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自立生活 国際フォーラム 日本語版

全体会スピーカー:教育こそが地位向上への推進力

アメリカ合衆国 教育省  ジュディ・ヒューマン

教育こそが平等とエンパワメント(地位向上)への大きな推進力であるというのが私の発想の原点です。障害生徒に多くを期待することが、優れた教育の機会を獲得することに結びつくのです。ライレイ教育長官は、障害生徒に平等な教育機会を権利、公民権として保障する米国の「障害児教育法」(IDEA)について語りました。私の場合は「障害児教育法」が法律となるより遥か昔に学校に通いました。適切な教育が受けられなかった障害を持つ子どもは米国に350万人以上いましたが、私はその一人でした。実のところ、100万人以上の障害児が全く公教育を受けていなかったのです。
私は1才半の時にポリオにかかりました。学校に行く年になった時に学校側には私は見えませんでした。見えたのは私の車いすだけだったのです。教室に入れてもらえませんでした。火事の時に邪魔になると言われました。学校側の考えは明確でした。つまり、私の将来は他の子ほどの価値がないと社会は考えていました。当局が幼稚園児を手玉にとるのはたやすかったでしょう。しかし、母は例によって一筋縄ではいきませんでした。母ほど手強い女性は他にはいないでしょう。ニューヨークのブルックリンで主婦をしていたといえばお分かり頂けるでしょう。経験などなかったのにもかかわらず、母と父は活動家となり、私のために権利を強く訴えてくれました。そして数十万の人と共に障害者の権利を求める運動に加わりました。そのおかげで私は教育を受けられました。「お母さん、ありがとう」。年月が経て、私は教員免許を申し込みました。するとニューヨーク市の教育委員会はまたしても私に首を横に振りました。でも、今度は自分で抵抗することができたし、障害者の権利運動も力を得ていました。裁判に訴えて、免状をもらいました。それから小学校で3年間、教えました。はっきりしている のは、米国で、障害者が味方になってくれる人たちと協力して適切な教育の権利を全員のために勝ちとるまでは、良い教育を受けられない障害生徒は珍しくなかったことです。私自身はこういった勝利に助けられました。私は良い教育を受けられました。教育が受けられたからこそ、達成する機会が手に入ったのです。現在の私は米国政府の高官であり、ビル・クリントン大統領のために働いております。

1995年の成功
 世界的な障害者の権利運動によって、私たちは短期間に多くを成し遂げました。9年前にカリブ海のセントキットに住むエヴィンシア・エドワーズという当時25歳の盲目のシングルマザーは「社会からは反応がほとんどない」と語り、世界的な障害者の状況を端的に示していました。しかし、2年前に懐柔と北京で私たちは国際的女性運動から多くの反応を得たのです。女性の運動の中でできた仲間のおかげもあって、今日、この国際女性障害者リーダーシップ・フォーラムの開催にこぎつけることができたのです。私にとってこのフォーラムの最も大切な意義は、1995年の北京会議の重要な成果である第4回世界女性会議行動綱領に障害女性の問題が真に統合されたということをこのフォーラムが示していることです。権利としての教育綱領は世界の人々、世界の政府に対して、ジェンダー(社会的性差)、人種、障害にもとづくすべてのレベルでの差別を撤廃するための措置を取り、教育への平等なアクセスという目的に向かって前進するための努力を強めるように求めています。教育へのアクセスは特権ではなく、権利の問題であることをはっきりと示しているのです。北京会議の行動綱領に明確に盛り 込まれたことは重要な勝利です。しかし、言葉を現実のものにし、完全な平等という目標に近づくためには毎日、私たちは努力しなければなりません。今日、私たちがここに集っているのは、障害女性は進歩を測るすべての指標で依然として最低の位置にいるからです。最近の調査では、障害女性は雇用される可能性は最低で、とても貧しい可能性は最も高く、若死にする可能性は高いことが示されています。調査によれば、障害を持つ女児、女性が自立し、実りある行き方をするためにはお互いが助け合うことが必要であり、そのためには国内的、国際的ネットワークが必要であることが示されました。誰もが貢献できる環境が整った社会を創りあげるには、ネットワークを下支えする強力なプログラムが必要です。

貧困と識字
教育の機会がないことは、貧困と差別の原因であり、結果でもあります。しかし、将来において平等な教育の機会を創ることで、障害女性に対する差別を過去のエピソードにしてしまうことができます。

  • 障害女性が貧困層の中でも最も貧しい理由の一つは、世界の女性の約65パーセントが読み書きできないことです。アフリカではこの数字は85パーセントまであがります。
  • 障害女性が職業についている率が低い理由の一つは、途上国の障害児のうち教育を何らかの形で受けているのはわずか1、2パーセントに過ぎないことです。 障害を持つ男の子のほうが障害を持つ女の子よりも学校に行く率が高いのは現場の調査結果として良く知られています。
  • 障害女児が障害男児よりも面倒を見てもらえない理由の一つは、障害女児のために声をあげてくれる、十分な教育を受けた障害女性がたくさんいないからです。

言い換えれば、すべての人にとって教育は未来との大切な結びつきだが、障害者にとって良い教育を受けることは、生きるか死ぬかの問題なのです。1994年の「アフリカの盲女性」会議では32カ国からの報告があり、識字事業、教育へのアクセスは通りで物乞いをするような暮らしを避ける唯一の道であることが示されていました。しかしながら豊かな国においてもすらも、障害者は質の悪い教育しか受けられないということが多いのです。

行動綱領
北京会議の行動綱領は2000年までに基礎教育を誰もが受けられること、2005年までに初等・中等教育での性差による格差をなくすこと、2015年までにすべての国で誰もが初等教育を受けられるようにすることを求めています。私たちは活動を絶え間なく続け、障害を持って学ぶ学童、女の子も、男の子も両方がこの目的を達成するための計画の中に含まれるように絶対にしなければなりません。

  • 行動綱領は親、地域社会、教育者、企業が協力して誰もが教育を受けられるようにすることを求めています。私たちは、障害生徒の親も含まれているように絶対にしなければなりません。
  • 行動綱領はキャリアプランニング、リーダーシップ、社会的技能が少女の教育に含まれるよう求めています。私たちは、このようなトレーニングに障害生徒も含まれるように絶対にしなければなりません。学生だった時、私には職業に関するカウンセリングはほとんどありませんでした。当時は、障害者が授産所や病院以外の場で、まともな職業生活を送るなんてことは無理だと頭から決めつけられていたのです。そういった考えこそが人間の潜在的可能性を無駄にしていたのです。何ともったいないことだったのでしょうか。
  • 行動綱領は教育的目標の達成のために十分な資源が分配されることを求めています。私たちは、障害生徒がうまくやっていくために必要な技術的機器、学習面での支援がその対象となるように、絶対にしなければなりません。
  • 行動綱領は教員養成の改善を求めています。私たちは、全ての教員が障害のない生徒と障害のある生徒両方のニーズに応えられるように適切に養成されるように絶対にしなければなりません。
  • 行動綱領は女性の貢献を示す教材の整備を求めています。私たちは、教材が障害者の貢献も示すように絶対にしなければなりません。

失敗からの教訓
皆さんに強く訴えたいのは、皆さんの国がこれから教育政策を進めていく際に私の国である米国の失敗から学んで頂くことです。例えば、私たちは公立の学校を建設した際に、障害生徒も使えるようにはしませんでした。この失敗は高くついています。現在、私たちは障害生徒が使えるように、すべての学校を改築する必要があります。当初からアクセシブルにしておけば、私たちの支出はよほど少なくてすんだはずなのです。皆さんの国が教育政策を進めていく際に、分離型の学校体系を作るというのは重大な間違いであると覚えておいてください。私たちは、米国で障害生徒のために別の学校を作りました。障害生徒は、他の生徒と同じレベルまでは学べないだろうと思われていたからです。現在の私たちの認識は違います。障害があろうがなかろうが、どの生徒も学べるということを、現在の私たちは知っています。

米国の法律の成果
例えば、障害者の権利運動が「障害児教育法」成立を勝ちとって以来、障害生徒が高校を卒業する、もしくは修了証明書を受け取る比率は1984年/1985年の55パーセントという数字から66パーセント以上まで上向きました。44パーセント以上の大学に行く年齢の障害生徒が1991年/1992年には何らかの高等教育を受けました。これは1984年/1985年のわずか29パーセントから向上した数字です。 「障害児教育法」と同じような法律を世界中で勝ちとるには、私たちがこれまで行ってきたことを続けなければなりません。すなわち、世界的に強力な障害者の権利運動をつくることです。世界の全ての国の女性の運動の中で、組合運動の中で、公民権運動の中で、強力な味方をつくることです。

自分を大切に思うこと
強力な障害者の権利運動は、自分は大切だと思っている人たちが中心とならなければなりません。自分を大切に思う気持ちがあって、自分たちには権利がある、権利を持つのが当たり前だと思えるのです。怒りを覚え、行動に出ます。社会は良い時でも保護者面をして、障害者を慈善のケース扱いするし、悪い時には残酷で障害者の存在と可能性を無視してしまいます。そんな社会の餌食となってしまっている障害者が多いのです。でも、私たちは本当のことを知っています。障害者であることは一つの生き方なのです。<自然で、健康で、まともなこと>です。資源があり、必要な支援さえあれば、多くの人にとってはそうなるのです。この真実を理解することは、障害者のために主張する運動を作るために必要な「自分を大切にする気持ち」を持つ初めの一歩なのです。

ロールモデル
効果的に主張する積極性を持つには<誇り>が必要です。この誇りを持つには、専門職についたり、様々な役割を果たしている大人の障害者と障害生徒が接することが非常に大切です。私個人の経験からも、先輩として道を示してくれる存在は大切だと分かります。10才か11才になるまで、自分以外のポリオの人に会った覚えがありません。教員になり、障害児のクラスで教えました。私は生徒たちにとって初めての障害を持った先生でした。これは昔も今もあまり変わっていないことでしょう。障害児、そして障害者が自らに誇りを持つように私たちみんなが協力できることを願っています。

最後に
 協力することで、私たちはたくましくなりました。さらに日に日にたくましくなっています。このフォーラムを開けたということがマーガレット・ミードという文化人類学者が数十年前に語ったことが現在でも変わらぬ真実であることを示しています。ミードは「真剣に考えている本気の市民の小さな集団が世界を変える力を持っているということに、決して疑いを抱いてはならない。世界を変えてきたのは、そういう人たちだけです」と語っています。