきた中で、果たしてソーシャル・ファームに投資をしても大丈夫か、持続性はあるのか。もしお金を与えたならば、どこかの時点で自立できるのか等といったいろいろな問いかけがなされましたし、いろいろな調査がなされました。

このような運動のさまざまな展開に関する調査をしたうえで、法律が2000年にできました。ソーシャル・ファーム法です。これについては詳しくお話はしませんが、この法律はたいへん興味深い側面があります。それは何かと言いますと、この法律には、これまでに民間セクターに向けて障害を持っている人たちの雇用創出をするためのお金を提供してきたわけですが、そのお金をソーシャル・ファームのたとえばビジネス・コンサルティングというようなことに回すようになったわけです。ドイツにおいてソーシャル・ファームを作ろうということになりますと、もちろん投資に対する補助とか従業員の給与補助といった資金を受けることはできますが、それと同時に、ビジネスに関するコンサルティングを受けると、そのためにも補助金が受けられるようになりました。製品開発、マーケティング、市場に参入するためにはどんな戦略を持てばいいかといったことについての相談にも、補助金を受けることができるようになりました。

この2000年の法律ができてから、急激にソーシャル・ファームがプロ化していったわけです。最初の頃のソーシャル・ファームというのはニッチマーケットを対象とし、規模も小さかったわけですが、2000年以降今日に至るまでを見ますと、まずソーシャル・ファームがかなり増えていき、後ほど成功例も紹介したいと思いますが、いわゆる普通のメインストリームのビジネスと同じようなビジネスファームができてきたということです。

最初に行われた会議に、FAFの会議が1993年に行われました。その会議に私は行きました。これは、比較的小さなグループの人たちが集まってソーシャル・インクルージョンやソーシャル・ファームについて、あるいは障害全般について話をし、障害を持っていたがためにクビになったとか…最初は、精神障害の問題から始まりました。さらに、様々な分野の障害についての議論に拡大していきました。

さらに、その後の会議になりますと、まるでビジネスマンの組織のようになっていきました。ワークショップやプレゼンテーションもたいへんプロのようになってきましたし、ビジネス志向のものになっていきました。

最近のことですが、ドイツでは政府だけではなく、障害者の団体でもなく、民間セクターあるいは、シェルタード・ワークショップに関わる人たちもソーシャル・ファームに非常に大きな関心を持つようになりました。先ほどご覧いただいたものですが、絵がありましたね、最初に市場志向の、一般市場とそれから授産施設の真ん中にあって小さなニッチ市場から始まったというお話をさせていただきました。しかし、そこから民間とのパートナーシップを組むというようなところまでソーシャル・ファームが成長してきたわけです。

このスライド(講演2資料P57『ソーシャル・ファームに関する統計』)では、現在のソーシャル・ファームに関する、より最近のことについて示してあり、2006年の3月にドイツで行われた調査に基づくものです。それによると、現在710件のソーシャル・ファームがあります。仕事の数で言うと2万5,000件ほどですね。そのうちの13,000件の雇用が障害を持っている人の雇用であり、1万2,000件は障害のない人です。先ほどお話いたしましたが、いわゆる労働組合の法律的な基準に従って雇用契約を結んでいる人たちです。そして市場ベースの給与を払っています。

こうやってソーシャル・ファームでは、いろいろなトレーニング活動、あるいは、パートタイムの雇用も提供しております。重度の障害を持っている人の中には、1日に1~2時間くらいしか働けない人もいますので、そういう人にはパートタイムの仕事を提供したりしています。もちろんフルタイムの雇用も提供しています。平均的に見ますとソーシャル・ファーム1件につき40人を雇用しております。そして、1社平均50万ユーロほどの売り上げを毎年あげております。

さて、ここで実例をあげますと、これは1993年にできたソーシャル・ファームの一例です。これはスリースターホテル、ハンブルクの中心地にあるホテルです。ハンブルクというのはドイツでも大きな都市の一つです。13の部屋があり、6人の障害を持った人たち、それから2人が障害等を持っていない人たちですね。ホテル業界の専門家を雇っています。とても興味深いことなのですが、私が知る限りにおいて、市場の基準に従って、それに合わせて学習障害を持っている人を雇っている唯一のホテルです。知的障害者と言われる人たちと言ってもいいかと思います。あるいはダウン症候群のかたもここに見えていますね。ここで働く人たちは、親が自分たちの息子、娘に一生涯授産施設で生活してほしくないと思った人たちです。何か他に生活の術はないかと考えたわけですね。

シェルタード・ワークショップというシステムがあるわけですが、精神障害を持っている、あるいは他の障害を持っている、そういう人たちは民間セクターでは働けないと思われていたわけですが、でもできるかもしれないということでこのホテルが開設されました。実はこれができましてから10年以上になるわけですが、たいへん上手くいっているようです。自分たちの子ども、と言っても大人になっているわけですが、ホテルの上に補助金つきのアパートがありまして、そこに住まなければならないというわけではないのですが、ホテルに働く障害を持っている人たちがそのアパートに住むことができるようなアレンジメントが作られています。マネージャーに話をいたしましたが、どうしてこういうことを考えついたのですか? と聞いてみました。すると、こうおっしゃっていました。親たちが、自分の障害を持った子どもたちが一体何ができるのだろうか、と考えたそうです。特に学習障害を持っている人たちは、社会生活の上では確かに重篤な問題を抱えている。しかし、やはり社会的な人と人とのつながりにたいへん関心を持っているし、たいへん人と親しくなることができる、そういう特性を持っている。したがって、そういう特性を自分たちの息子や娘のために使うというか、その辺りの能力を使って仕事をさせたらどうだろうかと考えたそうなのです。こういう人たちは障害を持っていますけれども、お客様に親切にできるような形でホテル業を始めたということです。10年活動してきたわけですが、たいへんプロフェッショナルでありなおかつ親切な対応をしてくれているホテルであるということで、有名になりました。

障害を持っている人もクリーニングや、いろいろなサービスを提供することができます。これ(講演2資料P57『ソーシャル・ファームの実例』)は、朝食を食べる場所なのですけれど、私も行ってみました。たいへんよい対応をしてくださいました。そして、お客さんを歓迎するという点ではたいへん素晴らしい仕事をしていたと思います。それから最初13で始めたお部屋の数が60に増えました。野村さんは間もなくハンブルクにおいでになると思いますので、これを是非ご覧いただきたいと思います。とても興味深いソーシャル・ファームの一例です。

こちら(講演2資料P57『ソーシャル・ファームの実例』)は、比較的新しいものです。いろいろな意味においてとても興味深いソーシャル・ファームの例です。授産施設が作ったソーシャル・ファームの一つなのですが、今では42の小型のスーパーマーケットを、ドイツの割と小さな都市で開設して運営しております。それぞれのスーパーマーケットでは5人から20人の従業員が働いています。売り上げが75万から200万ユーロ、2,000平米くらいですから中規模と言っていいと思います。とても興味深いことなのですが、このスーパーマーケットにおきましては、いろいろな理由でスーパーマーケットを開設しようということになったわけです。小さな都市においては、大きなスーパーマーケットが撤退するという動きが出てきてまいりました。そうすると町の真ん中ではスーパーマーケットがなくなってしまう。より高価なものを置く高級品店等というようなものは町の中心には作られているのですけれども、町中にはいわゆるスーパーマーケット等はなくなってしまう。安いものを買うためには町の外に車で出ていかなければならないというような状況が発生してきているわけです。そういうところを狙ってスーパーマーケットを町中に作るということをやったわけです。いずれにしてもこれは小型の町の中心に作られた規模の小さなスーパーマーケットとして成功している例です。

それからもう一つ面白いのが、プロの経営陣を使っています。つまりスーパーマーケット分野で働いてきた人を経営者にしているわけですね。それから、シェルタード・ワークショップの方から、学習障害を持ったような人たちを雇っています。たいへん人々に対して友好的な態度で接することができるという特徴を持った人たちですね。

もう一つ、三つ目の例(講演2資料P58『ソーシャル・ファームの実例』)です。これもたいへんユニークで興味深いものです。これは通信販売のソーシャル・ファームです。インターネットで、ご覧になっているメールアドレス(www.loony-design.de)に、アクセスいたしますと注文することができます。左側にありますのは、テニスボールを使ったものですけれども、タオルをはさむ、タオルを掛けるものですね。これはシュトゥットガルトの美術学校がデザインし、そしてソーシャル・ファームがメールオーダーの通信販売をしたり、あるいは製品の流通をするということで、連携による事業活動が行われています。

さて、より広い意味でのドイツの状況についてちょっとお話をしておきたいと思います。先ほどもお話いたしました通り、ドイツでは政府が様々な支援をしております。障害を持っている人たちに対する資金的な補助が政府からあるわけです。たとえば給与の一部分を補助するというようなことが行われています。それから、ソーシャル・ファームに対しては政府から、障害を持っている人たちを雇うということでビジネスとしては生産性が下がってしまう。ビジネスとしては不利な立場に置かれている、他の民間の企業に比べれば不利であるということが主張されまして、政府においては、わかりました、その不利な点については補填をいたしましょうということになりました。ただ、もちろん市場の競争で優位となるような、そういう一般的な補助金、あるいは資金提供はしない。人々のトレーニングにはより大きな資金がかかるというような点で、いずれにしてもその不利をもたらす、そういう条件を補填するような資金を提供しようということになったわけです。

こちらの方もご覧いただきたいと思います(講演2 資料P58『ソーシャルファーム支援機構』)。いろいろな形でソーシャル・ファームを支援するというシステムがあります。ソーシャル・ファームというものが、自らドイツにおいて作り上げた支援システムが、ここで紹介しているものです。これは、ロビー活動をする地域あるいは全国のレベルで組織されている団体です。BAGインテグレーション・ファームです。700以上のメンバーがありまして、いろいろなことを組織しております。gGmbH、これはビジネス・コンサルティングの企業であり、ソーシャル・ファーム・アソシエーション、全国ソーシャル・ファーム協会が100%を保有する子会社です。ソーシャル・ファームを開設する場合、あるいは開設した後に問題が発生した場合には、ここに行けば相談を受けてもらえるというところです。ソーシャル・ファームに対して様々なサービスを提供しています。また、この組織はソーシャル・ファームを開発するようないろいろなプログラムを作るという広範な分野での活動をしています。新しいビジネスを作り出すために、様々なプログラム、プロジェクトを実施するということもしています。

さて、最近の動向についてお話をしたいと思います。今後どのような方向に向かおうとしているのかということもおわかりいただけるのではないかと思います。

まず、バリューチェーンの上部へ進出するということです。ドイツにおいては付加価値の高い事業活動を、ソーシャル・ファームもできるようにしていきたいと思っています。初期の頃にはたとえば部品の組み立て等をやっていましたが、今日ではベルリン等においてはたとえばシーメンス社のために電子機器の基板を作っているというところも出てまいりました。もちろんそういう活動をしたほうが収益率も高いわけです。もちろん限界はありますけれども、そういった分野に進出するところも出てきております。それから、フォルクスワーゲン等でも活動が行われています。ドイツにおいてはこの会社は非常に大きな工場を抱えているわけですが、施設が非常に、自動車の会社ですけれども敷地が大きいということで、その敷地の中で働く人たちが、動き回るのに自転車を使っています。その自転車の保守をするという仕事をソーシャル・ファームがやったりしております。これは一つのアウトソーシングの例ということになります。それから、今ここに挙げてありますような民間企業とのジョイント・ベンチャー、企業買収というようなものも始まっております。民間の営利企業がソーシャル・ファームのステイクホルダーになるというようなことも見られるようになってきているわけです。

それから、ソーシャル・ファームをさらに発展させるため、他にもさまざまなことが行われております。実験的に行われているものもあるのですが、非常にいろいろな面で進歩が見られています。実は昨年、障害者全国大会というのがありましたけれども、そこで授産施設で働くよりもソーシャル・ファームでの雇用を要求するという宣言が発表されました。障害を持つ子どもたちを親が支えてきたわけですが、ソーシャル・ファームを作って自分の子どもたちがそういうところで働くことができるように、あるいはまたソーシャル・ファームをさらに自分たちで作り上げてそこで子どもたちを働かせるようにする。そういったようなことに力を入れるようになりました。

また、政府においては新しいイニシアティブも実施しております。4,000の新しい雇用を創出する、そのうちの1,000は障害を持った人たちの雇用とする、というようなことを促進する活動です。4,000人の障害者に雇用の道をということですが、そのうちの1,000人分はソーシャル・ファームでの雇用とするというものです。政府はこれに対して資金的な手当てをするということになりました。こういう意味では非常にいい進展があったということが言えると思います。

さて、ドイツにおいては、さらに他の国々との交流や連携も深めていきたいと考えられております。ヨーロッパと日本との間で、あるいはドイツと日本との間で、二国間の交流もさらに進んでいくことを期待したいと思います。特にドイツにおいてはヨーロッパのパートナーからいろいろなことを学び、いろいろな交流活動を行ってまいりました。この交流からたいへん大きな便益を得てきたわけです。従って、今回のようなこの会合もそうですけれども、お互いに交流から学び合うということのために今後も続いていくことを期待したいと思います。

皆さん、ご清聴ありがとうございました。