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国際セミナー報告書
インクルーシブな障害者雇用の現在-ソーシャル・ファームの新しい流れ

【報告1】

伊藤静美
 社会福祉法人 一麦会 麦の郷 理事
 障害者地域リハビリテーション研究所所長

皆さん、こんにちは。紀州和歌山から来ました。伊藤静美と言います。一麦会というのは法人の名前でして、「一」と「麦」と「会」という字を書きます。総称して「麦の郷」と呼んでおります。名前の由来ですが「麦は、踏まれても、踏まれてもたくましく起き上がってくる」という言葉をマスコミの人に教えてもらいました。本当はクリスチャンの精神科医がいらっしゃいまして「一粒の麦」と先生がつけてくれました。後にどっちがいいかなと思い、踏まれても踏まれてもの方が麦の郷らしく、かっこいいなと思い、皆さんに披露するときはいつも、一粒の麦というところを麦の郷というのは踏まれても、踏まれても立ち上がっていくと紹介しております。

私はどこの切り口から話せばいいのかなと思います。1977年からこんなところに踏み込んでしまって35年になります。私は、福祉のことを何も知らない本当の普通のおばちゃんです。本当に何も知らない普通のおばちゃんとして共同作業所に出会いました。その共同作業所は「たつのこ共同作業所」という名前でした。

そのたつのこ共同作業所で手話ができる看護婦だった私は、今風にいうとボランティアをおこなっていました。その中で耳が聞こえなくて目が見えない、さらに知的障害をあわせもつある青年の「僕も働きたいんや」「僕も友達が欲しいんや」「僕はひとりぼっちやから寂しいんだ」という言葉を私は読み取ることができました。

私は、何も社会のことはわからなかったのですが、彼のこの言葉に「これは、ほっとけやん」と思いました。「ほっとけやん」という言葉は和歌山弁で放っておくことはできない、知らん振りはできないという言葉です。「ほっとけやん」という言葉は、自分がきっちり意思を持って関わろうと、そういう言葉から生み出された「ほっとけやん」です。ただお節介のおばちゃんをやってやろうとか、喜んでもらうために少しボランティアで助けてあげようとか、そういうことではないのです。繰り返しになりますが、「ほっとけやん」この言葉は、「自分が意思を持って関わっていこう」そういう意味です。この青年と触れ合ったことが、私を今日まで引っ張ってきた原動力であったと思います。

その後、働く場を創るということ、一般企業の隅っこで働くのではなく友達のあるところで一緒に働いていくこと、生活をするために住まいを創るということ、まちを創っていくということ。そのような取り組みを次から次へと創り出しました。それは私が考えたのではありません。すべてニーズのままに行いました。障害がある人のニーズ。刑余者の人のニーズ。不登校・ひきこもりの若者のニーズ。高齢者のニーズ、年金が乏しく趣味の魚釣りに行きたいがエサ代が高くつく年金が乏しいので食うのが精いっぱい、せめてエサ代だけでも儲けたいんやという気持ち。それならば一緒に働こうと色々な人のニーズを基に作り上げてきた姿が麦の郷です。

当時の和歌山県を少し調べてみると精神科病院への措置率が非常に高く、精神科への措置率、平均在院日数の長さがともにワーストワンで和歌山県が日本で一番遅れた地域です。それは、和歌山でひとたび精神科病院に入院すると地域に社会資源がないために退院できないということを意味します。

その中でまた2人の子どもに出会いました。それは16歳、17歳の姉弟でした。祖父母が亡くなると家庭は瞬く間に崩壊し、たった二人残った姉弟は統合失調症という病名をつけられたまま地域から追われました。そしてたどり着いたのが、たつのこ共同作業所です。

障害種別を越え、程度を越え、どの人でも集まってきたら何とか工夫しよう。35年前の和歌山は、精神保健福祉や精神医療は本当に遅れておりました。保健所は何もしておりません。そんな中で住民が力を合わせました。今でもそうです。住民の力の見せどころだと私は思っています。

2人の姉弟を支えようと住民が力を合わせ、教員や支援学校の先生方も何とかしようと一緒に集まりました。私たちが加盟しておりました手話サークルのメンバーも、そして普通のおばちゃんも、民生委員さんも、親も、みんな入って、この兄弟、何とかしていこうと考えました。そして、保健所が精神保健の第一線機関だということを知りました。2人の子どもを連れて保健所に行きますと、精神科医さんが、顔も見ないで「あ、入院させましょう」。私は「え、入院ですか?」「退院はいつですか?」。精神科医「退院はありませんよ」。エッと私は思いました。そして、その精神科医は「和歌山は一番遅れているのです。日本で一番遅れてるということは、世界で一番遅れているということだ」。私は、何をこの人威張っているのだろうと思いました。ここに医者がおりましたら許してほしいのですけど、不信になりました。行政も一緒になって入院させようと。入院か老いた親がこの2人を持つかしかなかったんです。私はその2人を連れ、そして目の見えない、耳の聞こえない人を連れ、どこからも補助金のない中で共同作業所を市民の力により8年間無認可で運営をおこないました。運営資金は、古紙回収などの廃品回収によって得たお金で運営していたわけです。職員が必要ですが、当然、職員というような名前はおこがましいです。給料も何もありません。交通費もありません。そういう市民が集まりまして築き上げてきたのが麦の郷の原点です。今でも多くの市民が関わってくださっております。

ここに資料を出してきましたが、どこを切り口にして聞いていただこうかと思うので、あまりまとまったことは書いてはいないのですが、私はやはり働くというところをお話ししようと思います。働く場というところは、社会に認めてもらえるところだし、社会へ入る入り口だと思います。お金儲けだけのところではないのです。働くことで給料を稼ぐことで、いっぺんに変わってくることは精神障害者を見ているとわかります。本当に生き生きしてきます。顔つきも、話し方も、表情も、本当に生き生きしてきます。やはり居場所(働く場)と出番、これは人間誰しも欲しいものです。私も今日は出番をいただいて生き生きとしゃべっております。朝起きたら行く場所がある。働きに行けば仲間がいる。一緒にご飯を食べられる。そして一緒に帰ってきてグループホームで過ごす。一人暮らしを謳歌する。家族と過ごす。

精神障害の場合は非常に厳しいです。世間の偏見と差別そして排除ですね。何年たってもこれはなくなりません。啓発ができていないし、隣の家に精神障害の人が来るということを快く引き受けてもらえるような日本の状況ではありません。ついこの間も1年間かかってやっと了解を得て、グループホームを立ち上げることに成功しました。ちょうど9つ目のグループホームです。50人の人たちを地域で見ております。この人たちには住む家がありません。退院させようとしたって、引き取ってくださる家族はもうありません。年老いた家族があっても家族共倒れになります。退院して無理やりに保護者に持ってもらっても、70過ぎの親が50いくつになった精神障害の人を引き受ける状況です。今日本は財政危機ということもありまして生活保護を何とかしようというのはわかるんです。でも、私たちは、親に持たせてしまうい共倒れしてきた親たちをたくさん見てきました。この辺も考えるべきです。何とかいい制度を作ってくれるのに考えてもらわなければと、和歌山出身の、ある国会議員さんにもお話をしております。

麦の郷は、1歳半の障害児と認定されたらずっと高齢者までケアするところを作りました。作るというよりも、一緒に作り上げてきた。国や県の制度があろうとなかろうと作ってきました。そこに支援を必要とする人間があるのですからほっとけません。制度は後からでもいいんです。しかし、制度はなかなか後からはついてきませんが、もうそれはいいんです。まず人間として何とか生きていけるようにしたいと思います。

和歌山みたいな田舎では大体11万円くらい収入があったら1人で暮らすことができるんです。現実、それで生活をやってるんです。11万ということは5万稼いだらいいんです。2級年金6万6,000円。これで親の代わり、肉親の代わりを福祉法人なり生活支援者がやったらいいんです。そういう仕組みでたくさんグループホームから出て単身の生活をしている人がいます。また、お金を稼ぐことができるようになれば、愛する人ができます。そして正式な結婚に至らなくてもいいと思います。家族や親類は正式な結婚と言いますとすぐに財産うんぬんということで嫌な顔をします。私は、事実婚をもって2人で生きていける道を探っております。そして11組の結婚が生まれております。厚生労働省の方に私は、これでどうでしょうかと差し出したいと思いました。

そして、カリスマみたいに私一人がこんなことをやったのではありません。ソーシャル・ファーム(社会的企業)を作るときにはカリスマみたいな人が一人で騒いでというのはよくありません。せめて10人、いろいろな分野から多職種の人が集まって、そしてまた次の10人を連れて引っ張ってくる。専門家にも入ってもらう。お金持ちも、もちろんよろしいです。お金を出してあげましょうと言う人もいます。そういう形でソーシャル・ファームを作ってきました。

日本で一番遅れている和歌山県から、日本で初めてのソーシャル・ファーム。精神障害者福祉工場という正式な制度にのっとって作ってきたわけです。私はそのとき、どこまで精神障害者と言うのか、工場と名前がついているのに、まだ国は精神障害者福祉工場と名付けています。知的もありますけれども。

レッテルを貼った医者は、いつとってあげてくれるの?ずっと死ぬまで精神障害者なんですか?工場で働くようになっても精神障害者でしょうか?そのときに私たちはソーシャル・ファームというこんな洒落た名前も知りませんし、何のことやらわかりませんでした。今は亡くなってしまったのですが和歌山県立医科大学のある教授が教えてくれました。この先生は「君らがしようとしていることはソーシャル・ファーム」だと教えてくれたのです。かっこいいなと思い、そして精神障害者福祉工場の「精神障害者」という言葉を取りたかったのです。そのときにソーシャル・ファームだよと教えてもらったのです。それは95年の話です。私たちは何も知りませんから、名前がかっこいいなと。そしてイタリアの精神科医のフィリップ・ピネル、世界で初めて精神病者の鎖を切った人ですね。精神病者の鎖を切った精神科医の名前を勝手にいただいて、和歌山の地で日本で初めて生まれた精神障害者福祉工場の名称は、精神障害者福祉工場○○○○ではなく精神障害者をとりソーシャル・ファーム・ピネルという名前をつけマスコミも大騒ぎしてくれました。「市民がやったんやて」と行政の人は、「余計なことする人らやな」くらいにしか思ってくれてなかったみたいに思います。なぜかちっともこっちを向いてくれませんでした。

そういう中でやっておりましたので今のところ順調にやっております。今、時間の終了が来ましたのでこの辺で終わらせていただきます。あとまた質問がありましたらどうぞ。ありがとうございました。