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「国連・障害者の十年」最終年記念 北欧福祉セミナー

「重度な障害を持つ人々の地域生活の実現のために」

(財)中央競馬社会福祉財団
(財)日本障害者リハビリテーション協会

項目 内容
開催日 1992年12月18日

 

はじめに

内村 良英
財団法人中央競馬社会福祉財団 理事長

内村理事長の顔写真

 本年が「国連・障害者の十年」の最終年ということで、世界各国で、そして日本の各地で、記念事業が展開されていることは、ご承知のとおりでございます。

 私ども、中央競馬社会福祉財団といたしても、この記念すべき年に、障害をもった人々に、何かお役にたてる事業はないか、種々検討していたところでありますが、当財団で実施しています「海外研修事業」で関係の深い、デンマークおよびスウェーデンから実践的に活動をされている講師を招き、東京、長野、大阪においてセミナーを開催することといたしました。

 このセミナーを実質的にお膳立ていただいた日本障害者リハビリテーション協会および全国社会福祉協議会に対し、衷心より厚く御礼申し上げます。

 日本と北欧との関係は、経済面のみならず、文化、社会の各方面に広がっています。

 特に、社会福祉の分野においては、福祉制度、ヒューマンサービスにおいて、我が国も大きな影響を受けていることは、ご承知のとおりでございます。

 日本の障害をもつ人々に対する施策も、この十年問で、関係者のご努力により大きな成果をもたらしたと伺っています。しかし、今なお、障害をもつ人々の直面する多くの課題が残されていることも事実でございます。

 このセミナーのテーマは、我が国の大きな課題といえる「重度な障害をもつ人々の地域生活」についてのものですが、北欧から長い実践をおもちの素晴らしい講師を交えての開催は、お互いに学ぶべきことも多いと存じます。

 「国連・障害者の十年」の最終年という意味は、「終わり」ということでなく、むしろ、「今後につなぐ年」と理解した方が正確だと存じます。

 その意味で、このセミナー報告書が今後の障害者問題を考える時の一助となれば誠に幸いでございます。

 

セミナー司会者から

大熊 由紀子

大熊さんの顔写真

 国際連合が「完全参加と平等」という合言葉をもとに推進してきた、「国連・障害者の十年」もあと数日で終わり、来年からは「アジア・太平洋障害者の十年」に引き継がれていくわけですが、本セミナーでは、この10年を締めくくるにふさわしい方々をお招きしました。この10年でわが国もノーマリゼーションの面で進歩はしてきました。しかし、まだ大きく立ち遅れている分野が少なくとも3つあると思われます。それは、知的な障害をもつ人たち、精神障害をもつ人たち、それから重度な障害をもつ人たち分野です。今回お話をしていただくマリーさんのような重度な障害をもった人たちは、日本ではまだまだ街の中の普通の家に住むことが困難でノーマルでない暮らしを強いられています。今回はこの3つの中の、特に重度な障害をもつ方たちについて論議を深めたいと思います。

 デンマークという国は、「ノーマリゼーション」という考え方を世界ではじめて法律に盛り込んだ国です。1959年に日本でいう精神薄弱者福祉法にあたる法律の中に、どんなに重い知的ハンディをもつ人も、普通の生活をする権利があるということ、同世代の障害をもたない人と同じ普通の生活をする権利があるということが盛り込まれました。

 そのデンマークに真っ先に影響をうけたのが、お隣りの国のスウェーデンで、いろいろ法律の改正が行われました。今回は特に北欧のデンマークとスウェーデンの障害者政策や障害をもつ人たちの暮らしについて話していただき、併せて日本の状況も報告していただくこととします。

(略歴)
 東京大学教養学科科学史及び科学哲学分科卒。朝日新聞社会部記者、科学部記者、学科部次長をへて1984年女性初の論説委員に(女性の論説委員は朝日新聞の100年の歴史で初めて)。福祉・医療・科学・技術分野の社説を担当。中央社会福祉審議会委員。人口問題審議会委員、青少年問題対策審議会委員、工業所有権審議会委員、東京大学医学部非常勤講師など。

 「寝たきり老人」と呼ばれる人々が福祉先進国にいない事実に気づきキャンペーンを展開し、政府の「寝たきりゼロ作戦」や「ホームヘルパー10万人計画」のきっかけを作る。

 ノーマライゼーションの実現をめざした著書に「『寝たきり老人』のいる国はな-真の豊かさへの挑戦」「ほんとうの長寿社会をもとめて-市町村からの新しい波」(ぶどう社)がある。

 他に「1日だけのナイチンゲール」「心のプリズム」「女性科学ジャーナリストの目」「名医が答える健康バイブル」「科学は人間を幸福にするか」「新解体新書」「ママのおなかの中で」など著書訳書編著多数。


 

目次

講演

資料


 

私の地域生活を支えるもの

マリー・ニルセン(Mary Nielsen)

マリー・ニルセンさんの顔写真

マリー・ニルセン(Mary Nielsen)
(1957年デンマーク生)

筋ジストロフィーの為、18歳頃から歩行不能となり、現在は車いすを利用。パートも含み、5人のヘルパーを雇用して生活している。

自己紹介
 デンマークのオーデンセに住んでおりますマリー・ニルセンと申します。

 はじめに、ここ日本での私の生活について話すようにと招いていただいたことに対して、日本障害者リハビリテーション協会ならびに中央競馬社会福祉財団にお礼を申し上げます。

 私はこの場に招かれたことをたいへん光栄に思い、感謝しております。

 ありがとうございます。

ヘルパーの紹介
 この日本への旅で私を助けてくれた2人を紹介したいと思います。私の親友であるルイーザ・スコウとミカエル・ニルセンです。2人は同じデンマークでも私の住まいからは離れた地域に住んでいるので、特別な場合だけ私のヘルパーになってくれます。

 ルイーザはオーフースに住んでいて社会福祉士の仕事をしています。ミカエルは化学工学のエンジニアで、現在は化学の修士号を取るために勉強しています。彼はコペンハーゲンのはずれのラスキラに住んでいます。

 2人とも以前からヘルパーとして働いています。

電動車いすに乗るマリーさんの写真

私の生活
 それでは私の生活について話をしたいと思います。

 私は35歳です。進行性筋ジストロフィーにかかっています。私は大家族で育ち、4人の姉妹がいますが、そのうちの一人は私と同じ病気をもっています。

 私は25歳までは家族といっしょに住んでいました。家にいたときは毎日数時間家族の世話を受けていました。

 私はカウンセリングを受け、家族からの援助を得て、障害をもつ姉妹と共に家を出てある種のコミューン(生活共同体)に入りました。このコミューンは1年か1年半たったところで解散してしまいました。

 その後私は自分の家でひとりで暮らす道を選びました。私は援助をしてくれる人たちを雇い、その人たちの助けを借りています。

 けれども、たったひとりで暮らしているわけではありません。私は犬と猫を飼っています。

 私は、食べる、話す、書く、読むを除いてはひとりでは何もできませんから、日中と夕方は助けてくれるヘルパーがいます。夜はひとりですが、必要なときには市の24時間ナーシング・ケアに助けを頼むことができます。

 私のヘルパーは朝の7時30分から夜は私の就寝時まで働いてくれます。彼女は私がベッドから電動車いすに移るのを助けてくれます。それからバスルームに行き、私は体を洗ってもらい服を着せてもらいます。

 そのあと彼女が2人分の朝食を作り、朝食を摂りながら私たちは一日の予定を話し合います。

 朝食後私は書類を整理したり、手紙を書いたり、電話をかけたりして自分の仕事を済ませます。 

 時々私たちは私の車で買物に行きます。私は買物についていくのが好きです。物の値段に通じていたいし、食料品などについては適切なものを買いたいからです。(私はベジタリアンですし、ある種の食品にはアレルギーがあるのです。)

 以上お話したのは、私がヘルパーと共に過ごす一週間の行動例です。

 実際、私は友達を訪ねたり、コンサートに行くときなど、どこに行くにもヘルパーと一緒です。

 私は音楽、とくにカントリー・ミュージックが好きで、デンマーク人や外国人のカントリー・ミュージシャンの友達がたくさんいます。

 毎年8月には3日がかりで行われるカントリー・ミュージック・フェスティバルに出かけます。フェスティバルの期問中は友達やヘルパーの人たちとキャンプ場に寝泊まりします。私は自分の車に据えつけた特製ベットで寝ています。

ヘルパーの人たち
 私のヘルパーをしてくれる人たちの報酬は市の社会福祉部から支払われます。私は毎月政府から補助金を受けていますが、このお金のなかからほんの名目だけのわずかな額をヘルパーの費用として市に払っています。

 ヘルパーを雇ったりやめさせたりするのは私です。私がヘルパーたちの仕事のスケジュールを作り、彼らの作業記録にサインし、病気休暇を打ち切り、その書類を市の社会福祉部に送っています。

 私はヘルパーの人たちと3ヵ月ごとに話し合い、そこで休暇や仕事のスケジュールなどについて検討します。

 ヘルパーを新たに必要とするときには新聞に広告を出すか、今までのヘルパーの知り合いで仕事を捜している人から選びます。

 私がヘルパーとして雇った人びとの多くは、将来ナショナル・ヘルス・サービスでナースや医者として働くことを希望している人たちです。

 私は常時5人の女性を雇っています。彼女たちは交替制で働きます。2人がフルタイム(週37時間)で働き、3人がパートタイムで3週間ごとの週末と特別の呼び出しがあったときに働きます。一度に働くヘルパーは1人です。

24時間体制のヘルプ
 夜はひとりになりますが、電話があるので、助けが必要な時は市の24時間ナーシング・ケアを呼ぶことができるようになっています。

 24時間ナーシング・ケアは、自宅で暮らす老人や障害者がベッドに入るのに助けが必要な時や夜中に寝返りをうちたい時などに、出向いて手助けをするシステムです。

 彼らは2人ひと組で行動し、受けもつ地域が決っています。彼らは自分の担当地域で助けを必要とする人の家の鍵をもっています。

 地域によっては夜間一度か二度巡回するところもあります。また家に取りつけた発信機でヘルプを呼ぶようになっているところもあります。

 ヘルパーが呼ばれてから来るまでにかかる時間は15分から30分です。

電話をかけるマリーさんの写真

補助用具
 必要な補助用具は市から借りています。これは一生借りたままでよいものです。市は私が借りた用具のメンテナンスに責任をもち、必要な場合にはそれを交換してくれます。そのかわり、借りたものの手入れは私が責任をもって行います。

 取り付けに特別な手間を要するトイレの高い便座やトイレ脇の壁の手すりなどは、市が取付けを手伝ってくれます。

 市はまた、ドアの敷居を取除いたり、スロープを作ったり、バスルームを改造したり、家の外にタイルを敷いたりしてくれます。

 転居するときは、引越しする前の状態に、市がすべて戻してくれます。

玄関に設置されたスロープの写真

私の使っている補助用具

  • 室内外兼用の電動車いす。車いす用の充電装置および取りはずしのできる枕つき特製シート。おりたたみ式手動の車いすももっています。
  • 空気枕、それに外出のときに脚を暖めるサーモ・バッグ(温熱袋)
  • 電話
  • 肺感染した場合に使うC-Repマスク

 私の電動ベッドは上下操作が可能で、ベッドの足元と頭のところでそれぞれ調整できます。

 ベッドはリモコンで操作でき、現に私はそれを使っています。このベッドの調整機構は圧縮空気によるもので、ボタンを押すと各部に区分けされた空気が調整されるものです。

 ベッドにはそれにふさわしいカバーがついています。

自宅の補助設備・補助用具の写真

家にある補助設備
 バスルームのシャワーの床タイルは段差のない平面にし、浴槽は車いす用のスペースをとるために移動させました。鏡も私が使えるような位置に変えてあります。

 バスルームのドアは浴室の内側に開くのではなく、廊下のほうに外側に開くように向きを変えました。

 家の表と裏のドアのところにはスロープを取付けました。これらのドアは電動リモコンで開くので、私でも開けることができます。

マリーさん所有の自動車の写真

車用の補助設備
 私はスロープを取付けた車をもっています。そのほかに私は(長いものと短いものと)2組のスロープをもっています。これは階段などのいろいろな場所で使うことができます。

 車内にはベッドがあり、2台の車いすを固定する装置があります、緊急時に使うウォーキートーキー(無線電話)も車の中にあります。窓には、この車が障害者のものであることを示すマークがついています。

 私が座るシートは180度回転するものです。その座席にはゆるやかなシートベルトがついていて体を固定します。

回転シートの写真

地域社会
 町に出かけたりいろいろな場所を動き回るのは、しばしばちょっとした冒険になります。私にとって障害になるものといえば、歩道の縁石、段差、階段、エレベータなど、外出先で出会う平坦でない場所です。

 場所によっては、小さ過ぎてゆとりのない部屋、狭過ぎるドア、狭い廊下・店舗・カフェ・トイレ・エレベータなどがあります。

 レストランに食事に出かけたり、友達を訪ねたりすると、テーブルが低過ぎて車いすのひじがテーブルの下に入らないことがあります。また、車いすの、足を乗せる部分がテーブルの脚に引っかかってしまうこともあります。

 場所によっては信号機の変わるのが早いために、急いで渡らなければならないところもあります。電動よりも手動の車いすのほうが動きやすいことがしばしばあります。

 私の住んでいる市の住民の人々は、外出して動き回る際に問題が生じてくる人たちが存在するという事実を認識し始めています。私が言う人々とは、歩行が困難な人、目や耳が不自由な人、車いすを使う人などのことです。

 いくつか改善例を挙げますと、今では信号機に押しボタンと音による警報装置がついているので、目の見えない人も信号が青か赤かを聞き分けることができます。自転車の人のための信号を備えた場所もあります。

 車でどこかに出かけると、私はよく特別駐車場に車を停めます。そこは普通の駐車場より広いスペースがあります。このような駐車スペースは車の窓に障害者のマークをつけた人々のためにとってあるのです。パーキング・メーターのある普通の駐車場に私が車を停める場合は、終日停めておいても、払うのは最初の2時間分だけでいいのです。

身障者専用駐車場の写真

人々
 私を見るときの人々の反応はさまざまです。ほとんどの人は、わたしが通りを歩いていたり、商店やレストランやミュージック・ハウスのようなところに入っていっても特に反応を示すことはありません。

 しかし、立ち上がって遠慮もなく私を見つめたり、通りがかりにじろじろ眺めたりする人もいます。近寄ってきてわたしの障害について質問する人もいますし、個人的なこと、ときにはまったく私的なことを聞いてくる人もいます。私はそういう人たちは無視します。

 私に対する賞賛の念を口にする人々もいます。ほかの人たちのすることを私にもできるということにたいへん感心するのです。

 町に出て、ミュージック・ホール、カフェ、レストランやバーに行くと、見知らぬ人が私に飲み物をおごると言ったりダンスに誘ったりすることがあります。この種の申し出には私はノーと言います。

 人に話す義務を感じたり、ありがたく飲み物をおごってもらうというのは私の好みではありません。私にとってこうした申し出はあまり嬉しくないたぐいのものなのです。

 私がダンスをしたいときには、広々した場所で友達と踊ります。それはたいていは気のおけないパーティーでということになります。

公共の交通機関
 私は自分の車をもっているので、公共の交通機関を使うことはめったにありません。

 使いたい交通手段の種類(地元のバス、電車、フェリー)ごとにそれぞれの可能性があります。

電車
 1981年の国際障害者年の成果として、デンマーク国鉄は障害者のプラットホームヘの出入りを楽にする計画に着手しました。

 と申しましても、電車で移動する人が多いのは首都のコペンハーゲン周辺ですから、改善のほとんどはこの地域でしか行われていません。

 今ではコペンハーゲンの23の駅で、近郊(ローカル)電車用にリフトやエレベータが設置され、歩行困難な人や車いすの人が容易にプラットホームに出入りできるようになりました。

 ローカル電車には車内にスロープが用意されていて、車いすの人が電車に乗り降りするときには車掌がそれを取付けてくれます。

 国鉄は現在新型電車を発注していますが、障害者委員会と協力して、障害者にさらに適した電車を作るべくその方法とシステムを模索しています。

 障害者がローカル電車を利用する際、特別料金は必要ありません。

 遠距離列車には車いすの人が1人から6人乗れる収容力があります。どの遠距離列車にも身障者用の特別トイレの施設があります。

 遠距離列車の停る駅には特製のリフトがあり、駅の職員が操作して車いすを車内に運び入れます。こうした駅にはリフトやエレベータもありますからプラットホームヘの出入りも簡単にできます。こういうシステムがあるのは主要駅だけです。

 私が遠距離列車で旅行したい場合、まず少なくとも2日前に予約をし、どのような手助けが必要かを知らせる必要があります。私は職員にリフトを操作してもらう関係から、9時から18時の問に列車を利用するように言われています。

 長距離列車で旅行する障害者は運賃の半額を払います。もしヘルパーをつれていくなら、障害者は2人の運賃として1人分を払います。

フェリー
 カー・フェリーの予約をするときには、身障者用の車であることを知らせます。そうするとリフトのあるフェリーを予約してくれます。

 フェリーの料金は割引になります。車はいつもフェリー内のリフトのそばに停められますから、簡単に船内の別のデッキに行くことができます。

バス
 バスに乗り込むのはたいへん難しく、多くの場合まったく不可能です。しかし政府の援助もあっていろいろな改善計画が始まっています。

 コペンハーゲンで興味深いのは、ある路線を走るすべてのバスには電動リフトが設置されていることです。このリフトは押すと出てくる底板が作動するもので、車いすでバスに乗り込むことができます。

 もちろんこれは歩行困難な人や乳母車にも使えます。もしこの成果があがれば、コペンハーゲンのすべてのバスがこのリフトを導入することになるでしょう。

 もうひとつ計画が進んでいます。いくつかの市で、バス会社が身障者に乗りやすいバスのサービスを始めました。

 このバスは一時間に一本の割合で、非常にゆっくり走り、商店街、医者、老人ホーム、コミュニティ・センターなどに停車します。

 今のところまだ実験段階ですが、これが有効だとわかればオーゼンセのように市全体に走らせ、市内の各部分をつなげるようにしようという考えです。

パネラーの写真


 

自立生活プログラムの現状と課題

谷口 明広(障害者自立生活問題研究所所長)(1956年京都生)

谷口明広さんの顔写真

脳性マヒによる四肢および体幹障害で車いすを使用。「桃山学院大学」社会学科卒業。同志社大学大学院社会福祉学修士課程を修了ののち博士課程に進学。
1984年障害者自立生活問題研究所を設立。現在、大阪府立大学、関西学院大学、桃山学院大学非常勤講師。京都ボランティア協会運委員。

1.はじめに
 1960年代の後半に、米国において始まった自立生活運動(Independent Living Movement)は、「障害をもつ人達の基本的人権を保障し、あらゆる場面での差別を禁止し、より良い人間らしい生活を獲得していくこと」を目標としているのである。1981年の『国際障害者年』を契機として、我が国においても、「自立生活」や「IL」という言葉が、障害者福祉の分野や障害者運動の現場で頻繁に使用されるようになった。しかしながら、我が国では、本来の目的である「基本的人権」に深くこだわることなく、「地域での生活」という表面的な現象のみに興味が注がれているという風潮があるように思われる。基本的人権の保障という目標が見えない運動展開は、その場の要求というものに執着し、グローバルな見解がもてなくなる原因となるのである。

 米国で使用されている“Independent Living”(IL)という言葉は、地域で生活している障害をもつ人達の状況を考慮に入れても、『独居生活』と訳した方が適切であるのかも知れない。『自立生活』というような精神面を柱に考えていこうとする日本語のニュアンスは「IL」という意味合いにしては深く重すぎるように思われてならない。しかし、基本的人権の保障を獲得していこうとする意識が既に備わっているとされるアメリカ人障害者と、人権意識の乏しい日本人障害者を単純に比較しても意味をもたないことであるし、「IL」の意味を受け取る主体が異なれば、解釈が異なるのも当然である。

 このように国の違いにより、自立生活を取り巻く状況にも違いが出てくるが、重い障害をもつ者が自立生活を営もうとする時に必要となる条件に大きな違いは見られない。自立生活を営んでいくうえで必要となる条件は、家屋や介護形態という「自立生活環境整備」と、精神的強化や母子分離の促進という「個人としての障害者強化」という2つがあげられる。前者の「自立生活環境整備」は、障害者団体等の要求運動などがソーシャル・アクションとなり、促進され改善されていくものである。そして、後者の「個人としての障害者強化」は、ここで取り上げる自立生活プログラムが、主要な手段として用いられるのである。地域社会での生活を営んでいける能力を元来備えている者であれば、環境整備のみに力を注げば良いのであるが、すぐには自立生活が望めない重度障害をもつ人達の潜在的な能力を開花させ、新しい可能性に向かわせるためには、実践的な自立生活プログラムの有効性のある実施が必要不可欠なものとなってくる。

 この論文では、「自立生活プログラム」の性質や特性を検討し、米国と日本との比較の中で、我が国における課題と展望についても論じていくものである。

講演会場の写真

2.自立生活プログラムの定義と実践
 自立生活プログラムは、「自立生活技術プログラム(Independent Living Skills Program)」と「自立生活教育(Independent Living Education Program)」という2種類に大別することができる。これらの相違点は、障害をもつ個人が自立生活を実践していくことにどのくらい接近しているのかということに大きく関係している。これは、『自立心(Independent Mind)』をトレーニング以前から兼ね備えているか否かという問題になってくるのである。

 「自立生活技術プログラム」とは、主に米国の自立生活援助センター等で行われている形式であり、障害をもつ個人が自立生活実践の間近に位置し、生活技術を身につけるだけで実現する人達に対して行われるものである。このプログラムの実例は、多種多様ではあるが、カリフォルニア州ロスアンジェルス『デァレール・マックダニエル自立生活センター(Darrll Mcdanial Independent Living Center)』で行われているものを見ると次のようになる。

◎インディペンデント・リビング・スキル(ILS)
1.アテンダント・マネージメント・トレーニング
2.ファイナンシャル・マネージメント
3.ホーム・マネージメント
4.移動のためのトレーニング
5.個人的資源のマネージメント
6.健康管理および栄養管理
7.社会開発(啓発運動)[挑戦者として]

 このようなトレーニング項目の中から、最重要と思われる「アテンダント・マネージメント・トレーニング」の内容を紹介すると以下のようになる。

(1)コースの解説

 アテンダント・マネージメント・コースは、クライエント(障害者)に対して「どのようにアテンダントを雇用していけば良いのか」を教授していくために行われているものである。そして、アテンダントとクライエント両者の責任というものに関する知識を学習して行くのである。また、アテンダントとの間で問題が起ころうとしている時、あるいは問題が起きてしまった時に、クライエントは彼らと円滑に付き合っていくための、高度なコミュニケーション技術を習得していくのである。

(2)コースの目標

 クライエントは、アテンダント・マネージメント・コースを修了した時、次の8項目の事柄が行えるようになるのである。
(a)アテンダントに関するクライエント自身の二一ドを把握しておくこと
(b)専門的な介護技術を身につけているアテンダントを雇用すること
(c)アテンダントを雇用する際の規則や状況を整えておくこと
(d)規則や責任に関するアテンダントの理解を明白にしておくこと
(e)アテンダントの二ードを理解し、尊重すること
(f)アテンダントとクライエントとの間で契約を交わしておくこと
(g)脅迫や脅威という態度を取ることなく、問題に対処していくこと
(h)アテンダントに対する高度なコミュニケーション技術を獲得すること

(3)コースの使用時間

 アテンダント・マネージメント・コースを修了するために必要とされる時間は、クライエントの状態により変化するものである。現状での平均使用時間は、8時間である。

(4)コースの手順

1.クライエント自身の二ード把握
 
A.どのような形態のアテンダントを必要としているのか。
 
①フルタイム・アテンダント/パートタイム・アテンダント
②毎日/週に数回
 
B.どのような援助が必要なのか
 
①クリーニング(どの程度の手助けが必要か)
(a)ゴミ掃除
(b)電気掃除機の使用
(c)台所・ふろ・トイレの清掃
(d)床のワックスがけ
(e)洗濯
 
②クッキング(どの程度の手助けが必要か)
(a)毎食/1日1食/1日2食
(b)後片付け
 
③パーソナル・ケア
(a)風呂介助/トイレ介助
(b)衣服の着脱
 
④モビリティ
(a)屋外運動
(b)家庭内移動
 
2.クライエントの嗜好把握
 
A.喫煙に関する嗜好(喫煙者/否喫煙者)
B.飲酒に関する嗜好(飲まない/適当に/時折)
C.音楽に関する嗜好(どのような種類、どれくらい音量、etc)
D.クライエントが希望する特出すべき他の嗜好
3.アテンダント業務内容の決定
 
A.「どのような領域の援助が、どの程度必要か」を示したリストの作成
B.「個人的な嗜好と希望が、どのようなものか」を示したリストの作成
C.「アテンダント業務を必要とする時間帯は、何時か」を示したリストの作成
4.アテンダント責任に関する把握
 
A.アテンダントが行う業務を理解する
B.アテンダントとクライエントとの間で「ルールは公平である」という認識がある時、クライエントが定めたルールにアテンダントは従わねばならない
5.クライエント責任に関する把握
 
A.アテンダントのニードを理解すること
 
①休日や休憩時間を必要としている
 
②プライバシーの保護を求めている
 
③アテンダントがもつ個別ニードを把握する
6.アテンダント・マネージメント
 
A.問題が発生した時に、どのように対処して行くか
 
①問題について冷静に話し合うこと
 
②過度に批判しないように心がけること
 
③心を閉ざさないようにすること
 
④コミュニケーションを絶やさないようにすること
(a)アテンダントは、クライエントが言い分を口にすることを認める
(b)クライエントは、問題に関するアテンダントの考え方を聞く
 
⑤出来得る限り、妥協しようとする意志をもつこと

 このように一つの内容を取り上げただけでも、細部にまで行き渡った検証事項をもっているのである。

 では、「自立生活教育プログラム」は、何を基本にしているのであろうか。このプログラムは、自立生活実践ラインから離れたところに位置している障害をもつ人達に対して行われるものである。要するに、自立生活に向かうモチベーションの低さが問題となる者を対象とするのである。米国の現状と比較して、我が国の障害者はこのような傾向をもつ者が多く、自立前訓練の意味合いが強いと考えても良いのである。このプログラムを施行している機関は、「ヒューマンケア協会」等が存在するが、以下のものは「障害者自立生活問題研究所」で行われていたプログラムである。

[1]基本的段階
 
(a)プログラム実施への動機付け確立段階・・・・第1基本ステップ
 親なき後の生活や地域での独居生活というものを真剣に考えたことがない障害者に対して、プログラムに参加して、より良い人間らしい生活に自らを置いていこうとする動機付け(パワー)を付けさせていくことは、重要なことである。
 
(b)障害受容段階・・・・第2基本ステップ
 障害者である自分が自分自身でできることやできないことを完全に理解するということは、自らの限界を知るということばかりではなく、適切な介護を依頼する時にも重要とされる。障害受容というものは、解剖学的障害(Impairment)の理解を基本に、機能的障害(Disability)や社会的障害(Handicap)を十分に理解することなのである。しかしながら、解剖学的障害の理解は、医学的な知識を必要とするが故に極めて困難であるので、ここでは障害を受けることに至った原因を理解するに止めておくのが良い。
 
[2]社会性強化段階
 
(c)生活スケジュール製作段階・・・・第3ステップ
 教育プログラムを修了した後、目標とする生活形態を獲得することができた状況で、どのような一日を過ごすのかを具体的に表していくことは、介護に要する時間の算定や余暇時間の使い方などが明らかにされる。さらに、現在の生活との比較検討を通して、具体的改善というものを示していけるのである。
 
(d)生活費考察段階・・・・第4ステップ
 就労が不可能だと思い込んでいることからか、生活費が気になるという障害者が多い。年金や手当、そして生活保護費の詳しい説明を聞くことは、自立生活に向けての大きな力となるのである。自分自身が受給している年金や手当などの金額を認知していない者や、自分名義の銀行口座にどれ位の預金があるのかをも知らない者は少なくない。さらに、自分で財布をもつことがなく、必要時に限り必要金額だけをもつという事例が数多く見られる。自立生活の大きな要素に金銭管理があることを考えても、金銭感覚訓練の重要性も明らかである。
 
(e)課題設定とIPP(Individual Program Plan)製作段階・・・・第5ステップ
 IPPにより、項目別に分けられた短期目標に向かい、課題を設定し、課題を消化していくことにより、障害者の欠落部分が明白にされていくのである。また、IPPを使用していくことで、教育プログラムの効果が測定できるのではないだろうか。
 
(f)社会福祉関係法令や制度の教育段階・・・・第6ステップ
 障害者自身が様々な行政サービスが利用できるように、法令や制度を教えていくものである。さらに、補装具や自助具の紹介や開発も進めていかなければならない。利用可能な福祉サービスを知らないばかりに利用できず、様々な不自由さを味わっている者が多いのである。
 
(g)性と結婚に関する教育段階・・・・第7ステップ
 生きるということを中心にしたテーマを基礎にして、障害者に対する性教育を行う必要がある。「愛することや愛されること」というものから隔絶された存在のように思っている障害者の意識変革を試みるものである。
 
[3]実践的体験段階
 
(h)地域社会との接触段階・・・・第8ステップ
 地域の銀行や郵便局、そして公共交通機関などを利用しながら、課題を達成していくのである。2チーム対抗でのゲーム形式で行い、指定した福祉機関および施設へ、指定した条件に従って訪問・見学の上、事前に依頼しておいたキーワードを手にして、メンバー数のキーワードにより一つのものを連想していくのである。地域社会との接触は、大変な困難性を伴うものであるが故に、遊び心を含めもった設定を心がけなければならない。
 
(i)現行自立生活障害者の類型紹介と自立生活家庭への訪問見学・・・・第9ステップ
 自立生活の介護形態による分類を正しく認知し、自らが希望する生活形態の家庭に訪問することにより、自らの目で確認し、直接に対話することで、自分の将来像をつかめるようになるのである。
 
(j)介護者確保の実践的方法指導段階・・・・第10ステップ
 重度障害者が自立生活を営んでいく上で、欠くことのできないものである介護者を獲得し、確保できるようにならなければならない。介護者を確保することは、重度身体障害者の自立生活における必要最低条件である。
 
(k)自立生活実習体験・・・・第11ステップ
 自立生活教育プログラムは、この実習体験が完結することで終了を迎える。実際の実習体験は、短期間ではあまり現実性もなく、何かにつけ我慢できる限界というものを越える期間を設定しなければならない。

 このように「動機付け」を確立し、確認しつつ強化していくプログラムが必要となってくるのである。このプログラムの施行期間は、個人により異なるが、2年間という長期を展開して行わなければならない場合もある。

3.我が国における自立生活プログラムの課題と展望
 これまで論じてきたように、我が国においても自立生活プログラムの重要性は、既に確認されていると言っても過言ではない。しかしながら、重要であるという確認は取れていても、実践に結び付いていかないというのが現状である。この状況が起こり得る原因としては、2つの事柄が上げられると考えている。その一つは、「自立生活援助者に対する専門性の確立と強化」が試されていないところにある。身体障害者関連施設で働いている職員に専門性が不足しているとは一概に言えないが、施設長を初めとする管理者サイドに「身体的ケアができる者であれば良い」という考えが強ければ、専門性が低く無口で下の世話をする者が、理想の職員となるのである。このような思考の基では、自立生活プログラムを行う可能性すらないのではないだろうか。もう一つは、施設内の時間に追われる労働状況の中で、専門性を発揮する場が提供されないという問題である。既存の集団プログラムに流される中で、個人別に作成された自立生活に向かうプログラムを施行していくことは、かなりの壁を越えなければならないのである。

 また、自立生活プログラムは、成人に対して実施していくよりも学齢期からの積み上げというものを重要視していかなければならない。我が国においても学科科目に固守することなく、「養護学校等の教育機関におけるプログラムヘの取り組み」が必要となってきている。障害をもっていない子供達が、地域社会の中で自然に身につけてきた自立心や独立心は、障害をもつているという要因でもてない状況に置かれていたという経験をもつ者は少なくない。学齢期を過ぎてから行うプログラムの効果は、長時間を要しても成果が少なく、児童期からプログラムにのせる行為を行わなければならないのではないだろうか。これからのことを考えると、障害をもつ人達が重度化していく中で、早期教育の一環として取り入れられていく必要性が感じられるのである。

 「個人としての障害者強化」と「自立生活環境整備」という条件をそろえるためには、自立生活プログラムの内容にソーシャル・アクション的なものを加えていく試みも大切である。『障害をもつ人達のパラダイス』と言われるバークレー市も、障害者運動によって作り上げられてきたものであり、障害をもつ者の一人ひとりに権利意識が基盤となった運動展開「How to」が身についていたからだという考えもできるのである。

 このような様々な要素を取り入れた多様な自立生活プログラムが、個々の施設や機関の特徴をもって具体化されてきた時が、自立生活環境が整備される時であり、どのような障害をもつ人達に対しても『自立生活』という言葉が、魅力に溢れた現実味のあるものとして響くものになると思われるのである。

講演を聴くマリーさんの写真

(参考)
自主生活研究所のタイトル

京都・谷口明広/脳性マヒ(障害者自立生活問題研究所)

 私たちが生活している日本には、数知れないほどの研究所が存在しています。大きなものを対象としている「宇宙工学研究所」、小さいものでは「微生物研究所」というようなアカデミカルの権化と称されるものも存在すれば、「霊感研究所」や「女心研究所」とかいう怪しいものもあるようです。

 要するに、真面目か不真面目か、論理的か非論理的か、儲かるか儲からないかという浮き世の価値観に流されることなく、自分の求める真実に向かいマニアックに没頭でき得る場が『研究所』と呼ばれるところなのですよ。『研究所』と呼べるものを創り出していくには、いくつかの要素が必要となってきます。次々と並べられる必要条件の中で、このぺージを読み始めてしまったあなたは『研究所』の創設者と成り得るか否か。

・自分がマニアックとなれる分野を見つけ出せ!
 テレビゲームで夜明かしした体験のあるあなたは、創設者になる可能性を十分に秘めている人です。「それ」をしているとき、時間が経つのを忘れて夢中になれるあなたなら適任です。どんなに「それ」がバカバカしいものであろうと、社会的に価値がないと判断されるものであったとしても、自分が楽しければよいのです。考えごとをしながら一人で部屋にいるときにふっと微笑んでしまうあなたは合格です。

 このような経験もなく、「おたく」を軽蔑している君は、この後を読まなくても結構です。『研究所』の創設は、かしこいあなたしかできないことなのです。

・看板となれる人物を探し出せ!
 創設した『研究所』が生き残れる方法は、一般大衆や研究者と呼ばれている人たちに「すごい」と思わせることがあげられます。何がなんでも看板となり、イルミネーションのように輝き光る人物を見つけ出すことが必要です。

 その人物とは、学歴の高い人、社会的地位が高い人、利用価値の高い人、実績の評価が高い人などの「高い」がキーワードとなるようです。あなた自身が看板と成り得るのなら話は早いのですが、土台にしかなれないとしたら、あなた自身が「物知り」ではなく、「人知り」か否かの真価が問われるときなのです。

 ダイヤの指輪を見てもわかるように、大きく輝くダイヤモンドの周囲には、小さいけれども鋭く光る宝石が取り巻いています。研究を共に進めてくれる協力者を集める能力が必要となってくるのです。

 看板となれる器でもなく、「人知り」でもないあなたは、次のぺ一ジに目を移した方が良さそうです。誰もが「創設者」になれはしないのです。

・存続できる研究費を作り出せ!
 「金がなくては研究はできぬ」という言葉は、本当に切実なる問題であります。研究テーマも見つかったし、人材も集めたけれど、軍資金がなければ人も踊らないものです。

 研究を大きく分けると、「文献研究」と「調査研究」になるのですが、専門書を買うと高額ですし、調査というものには桁違いの費用を必要とするものです。「地獄の沙汰も金次第」と言われるくらいに研究費というものは取りすぎて無駄にならないのです。

 経済感覚の乏しいあなたは最終段階で落ちこぼれてしまいました。運営主体となるあなたは自分の生命に替えても研究費を獲得して来なければならないのです。

 この三項目を乗り越えることができたあなたは研究所を創設できる人物なのです。残る問題といえば「きっかけ」と「勇気」、それに「やけくそ根性」が揃えばよいのです。

研究所設立に必要ないくつかの要素に関するイラスト

・人が財産
 文面では簡単なように見えてしまいますが、実は困難の繰り返しとなるものなのです。だって、研究所を創設して、約十年間も所長を務めている全てに完壁な私(!?)でさえ、難しい問題が波のように押し寄せてくるのですから。

 それにしても私の場合は「ツキ」というものだけで研究所を創設・運営してきたと言えます。大学院修士課程を修了した私は、専門学校や研究機関からの「就職へのお誘い」も皆無であり、肩書きを持てないままに社会に投げ出されました。けれども、院生時代から講演依頼を受けていたため、新しい肩書きを付けないといけなくなり、「研究所でも創ろう」という軽いノリで創設しました。

 創設当時は、研究所に権威を付けるために大学院の担当教授に所長を名乗っていただき、私は主任研究員という肩書きをいただくことになったのです。

 さらに、研究費の獲得を考えていた私は、新聞に「研究助成」というトヨタ財団の記事を見つけ、申請用紙を取り寄せ、慣れない項目に取り組んだものです。トヨタ財団からの助成金を足がかりにして、いくつかの助成金を申請しながら、研究所の存続に力を費やしています。

 そして、もっとも重要な私の財産は、大学院の後輩がボランティア感覚で研究所の仕事に尽力してくれたことです。このような恵まれた環境の中で、障害者自立生活問題研究所が創設され、機能しているのです。


主題(副題):国連・障害者の十年最終年記念 北欧福祉セミナー 報告書 (重度な障害をもつ人々の地域生活の実現のために)

発行者:財団法人中央競馬社会福祉財団      財団法人日本障害者リハビリテーション協会

発行年月:平成4年12月

文献に関する問い合わせ先:財団法人日本障害者リハビリテーション協会
東京都新宿区戸山1丁目22-1
電話 03-5273-0601